stories by BanG Dream! (短編集)   作:夢兎*

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もしも、香澄が星のシールを見つけていなかったら。


たとえ、私が俯かなくても。

 

 冬の街中を、背を曲げて歩いていた。

 

 二月上旬ということもあってか、行き交う人々はどこか浮き足立った雰囲気を醸し出していて、赤がメインカラーの広告がそこかしこに掲げられている。二ヶ月前にも似たようなことをやったばかりなのにとか、そんなふうに呆れてしまうのは私に恋人がいないからか。なんなら友達もいないので、今までそういうのとは無縁の人生だった。多分、これからも無縁。

 

「はぁ……」

 

 自分でも重苦しいなと思うようなため息を吐いて、ふらふらと家から近い公園へと足を向かわせる。正直、直帰してネットサーフィンに勤しみたい気分だが、ちょっと家に帰るのがキツいというか。この現状で悠々自堕落な生活を送れるほど私の心は強くない。申し訳なさが一周回って病む。

 

 どかりとベンチへ座り込むと、また長い嘆息が漏れて、私疲れてんなぁとか思っちゃう。実際、疲れているのだと思う。めちゃくちゃストレスが溜まっているというわけではないけど、余裕がないみたいな。そういう気持ちです。

 

 カバンからスマホを取り出して、もしかしてなんか奇跡が起きてたりするんじゃねーかなとか思いながら開いたメールボックスには、やっぱり何度見てもお祈りメールの束だけが詰まっていて、本日何度目かのため息。

 

 ……私ってこんなダメなやつだったのか。

 

 と、今更になって、自分の使えなさ加減を自覚して嫌になる。……そりゃそうだよな。学校の成績なんて、なんの役に立つんだっつー話。テストで点数が取れたって、そんなものは社会で生きてくための長所にはなってくれなくて、サボって点数だけ取ってるやつより、多少点数が低くても、毎日真面目に通ってコミュニケーションを取りながら卒業したやつのほうが偉いに決まってる。

 

 たとえ、もはやそれを履歴書に書ける段階にないとしても、むしろそっちほうが地力が試されるっていうか。私が持ってんのなんて、精々学歴くらいのもんだもんなぁ。あー、宝くじで六億円当たらねーかな。買わねぇけど。

 

 とかなんとか、ぶつくさ言ったところで、現状はなにも変わらず。私は絶賛二十社大敗中のクソザコニート。いや、私だって、別にずっとニートやってるわけじゃないんだ。それなりの大学をそれなりの成績で卒業して、まあ就活は難航したけどなんとか就職もして、ばあちゃんに少しは孝行できるかなとかかわいいことを考えてた若者だったんだよ。これはまじ。

 

 問題は就職先がまっくろくろすけだったことで。……もうなんか、ここまで面接落ちまくってると、私に社会適性がなかっただけで普通の会社だったのかなとか思うけど。それはともかく、過労でぶっ倒れて入院してばあちゃんに「辞めて欲しい」って言われるまでは頑張ってたから、まだそこまでクソじゃないと思うんだけど。

 

 分かんねぇ……どうなんだろう。ぶっちゃけ、今の状況だけ考えたら祖母の脛かじって毎日生きてるクソニートだしな。ていうか、大学のときも高校のときも似たようなもんだったし、本当に私の根性とかが腐ってたり、引きこもってて体力がカスだったりしただけかもしれないし……自分の判断に自信が持てねぇ。

 

 うっ、やべぇ、なんか泣きそう。私、なんでこんな頑張って生きてるんだろ。友達もいないし、金もないし、家族はばあちゃんだけだし、なにもできないし。ばあちゃんのため? まあ確かに、ばあちゃんももう歳だしな……私が頑張らないとな。

 

 でも、もう、なんかこれも、祖母のために頑張ってる私は偉くて価値がある人間なんだって思いたいだけなんじゃねーのって気がする……そんなことない。そんなことない。

 

 誰かにそんなことないって言って欲しい。

 

 うぁー、だめだー。だめじゃんこれ。そんな思考になってる時点で多分だめ。誰かになにか言われなきゃ自分の価値も分からないのかよ。詰みだろ。もっとなんかないか? 私にできること……勉強、は意味がないからだめ。盆栽、はただの趣味だからだめ。ピアノ、は昔やってただけだからだめ。投了。

