このポッケ村には、一つの大きな鉱石がある。それはぬしも知っておろう?そう、これさ。
この風化し、荒く削られた鉱石はな、長い長い時をこの場で過ごし、この地に住む生き物たちを見守っておったのだ。
傷がついても、崩れても。どんなことがあっても、ここから動かずに見守り続けたのだよ。
そんな鉱石にはな、ちょっとした噂が流れておるのは知っておるか?
……ふむ、知らんのか。なら、ここで話そうか。
ほれ、この石を見てごらん。この鉱石から採れたものさ。
……え?削っちゃダメなはずだって?ああ、違うよ。これは勝手に崩れて落ちたものさ。
それでね、結構見えづらいが、落書きがされてあるだろう?
ん?これは何を意味しているのかって?
さてね……もう、結構風化しているからね。何の絵かはわからないが…そうさね…
……きっと、これを描いたのは無垢な子供だったんだろうね…
……!ああ、なんでもないよ。話の続きをしようか。
実はね、これが一体誰が描いたものなのかは誰も知らないのだよ。
……そう、この地にずっと住んでいるアイルーたちも知らないのさ。それほど、昔のものなのだよ、この落書きはね。
それでね、この落書きなんだが。嘘か本当かは分からないが、少し面白い話があるのさ。
その話に名前はないのだけどね。名づけるのなら
『灰の少年』、かね。
ーーーーーーーー
ーーねえねえ、みてよ!かあさん!ぼく、おえかきしたんだよ!ーー
年中、雪に覆われる小さな村。
大きなマカライト鉱石がトレードマークのその村で、俺は育った。
俺と母さん以外は全員アイルーで、みんながみんな、俺と母さんを奇異の目で見つめていたのを覚えている。
ーーこれね、これね!ぼくとおねえちゃんに、おかあさんとおとうさん!ーー
アイルーたちとの生活は楽しかった。陽気に歌を歌ったり、かっこつけて周りに野次を飛ばされたり、母さんを口説いた奴が周りにフルボッコにされたり、とにかく楽しかった。
ーーぼくね、おとうさんたちとあうのがゆめなんだ!おかあさんはどうなの?ーー
だけど、だけどそれ以上に。
ーー……おかあさん?なんでないてるの?ーー
それ以上に悲しかった。
ーーごめんね?…なんで?なんであやまるの?ーー
それ以上に辛かった。
ーーわからないよ、かあさんーー
それ以上に憎らしかった。
ーーおしえてくれよ、かあさんーー
そう、それ以上に。
『あなた、そこにいるのですか?』
俺は父を許せなかったんだ。
母さんに会いに来なかった父を。
ーーーーーーーー
「お客さん!もう朝ですニャ!もう起きる時間ですニャ!お客さん!」
ギィ……ギィ……とゆっくりと揺れる木造の船の一室。
天井に吊り下げられている一つのランプ以外に灯りがない、薄暗いその部屋にはーー起こしに来たのだろうかーー茶色い毛並みのアイルーが1匹、ベッドに呼びかけている。
ベッドの中には、鋭利な氷柱を思わせる短い銀の髪を枕に沈ませ、その雪のように白い肌を熱でほのかに赤くした少年が横向きに寝ている。
その顔つきは精悍で、尚且つ人を超越した美貌をしていた。
「お客さん!お客さん!起きてくださいニャ!お客さん!」
「んぁ?」
アイルーはなかなかに苦戦しているのか、ベッドの端を掴んで揺らしながら、寝坊助の少年にモーニングコールを行い続けている。
すると、その努力が功を制したのか、少年はうすらぼんやりとしながらも目を覚ました。血のように紅くも、氷の印象を与える紅玉の瞳が、不機嫌そうに歪んだ細い隙間から世界を覗く。
彼は自分を起こしに来たアイルーの姿を確認し、そこでようやく今が起きる時間帯であることを把握した。
アイルーの方もまた、彼が起きたことに気づいたのか、トコトコと足音を立ててベッドから離れた。
「うっ………ぁ……」
少年の体がベッドの中でもぞりもぞりと動き、時に力つきたように倒れながら、本調子へと戻っていく。
そして、ある程度まで体が動くようになると、一気に上体を起こした。細くも筋肉が引き締まった肉体が惜しげもなく晒される。
短い髪の毛が爆発を起こし、眠そうな瞳がゆっくりと周囲を見渡す。
そして、不思議そうに首を傾げた。
「どこだ、ここ?」
少年がテノールの下の声で、そう言葉を零す。すると、起こしに来ていたアイルーが、おはようございますニャ、と告げてからこう言った。
「もうすぐ、タンジアの港に着きますニャー」
(タンジア?んなとこ、目指してたか……?)
