虚ろな刃   作:落着

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 土佐のとある山。木々の生い茂る自然の中に、座禅を組む傷だらけの男、鑢七花がいた。身じろぎひとつ、音の一滴さえ落とさない。ただひたすらに、自身の中へと埋没している。

 肩には蝶が止まり、羽を風に揺らしていた。揺れ動くものがなければ、ひょっとすると時間が止まっているのではと、見た者に錯覚させるほどの静謐に沈んでいる。

 七花が座す場所、そこは彼のいた世界(歴史)では寺があった。刀狩で潰した刀で、作成された大仏が置かれていた寺のあった場所。

 歴史が違うせいか、この世界では何もないただの山であった。けれども、違う日の本とはいえ、漫遊して国の地図を作ったことのある七花には、ここで間違い無いと確信があった。

 その程度には詳しかった。それほどに忘れがたい思い出があった。思い出そうとせずとも思い出せるほどに、手に残る感触は衝撃の強いものだった。

(姉ちゃん)

 

 ふわりと記憶の底で沈殿していた物が浮かびかけた時、声をかけられた。ぴくりと七花が僅かに反応をし、止まっていた蝶が離れていく。

 スッと、閉じられていた瞼が開く。瞳は凪いだ泉のように静かだった。

 

「夜一か」

 

 声の主を確認することなく、七花は声の主にあたりをつける。実際は気ままな二人旅の最中のため、ほかに自分を呼ぶような者はいないので、あたりをつける以前の問題なのかもしれない。

 視線をわずかに巡らせれば、茂みの合間より黒猫姿の夜一が顔をのぞかせている。

 

「調子はどうじゃ」

「……悪くない」

 

 夜一の漠然とした問いに、七花はわずかに逡巡してから答えを返す。それに対し、「そうか」と夜一が短く返事をした。

 

「七花よ、無理はしなくて良いのだぞ。わしや喜助に」

「夜一」

「……すまぬな、出過ぎた言葉であった」

「そういうつもりはないさ。でも俺は、任せっきりにしたくないんだ」

 

 それにと内心で独り言ちる。任せきりにして、誰かが成し遂げてしまえば、その人物を殺したいほどに恨んでしまうと確信していた。未来を定める予知がごとく、決まりきった道だと自身の内から感情がささやく。

 姉のために父を殺し、とがめのために姉を殺した己が、理由があるとはいえ、姉を手にかけた者に平静でいられるとは思えなかった。殺さない自信がない。だからこそ決めている。

 夜一がわずかに瞳を細める。七花の血刀、その剣気に触れ、心の一端を知る。

 

「解る、とは口が裂けても言えぬな。だが、もしわしがおぬしの立場であれば同じ選択をしたであろうな」

 

 もし自分の弟がと考えれば、答えは時間を待たずに導き出される。難儀なものだ。ままならない出来事に思わずため息が漏れ出る。

 猫がため息をつくという光景に、七花は小さく笑い声を漏らした。どうにも奇妙な光景で、中々に見慣れない。いろいろと旅をして、様々なものを見てきたが、まさか猫と国を旅することになるとはわからないものだ。近づく夜一を見つめ、自身の軌跡をそう振り返った。

 

「さてと、それでは久方ぶりに顔を出しに行くか」

「そうだな。何だかんだと長く空け過ぎたしな」

「別段気にすることもなかろう。あやつはあやつで好き勝手しておるであろうからな」

 

 立ち上がった七花の肩へと、夜一がひょいっと飛び乗った。どうやら自分で歩くつもりはないらしい。とがめを抱き上げて旅路を歩いたこともあったなと、唐突に過去を思い出し、少しだけ愉快さが増した。弾む心に背を押され、七花は歩き始める。

 急ぐ旅でなし。七花はゆるりと歩む。行先は長い付き合いとなった友の元。

 

 

 

 

 

 

「あら、おかえりなさいっす」

 

 こじんまりとした商店へ顔を出した時の第一声。下駄に帽子に外套に、そして杖という胡散臭さを封入したような出立。なんだかなぁと、見るたびに思わないでもないが、その人物こそ古くからの友人となった喜助だ。昔から緩い緩いと思っていたが、どうにも隊長などといった堅苦しい肩書がなくなったせいか、緩さの歯止めが利かないようだ。同居人の鉄裁が止めるような性格でないのも拍車をかける一端であろう。

 

「相変わらずしまりのない顔をしおって」

「再会早々に手厳しいっすね、夜一さん」

「ぬしがもちっとだけ、ましな顔をしておればいいのだ」

 

