一人俯く傷だらけの男。
周囲を囲うは折れた刃達。
何も映さない虚ろな瞳。
深々と降り注ぐ雨がその身を錆びさせる。
唯朽ちる事を待つ。
「あぁ……面倒だ」
零れ落ちた言の葉は誰にも届かない。
弾む心情を表すように髪が舞う。ぴょこんぴょこんと跳ねまわる。軽快な足音が音色を刻む。
目的のものを見つけたのか音色が早まった。音の間隔が加速度的に狭まっていく。
「おぉー、喜助! ここにおったか!」
言うが早いか、声の主が飛び掛かる。声をかけられた相手は反応する間もなく床に組み伏せられていた。
床と額を打ち付ける鈍い音。床との間から漏れるうめき声がその痛みを物語る。
「い、つつ……夜一さん、跳びかかるのはやめてくださいって言いましたよね?」
「なんじゃ喜助。情けない声を出しおってからに」
「いやあのね夜一さん。急に背後から跳びかかられたらボクにはどうしようもないですよ」
「嘆かわしい。全くもって嘆かわしいのぅ、喜助」
言葉の内容と裏腹に声色は喜色に染まっていた。溢れ出る好奇心が隠しきれていない様子に押し倒された男、喜助は苦笑いを漏らすほかなかった。
漏れだしそうになったため息を呑み込んで喜助は声の主たる女性、夜一へ意識を向ける。
「それで、夜一さん」
「どうかしたのか、喜助?」
どうしたと問い掛けながらも、夜一が浮かべる表情は言葉に出すまでもなく語っていた。
聞け。雄弁に語る瞳が他の選択肢を無情にも潰していた。
「……まったく。何か良い事でも合ったんですか、夜一さん?」
「何じゃ、気になるのか喜助? 仕方ないから教えてやろう」
「ハイハイ。じゃあ聞くんで上から降りてくれませんかね?」
「ノリが悪いのぉ。まぁ、よかろう」
言うが早いか夜一はいそいそと喜助の上から降りる。気まぐれな猫のような夜一の姿に喜助は苦笑しっぱなしであった。
「で、何があったんスか?」
「花枯での話を聞いておるか?」
夜一の問いかけに喜助は想いたる節があったのか、視線を僅かに細めて返答の代わりとした。
簡潔な反応が好ましかったのか夜一の口角が持ち上がる。
「ほぅ、耳に入っておったか」
「まぁ、これでも耳ざとい方ですからね」
「かかっ、そうかそうか」
「刀狩……の事ですかね?」
「うむ、そうじゃ」
「ボクに声をかけたって事は
隠密機動第三分隊・檻理隊の長を務める自分に声をかけたという事はそうなのだろうか。そのように考えた喜助が確認のために夜一へと問いかける。
いずれ起こそうと思っている研究機関の人員になれそうな人物だと喜ばしくはある。けれども耳に届く噂から判断するにそれは無さそうだとも思っていた。
「違うぞ。そも死神ですらない」
だから即答で夜一に否定された喜助は一瞬呆けた。
「それなら何でボクに話を持ってきたんすか?」
「うん? お前もつれてこうと思っただけじゃ。一人で行くのもつまらんからのう。そうは思わんか?」
「……あのねぇ、夜一さん」
「ほれほれ、喜助。さっさと準備せい」
それだけ言うと夜一はその場から瞬歩で姿を消す。持ち上げた喜助の手が行き先を失い宙を彷徨うが、どこかにたどり着くことはなかった。やれやれと言いたげなため息の後、彷徨った手は自らの後頭部をがしがしと搔く。
ふと気が付くと身体を打ち付けていた雨が止んでいる。腰元に付けている白の遺髪に手が伸びる。さらさらとした手触りが指先から伝わる。意識せずとも自らの身体を雨よけの傘にしていた。
「どうしてだろうな……どうして俺だけなんだろうな」
気が付けば泣き言を漏らしていた。そんなつもりは無かった。だというのに漏れた泣き言が思ったより自らは打ちひしがれていた事を自覚させる。見上げた雨上がりの空は嫌になるほど眩しかった。
弱くなったと思う。島にいたころの刀であった自分ならばきっとこんなことは無かった。人らしさを貰って弱くなった。けれど自分はそれを捨てられない。そして自分はそれを捨てたくない。姉から貰った大切なもの。
「これも全部アンタが関係してるのかね、四季崎記紀……何て言うのは八つ当たりだな」
戯言が過ぎる。毛先を指でくるりくるりと遊ばせる。その行為に旅をしていた時は何度も彼女の髪を巻き付けていたなと思い出す。あまりにも当時の自分は人を見分けられていなかったと苦笑した。色や手触りに匂い。終いには舐めもしたと。くつくつと思い出し笑いが漏れる。
「まったく……そっとしておいてくれればそれで良いんだがなぁ」
傷だらけの男の視線が空から戻る。辺りには折れた刃達が鎮座していた。遠くから近づいている気配の主に視線を向ける。ここに来てから感じられるようになった不思議な気配。強そうな気配。
