亡霊が見た夢   作:うゆ

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くえすちょん、だれが「こどく」なの?






エリカ

 時刻は午後6時過ぎ。校内にいる生徒の数は少なく、その殆どが帰宅の為の準備を進めている。

 

 場所は屋上。明かりが皆無と言っても過言ではないような場所である。友希那とリサは少し前に帰路に着き、たった1人しかいない。

 

 鎖で雁字搦めにされ、水底に沈められた憐れな小鳥が、虚しく闇に吼える。怨みの叫びが、罰を求める悲鳴が、天に轟く。

 

「ぐっ……あぁ……」

 

 彼は焦点が定まってない瞳で虚空を睨みつける。口からはだらしなく涎が垂れており、呼吸は荒い。

 

「がっ……ぐぅ……はぁ……」

 

 握り締められた拳からは血が滴り落ちており、その手にかかっている力の大きさを示している。皮膚が破れ、肉が裂ける激痛すらも意識に留まらないほど、彼を襲っている別の痛みは強かった。

 

「ぐっ……うぅ……!」

 

 その痛みを別の痛みで上書きしようと、コンクリートでできた床を力任せに殴りつける。普通ならば床に一切の影響を及ぼさず、その行為は無意味に終わるはずだ。しかし、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、滴り落ちた血の雫が夜空に毒々しい華を咲かせている。

 

「ああっ……ッ……! ……」

 

 それでもまだ足りない。この忌々しい激痛を掻き消すには。他の痛みが時間の経過と共に薄れていくのに対して、この痛みだけは尚鮮明だった。

 

 全身に呪詛の毒が駆け巡る。絶え間なく襲い来る激痛が痛覚以外の五感の全てを機能不全に落とし込み、世界から音が、色が、香りが、感覚が消える。

 

「相……変わらず……この痛み……には……慣れない……な……」

 

 自嘲するように呟く彼の声は、虚しく空に溶ける。

 

 覚束ない手で鞄からボトルに入った鎮痛剤を取り出し、片手から溢れる程の量を口に放り込む。その数は少なく見積もっても15錠。あの薬の正確な服用量は分からないが、それでも基準値よりは大幅に多い事は簡単に見てとれる。

 

「……畜生……」

 

 彼の呟きが空に溶けたその時、ガチャリとドアを開ける音が静寂な空間に響く。

 

「こんばんわ、花崎晴人くん。ご機嫌はいかがかな?」

 

 風に翻る白衣、月明かりに照らされた青白い肌、隠せていないクマ。運動不足故に細くなった手足。

 

「診察時間になっても来ないと思ったら……一体君はこんな所で何をやっているんだい?」

 

 先生がいつまで経っても来ない患者(晴人)を迎えにきた。その声音に嘲笑を伴って。

 

「先……生ぇ……」

 

 ハァ、とため息を一つ吐き、先生は激痛に藻搔いている彼をじっと見つめる。

 

 それを晴人は焦点の定まっていない瞳で見つめ返す。

 

「……全く、面倒な患者だよ、君は。現代テクノロジーがないと生きる事が出来ないのに、定期的に摘出しないと身体を激痛が蝕むのに何故拒むんだい?」

 

 心底理解できない、とも言いたげに呟く先生はコンクリートに蹲っている晴人の視線に合わせる為、しゃがみこむ。

 

「何、別に負い目を感じることはないさ。君が生きていることを咎める人間はいない。そもそも、そんな権利は誰も持っていない。それに君は何を勘違いしているのか知らないが、生存することは悪ではないよ。それが生物の命題であり何よりも達成すべき目標だからね」

 

 その声は先程のような冷たく引き離すようなものではなく、子供に語りかけるような優しさをはらんだものだった。

 

 しかし、その声音が、その内容が、その態度が、彼の神経を逆撫でする。

 

「それで、どうするんだい? 行くのか、行かないのか。私はどっちでもいい。行かないと言うのであればどうぞご勝手に。好きなだけ激痛に溺れていたまえ。幸い人は少ない上に時間帯は夜だ。私が君を見なかった事にし、屋上のドアを締めればそれでおしまいだ。君の自慰行為を止める者も咎める者もいない。朝まで存分に耽っていたまえ」

 

 そこで一度言葉を区切り、先生は彼を値踏みするかの様に見つめる。

 

「行くのであればこの手を取れ。君の主治医として、君の痛みを取り除こう」

 

「さあ、どうするのかね? 行くのか、行かないのか」

 

「逃げないのか、逃げるのか」

 

「……」

 

 彼の道は、1つしかなかった。

 

 

 ◆

 

 

 蛍光灯の明かりが簡素かつ無機質な室内を照らす。

 

