stories by BanG Dream! (短編集)   作:夢兎*

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かすあり
いかないで


 

 すっと、まぶたを持ち上げた。

 

 なにかに呼ばれるように、珍しく意識のはっきりとした起床。眠さも気怠さも微塵もなく、調子の良さを感じながら開いた瞳に映ったのはなんの変哲もない自室の天井——ではなく、見慣れた顔のどアップで。

 

「う——」

「え」

「うわぁぁぁあっ⁉︎」

 

 反射的に勢いよく身体を起こすと、ごつんっといい音がして、またベッドへと逆戻り。落ち着いてきた心臓の鼓動に、鈍痛のする額をさすりつつ改めて身体を起こすと、ベッドの上——というか、毛布を挟んで私の上には頭を抑えてうずくまる香澄がいて、はぁとため息が漏れた。

 

「……い、痛い。有咲の、石頭ぁ……」

「……いや、今のは全面的にお前が悪いだろ。びっくりしたじゃねーか」

 

 目を覚ましたら鼻の先に顔がある恐怖を考えてみて欲しい。誰だって驚くし、私も痛い思いをした分、どう考えても私が被害者である。

 

「私のほうがびっくりしたよ!」

「そういうの逆ギレっつーんだぞ。っていうか、降りろよ。重い」

「重っ——重くないもんっ!」

 

 否定しつつも、香澄は私の上から降りてくれる。くれるもなにも当たり前だが。……や、そんなむすーっとされても困るんだけど。私が悪いの、これ?

 

「……だいたい、なにしてたんだよ」

 

 起こすのにあそこまで近寄る必要ねーだろ……あぁ、くそ、思い出すと顔が熱くなる。なんだってあんな、動けば……く、唇が当たるような距離で。

 

「………………驚かせようかなって」

「やっぱお前が悪いんじゃねーかっ!」

 私の気遣いを返せ! ていうか謝れ! まだおでこ痛いんだぞ!

「ご、ごめん〜」

 

 眉尻を下げて肩を落とす香澄は、どうやら本当に反省しているようで、最初っからそう言えばいいのにと思わざるを得ない。ま、まあ、痛かったのはこいつも同じ、なんだろうけど……っだー! くそっ! どっちにしろ私がもやもやすんのかよ!

 

「はぁー……もう、いいから。ほら、早く行くぞ」

「はーいっ!」

 

 腰を持ち上げて歩き始めた私の横に香澄も並んで二人揃って部屋を出る。ちらと香澄を一瞥すると額が少し赤くなっていて、私は悪くないはずなのに調子が狂う。

 

「……ごめんね?」

 

 ぽしょりと小さく落とされた言葉に、もう一度香澄へ目を向けると、香澄はなんだか中途半端な笑みを浮かべていて……気にいらねぇ。そんな、そういう笑い方をする香澄も、させてしまっている私も。

 

「香澄」

 

 私が足を止めると、香澄も私の横で足を止める。私はすっと手を持ち上げて、僅かに腫れたおでこを指先で——

 

「——痛ったぁっ!」

 

 脳天を撃ち抜かれたように仰け反った香澄は、数歩後退りして壁にもたれ、私に抗議の目を向ける。でも、口もとは正直に緩んでいて、本音が丸見えだった。ったく、本当に面倒くせーやつだな。

 

「……これでチャラな」

「んふふー、そういうことにしてあげる!」

「はいはい、ありがとーございまーす」

「あーっ、有咲面倒くさいって思ってるでしょ!」

「思ってない思ってない」

 

 再び歩みを再開しようとするとくっと袖が引かれて、いつになく真剣な瞳と視線がぶつかる。……なんだよ、今日は随分と、らしくねーな。

 

「……面倒くさいよ」

「知ってる」

 

 考える前に言葉が飛び出していて、自分でも驚いてしまった。ただ、そこまで疑問はなくて。だって、もう、二年以上の付き合いになるから、そんなこと知らないわけがないんだ。

 

「お前が面倒くさいなんてこと、とっくに知ってんだよ。で? それがどうかしたか? お前が面倒くさいと、なにか不都合でもあるのか?」

「……そ、れは」

「ねーだろ。……私も面倒くせぇし、お前も面倒くせぇし、そんなの分かってて、知った上で今ここにいるんだから、なにも問題ねーだろ。違うかよ」

 

