少しフェアになったかもしれない第四次聖杯戦争   作:L(・◇・)┘

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ACT.9

 

 

 自動車を背に、薄暗い街路に佇むセイバーと切嗣はしばしのあいだ固まっていた。対峙する軽装の青年が発した言葉の意味を飲み込むのに、少なくない時間を要したせいだ。

 聖杯戦争において、サーヴァントの真名は秘匿するのが定石だ。真名を晒すとはその英霊の伝承を開示するのと同義であり、その伝承に記された弱点なども(つまび)らかになってしまうからである。

 ゆえにサーヴァントは真名ではなく、クラス名で呼称するのが常だった。

 だというのにこのサーヴァントは、なんでもないことのように己の真名を口にした。セイバーと切嗣が揃って呆気に取られるほどに、さらっとだ。

 

「──待て、ダビデだと……!」

 

 はっとしたセイバーが愕然と眼を見開いた。彼女のその驚きは、切嗣もその内心に等しく懐いた所感である。真名を自ら明かすという行為にも驚いたが、何より切嗣を驚かせたのは真名そのものに他ならない。

 ──ダビデ王。初代イスラエル王であるサウルに仕えた羊飼い。サウルの死後その王位を継いでペリシテ人を撃破すると、エルサレムを都として四十年間の治世を敷いた。

 政に優れ、芸術に優れ、そして戦いにおいても優れた偉大なる英雄だ。ペリシテ軍最強の戦士であるゴリアテの打倒を初め、数々の武勲を立てた歴戦の戦士であり将なのである。

 その知名度においても、全英霊の中でも群を抜いていると言えるだろう。トランプではスペードのキングのモデルともされているし、ルネサンス期においてミケランジェロに彫られたダビデ像はあまりに有名だ。

 アーサー王やイスカンダル、ヘクトールやカエサルやシャルルマーニュといった名立たる大英雄たちと同じく、九大にその名を連ねる英霊でもある。

 一見して軽薄な優男といった風采だが、決して侮れる相手ではない。

 軽はずみに真名を晒したのは迂闊、愚挙ともとれるが、それは自信の現れとも言える。あるいは軽率に振る舞っているのは偽りであり、切嗣たちを油断させる為の罠なのか。

 ダビデほどの英霊が、真名を晒す不利を理解していないはずがない。ならばやはり、愚者を演じていると見るのが妥当か。

 偽りの真名という可能性も当然ある。だが切嗣をして、眼前の男からは王たる者の威風──即ちカリスマを感じずにはいられなかった。ダビデでないにしても、名のある王なのは間違いない。

 内心の思考を無表情の仮面で覆い隠しながら、切嗣は眼前のサーヴァントへの警戒を強くした。

 一方でセイバーは、難しそうな表情を浮かべていた。

 セイバーはちらりと切嗣を一瞥してから、意を決したように口を開く。

 

「……参りました。名乗られたからには、私も名乗らねばなりません」

 

 名乗り返す気か。そうと察した切嗣は制止しようと口を開きかけ、やめた。

 黙認したのである。もとよりエクスカリバーは有名すぎる代物なのだ。風王結界(インビジブル・エア)がない以上、セイバーの真名は隠そうと思っても隠せるものでは──

 

「え、キミの真名はアビシャグだろ?」

 

 …………ない、こともないのかもしれない。

 だが切嗣としても、ダビデのその反応は少々信じられないものだった。如何にセイバーが少女であろうと、エクスカリバーをその眼にすればアーサー王だと納得するしかあるまい。にも拘らず、ダビデはセイバーをアーサー王だとは欠片も思っていない様子だった。

 なに言ってんのキミ。そう言わんばかりの怪訝そうな表情すらダビデはセイバーに向けている。

 アーサー王だと気づいていないふりをしているのか。だが演技をしているようにはいっさい見えない。それでもなおとぼけているのなら、やはり油断できない相手という他なかった。切嗣はさらに警戒を強めた。

 

「……断じて、そのアビシャグとやらではない」

 

 セイバーとしても隠せるものは隠しておきたいところだろう。だがこうも失礼な人違いをされているのは許容しがたいことだったのか。複雑そうにしながらも否定の言葉を彼女は返した。

 そして、セイバーは改めて凛と続ける。

 

「聞け、ダビデ王。我が真名はアルトリア。ウーサー・ペンドラゴンの嫡子であり、ブリテンの王である」

「な……っ!?」

 

 その名乗りを聞いたダビデが愕然として震えていた。アビシャグではなく、アーサー王であったことに多大な衝撃を受けているのか。

 

「馬鹿な、なんてことだ。アビシャグが……自分をアーサー王と錯覚している精神異常者になってしまった……!」

 

 最低に失礼な反応だった。

 

「……」

 

 無表情かつ無言のセイバーであるが、彼女の内心の怒気は切嗣にもはっきりと伝わってきた。額に怒筋が浮かんでいるようにも見えるし、ピキリ、という音も聞こえた気がした。

 

「……いい加減、私がアビシャグという認識は捨てていただきたい」

「え、本当にアーサー王なの? あれおっかしーなぁ、美人ならだいたいアビシャグなんだけど。まぁ確かに、身体的な特徴がアビシャグとあまり一致しない気もするかな……」

 

 コート越しにセイバーの体を、主に胸部を遠慮なく凝視しながらダビデが呟いた。

 

「でもスレンダーな肢体はそれはそれで美しい。そしてコートの下が水着だけなんて、なんかそこはかとなくエロくて僕の劣情を催させる。ならやっぱり、キミは実質アビシャグだよ」

 

