亡霊が見た夢   作:うゆ

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2018 11/11
冒頭部分の加筆を行いました。


零落の太陽
キブシ


 黄昏の空の下で、2人はじっと同じ方向を見ていた。

 

 ───貴方は、これでよかったの? 

 

 その問いかけに、彼は優しく微笑む。

 

 ───最高の結末だよ。これ以上望むことなんてないさ。

 

 その答えに、彼女は心地好さそうに目を細める。

 

 ───そう。私も幸せよ。ありがとう、◼︎◼︎。

 

 ───礼を言わなきゃいけないのは僕の方さ。こんな負け犬に……◻︎◻︎に◻︎を見せてくれてありがとう。貴女と在れた時間は僕にとって至高の刹那だ。例え地獄に落ちても、絶対に忘れない。

 

 ───僕も決めたよ。ちゃんと向き合う。もう逃げない。傷も、痛みも、全部受け止める。

 

 ───だから、さ。今、この瞬間にあの日の言葉の続きを言わせてほしい。

 

 "◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎、◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎"

 

 

 ◆

 

 

 締め切った部屋には外からの光や風は届かず、痛いほどの静寂がただ空間に在留している。この閉じた部屋の住民である彼は無感動に天井を眺めている。

 

「……はぁ」

 

 彼は溜息を一つ吐き、俯く。過度のストレスにより色素が抜けた白髪から覗く蒼い瞳は酷く濁り、暗く、冷たい。

 

 自己を構成していたモノの全てを失ってしまったのに、この世界に何故しがみついているのか、きっと彼自身でもよく分からないのだろう。

 

 年季の入ったロッキングチェアを揺らし、リビングの片隅に置いてある埃の被ったグランドピアノに視線を向ける。

 

 その視線に含まれている感情に何一つとしてプラスのものはない。憎悪、殺意、敵意、後悔。ざっと羅列するとこんな感じだろう。楽器の全てが彼にとって憎悪の対象だ。その中でもヴァイオリンは特に忌み嫌っている。その憎悪が殺意に変わるほどに。

 

 だが、処分できていない。この家にあるすべての楽器を彼は捨てれずにいる。グランドピアノだけではなく、ギターやベース、キーボード、電子ドラム、ヴァイオリンも。どれもこれも唯見るだけで、とっくの昔に治ったはずの傷口が全てを冒涜する呪詛の毒で犯されたように痛むのに。

 

 もう一度睨みつけたあと、時計を見る。その針は午前12時過ぎを指しており、約束の時間の少し前だった。

 

 ギィ、と椅子が軋む嫌な音が静謐な空間に反響する。その響きはとても空虚で、どこか悲しい。

 

 椅子から立ち上がった彼はハンガーに掛けてある黒色のパーカーに袖を通し、持ち物を確認する。どうやら忘れ物はないらしく、部屋のドアを開け……ようとするが、踵を返し部屋の机の上に置いてある携帯電話を2つ取る。1つはスマートフォンだが、もう1つは子供携帯だ。しかも傷だらけで、壊れているだろう物を。その2つをポケットの中に突っ込み、部屋を出て玄関のドアを開ける。

 

「行ってきます」

 

 彼の声に応える者は、誰もいない。

 

 

 ◆

 

 

 外は雨が降り、四月にしては冷たい風が頰を撫でる。俺の全てが終わった日も雨が降り風が冷たい日だった。あの一件だけで俺は家族、友人、居場所の全てを奪われた。もうあの場所にはいられなくなったので、態々此処に引っ越してきた。

 

 此処を選んだ理由は、俺の後遺症を診てくれる医師がこの近くの病院にいるという事以外にはない。ただ、出来るだけ穏やかに生きれる街が良かった。そんな俺の願いが叶うかどうかはまだ分からないが。

 

 賑わっているとの噂の商店街は悪天候が原因かなりを潜め、人の通行はあまりない。まあ、意図的に人通りの少なそうな道を選んでいるのも理由だろうが。

 

 雨は空の涙。そんな詩的な言葉があるが、誰の為に泣いているんだろうか。もう二度と泣けない人の代わりに泣いているのだろうか。もしそうだったら、このまま俺達の代わりに泣いていてほしい。もう俺は泣くことが出来ない。どれだけ悲しくても、悔しくても、切なくても俺は二度と泣けない。そして俺の家族も二度と泣けないから。

 

 少し遠くで小学生程度の子供の声がする。子供は嫌いだ。声を聞くだけで胸が締め付けられるような痛みを生むから。その声を意図的に意識から外し、目的地へと足を進める。

 

 降りしきる雨は、まだ止みそうにない。

 

 

 ◆

 

 

 この辺りで最も大きい総合病院の前に着き、自動ドアをくぐると適当な温度に調節されたロビーがあった。外気は四月にしては寒い方なので、暖房が少しだけ病院内の温度を上げている。

