stories by BanG Dream! (短編集)   作:夢兎*

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手を伸ばしたら届くから

 

 傘を打ち抜きそうな勢いで、雨が降り注いでいた。

 

 地面にぶつかっては飛び散る雫が足を濡らして、少し眉が寄ってしまう。この靴、最近買ったばかりなのに。これだから雨は嫌だ。湿気で髪は跳ねるし、気圧で頭は痛くなるし。

 

 はぁと一つ息をこぼし、僅かに傾けた傘の隙間から見上げた空は鼠色。まだ十五時過ぎだというのに薄暗い住宅街で、頭に浮かんできたのは恋人——戸山香澄の顔だった。

 

 そっと目を閉じると、今まで見ていた景色の中を香澄が傘を持って駆け回り、こちらを振り向いて楽しげに笑う。

 

 香澄がいたら、楽しいんだろうな。自然と緩んだ頬を自認しながら独白して目を開けると、幻は消えて。

 

「……会いたい、なぁ」

 

 そう思うのに、心が痛まないのはどうしてだろう。ポケットの中のスマートフォンを握りしめて、帰路を急いだ。

 

        × × × ×

 

 自宅へ着いて先にお風呂を済ませ、課題をちゃっちゃと片付けて夕飯を食べる。ふぅと息を吐いて視線を向けた時計の長針はまもなく六を指そうかというところ。……そろそろ、か。

 

「ごちそうさま」

 

 自分の食器とばあちゃんの食器を持って台所へ向かい、洗い終えて向かった自分の部屋。スマートフォンにイヤホンを繋いで起動したのは、無料通話アプリ。呼び出し音がぷつりと途切れると、カリカリとなにやら文字を書いているような音が耳に届いた。どうやら、あちらさんはまだらしい。

 

 手近なところに置いてあった読みかけの文庫本を手に取り、活字を目で追う。ぺらり、ぺらり、ページを繰る作業を、何度繰り返したか。時間にして、おおよそ三十分ほどが経過した頃、

 

『終わっっったーーっ!』

 

 続けてばたばたと忙しない音がしばらく。文庫本を置いて目を閉じると、明日の支度をしている光景がありありとまぶたの裏に浮かんでくる。ふふっと笑みが漏れて、それとほとんど同時に今度こそ私に向けた声が電話越しに聴こえてきた。

 

『お待たせ、有咲っ!』

「おつかれさん」

『ありがと〜』

 

 はぁーっと長い息が、どれだけ急いだのかを伝えてきて、なんだかにやけてしまう。……香澄には、急いであげたなんて気持ちはないんだろうけど、私は私と話すために急いでくれたことが嬉しくて。

 

「…………ありがとな」

『んー? なんか言った?』

「ううん、なんにも」

 

 そっか。と、特に疑うでもなく納得して、香澄は今日あった楽しかったこととか、大変だったこととかを楽しげに話し始める。それは私の知らない場所での、私の見れない香澄の生活。……前は、そのことがどうしようもなく嫌だったし、今でもそれが完全に拭えたわけではないけど、落ち着いて聴いていられる程度には平気になった。

 

 ——引っ越すことに、なって……。

 

 悲しげに、寂しげに。言いにくそうな態度でそう伝えられたのは、今からもう一年も前の話。毎日電話をしようと、私から提案したのも。送別会をした日の別れ際、好きだと伝えたのも。涙混じりに抱きしめられたのも。

 

 それからまだ、香澄の顔は見れていないけど、大学に進学してからお互いバイトを始めて、近々会おうという話をしたのはつい先日の話だ。

 

 香澄はギターを続けていて、私もみんなとバンドを続けている。いつかまた五人でしようと約束したわけじゃない。それは、なんというか……当たり前、だった。

 

 当たり前。私たちが続けるのも、香澄が続けるのも。解散しないのも、近い未来全員で集まれると想像するのも。私たちにとっては当たり前で、そうしない理由がなく、そうする理由はいらない。理由なんてなくたって、約束なんてしなくたって、みんながみんな同じことを想っている。

 

 言葉にする意味も意義もない、当たり前の流れ。

 

『——りさ』

 

 まあ、たとえば、唯一の繋がりを失いたくないからだとか。こうしていれば寂しさを紛らわせるからとか。そういう理由付けは、出来なくもないけど。それもまた、みんなが想っていることならば、結論は同じところへ行き着く。

 

 同じことを考えて、同じ想いを抱いて。なら、同じような日々を生きていくのは、当たり前だろう。

 

『——あーりーさっ!』

「ど、どうした……?」

 

 思索の渦から抜け出して言葉を返すと、香澄は不満気に、

 

『聞いてなかったでしょ』

「……わ、悪い」

『別にいいけど』

 

 拗ねたような声音につい破顔してしまって、香澄はぶーぶーと文句を垂れる。しかしまあ、そんな戯れもまた、幸せなもので。戯れなうちは、と言うべきか。

 