 だから、そんな面倒くせぇ顔すんなよ。似合わねんだよ、ばーか。私にここまで恥ずかしいこと言わせてお前が笑わないなんて、許さねーからな。

 

「あり——」

 

 それでもまだ辛気臭い顔で何事か言おうとした香澄の頬を両手で挟んだ。間の抜けた面にもやもやが少しすっきりする。でも、これじゃ足りない。

 

「——笑えよ」

 

 お前が笑わないと、私も笑えねーだろ。

 

「ありひゃ……」

「ぷっ……ふふっ」

 

 や、ごめん。やっぱ笑えるわ。なんだその顔、ふざけてんのか、お前。

 

「——もぉっ! なんで笑うのっ!」

 

 私の手から逃れた香澄はむっと分かりやすく頬を膨らませて怒りを表現する。なんというか、茶番の繰り返しって感じだった。

 

「お前がおかしいから」

「お、おかしくないよっ!」

「いいや、おかしいな」

「……おかしい、のかなぁ?」

 

 首を傾げる香澄に、呆れ半分諦め半分の息が漏れて、今度こそ歩みを再開する。と、香澄も横に並んで、辿り着いた居間にはいつも通り朝食が並んでいた。

 

「今日もおばあちゃんのご飯おいしいですっ!」

 

 さっきまでの面倒くさいムーブが嘘みたいににこにこと朝食を平らげた香澄を居間で待たせて支度を終え、一緒に外へ出る。

 

 見上げた空は晴天で、ここ最近雨ばかりだったからかなんだか清々しい。深く息を吸い込むと、リフレッシュ出来るような感じがする。朝の空気は、嫌いじゃない。冬は寒いし、夏は暑いけど、一日が始まるんだという気持ちになれて——なんて、昔だったら絶対思えなかっただろうな。

 

 それを変えてくれたのは、こうして私の毎日に突然現れて居座り続けた香澄だ。私は結構、香澄に感謝していたりするんだけど、口に出すのは小恥ずかしくて。……今は言えなくてもいつか言えるからいいか。それは問題の先送りだろうか。

 

 ずっと、隣にいるから。そういう未来を、信じているから。ついつい自分に甘くなってしまう。でも、それも悪くないよ。私は面倒くさいやつだから、それでも隣にいてくれるお前に甘えてしまう。それはそれで、嬉しいんだ。

 

 甘えられる相手がいることが、嬉しいんだ。

 

 学校に着いて、それぞれのクラスへ向かうために分かれる直前。踵を返して、背を向けたまま訊ねた。

 

「なんかあったのか?」

 

 そのまま歩き始めると、背中に「ずるいよ」という返事とも言えない言葉がぶつかって。ああ、やっぱりなと納得してしまう。散々面倒くさい朝だったから、どうせなにかあったんだろうとは思っていたが、あれはあれで素直じゃないから、面と向かって訊いても答える気がしなくて。

 

 なにも、どうしても答えて欲しいというわけじゃない。相談して欲しい、教えて欲しいという気持ちは確かにあるけど、こっちからやいやい言って無理矢理に聞き出すのはなんか違うと思うから。

 

 私が香澄に甘えるように、香澄だって私に甘えていい。

 だから、私に相談するのかどうかも含めて、お前に任せるよ。話す気になったなら、訊いてやる。ちょっと、かっこつけ過ぎかな。

 

        × × × ×

 

 結局、香澄からなにかを話されることもなく、放課後を迎えた。今日は練習は休みで、私たちは二人、いつも通りに帰路を辿る。

 

「それでねっ、さーやが——」

 

 香澄はさっきから今日クラスであったことを楽しげに語っていて、一見、朝の面倒くささの理由は解決したように見える。でも、時折見せる表情が、まだなにかを抱えたままだということを嫌ってくらいに伝えてきて。なんというか、もどかしい。

 

 ……いっそ、もっと強引になってしまおうか。あれだけかっこつけてそんなことをするのは躊躇われるが、こいつは言いづらいことは言いづらいまま隠していることも多いし。

 

 見栄っ張りってわけじゃないけど、なんだろう。私を含めたPoppin'Partyのメンバーや、仲のいい友達に迷惑や心配をかけることが好きじゃないんだと思う。そんなの、誰だってそうなんだろうけど、こいつの場合度を越しているというか……それが分かってて無理矢理聞き出さないのは、私のエゴか。