 

 人当たりの良さそうな職員達がいるカウンターを素通りし、一直線に東棟5階にある外科へ向かう。

 

 明らかに雰囲気が他とは違うドアを開けると、待っていたのは地面に突っ伏している女性だった。

 

「……何をやってるんですか、先生。貴方が地面に投げ捨てるのはプライドと女子力だけで十分でしょう。早く起きてください。踏みますよ?」

 

 彼の声に女性はピクリと反応し、起き上がる。目付きは眠たげで、クマができている。華奢な手足はロクに運動を行っていないことを示し、肌は青白い。簡単にいえば幽霊のような女性だった。

 

「出会って一週間しか経っていない私を踏みつけようとするとは随分鬼畜だな、君は」

 

「話が逸れる前に言いますが、アレは終わりましたか?」

 

「ああ、当然終わったよ。奥に置いてあるから取ってくるといい」

 

「ありがとうございます、先生」

 

「患者の面倒を見るのが私の仕事だ、気にしないでくれたまえ。それより、痛みには慣れたのかい?」

 

「慣れましたよ。痛みを噛み殺して日常生活を送れる程度には回復しました」

 

 その言葉と共に彼は立ち上がり、部屋の奥へ消えた。それを見送る先生の瞳は無機質ながらもどこか痛々しいものを見ているようだった。

 

「慣れた……ね。物は言いようじゃないか。絶え間なく襲いくる激痛に痛覚が麻痺してきているだけだろう?」

 

 

 ◆

 

 

「で、君は明日から高校2年生になるだろう?」

 

「まあ、そうですね。それが何か?」

 

「難しいことは全部頭から消して楽しんでくれ。来年は受験で忙しいからね。目一杯青春を楽しめるのは今年だけだ。笑って、泣いて、人生の糧にしてくれたまえ」

 

「……俺にそんなこと出来ますかね」

 

「きっと出来るさ。私でも出来たことだ、君に出来ないはずがない」

 

 先生は彼の頭を優しく撫でる。それはまるで母親のようで。故に、彼の古傷を抉る。

 

「……すまない、もうすぐ時間だ。何かあったらまた来たまえ。あぁ、今日はやっていくのかい?」

 

「いえ、大丈夫です。それでは失礼します」

 

 

 ◆

 

 

 玄関にある鏡の前で全身をチェックしている彼は相変わらず仮面が張り付いた様に無表情だ。

 

 冷たい光を宿し、汚濁した瞳は盲目であり過去も今も未来も見ていない。通った鼻梁が台無しだ。血が通っていないような白い肌と制服の上からでも分かる線の細さは彼の不健康をよく表している。

 

 それでもいきなり初日から不登校を選択しなかったのは彼にとってはかなり良い進歩だ。鏡で見た目をチェックし、第一印象に気を使う程度には彼は先生の言う通りの青春を送ろうと努力している。

 

 彼が通うのは羽丘学園。つい数年前までは女子校だった所だ。故に男子生徒の入学者が少なく、比率的には1:4程度だ。そんな状況をどうにかするために手を替え品を替え募集を行ってきたのだが、一向に集まらなかった。丸々半年不登校の彼を受け入れるレベルで。

 

 クリアファイルと鎮痛剤しか入っていない軽い鞄、携帯電話、そして傷だらけの子供携帯を持ち、玄関のドアを開ける。

 

「行ってきます」

 

 やはり返答の声はなかった。

 

 

 ◆

 

 

 先日の悪天候とは打って変わって雲ひとつない青空が広がっている。その蒼穹に飲み込まれそうな錯覚すら覚えるほど美しい空模様だった。いっそのこと、あの空に溶けていきたい。そうすればあらゆる柵から解き放たれるだろうに。

 

 でも、それができていない。故に何か理由があるのだろう。無意識か無意識でないかは重要ではない。「在る」という事自体が問題なのだ。一体何が俺をこの世界に縛り付けている? 

 

 友人……否だ。今の俺には交友関係なんぞ皆無だ。強いて言うなら、千切られた細い糸を持っているだけだ。そろそろこれも捨て去ってもいい頃だろう。そして、忘れ去ろう。

 

 家族……否だ。大切に思うことと縛られる事は違う。俺は俺の意思で生きているのだ。

 

 ■■……否だ。断じて否だ。そんなことはあってはならない。これが最後の絆だとしても、俺の存在証明だとしても、絶対にあってはならない。

 

 では何が理由なんだ? 

 

 そんな答えの出ない問いに対して思考を巡らせていると、いつのまにか目的地に着いていた。校門の前には人集りができており、写真を撮る人と会話をする人で溢れかえっている。樹齢数百年はある桜並木が風に揺れ、花弁を空に舞わせている。

 

 ここで俺はちゃんと生きられるだろうか。




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