stories by BanG Dream! (短編集) 作:夢兎*
心地のいい温もりの中、ゆっくりとまぶたを持ちあげると、暖かな光が瞳に沁みた。
窓際に引いたマットの上。目の前にあった顔を見留めて、ついとベランダに視線を移す。すると、丁度ふわりふわりとタンポポの綿毛が空から落ちて来て、自然と頬が緩んだ。
ちいさい春、見つけた。
少しだけ開いた窓から、涼やかな風が室内へ流れ込む。絵の具をぶちまけたみたいな一面の淡い青色は清々しくて、外に飛び出して行きたくなる。こんなこと言ったら、また「小さい子みたい」って笑われちゃうかな。
隣で静かに胸を上下させるその人は、まだ当分起きる気配がない。
春は、すき。暑くも寒くもないぽかぽかした気温も、優しいお日様も、ときどき強く吹く風も、舞い踊る桜の花びらも、どこに辿り着くのかわからないタンポポの綿毛も、だんだん緑が多くなってく景色も、わくわくする。
それで、そういうわくわくする季節に、のんびり二人でひなたぼっこをするのもすき。これは、どきどき、かな。でも、ほっとする感じもある。
「……さーや」
名前を呼んで、そっと髪の毛に指を伸ばした。柔らかで滑らかな感触。指先で掬った髪の毛は光に透けて、きらきらして見える。……きれい。
「すき……」
さーやの、ぜんぶがすき。
優しいところも、自分のことより私やみんなのことばかり考えちゃうところも、私のやりたいことを手伝ってくれるところも、たまにちょっといじわるなところも、少しクセがついてて触り心地のいい髪の毛も、私が外に連れ出してばっかりなせいで昔より焼けた肌も、頼りになるドラムの音も、ほんとにぜんぶ。
さーやは、私のこと、すき?
「……私も、好きだよ」
薄っすらと開かれたまぶたの奥、濡れて輝く瞳とぱっちり目が合う。柔らかくてあったかい春みたいな微笑みと一緒に紡がれた言葉は、じんと私の胸の奥にまで染み込んで。身体の内側がきゅーってなる。
「起きてたの?」
なんだか、恥ずかしいな。
「丁度、今、起きたの。おはよ、香澄」
「そっか、おはよう」
私がここにいることを確かめるように頬を撫でる手が、ちょっとくすぐったかった。でも、さーやの手、すき。ドラムを叩いて、少し固くなった指の腹。この手がいつも、私のことを支えてくれるんだ。
「ふふ。香澄、猫みたい」
思わずすりすりと手のひらに頬ずりをしていたら、そんなことを言われてしまう。小さい子の次は猫。でも、猫は昔よく言われたかもしれない。主に髪型のせいだけど。
「にゃ〜」
「あははっ、なにそれ」
「さーやの猫だよ〜。ちゃんとお世話してね?」
にゃあ。招き猫みたいなポーズをしながら言うと、どうしてかさーやは面食らったみたいに固まって、頬をほんのりと薄い赤色に染める。
「……どういう意味?」
「どういう意味って……どういうこと?」
よくわかんなくて首を傾げたら、ため息が返ってきた。えぇ、私なにかしちゃった?
「ううん、なんでもない」
なんでもなさそうな感じじゃないけど。不思議に思っていたら、さーやは横になったまますっと腕を広げて、にまにまと悪そうな顔をする。
「おいで〜、猫ちゃん」
「にゃぁ〜」
誘われるままにさーやの腕の中に行くと、ぎゅーっと抱きしめられて、私はますます笑顔になってしまう。さーや、私を笑顔にする天才だ。さーやがいたら、この先もずーっと笑って過ごしていける気がする。
「よしよし」
私の顎をさすっても、さすがに喉は鳴らせないよ。
「ごろごろ言わないな」
「言えないよ!」
「ありゃ、残念」
「もう。人間に戻ります」
「じゃあ、離れる?」
「……離れない」
そういうこと言うの、ずるい。わかってるくせに。
「はいはい、いい子いい子」
「子ども扱い……」
「猫扱いはいいのに、子ども扱いはだめなんだ?」
くすくすと笑みを漏らす。……むぅ、くやしい。
「——きゃっ」
「……子どもじゃ、ないもん」
仰向けになったさーやに視線を合わせると、さーやはしばらくびっくりした顔のまま私を見つめて、それからぱっと目を逸らす。
「……知ってるよ」
ふふふ、私の勝ちだ。
「さーや」
私が名前を呼ぶとさーやはそろりそろりと私に顔を向けて、私はゆっくり顔を近づけてさーやの唇と自分の唇を重ねる。触れた先から微かな熱が伝わってきて、離れた瞬間抜けていくそれが名残惜しかった。
「すきだよ」
こつ、と唇の代わりにおでこを合わせて、なにをどうやっても逃げられない距離で想いを伝えた。そしたらさーやは、諦めたみたいに一瞬目を閉じて、それからふぅと息を吐いて再び私と視線を合わせる。
「私も、すき」
——ぐいっと、いつのまにか後ろに回されていた手が私の首を押して。もう一度、今度はさっきよりも深くキスをした。
「おかえし」
そうつぶやいた唇が少し濡れていて、なんかいけないことでもしてる気分。そのままぽすりとさーやに抱き着いたら、さーやは優しく私の頭を撫でてくれて、私はそれがたまらなく心地よくて、また眠ってしまいそうになる。
「……そろそろお布団、入れないとだね」
さーやの言葉に外へ目を向けたら、遠くの空がもうオレンジ色になってきていて、時間の経過を意識する。今日ももう終わり……一日が終わるのって、どうしてこんなに早いんだろう。それは昔からたまに考えることで、でも昔とはちょっと違って。