 

 自分のいいところはなんにも浮かばないのに、なぜかだめなところはめちゃくちゃ浮かんでくる。なぜかもなにも、私にいいところがないだけだよな。知ってました。おおよそすべてだめなので、必然、頭に浮かぶのはだめなところになるっていう。

 

「……っ」

 

 あっ、まじで勘弁して。こんな、スーツで夕方のベンチに座って泣くとか、明らかにリストラされた人か就活失敗してる人じゃねーか。一番したくないやつだから。本当、やめて。

 

「くそ……止まんねぇ……っ」

 

 なんで。なんで、なんで、なんで。私、頑張ってるのに。外に出るのだって嫌なくらいなのに、毎日毎日いろんな会社に電話して、面接に行って、たまに手応えがあったりして、でも届くのは全部お祈りメールで。全部、全部、普通のこと? 当たり前のこと? そんなの、知らねーよ。私にとっては普通じゃねーよ。普通の人間じゃねぇんだよ。分かれよ。みんながみんな、普通に生きてるわけじゃねぇんだよ。私だって。

 

「わたし、だって……ふつうが、よかった」

 

 普通に生きれるなら、普通に生きてた。普通に友達を作って、普通に学校に通って、普通に遊んだりして、普通に卒業して、普通に恋したりして、普通に就職して、普通に暮らしたかった。なのに……なのにっ!

 

 なんで、こんな。どうして、私ばっかり、出来損ないで生まれてきたんだろう。生まれたときからやり直せたら——せめて、なにか少しだけ違えば、こうじゃない今が、あったかなぁ。

 

 ぐしぐしと雑に涙を拭って、でも、視界は滲んだままで。こうやって、底辺の人生を歩んでいくのかな。やだな。もっと、まともになりたいな。拭いきれない涙がぽつりとまた、膝を濡らして、寒風にぶるりと身体が震えた。

 

 瞬間、ギターの音が耳に届く。

 

 いつのまに来たのだろう。顔を上げた先——向かいのベンチに誰かが腰掛けて、アコギを弾いていた。ポップな曲調は今の私には眩しくて、けれどどこか寄り添うような温もりのある音が心地いい。前奏が終わって、開かれた口から紡がれた[[rb:詩 > うた]]は真っ直ぐに響いて、その演奏が終わるまで、目を逸らすことが出来なかった。

 

 ぼうっと彼女を見つめていたら、彼女は私の視線に気づいたのか、こちらに視線を向けてひらひらと手を振る。その僅かな動作で、ああこの人は私とは違う人種だなと思った。っていうか、こんなところでいきなりギターとか弾いてる時点で、私と比べるまでもない。明るい笑みはどう見てもコミュ強って感じで、少し憧れる。

 

 昔は、そんなことは思わなかった。いや、より正確に言うならば、思わないようにしていただろうか。あるいは、思っていないフリをしていた、か。

 

 なんにせよ、私の心の奥底には多分、ずっと彼女のような人間への憧憬や嫉妬があって、学生時代は「群れなきゃイキがれないのか」とか、「私は一人でも生きていける」だとか、ただテストの点がいいだけのくせに上から目線で見下して、一人でいることの正当性を見出すことに躍起になっていた。

 

 でも、仕方がないだろ。庇うつもりも言い訳を重ねるつもりもない。ここで言う仕方がないというのは、つまり、自分がどうしようもないやつだったことを認めているだけだ。

 

 弱いやつほどよく吠える、なんて言葉があるけど、まさにその通りで、私は弱い人間だから自分の弱さを許容できず、そうする他なかった。私は友達が作れないわけじゃなくていらないんだ。学校行事ごときでいちいち騒ぐなんてバカらしい。学生の本分は勉学なのだから、学年一位の私が正しいに決まってる。

 

 自分の弱さを認めたくなかった。なにもできない自分を自覚したくなかった。劣等感を覚えているからこそ、払拭のために誰かを貶した。思えば、陰キャの代表みたいなやつだったなと感じる。……だったもなにも、今もたいして変わりはしないが。

 

「——こんにちは」

「ひゃっ⁉︎」

 

 またぞろ懲りもせずに鬱々としていたら、上のほうから声が聞こえて、変な声を上げてしまった。は、恥ずかしい。恐る恐る顔を上げると、そこにはさっきギターを引いていた女性の笑顔があって、やっぱりまぶしいなとか思う。……でも、不思議と嫌じゃない。

