虚ろな刃   作:落着

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 鑢先生は不思議な人だ。

 それが僕が初めに抱いた鑢先生への印象だった。

 鑢先生は道場の正式な師範ではない。

 数ヶ月ごとにふらりとやってきて、一ヶ月くらい居たと思えばまたふらりと消えている。なんとなく野良猫みたいな人だなと思った。それは鑢先生がよく猫を連れている姿を目にするからかもしれない。

 そんな自由気ままなのに、毎度連絡も無くふらりと帰ってきたとき、館長が何も言わずに鑢先生を迎え入れるのは、鑢先生が恐ろしく強いから……らしい。

 らしいというのは、そのことを館長が楽しげに話していただけで、僕が実際に目にしたことがないからだ。

 なんでも胡散臭い知り合いに、時々でいいから短期バイトとして雇って欲しいとお願いされ、恩のある知人だったため確認のための手合わせを条件にうけいれ、一撃でのされたと楽しげに笑っていた。

 正直自分が負けたことをどうしてあんなに晴れやかな笑顔で語れるのか、僕にはわからなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「ねぇ、先生。先生は館長よりも強いんでしょ」

 

 もう随分と前に聞き慣れた声。もう4年くらいの付き合いになるあの子だ。

 そっちを見てみれば、案の定たつきちゃんが鑢先生を見上げていた。

 

「私もっと強くなりたいの。だから私に先生の技を教えて」

 

 たつきちゃんは鑢先生の袴を握りしめて捕まえている。

 鑢先生は少しだけ困ったように頭をかき、向き合うようにしゃがみ込んだ。

 

「ダメだ」

 

 きっぱりとした断り。断られるとは思っていなかったのか、たつきちゃんはパチパチと目を瞬かせて一瞬惚けていた。でもすぐに理解したのか、目尻がムッと持ち上がる。

 

「なんでですか! 先生はここの先生ですよね! どうしてダメなんですか!?」

 

 肩がびくりと跳ねる。自分に向けられたわけじゃないけど、やっぱり僕は怒気の混ざった声は苦手だ。本気で怒ってるわけじゃないけど、ムカムカくらいはしていそうに感じる。

 たつきちゃんの質問に、鑢先生は少しだけ考えた後に口を開く。

 

「うちの流派は一子相伝ってやつだから」

 

 ちょっとだけかっこいいなと思ってしまった。

 

「だからダメだ」

 

 むうっとたつきちゃんの頬が膨れていく。組手の時は怖いのに、ふくれ顔はほんのちょっとだけ可愛いなと思った。

 

「一護!」

「っ!? 何?」

 

 急にたつきちゃんが僕の方を向いて呼びかける。考えていたことがバレたのかと思い、変な声が出かけた。

 

「組手の相手して」

 

 絶対に嫌だ。だって八つ当たりのやつだって分かる。

 でも僕の答えなんか気にしてないのか、鑢先生から離れると、ずんずんと僕に向かってくる。この間見た怪獣映画の怪獣みたい。

 この怪獣は熱線を吐かないけど、パンチやキックをしてくる怪獣だ。助けて欲しいと鑢先生を見れば楽しそうに笑っていた。

 

「頑張れ、一護。強くなれよ」

 

 どうやら怪獣を倒してくれるヒーローはいないらしい。

 僕はまたたつきちゃんに泣かされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 雨が降っている。嫌な天気だ。

 雨は、嫌いだ。どうしたって思い出す。かあちゃんが俺のせいでいなくなってしまった日を。

 

「一護!」

 

 唐突な怒鳴り声にハッとする。声の出所を見れば、目尻を吊り上げているたつきがいる。

 

「あんたやる気あるの? 組手中にぼさっとするなら型稽古でもやってなよ」

 

