亡霊が見た夢   作:うゆ

8 / 10
燃えて。灰になって。消えて。少しばかりの寂しさを覚えるソレを、とても美しく感じてしまった。


反芻

「信じる者は、巣食われる(すくわれる)

 

 裂けた三日月を口元に浮かべ、捕食者の瞳で灰色の世界を見下ろした。この半径数mだけが俺の世界。俺を殺して俺が殺した、矮小な箱庭。色彩を失い、透明になった(消えた)場所。あぁ……なんて醜い。思わず嘲り(祝福)を乗せた音を空っぽになった掌で奏でてしまいそうだ。

 

 こんな歪んだ行動でしか、完膚なきまでに潰された『自己』と言う空虚なテクスチャを再定義出来ないなんて、本当にどうしようもない。そうやって誰かを傷つけて現れた無価値な『自分』すらも刹那のうちに灰となり、風に溶けて『世界』に爪痕を残すこともなく居なくなってしまう。残るのは再び『(カラ)』になった花崎晴人と言う識別コードと人生を与えられたニンゲンの成れの果てと、心を踏みにじられた他者(だれか)。其処にはなにもなく、がらんどう。どこか知らない、遠くで『花崎晴人』が嗤っている。その雑音は、聞くに堪えない。

 

 前にいる哀れな小娘を見やる。案の定、顔は恐怖に歪んでいる。あぁ、そういう表情(カオ)は大好きだ。

 

 ”深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ”

 

 実存主義の先駆者であるドイツ哲学者、フリードリヒ・ニーチェの言葉だ。

 

 深淵に、のぞかれた。深淵に、追いつかれた。深淵に、触れられた。

 

 深淵(おれ)に、──────。

 

 今の彼女は、きっと未知(しんえん)を恐れる心を、震えや表情の変化を以て外界に出力しているのだろう。

 

 夜の残滓が薫る。主張する事もなくするりと鼻腔を通る、無臭の香り。無い、されど有る。その矛盾を成立させるナニカ。遺伝子に刻まれた人間の本能が実態無き何某を捉えた。抱いた感情は安堵。口角が少し下がる。三日月が沈んだ。その反面彼女の顔は更に硬くなった。

 

 燃え尽き、朽ち果てた俺の魂……その、断片。それが再燃する音。断じて業火ではない。例えるなら火種や燈といった方が適切だ。壊れた玩具と成り果てた人間を動かすには全くもって足りない。それに、そもそも内部システムがイカれているのに、正常に稼働する訳がない。故に、これはバグとバグが重なり合って、表面上普通に見えているだけ……つまり、空っぽ。

 

 その悲しさや寂しさを例えるなら、真夜中の公園、誰もいないバス停、種火の消えた暖炉、弦の張っていないアコースティックギター、忘れ去られた遊園地。錆びついた観覧車に一人ぼっちの俺が乗っている。

 

 煤け、汚れた病棟で白衣を纏った女医がその眼光を鋭くした。小さな箱に入った4人の人間だったナニカは嘲笑の声を上げた。本当にそうかはわからない。ただ、俺の直感がそれを示した。もしかしたら、こうしてまた無垢で罪のない少女を傷つけた俺を彼らに罰してほしいのかもしれない。

 

 女医には、1人の人間として。先生は人間性が饒舌に尽くしがたいほど歪んでいるが、与えられた役割と医者としての使命には忠実だった。そして、一人ぼっちだった俺にできた、もう1人の■■。だから、俺に罰を。

 

 小さな箱に入った4人には、俺が初めての■■と、最初で最後の■■として。俺が奪ってしまった彼らの未来。■■■、■■■、■■、■■。その4人の名は今でも俺を戒める鎖となっている。もう名前すら呼べなくなった彼らは、今何を思っているのだろうか。

 

 左四肢と右眼球、体の内部がナイフで滅多刺しにされたような灼熱の痛みと、死神の腕に掴まれたかのような冷たい痛みが俺を蝕む。魂の深淵に刻み込まれた呪痕のようなソレは絶え間なく疼き、物質界に未だ在り続けている俺の肉体を異なる界に引き摺り下ろそうと躍起している。だが、まだ死ねない。死ねないのだ。俺の償いはまだ終わってないのだから。

 