 そう締めくくったダビデはどこまでも爽やかな笑顔である。それが余計に、いまの発言の酷さに拍車をかけていた。

 どうやらこのわけの分からない言動は正真正銘本気らしい。いよいよ切嗣は一つの可能性を考慮した。

 

「このサーヴァント、まさか錯乱しているのか……?」

「そのようです。おそらくは精神汚染の類いのスキルを所持していると見て間違いないでしょう」

 

 呟いた切嗣にセイバーが即座に同意を示した。

 その直後だった。

 

「──アーチャー、真名の開示を許可した憶えはないのだが?」

 

 不意にそんな言葉とともに、一人の男がダビデの後ろからその姿を現した。

 純白の衣服とマントを纏う異国の青年だった。

 いや、青年と表現したが、見た目どおりの年齢ではないのだろう。青年にしては、いやに老獪な雰囲気を漂わせている。

 そして、見覚えのある男だった。別に切嗣と知己の間柄というわけではない。だがその顔と名前は時計塔でそれなりに知られているのだ。

 

「あれ? 姿を見せちゃっていいのかいマスター。交渉は僕に任せるって言ってなかったっけ」

「貴様の交渉が一向に捗らないからだ」

 

 ダビデの隣に立った男が憮然と答えた。そんな彼にダビデは不敵に笑んでみせる。

 

「いや、心配しなくても大丈夫だよ。これはもうちょっとで口説き落とせる流れだからね。あとはバーでテキトーに酔い潰して、駅前のホテルに連れ込めばぬかりなく交渉できるさ」

「貴様はいったいなんの交渉をしようしている……」

 

 こめかみを押さえて男が呟いた。

 

「え、交渉っていったら当然セッ──」

「貴様、“八枚舌”か」

 

 被せるように切嗣は口を開いた。

 

「八枚舌のダーニック・プレストーン・ユグドミレニアだな?」

 

 繰り返し追求した切嗣に、ダーニックが薄く笑って応じる。

 

「知っているようなら自己紹介はいらないな。そして、そういう貴様は“魔術師殺し”の衛宮切嗣に相違ないな」

 

 切嗣は無言でダーニックを睨みつけた。

 ──こちらの素性は割れているか。しかし六人目のマスターがこいつだったとはな。また随分と厄介……いや、危険な奴が出張ってきたな。

 ダーニック・プレストーン・ユグドミレニア。百年近くを生きているとされる、ユグドミレニア一族の長である。時計塔での階級は、“冠位(グランド)”に次ぐ“色位(ブランド)”。

 そして、第三次聖杯戦争のマスターだった男だ。

 しかもダーニックは、あろうことかナチスドイツと手を組んで聖杯戦争に参加していたのだ。一国の軍を利用するなど、ともすれば切嗣以上に手段を選ばない魔術師と言える。

 断じて典型的な魔術師と考えてはいけない手合いだ。罠に嵌めるつもりが罠に嵌められている。注意を怠れば、切嗣と言えどそんな状況に陥れられることだろう。

 

「いったい僕になんの用だ?」

 

 敵意も猜疑心も隠さず切嗣は言った。

 

「我々も倉庫街での戦いは見物させてもらった。とりわけ巨漢のアーチャーと黄金のアーチャーは誰がどう見ても強力無比だ。あれらに単独で勝利するのは、不可能とは言わないが難しい。ゆえに彼らこそを、真っ先にこの戦いから降ろすべきだ。そうは思わないか?」

「なるほど。要は貴様も間桐雁夜同様、こちらに同盟を申し出ているというわけか」

「二対一でも巨漢のアーチャーには不利を強いられていた。しかしそこにもう一騎サーヴァントが加われば、勝てる可能性はあるだろう。──改めて言おう、衛宮切嗣。我々と手を組もう」

 

 終始酷薄な微笑を崩さず、ダーニックは手を差し出してきた。

 切嗣は逡巡した。ダーニックの言い分はわかるし、同意できる部分も多い。

 しかしだ。眼前に立つ魔術師は、あの“八枚舌”なのだ。時計塔において魔術講師としてよりも、政治家としてその辣腕を振るう男である。

 

「……ダーニック、貴様の噂は有名だ。陰謀渦巻く時計塔で、裏切り、寝返りは当たり前。信じている者は無論、信じていない者すら手のひらの上に置いて騙し尽くす超一流の詐欺師。ついた異名が“八枚舌”。魔術世界において一、二を争うほどに信用してはいけない男だろう。そんな奴と手を組めるとでも?」

 

 ダーニックが不意に肩を揺らして笑った。

 

「確かに私は謀略に長けている。他者からすれば信用することなど到底できまい。だがそれは貴様が言えた立場ではないぞ。魔術世界において一番信用してはいけない男が私だったとして、二番目は魔術師殺し、貴様ではないかな?」

「……否定はできないな」

「だが貴様の強さは信用に値する。同盟を組むなら貴様しかいないと思ったほどだ。貴様となら、目障りな奴らを確実に排除できる」

「……」

 

 再度、切嗣は思考を巡らせた。

 切嗣としても、ダーニックの強さは噂程度には聞き及んでいる。戦闘に特化した一流の魔術師が五、六人、束になっても勝てるかどうかだという。狂いに狂っていたという第三次聖杯戦争を生還せしめている以上、その実力はおそらく本物だ。

 加えてサーヴァントの方も、透視で確認できるパラメーターは高水準だ。筋力耐久敏捷魔力幸運宝具、順番に並べるとBCABA+Aである。これはダビデのその絶大な知名度に加え、一流の魔術師がマスターであるがゆえの能力値か。

