騒がしい少女と出会ってからも七花の時間は止まる事無く進んでいく。喜助の卍解の修行や隊長になるための試験の協力、大貴族たる朽木家の嫡男をからかいに行くなど、大きな事件は無いが騒がしくも楽しい日々を送っていた。
喜助が一二番隊隊長となり本格的に技術開発局を立ち上げた事で、自然と接する時間は減る事となった。しかし、遊び場で遊んだり、四楓院の家で休日を過ごしたりと変わる事無く友諠は続いている。
これからもそんな変わらぬ日々が続いていくと七花も夜一も疑っていなかった。だが、意外なほどに呆気なく終わりがやってきた。
予兆はあった。魂魄消失事件という予兆が。だが何かをするには七花も夜一も知らなさ過ぎた。何かをするにも喜助は遅すぎた。球が坂を転がり落ちるほど当り前に事態は正史をなぞっていく。
改竄する余地などかけらもなかった。
九番隊の霊圧が消失した。それが終わりの始まりだった。
各隊の隊長に緊急招集が駆けられる。入室できるのは隊長のみ。七花もついては来たが部屋の外で待つことにした。さすがにこの状況でいらぬ波風は立てたくなかった。
どれほどの事態が起きているのか七花には想像もできなかった。少しだけ興味が湧いて、窓のある壁に近づくために気配を殺して近づいていく。
「なんや、七花か」
先客がいたらしい。八番隊副官、矢胴丸リサが声を潜めて七花の名を呼んだ。どうやら目的は同じらしいと彼女の様子から察しがついた。七花はさらに歩を進めてリサの近くまでたどり着き、座り込む彼女の隣に腰を下ろす。
七花とリサの距離感は会えば話すし酒を酌み交わすことのある、交流のある同僚といったところだ。互いに身を潜めながら聞き耳を立てている。肩が当たるほど近いがそれを気にするそぶりは両者ともに欠片も無かった。そんな事をいちいち気にするほど二人は初心でもないし、気を使う程の距離でもなかっただけだ。
「それで、どんな感じなんだ?」
とりあえず自分で聞くよりも分かりやすい説明が聞けるかも知れないと、七花もリサのように声を潜めて問いを投げかけた。
「先遣隊で出とった九番の奴らの霊圧が全部消えたらしい、隊長含めてや」
帰ってきた言葉に七花は面食らう。正直そこまでの事態だとは思ってもみなかったのだ。卯ノ花や夜一、喜助と手合わせをした事のある七花からすれば、隊長格の力量は良く知っていた。だからこそ驚いたのだ。
他にも何かないかと聞こうとすればリサが人差し指を口元へ持ってきて静かにと動作で示した。
「ボクに、行かせて下さい!」
喜助の焦燥を含んだ声が七花の耳にも届く。喜助がこんなにも取り乱している姿を七花は初めて見た。いつも飄々として、なんでも準備万端の喜助らしくない。
そんな事を感じている間にも事態は進んでいく。夜一が喜助を叱り、総隊長が対応を命じていく。
隊長だけではなく鬼道衆の隊長格までやってきた。一先ず投入される戦力を聞く限り問題は収束するのではないかと思うも、喜助の様子を思い出して一抹の不安を覚える。
「お~い、リサちゃーん!」
リサを呼ぶ声に七花の隣にいた本人が立ち上がる。リサの所属する隊の隊長に呼ばれたようで、軽快な会話が二人の間で交わされた。どうやら大鬼道長の鉄栽の代わりにリサを後発隊に加えたいらしい。
「頼める?」
「当り前や!」
二つ返事をリサが返す。準備をするのかリサはこの場を離れようとしている。
「気を付けろよ」
「誰に言っとるんや。後で話聞かせたるから財布と酒の準備しとき、七花」
京楽に見せたのと同じく真剣な表情で親指を立てた後、リサは走り去っていった。
離れて小さくなっていくリサの背中を眺めながら一抹の不安を感じた。けれども、現状は自分に出来ることが無いと考えを改めて背中を壁に預けて空を見上げる。まだ夜は明けそうになかった。
夜明け前に漠然とした不安は確固として形を持った。二番隊の隊首室から夜一と共に後発隊の霊圧へ意識を向けていた。いくつもの見知った霊圧が猛り、乱れ、そして消えていく。さらに消えていくたびに見知らぬ霊圧が増えていく。
そして二人が何かの決断を下す前に、すべての霊圧は感じられなくなった。
夜一の「喜助がここにおればのぅ」という歯がゆさの籠った言葉に七花は言葉もなく同意した。策士という類の人間がいない心細さを久方ぶりに七花は思い出していた。うっすらと白んできた空の明るさが今だけは無性に憎らしかった。
しかし、事態の悪化はとどまる事を知らなかった。そのまま次報を待つため、隊首室にて待機していた二人の下へさらに悪い知らせが届いた。