 構えを解いて、たつきが言葉を続けた。声は怒っているように聞こえるのに、怖いくらい真剣な目で俺を見てくる。

 河原で何日もウロウロしていた時に声をかけてきた時と同じ目。

 嫌な目だ。俺を心配する目だ。俺を一切責めなかったとうちゃんと同じ、心底から心配していると分かる目だ。

 俺が悪いのに。俺のせいなのに。心配される権利なんてないのに、心配している目で見られるのはひどく気持ちが落ち着かない。

 気分がざわざわとして、自分にむかむかして、妹達を思い出して叫びだしたくなる。

 

「……悪い。組手は他のやつとしてくれ」

 

 見られ続けられることに耐えられず、逃げるように言い捨てて離れる。「一護っ」と背後から呼ぶ声がするけど、止まらずに道場の端っこへと向かう。

 たつきは追ってこなかった。誰かに止められたのか、自分でそうしたのか分からないけれど、館長と組手をしているみたいだ。

 

「何やってんだろ」

 

 本当に何をやってるんだ。自分は、何をやればいいのか。誰も怒ってくれない。誰も責めてくれない。

 どうやって許してもらえばいい。どうすれば奪ってしまったものを返せる。どうやって、どうやって、どうやって。

 五年近くかけて覚えた型を、身体に任せたまま繰り返し、ぐるぐると考える。

 でも答えは出ない。答えがわからない。誰も教えてくれない。誰も答えてくれない。誰も──

 

「館長、邪魔するよ」

 

 道場の扉が開かれ、入ってきたのは鑢先生。今回は何ヶ月ぶりくらいだろうか。久しぶりに見た姿に反射的にそんなことを考え、鑢先生を見ていると視線がかち合った。

 普段通りの真顔の鑢先生に少しだけほっとした。先生はかあちゃんが死んだことを知らない。だから前と変わらない目で俺を見てくれている。

 そのことに少しだけ安心してしまった。罪を知られていないということを嬉しいと思ってしまった。

 最悪だ。こんな考え方をする自分が心底嫌いになる。

 

「なに人の顔見て百面相してるんだ」

「うおっ!!」

 

 鑢先生の顔が目の前にあった。いつの間にとびっくりしたけど、周りが別に驚いてないから、俺が気がつかなかっただけなんだろう。

 

「別に……」

 

 かあちゃんを殺したなんて言えるはずがない。でもとっさに言い訳が出てくるわけでもないから、つい言いよどんでしまう。

 何か言おうと、鑢先生の方を見て、気がつく。嗅ぎ慣れた匂い。

 花と、線香の香りがちょっとだけする。家の仏壇で、かあちゃんのお墓で、何度も何度も嗅いだ匂い。

 心臓がばくばくする。暑くもないのに汗が滲んでくる。そんなはずないと頭の中で何度も繰り返される。

 だって鑢先生とかあちゃんが話しているところは一回も見たことがない。知り合いのはずがない。だから知っているはずがない。線香の匂いがするのもたまたまだ。

 でもふと思い出した。かあちゃんは鑢先生がいるときは、いつも一度だけぺこりと頭を下げていた。他の先生達にするような、よそ行きのにっこり笑いじゃなくて、感謝でもしているみたいなそんな顔で。

 手を繋ぎながら見上げていたかあちゃんは、そんな顔をしていた。だから、きっと、本当に鑢先生とかあちゃんは知り合いだったんだ。

 

「先生」

 

 びっくりするくらいに硬い声だった。怖がっているのか、緊張しているのか自分でもわからない。

 

「かあちゃんを……」

 

 言葉に詰まってしまう。続きを言わないと。自分から言いださないと。気持ちが焦るが、心が追いついてくれない。怖い、怖い、怖い。

 

「一護」

 

 頭にぽんと手が置かれた。予想外なことに、頭の中が真っ白になる。

 暖かい手だった。少しだけ動く手に、くりくりと撫でられる。ほっとする。でもそれは長くは続かなかった。

 バチンッ。額が吹き飛んだかと思うほどの衝撃。そしてすぐに痛みが込み上がってくる。

 