『有咲は?』

「んー?」

『有咲は、なんか面白かったこととかなかったの?』

 

 問われて、少し今日のことを思い返してみる。今日はバンドの練習もバイトも休みで、私は大学へ行って講義を受けて帰ってきただけだから、特に面白いこともなかったが……。

 

 それは香澄だって同じだろう。私と香澄では視点が違う。見ている景色も、見えるものも、隣にいたってバラバラで。ふとこいつには世界がどれだけ輝いて見えているのだろうか、と考えてしまうくらい。

 

 だから、考えれば注目すべき点はあるのかもしれない。……いや、まあでも、それを考える必要もないよなぁ。別に私は香澄になりたいわけじゃないんだし、会話のタネとして考えるのはアリだけど、それが私というか。

 

「なかったな」

 

 結局、そんな答えを返すと、香澄はえぇーと残念そうに声をあげる。

 

『有咲、いつもそればっかり』

「仕方ねーだろ。普通の人間はそんなもんだ」

 

 言外にお前が異常なだけという意味を込めると、どうやら無事に伝わってしまったらしい。

 

『なにそれっ! どういう意味〜っ⁉︎』

「ははっ、さぁな」

 

 本当に、異常だと思う。戸山香澄という人間は、いるかいないかで、全然違うんだ。

 

 香澄と過ごした毎日は語ろうと思ったら日付が変わってしまうくらいなのに、香澄のいない毎日は特別語るべきところもなくて。もちろん、他のみんなとは顔を合わせるし、それでなにかあれば話すけど。やっぱり、物足りないんだ。

 

 こういうとき、香澄の存在の大きさを感じる。いつもいつも、香澄が私たちを連れていってくれてたんだなぁと、そう思う。それは度々、練習中にも話題になることで。だから、みんなも同じ気持ちなんだろう。

 

「……お前のいない日々は、少し退屈だよ」

 

 言うつもりもなかったのに、こうして言葉にしてしまったのは、もうすぐ再会出来るということで、私の心がなにかいつもと違う感じになっているからなのか。それとも、抑えきれないくらいに、強い想いだったのか。

 

『……私もだよ』

 

 意外な、返答だった——と思いながらも、私自身に驚いているという感覚はなかった。同じであることに安心したというよりかは、それはまるで、掴みも届きもしない星が私を見ていたというような。

 

 どこでも、輝けるのだと思っていた。

 

 どこでも、楽しめるのだと思っていた。

 

 どこでも、誰でも、照らしてしまうのだと思っていた。

 

「…………違ったんだな」

『なにが?』

「いや……」

 

 私たちは、お前にとって星になれているのかな。これは、もう、問う必要もないだろう。そもそも、いつかのあの日言われていたことでもある。

 

 ——みんなといるとキラキラドキドキするんだ。

 

 そういうこと、なんだろう。私たちが香澄に照らされ、香澄へ手を伸ばし、香澄と歩もうとするのと同じように。香澄もまた、私たちに輝きを感じ、私たちの手を引き、私たちと進もうとしているという、そういう話。

 

 お互いに、お互いを代わりの効かないものだと感じている。だから私たちは、必ずいつか、巡り会える。どれだけ離れても、香澄に惹かれ、香澄が引く限り。手は交わり、繋がれ、同じ道へ。

 

「……予報が、外れたと思って」

 

 ふと、雨音が止んでいることに気づいてカーテンを開けると、空には燦然と星が輝いていた。

 

「こっちは一日雨の予報だったから」

 

 咄嗟の言い訳に香澄が気づくことはなく、しゃっと今しがた聴いたばかりのものと似たような音が向こう側からも聴こえた。

 

『わぁ、星……綺麗』

 

 ——あなたは私の想いを知らないでしょうね。だったか。月が綺麗ですね、と似たような類の隠れた意味を持つ台詞。あなたに憧れています、というような意味もあった気がするが……どちらにせよ。

 

「こっちも、綺麗だよ」

 

 仰いだ星の海。主張の激しい強い光を放つ一等星に、引かれるように腕を持ち上げた。

 

『手を伸ばしたら、届くかなぁ』

「……届くよ、必ず」

 

 私も、伸ばしているから。

 

        × × × ×

 

『ねぇ、有咲。すき』

 

 そんな直球な台詞が放たれたのは、日付が変わる間際のことだった。……少し長く話し過ぎたか。いつもいつも、眠たげな声を耳にしては、そう思うけど、どうにも切ることが出来なくて。日に日に通話時間は伸びていく一方。

 

「私も、好きだよ」

『今度、たのしみだね?』

「そうだな」

 

 私はいつも聴き手側で、香澄の話に相槌を打つばかりだけど、たまには私からなにか話してもいいかもしれない。そろそろ、香澄も寝落ちする頃だろうし。言いたいことも、あるから。