 刹那の激痛を飲み干し、もう一度彼女を見やる。影を落としたような表情、少し力の入った手、長い髪は風に揺れ常に変化している。きゅっと結ばれた唇は言葉の激流を食い止める防波堤やダムの役割を果たしているのだろう。きっと彼女も分かっている筈だ。もう『花崎晴人』は終わっていることを。すでに対話という可能性を選べないほどに壊れていることを。

 

 少し前に読んだ本を思い出す。タイトルも作者も忘れた本だが、内容は覚えている。ポストアポカリプスものだった。

 核戦争によって『国家』という機構が崩壊し、人間を含む生命種の大半が滅びた……その後の話。放射線に晒された死の大地、灰の降る空をキャンパスに、黒く淀んだ人間の心を描く物語。バッドエンドでもなければハッピーエンドでもない。文を紐解くときから分かっていた、予定調和の如く結末。

 世界が終わったときに生まれた青年の苦悩と絶望がひたすらに一人称視点で綴られている本だった。登場していたキャラクターは壊れていたり、悩んでいたり、疲れていたり、泣いていたり……人間としての負の側面を剥き出しにしていた。

 

 登場人物が言っていた、「神が見放した世界の何を信じれば良いのでしょうか?」という言葉は俺の中で生きている。別に俺たちが息を吸って吐いてる世界は滅んだりはしていないが、神が捨てたというのだけは同意する。

 

 だって。

 

 この世界には。

 

 あまりにも悲しいことが多すぎる。

 

 目の前にもいるじゃないか。夢に一人ぼっちで歩む少女が。この世に神がいるのならば、こんな善人を放っておく筈がない。

 

 だから信じないし信じさせない。信じる事は無意味だと世界に嘲りの声音を轟かせる。信じて奪われるなんて安っぽい悲劇はもう繰り返したくないのだ。

 

 なあ。お前もそう思うだろう?

 

「……それを言えるって事は、貴方も誰かを信じていたのよね。でも、裏切られた。裏切った。だから晴人は信じない。その痛みを誰よりも知っているから。信じるよりも疑った方がずっと楽だもの。当然よね」

 

 ……コイツは。

 

 まだ俺と対話することを望んでいるのか?

 

「でも、それは卑怯よ。常に誰かの善意の裏側に探りをいれるなんて事は……最低よ」

 

 耳が痛くなるほどの理想論。綺麗事。

 

「卑怯も何も、それは確立された処世術の1つだ。嘘やブラフが必要悪とされるように、それもまた必要悪だ。善意の裏側で他者の破滅を考えている獣が多数集まってコミュニティを形成しているのが人間だ。そんな中で与えられる善意に無警戒でいられるほど能天気じゃない。ヒトはロクでもない存在だって、既に結論は出ている。幾星霜重ねようが、それは決して覆らない」

 

「善意を疑って、優しさを蹴落として……その先に何があるの?」

 

 (ソラ)か。(ソラ)か。この煙の先はきっと誰も知らない。だというのに、俺には届いた。

 

 否。違う、違うのだ。届きすらしてない。垣間見た、という表現が正しい。

 

 それを見るには、存在が矮小過ぎた。強度も然り。

 

 運命は悪辣だな、と心の底で呟きながらいずれ俺が至る王冠の景色を受け止める準備を進める。

 

 理外の情報が流れ込む脳内で、俺は唯一明確に認識出来る『画像』、『写真』、『記憶』、『未来』、『イメージ』を見た。視て、観た──

 

「野花すら咲かない地獄さ」

 

 俺の肉体に暴虐の限りを尽くす彼らの姿を、これは聖戦だとも言わんばかりに俺を壊す彼らの姿を。

 

「そこで俺は墓守りをする為だけにここに居る」

 

 花の一つすら備えられていない殺風景な墓。そこに赫を加えて鮮やかに。

 

「あぁ、些か抽象的過ぎたな。じゃあ、こう言い換えよう」

 

 生命としての温度を突き抜けて。

 

 狂気と踊って。

 

 理性に嗤って。

 

 悪性を愛でて。

 

 矛盾を賞賛して。

 

 たった1人、『僕』に手を差し伸べてくれた誰かの顔から目を背けて。

 

 振り向いた過去に啼いて。

 

 たった1人、『俺』と対話してくれた誰かの声を聞こえなかった事にして。

 

 前に広がる未来から逃げて。

 

 そうして。

 

「今はただ、いつか死ぬ為に生きてるだけだ」

 

 夕立が降りそうな空だった。

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