 夜一の不満気な物言いに、喜助は言い返すことはなく、ただ困ったように軽く頭を掻いてにへらと笑う。だがどうにもそれが不満な夜一は無意識に爪を立て、七花の肩へ軽く食いこませた。

 三者の間に沈黙が下りる。不満ゆえに口を閉ざす夜一。八つ当たりは勘弁願いたいと静かにする七花。夜一の不満に気づいているが藪蛇を突きたくない喜助。三人が三人とも、誰かの行動待ちとなった。

 一縷の望みにかけて喜助が七花へ視線をよこせば、面倒臭いと瞳に書いてあった。貧乏くじを引くのは何だかんだといつも自分だなと、大昔の鬼ごっこしかり、これまでの潜伏期間での戸籍や生活基盤の確保などを思い返しながら、思わずため息を吐き出しかけた。さりとて、目の前の二人がその手の事柄に、壊滅的なまでに適性がないのは理解している。それでもたまには貧乏くじを自分以外にも引いてほしいと思うのが人情だろう。

 だが悲しいかな。主体性が薄く面倒くさがりの七花と、雑事や細かなことを嫌う夜一が相手だ。諸問題が目の前に転がれば、耐え切れずにしびれを切らすのが早い自分が担当するのは必然。性格の問題ゆえに仕方がない。それに夜一と七花は、曲がりなりにも刀と主という関係だ。それであれば、二人は結託とまでは言わないが、そこはかとなく、二対一の構図ができてしまうのもまた仕方がないといえた。

 お小言は短めだとありがたいっすねぇ。などと内心で考えながら、いざ口を開こうとしたタイミングで新たな人物が顔を出した。その人物も全員の顔見知り。元鬼道衆総帥・大鬼道長、握菱鉄裁その人だ。だがやはりどうにも締まらない。

 ムキムキの大男がぴちぴちのエプロンをつけているのだ。何とも奇妙な装いをしばらくぶりに目撃した七花と夜一の両者が一瞬面くらう。

 それを見越していたわけではないが、鉄裁がその意識の間隙をついて言葉を挟み込む。

 

「む、四楓院殿に鑢殿。おかえりなさいませ」

 

 実直というか、真面目というか。そんな気持ちが二人の中で湧いてくる。自然に二人が顔を見合わせ、口端を小さく持ち上げて向き直る。

 

「「ただいま」」

 

 帰ってきたらまずは帰宅の挨拶。

 喜助が少しだけいじけた顔をしていたことを、二人は見なかったことにした。

 

 

 

 

「なるほどのう。それでお出かけか」

「そうっすね。問題はないとは思うんすけど、それでも見に行かない理由にはならないっすからね」

 

 久方ぶりの帰宅だから、腰を落ち着けて積もる話でも。と本来であればなるのであろうが、間が悪いことに喜助たちは所用のために出かけるところであった。むしろ出かけるタイミングにかち合ったのだから間がよかったのかもしれない。

 用事の内容を聞き、それならと夜一たちも同行することにした。用のある先方も知らぬ相手ではない。さりとて、用もなく顔を出すほどマメな性格でもないため、これ幸いと乗っかることにした。

 喜助が先導するままに七花達が後を歩む。見慣れない見慣れた街並みに七花は瞳を細めた。尸魂界はなじみのある風景だったが、現世は降り立った当初も見慣れなかったし、ここ百年でもどんどんと変わっていった。変遷の中を過ごし、見慣れるほど見つめてきたが、どうにも馴染めない。

 舗装された道に、一定間隔で立ち並ぶ石の柱。道を覚えられそうもないなと、七花は景色を覚えることをあきらめた。そうして彷徨わせていた視線を、進行方向へと戻せば、真新しい建物が見えてきた。こじんまりと、しかし確かな存在感を感じさせるたたずまい。清潔そうな見た目の建物は勘違いでなければ町医者のいる類のもの。

 

「ごめんください、浦原です」

 

 喜助がインターホン越しに誰かと話をしている。わずかに聞こえてきた声に、なんとなしに変わりはないだろうなと七花は感じた。

 わずかな時間の後、正面の入り口から男が現れる。幸せそうに緩んだ顔は、知り合った当初から変わりがない。先頭にいた喜助と軽くやり取りをした後、後ろにいた七花達にも男は気が付いた。

 

