「どういうつもりだ、鑢七実。お前は虚夜宮にあるお前用の離宮で大人しくしていると藍染様と約定を結んでいたはずだ」
「あら、あなたは確か……誰だったかしら。まにわにみたいに十人だったか、十二人だったかのくくりにいた人、だったかしら?」
七実が現れた直後、最初に動いた者はもっとも近くにいたウルキオラだ。口から出た言葉は糾弾混じりのものであった。
「
「そうそう、十刃。一人一人を一本に例えているけれど、私から見れば誰も彼もが自己が強すぎて、刀としては不適格なのよね。そういう意味では、貴方だけは刀らしいと言えるのかもしれないけれど。なんて言ってみるけど、実は貴方達のことはほとんど知らないのですよね」
「そんな話はどうでもいい。もう一度聞く。何故ここにいる、鑢七実」
「ここにいる理由? 貴方達が現世へ行くと小耳に挟んだからついて来ただけ。なんだかんだと現世にも尸魂界とやらにも、私は一度としてまともに出向いたことがなかったのよね。一度くらいは自分の目で、直接見ておこうかしらという物見遊山よ。それに約定といっても絶対に出るなと言う強制力があるものでなし、私の散歩は許されていたと記憶しているのだけれど?」
「たしかにお前の外出は許されている。十刃の誰かが付き添いにつくという形で、だがな。付き添いはどうした」
ウルキオラの問いに対し、七実は口角を吊り上げ笑う。嘲笑う。
「随分と足が遅いようでしたので、置いてきてしまいました。今頃私を探しているかもしれないですね」
ウルキオラは七実の言葉にわずかに顔をしかめた。十刃が一人欠けるという事態にならなかったのは幸いだ。だが、七花と鉢合わせてしまったのは非常にまずい。
仮に七実がここで目的を達してしまえば、もはやこの怪物を縛る物が何一つなくなってしまうことを意味している。そうなれば自らの主である藍染にとっては大きな障害となり得る。
(場合によっては最悪、
ウルキオラは即座に最悪を見据え、自身がどう立ち回るべきかを思案する。
「それでどいてくださるかしら? 貴方のせいで弟が隠れてしまっているのだけれど」
「……そうか」
わずかな逡巡の後、ウルキオラは静かに七実の前から退いた。七実の視線が再び周囲を見渡せるように開かれる。
傍らで成り行きを見守っていたヤミーの側へと、七実から距離を取るようにウルキオラは移動する。近づいてきたウルキオラにヤミーは珍しく声を潜めて問いかけた。
「おいウルキオラ、良いのか」
「何がだ」
「アレに好き勝手させることに決まってんだろ」
「ここに来てしまった以上どうにもならん。俺達は鑢七実の前での戦闘行為を禁止されている。これでは実力行使も出来はすまい」
「ちっ、めんどくせぇ。なんだって藍染様はそんな命令を絶対遵守しろなんて決めたんだか。まるで分からねぇ」
「そうか、お前は聞かされていないのか。ならよく見ておくと良い。藍染様がこの世界における唯一の異常分子と判断した女だ」
危険ではなく異常。それは七実という存在に当てはめる言葉としては、少なくない真実を含んでいた。それだけではない。だが、それも確かに当てはまる。
「ふふ、死んでからも七花に会えるなんて不思議ね。本当に良い夢を見ているみたい。あぁ、でも七花からしたら悪い夢かしら」
「姉ちゃん……」
姉の振る舞いがあまりにも普通すぎて、七花は言葉を探しあぐねていた。姉の態度があまりに普通で、困惑してしまう。姉の最期の言葉が頭を過ぎ去る。けれどもそれを微塵も感じさせない。それが酷くいびつに思えて、言葉が見つけられない。
「姉ちゃんは……恨んでるんじゃないのか」
「恨む? 何を恨むというの」
「俺が姉ちゃんを殺したことを」
「変なことを言う子ね。そんなことで七花を恨んだりしないわよ」
「でも姉ちゃんは、あの時確かに言った筈だ」