 

「こ、こんにちは……」

 

 一応、挨拶くらいは返すべきだよなと、どもりつつ返事をすると、彼女はさっきよりも遥かにまぶしい笑みを浮かべる。ただ挨拶をしただけなのに、どうしてそんなに嬉しそうな顔ができるんだろう。ついこっちまで頬が緩んでしまいそうになる。

 

「ここ、座ってもいいですか?」

「ど、どうぞ……」

 

 よいしょ、と隣に腰掛けた彼女は私より少し背が高い。太陽の光を反射してきらきらと光る髪留めは子供っぽいけど、とても似合っていた。っていうか、なんかこの人、どこかで見たことあるような気がするな。じろじろと横顔を見ていたら、彼女は私に視線を向けて、

 

「……泣いてたから、ちょっとでも元気を分けられたらなって思って弾いたんですけど、あんまり、効果なかったみたいですね」

 

 眉尻を下げて寂しげに苦笑する姿に、きゅっと胸が締まる。だから——だから、どうして。どうして、初めて会ったような相手のために、そんなことができるんだ。どうして、私が元気が出なかったくらいのことで、そんな顔ができるんだ。

 

「初めまして、ですよね。なのに、どうして……」

「え? あっ、もしかして、市ヶ谷さんっ⁉︎」

「——えっ?」

 

 なんで、私の名前を? と思っていたら、彼女は自分の顔を指差して、勢いよく口を開く。

 

「私、戸山! 戸山香澄‼︎ 覚えてるかなっ、あの、一回同じクラス、なったことあったんだけど、ほら、ノートとか貸してもらった! あっ、高校ね! 花女!」

「戸山って……」

 

 あの? あの、戸山香澄?

 

「……仮入部期間に全部活制覇して結局どこにも入部しなかった?」

「そう! その戸山!」

「文化祭のとき、ステージで手品やって思いっきり失敗した?」

「そ、それ……その、戸山です。恥ずかしいな……」

「高二の夏休み前、五教科くらい赤点取って七月いっぱい学校に来てた?」

「わー! もうやめて! なんでそんなのばっかり‼︎」

「いや……だって、有名だから」

 

 戸山香澄といえば、弦巻こころと並んで花咲川の二大変人だとか呼ばれてて、教室にいればいつもどちらかの名前が聴こえてきたほどの有名人だ。ほとんど登校してなかった私でも、その噂はそこかしこから耳に届いて、今でも記憶に残っている。……べ、別に、私の高校時代の思い出がすかすかだからとかではなく。

 

 実際、『花咲川女子学園の』じゃなくて、『花咲川の』なのは、花咲川という地域のという意味で、学外にもその名は轟いていたらしいので、私の高校時代の濃度に関係なく、彼女の武勇伝(?)は覚えていたと思う。

 

「ゆ、有名だなんて、そんなこと〜。えへへ」

「……褒めてはないけど」

「え、そうなの⁉︎」

 

 うーん、こいつ、大丈夫か?

 

「でも、そっか。やっぱり市ヶ谷さんだったんだね。久しぶり……かなぁ? 成人式は、来てなかったよね?」

「あー……行ってないな。そういえば」

 

 いや、私も一応、晴れ着というか振袖は着たんだよ。ばあちゃんが見たいっていうから、今まで育ててもらったわけだし、一肌脱ぐかってことで。まあ、脱ぐんじゃなくて着るんだけども。ただ、成人式には行かなかったって話。あれも強制参加ってわけじゃないし、それならぶっちゃけ行く意味もないし。ってわけで、成人式は不参加キメました。どうもぼっちです。

 

「来ればよかったのにー、楽しかったよ?」

「……行っても、友達とかいないしな」

 

 そういうのは、沢山友達がいるから楽しいのであって、私みたいなのは下手に行っても寒い中一人でぽつんとしていることになるから、行かない方が精神安定上よろしいのだ。そんな感じで再び自虐的な思索に耽っていたら、なかなか反応が返ってこないことに気づいて、不思議に思いつつ視線を動かす。

 

「友達……友達、じゃ、ないか……うん、そっか……まあ、そう、だよね」

 