中央四十六室より発された喜助と鉄栽への捕縛命令だ。報告を持ってきた隠密機動によれば、喜助は虚化の研究、鉄栽は禁術の行使が主な罪状らしい。四十六室へも他の隠密機動が証拠の提出に向かっていると報告を最後にその隊士は隊首室をあとにした。
「……七花」
少しの沈黙の後、夜一が七花の名を呼ぶ。酷く言い出しづらい事を言いたいのだろう、そこにはいつもの夜一の快活さは微塵も感じられなかった。
「儂は喜助達を助けに行く」
重々しい口調。だが意思の籠った言葉だった。夜一の言葉に七花は返答を返さない。ただジッと両の眼で夜一を見つめる。
「おぬしは……」
七花の瞳と視線の合った夜一は後に続くはずだった言葉を呑み込んだ。軽く頭を振って大きく息を吐きだす。
「七花」
再び向き合った夜一の顔はすでに普段通りである。
「喜助達を助けに行く、手を貸してくれ」
「任せろ。俺はあんたの、夜一の刀なんだ。それに喜助達も俺の初めての友達だからな、気持ちは同じだ」
夜一の願いを受け入れた七花の言葉は力強いものだった。
父はいた。姉はいた。惚れた女はいた。旅の同行者に敵もいた。だが生前は友と呼べるような者が最後までいなかった。だからこそ七花の思いも夜一に負けない程に強いものであった。
「それでは七花よ、役割分けと行こうかのう」
きらりと瞳を光らせながら夜一が笑う。
瞬歩を用いた全力で、七花は目的地を目指していた。隣に夜一の姿は無く、ここには七花ひとりであった。
──儂は喜助達の所へ行く
その言葉通りに夜一は四十六室へ。
──おぬしは喜助の研究所へ行ってくれぬか。きっと……
最後の言葉を濁しはしたが言いたいことは痛い程に伝わっていた。虚化の罪を着せられているのだ。誰がどのような状態でいるのかの予想は何となくではあるがつけられる。
親指を立てていたリサの姿が頭をよぎる。
「酒も肴もそっち持ちだからな」
胸中の不安を少しでも紛らわせようと冗談めかしてそんな言葉を口にしたが不安は晴れなかった。
そんな間にも目的地である十二番隊舎の技術開発局の施設とは別の喜助の個人研究所が見えてきた。ここに来るまで七花は誰にも会わなかった。それこそ死神が避けているのではないかというくらいに人っ子一人見かけなかった。
「そこを通してくれって言ったら通してくれるか?」
けれども誰もいないというわけでもなかったらしい。七花が施設の前で一度立ち止まると声をかけた。一人ポツンと佇んでいた眼鏡の男へ。
「構わない、と言ってあげたい所だが少しだけ確認したいことがあってね。付き合ってもらおうか、鑢七花」
「そうか。だったら悪いが押し通らせてもらうぞ、藍染」
そう、目の前の男は五番隊副隊長の藍染惣右介その人だ。だが七花は訝しむ。あまり良く覚えていないが藍染はもっと温和な雰囲気ではなかっただろうか。少なくともここまで剣呑な雰囲気を放っていなかったはずだ。チリチリとひりつく気配に七花が構えをとって臨戦態勢へ入る。藍染は口元に笑みを浮かべた。
「君は
まるで構えをとらない人物を知っているかのような口ぶり。ふと頭に思い浮かべた人物の事を七花は追い出す。思考を他の事にとられたくなかったからだ。
「どうしたんだ? 来ないのか、鑢七花。もしかして誰かを思い出しているのかな? ……例えば君の姉、とか」
「お前」
驚愕に七花の瞳が見開かれた。ハッタリだと思考が否定の叫びを上げる。流魂街を探しても見つからなかったはずじゃないか。夜一もそれを裏付けていたじゃないか。否定する材料が次々と上がるが、本能はまるで安心しなかった。
「何を知っている?」
普段のんびりと構えている七花らしくない低い声色。肌に突き刺さる威圧が放たれる。されども藍染はまるで意に返さない。それどころかより笑みを深めた。
「話す気はない、か。俺も時間があるとは言えない。だから少し手荒に行くが構わないよな」
最後通告として七花が告げる。手早く聞き出し、目的の人物たちを夜一達との集合場所へと連れて行かねばならないのだ。霊圧を放ち威圧するが、やはり藍染は応えようとするそぶりは見せない。ならばと七花の足に力が入り、地面が軋んだ。
「虚刀流」
七花が駆ける。歩法を用いて空いていた距離を一瞬で縮める。藍染へ迫る中、七花は考えていた。仮に、もし奇跡的に、姉と再会できるのであれば自分は一体何を思うのが正解なのだろうか。何をすることが正しいのだろうかと。