少年は猫の言葉に人差し指を右眉に当て、混乱する。それを数秒間やって、ようやく彼は自分がどこに向かっているのかを思い出した。
(……そうだった。俺は今、モガの村に向かう途中で、港にいるギルドマスターに挨拶に向かうところだったんだ)
頭が本格的に回り出したことに気付きながら、少年は現状の把握を始める。寝ぼけ眼が右へ左へと動き、湿気た個室を彼に見せる。
(ここはタンジア行きの船の中か。全く、“一眠り”してようやく中継地点とは、モガの村というところは随分と遠い場所にあるらしい。……まあ、だからこそ期待もできるんだが)
少年は自分が今どこにいるかを把握。湿気を吸ったシーツを不機嫌げに取り払うと、勢いよく立ち上がった。
「……………」
覚醒を果たした少年の視線がアイルーへと注がれる。生気を感じさせないその視線に、アイルーは一人震え上がった。
「お、おはようございますニャ……」
「…………ああ、おはよう」
恐る恐るといった調子でアイルーは彼に朝の挨拶を行う。それに対し、彼は暫し無言だったが、やがて思考の海から上がってきたのか、ぼそりとだが、返事を行った。
ほっとアイルーは一心地つくも、そんなことは与り知らぬとばかりに少年が動き出す。
彼はベッドの反対側まで行くと、立て掛けてあった、紐で取り出し口を締められた荷物袋に手をつけた。
そして、器用に片手で袋を開けると、覗き込むように中身を確認。一通り揃っていることに満足したのか、一度頷き、今度は両手で袋を閉じた。
「じゃ、行くか」
少年はそう呟き、軽々しく袋を肩にかける。そして、彼を見てビクビクしているアイルーを避けると、扉に手をかけて部屋から出て行った。
部屋に置いて行かれたアイルーは、ぼそりと「怖過ぎるニャ…」と呟いて、シーツの洗濯を始めた。
「………っ!」
廊下に出ると、彼は少しふらついた。ぐらりと体が軽く揺れ、肩の荷物がどさりと落ちる。
(……また、この症状か………)
少年は少しの間呻くも、どうもこの症状に慣れきっているようで、すぐに立ち直した。姿勢はふらつく前よりも真っ直ぐになっており、寝坊助よりも強者の印象を思わせるようになっている。
しかし、そんな彼はまるで休日のおっさんのような溜息を吐きながら、落ちた荷物を拾い直した。荷物の中のものが揺れ動いたのか、振り子のように彼の手の下で動く。
そんな荷物を再び肩にかけると、彼は確かな足取りで廊下を歩き始めた。
その瞳に熱は灯っていなかった。
数分くらい経っただろうか。
向こう側から光が差し込む扉に彼が手をかけた時、船が動きを止めていたのか、壁にかけてあったランプの振れは収まっていた。
ガラスの中の火が小さく揺れ動きながら、少年の姿をぼんやりと照らす。しかし、その光は彼の銀色の髪から放たれる燻んだ光に塗り潰された。
まるで薄曇りに覆われた冬の空のようだった。
少年は扉を軽く押し、光の中へと歩を進める。さっきまで暗闇を歩いていたせいで闇に慣れた目が、眩しげに細められる。
そして、少年は新世界に足を踏み入れた。
「ここが……」
船はもうとっくの昔に港に着いていた。荷物を出し入れする船員たちの怒号と、客人たちの喧騒が船の周囲を活気に染め上げる。
その騒音の大合唱に、少年は煩しげに顔を歪めた。彼の超人的な聴覚が、通常よりも遥かに大きな音として騒音を拾ったのだ。
外の煩さに苦しげにしながらも少年は目を見開く。その瞬間、彼の瞳が驚愕に彩られる。
彼が旅をした最中に幾度も経験した常夏の日差し、町並みを歩くその地に暮らす浅黒い肌をした人々、彼が知らない数々の特産品を並べた商店街、海から伸びて天にそびえる幾つもの岩石の柱、彼が載っていた船以外の船舶たち。
幾つかは見覚えはあるものの、総合的には初めて経験した世界に、彼は感嘆の息をこぼす。
少年はその圧巻の光景に思わず、数歩後退する。
後ろにいた船員の一人と勢いよくぶつかるも、彼はふらつきもせず、逆に彼の背後にいた船員たちがドミノ倒しのように転けていった。
が、気づいていないのか、そんなこと気にした様子もなく地上へと降りていく。後ろで倒れている人たちは見事に折り重なっていた。
