亡霊が見た夢 作:うゆ
「キミがアタシの隣の人かな?」
幸せそうな雰囲気を醸し出す校門前をじっと見つめていると不意に声が聞こえた。それが自分に向けられたものと気付くのにかかった時間は分からない。
正直無視しても良かったのだが、初対面の人間にそんな事をするのは憚られる。ここはひとつ、穏便に事を済ませておこう。隣人ならばある程度友好的な関係を築けるのが望ましい。まあ、俺が一番望むのは彼女が二度と俺に声をかけない事だが。
そんな事を頭の片隅で考えながら声の主がいると思われる方向に顔を向ける。
「貴女がその席に座るなら、な」
「ふーん……アタシは今井リサ。キミは?」
「……晴人。花崎 晴人。できれば名前で呼んでくれ、名字は好きじゃないんだ」
「オッケー、よろしく晴人!」
「ああ、よろしく」
これが俺の新しい一歩。凡ゆるものを嫌悪したかつての俺と比べると幾分かは進歩しているだろう。
変化を拒み、友情を唾棄し、絆を嗤い、愛を踏み躙り、同情を忌避したあの頃の俺よりは。きっといい方向に向かってる筈だ。そうは思いませんか、先生。
◆
時刻は凡そ8時30分ほど。もう大半の生徒は己がどのクラスに所属するのかを知り、其々の教室に入室していく。
俺がいるクラスも例外ではない。次々と教室内に人が入り、各々コミュニティを形成している。去年のクラスメイト、部活の友人、同じ中学校の人間……人と人を繋ぐ輪は多種多様だ。一週間前にこの街に足を踏み入れたばかりの俺にはそのコネクションがないし、そもそも友人なんて今更望まない。ただ穏やかに生きれればいい。これだけが俺の望み。
もう嫌なんだ。家族とか、友達とか。人が嫌いなんだ。
絆で繋がってる? 友情は大切? 家族は宝物? 馬鹿も休み休み言え。何も知らないくせに。そんな事を言えるのは決まって人間関係において成功している奴だ。俺みたいな泥を這い蹲って生きている敗北者の気持ちなんて知らない。
ああ、どうか過去へ連れ出してくれ。
だから時よ止まれ。そして戻れ。叶わない事は分かってる。それでも、願わずにはいられないから。
◆
始業式、クラス活動としての自己紹介が終わり、生徒が帰路につく中で、彼は1人屋上に佇んでいる。
色素が抜けた白髪が風に靡く。無機質な瞳は盲目を示唆する。張り付いた無表情はまるで
「忌々しいな、吐き気がする」
傷だらけの古びた子供携帯の画面を見ながら呟く。その画面に写っているものは■■■■。平和だった、満ち足りていた、幸せだった。
愛しい刹那を永遠とする文明の利器によって繋ぎとめられた、止められた時間。動き出すことも、変化することもない。これが彼の心の拠り所。
「
酷く弱々しい声。親とはぐれた子供のような顔。細い体は後悔の念によって震えている。吐露するのは本心。どうしようもないほど歪み、狂った願い。誰にも……彼が一番信頼している先生にすら決して言わなかった本音。ずっと隠してきた弱く、半端な、切なく揺れる心。定まりきらない自分。
それは……幽世から怨嗟の声を上げる亡霊のようで。
「やり直せないのかな」
やり直せるわけがない。
「これで終わりなのかな」
あぁ、終わりだよ。
「嫌だよ、そんなの」
これはお前が選んだ道だ。その全ての責任はお前に帰結する。
「独りは、嫌だ」
拒むな。
「怖い」
恐怖心なんてものは捨てろ。
「……■■■」
お前は、■■■■■■■■■。決して。永遠に奈落の底で絶叫し続けろ。それがお前が犯した罪であり、受けるべき当然の罰であるのだから。
ガチャリ、とドアが開く音がした。それはつまりこの空間内に足を踏み入れた人間がいるという事。
本音は聞かれる訳にはいかない。彼は罪人。悲鳴を上げるのは被害者の方だ。彼は決して叫んではならない。どんなに苦しくても。受ける罰がその身に余るものだとしても。