 主従ともに掛け値なしに胡散臭いという点を除けば、組む相手として申し分ない。ダビデの宝具とスキル次第で、あの二騎のアーチャーが相手でも勝ちの目は作れるだろう。

 

「衛宮切嗣、別に私を信用しろなどと言う気はないさ。私も貴様を信用する気はさらさらないし、できないからな。だが利害が一致すれば共闘は可能だ。最も邪魔な敵を排除するまで、互いが互いを利用し合えばいい。貴様と私の同盟とは、そういう関係で充分だ」

 

 その果てに相手に騙されたとして、それは完全に、騙された方の自己責任だろう。お互い組んだ相手がダーニックだと、衛宮切嗣だと弁えていなければならないのだ。同盟を組みながらも、互いの背中を常に狙い合う油断も隙もない、食うか食われるかの関係だ。

 それをあえて自ら望むあたり、ダーニック・プレストーン・ユグドミレニアという男は豪胆だ。

 衛宮切嗣を騙してみせる自信があるのか。衛宮切嗣に騙されない自信があるのか。

 ──いいだろう、上等だ。切嗣は心の中でほくそ笑んだ。

 熟考の末に結論は出た。

 が、その前にである。

 

「ダーニック、貴様に幾つか確認したいことがある」

「ふむ。私に回答できる範囲で構わなければ、好きに問いただしてくれて構わんよ」

「なら訊かせてもらうが、貴様のサーヴァントは本当にダビデ王なんだな?」

 

 少しだけ間があった。ダーニックが諦観も露わに肩を竦めて苦笑する。

 

「この際、もはや韜晦(とうかい)するまい。そう、彼は正真正銘ダビデ王だよ。私が今回の聖杯戦争で必勝を期すべく、聖遺物を用意して現世へと招聘した」

「こちらはそのサーヴァントと意志の疎通を正確に行えるのか、疑問を覚えている。そのあたり、実際のところどうなんだ?」

「そう思うのもわからないではない。が、彼はこう見えて至って正常だし、健常だ。もっとも私も彼が己の真名を晒した際はその正気を疑ったし、呼ぶ英霊を間違えたかと思ってしまったがね」

「おっと、なかなか手厳しいねマスター。でもそれは杞憂だよ。キミが引いた英霊はこれ以上ないくらいの大当たりだからね。実際、僕はやるよ、かなりやる」

「わかっているとも、ダビデ王。少しばかり苦言を呈したくなっただけだ。お前は──いや貴方はあの二騎のアーチャーに対するジョーカーを持っている。御身ならば、あの二騎を消滅させることも不可能ではないでしょう」

 

 唐突に慇懃な振る舞いを見せて微笑むダーニックに、ダビデが苦い表情を見せた。

 

「いきなり謙るのはやめてくれよ、マスター。確かに僕は王だったこともあるけど、いまは一介のサーヴァントだ。キミが主で僕がしもべ。それでいいと最初に言ったじゃないか。僕としては羊飼いとして振る舞う方が気性に合ってるんだ」

「では、今後は迂闊な真似は控えていただきましょう、ダビデ王」

「わかったよ、悪かった。真名をうっかり晒した件は謝ろう」

「……ダーニック、いま言ったジョーカーとは?」

 

 一連のやりとりを聞き終わってから、切嗣は気を取り直して尋ねた。

 

「まだ同盟を組んでいない現状で、流石にそれを教えるわけにはいかないな。だが、正式に同盟を組んだとなれば、それを開示してもいい」

 

 まず間違いなく宝具についてだ、と切嗣は察した。

 ──旧約聖書で語られる例の木箱か、それとも、ゴリアテを倒した投石か……?

 ジャイアントキリングの語源は、ダビデのその逸話だとする説がある。彼ならば、最強かつ巨人が如きヘラクレスに対し、有利な逸話を持っていると言えなくもない。

 

「質問を続けたまえ」

 

 促され、切嗣はダビデの宝具に関する考察を打ち切った。

 

「僕のサーヴァントはアーチャーだ。識別をややこしくしない為に、便宜のうえで現状はセイバーと呼んでいるがな。そして先程倉庫街で交戦した三騎のサーヴァントもアーチャーのようだ。……貴様のサーヴァントもやはり、間違いなくアーチャーなんだな?」

「肯定しよう。これで未確認の二騎を除く、全てのサーヴァントがアーチャーということになる」

「ならやはり、七騎全てがアーチャーと考えるのが妥当か」

「だろうな」

「……では改めて問うぞ、八枚舌。今回の聖杯戦争──七騎全てのサーヴァントがアーチャーなのは貴様の仕業か?」

 

 言外に虚偽は許さないと告げるように、切嗣は鋭い視線をダーニックに向けた。

 

「……なるほど、貴様は私が前回の聖杯戦争で、聖杯に何かしらの細工を仕掛けた可能性があると考えているわけか」

「答えは?」

「残念ながらノーだ、衛宮切嗣。もし召喚されるサーヴァントのクラスを好き勝手にできるなら、マスター全員に同じクラスのサーヴァントを割り振るなんて、そんな少しでもフェアになるかもしれない真似は絶対にしないさ。私なら自分のサーヴァントだけをセイバーにして、他のマスターには漏れなくキャスターを進呈するよ」

 

 それもそうか、と切嗣は納得した。少々単純すぎる発想ではあるが、もしクラスを好きにできるなら、切嗣でもきっと似たようなことをするだろう。

 

「それに、仮に私が聖杯に何かできたなら、いまごろ第四次聖杯戦争など起きてはいない」

「どういう意味だ?」

「どうとでも受け取るがいい。いずれにせよ、私は第三次聖杯戦争で聖杯に干渉することなどできはしなかったのだよ」

 