(さて、タンジアに到着したわけだが……どこへ向かえばいいのか…)
港の大地へと足を踏み入れたとき、彼はそんなことを思った。彼はこの土地を知らないので当然ではあるのだが、些か無防備に過ぎる反応である。あるいは“警戒する必要がない”と判断しているのか。
彼は船から少し離れると、周囲をくるりと見回し、なるほど確かに大きいなと、一人納得した。どうやら、評判通りであることに満足したようだ。
そして同時に、重大なことに気づいた。
どこを通ればギルドに行けるのか分からないということに。
彼は暫し困惑した後、適当にうろつくことに決定した。歩けば見つかるだろう理論である。彼は脳筋であった。
彼は歩くのを再開し、橋を渡った。なんとなく酒の強い匂いがする方へ向かおうと思ったのだろう。それで正解を引くのはさすがである。
ーーーーーーーー
「ここは、酒場……か?」
彼が到着したのは、いわゆる集団酒場と呼ばれる場所だった。雲ひとつない空に、太陽が爛々と輝いている。
彼から左側にはくつぐつと揺れる、でかい鍋を屋根に乗せた屋台が一つ。さらに左側には飲んだくれが一人倒れている。
右には三人の女性に真昼間から酒を飲んでいる龍人族の老人が一人いるカウンター。さらに右には一人女がはぶられて、別のカウンターに座っている。
中央の広場には、狩りを終えたらしきハンターたちが談笑をしている。
(ドンドルマとは雰囲気が違うが……この暑い気候に合わせて開放的になっているんだろう。あそこは寒いからな、その逆ってわけだ)
彼はここに来る前に住んでいた街、ドンドルマに想いを馳せる。彼からの印象では、一年の半分が寒く、それ以外の月でもそんなに気温が高くならない灰色の街だが、それでも何か思うところはあるのだろう。
彼は暫し目を瞑り沈黙すると、現実に戻ってきたのか、瞳を開いてカウンターへと歩き始めた。
「こんにちは。今日は快晴だな。あんたがギルドマスターか?」
老人の前に立つと、彼はまず挨拶をした。長い年月をかけて人間界の常識を学んだ彼は、いざこざを起こさないための処世術も学んでいた。
彼は続けて本題の前の確認を取る。彼は根本的に他者が嫌いである。それゆえに、他人との会話も必要最低限で済まそうとするのだ。
老人は彼の言葉に酒を飲む手を止める。そして、彼へと視線を向けた。
「うんむ?おお。よう来たのぅ!いかにも、ワシがここのハンターズギルドを仕切るカシラじゃ!で、ワシに用があるということは、ハンター登録をしたいのか?」
老人は彼の姿を確認すると、豪胆で快活な笑みを浮かべた。彼の持つ酒が上機嫌に揺れる。
彼もまた、お目当の人物を見つけたことで小さくニヤリと笑う。隠されていた長い犬歯が覗いた。
「ああ、そうだ。頼めるか?」
「いいに決まっとる!さあ、この書類にハンター登録名を書けぃ!」
野生染みた空気を醸し出し、肯定する彼に対し、老人は一枚の書類を手渡した。
「これでいいか?」
「さあ、これでお前さんはこの街のハンターじゃ!その名に恥じぬ活躍を期待しとるぞぃ!新米ハンター日誌、『進め栄光への道』始まりじゃ!」
「ああ、じゃあな爺さん」
紙に必要事項を書き、返す少年。紙には『グレイ』と書かれていた。老人はそれを確認すると、そばの机に置く。そして、酒を振り回して彼の門出を祝った。
少年は背を翻し、来た道を戻り始める。空は未だに青く、しかし鳥は一匹たりとて飛んでいなかった。
その後、彼は予定通りにタンジア行きよりかは幾分か小さいモガ村行きの舟に乗った。
船は比較的に丈夫な構造で、船乗りたちの速度と強度のどちらを取るかの苦悩が滲み出ていた。
彼は船の縁に両腕を乗せ、海に視線を投げかけて思考を渦へと放り込んでいた。
(暇だ。寝るには短く、起きているには長い中途半端な時間というのが、こんなにも厄介だとは。飛べればいいのだが、そんなことをすれば俺が竜人じゃないことがバレる。そうなったら、折角の情報源を利用できねえ。やるのは馬鹿らしいな)
彼は視線を後ろに向ける。乗組員の一人がバタバタとどこかへ走り去って行った。