「面倒だ」
何時しか使わなくなっていた口癖。そして彼女に貰った口癖はもはや使うことは無いだろう。所有者が居ない刀は振られることは無い。あとは錆びつくのを待つだけだ。そっとしておいて欲しいと願ってしまう。
「会えると思ったんだがなぁ――とがめ」
誰に届く事もなく言の葉は空気に溶けた。
夜一の先導のもとに二人は目的地へと向かっていた。
「で、夜一さん?」
「何じゃ、喜助よ?」
にやにやと笑みを浮かべ、瞳を嗜虐的に輝かせていた。これくらいのじゃれつきならば可愛いものだ。わざと機嫌を損ねても得することは無い。
「もう苛めないでくださいよ。わざわざ夜一さんが出張る程度には興味をもったきっかけがあるんでしょう? 道中の話題を提供してくださいよ」
「珍しく素直じゃな。まぁ、良かろう。何でものう、此度の騒がせ人は白打の達人らしいぞ」
「白打ですか。手合わせでもするんで?」
「さてどうであろうな。まずはその者を見てからではないとなんともなぁ」
くつくつと喉を鳴らしながら夜一が笑う。どうであろうと言いながらも好奇心を覗かせる瞳が何もなく終わるなどという楽観視をさせてくれない。けれどもそれを楽しんでいる自分も似た者同士なのだろうと喜助も笑った。
「さもありませんねぇ。それで刀狩さんでしたっけ? どんな噂なんですか?」
「なんだお主、聞き及んでおる風であったではないか?」
「流魂街にそう呼ばれている人が居るって事とほんの少しくらいの話しか聞いてやせんよ、ボクは」
「なるほどのう。ならばちと儂が知っている事を話すとするか」
そうして夜一が語り出す。刀狩と仇名された男の話を。
事の始まりは流魂街の六十二地区・花枯に現れた虚の知らせ。特筆するほどの異常性などは無かった。故に、席官を含む数名の隊士が討伐へと向かった。時間さえ過ぎ去れば記録の一つとして記される程度の事件。けれど噂が発生したという事はそれで終わらなかったことを意味している。隊士達が情報の場所へとたどりついても虚は居なかった。否。たどり着いた時には虚は討伐されていた。
のちの集めた情報によれば、出現した虚は現れてすぐにその男の元へと向かったという。わき目もふらずに一直線に。だからこそ周囲へは被害が出なかったとも言えた。虚が目指した理由は単純明快。男の発する気配が美味そうだった。たったそれだけであったが、本能の強い虚には十分な理由でもあった。
そして虚は討伐された。たどり着いた先にいた男に斬殺された。一刀のもとに斬り捨てられた。たどり着いた隊士達が視た光景は空き地の中心に座している男であった。
一人の隊士が問うた。「ここに来た虚は何処へ行った」
男は答えた。「あの襲い掛かってきた獣の事なら斬り捨てた」
さらに隊士は問いを重ねた。「斬り捨てた? 刀も持たずに何を言う」
男は気だるげに言った。「刀が無いように見えるかい? ならそうなんだろう」
その男の様子があまりにも面倒臭そうで、そして自分達を一瞥もしない態度に隊士の一人が憤った。真央霊術院出の者が時折持つ矜持の高さをそのものは持っていた。
「我々死神を謀るつもりか? 誰のおかげで流魂街が平和だと思っている。早々に態度を改めろ」
そう声高に一人の隊士がのたまった。そして他の隊士達も見知らぬ男一人の印象より、今後も付き合う同僚との関係を鑑みて強く静止はしなかった。
男は隊士の言葉に何を思ったのかは分からない。けれどもそう深い事は考えてなかったのではないだろうか。
「信じる信じないはそっちの勝手だ。もう面倒だから絡まないでくれ。嘘だと思うのなら辺りを探せばいいし、それでいないならいないで良いじゃないか?」
肥大化していた矜持を爆発させるには十分であったのだろう。憤っていた隊士は浅打を抜いて切りかかった。腐っても護廷の隊士。流石に殺害の意思までは無かった。軽く斬りつけて身の程を教えてやろうと言う程度の傲慢さ。されどそれが彼を救ったのも間違いない話。殺意をもっていれば彼は殺されていたのだから。
隊士が抜刀した瞬間に男は構えを取った。突き出された浅打を両の手で挟み一瞬でへし折る。隊士が呆気にとられている間に蹴りの一閃で昏倒させた。
後はどのようなやり取りがあったかは定かではないが、事が荒立ってしまってなし崩し的に事態は悪化。行きついた先は隊士全員が刀を折られて気絶させられた。
「なるほどなるほど。それで刀狩と」
「まぁ安直であるが分かりやすくはあるかのう」
