少しフェアになったかもしれない第四次聖杯戦争   作:L(・◇・)┘

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ACT.2

 

 

 ──問おう。貴方が私のマスターか。

 いましがた召喚した己がサーヴァントからの問いかけに対し、衛宮切嗣は暫しの間沈黙せざるを得なかった。

 眼前の少女を睨むように凝視し続ける。彼の胸中に渦巻くのは疑念であり、驚愕であり、困惑である。

 自らの雇い主であるアハト翁より託された、英霊召喚の為の聖遺物。“全て遠き理想郷(アヴァロン)”。それは間違いなく、アーサー王を召喚できるはずの代物だ。

 実際に切嗣も自分の眼でその真贋を(あらた)めている。鞘は格別の神秘を宿していた。宝具であるのは確かであり、断じて偽物というのはあり得ない。

 なればこそ切嗣が召喚したサーヴァントはセイバーで、かつアーサー王でなければならない。

 だが到底、眼前の少女が伝説で語られるところの騎士王だとは思えなかった。

 そもそも本当に英霊なのかどうかすら怪しい。何せその格好は、あろうことか水着なのだ。

 ふざけているのか。そう声を荒らげたいというのが本音だった。だがそれを飲み込み、切嗣は冷静に思考を続ける。

 業腹ではあるが、やはり彼女は英霊でありサーヴァントなのだろう。その身に秘められた魔力と気配は尋常ならざるものである。加えてマスターとしての透視能力が、サーヴァントとしての彼女のステータスを切嗣の脳裏に映し出していた。

 極めつけが右手の聖剣だった。黄金の輝きを備えたそれは間違いなく宝具であり、ひょっとするとこれこそがエクスカリバーなのかもしれない。

 ──ではやはり、彼女はアーサー王なのか?

 聖剣は彼女が騎士王であるという、確たる証拠に他ならないだろう。だがそれを踏まえてなお、俄かには信じがたいというのが切嗣の結論だった。

 長い沈黙であり、静寂である。切嗣の傍に控えている妻のアイリスフィールも、不安げな面持ちでことの成り行きを見守っている。部下である久宇舞弥も、無言を貫いていた。

 

「ああ……僕が、お前のマスターだ」

 

 ようやく切嗣は口を開き、彼女の問いに答えを返した。

 

「これより我が剣は貴方とともに在る。そして、貴方の運命は私とともにある。ここに契約は完了した」

 

 厳かな頷きとともにもたらされた言葉は凛としていた。そう、言うなれば王者とも思える雰囲気であり佇まいだ。土蔵の中を支配する静謐さと相まって、神聖なまでの緊張感さえ生んでいる。

 もっともそれに相反した見た目こそが、余計に切嗣を混乱させているのだが。

 

「お前に幾つか訊きたいことがある。虚偽なく答えろ、サーヴァント」

 

 だからこそ、その言葉は自然と切嗣の口を衝いて出ていた。

 サーヴァントとは使い魔だ。魔術師にとってはつまるところ、ただの道具であり武器である。

 道具に話しかける趣味など切嗣にはなかった。情報と命令の伝達は全てアイリスフィールや舞弥を通せばそれで事足りると認識していたし、そのつもりでいた。

 だが眼前のサーヴァントの正体と性能を把握するのは、最優先事項の急務である。

 闇の中で燦然と輝く聖剣をその手に携える以上、十中八九彼女はアーサー王ではあるのだろう。

 だというにも拘らず、このサーヴァントは己のクラスをアーチャーだと宣ったのだ。

 そして水着だ。現代風の白いビキニだ。スレンダーな立ち姿がそれはそれは魅力的であり、無駄に良い尻である。サーヴァントとしてまったくどうでもいい要素だった。

 騎士王たる者が、戦いに必要不可欠なはずの鎧はいったい何処にやったというのか。鎧を差し置いてなぜ水着なのか。

 期待していた性能を有している保証など既にあるまい。予定していたサーヴァントの運用法を、一から見直す必要が出てくるかもしれないのだ。

 だからこそその辺りのことを、切嗣は自分の眼と耳と口で直接確認しなければならないだろう。

 サーヴァントとの会話などいっさい不要──そんな考えは早々に捨てるしかない。

 

「わかりました。では質問をどうぞ、マスター」

「まず、お前の真名は?」

「我が真名はアルトリア。ですが、アーサー王と名乗った方が通りはよろしいでしょう」

「……ひとまずお前が騎士王であることに間違いはないんだな?」

 

 アルトリアが頷く。

 