 

「……香澄」

『んー……?』

「好きだよ」

『んふふ、どうしたの。さっき、言ってもらったよ?』

 

 そう言いつつも嬉しそうな声音に、私の頬まで緩んでしまう。どうしてこいつが嬉しそうだと、私も嬉しくなってしまうんだろう。香澄といると、香澄と話していると、似たような疑問がいくつも、いくつも、浮かんで来ては同じ結論に辿り着くんだ。

 

「……いつもは、香澄に返してる、だけだから」

 

 香澄が、好きだ。正直、今すぐ会いたいし、寂しくないなんて強がっても寂しい。涙が出そうになるときだって、ある。どうして隣にいてくれないんだよ、なんて八つ当たり気味なことを考えてしまうこともしばしば。

 

「私から、ちゃんと、言っておきたくて」

 

 好きだという気持ちは、きっと、言ったからといってすべて伝わるものではないのだと思う。言葉ではなんとでも言えるし、人間は嘘をつくことの出来る生き物だから。

 

 でも、それでも、私が言葉にするのは。

 

 この気持ちのほんの少しでも、香澄に伝わってほしいと願うから。傲慢かもしれないけど、私が好きだと伝えることで、香澄が幸せになってくれるかもしれないから。香澄が幸せだと、私も、幸せだから。

 

『そっか。じゃあ、私も返さないとだ』

「あ、いや、そういうつもりじゃ——」

 

 慌てて口を挟むも、時既に遅し。

 

『私も、有咲のことだいすきだよ』

 

 ちょっと恥ずかしいね? 微笑み混じりに付け加えられた言葉を聴きながら、私はどんな顔をしているだろう。手元に鏡のない状態で分かるのは、今とても顔が熱いということだけだった。

 

「……それは、ずるいだろ」

『なら、有咲も返してくれていいよ?』

 

 わくわくといった調子の声が悔しくて口を開いても、なかなか言葉は形にならない。たった、四文字。今まで何度か言ったことのある言葉に二文字加えただけなのに。どうしたって、こんなに、恥ずかしいんだろうか。訳がわからない。

 

「だ……」

『だ?』

「……だい、すき」

 

 どこかカタコトで絞り出した言葉に、数秒の間。首を傾げつつ声を掛けようとすると、なにかうめき声のようなものが聴こえてきて。

 

『……こ、これ、言われるほうが、恥ずかしいかも』

「……なんだそれ」

 

 気が抜けてこぼした嘆息が、再び訪れた静寂に溶けていく。

 

『……会ったときにも、聴きたいな』

 

 小さな声で囁かれたおねだりはかわいかったけれど、はいわかりましたと答えられるものでもない。電話越しでこれなのに、顔を合わせてそんなこと言える気がしないし。

 

『……だめなら、いいんだけど』

「だめじゃ、ねーよ」

 

 食い気味に言葉を返して、なにをムキになってるんだと自嘲の息が漏れる。だって……仕方ないだろ。好きな人が、そうして欲しいというなら、出来る限り叶えてやりたいと思うし。せずに悲しくさせるくらいなら、そのくらいの恥ずかしさは堪えられる。

 

『……ありがと。でも、なんか、そう言ってもらっただけで、満足しちゃったかも』

「……だったら、もっと満足すればいいだろ」

『ふふ……じゃあ、その、たのしみにしてます』

 

 なんで敬語なんだよ、私まで恥ずかしくなるだろーが。

 

「…………そろそろ、寝るか?」

 

 掘り返すのが嫌で話題を変えるが、言葉が返ってくることはなかった。代わりにすぅすぅと静かな寝息が耳に届いて、通話終了ボタンへ指を伸ばす。

 

「……好きだよ。おやすみ」

 

 イヤホンを外すと、ちょっと耳が痛くて、本当に長い時間話していたなと苦笑してしまった。そのままベッド寝転んで、ゆっくりまぶたを下ろす。

 

 耳の奥に残る、香澄との会話がとても大事に思えるのは、距離の遠さ故か……いや。

 

 離れてから大切なものに気づくと、そんな言葉をよく聞くけれど、私にとって香澄はずっと大切なもので。離れたくなんてなかったし、離れて増したように感じる想いもよかったとは思えない。

 

 ただ、離れてもこうして繋がっていられることに、当たり前を続けていられることに、確かな温もりを感じていて、あのとき告白した自分を褒めてやりたいなと感じる。

 

「……香澄が、好きなんだ」

 

 ぼそり、一年前と同じ台詞をつぶやいて、ふ、と息が漏れる。今も変わらない。なにも変わらない。想いの量は増えても、想い自体はずっと変わらなくて。遠距離も、噂に聞くほど悪くねーなと思った。

 

 まあ、近いほうがいいけど。

 

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