蓋を開けてみれば死神の醜聞とも言えそうな話であった。喜助の内心としては初代剣八のような大罪人ではないので一安心といった所。
「それで下位とはいえ席を与えられる隊士もいたのにその結果じゃ。剣士では相性が悪かろうと隠密機動に話が来ての」
「その結果、面白そうだからと夜一さんが案件をかっぱらってきたと」
「人聞きの悪い言い方をするでない、喜助。儂自らが率先して仕事をしておるのじゃよ」
仕事をするなどと嘯く友人の面の皮の厚さに流石の喜助も感心した。普段どれだけ脱走して皆を困らせているのか自覚をしているのだろうかと。
「それならそれでいいですよ。ボクは後ろの方で見てますから夜一さんがお好きにしてくださいな」
「枯れておるんじゃないか、お主。儂の代わりに切りかかっても良いのだぞ?」
「勘弁してくださいよ」
疲れることはごめんですと喜助は両腕を上げて否を示した。夜一が喜助の態度に一度つまらぬと鼻を鳴らして足を止めた。喜助も夜一に倣い止まる。二人の視線の先には先ほどまでの話題の男。折れた刃に囲まれて無気力さを纏っている傷だらけの男が一人。
「存外普通の見た目じゃな」
「どんなのを期待してたんですか?」
「門番位の厳ついのだと面白いと思わんか?」
「そうは思いませんね」
喜助の言葉に再びつまらんと夜一が不満を漏らした。
「なぁもう勘弁してくれないか。別段俺はあんた達に敵意がある訳じゃない。そっとしておいて欲しいだけだ」
男は喜助と夜一、二人の雰囲気が殺伐としていない事を理解すると言葉を投げかける。互いへ向けていた視線を二人が再度男へと向ける。それは見極めるように、観察するように、真剣さを帯びた視線。
夜一は男を見て面白いと感じた。周りに突き立つ折れた刃の影響か、男が一本の刀のように思えた。持ち手もおらず朽ちる事を待つ寂しい刀に。研ぎ澄まされているのに錆びついている。輝きと退廃を混在させている姿が美しく映った。だからだろう、夜一は男に問い掛けたのは。
「お主、寄る辺がないのか」
「あぁ、そうだな。でも俺は別にここでも構わないよ」
「ふむ。だが
一人楽しげに夜一はいう。なるほどなるほどと納得を示し、ふむふむと興味深げに頭を揺らす。
「ならばお主、儂の手元へ来い」
夜一の言に男が僅かに瞳を見開く。隣の喜助は唐突な夜一の物言いに始まったと言いたげに僅かに距離を離して見守る体勢に入る。
男が再び口を開く。虚ろさしかなかった瞳がほんの小さな光ではあるが興味を宿していた。
「あんたが俺を所有すると?」
「そうだ」
「それじゃあアンタは何をもって俺を動かす?」
男は夜一へ問い掛ける。何を用いると。男の指先が腰元の遺髪を優しくなでる。
「ふむ、そうじゃな。まず金ではない。ここでも良いと申すぬしが金で動くとは思わぬ」
――金で動く者は駄目だ
最愛の者との想い出が重なる。
「次に名誉じゃ。儂はこう見えても中々に偉い家の出だが先ほどと同じ理由で名誉で動くとは思わぬ」
――名誉で動く者も駄目だ
煮え湯を飲まされたと腹を立てていた彼女と目の前の楽しげな女性が僅かに重なる。
「故に儂は愛をもってぬしを動かそう。ぬしを家族のように愛し慈しもう。だから儂と共に来て愛でられよ」
――お主、私に惚れても良いぞ
障子紙一枚ほどのひ弱さだと豪語する彼女と、活力に満ち満ちた目の前の女性。肌の色も体格も雰囲気の一つも似ていない。それなのに似ていると感じてしまう事の不思議さに男は笑った。このよく分からない世界に迷い込んでから初めて男は心の底からの笑みをこぼした。
「その様子から察するに是と言う事でいいのかのう」
「あぁ、俺はアンタの手元に行くとするよ。俺はアンタの刀になろう」
男の返答に夜一は大仰に頷き満足だと示す。男は思う。一つ似ている所を見つけたと。自分を振り回す自由奔放っぷりがそっくりだった。
「刀になるか、それもまた面白い。ではまず大事なことだ。お主の名を聞こう」
そこまでいって互いに名さえ知らぬことに初めて意識がいった。そして同時に考える。どうせならば少しばかりかっこ付けた名乗りでもしようと。昔、旅の同行者から「お主は個性が弱い」と言われた事があった。過去に出会ったまにわに程の個性的な物は無理でも最初くらいだ気取ってみるかと男は口元を綻ばせた。
「四季崎記紀が作りし刀が一振り、完了形変体刀『虚刀・鑢』にして虚刀流七代目当主・鑢七花。これより俺はアンタの刀となってアンタを守ろう」
そうして錆びつくのを待つだけであった刀は一匹の猫に拾われた。
夜一さんの斬魄刀ってついぞ描かれなかったなと思って刀を傍らに添えてみました。