亡霊が見た夢   作:うゆ

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貴女を見失うように。





亀裂

 

 

「まあ、こんなところで話していた私たちが全面的に悪いが、それでも盗み聞きは感心しないな。いいかい、情報は金になるんだ」

 

 そう、情報は金になる。戦争などで敵の位置を事前に知ることができれば、それだけで絶大なアドバンテージを得ることができる。どのような情報でも、金になりうる。

 

「つまり、何が言いたいのかしら?」

 

 だが、友希那には理解できない。いや、今の話の内容は理解しているし、知っている。だが、彼の情報が金になるとは思わなかった、思えなかった。

 なぜならば彼は何処にでもいるような一般人なのだ。金になるならない以前に、その情報を求める人物がいない。

 

 疑問符を浮かべる友希那に女医は理論を紡ぐ。医者として至極真っ当な理論を。その理論の色はクリアホワイト……では、ない。少しだけ、本当に少しだけ感情が色づいている。

 

「君がここで聞いた話を誰かに拡散しないか、って話さ。別に彼の情報は金にはならないが、彼の知られたくない部分に直結する情報だ。弱点と言い換えてもいい。そして私は医者だ。患者の情報は死んでも守らなければならない」

 

「ああ」と女医は言葉を止めた。女医の理論が最後まで行き着いた訳ではない。それは、彼女の逃げ場を奪うための停止。

 

「私は彼の専属医だから特例で校舎への侵入を許されている。不法侵入ではこの場を切り抜けることはできない」

 

 その証拠にほら、と首からぶら下げている入校許可証をわざとらしく見せる。これにて彼女には医師との対話、或いは話し合いを続ける以外の道を失った。

 

「別に取って食うわけではないから、大人しく話してくれ。私がしたいのは二次拡散の防止だ。口止めと言ってもいい。私は彼を悪意から守らなければならない」

 

 裏を返せば、彼をそういった何かしらの悪意から狙われているということを示す。思わせぶりな態度、意味深長な言葉使い、捻じ曲がった表現、滅多に見せない人間らしい感情の起伏、あぁたくさんヒントはあったじゃないか、と友希那は納得した。

 

 そして、最初に会ったときのことも。

 

「私はよく覚えている。きっと死ぬまで……いや、地獄に落ちても決して忘れられない。彼と初めて面談したあの日を。

 何もかもを諦めたかのような酷い瞳をしていた。目の粗い鑢で乱暴に磨いたような荒んだ心だった。何も信じていなかった。死んだ方がずっと楽なのに、義務感ばかりが先行して呼吸を続けてきた。欠落を埋めるように痛みに溺れていた。傷口を広げながら生きていた」

 

「それを変えたのは、湊友希那、君なんだ。君が変えることができたんだ。『死ぬという結果が決まっている以上、重要なのはその過程と理由。可能な限り苦しみ、誰かの為に命を捨てたい』と笑いながら泣いていた、泣きながら笑っていた。

 そんな彼が今では少しだけでも笑う事が出来ている。私はその笑顔を曇らせたくない。だから君には彼に関する情報をこれ以上教えない、教えたくない。医者の義務と言ったが、半分は嘘だ。私の医者ではなく人間としての部分が、君に教えられないと言っている」

 

「だから、この場はこれ以上詮索しないでくれ。一方的すぎるという事も自覚している。私達も最後まで隠し通せるとは思っていない。遅かれ早かれ真実を話さなければならないということも、あぁ充分すぎるほど理解している。だが、君がアレを知るべき時じゃないんだ。だから待っててくれないか、彼が自分のことを好きと言えるまで」

 

 知るべきこと、知るべきではないこと。今までの医師の発言を振り返りながら、生まれた疑問をぶつける。

 

「それは……晴人がヴァイオリンが辞めたことに関係しているのですか?」

 

 その瞬間、医師が表情を変えた。

 

「……ほう?」

 

 底冷えするような声音だった。致命的なまでに色素が抜け落ちていた。だが、ここで退いてなるものかと少しの勇気を奮い立たせ、医師の方へ向く。視線は決して離さず、前だけを見続ける意思。それは花崎晴人が最も嫌う意志力の化け物、光の亡者、その片鱗だった。

 

「花崎晴人……数年前のコンクールで優勝を果たした()()。先天的な才能の不足を後天的な努力と習練で補っていた、努力の天才。だけど1年前のコンクールには出場しなかった。その話をしたときに晴人は私に本気の殺意を向けた」

 