 自嘲気味にダーニックがそう締めた。

 

「そうか。なら、こうなった原因の心当たりは?」

「雇われとはいえ、御三家のマスターが外様のマスターにそれを尋ねるのはいかがなものかな」

 

 少し呆れた様子でダーニックが言ったが、切嗣としても訳のわからない事態なのだ。なりふりを構ってなどいられない。

 

「前回の聖杯戦争に参加した貴様にしか判らないこともあるだろう。それにアインツベルンには、至急確認中だ」

「ならば私見を述べさせてもらおう。混沌を極めに極めた前回の惨状を鑑みれば、それらが積み重なって聖杯にバグが発生してしまうのは当然とも言える。だが、魔法使いまでもが関わって築き上げられたという聖杯に、果たしてそんなバグが本当に自然発生するのかという疑問も残るな。そう考えれば、何者かによって聖杯戦争が歪められた可能性は決して捨てきれまいが……」

「捨てきれまいが?」

 

 言葉を切ったダーニックに、切嗣がおうむ返しで促す。

 

「それにも、反証は用意できるのだ。私が先程言ったように、召喚されるサーヴァントのクラスを操作できるのなら、クラスをアーチャーで統一する意味がない。そんなことをして、いったい誰が得をする? 未確認の二騎のうちの一騎が、それだけ別のクラスだとでも言うのか? アーチャーに対し優位に立てる英霊でもいるのか? だとしたら、その目論見は外れているとしか言いようがない。クラスを操作した程度であの巨漢のアーチャーと黄金のアーチャーに優位に立てる英霊などいない。仮にいたとしても、ならばそのまま何をどうする必要もなく無敵かつ最強のはずだ」

「となると、やはりこれは、誰の意図も関与していない聖杯のバグなのか……?」

 

 顎に指を添えて切嗣は呟いた。

 反則は手段を選ばず勝つ為に行われるものだ。ダーニックの指摘したとおり、アーチャーを七騎にする行為は誰が優位になるものでもない。

 ──あるいは何者かが聖杯に干渉しようとして、意図しない不具合を招いたのか……?

 ダーニックが不意に軽く溜息を吐いた。

 

「やめにしようか、衛宮切嗣。これ以上考察を続けても意味はない。現状では推理する為の材料が足りなすぎる。大人しくアインツベルンの返答を待つべきだろう。ちなみに私としては、反則を行った者がいるとすれば御三家のいずれかが怪しいと踏んでいるぞ。反則にうって出られるのは誰かと言えば、それは聖杯に精通している者こそだろう。あるいは、それこそキャスターのクラスに該当するような英霊でもなければ、聖杯のシステムをどうこうすることなどできまい」

 

 ふとダーニックがセイバーを見て笑った。

 

「いや、訂正しよう。アインツベルンではないな。もしそうなら、アーサー王をあえてアーチャーで召喚した間抜けという図式ができあがる。やはり怪しいのはマキリ・ゾォルケンか遠坂だな」

 

 雁夜には探りを入れる必要があるかもしれない、と切嗣は思った。もっとも間桐臓硯の思惑に、雁夜が関与しているかは疑問だが。

 

「さて、訊きたいこともいい加減尽きたな? そろそろ同盟の是非について聞かせてもらおうか」

「……組んでもいいが、一つ条件を提示させてもらう」

「ふむ、言ってみろ」

 

 切嗣はダビデへと視線を向けた。

 

「そのサーヴァントの実力を少しは見せてもらおうか。そちらはセイバーの性能を確認済みだろうが、こちらはそうじゃない。本当に組むに値するのかどうか、実際に見てみないことにはな」

「僕の実力だって? わかった、じゃあアビシャグ──じゃなくて、セイバー、さっそくホテルに行こうか。そこで思う存分、僕の実力を体験してもらおう」

「違う、そういう意味ではない」

 

 疲れたような表情でダーニックが訂正した。

 続けて彼は咳払いを一つして、

 

「多少の性能を見せるのは別に構わないが、ダビデにはセイバーとここで一戦交えてもらえばいいのかな?」

「えっ、ここで交わるのかい? しかもキミたち僕とセイバーがするのを見てるんだろう? 流石にそれは僕もちょっと恥ずかしいなぁ」

「だからそういう意味ではないッ! というか貴様どれだけ下半身で物事を考えているんだッ!」

 

 照れくさそうにするダビデにダーニックが思いきり怒鳴っていた。

 ある意味でダビデという男は凄まじかった。あの八枚舌が、完全にそのペースを握られているのだから。

 

「明日の夜、アインツベルンの城に間桐雁夜とトリスタンが来る手筈になっている。そこでダビデには、トリスタンと軽く戦ってその強さのほどを見せてもらおうか」

 

 トリスタンは強力な宝具を持つ強力なサーヴァントではある。しかしマスターである間桐雁夜の魔力供給が足りず、弱体化しているのは明らかだった。そんなトリスタンに優位に立てない程度のサーヴァントなら、組むに値しない。

 

「……やれやれ。貴様という男は、さっそく露骨なことを言ってくれる」

 

 ニヤリ、とむしろ愉しげにダーニックが笑った。

 

「それで、どうする?」

「……ああ、いいとも。必ず行こうじゃないか」

 

 不気味なほどに爽やかな微笑だった。必ず来るのか定かでなく、来るにしても一計を携えて来るだろう。切嗣とダーニックの腹の読み合いは、もう既に始まっていた。

 