(乗員の話じゃあ、タンジアからモガまでは半日掛かるらしい。つまり、到着する時間帯は夜で確定なんだと。夜は肉食系のモンスターたちが凶暴化する時間帯なんで、それまでには着いて欲しかったんだが……。まあ、船での最速コースを選んだ俺にも問題があるので、文句は言わないでおこう。彼らもわかっている事だろうしな)
彼は呑気にあくびを垂らす。燦々と照りつける太陽の下、カモメの声がやたらとうるさかった。
ーーーーーーーー
時刻は夜の8時頃。
モガの村に到着した彼は、早速この村の村長と思しき人物と対峙していた。その人物は、褐色で半裸の椅子に親父座りしているおっさんだったが、何かを感じ取ったのであろうグレイは目を細め、静かに爪を立てていた。
男性もそれ気づいたのか、身体を動かしやすいように適度に力を抜いていた。どう見ても、戦闘一歩手前だ。
二人は静かに睨み合う。やがてグレイが息を吐き、担いでいた荷物入れから一枚の書類を手渡した。老人も動揺を隠しつつ、それを受け取る。
「初めまして。ドンドルマから派遣されてきたグレイだ。明日からモガの村専属ハンターとなる。村の異常を取り除くまでの短い間になると思うが、よろしく頼むぜ」
老人が近くのカウンターからカンテラを拝借し、字を読んでいる最中、グレイは自己紹介を行う。老人は書類が偽物ではないことに納得したのか「うむ」と一回頷いた。
老人はおもむろに立ち上がると、右手を差し出してくる。彼も何のためらいもなく右手を差し出し、握手をした。
「よく来てくれた。わしがこのモガ村の村長だ。早速話をしたいところだが……」
手が硬く握り交わされ、老人から自己紹介される。そして、少し困った顔をしてーー
「今日はもう遅い。ここから右に行ったところに、石の階段がある。そのたもとにお前さんのための家が用意してあるから、そこで一晩明かしてくれ。残りは明日に回そう」
疲れを隠した、落ち着いた声色でそう言ってきた。
グレイも「確かにそうだ」と思い、村長の意見に賛同する。そして、「お休み」と告げて用意された家へと向かった。
ギィギィと音を立てて、木の板が凹み戻る。水面の真上を歩き、高台のそばへと向かう。彼は暗闇が見えているのか、踏み外すこともなく目的の家へと到着した。
家は周囲のと同じく、木でできていた。扉はなく、防音とか全く存在しない、涼しさのみを追求した構造をしている。
「独り言とかできねえな、これ」
余りの無防備さに、彼は顔を歪ませ感想を述べた。彼は少し悩んだ後、扉代わりの布を通り過ぎ、中へと入る。
内部もまた涼しさ全開で、向こう側に海が広がっていたのが見えた。さらには、床からも海が見える。家の機能がギリギリ残る領域にまで通風性を上げたその家に、彼は更に顔を歪ませた。
追い打ちに、物がまるでなかった。置いてあるのは、装備箱に何も載っていないテーブルが一つ。あとはベッドが一つ。そして、寝ているアイルーが1匹。本当に何もない。
彼は腕を組み、悩む。そしてーー
「まあ、後々に増やせばいいか」
と、決着をつけた。彼は袋から荷物を取り出し、装備箱に放り込む。それが終わると、ベッドに仰向けに寝転がった。
ベッドの寝心地はそれなりと言ったところで、寝苦しくはない。柔らかすぎるというわけではなく、硬いというわけでもなし。湿気もそんなに感じられず、ただ涼しい。風の通りがいいせいだろう。
彼は何とは無しに、ぼんやりと天井を見る。天井には木製のプロペラがくるくると回っている。
彼は、彼の基準での少し昔のことを思い出す。彼がこの文明に紛れ込む前の時期。眠りにつくことで、大自然の中に溶け込んでいた頃を。
あのときもまた、空はこんな風にくるくると回っていた。時間をかけて、ゆっくりゆっくりと。彼からしたらだいぶ短いけれども、それでも人間からしたら長い時間をかけて。
もちろん、同じ姿ばかりというわけではなかった。数百年前にはなかった星の姿を見たことも、月の位置が微妙に変わっていたこともあった。太陽がひときわ眩しい時期があったことも覚えている。そして、彼の周囲にそびえる自然の姿が移り変わっていくのも。