 

 多分、香澄から言って欲しいんだ。頼って欲しい。必要として欲しい。こういう気持ち、なんて言うんだろう。わがまま……か。相手が苦しんでることを知りながら、自分の欲を満たすことを優先するのは——はぁ、なんかやっぱり調子が狂うな。

 

 こいつが笑っていないと、どうにも辛気臭さが感染うつる。私を笑わせるのも、顰めっ面にするのもこいつ次第なんだ。そう考えたら、無性に腹が立つ。……私が笑っても、お前は笑わないくせに。

 

 いまだ隣で賑やかしに励む香澄を一瞥して、すぅっと息を吸う。手のひらに汗が滲むのは恐怖からか——ああ、そうか。怖いんだ。欲もあるけど、私はきっと、なにかを訊いて、誤魔化されるのが怖いんだ。

 

 香澄に、必要がないと言われるのが、どうしようもなく怖くて。それだから、別れ際に答えを求めていないかのように訊ねたり、いつまでも待つという選択肢ばかりを選んでしまう。

 

 それは——その甘えだけは、嫌だ。

 

 私が訊けば答えてくれるなんて保証はどこにもないけど、そうやって香澄のことを疑ってしまうのは、なによりも自分が苦しい。

 

 立ち止まって香澄に視線を向け、意を決して口を開き、

 

「——有咲」

 

 私の名を呼ぶ声に、そっと言葉を飲み込んだ。

 

「話したいことが、あるんだ」

 

 深刻そうな表情をしている香澄には悪いけど、私の胸にはひたすらに喜びだけが溢れていた。

 

        × × × ×

 

 畳の部屋に置かれたアンバランスなベッドの上。少し間を空けて隣に座る香澄とは、あれっきり言葉を交わしていない。こうして腰を下ろしてそろそろ十分が経とうとしている。タイミングを逃してしまったのか、それとも相当に言いづらいことなのか。

 

 直後は嬉しさに満たされていた私の心にもさすがに不安が漂っていて、一体これからなにを言われるのかと脈が早まる。どくん、どくん、大きな警鐘に、ここまで来て逃げたい衝動に駆られる。……逃げるわけには、いかないよな。

 

 ここで私が適当なことを言って場を流れさせてしまったら、香澄が私に伝えようとしてくれることはないだろう。だいたい、せっかく勇気を出してくれた香澄を裏切るような真似はしたくない。

 

 一分、二分、と止まることなく時間は経っていき、さらに五分が経過しようとした頃、隣で小さく息を吸い込む音が聴こえた。

 

「……あの、ね」

 

 声が震えていて、つられるように視線を動かせば、香澄は今にも泣き出しそうな顔をしていて。私が驚いて固まっているうちに、簡潔にそれを口にする。

 

 

「——引っ越すことに、なって」

 

 

 なにを言われているのか理解するのに時間を要した——いや、これはむしろ、なにを言われているのか理解したくなかったといったほうが正しい。

 

 理解したくなかった。受け入れたくなかった。認めたくなかった。だって、ずっと隣にあり続けると思っていたのに、ずっと離れることなんてないと思ってたのに。そんなの、信じられるわけがなくて——信じたくなくて。

 

「……なん、だよ。はは……、また、からかってんのか?」

 

 精一杯の告白に、返す言葉がこんなもので、本当に嫌になる。違うのに。私が言うべきことはそんな突き放すような台詞じゃないはずなのに。分かってるのに。香澄の表情や身体の震えが、どうしようもなく真実だと伝えてくるのに、感情がすべてを許さなくて。

 

「……嘘、じゃないの」

 

 ————知ってるよ。

 

 そんなの、言わなくたって知ってるよ。お前がそんな嘘をつくわけがない。お前はそんなタチの悪い冗談は言わない。だから、私はこれを受け入れて、香澄に優しい言葉を掛けてやるべきなんだ。

 

 離れても友達だとか、寂しいけど必ずいつか会えるとか、会いに行くとか、遊びに来いよとか、笑って言ってやるべきなんだ。

 

 だのに、どうしたって音を伴って口から飛び出すのは全然違う台詞で。

 