七花の言葉に、七実は記憶を思い返すようにほんのわずかに思案する。そのなんでもない仕草が、島での暮らしを思い起こさせる。記憶の中の姉と何も変わらない、鑢七実がそこにいた。
「そうだったかしら。私はよくぞと言ったような気がするけれど。噛んじゃったかしら」
「噛んじゃったって姉ちゃん、それは流石にあんまりじゃないか……」
「まぁ、どちらでも構わないのじゃないかしら。よくぞにしろ。よくもにしろ。そんなこと、ずっと昔の話で今こうして二人してここにいる。そちらの方がよっぽど前向きじゃないかしら」
どちらでも構わない。昔のことだからもはや考えても仕方ないのか。もしくは文字通りどちらでも構わない、つまりは両方ともが本心であるのか。もしくは別の理由か。七実が答えない以上、それは誰にも分からない。
「それにしても」
七実が話を変えるように言葉を切り出す。けれどもすぐには続きを話さず、ため息を一つ吐く。その様は妙に艶めかしく、憂いた雰囲気はとても似合っていた。
「生きていた頃もとい、死んでいっていた頃は早く死にたいなんて考えていたけれど、死んでもこうして自己として在り続けるのなら、人生に意味なんてあったのかしら。七花も、父さんも、とがめさんも、まにわにも、そして私も、何のために生きて殺して死んだのかしら。七花はどう思う?」
「そんなの俺に言われたってわからねぇよ。俺は姉ちゃんみたいに頭が良くないの知ってるだろ。けど意味なんて考えたって仕方なくないか。生きてるうちに、死んだ後のことを考えたって仕方ない。なら死んだ後に、生きていた頃のことを考えたって仕方ないだろ。後悔だってそりゃ沢山あるけど、それで今が何か変わるわけじゃない。少なくとも生きてた時の俺は精一杯生きていたし、死んだ後の今だって精一杯死んでいるさ」
七花の返答に七実は笑みを浮かべた。それは嘲笑うような笑みではなく、ほんのりと口角を釣り上げる程度の笑みだが、確かに笑っていた。
「昨日よりも明日を……随分と人らしくなったわね、七花」
自らとの死合いの後に、七花がどのような人生を辿ったのか少しだけ気になった。どんな経験をした結果、刀としての七花は折れてしまったのか。まだあの時は刀としては研がれていた。切れ味に不満はあったが、虚刀流の当主として不安はなかった。
「そう感じるならきっとそれは姉ちゃんのおかげだと思う。俺はあの時に刀としては折れたんだと思う」
「そう……そうなのね」
今の鑢七花という人間を構成している要素として、自らがとても大きな部分を占めている。そのことに自分ではやや家族好き気味だと自覚している七実としては、嬉しいと思わないこともなくもないこともない。
目の前で繰り広げられる鑢姉弟のやりとりに、ほんの少しだけ喜助や夜一達は緊張の糸を緩めていた。人となりは聞いていた。だからその通りといえば聞いた通りであった。
けれども印象としては、戦闘能力と人を雑草のように刈り取る人間性にこそ意識を奪われがちで、初対面ではどうしても警戒心が先立ってしまう。
無論、警戒を完全に解いたわけではないが、どこかゆるい雰囲気を携えた七実を見ていると、話をする余地があるのではないかとも思えてしまう。
夜一としては、姉弟で殺し合いなど、しないのであればそれに越したことはない。喜助としては、話し合いで一つの懸念事項が取り除かれるならそれに越したことはない。静観していた二人も、別段相談したわけでもないが、似たような結論に達していた。
言葉はいらない。目配せをし、喜助が譲る姿勢を見せた。ならばと夜一は動きを見せる。
「井上、少し離れるが許せ」
「あの人……鑢さんの」
「どうにもそうらしいの。儂も挨拶せねばならんのだ」