「ではまた会おう、魔術師殺し。お互い、精々出し抜かれないように気をつけようか」

 

 別れを告げて、ダーニックがその背中を翻した。ダビデとともに、その姿が闇の中に消え去っていく。

 

「……マスター、彼らを見逃してよろしかったのですか? それにあのような怪しい者たちと同盟を組むなど危険では?」

「良いも悪いもない」

 

 セイバーの諫言にそう返し、切嗣は煙草に火をつけた。一息吸い、ゆっくりと紫煙を吐き出してからさらに言う。

 

「いま戦えばこちらが不利だ。八枚舌は強い。下準備もなしに真っ向から戦えば、僕としても勝つのは厳しいかもしれない。それにお前こそ、疲弊した状態でダビデ王を降せるのか?」

「……貴方の言うとおりだ。彼は一見ふざけているが、油断も隙もいっさいなかった。ダビデ王は紛れもない歴戦の将にして戦士です。いま戦えば、負けないにしても勝ち目はなかったでしょう」

「そういうことだ。業腹ではあるが僕たちはいま、奴らを見逃したんじゃなくて、奴らに見逃してもらったんだ。あの場では同盟を受けるしかなかった」

 

 それはそれで構いはしない。最優先で排除すべきなのはヘラクレスと黄金のアーチャーであるというのは事実なのだから。それらを排除するまで共闘というのも悪くはなかった。

 それにダーニックが本心から同盟を望んでいるのは察せられる。というのも、いま襲撃を加えていれば高確率で倒せたであろう切嗣たちをあえて見逃しているのだ。その行動を以って、一応信用できると言ってもいい。

 問題はいつ裏切るかだけである。どちらが、とはあえて言わないが。

 本来ならもし同盟を申し出てくるマスターがいても、切嗣はすぐに騙し討ちをする算段を立てていただろう。

 しかし全てのサーヴァントがアーチャーという状況では、マスター殺しは有効的な戦術とは言い難い。単独行動のスキルがある以上、魔力が枯渇する前に再契約される可能性が高いのだから。

 ゆえに如何なる強力なサーヴァントも、サーヴァントを以って真っ向から打ち破る以外にない。

 特に、ダーニックがマスターの一人と判明したいまとなっては尚更だった。

 零落した魔術師などを吸収、合併することで勢力を拡大してきたユグドミレニアという一族は、とにかくその数が多い。この冬木市にユグドミレニアの魔術師が多数忍びこんでいてもおかしくはなかった。そうであれば、代わりのマスターなど本当に幾らでもいるだろう。

 そんな状況でマスター殺しを行えば、ユグドミレニアの魔術師がサーヴァントと再契約し、徒にダーニックの陣営を増強する事態を招いてしまう。

 あるいはダーニックが切嗣の前にわざわざ出てきたのは、それを暗に知らしめる為でもあったのか。マスター殺しに対する牽制であり、切嗣の行動に掣肘を加えにきたのか。

 

「まぁいい。車に乗れ、セイバー。ハイアットホテルに向かうぞ」

 

 マスター殺しを行えば、ユグドミレニアの魔術師に再契約される可能性が高い。が、それを踏まえてなお、ケイネスの暗殺という予定に変更はなかった。

 先刻セイバーに説明したとおりである。ヘラクレスほどの英霊をまともに使役できる魔術師など皆無なのだ。寄せ集めと言ってもいいユグドミレニアの魔術師に、ヘラクレスを満足に使役できる能力などあるまい。

 ヘラクレスほどの英霊を十全に使役できるのは、それこそ最強のマスターとなる為の力を施されて生まれたイリヤスフィールくらいのものだろう。

 

「私も同行してよろしいのですか?」

 

 意外そうにセイバーが言った。

 

「隠密行動にはそれなりに心得があるさ。簡単に見つかるよう愚を犯す僕じゃない。が、流石に敵の全員がアーチャーともなれば、捕捉される可能性は否めない。よって単独行動には限界があるしリスクも大きい。護衛は必要だ」

「わかりました。ではお供します。御身は必ずやこの私が守りましょう」

「ああ、頼んだ」

 

 二人乗り込み、切嗣は車をそのまま目的地へと走らせた。

 

 

   ◇

 

 

 冬木ハイアット・ホテル客室最上階。新都の夜景を一望できるそのフロアは現在、金に物を言わせて貸し切り状態にされている。

 金持ちの気まぐれなる道楽か。無論、否である。最高級のスイートルームを借りきったその男は聖杯戦争に参加している魔術師だ。此処を自らの魔術工房として(ほしいまま)に改装するべく、フロアの全てを我が物としたのだ。

 設えられた結界は実に二十四層。用意された魔力炉は計三器。猟犬代わりに配置された悪霊魍魎は数十体。その他の魔術的なトラップはあらゆる場所に抜かりなく仕掛けられており、廊下の一部に至っては異界化すらされているほどの手の入れようだ。

 正に鉄壁にして堅牢。難攻不落の魔術師の居城である。踏み込めば最後、生還せしめることなど到底不可能な殺戮空間に他ならなかった。

 そんな死地を乗り越えてようやく辿りつける一室に、彼らの姿はあった。

 窓際の本革ソファに腰かけるのは時計塔が誇る花形にして稀代の天才魔術師、ケイネス・エルメロイ・アーチボルト。

 そしてその眼前で片膝をつくのはギリシャが誇る最大最強の大英雄、巌の益荒男ヘラクレスだ。

 

「先の倉庫街での戦いだが、まずは見事だったと言っておこう」

 

 自らのサーヴァントに開口一番の賛辞を送り、ケイネスは淡々とさらに続ける。

 