それは再開できるかもしれない喜び。
それは最期の言葉を思い出しての怯え。
それはまた姉弟に戻れるのかもしれないという期待。
それは自由にさせることで起きるかもしれない事への不安。
他にもさまざまな感情が七花の中で渦巻いていたが、一つだけ確かなことがあった。何の枷もつけずに姉を自由にさせてはいけないという確信に近い危機感である。
藍染が七実の所在を知っているのであれば、是が非でも聞き出さなければならない。その思いが七花を本気へと駆り立てていた。
藍染に迫った七花の手刀が一閃する。
「
だが、するりと交わされてしまう。ならばと、さらに攻撃を繋げて連撃へと移行する。反撃する時間を与えぬように次々と技を混成接続にて繋げて放つ。
だがしかし、そのどれもが藍染まで届かなかった。
「なるほど、速いな」
感心を示す呟きをもらしながらも、藍染は余裕を持って七花の攻撃を躱していく。風に舞う木の葉のようにひらひらと躱す藍染に七花の頬に一筋の汗が伝う。
(気味が悪い)
躱されながらも自らの一挙手一投足を観察してくる藍染の視線が不気味だった。技を見るという行動に姉の見稽古を連想させられ、心がざわつく。
「ふむ、だが」
一通り眺めて満足したのか藍染が口を開いた。だが発された声色は酷く落胆しているものだった。
「弱いな」
「なんだと?」
藍染の呟きに七花が反応する。七花とて自らの強さに自負があった。さすがに自分が世界最強と言うつもりはない。だが、ここまで見下されるように弱いと言われるのを看過できるほど自信がないわけでもない。だが次の藍染の問いにその思いも吹き消された。
「鑢七花……君は本当に鑢七実を殺したのか?」
その問いかけは決定的だった。それは誰にも話していない七花の秘密の一つ。悪刀・鐚の話はした。だがその所有者の話はしなかった。夜一にも喜助にも、そしてそれ以外の誰にも話していない。
知っているのは自分ととがめ、七実本人。もしかしたら報告書で否定姫辺りも知っているかも知れない。だが、その誰もがこの世界の人間ではない。ならば死後もここにいないはずだ。いない、はずなのだ。
「本当に、姉ちゃんが……」
いるのか。その言葉は音にならなかった。音にするのが怖かった。恨みを聞くのが怖いのか、姉の悪性が怖いのか。それは七花にも分からない。だが、恐れたのは確かであった。
七花の示した反応に藍染は僅かに瞼を細めた。眼鏡の奥の瞳は冷たさを宿し、僅かな失望を宿していた。
「なるほど。完全な実力のみでの勝利ではなかったのだろうな」
面白みがないと吐き捨てる。怯えをみせたという事は、少なくともいまだに姉を上に見ているのだろうと藍染は予想した。
「もう行っても構わない。好きにしたまえ」
知りたいことは知れた。ならばもう鑢七花に用は無い。藍染は告げるとともに、斬魄刀を鞘へ戻す。
「は?」
唐突な切り替えに七花は面食らった。それでも藍染はあまり興味がないのかため息を一つ吐く。
「ゆっくりしていると代わりが来るぞ。浦原喜助の研究所に用があったのだろう、目的を果たせなくなるぞ」
「代わり? お前本当に何を──」
藍染の行動がまるで読めない。さらに問いを投げかけようとするが。
「可笑しなことを言う、鑢七花。
藍染の言葉と共に劇的な変化が起きた。まるで最初からずっとそこにいたと錯覚するほど自然に大勢の人が倒れていた。隠密機動隊の服装をした大勢の死神が倒れていた。
誰一人として無事な者はいなかった。皆が皆何かしらの負傷をしていた。肩口を切られた者。手足を折られた者。ろっ骨が折れて肺に刺さり血を吐く者。
「な、何をした、藍染!」
「何をした? 面白い冗談だな。やったのは君じゃないか、鑢七花。ほら、まだ辛うじて意識の残っている者がいる。彼女に聞いてみたまえ」
まるで意味が解らなかった。解りたくなかった。これが誰の血で、この惨状を誰が招いたかなど。だが藍染の視線につられて七花も視線を下げた。意識がないままうめき声をあげる者達が倒れ伏す中に彼女はいた。
顔を覆う布が破れた為にその者の顔が見えた。口元から血が垂れている事から内臓が傷ついているのだろう。震える腕で言う事を聞かない身体を必死に引きずりながら七花に近づいていく。
「な、ぜだ」
底冷えする声だった。
「なぜ、きさ、ま、が……」
血走った瞳に憎悪を乗せて彼女が睨む。
「よるい、ちさ、まを……」
彼女の腕が七花の袴の裾を握りしめた。
「裏切ったのだ!」