夜一は、井上を安心させるように軽く笑って見せる。井上はなんとなくさみしく感じる夜一の笑顔に言葉が詰まってしまい、離れていく夜一をただ見送ることしかできなかった。
「夜一か。無茶はするなよ」
「安心せい。儂とてそのくらいはわきまえておる」
近づいてきた夜一の気配を知覚した七花が諌めるように言えば、夜一は手を適当にぷらぷら振って問題ないとアピールして見せる。
「あら、あなたは誰かしら?」
「挨拶が遅れたの。儂は言うなれば七花の今の持ち主と言ったところじゃな。四楓院夜一という」
「そう」
ほんのりと周囲の温度が落ちたような錯覚。七実の瞳が観察でもしているのか、夜一の姿を下から上まで見聞していく。瞳も表情も完全に無機質なものだった。
「また……」
ぽつり。七実が言葉を発して、わずかな間が生まれる。
「髪の長い女なのね。本当に、本当にそういうところ、父さんに似て不愉快だわ」
夜一としてはなんというか、不興を買うとは思っていたが、予想外の切り口からだった。
七花としては、とがめの髪を切られた時にも似たようなことを言われたなと思い出していた。強いていうのであれば、初対面だった時の夜一は確か短髪なので今回の件に関しては濡れ衣だと思っている。
「姉ちゃん、夜一と初めてあった時は短髪だったぞ」
というか言った。
「あら、そうなの? だったら濡れ衣ということになるのかしら」
頬に手を当て、困ってしまったと仕草で示しながら七実も応じた。つい先ほど発せられたばかりの、不穏な気配が一瞬で霧散した。
鑢姉弟に挟まれた夜一としては、温度差で風邪を引きそうだ。この二人独特の家族の空気感にイマイチついていけない。
「ふぅん……じゃあ七花が髪を伸ばすように言ったのかしら」
「俺は特にそういうことは言ってないな。それに姉ちゃんが勘ぐりたいだろうことだけど、夜一の相手はそこの喜助だかいってっ! いきなり蹴るなよ」
「お主がアホなことを抜かすからじゃ」
なんだろうか。なんだろうな。このままなぁなぁで済ませていい塩梅のところに着地しないだろうか。喜助としては目の前の光景に、儚い希望だと薄々感づいてはいるがそう願ってやまない。
「じゃあ、そういうことなのね」
七実の視線の先には七花の腰元に付いている白い一房の髪。見覚えのある白だった。
「私と七花がいるならあの奇策師もどこかにいるのかしら」
「姉ちゃん」
「あら、そんなに怖い顔をしてどうしたのかしら」
いつまでも、死後までも、七花に思われている女が不快だった。父に対して血の繋がりがなければ自由恋愛だったのにとか、弟と血が繋がってなければよかったのにとか思う程度には、七実はやや家族に執着していた。
「見つけたら今度こそ毟ってしまおうかしら」
「冗談でも許されないぞ、姉ちゃん」
「私が冗談を言うと思うのかしら、七花は?」
急速に場の空気が悪くなる、二度目だが。生前は闘志、とでも言うようなもののぶつかり合いが、今は霊圧のぶつかり合いとして達人でなくとも知覚できる形で表れる。
「私としてはせっかくの二度目の人生……霊生? なのだから昔みたいに七花と二人、慎ましやかに暮らせたらなと考えていたのだけれど……ちょうど向こうもあの時の島みたいに殺風景で味気ない場所だったし。でも七花からしたらそれはお断りかしら」
「二人だけってところは無理だけど、昔みたいに一緒に暮らしたいっていうなら俺だってそうだ。姉ちゃんがそれでもいいって言うなら喜助に頼んでなんとかしてもらう」
「そう、それも良いわね。いえ、悪いのかしら。でも私から言っておいてごめんなさいね、七花」
七実の答えは否だった。七花としては可能性としては断られない算段の方が高かった。けれども結果は否定だった。
「もしとがめが居たとしたら殺すし、夜一や喜助も邪魔って事か」
「いいえ、いいえ。違うのよ、七花」