「なら次の質問だ。アーサー王ならば、僕はてっきりセイバーで召喚されるものだと思っていた。アーサー王には、アーチャーのクラス適性があったのか?」

 

 アルトリアが首を振った。

 

「本来ならば、マスターの推測どおりです。私にはセイバーのクラス適正しかありません。ですがどういう理由かは判りかねますが、この聖杯戦争において、私がセイバーのクラスで現界することは不可能でした」

「セイバーで現界することが不可能だった……?」

「もしかしたら、他のマスターにセイバーを先に召喚されていたのかもしれないわ」

 

 訝しげに呟いた切嗣に、アイリスフィールが口を挟む。

 

「……確かに、その可能性が高いだろうね」

 

 聖杯戦争において、召喚されるサーヴァントのクラスは重複しない。であればこそ、アーサー王を召喚できる聖遺物を用意したところで、先にセイバーを召喚されていればアーサー王をセイバーで呼ぶことは叶わない。

 だが、それでも疑問はまだ幾つも残っている。

 

「アーチャーの適正がないにも拘らずアーチャーで召喚される……それはあり得ることなのか?」

「通常ならば不可能でしょう。ですが私には、聖杯が存在する時代とその場所に召喚される、特別な“故”があります。セイバーで現界できない為に、今回は例外的にアーチャーでの召喚に無理やり適合したようです」

「無理やりだと……不具合はないのか?」

 

 訊いてから、内心で切嗣は自嘲した。

 判りきったことである。不具合と言えば、アルトリアの格好からして既に不具合だらけだ。

 

「当然あります。第一に、セイバーで召喚される際よりもステータスがダウンしています。また、アーチャーとして現界する為にサーヴァントとしての霊基が歪んだ結果、一部の能力にペナルティが加わっています」

「具体的には?」

「見てのとおり、鎧の顕現が制限されています。それによる、基礎的な耐久力の低下は著しいと言えるでしょう。ちなみに、なぜ水着になっているのかは私としても謎です」

「他には?」

「宝具が一つ使用不可能な状態になっています。もっとも“風王結界(インビジブル・エア)”は補助的な宝具ですので、致命的な不具合ではありませんが」

 

 補助的。そうは言うが、されど宝具である。流石に聞き捨てならない発言であり、知らず切嗣は眉をひそめていた。同時に、嫌な予感が胸の奥底から沸々と這い上がってくる。 

 

「……騎士王ご自慢の聖剣に問題は?」

 

 そこで初めて、アルトリアは少しだけ言い淀んだ。

 

「答えろ」

「……“約束された勝利の剣(エクスカリバー)”に関しても些かの不具合があります。真名解放に際しては、こちらの武装と接続して使用しなければなりません」

 

 こちらの武装、と称された物体を切嗣はまじまじと見つめる。

 武器の形としては、切嗣にとっても非常に馴染み深かった。銃である。ただし透明感を伴うそれは、中に水が溜まっている。

 

「……それは、僕には水鉄砲にしか見えないんだが」

「はい、ウォーターガンです。生憎と飛び道具は持ち合わせていなかったので、アーチャーとして現界した際に聖杯から付与されました」

 

 思わずこめかみを押さえた切嗣に、アルトリアは構わず淡々と続ける。

 

「マスター。たかが水鉄砲、と侮ってはなりません。これもサーヴァントの武装。敵サーヴァントを害するのになんら問題はありません。加えて私には、ランクA+の“サマー・スプラッシュ!”のスキルがあります」

「………………もう一度言ってくれ。なんだって?」

 

 サーヴァントのスキルにしてはあまりにそぐわぬその名称に、切嗣は思わず訊き返した。

 

「“魔力放出(水)”と言い換えるべきでしょうか。本来なら水属性ではありませんが、アーチャーとして現界したことによって属性が変化しています。このスキルを用いれば射撃の威力を向上させることは元より、著しく下がった耐久力を水の結界によって補うことも可能です」

「水属性に変化するとは、いったいどういう理屈だ……」

 

 切嗣が苦々しさとともに零したその言葉に、しかしアルトリアは不敵な笑みを浮かべる。

 

「元々エクスカリバーは湖の妖精から託された物です。水属性があってもなんらおかしいところはないでしょう」

 