 ……なんか、ごめんな? 私もまさか友達だと思ってもらえてたとは考えてもいなかったというか、戸山さんなんかはまさに学生時代の私の嫉妬の対象だったから、「ああいうタイプが一番嫌いだわー」とか心の中でぶつぶつ言ってた気がする。ほんとごめん。

 

「……よし!」

 

 ずーんという擬音が似合いそうな雰囲気で落ち込んでいた戸山さんは、なにかを決心したのか、ぱちっと軽く頬を叩いて改めて私を見る。その真っ直ぐな眼差しに気圧されそうになりながら、飽きるほど受けた面接で培った対人スキル——相手の首のあたりを見てれば、相手は視線が合っているように感じる——を使って、なんとか戸山さんを見返した(見返してない)。

 

「友達になろう!」

「……はい?」

「私、結構、その、勝手に友達って思っちゃうことあって、それで……あの、『そんなに戸山さんと仲良かったっけ?』みたいなこととか? 言われたり、する、から……だから、と、友達になろうよ。なって、くださいっ!」

 

 なんだこいつは。というのが、正直な感想だった。だって、普通じゃない。私も大概普通じゃないけど、流石花咲川の二大変人の片翼。二十五歳にもなって、「友達になろう」とか、言わないだろ普通。どういう思考回路してんだ。

 

「だめ……かな?」

「だめじゃないけど……」

 

 だめじゃないんだけどさ! はー、ちょろいなー、私。だって、こんなん無理でしょ。二十五年間人肌に飢えてたクソザコぼっちに「友達になろう」はクリティカル過ぎるだろ。本当にやめてほしい。距離の詰め方がエグい。泣きそう。

 

「やったぁ! じゃあ今から友達ね!」

 

 はぁ〜〜〜、なんでそんなに嬉しそうなんだよ〜〜〜! 天使か。私と友達になれて嬉しいとか、私のほうが嬉しいから。譲らないからな。っていうか、本当にいいの? 私、自分で言うのもなんだけど絶対面倒くさいし、いろいろ拗らせてるよ? ラインはすぐに返して欲しいし、会えないと拗ねるし、友達の友達とかに嫉妬するタイプの面倒くささだよ? 今ならまだ間に合うよ? 嘘。間に合わない。今からやっぱなしとか言われたら、多分そのまま線路に飛び込んで死ぬ。うわ、重い。気持ち悪。

 

「……有咲って、呼んでもいい?」

 

 ご自由にどうぞ‼︎ っつーか、下の名前まで覚えててくれてんの? 友達だと思ってあげられてなくて、まじでごめん。あー、もう。私が友達だと思ってれば、もしかして、私の高校時代って一人だけど友達のいる楽しかったあの頃になってたんじゃねーの? 本当、なにやってんだよ市ヶ谷有咲ぁ。ほんとそういうとこ市ヶ谷有咲。

 

「……わ、私も、その、か、香澄って、呼んでも……いいか?」

「もちろんだよ〜っ! 有咲ぁ〜」

 

 がばっと唐突にされたハグに頭がクラクラとしてくる。なんだこれ、なんだよこれ、なんかいい匂いするんだけど? 人生初めての友達に人生初めてのフレンドハグ……フレンドハグってなんだ。知らねーよ。

 

「よーし! じゃあ戸山香澄、新しい友達が出来た記念に、友達のうたを歌います!」

「は? や、待っ——ちょっ、ちょっと待った!」

 

 それは恥ずかしいから! まじで恥ずかしくて死ぬから!

 

「嫌、かな?」

「嫌じゃないけど!」

 

 嫌じゃないけど、場所とかいろいろ考えて欲しい、です! 私の隣で友達のうたとか歌われたら、私は恥ずかしさで溶ける。嬉しいけど。

 

「わっ、私の家! 近くだから! そこで、なら……な?」

「有咲の家、行っていーのっ?」

 

 わーい、目がキラキラしてるー。ふふふ、幼女を家に連れ込むおっさんってこんな気持ちなのかな。知りたくもないことを知ってしまった。

 

「ほら、行こっ、有咲!」

「う、うん」

 

 二人、ベンチから立ち上がって公園を出る。ふんふんと香澄が奏でる鼻歌はやっぱり明るくて、自然と頬が綻ぶ。ついさっきまで涙を流していたことなんて忘れてしまうくらいの底抜けに楽しげな表情は、すれ違う人さえも笑顔にして。