知らない生き物、知っている生き物、知らない生活、知っている生活、知らない地形、知っている地形。
時に目覚めて、すぐに眠ってを繰り返して、彼はそれを眺め続けた。
何に出会うわけでもなく、何かに熱中することもなく、まるで転げ落ちるかのようにころころころころと移り変わっていくその姿に、孤独感を抱きながら。
彼は何とも言えない気持ちになって目を閉じる。
潮騒の音が聞こえる。旅の最中、時折耳たぶを叩いたその音が、子守唄のように彼の意識を蕩かしていく。
そうやって意識を薄れさせていく中、彼はーー
ーー母の笑顔を思い出した。
ーーーーーーーー
ーーお……い、おー……ーー
誰かの呼ぶ声が家に響く。太い声だ。まず間違いなく、女ではない。
彼は煩わしげに寝返りを打ち、手を耳の上に置く。そして、眠りの谷に落ちようとしてーー
「いや、起きろよ」
己へのツッコミと同時に、目覚めた。彼は勢いよく上体を起こすと、ベッドから降りる。
近くで様子を伺っていたアイルーに気づくと、軽く挨拶をした。アイルーが頭を下げたのを確認すると、装備箱へと足を運んだ。
蓋が開かれ、内部の様子が伺えるようになる。彼はその中から昨夜に放り込んだ荷物がなくなってないかを確認すると、装備を取り出して装着を始めた。
箱の中身に入っていたのは、レザー装備だった。素肌を隠す全身鎧を、彼は嫌そうな顔をしつつ着込んで行く。
それが終わると、一回蓋を閉じ、再び箱を漁り始めた。彼は目的のものを見つけたのか、箱から大きな何かを引きずり出す。
それは骨でできた大剣だった。彼はそれに満足げに頷くと、背中にそれを取り付けた。
後ろからアイルーの称賛の声が彼の耳に入る。少し煩わしげにしながら、彼はそれをあしらい、家を出た。
家の外はとっくに朝になっていた。日はすでに昇りきり、村人たちも今日一日を充実させようと村を往来していた。
彼は「この村はこういった生活をするのか」と感想を抱き、一歩踏み出す。
その瞬間、村が土台から揺れた。激しい揺れで、まともに立つことすらできない。
彼はほぼ条件反射的に身を屈め、四足で姿勢を安定させる。そして、何が原因なのかを知るために辺りを見渡す。
揺れは何度か訪れた後、静まった。原因を特定できなかったことに彼は苛立たしげに舌打ちした。
「ハッ、なるほどな。これがこの村を襲う異常か」
立ち上がりつつ、屈辱に顔を歪めた彼はそう告げる。彼はどれほどの大物が相手なのか想像しながら、昨夜に村長が座っていた場所へと向かった。
彼が背を柱に預けた姿勢で少し待っていると、村長たちが集まってきた。村長はグレイがいることに気づくと、顔を引き締める。
「おはようさん、グレイ殿。昨晩はよく眠れたかな?」
「ああ、よく眠れたぜ。しかし、この村は随分と大掛かりな目覚ましを導入してるんだな。寝坊助対策か?」
「それで済めば、かわいいものだ。とにかく、無事で何よりだ。改めて自己紹介をしよう。儂が、このモガの村の村長だ。これから当分の間、よろしく頼むぞ!」
一通りの挨拶を交わした後、二人は再び握手を行う。グレイの纏う鎧が硬質な音を鳴らした。
「さて。この村は、森と海がもたらしてくれる、豊かな恵みのもとに成り立っておる」
「ああ、それは遠くから見てもわかった。陸生と水生が共存できる稀有な地であることもな」
グレイの言葉に、村長はひとつ頷いた。彼は続けて語り出す。
「ここで暮らしていると、誰もがいつの間にか頑健な体と大きな心の持ち主になれる。それが村の自慢でな」
村長はそこで一旦言葉を切った。彼は悩ましげに眉をひそめ、再び語る。
「だが。実は今、このモガの村は、一つの大きな悩みを抱えておるのだ」
「あの揺れか?」
「いや、そっちではない」
「は?」
村長の言葉に、グレイは先ほど起こった出来事を思い起こしつつ口を出す。だが、村長はそれに対して首を振った。理解できない現象に、グレイは顔をしかめる。
それに対して、村長は「まあ、聞いてくれ」と告げた。
「周辺の海域に、強力な周辺モンスターであるラギアクルスが姿を見せ始めた」
「ラギアクルス?」