呪詛の籠った嘆きだった。
「なぜ、だ! 答えろ、鑢、しちかぁぁ!」
砕蜂の魂の叫びに返すべき答えを七花は持ち合わせていなかった。そしてそれは砕蜂の瞳には裏切りに映る。こちらを見下ろしたまま何も答えない七花に砕蜂は一度悲しげに顔を歪めた。そしてまた何かを叫ぼうとしたが、もはや次の言葉を発するだけの力は残っておらず意識を失う。
「藍染ッ!!」
もはや理解は追いつかない。だが目の前で悠々とたたずむ男が何かをしたのだけは分かった。
思考を支配する怒りに身をゆだね七花は殺すつもりで藍染に襲い掛かった。
「感情一つで変わる力量差などない」
藍染と七花がすれ違う。
「くっ」
七花のわき腹に切り傷が生まれて、鮮血が噴き出した。
「次はどうする、鑢七花。もうあまり時間は残されてはいないぞ」
今の一合で理解させられた。圧倒的なまでの力量の差を。
「どうしてだ」
「ん?」
「あんたはいつでも俺を殺せたはずだ。なのにどうしてこんなに回りくどい真似をする。あんたの目的はなんだ?」
傷口を抑えながら問い掛ける七花の様子に藍染はしばし黙考する。判断の結果、話した方が自身の望む方向に進むだろうと藍染は悟り七花に答えを返した。
「万が一にも君が尸魂界に残る可能性をつぶす為だ」
藍染の答えに七花が困惑する。何故自身を名指しでここより追放したいのか、そのいる理由がまるで分らなかった。
「私は鑢七実とある契約をした。鑢七花を見つけ出し鑢七実と引き合わせる。そしてそれまでの間、対価として彼女は私の管理している場所にて大人しくしている。そういう契約を交わしたのだ」
何かを思い出して、藍染が不意に表情を緩めた。それは自然な笑みだった。
「彼女にも方向音痴などという実に人らしい欠点があったことを感謝したよ。尸魂界、虚圏、現世と三つの世界があると知り、さすがに君の姉も無理を悟ったらしい。実に人間らしい冷静な判断だと思わないか」
自身の言葉が琴線に触れたのか藍染はくつくつと笑いを零した。
「いや、すまない鑢七花。彼女を人間らしいなどと表現した自分がつい可笑しくてな、これではまるで──」
「──姉ちゃんは──」
藍染の言葉を断ち切り七花が吼える。だが七花の言葉を藍染も断ち切る。
「──そう、一介の人間だ。いや、違うな。いずれ彼女はそうなる。私が天に立つとき、彼女はただの人へと成り下がる。だがそれは今ではない」
高揚しているのか、藍染の瞳は七花を見ているようでいて七花を映してはいなかった。
「だから今君を彼女に差し出すのは私としても困るのだ。彼女を縛るものが何一つなくなってしまう。だからこそ君には現世へ行ってもらう。鑢七実に対してしらを切るにも限界がある。さぁ、これで背中を気にせず進めるかな、鑢七花?」
「あんたは何を待っているんだ」
「十分すぎるほど君には答えたつもりだ。それ以上知りたければ力づくで聞くと良い。出来たらの話だがね」
七花の問いを藍染がにべもなく斬り捨てる。もはや用は済んだと藍染は七花に背を向けて歩き出し、次の瞬間には跡形もなく姿を消した。瞬歩による移動でないことは解るがそれだけだった。
一方的に翻弄されるだけされて見逃された。握りしめた拳から血がしたたり落ちる。大きく息を吸い吐き出した。腹の底に燻る不甲斐ない己への怒りを少しでも発散するために。最後に一度頬を叩き、七花は施設の中へと向かって歩き出す。
施設の中へ消える前に一度だけ、地に伏した砕蜂たちを振り返った。だが言葉はやはり出なかった。謝罪も、言い訳も何一つ。自分にそれを言う資格はなかった。そしてもう振り返る事は無かった。
進んだ先には見覚えのない仮面をかぶった見知った背格好の八人がいた。ピクリとも動かない様子に一瞬不安を覚えたが、僅かに上下している胸の動きに安堵する。
「リサ……」
その中に半日ほど前に別れた少女を見つける。自分が原因ではないが、何もせず見送ってしまった事に罪悪感と無力感を覚えた。傍に近づいて軽く髪を掻き上げる。俯いて髪で隠れていた顔が露出するもやはり仮面で隠れていた。
「きっと喜助が何とかしてくれるからな」
出てきた言葉は他人任せ全開のもので、あまりの情けなさに思わず乾いた笑いが漏れる。
そうして七花は多少のトラブルはあったが目的の人物たちと新しい義骸の試作品を、夜一との集合場所である双極の地下にある遊び場へと持ち運んだのであった。
そしてこの日を境に十二名が尸魂界から姿を消した。
うーん、キャラを動かすのが難しい……