 今でも思い出せる光景だった。殺意に彩られたあの瞳。だがあの瞳を本当に彩っていたのは殺意ではなく。

 

「あの子はまったく……あぁ、関係あるさ。ヴァイオリンと彼は切っても切れない繋がりが……呪縛があるからね。だが、君の言うコンクールはそこまで関係していない。そのコンクールが起こる前の出来事によって、彼はヴァイオリンを……音楽を辞めた」

 

 話は終わりだ、と言わんばかりに背を向けどこかに向って行く医師。そして。

 

「ヒントは案外身近に隠れているものさ」

 

 そんな意味深なことを言い、彼女は斜陽の中に消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目の前の騒がしい光景に彼は重苦しい溜息を吐いた。目の前で言い合いを繰り広げる女子高生と女子中学生。言い合いと言っても過激で険悪なものではなく、押し問答のようなものだ。彼がこの場所に強制連行されてから約20分、全く同じやり取りを続けている。

 

「はぁ……」

 

 再確認した事実に悲しくなり、もう一度息を吐く。どちらの言い分もある程度理解でき、かつお互いの主張が平行線なので本当に救いようがない。

 

 先ず友希那の言い分だが、Roseliaに入るには技術不足というのが理論のベースとなっている。だが、彼女は目の前で言い合いを繰り広げている少女の技術を実際に見ているわけではない。その技術を見ている時間すら無駄なのだとあらゆる意見を跳ね返している。

 

 対する少女の言い分は、Roseliaに入る技術を満たしているのか否か、審査をしてほしいとのこと。弛まぬ練習を積んだ証拠に、ぼろぼろのバンドスコアを持っている。一曲だけでも、ワンコーラスだけでもいいから、と。

 

 圧倒的に有利なのはクライアントである友希那だ。最終的には彼女の意思一つで決まる上に、聞く価値がないと判断したならばそれだけで終わる。

 

 そして、彼は個人的に少女の意見が気に食わない。嫌いではない、美しいと思っている、それはきっと正しい。だが、練習するだけで結果が出るわけではない。正しい努力の方向、本人の精神状態、積み重ねた経験、その全てが揃って初めて結果が出るのだ。

 

 結果は悪かったが努力はしました……馬鹿も休み休み言え。結果が伴わない努力は塵芥だ。結果が出て初めて努力というものは評価される。

 

 だが、彼は同時に思う。少女の美しさを、ただ美しいだけで済ませたくはない。

 

「ねぇ、晴人はどう?」

 

 その問いに思考を一時中断。そのあとに「正気か?」という表情を()()()彼女を見る。

 

「部外者の俺に聞くな。Roselia(お前たち)の問題はRoselia(お前たち)で解決しろ。それがお前(リーダー)の責任であり、義務であり、権利だ」

 

 自己決定権に類似するものだ。集団の総意は集団で決定する、という当たり前のこと。その集団に所属していない彼には口出しすることはできないのだ。

 

「参考として聞きたかっただけよ。貴方の意見で方針が決まるのはあり得ないわ」

 

 それを承知で意見を求める彼女の瞳はやはり真っ直ぐで……彼では直視できないほど眩しかった。それに彼は「解せないな」と小さく一言。

 

「ならメンバーと話し合え。俺なんかよりももっと参考になる意見が出てくる。それに氷川紗夜がいる。お前と似ている彼女ならば良い意見を出してくれると思うが?」

 

 彼が最も警戒している人物であるが、否、だからこそ信頼している人物の名を挙げる。()()()()()()()()()()()()()()()()()彼女ならば、必ず同じ選択をするであろうという推論。歪んだ信頼。

 

「メンバーの意思は聞いたわ。その上で貴方に聞いているの。貴方だったら彼女をどう扱うのかしら?」

 

 引き下がらない彼女に彼は折れ、大人しく考える。

 

「俺だったら、か……先ずはこちら側の要求スペックを満たしているか否かチェックする。その後は伸びしろの確認」

 

 面白味も意外性も何もない、有り触れたその他大勢が出すような回答。

 

「やはり見ないと始まらないのは事実よね……」

 

「当たり前だ。見ずに判断するのは愚者の所業だからな。脳に唯一直結している器官で見るのが最速かつ最高効率で事を済ませられる」

 

 そう言いながら、彼は右目の表面をゆっくりと撫でる。まるで何かを慈しむように。

 

 

 

 

 






作中で友希那を光の亡者と言っていますが、「まだだッ!!」で覚醒するトンチキにはなりません。



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