「ん、なんだなんだ。七花達もいたのか。まさかわざわざ戻ってきてくれたのか? いやぁ、照れるなぁ」

「いや、たまたま帰ってきたら喜助が顔を出すっていうからついてきただけだ」

「そうじゃ。なぜわざわざ儂らがそこまで気を遣わねばならん。面倒な」

「かぁっ、友達甲斐のない奴らだな。嘆かわしい」

「七花。構わんから一発顔にくれてやれ」

「あー……後がうるさそうだからやめておくよ」

「ひっでぇな。頼む方も頼む方だが、断る理由ももっと取り繕えよ!」

「面倒だ」

「ほんとにお前さんらは変わらんなぁ」

「お前は騒がしさに拍車がかかっておるよ、一心」

 

 夜一の言葉に男、黒崎一心は心の底から嬉しそうに破顔した。

 

 

 

 

「どうだ、かわいいだろ! うちの息子と嫁は!」

 

 鬱陶しいな、この親父。それが夜一、喜助、七花の偽らざる本心だった。

 なお鉄裁は気にしていない模様。持参した出産祝いのおむつやおもちゃなどを、一心の妻の真咲へ渡して世間話に花を咲かしていた。この男、実に如才ない。

 そんな鉄裁と真咲をしり目に三人は、それはもう一心にうざ絡みされていた。嫁の自慢から始まり、息子の愛らしさを延々と繰り返す壊れたレコードのような馬鹿に、もはや顔から生気が抜け始めていた。

 喜助の目的はすでに終わっていた。というかまず最初に確認をさせられていた。一心と真咲の子は、いろいろと訳ありであった。いわくつきとも言い換えられるかもしれない特殊な出生をしている。だからこそ、母体の中で育っているときも、定期的に喜助が健診のまねごとをしていたし、生まれた今もそのために来た。

 そして結果としては問題ない。霊力はかなり高いものがあるが、魂魄に異常は見られないということだった。

 だんだんと目が淀んでいく三人に気が付いたのか、真咲が一心に飲み物をお願いする。木の枝を投げられた飼い犬のごとき素早さで、部屋から去っていく一心。その後ろ姿を見送りながら、幸せそうで何よりだという思いが七花たちの胸を過ぎ去っていく。でもしばらくは戻ってこなくてもいいかなとも考えていた。

 

「ごめんなさいね、うちの人が」

「構わないっすよ。予想はできていたことっすから」

 

 申し訳なさそうに目じりを下げた真咲に、喜助は苦笑を浮かべた。一心の人となりを知っているものからすれば予想はできていたからだ。ただうざさの程度が、予想を軽く飛び越えてきていただけだ。

 

「本当は心配で夜も眠れていなかったんですよ、あの人。今の彼には霊覚が無いから、本当に気が気でなかったみたい」

 

 真咲の言葉に事情を知っている七花達も何となくのところを察した。今日ぐらいは付き合ってやるかという気になる程度には、一心が抱えていた心労を理解した。

 

「もしよければ撫でていただけないかしら。元気な子に育つようにって」

 

 真咲が笑みを浮かべ、赤子が眠るベッドへと導く。転倒防止用の柵の中を覗き込めば、明るい夕日を溶かし込んだような髪色の男の子が気持ちよさげに眠っていた。

 赤子を見下ろす男二人に猫一匹。だが誰も手を伸ばすことはなかった。どうにも扱いがわからず困っているのだ。

 雰囲気からわずかに漏れ出る困惑を、正確に読み取り真咲はくすくすと楽し気に声を漏らした。

 

「大丈夫よ、怪我なんてしないわ」

「いや、うん。どうにも気が重くてな」

 

 家族の血を吸っているこの手でなでていいものか。そんな思いが七花の胸に去来していた。無垢な幼子を汚してしまう。そんな風に考えてしまったゆえの躊躇。

 だが真咲は譲らなかった。笑みはそのままに、雰囲気が少しだけ変わった。

 

「この子は私とあの人の子よ。私たちだって、完全に綺麗だなんて言えないわ。でもね、だからと言って何もしてはいけないなんてことはないの。誰だってそれぞれの過去を背負っている。でも縛られてはいけないの。そんなことになってしまったら、誰も明るい未来なんて描けないわ。だからね七花さん、この子を撫でてあげてほしいの」

 

 真咲に見つめられた七花は何かを言おうとしたが、結局は言葉にできず、開きかけた口を閉じた。そして視線を真咲から眠る赤子へと落とし、わずかに逡巡した後言葉を口にする。

 

「家族を大事にしろよ」

 

 万感の思いを込めて、七花は言葉を吐き出した。

 軽く撫でた赤子は、ぽかぽかと温かく、命のぬくもりを感じられた。

 

 

 

 


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