「うむ。ラギアクルスは、村人たちの暮らしを支える狩猟船をも容赦なく襲ってきよる。今では、おちおち船にも出られん有様でな」
村長の言葉に、グレイは耳を傾ける。そのラギアクルスがどういう姿をしているのか、どういう力を持っているのかを想像しながら。
「しかも最近では、さっきのような、原因不明の地鳴りも続いておる。どうもこの地鳴りは、海の底から聞こえてくるようなのだが……」
「で、どうしろと?」
「ラギアクルスの討伐、と言いたいところだがな。いきなりそれは辛かろう。とりあえず、儂のせがれに会ってやってもらえぬか。昨日は会えんかっただろう?」
村長の言葉に、グレイは頷く。彼は背を翻すと、歩き出した。
「わかった。じゃ、ちょっと探してくる」
「うむ」
彼は顔だけ村長に向け、手を軽く振る。村長もそれに頷くと、ハッとしたような顔をして、急いで立ち上がった。
「ちょっと待ってくれ。約束の手付金を忘れておった。少ないが、これで身支度を整えられい」
「……はぁ」
慌てた様子の村長に、彼は呆れのため息を吐く。そして、村長のそばに戻り、金銭が入った袋を受け取った。
「契約は行われた。この地震の原因とラギアクルスの双方の討伐までは、この村のハンターでいてやるよ」
「よろしく頼んだぞ、現役ハンターよ」
村長の薫陶を背に、グレイは村を歩き始める。朝日が眩しく陸と海を照らしていた。
「おい、そこのお前」
村を歩いてすぐ、近場を歩いていた赤い服を着た少女にグレイは声をかけた。
「はい。あなたが、最近噂のハンターさんですよね」
「お、おう」(噂?)
少女はグレイを視認すると、すぐに両手を叩いた。グレイは彼女の告げた言葉の一部に引っかかりを覚え、少し困惑した。
「初めまして。私が、この村の看板娘を担当していますアイシャです。これからは、私がハンターズギルドとのやり取りを担当することになります。どうぞよろしくお願いしますね!」
「あ、ああ」
アイシャと名乗る少女のテンションについてこれず、目を点にし続けるグレイ。狂犬じみた雰囲気は何処へやら、純朴な雰囲気が彼を包んでいる。
それを勘違いしたらしい。アイシャは彼の方へと腰を曲げ、覗き込むようにしながら、肩指をビッと上げた。
「あ、もしかしてギルドが何なのかご存じないんですか?じゃあ、教えますね。ギルドっていうのは、ハンターに仕事を紹介してくれる組織のこと。ハンターさんは普通ここに登録しています。で。私みたいな仲介役がいれば、大陸中のどんな場所にだって、ものすごい速さで依頼が届けられちゃうって寸法なのです!」
自信満々に、彼に対して捲したてるアイシャ。グレイは少し後ずさりした。
アイシャの話は止まらない。
「だから、ハンターさんが来てすぐ仕事を始められるよう、私が依頼を回してくださいって前もってお願いしておいたんです。なのに……」
グレイが立て直してきた頃、アイシャは少し顔を俯かせた。悲しげ、というよりも怒りに震えているかのような。
「音沙汰なし、ですね!!」
そして勢いよく顔を上げ、アイシャはヤケクソ気味に笑みを浮かべてそう告げた。
グレイはもう理解を放棄した。
「ここへ来る途中で気づいたでしょうけれど、このモガの村って、大きな街やお城からす〜っごく遠いんですよね。いつになったら連絡が来るのやら。てな訳で、しばらくは開店休業状態。その間で、まずは村に慣れてみてください」
「ああ。で、村長のせがれってのはどこにいる?」
やれやれ顔で両手を挙げ、首を振るアイシャに、話を流し聞きしていたグレイがせがれの行方を問う。
アイシャはそれに対して、口元に手を当てて思い起こし始めた。
「息子さんなら、確か少し前にモガの森へ出かけて行きましたよ。モガの森へは、あっちの武具工房の横の桟橋から出られます」
「おう、ありがとうな」
「どういたしまして」
高台の方へと腕を向けるアイシャに、グレイは礼を告げる。そして半ば逃げるように立ち去った。
アイシャはその背姿を、大きく腕を振って見送った。
そのあとも、彼は村に住む人々と挨拶を交わした。誰も彼もが明るく愉快な性格をしているせいで、冬のように根本が暗いグレイが疲労に陥ったのは余談というものだろう。