 

 ぴたりと、香澄が足を止めたのは、横断歩道を渡っている最中のこと。どうしたんだ? と訊ねる間もなく駆け出した香澄を追いかけると、香澄は一点を見つめていて。

 

「それ……」

「星のシールだ! あっ、あっちにもあるよ、有咲!」

 

 次々に星のシールを見つけては、歩みを進めていく香澄。私はもう、その終着点を知っている。剥がれてしまったものもあるけれど、まだギリギリ追える程度にいろんなところに貼られたシール。辿り着いたのは、屋敷の門の前だった。

 

「……流、星、堂? 入っても、いいのかな……」

「いいよ」

「えっ? あっ、待って、有咲っ」

 

 香澄の横を抜けて門をくぐり、石畳の上に立つ。と、ちょうど外を箒で掃いていたばあちゃんと目が合って、

 

「ただいま」

「あら、おかえり」

「え? えっ⁉︎ どういうことっ⁉︎」

「と、友達……連れてきた、から」

「あらあら、いらっしゃい」

「あっ、こ、こんにちは! 有咲っ?」

「ここ、私の家」

 

 私の言葉に大袈裟に驚く香澄を見ながら、ふと考える。もしも——もしも、香澄が、もっと早く星のシールを見つけていたら。そしたら、私は、もっと早く香澄と友達になれていたのかな。そんなこと、考えたって仕方ないって分かってる。でも、考えずにはいられなくて。

 

 だって、もっともっと、早く出会いたかった。早く、見つけて欲しかった。

 

 さっき友達になれたばかりなのに、そう思うのはおかしいだろうか。けれど、どうしてだろう。胸の奥がざわついて、そういう未来もあったかもしれない……あったらいいのにと願ってしまう。この熱がどこ由来なのか、私には分からない。

 

 別に香澄じゃなくてもいいはずなのに。なんて、そういう言い方をしてしまうのは申し訳ないけど、でも、ただ寂しいだけの私にとって大事なのは相手が誰なのかではなく、その人が私に優しいかどうか、一緒にいてくれるのかという点のはずだから。……この気持ちも、単にもっと早く出会ってもっといい未来にいたかったっていう後悔なのかな。

 

「ここが……有咲の部屋?」

「違う、質屋の蔵。まあでも、私の部屋でもまちがってはないか……」

 

 寝るときくらいしか使ってないしな、自分の部屋。香澄を適当に座らせて、とりあえずお茶でも用意するかと一旦蔵を出る。にやにやしてるばあちゃんの相手をするのがとても苦痛だったが、しかしまあ、喜ばせられたのはなにより。

 

 そんな感じでお茶を手に蔵へ戻る。と、香澄はなにやら部屋の隅のほうに座り込んでいて、

 

「どうかしたのか?」

「これ、ギターっ⁉︎」

 

 ばっと勢いよく振り返った香澄が、またきらきらと瞳を輝かせながら指さすのは、横に寝かされたギターケース。そういえばそんなのもあったなと、言われて存在を思い出した。私にはあまり価値が分からず、捨てるに捨てられなかったギター。

 

「開けても、いい?」

「ん……いいよ」

 

 中から出てきたのは赤い星型のギターで、それを目にした瞬間、香澄は大きく口を開く。その胸の高鳴りを想像したら、私にも香澄の鼓動が聴こえてくるような気がして、一瞬静寂が訪れた蔵の中、こくりと生唾を飲み込んだ。

 

「星のギターだっ‼︎」

 

 捨てるに捨てられなかったというのは、嘘だ。私は、これを意識的に捨てていなかった。初めはなんとなく取っておいただけだったのに、いつからか、手放せなくなって。

 

「有咲のっ⁉︎ 有咲、ギターやってるのっ⁉︎」

「いや……私は、楽器は小さい頃、ピアノを弾いてたくらいで……」

「じゃあ、最近誰かにもらったやつ?」

「ううん。私が高一のときには、もうあったから」

「? でも、結構綺麗だよ?」

 

 目の前に掲げられたギターは確かに綺麗で、十年以上放置されていたという感じには見えない。それもそう、というか、私が就職する前——大学卒業の頃までは、ネットを見ながら私が手入れしていたから、当たり前といえば当たり前で。