 室内にはキーボードを叩く音、ペンを走らせる音、機械音のみが響く。騒々しい院内から隔離されたこの場所は、大凡の人が足を踏み入れるのに躊躇する。それもそのはず、腕は確かだが人間性が終わっている曰く付きの医師のテリトリーに誰が好んで足を運ぶのだろうか。実際、此処に来る人間は先生を除けば晴人だけだ。その晴人も、用事があるとき以外は可能な限り入らないようにしている。

 

「さて、気分はどうかね?」

 

 人を食ったような笑みで、物言わぬ人形のようにベッドに横たわっている彼に話しかける。その声音は心底愉快そうで、先生が人として終わっていることを否が応でも再認識させられる。

 

「痛みは収まりましたよ……」

 

 その返事に力強さは無く、倦怠感に溢れていた。そして彼は相手にするのも面倒と言わんばかりに背を向ける。

 

「おや? 釣れないね。もう少し私の話し相手になってくれよ。終わるまでまだ時間があるだろう? その間私は患者の元を離れる訳にはいかないし、君も暇だ。win-winの関係じゃないかね?」

 

「貴女と話すと疲れるんですよ……」

 

「会話の練習だと思ってくれたまえ。それに君は出会って数分の人間に殺気を放ったんだろう? 幾ら彼女が君の琴線に触れたとしても、この対応はあんまりじゃないか?」

 

 彼は「どうしてそれを」と言おうとしたが、すぐに思い留まる。この天災に何を言っても無駄だ。「知っている」という結果がある以上、方法を問うのは無意味だ。

 

 だから、彼は苦し紛れに毒を吐く。

 

「本当に……貴女は人間として腐ってますね。どうして医師なんてやっているのか。尋問官や拷問官の方がよっぽどお似合いですよ。今からでも遅くないので転職してみては? 好き好んで貴女のような人間に診察されたいと思う患者も少ないでしょうし」

 

「人間性が腐っているのはお互い様さ」

 

 その毒ですら、あっさりと切り返されてしまうのだが。

 

 

 ◆

 

 

 その後、無事に抽出も終わり、「次はちゃんと来るように」と釘を刺された晴人は帰路についていた。

 

 四月といえど夜は肌寒く、吹く風が彼の体温を少しずつ奪ってゆく。時刻は10時を過ぎ、完全に夜の帳が下り住宅街は静寂に包まれている。街灯が冷たく道路を照らし、靴底がコンクリートを叩く音が反響する。

 

 少し早足で歩こうとしたところで、見知った姿が視界に入る。どうやら彼女も晴人に気付いたようだ。

 

 

「……数時間以来……だな、湊友希那」

 

「えぇ……晴人」

 

 これ以上会話はない。出会ったのは今日、2人ともコミュニケーション能力はお世辞にも高いとは言えない、殺気をぶつけた側とぶつけられた側。エンカウントした瞬間に逃げ出されないだけマシだろう。

 

 逃げられなくてよかったと彼は思う。こうやって一対一で話せる機会は今後いつ来るか分からない。なら、今言わないといけないだろう。

 

「その……済まなかった」

 

 初対面の人間に殺意を抱いてしまった事への、折角共通の趣味を見つけてくれた彼女の善意を無駄にしてしまった事への、彼女と自分が同類だと思ってしまった事への謝罪。

 

「私も……貴方の触れて欲しくない部分に踏み込んでしまっていたのよね……ごめんなさい」

 

 彼の予想に反して彼女も頭を下げる。彼からしてみれば意味不明だろう。被害者が加害者に謝ってどうする? 加害者がつけあがるだけだろう。

 

「貴女が謝る必要はない。俺が勝手に暴走しただけだ」

 

「それでもよ。私に悪い点が無かったわけではないの。晴人の心を知らない内に傷つけてごめんなさい」

 

 友希那の言い分に晴人は目を丸くする。彼の心と、彼女の心。どちらが大事であるかなんて稚児でも分かるだろう。

 

「理解に苦しむ。明らかに俺が悪なのに、何故背負おうとするんだ?」

 

「人に優しくするのは普通でしょう?」

 

 一切のタイムラグなく即答され、更に驚愕する。本心からそう思っているのだろう、底抜けに優しいのだろう、純粋な善意でそう言っているんだろう。

 

 だからこそ。

 

「……貴女の優しさが、いつか貴女を苦しめないように祈るよ」

 

 彼はこう祈るしかない。優しさや善意は自分を絞めあげる鎖にもなるのだ。自分の近くで、優しさ故に苦しむ人なんてもう見たくない。

 

 無力な彼には彼女がとある人物と同じ轍を踏まないように願うしかないのだ。

 

 新たな出会いを言祝ぐ四月の風が、2人の間をそっと通り抜けた。

 




星10 りゅうや様
星9 鳥籠のカナリア様、アイリP様

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