「二騎の英霊を同時に敵に回しながらも終始圧倒し、後から乱入してきた黄金のアーチャーに対しても、貴様は一歩も譲らなかった。このロード・エルメロイのサーヴァントに相応しい戦いぶりであったのは間違いない」

「彼らは得難い強敵だった。ゆえにその称賛、素直に誉れとして受け取ろう」

「うむ。だがそれはそれとして、私は貴様に言わねばならぬことがある。──なんだアレはッ!?」

 

 傍らのテーブルに全力で拳を叩きつけて、ケイネスは溜めこんでいた癇癪を憤激とともに撒き散らした。

 

「あの厖大な魔力消費量はなんなのだ!? 貴様少しは加減というもの知らんのかッ!? 戻ってきてみればソラウが……ソラウが失神していたではないかッ!」

「すまぬ、マスター。強敵を前に心躍り、ソラウ嬢への配慮を怠っていた」

 

 潔く、かつ粛々とヘラクレスが謝罪を返した。

 

「……ッ、戦いを愉しんでいたことに関しては別に構わん。他の英霊たちと武勇を競い合うというのが貴様の願望である以上、最終的に私に勝利を捧げるのであれば文句もない。その願いには私も共感できるゆえな。だが貴様、射殺す百頭(ナインライブス)は魔力を極力消費しない対人用のものまでしか使用許可を与えていなかったはずだ! 貴様が用いたアレは対幻想種用のものではないかッ!!」

「指示を無視したことは悪く思っている。だが、対人用ではまず防げぬと判断した」

「そんなことは言われずとも承知しているわッ!」

 

 支離滅裂な物言いである。それはケイネス自身も自覚していたが、ことソラウが絡んでいる以上はまるで抑えが効かなかった。

 

「たったの一戦だ。たったの一戦で、ソラウの魔力がおよそ枯渇するなど……まさかこれほどとは思わなかった……」

 

 家督を継いでいないとはいえ、ソラウは名門であるソフィアリ家の生まれなのだ。その魔術回路の質も量も、凡百の魔術師たちとは較べることすらおこがましいほどのものである。

 だがそのソラウの魔力量を以ってしても、ヘラクレスの戦闘を支えきれていなかった。ランクAの単独行動があってなお、サーヴァントへの魔力供給が追いついていない。その暗澹たる事実に、ケイネスはこめかみを押さえた。

 ヘラクレスほどの大英雄を召喚するにあたり、それを維持、使役するのは生半なことではない。それは重々弁えているつもりだったのだ。

 それでもケイネスの想定は甘かったと言わざるを得ない。最強の英雄を最適なクラスで召喚したことにより、ヘラクレスはその性能を遺憾なく発揮している。召喚した当初ケイネスは、本気出しすぎて大人げなかったかな、などと敵陣営を憐れんだものだったが、そんな余裕は既に完膚なきまでに霧散した。

 ヘラクレスは最強すぎた。最強すぎたゆえに、その魔力消費量も尋常の埒外にあったのだから。

 単独行動のスキル自体は問題なく機能している。いまこうしてヘラクレスは現界しているが、別にそれに関して支障はないし、魔力消費もいっさいない。

 が、いざ戦闘となれば話はまったく別だった。戦闘を行うに際し、ヘラクレスは貪欲という表現すら生温いほどにソラウから魔力を吸い上げた。

 通常の戦闘でさえ多大な魔力を消費していたというのに、戦神の軍帯(ゴッデス・オブ・ウォー)の全力解放だったのだ。あまつさえ、それに加えて対幻想種用の射殺す百頭の使用である。

 それらを併用されたとなれば、ソラウといえど瞬く間に限界が来たのだろう。急激すぎる魔力の消費に、おそらくは魔力供給をカットする暇もなかったのだ。彼女が失神したのはそのせいだ。

 しかもヘラクレスは令呪で撤退を命じられていなければ、そのまま弓の射殺す百頭の連続使用に移行しようとしていた。もしあれを使われていれば、ソラウは死んでいたかもしれない。

 その可能性は何があっても看過できなかった。聖杯戦争はまだ序盤であり、令呪を切るのは苦渋の決断ではあった。だがソラウの為ならば、令呪を惜しむわけにはいかなかったのだ。

 ちなみに当のソラウはというと、命自体に別状はない。しかし衰弱が酷い為、もう今夜はベッドで横になっていた。

 ここまでの経緯を思い返しながら、ケイネスは深々と溜息を吐いた。

 

「これではまるで、バーサーカーではないか……ッ」

 

 いや、下手なバーサーカーを遥かに凌ぐ魔力喰らいなのは間違いない。忌々しさを隠しもせず、ケイネスはヘラクレスを睨みつけた。

 

「言い訳の余地もなく、そのとおりだ」

 

 理不尽な面罵に対し、不満の一つも見せずにヘラクレスが肯定した。

 

「確かに私は、戦いに狂っていた。これではバーサーカーと呼ばれるのも仕方あるまい。であればこそ、これ以後、戒めの為にも私のことはそう呼んでもらいたい」

「……罰として、それを自ら望むというのか。狂人呼ばわりされるなど、貴様にとって侮辱もいいところではないのか、ヘラクレスよ」

「その真名もまた、私にとっては戒めの名である。ならばヘラクレスと呼ばれるのもバーサーカーと呼ばれるのも大差はない」

 