彼は空っぽの仮面に虚飾で彩られた仮面を被せる。無表情ではあるが、先程の凡ゆる感情が削ぎ落とされたような酷い顔ではない。彼が持てる仮面の中で最も社交的なものである。
「あれ? 晴人じゃん。こんな所でどうしたの? もうみんな帰っちゃってるよ?」
「……それはこちらのセリフだ、今井リサ。君こそこんな所に何をしに来た? 君の友人達は全員帰路についているんじゃないか?」
ギャル風のファッションに反し、真面目かつ面倒見のいい今井リサがそこに立っていた。隣には小柄な銀髪の子がおり、晴人に警戒を含んだ視線を向けている。
晴人はその少女を一瞥し、リサの方を向く。一応会話をする気はあるようだ。
「アタシは友希那と話に来ただけだけど……晴人は?」
リサの言葉に晴人は少し目を伏せながら答える。まるで何かに怯えるように。
「……ただ、感傷に浸っていただけさ。無意味で、無駄で、無価値な。気にしないでくれ」
その虚飾の裏側にある触れてはいけないナニカに気付いたのか、それとも未知を恐れる本能なのか、リサはそれ以上踏み込むことはしなかった。
「そっか……あ、紹介するね! この子は友希那。アタシの幼馴染なんだ」
「……湊友希那よ。宜しく」
友希那は晴人に向けて左手を出す。
「花崎晴人だ。可能ならば名前で呼んでくれ、苗字は好きじゃないから」
それに応えて晴人も
「……?」
友希那の不思議そうな顔に気が付いたのか、晴人は2人の見えない様に顔を顰める。
「すまない、間違えしまった」
晴人と友希那は握手をするが、その雰囲気は決して友好的ではない。友希那は晴人を警戒しているようであるし、晴人は何も見ていない。
「あははっ! 晴人もそんなミスをするんだね〜」
そんな険悪な空気を払拭するためにリサが茶々を入れるが一切の効果を発揮しない。
このままでは無言の時間が続き、雰囲気はもっと悪くなる。だが、予想に反して友希那が口を開いた。友希那が気付いたのは、晴人が最も触れて欲しくなかった部分。剥き出しの傷であり、決して癒える事がないもの。未だに彼を縛り付ける鎖。
「……貴方、音楽をやっていたわね?」
「…………どうしてだ?」
その声がドス黒い感情で揺れていたことには誰も気づかない。虚飾の仮面をかぶる前の空白が覗いている。
好奇心は猫を殺す、この状況ではこの言葉がぴったりだろう。友希那は虎の尾を踏むどころか、龍の逆鱗に触れようとしているのだから。
「筋肉とマメのつき方よ。恐らく弦楽器、それも小型の……バイオリンをやっていたんじゃないかしら? それもかなり長い期間。そして、花崎晴人。最初に聞いた時は分からなかったけど、2年前のコンクールで優勝した名前と同じよね。そして、半年前に表舞台から姿を消し……」
「やめてくれ。これ以上は詮索しないでほしい」
彼は彼女の手を優しく振り解く。その声音も落ち着いており、まるで子供をあやす様である。
しかし、瞳だけは違った。固体化せんばかりに凝った憎悪。これ以上踏み込めば殺す事も辞さない、と言わんばかりの殺意に溢れた眼。しかし、片目は途轍もないほど無機質だ。そのアンバランスさが友希那の恐怖心を揺さぶる。生物としての本能が警鐘を鳴らす。
「ご、ごめんなさい。知り合って間もないのに踏み込み過ぎてしまったわ」
「此方こそ申し訳ありません。大人気ないことをやってしまって」
彼の奈落に蓋がされたことを理解し、友希那は肩の力を抜く。どうやらなんとか回避出来たようだ。
「晴人ってバイオリンやってたんだ! 意外だな〜」
晴人にその話題を振るのはまずい、と友希那が止めようとしたが彼は冷静に答えた。
「今は殆ど触ってないけどな」
先ほどの殺意も虚無も何もない。至って普通の花崎晴人だった。
一体何がトリガーなのだろうか、そんな事を頭の片隅で考えながら友希那はリサと晴人の会話に混ざった。
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