 これには切嗣も苦笑いだった。

 ともあれだ。切嗣は眼前のサーヴァントについて、改めて思考を巡らせた。

 ステータスがダウンしているとは言っても、耐久と幸運以外は平均以上の値は維持している。その耐久値に関しても、実際のところは水の結界とやらでカバーも可能。

 補助宝具の使用不能は痛くはあった。が、本命のエクスカリバーさえ曲がりなりにも使えるならば、アルトリアの言うとおり致命的な不具合ではない。

 きっとアハト翁からすれば、セイバーでなかったことからして大問題だろう。だが切嗣は、それに関してはむしろ好都合だとさえ考えていた。

 なぜなら切嗣のサーヴァントがアーチャーならば、他のマスターのサーヴァントがアーチャーというのはあり得ないのだ。

 そう。敵の陣営に、“単独行動”のスキルを持つアーチャーは存在しない。

 言うまでもなく、聖杯戦争での切嗣の方針は敵のマスターの暗殺だ。

 だがマスターを殺したところで、契約しているサーヴァントは即座に消滅したりはしないのだ。保有している魔力が尽きるまでは、現界を維持することも可能である。そして“単独行動”があるのなら、消滅までのリミットは飛躍的に伸びる。アーチャークラスのサーヴァントはそう言った意味で新しいマスターとの再契約が容易であり、従ってアーチャーのマスターを暗殺する旨味は薄いと言える。無論、いざという時はそれを承知で殺しに行くが。

 ともかくだ。だからこそアーサー王をアーチャーで召喚できたのは、むしろ僥倖である。仮に敵のサーヴァントに極めて強力なアーチャーがいたら、切嗣としては立ち回りの難しい戦いとなっていた可能性もあっただろう。

 切嗣はアーサー王をアーチャーで召喚したことによる利点と難点を吟味し、最終的な結論を打ち出した。

 聖杯戦争を戦っていくうえで問題はない、と。

 格好が格好なだけに、切嗣とてアルトリアの自己分析を完全に信じきっているわけではない。水の結界があるとは言うが、やはり水着姿というのは防御面での不安は懐かざるを得なかった。

 とはいえ、これに関しては戦略を見直せば解決できる問題でもある。

 不安を加味しても、切嗣の結論に揺れはなかった。このサーヴァントで充分だ。勝算はある。もしもないとしても、それを作るのがマスターである切嗣の役目に他ならない。

 切嗣は再度アルトリアを凝視した。

 やはり水着である。水着姿の少女なのだ。そしていい尻だ。彼女がアーサー王だとは信じがたい姿であり、彼女がアーサー王だとはあらゆる意味で認めたくなどなかった。

 

「……アーチャー、これが最後の質問だ」

「はい」

 

 そうして切嗣は、当然とも言える疑問を口にする。

 

「いまは冬だが、水着で寒くはないのか?」

「寒いです」

 

 無論耐えることはできる。そう補足されたが、このあと切嗣は舞弥に指示し、アルトリアの衣服を用意してあげた。

 

 

   ◇

 

 

 サーヴァント召喚による多大な疲労感を伴いながらも、ウェイバー・ベルベットは夜道を歩いてマッケンジー宅へと戻ってきた。

 傍らに連れているのは、先程見事召喚してみせたアーチャーのサーヴァントである青年だ。

 

「ふむ」

 

 そのアーチャーが、マッケンジー宅を玄関先から興味深そうに見上げていた。

 

「ここが聖杯戦争でのボクの拠点だけど……な、なんだよ。何かおかしいか……?」

 

 恐る恐るウェイバーは尋ねた。だがその言葉とは裏腹に、おかしいという自覚は当然ある。

 ここはごく普通の一軒家だった。それも魔術とはなんら関わりのない、一般人の家である。

 魔術的な仕掛けなど一切ない。そんなところが魔術師の拠点などとはちゃんちゃらおかしい。

 とはいえ、自分の身一つで突発的に冬木市に乗り込んだウェイバーとしては、魔術工房など用意しようもなかったのだ。そもそも冬木市までの旅費にしたって、時計塔の知人であるメルヴィン・ウェインズに借りたものだったのだ。工房を設える資金など何処にもない。

 失笑を買うのは当然だろう。早くもマスターとしての威厳を失ってしまったことに、ウェイバーは少なくない羞恥を感じていた。

 

「見たところ、魔術的な気配は欠片もありませんね。……推測するにマスター、この家とその住人は、貴方とまったく関係がない。そうですね?」

「そ、そうだよ。ここの住人に魔術をかけて……その……忍び込んだ」

 

 それもこれも、ホテルに宿泊する代金さえ持ち合わせていなかったからである。我ながら名案だと思っていたのは、いまこの瞬間までである。無関係の民家に潜り込んでいることをアーチャーに見抜かれて、ウェイバーはその理由が情けなさ過ぎたと省みた。