拒否の原因と思うことを、念のための確認として問いかけてみるが、再び否定が返ってきた。
七実の口元が歪む。邪悪に歪む。
「どうしてかしら。生きていた頃も今までも、何かを食べたいなんて思ったことは一度もなかったわ。向こうで食事をしている人を見たことがあるけど、食べたいとも思わなかったしお腹も空かなかった。あぁ、お腹が空かないのは、生きていた頃と比べて随分と良いことだったわね。あぁ、違う、そうじゃない」
「姉、ちゃん?」
不穏さが増していく。喜助はすでに一護、茶渡、井上、有沢を一箇所に纏めている。何かあればすぐにでも逃がせるようにと。最悪本気で放り投げて、こちらを確認できる位置で待機している鉄裁に回収してもらうことさえ視野に入れている。
多少乱暴で怪我が増えるかもしれないが、巻き込まれるよりはずっと良いはずだ。自分が運ぶことも可能だが、最悪の場合ここに残る必要があると喜助は判断していた。
「どうしてかしら。最初見た時からずっと」
淡々とした感情の乗っていない声。
「私、七花のことを」
けれども不思議と言葉にこもる気持ちが、本気度が伝わってくる。
「食べたいと思っているの」
決定的な一言だった。どれだけ人然としていようと。どれだけ人型だろうと。どれだけ生前と変わらず整然と正気であるように見えようと。
鑢七実は人でなし。鑢七実は虚なのだ。
「くっ!」
「七花っ!」
夜一が隣にいた七花の名を叫ぶ。だが、そこに七花はもういない。姿が消えたと認識するほどの速度で、七実が七花を掴みそのまま後方へと接近した速度のままに押し込んでいったのだ。
霊子を足場に、中空を七花の足が減速をかける。凄まじい速度による摩擦で草履が煙をあげる。
「少し揉んであげるわ。会わなかった間の研鑽を、私に見せてみなさい」
「言ってることが無茶苦茶だ!!」
掴まれていた襟首を手刀で払いのけて構えを取る。
「まったく……まだ構えなんてとっているのね」
「俺は姉ちゃんとは違うからな」
「今回は私から行こうかしら。上手に受け止めるのよ、七花」
まるで稽古でもつけるかのような前振り。七花が七実の態度に憤りを返そうとするが、七実の行動の方が早かった。
身体の前に手のひらを持ち上げる。何もない広げられた手のひらに、見慣れた光が収束する。収束した霊圧。先ほども見たそれは紛うことなく虚閃だった。
「それ──」
「まずは一発目」
七花の声をかき消し、虚閃が七花へ放たれる。直進した閃光は七花に当たると、軌道を逸らされ雲に穴を開けた。
閃光が消えた先には、両腕の霊圧密度を高めた七花が再び構えを取っていた。
「研がれているわね。それじゃあ次は」
淡々と。けれど少しだけ楽しげに七実がもう片方の手を持ち上げる。
「二発同時はどう──」
「啼け、紅姫」
「破道の六十三・雷吼炮」
七実の背後。置き去りにしてきた二人が追いついてきた。
一護達の霊圧は浦原商店の近くへと移動している。鉄裁が上手くやったようだと、七花はひとまず目先の安堵を得た。
だがまだ油断できない。目の前には姉。先ほどの山には破面が二人残っている。破面達は動向を見守るつもりか、霊圧に高ぶりはなく、こちらを注視しているように感じられる。手を出してこないというのであれば幸いだ。
喜助と夜一の斬撃と鬼道が七実目掛けて飛ぶ。けれどもたどり着く前に、手元にあった二つの虚閃が放たれ相殺される。
七実の瞳はじっと二人の放った技を見つめていた。
「えっと、なんだったかしら。知識としてだけ聞いてはいたのですが……確か斬魄刀と鬼道、だったかしら」
「なんじゃ、藍染のやつは教師の真似事もしとるのか」
「彼は私をとても警戒しているようですので。私へ渡る情報も自身が管理に携わるようにしている徹底度合い。いっそ臆病と言えるほどですが、油断がないとも言い換えられますね」