 

「——やだ」

 

 

 嫌だ。嫌だ、嫌だ、嫌だ。どうしてそんなこと言うんだよ。どうして私から離れるんだよ。

 

「やだよ……いかないで」

 

 気づけば、縋るように香澄を抱きしめていた。柔らかく受け止めて、背中をさする手がこれ以上ないくらいに優しくて。苦しいくらいに痛くて。

 

「ずっと、い、一緒だって、言ったのに……っ!」

 

 嘘つきと罵らないだけマシだった。絶え間なく瞳を濡らす涙でもう香澄の顔も見えなくて、私ただ感情のままに。香澄が一番苦しいことを知っているはずなのに、それでも抑えきれなくて。

 

「……となりにっ、いてよ……っ」

 

 これからも、ずっと——一生、隣に。私の隣で歌っていて欲しい。笑っていて欲しい。見えないところに行かないで欲しい。どこにも、行かないで欲しい。いやだ……そんなの、いやだ。

 

「……ごめんね」

 

 掠れた声で囁かれた謝罪に、殺されてしまいそうだった。

 

        × × × ×

 

「……ごめん」

「……ううん、嬉しかった。私のために、泣いてくれて」

「自分の、ためだよ」

「それでも」

「……電話、する、から」

「……うん」

「……毎日、したい」

「うん、しよう」

「会いに、行くから……っ」

「ありがとう」

「バイト、してっ、絶対に……会いにっ」

「……うん、うん……っ」

「……あいつら、には?」

「明日、言うつもり」

「……送別会、しないとな」

「ほんと? ふふ、嬉しい」

「……じゃあ」

「うん、また、明日ね」

 

        × × × ×

 

 涙が止まらない夜が続いた。

 

 私と香澄が話したのは香澄が引っ越す一週間前のことで、香澄はこの一ヶ月ずっとタイミングを見ていたんだと知ったとき、なんでもっと早く気づいてやれなかったんだろうと思った。なんでもっと早く言ってくれなかったのかという気持ちがなかったとは言えない。でも、言えなかった気持ちは言われた気持ちを知っている私にはよく分かるから、それを考えれば堪えられた。

 

 そんなこんなで、香澄の引っ越す前日の夜まで何度も泣いて、クラスメイトや他のバンドのメンバーも誘った盛大な送別会をした帰り、事前にみんなに頼んでおいたおかげで香澄と二人きりになった私は、岐路で立ち止まり、香澄と向かい合う。

 

「……有咲?」

 

 不思議そうに首を傾げる香澄の頬には涙痕が残っていて、多分、私も同じ。送別会が終わったときにはみんな顔がぼろぼろで、正直もうなんでこんなに泣いてんだよって逆に笑えてきてしまうくらい。

 

「……香澄」

 

 想像より遥かに滑らかに口が動く。どうしてだろう。雰囲気のおかげか、それともこれからしばらく会えないせいか。会えないなら、恥ずかしがる理由もないもんな。

 

 本当にどうしようもないやつだ。こんな崖っぷちにならないと自分の気持ちも伝えられないんだから。

 

 まっすぐ香澄の瞳を見つめると、自然と笑みが漏れる。私を見つけてくれた香澄に、私のそばにいてくれた香澄に、私と歩いてくれた香澄に。私の憧れで、私にとっての一番星で——

 

 

「私、香澄のことが好きなんだ」

 

 

 ——私の大好きな香澄に。

 

 今、これだけは伝えておきたかったんだ。受け取って、くれるかな。不安も恐怖もない。すごく落ち着いた気持ちで答えを待っていると、香澄は徐々に表情を変えていって。ふわりと身体が温もりに包まれる。

 

「……私もっ、好きだよっ!」

 

 じわりと濡れた肩が風に吹かれて少し寒い。でも。

 

「有咲のこと、好き……でも、離れちゃう、から。言えなくてっ……」

「……うん」

「ありがとう……」

「うん」

 

 寒さより遥かに、暖かさのほうが強い。

 

 いつも、そうだよ。お前は——香澄はいつもそうだ。人の心を暖めて、優しく掬い上げてくれる。私は香澄みたいにはなれないけど、香澄にとって暖かくあれたらいいなと思った。

 

「ありがとう」

 

 それは、遠くても届くから。

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