 バツが悪い。いまも家屋を見上げるアーチャーに、ウェイバーは耐えきれなくなってきた。

 

「なんだよ、もう。言いたいことがあるなら、はっきり言えよなっ」

 

 思わず声を荒げ、そんな言葉を吐いてしまう。

 アーチャーの視線がウェイバーに向く。穏やかな雰囲気ながらも、サーヴァントとしての圧倒的な気配を備えた彼に見据えられ、思わず身が竦みそうになる。

 

「では、率直な意見を幾つか」

 

 あくまで穏やかな調子で告げるアーチャーだが、その真剣な眼差しにウェイバーは知らず固唾を飲んだ。

 

「聖杯戦争の拠点としては、非常に優れていると言えるでしょう」

「えっ?」

 

 慮外の言葉だった。呆気に取られたウェイバーに構わず、アーチャーが続ける。

 

「如何に堅牢な魔術工房を用意したところで、対軍宝具を撃ち込まれれば陥落は必至です。であるならば、この聖杯戦争に求められる拠点とは頑丈さではなく、隠密性こそだと私は考えます。発見が困難であればあるほどいい」

 

 ですので。そう言葉を区切って、アーチャーが穏やかに微笑んだ。

 

「そういった意味では、一般人の民家に潜り込むのは戦略的に極めて有効な手段です」

 

 褒められたのだ。そう思ったウェイバーは、面映ゆい気持ちと嬉しさが胸の奥から込み上げてきて──

 

「とはいえ、一般人を聖杯戦争に巻き込む可能性があることを考えれば、褒められた手段とは言い難いですね」

「うっ……」

 

 褒められてなどいなかった。むしろダメ出しされていた。しかしアーチャーの指摘は正しいものなので、ウェイバーとしても深く受けとめる以外にない。

 

「もっとも、それは魔術師にとっては不要な感傷とも言えますが……どうやら、その辺りのことを割りきっているわけではないようですね、マスター」

 

 その指摘もまったくその通りだった。マッケンジー夫妻を聖杯戦争に巻き込む可能性を示唆されて、一抹以上の罪悪感をウェイバーは自覚してしまったのだから。

 

「アーチャー……責めてるのか、ボクを?」

 

 言葉はやはり、自ずと恐々としてしまう。

 

「いいえ、責めてはいません。貴方は魔術師です。ならば目的の為に手段を選ばないことも必要なのでしょう。ですが最低限、貴方は自覚を持っていなければなりません。この家の方々が、貴方のせいで聖杯戦争に巻き込まれる可能性があることを。そしてその結果、この家の方々が死ぬ可能性もあることを。その場合、その咎は全て貴方が背負わなければならないということを」

「……そう、だな。それは、オマエの言う通りだ」

 

 反論のしようもなかった。というより、ウェイバーを諭してくるアーチャーの言葉は、不思議と胸の奥にすっと入ってくるのだ。

 穏やかな風貌に穏やかな表情。そしてやはり、聞き手を自ずと悟らせるような穏やかな声音こそがそうさせる。

 時計塔の講師の誰よりも、アーチャーの言葉は心に響く。

 

「では、中に入りましょうか」

「……」

 

 いましがたこんな話をしたばかりである。マッケンジー宅に踏み入ることに、ウェイバーは些か以上に躊躇を覚えた。

 仮にもしもいま敵のマスターやサーヴァントに、この家に入っていくところを見られていれば。

 

「マスター、今夜のところは心配には及びません」

 

 ウェイバーの迷いを見抜いたように、不意にアーチャーが言った。

 

「それ、どういうことだ……?」

「いまは誰にも見られていません。周囲に魔術師もサーヴァントも存在していませんからね。我が“千里眼”と、()()()()()()()()“気配感知”のスキルによって確認済みです」

 

 ウェイバーは、ちょっと驚いた。自分が漫然とマッケンジー宅に戻る間に、このサーヴァントは身辺の安全をきっちり確保していたのだ。

 アーチャーを召喚したことによる疲弊が著しかったとはいえ、ウェイバーはその辺りのことに何も気を配っていなかった。もう既に、命を賭けた生存競争は始まっているにも拘らず。

 ウェイバーは、ある種の覚悟を改めて決めた。

 家に入り、マッケンジー夫妻にあてがわれている自室へと移る。

 床に腰を下ろし、アーチャーと向かい合った。

 

「じゃあ、まず一番大事なことから訊かせてくれ」

「ええ、なんなりと」

「ずばり、オマエの真名は?」

 