「いったぁぁぁぁぁ!!!」

 

 道場内に響くほどの声で叫んでしまう。というか痛みで額を押さえたことで、初めておでこが無くなってない確信が持てた。

 頭が吹き飛んだかと思った。冗談ではなく。

 

「な、何すんだよいきなり!!」

「ちゃんと稽古してないからだ」

 

 怒って聞けば、正論が返ってきた。たしかに身が入るほど真剣だったかと聞かれると、首を振るしかない。でもこんなことされるほど悪いことをした覚えはない。理不尽だ。その思いとともに、ふつふつと怒りがこみ上げてくる。そして痛すぎる。

 

「だからって──」

「一護」

 

 もう一度叫びかけたが、鑢先生の言葉で思わず続きを飲み込んでしまった。別段先生の声が大きかったわけでも、威圧的だったわけでもない。でもなんだか逆らい難い力を感じた。

 

「お前、何のためにここに来ている」

 

 いつもはしゃがみ込んで目線を合わせてくれる先生が、立ったまま見下ろしている。見上げるほどに背の高い先生が少しだけ怖い。

 

「空手をするために」

 

 何を怒っているのか分からない。だけどここは空手の道場だからこれで正解のはず。訳がわからないながらも、先生の発する雰囲気が苦手で早く終わって欲しいと、正解だと思う言葉を口にした。

 

「違うだろ」

 

 ぴしゃりとはねつけられる。今度はしゃがみ込み、視線が同じ高さで向き合う。

 

「お前はどうしてここへ通うことにした。お前は何のためにここへ来ている」

 

 同じ問い。でもヒントもくれた。どうしてここへ通い始めたか。

 そんなの、俺が一護だからだ。一つのものを守り通せるように。そう願われて、それが誇らしくって、願いじゃなくて本当のことにしたくて、家族を守りたくて。だから。だからだからだから俺は強くなりたくてここへ来た。

 

「……守りたいから」

「何を」

「家族を」

 

 声が震える。かあちゃんを奪って何が守るだ。でも、それでも俺の名前は、とうちゃんとかあちゃんがくれたもので、大事なものだ。

 だからここで答えないのも、目をそらすのも、全部を捨ててしまうみたいで出来なかった。

 頭は痛いし、自分への怒りとか、情けなさで涙が出そうになるけど我慢する。もう泣かない。泣いたってどうにもならない。そんな当たり前のことを、かあちゃんの葬式で嫌になる程知った。

 俺が泣けば、遊子も夏梨ももっと悲しくなるからと、泣かないと決めていた。だから我慢する。

 

「だったらしゃんとしろ。背中を丸めて歩くな。まだ父親も妹達もいるんだろ。お前が守る家族はいるんだろ。そんなんじゃいつかこぼれ落ちて、何も守れないぞ」

 

 表情は変わらないのに、不思議なほどに鑢先生の瞳が燃えているように見えた。熱く、熱く、熱く。鉄でも打つように爛々と輝いているみたいに俺には見えた。

 気がつけば、頷いていた。

 鑢先生は、俺の反応を見て、もう一度頭を軽く撫でてくれてから、周囲へと向き直って背中しか見えなくなった。

 

「ほらお前らも手を止めるな。一発欲しいか」

 

 ひゅんひゅんと指が空気を切り裂く音に、俺たちを見ていた全員が一瞬で顔を逸らして稽古へ戻っていった。

 自分への憤りも、罪の意識もカケラも変わってない。それでも歩いていかないといけないとようやくわかった。教えてもらった。

 自分がやりたいことも、かあちゃんの込めてくれた思いを嘘にしないためにも、俺が家族を今度こそ絶対に守るんだ。俺が全部守るんだ。

 

「ちっとはいい顔になったな」

 

 振り返って俺を見た鑢先生が笑った気がする。

 

 

 

 

 

 数年後に道場をやめ、鑢先生と会うことはもうなかった。

 あの商店の地下室で再会するその時まで。

 


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