大切なものがたくさん増えて、毎日の楽しさがどんどん増していって、そしたら、今日って日や今って時間がずっと続いたらって気持ちが強くなって。
多分、あの頃より単純じゃなくなっちゃったんだ。
今日がいつも昨日より楽しくて、明日がいつだって待ち遠しかった。でも、私はもう、昨日より楽しくない今日を知っていて、明日の怖さも知っているから、その日が幸せであればあるほどに惜しくて。
「……香澄? どうしたの?」
でも、さーやの……ううん、みんなの顔を見たら、そんな怖さだってどきどきに変えていける。これは、失くしたものの代わりに手にした私の大切なもの。
「ううん、なんでもない!」
ばっと立ち上がって、窓を開けた。丁度吹き込んできた風が、すごく気持ちいい。
「一雨降るかな」
太陽の光を反射して燃えるような赤色に染まる雲を見てつぶやく。確かに、ちょっと空気が湿っぽい感じがする。
「久しぶりだね」
「ね、最近ずっと天気よかったから」
春の雨は、冬の乾いた空気を追いやって、模様替えをしたみたいにがらりと雰囲気が変わるのが個人的にお気に入り。変わることは、少しだけ怖いけど、やっぱり楽しみでもあって。
二人、朝から干していた布団を室内に取り込んで、ベッドを整えてから一息つく。夕ご飯の支度を始めるにはまだ早い時間。飛び込むようにベッドに横になると、ふわりとあったかい香りが寝室に弾ける。
「お日様の匂い〜」
くるりと仰向けになると、微笑ましそうに私を見つめるさーやがいて、私はさーやに視線を合わせてゆっくり腕を広げる。
「さーや、交代」
「……え、いや、私は」
「おいで」
早く、急かすように呼ぶと、さーやはなんだか難しそうな顔をして、それから妙に慎重な動きで私に抱き着いた。
「ぎゅーっ」
「……ふふっ、苦しいよ、香澄」
「苦しいだけ?」
「……ううん、幸せ」
「私も」
しあわせで、しあわせで、こんなにしあわせでいいのかなってくらいにしあわせで。でも、いいんだって思う。さーやとしあわせになれて、悪いはずないって。
「今日はご飯、どうする?」
「うーん、香澄はどうしたい?」
「ペペロンチーノとか」
「それ、私が好きだからでしょ」
「私が訊いたのに答えてくれないさーやが悪い」
遠慮しないで。もっと、教えて。さーやの好きなこと、好きなもの、嫌いなこと、嫌いなもの。出来ないことも、出来ることも、良いところも悪いところも、ぜんぶ隠さないで。
「……香澄、ずるい」
「えぇー、また?」
なんか毎日言われてる気がする。でも、なにがずるいのって訊いてもさーやは教えてくれなくて。それならそれで、私はずるいままでいいんだけど。
「……私、香澄に甘えてばっかり」
「いいよ。私もさーやに甘えてるもん。さーやが甘えたいときは交代してあげる」
甘える人と甘やかす人と別れなくたって、二人で半分こしたらいいと思う。
「さーやはもっと、私に迷惑かけていいんだよ」
さーやの頭を撫でながら、そっと囁くように伝えると、さーやの身体がぴくりと動いて。
「……迷惑?」
「うん。迷惑だなんて思わないから、私にとってはぜーんぜん迷惑なんかじゃないけどね」
言い終わると同時、勢いよく身体を持ち上げたさーやは、さっきの私みたいな格好でまっすぐ私を見つめる。その雰囲気から、さーやの気持ちがなんとなく伝わってきた。
「いいよ」
身体の力を抜いて笑いかけると、さーやは私の予想通りに——じゃなく、再び私の上に自分の身体を重ねて、はぁと息を漏らす。
「……いいの?」
「……いい」
するりと繋がれた手のひらに込められた力が、その言葉が本心だと教えてくれる。どうやらそういう気分じゃないみたい。
「ご飯は?」
「……ペペロンチーノがいい」
「うん、じゃあそうしよ」
「……ありがとう」
「さーや、ありがとうが口癖だね」
「……足りない」
「足りてるよ」
「……言い足りないの」
「じゃあ、私も。さーや、いつもありがとう」
「……なんでよ」
「二人で言ったら二倍だよ?」
「……もぅ。本当に、香澄……ずるい」
今のもずるい判定らしい。判定基準、結構厳しいな。判定強化とかないのかな……や、強化しちゃだめだ。
「でも、ほんとにいつもありがとうって思ってる」
「知ってるし、聴いてる」
「さーや、いつもそばにいてくれてありがとう」
さーやがいるから私、思いっきり走れる。さーやがいてくれてよかった。
「ポピパに入ってくれてありがとう」
あのとき、諦めずに誘ってよかった。さーやが来てくれたとき、ほんとに嬉しかった。私たちを、あの場所を選んでくれてありがとう。
「出会ってくれて、ありがとう」
花女に入学してよかった。あの三年間はまちがいなく私の宝物になったから。さーやと出会ってこれまで、よかったことしかない。心の底からありがとうって思う。
「やめて……」
声が震えていて、申し訳ないけど少し笑ってしまった。
さーやはいつも、私がそういうことを言われて泣きそうになると笑うけど、さーやも結構こういうのに弱いよね。私たち結構似た者同士なのかな。
「もうちょっと、寝よっか」
なんか、すごく眠い。時間はあるし、このままちょっと眠りたい。
「……うん」
肯定に、そっとまぶたを下ろす。そしたら、干したてのお布団から香るお日様の匂いと、暖かい夕陽と、さーやの息遣いと温もりだけが感じ取れて。私の意識はみるみるうちに遠ざかっていく。
「……香澄。大好き」
意識が途切れる直前、そんな台詞が聴こえた気がした。