 

「あっ、いつか弾こうと思ってたとかっ⁉︎」

 

 違う。違うんだ。そうじゃなくて、私自身にはそのギターをどうこうしようという気持ちはなくて、だから、私がギターを手入れしていたのも、オークションに出品しといて結局取り下げたのも、私のため、じゃなくて。

 

「……好き、そうだったから」

 

 星が好きなのだとよく言っていた。私は特別、喋る機会が多かったわけではないから、彼女にとっては沢山の友達の中の一人だったんだろうけど、私にとっては。私に、とって、戸山香澄は、紛れもなく、唯一の友人で。

 

 そう呼ぶことはついぞなかったけれど、高校三年の夏、誕生日を迎えようとしていた彼女がギターに興味が湧いたという話を聞いて、埃を被っていたこれを掘り返すくらいには、親しみを感じていたんだ。

 

 だから、ごめんじゃなくて、本当に言うべき台詞はありがとうだった。ずっと自信がなくって、「戸山さんは私のこと、友達だなんて思ってないかもしれない」って、一人で悩んで、大学に進学して顔を合わせることもなくなって、後悔してた。なにか伝えられたら、なにか変わっていたかもしれないのに。私は今になっても、彼女が星を見つけてくれればと他人任せにするようなどうしようもない人間で。あぁ、もう、こんなだから、たった一人の友達のそばにもいられないんだ。

 

「誰が……?」

「か、香澄がっ、好きそうだったから! 私、ずっと……っ」

 

 気持ちが悪いと言われても、仕方がないと思う。だって、こんなのおかしい。たいして関わりが深かったわけでもないのに、一方的に大切だと感じて、ましてや相手が人気者だからってこんな、物で釣るような。

 

 でもっ、でも……私にあげられるものなんてほかになにもなくて。たとえ、気持ちが悪くたってなんだって、ここでなにも言えないままじゃ、きっとまた失ってしまうと思うから。それだけはもう嫌だから。

 

「ずっと……わ、渡し、たくて。ごめんっ……わたし、ともだちだ……って、ほんとは、おもってた! 戸山っ、さんが……はなしかけて、くれるから、嬉しくって……っ。こ、こんなの気持ちわるいかも、しれないけどっ! でもっ」

 

 いつからこんなに涙脆くなったんだろう。いや、多分、これまで涙を流す機会が少なかったから、感情の流れに逆らう方法が分からないのだ。悲しい、辛い、恥ずかしい、そういう気持ちが綯い交ぜになって、視界を滲ませる。

 

「いつも……憧れてたからっ——」

 

 ——ふわり。身体を包みこんだ温もりに、なにが起きたのか分からぬまま固まっていた。すると、彼女は私の背中をゆっくりと撫でながら、優しく囁いて。

 

「嬉しい。じゃあ、私たち、高校のときからもう、友達だったんだね」

 

 顔を離してにへらと頬を緩める戸山さんは、本当に人の心を掴む天才なんじゃないかと思った。どくん、どくん、鳴り響く心臓の音はいつまで経っても落ち着く気配がない。

 

「いい、のかな……」

「なにが?」

「……私、戸山さんみたいにできない」

「いいよ」

「結構、面倒くさいところもあると思う」

「ふふっ、いいよ」

「に、ニートだし、いつ、就職出来るか分からない」

「いーよ」

「いいのかよ……」

「いいの。私だってできないこと沢山あるもん。有咲、頭いいから、絶対私が困ったとき力になってくれる! 有咲がいたらなんだってできるかも!」

「それは言い過ぎ」

 

 だいたい、戸山さんは私がいなくたって大抵のことはできるだろ。出来ないのなんて学校のテストくらいで、まあ確かに、頭を使うのは私がやればいいのかなとか思うけど。

 

「え〜、そんなことないのにー! っていうか有咲、呼び方戻ってる‼︎」

「悪い……か、香澄」

「ふふー、有咲っ!」

 

 すりすりと擦り寄ってくる香澄に、なにか小動物と戯れているような気分になる。どうでもいいけど、「有咲……あーりさっ、有咲ぁ〜〜!」とかって連呼するの、やめてもらっていいですか。なんかめちゃくちゃ恥ずかしいから。

 