 ウェイバーは、まだそれを把握してもいなかった。

 そもそもウェイバー・ベルベットが聖杯戦争に参加することになったきっかけは、とある事柄に由来する。

 ウェイバーが数年がかりで書き上げた自慢の論文。それをあろうことか一度流し読みしただけで破り捨てた時計塔の魔術講師、ケイネス・エルメロイ・アーチボルト。彼が聖杯戦争に参加するという噂を耳にしたからだ。

 その折に、ウェイバーは聖杯戦争が如何なる魔術儀式なのかを調べ上げた。

 七人の魔術師が七騎の英霊をサーヴァントとして召喚し、生き残りを賭けて競い合う。そして、勝者には万能の願望器“聖杯”が与えられるという大儀式。

 聖杯戦争に魔術師としての血統の貴賤など関係ない。そんな虚飾を剥ぎ取り、完全なる実力勝負によって参加者の優劣は決定しよう。

 ウェイバーは思った。このボクに持って来いの舞台じゃないか、と。己の優れた才能を理解できない蒙昧どもに──特にケイネスに自分の実力を知らしめてやるいい機会だ、と。

 ……だが惜しむらくは、英霊召喚の為の聖遺物を用意することができなかったことか。

 いや、聖遺物を得る機会は実のところ一度だけあったのだ。

 本来ならば、ケイネスの立ち合いの許に開封される予定だったとある品。ギリシャから送られてきたそれが、管財課の手違いでウェイバーに取次ぎが託されたのだ。

 聖杯戦争におけるサーヴァント召喚の為の触媒であると、ウェイバーはすぐに直感した。

 天啓だった。千載一遇の好機である。

 ──と、思ったのも一瞬だけだ。それは、盗めるような物ではなかったのだ。

 軽量化の魔術が施されていたからか、運搬に際しては苦ではなかった。ただし、あまりに大きい物だったのだ。何せウェイバーの身長とも前後するほどの大きさである。

 持ち運べても、アレでは目立ちすぎる。盗み出そうにも、すぐに見咎められていただろう。

 結局ウェイバーはその聖遺物を素直にケイネスへと届けた。論文を破り捨てた腹いせに隠そうかとも考えたが、やはりそこでも大きさがネックとなったのだ。隠したところで、容易に発見されるのは眼に見えていた。

 盗むことも隠すことも諦めて、しかしウェイバーは聖杯戦争に参加する決意は捨てなかった。

 ウェイバーは英霊の聖遺物を持ち得ぬまま、その日のうちに冬木市へと発ったのだ。

 触媒もなしにマスターになれるのか、一抹の不安はあった。だが天はウェイバーに味方した。次の日には、ウェイバーの手の甲に三画の聖痕が刻まれていたのだから。

 そして今夜、ウェイバーは聖遺物なしで英霊召喚を敢行するに至ったのだ。

 そんな綱渡りめいた行程を経た末に召喚したのが、眼前の穏やかな風貌の青年である。

 いまだ彼の真名を知らないのもそのせいだ。聖遺物を用いぬ召喚だった為に、彼の正体が完全に不明なのである。

 ゆえにこそ、いま真名を問うたのだ。

 とりわけ強力とされる三騎士のクラスのアーチャー。それを引き当てることができたのは幸先がいい、とウェイバーは思う。が、アーチャーだろうとなんのクラスだろうと、英霊はピンからキリまでいるだろう。

 ましてや聖遺物なしでの召喚となれば、当たりと言える英霊を引き当てられる確率は低い。

 もっとも、外れではないという確信は既にある。眼前のアーチャーは理性的であり、極めて知的だ。マスターとしての透視能力が映し出す彼のステータスも、決して低くなどない。

 何よりも()()()()()()が常軌を逸していると感じたのは、ウェイバーの気のせいではあるまい。

 それは英雄独自のものを除く、ほぼ全てのスキルにBランクないしAランクの習熟度を発揮できる能力だ。

 スキル名を“神授の智慧”。

 そうしてアーチャーが、微笑とともに告げる。

 

「我が名はケイローン。大神クロノスが子。以後、お見知りおきを。我がマスター、ウェイバー・ベルベット」

 

 それは最強のアーチャーとは言わずとも、最優のアーチャーと言えるであろう英霊だった。

 

 




神授の智慧で使えるスキルについて作者と読者の皆様とで見解の相違があるかとは思います。
現状エルキドゥしか持っていない気配感知のスキルですが、他の未登場の英霊が持っていてもおかしくはないスキルと判断したのでケイローン先生に使わせました。

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