 そう答えたヘラクレスに、ケイネスはひとまず沈黙で応じるしかなかった。

 神話で語れる彼の気性を考えれば、殊勝すぎる振る舞いである。普通であれば、ケイネスの言動の数々に顔の一つもしかめるだろう。

 なぜなら魔力の枯渇は、ヘラクレスだけに非があるわけではないからだ。

 確かにヘラクレスの燃費の悪さは、彼自身の強さこそが原因だ。ソラウの限界を斟酌しなかったのもケイネスとしては許し難い。

 だが彼が必要とする魔力を賄いきれていないのは、そもそも契約者であるケイネスの側の問題である。

 そう。支払うべき対価を支払えていない。ならばどちらが悪いかと言えば、それは後者だ。

 ヘラクレスからすれば、貴様らなど我がマスターたる資格なしと、そう吐き捨ててもいいくらいなのだ。

 だがヘラクレスはそれを言わない。全てを己の不覚として受けとめている。

 なるほど大英雄らしい寛大さであり責任感だ。

 それがケイネスは、むしろ気に食わなかった。

 ヘラクレスほどの英霊を、所詮は使い魔などと侮る気は流石にケイネスにもない。だがそれでも使い魔なのだ。その使い魔がマスターの責任まで被ろうとしているのは、むしろ傲慢である。

 

「……いいだろう。アーチャーばかりのこの状況だ。識別をややこしくしない為にも、貴様自身が生粋の魔力喰らいであることを忘れぬ為にも、いまより貴様をバーサーカーと呼称する」

 

 ケイネスの決定に、ヘラクレスが無言で厳かに頷いた。

 

「だがバーサーカーよ。先の戦いで貴様を撤退させてしまったのはこちら側にも責任がある。それを放り投げる私ではないということを、まずは理解してもらおう」

「確かに全てが私の責などと宣うのは、我が驕りであったな。重ねて詫びよう」

「よい。だがそのうえで、もう貴様への魔力供給を不足させるつもりはない。貴様とのパスは早急に作り直す。ソラウに一任していた魔力供給を、私の方でも負担できるように改変しよう」

 

 そうすれば、ある程度はまともにヘラクレスを運用できよう。長時間の戦闘を支えるのは厳しいかもしれないが、それでもケイネスは戦い方次第でどうにかするつもりだった。

 

「よいのか、マスター。魔力供給のパスをソラウ嬢に繋いでいたのは、貴方が敵のマスターと存分に魔術を競い合う為なのだろう?」

「仕方あるまい。貴様が力をセーブして戦えればそれで済むところだが……今宵見えた英霊たちの顔ぶれを考えれば、そうも言ってはいられない。特に、あの黄金のアーチャーだ」

 

 宝具を無尽蔵に所持しているなど、馬鹿げているにもほどがある。あのような反則じみた英霊を相手にするならば、ヘラクレスも万全でなくてはならないだろう。

 

「貴様は奴に勝てるのだろうな?」

「勝てぬとは言わん。だがあの黄金の王は、単騎で我が命の全てを燃やし尽くすだけの力を持っている。私の全てを出し尽くさねば、その首級は取れぬだろう」

「そういうことだ。魔力が不足していては勝てる戦いも勝てなくなる。ならば選択の余地はない」

 

 当然不本意ではあった。ヘラクレスへの魔力供給を担えば、ケイネスが敵のマスターと戦う際に支障が出るのは明らかだ。

 一見それは、他のマスターと同じ土俵に立つだけではある。が、他のマスターはヘラクレスほど燃費の悪いサーヴァントを従えてはいないだろう。ゆえに同じ条件で魔術戦を行うとなれば、その負担がより大きいのはケイネスなのだ。

 だがこうなった以上は、その程度の不利は望むところだった。

 サーヴァントに魔力を供給せず、絶対的優位を保ったまま敵のマスターと魔術を競い合う。それで勝ったとして、果たしてそれは誇るべき武勲と呼べるだろうか。

 否である。勝って当然の戦いに勝ったところで自慢にもならない。

 であればこそ、厳しいハンデを背負ってなお勝利する。それくらいでなければ己の経歴に箔をつけることにはならないだろう。ケイネスはここに至って、そう思い直したのだ。

 そしてロード・エルメロイであればそれは決して不可能ではないはずだ、と。

 

「さて、ではさっそくパスを作り直さなくてはな」

 

 ケイネスは瞼を下ろし、脳裏に契約の術式を思い浮かべた。

 作り直すとは言ったが、おいそれとできるものでもない。まずは術式にどう手を加えるか、その魔術理論を構築しなければならなかった。

 だが不意に防災ベルがけたたましく鳴り響き、ケイネスのその思考を中断させた。

 次いで、部屋に備えつけの電話が鳴る。フロントからの着信だった。億劫に感じながらも、すぐにケイネスは受話器を取って対応した。

 通話を終えて受話器を戻したケイネスは、ヘラクレスへと向き直った。

 

「酷い渋面だな、マスター。何があった?」

「下の階で火事だ。十中八九、人払いが目的の放火だろう。つまり、敵襲だ」

「なるほど、間が悪いな」

「まだパスを作り直していないというのに……っ」

 

 苛立ちからケイネスは拳を握りしめていた。

 本来なら敵襲など幾らでも歓迎するところだったのだ。その悉くを返り討ちにする自信があったからだ。だが今宵に限っては忌々しいにもほどがある。

 

「それで、どう対応するつもりなのだ?」

「下の階に降りて迎え撃て……と言いたいところだが、それはできん。いま貴様が戦闘を行えば、ソラウが死んでしまうかもしれない。それは我が身の敗北よりもあってはならぬことである」

 

 腕を組んで悩んだケイネスは、熟考の末に結論を出した。

 

「……業腹だが、ひとまずは放置する。貴様はぎりぎりまでこの場で待機せよ」

 