「あれっ、てことは……このギター、くれるってこと⁉︎」

 

 唐突に身体を持ち上げた香澄は、ギターを抱いて期待の眼差しを私に向ける。断る理由もないというか、私が持っている理由がないというか。あげなかったらなんのために今までそこにあったんだっていう感じ。

 

「まぁ、うん。今までの……その、誕生日プレゼントってことで」

「やったー! じゃあじゃあ、私も誕プレ、あげなきゃだねっ! なにがいいかなっ? そういえばこれって、いくらくらいなの?」

「あー……いくらだっけ」

 

 確か、結構高値がついた記憶がある。あのとき、売らなくてよかったなぁ。

 

「三十万……くらい?」

「三十っ⁉︎ わっ、えっ、待った! ろ、ローンで……払います」

「いや、いいよ……売る気なかったし」

「で、でもぉ……三十、万円……。あっ! じゃあ、こうしよう!」

 

 なにを思いついたのだろう。香澄の顔は満面の笑みで。ぴんと立てられた指から、なんとなくその元気が伝わってくる。

 

「私も有咲に三十万くらいの誕プレ買う!」

「えぇ……それは、ちょっと」

 

 三十万とか、貰っても手に余るし……ていうか、そもそもそのギターだって私が買ったものじゃないし。渡すならばあちゃんに渡すべき、現金で。そんな私の思考なんて関係ないとばかりに香澄は早速、なにを買うかを考え始める。

 

「うーん、指輪……とか? 三十万の指輪。ふふ、給料二ヶ月分の指輪ですとか言って」

「ばっ……バカじゃねーの! ったく、そういうことを平然と……あれ?」

 

 ちょっと待った。こいつ、さっきからローンとか、三十万のプレゼント買うとか、給料二ヶ月分とか……もしかして、そういうことなのか?

 

「有咲?」

「お前……就職してんの?」

「え? してるよ?」

 

 うわー! よりにもよって‼︎ いや、分かる……分かるよ。香澄のコミュ力なら、どこ行っても役に立つと思う。一度入社しちゃえば上司にも気に入られる性格だろうし、別に香澄を見下してるわけじゃないんだけど、でもほら。

 

「なんでバンドマンが就職してんだよ……」

 

 ただの偏見だった。ああでも、香澄がバンド組んでるのかは分かんねぇか。シンガーソングライター? ってやつなのかもしれないし。いや、そっちもそっちであんまり就職とかしてるイメージはないけど。

 

「えー! それどういう意味っ⁉︎」

「……印象の問題というか」

「なんかバカにされてる気がする」

「ご、ごめんっ、本当にそういうつもりじゃなくって」

 

 つーんとそっぽを向いた香澄に慌てて謝ると、香澄は意地の悪そうな笑みを浮かべて、

 

「うそ」

「〜〜っ!」

 

 なんも言い返せないのが悔しい……。だって、ずるいだろそんなの! なんにも考えてなさそう(失礼)なのに! でもやっぱり悪くないなとか思っちゃうあたり、私も私でどうかしている。自覚はあります。

 

「うーん、本当どうしよっか」

 

 うんうんと頭を悩ませる香澄は、本気で私になにかプレゼントをしてくれるつもりでいるらしい。友達からの誕生日プレゼントというのは、とても魅力的だけど、流石に三十万のものを買ってもらうのは私としても気が引けるというか。

 

「だから、別にいいって……」

「そういうわけにはいきません! あっ、そういえば、ピアノやってたんだっけ?」

「え? あぁ……昔の話、だけど」

 

 ピアノを習っていたのなんて、小学生の頃のことだ。もう今は弾けるかどうかも怪しい。高校生の——香澄がギターに興味を持ったって聞いたときなんかは、もしかしたら一緒に演奏できるかもとか変な期待をしてちょっと触ってみたりもしたけど……。

 

「じゃあさ! 今、私のバンド、キーボードを探してて、それで、有咲がよければでいいんだけど、私がキーボード買うから」

 

 もう、その先に続く言葉は分かっていた。私が返すべき言葉も。私には、これからの生活がある。まずは就職して、しっかりと安定した収入を得なきゃいけない。だから、ここで受けるわけにはいかなくて、それなのに。分かっているのに、きらきらと輝く世界が、彼女の近くで音を奏でる未来が、欲しくて、たまらなくて。