「へぇ。それはおかしな話っすね。そこまで徹底して監視をしているのに貴女が今ここにいるのはおかしいんじゃありませんか」
喜助の返答に対し、七実は楽しそうに笑った。
「そうね。でも彼だって私のことを四六時中、自分で監視できるほど暇ではないようですから。それにいるんじゃないかしら。私のことを精確に知らず、けれども特別扱いされている私の力を見てみたいという輩が」
「なるほど。どうにも七花さんを連れてきた僕らの間が悪かったって事っすかね」
「私からすれば間が良かったというところかしら。さて、それじゃあもう一度見せてくれるかしら。貴方達の
「何度も何度もバカスカと」
「紅姫!!」
夜一は、自身へ向かってきた虚閃を瞬歩で避けて距離を取る。喜助は先ほどの焼き回しのように迎撃を行った。
一条ははるかかなたへと消え去り、一条は相殺されて消え去った。
「あら、あなたは見せてくれないのかしら」
「詠唱破棄した鬼道で相殺なんぞ出来るか。そういうのは儂の専門外じゃ」
「そうですか。それは残念ですね」
何を考えているのか、読み取れない瞳の七実が落胆を言葉で示す。
「えっと、こうかしら」
何かを確かめるように七実が動く。くるりと振り返り、今背後から強襲を仕掛けようとした七花へ向けて、七実が手刀を袈裟懸ける。
「啼け」
届きもしない距離でのまさに空振り。だが、軌跡をなぞるように赤い斬撃が染み出し飛翔する。それは先ほどの喜助が放った斬魄刀を用いた技だ。
七花はとっさに放とうとしていた技で、飛んできた剃刀紅姫の側面を打ち砕き事なきを得る。
「いやはや、まさか本当にできるんすね。半信半疑だったんですが、そこまで綺麗に真似られちゃあ脱帽としか言いようがないっすよ」
「逆に聞きますけど、どうして真似できないと思ったのかしら。だって刀を使って使う技なのだから、
「斬魄刀って普通の刀じゃないんすけどね」
「なら少し真面目に答えましょうか?」
「…………」
何なんだろうか。前触れがなくもなかったが、ほとんどいきなり襲いかかってきて、その脅威を存分に見せつけてくるというのにどうにも空気が緩い。
本当に七花を害する気があるのだろうかと疑問も浮かぶが、少なくとも虚閃の威力は本物だった。どうにもちぐはぐな印象を受ける。戦っているという緊迫感を相手から感じられない。まるで戦っているのに相手になっていないようではないか。
「斬魄刀、と言いましたか。言ってしまえばそれって本人の適性を読み取って、その適性を外部へ出力するための最適な補助具としての形をとる刀ですよね。持ち手の個々人に合わせて作られた完成形変体刀とでも言うのでしょうか。だからそうですね。結局は霊力を使って事象を起こしているのですから、霊力を扱える私が霊力を扱って同じことができないわけないと思いませんか」
「理屈の上では確かにそうではあるんすけどね。それは机上の空論ってやつだと僕としては思うわけなんすよ」
「ではもう少し出来そうな表現へと砕いてみましょうか。技は歩くと言う行為そのもの。斬魄刀は歩行器もしくは松葉杖。出来る人なら松葉杖が無くとも歩くことは可能だと思いませんか?」
「その出来る人ってのは天才なんて枠には収まらないでしょうね」
天才では収まらない。正鵠を得ている。神が一億の死病を患わせてでも殺そうとした天災。世界さえ危険視する災害。天が危惧する災厄。鑢七実とはそういう存在だ。
「これは本当に……どうしたもんすかね」
想定よりも遥か上をいく危険性。想像以上に異常である。喜助は七実に対しての想定を、対応を自身の中で再構築を始めていく。
戦えば戦うほど厄介さを増していく七実の性質は、あまりに危険と言える。七花より、全力を出さないために相手の弱さを纏うと聞いていた。七実にとっては得られるものは新たな弱さかもしれない。例えそうだとしても敵対するこちら側としては、七実の手札が、状況に対応するための手段が際限なく増えて行ってしまうことと同義。