 そこらの魔術師ではケイネスの魔術工房は突破できない。サーヴァントにしても、優れた対魔力を持たなければ多少は厄介と感じるだろう。

 そのうえでこちらのサーヴァントが待ち受けているのだ。攻略の難度を考慮して、敵が引き返す可能性は充分考えらえる。

 

「撤退するのならばそれでいい。今回限りは見逃そう。だがここまで来たのならば相手をするしかあるまいな。その場合は……止むを得ないが二画目の令呪を使用し、その魔力を貴様の糧とする。それを以って、土足で踏みこんできた敵は生かして帰すな」

「いいだろう。心得た」

 

 そう答えたヘラクレスだったが、妙に穏やかな微笑を湛えていた。

 

「どうした。何がおかしい?」

「いやなに。マスターは存外、魔術師らしからぬと思ったまでだ」

「なんだと。貴様、それはこの私を愚弄しているのか!」

「とんでもない。むしろ褒めているのだ。愛する女の為ならば令呪を惜しまぬその心意気には好感を懐く」

「ぬ……」

 

 ケイネスは反論できなかった。確かに魔術師として冷酷に思考するならば、ソラウのことを気にかけるべきではないだろう。だがその選択を、ケイネスは端から捨てていたのだから。

 

「しかしだ、マスター。そんなにもソラウ嬢が大切ならば、戦地に伴うべきではなかったぞ。我が眼の届いているうちは護り通すつもりだが、そうでなくなれば彼女の安全は保証できん」

「それは」

 

 もっともすぎる指摘を受けて、ケイネスはすぐには二の句を継げなかった。

 だがだからといってソラウを倫敦に帰せば、またヘラクレスへの魔力供給が滞る。それでは今後の戦いは勝ち抜けないだろう。

 

「……余計な心配だ、バーサーカー。彼女をつけ狙うような輩はこの私が見過ごさん。そのような不届き者には、この私手ずから誅罰を下すとも」

「……わかった。マスターがそう断じるのなら、私もこれ以上はとやかく言わん」

 

 それから、しばらくのあいだ沈黙が部屋の中を支配していた。

 ケイネスはパスの改変の術式について思考を割きつつ、工房内の監視にも気を配っていた。

 そのうちに違和感が膨れ上がる。一向に敵が侵入してくる気配がないのだ。

 ホテル内の人間はとっくに避難を終えているはずだ。ならば人目を気にせず攻め入ることができるだろう。にも拘らず、偵察用の使い魔の一匹すら放ってきていないのだ。

 臆病風に吹かれたのか。恐れをなして、一歩も踏みこんでくることなく逃げたのか。

 それならそれで都合はいいが──

 

「……マスターはソラウ嬢の傍にいろ。これはもしかすると、我らの拠点をこの建物ごと破壊する気かもしれん」

「馬鹿な。何を言っている」

「マスターは火事を人払いと言った。それは合っているだろう。だがここまで音沙汰がないのなら攻め入る気がないのは明白だ」

 

 ヘラクレスは部屋をぐるりと見渡して、さらに続ける。

 

「思えばマスターのこの魔術工房は見事という他ない。私の時代の魔術師どもの神殿には劣るとしてもなかなかだ。だからこそ、真正面から攻めるなど下策かつ手間だ。私であればそんなしち面倒くさい真似はしない。こういった難攻の拠点は、外側から爆砕するに限るぞ」

「いや、だが」

 

 ヘラクレスの言葉には一理あるとはケイネスも感じた。しかしそれでも信じ難い。

 仮に対軍宝具などでホテルを吹き飛ばそうとすれば、神秘の秘匿など到底不可能だろう。それは魔術師として断じてあり得ない暴挙であり、度し難いほどの愚行である。

 

「あくまで可能性の話だ。建物一つ破壊するとなれば騒ぎにもなろう。良識を持つ者ならば決してそんな真似はしないだろう。だが非道であれば気にもすまい。ゆえに脱出の準備だけはしておいた方が…………いや、遅かったか」

 

 不意に建物が揺れた。突如として襲ってくる浮遊感。ホテル全体が沈もうとした。

 

「よもや、本気で……!? これが魔術師の為すことかッ!」

 

 足元が崩れるという根源的な恐怖。魔術師にあるまじき暴挙への驚愕と怒り。それらを感じながらもケイネスは冷静さを失わずに対応した。

 月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)を即座に起動し、自立制御で寝室へと向かせる。ソラウを見つけた月霊髄液は数秒で彼女の保護を完了した。 

 ほっと息を吐いたケイネスをいつの間にかヘラクレスが支えていた。これでひとまずは無様に死ぬことはなくなった。

 だが、エルメロイの資金を惜しみなく注いで造り上げた魔術工房はどうにもならない。幾つもの高価な魔導器具もどうにもならない。もはや喜劇としか言いようがほどに、それら全てを呆気なく台無しにされたのだ。

 ケイネスはさらにもう一つ気がついた。これは魔術や宝具に頼らぬ破壊である、と。聖杯戦争という厳格なる魔術儀式に、下手人は持ち込んではならぬモノを持ち込んだのだ。

 

「許さん……絶対に許さんぞ……ッ! 必ず誅罰を与えてくれるッ!」

 

 顔も知らぬ下手人への殺意と憎悪を募らせながら、ケイネスは自らの魔術工房が崩壊していくのを堕ちながらその眼に焼きつけた。

 そうして、冬木ハイアット・ホテルはものの見事に倒壊した。

 

 




すみません。なかなか書く時間が取れなくて思ったより間が空いてしまいました。
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