 

 

「私と、一緒に——」

 

 

 こうなることは、必然だったのだろうか。と、ふと考える。私たちが出会うこと。友達になること。香澄に誘われること。どんなもしもの世界を辿っても、同じ場所に行き着いたのだろうか。そう思わされる引力のようなものが、香澄にはあって。

 

 きっかけになるものは必ずしもそれでなくてもいいのだと思う。引かれ合う運命があるのなら、出会うべき相手と必ず出会えるように、多分、世界はできている。

 

 頷いた私に、また、星が笑った。

 

        × × × ×

 

 窓から射し込む朝日の眩しさにゆっくりとまぶたを持ち上げる。と、まず真っ先に視界に飛び込んできたのは香澄の顔だった。……なかなか慣れないな。

 

 すやすやと寝息を立てる彼女は、起きているときのパワフルさが嘘のようで、今まさに充電しているのかと思うと少し笑える。いつもいつも、起きてから眠るまでひたすら飛び跳ねてるもんなぁ。夜は二十二時には電池が切れたようにぱったりと眠ってしまうので、本当にそこですべて使い切ってるんだろう。

 

 さて……どうしようか。目が覚めたのはいいものの、香澄の腕ががっちりと私を抱え込んでいて、どうにも身動きが取れない。いや、もちろん、抜けようと思えば抜けられるけど、たまに香澄より早く起きたからって、いつも早起きな香澄まで起こすのは気が引ける。そういえば最近ベッドから落ちなくなったなぁと思ってたけど、このせいか。

 

 一人納得して、その頬に触れる。と、香澄は僅かに頬を緩めて、……まあ、起きるまでこのままでいいか。特にすることがあるわけでもなし。

 

 香澄が私の家に住み始めたのは、あの再会からしばらくが経った最近のこと。私の誕生日プレゼント——キーボードを買うためにお金を貯めたいけど、そこまで余裕があるわけじゃないから時間がかかるかもと嘆いていたところに私が声を掛けたのがきっかけだ。

 

 家賃なし、というわけにもいかないし、それは香澄も納得しないだろうから、ある程度毎月お金をばあちゃんに払ってもらうことになってるが、普通にマンションとかで一人暮らしをするよりは大分楽になったと言っていた。

 

 それなら実家暮らしでもすればいいのにと思ったが、うちの蔵でなら自由にギターの練習も出来るし、職場からも近いのだとか。ちなみに私はあの日面接を受けに行った会社から奇跡的に採用の連絡が来て、もう早速働き始めていたりする。就職活動自体はもとから続けていくつもりだったが、ぶっちゃけ、無職バンドマンの肩書きを持つ覚悟もしていたため、内心結構ほっとした。……ほんと、よかった。

 

 バンドマンという言葉の通り、私は香澄の組んでいるバンドのキーボード担当となり、バンドメンバーとの顔合わせも済んでいる。顔合わせ、って言っても、だいたい知っている顔だったというか、同級生だったから、そんな大袈裟なものでもなかったが。

 

 ……そんなところか。最近の出来事を思い返してみると、たった一月なのに随分と周辺の環境や自分の状況が変わったなぁと感じる。すべて香澄と出会ったから、というわけではないにしろ、やっぱり香澄の影響は大きい。

 

「すごいよな……」

 

 滑らかな肌を撫でると、香澄はくすぐったそうに身じろぎして、なんだかかわいい。犬とか飼ったらこんな感じなのかな。でも、ただ癒される犬や猫とは少し違くて。

 

 エネルギーの塊みたいなやつなのに、戸山香澄はそれだけじゃ収まらないんだ。そこにいるだけで、私みたいな根暗のやる気まで引き出して、いつのまにか離れられなくなっている。誰かと一緒にいることを心から喜べる香澄だから、私も一緒にいたくなって。

 

「んぅ……」

 

 微かな声を漏らして、香澄が目を開く。光を反射して輝く濡れた瞳は、まるで夜空に瞬く星屑のようで、つい見惚れてしまった。

 

「おはよ、香澄」

「有咲ぁ……ふふ、おはよう」

 

 ふにゃりと溶けたような笑みに、どきりと一際大きな鼓動が響く。

 

 その胸の高鳴りがこれまでと違うものだと気づくのは、もう少し先の話。

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