一目見せることでこちらを詰ませる藍染の鏡花水月。
一目見ることでこちらを詰めてくる七実の見稽古。
どちらも最悪と言える性能を有している。
(大負けを仕切り直したところだと考えていましたが……この人だけで天秤を傾けるには十分すぎる)
どうしたものか。喜助が頭を悩ませている間に、また新たな侵入者が現れる。七実を中心に三角形を作るように七花達は立ち位置を取っている。
侵入者は中心地点に陣取っている七実の横から現れた。黒腔の亀裂が走り、穴が開く。
「あんまおいたしたらアカンで、七実ちゃん。藍染隊長が心配してはるわ」
糸のように細い目をした男。尸魂界を裏切った隊長格の一人、市丸ギンが姿を現わす。
「あら、あなたはギンさん」
「お迎えに来たで。さ、帰ろか七実ちゃん」
七実がギンを見上げる。浮かべる表情は無機質で平坦なもの。敵意も害意も叛意もない。相手に対してさしたる感情を持ち合わせていない。
「どうしてかしら。七花を見つけた以上、貴方達にもう用は無いのだけれど」
「あかんなぁ。それを言われたらボクとしてもそうやね、としか言いようがないんやけど……せやけど連れ戻すよう言われてんねや」
「意見が分かれてしまいましたね」
「せやねぇ」
じっと七実がギンを見つめる。しかし、観察する視線を前にしてもギンは動きを見せない。斬魄刀に手さえかけようとしない。
「あんまわがまま言ってボクを困らせんといてよ、七実ちゃん。わざわざボク以外も一緒に迎えに来てるんやから」
「えぇ、存じております。穴の向こうにあと二人ほど待機していらっしゃいますね」
「……怖い人や」
「それで? 三人程度で私をどうにか出来ると」
「ボクは小心者やから、そんな驕ってへんわ。ボクとその二人。あとはあそこにいるウルキオラにヤミー」
ギンが指で指し示すとウルキオラとヤミーがギンの傍に姿を現した。
「五人、ですか」
「違うで七実ちゃん。後はそこの三人も加えて八人や。それだけの人数を相手するとなると、流石の七実ちゃんも
七実の瞳がほんのわずかだけ細められる。瞬きほどのわずかな時間の沈黙。七実がため息を吐き出した。憂いを帯びたため息だった。
「仕方ないですね。ここはあちらよりも呼吸もし辛いようですし、不本意ですが私が譲るべきなのでしょうね」
「いやぁ、七実ちゃんが賢い人で助かったわ」
白々しくのたまうギンに、七実の半眼が向けられるが気にした様子はない。七実もギンのありように無駄を悟ったのかため息をもう一つ吐くと、七花達へ向き直る。
「そういうわけで今回はおいとましたいと思います」
ぺこりと礼儀正しく、淑女らしく綺麗な一礼を見せる。
「それに考えてみたらちょうど良いのかも知れないものね。いえ、悪いのかしら。ともかく、私にも少し考えてみたいことが出来たので、一旦仕切り直しとしましょうか」
「考えたいこと?」
「そうよ、七花。貴方を食べたいと思っているのは本心よ。いえ、本能かしら? なんにせよそのことについて、今の衝動のままより一旦考えてみようかと思うの。貴方を食べるか食べないか。貴方と暮らすか食べるか。私がどうしたいのか、どうするべきか。少しだけ考えてみようと思うの」
だからねと七実が続ける、邪悪な笑みを浮かべながら。
「草のように毟るのでなく、花のように散らされるのでもなく、果実のように摘み取られたくなければ精進することね、七花」
それでは皆様と今度は七花だけでなく夜一達も含める。
「どうぞそれまでよしなにお過ごしください」
その言葉を最後に、七実達は現世から去っていった。
一護はどんな気持ちでこの姉弟の会話聞いてたんやろな