虚ろな刃   作:落着

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「いい感じっすね、黒崎さん」

 

 喜助がいつもと変わらぬ人を食ったような飄々とした態度で紅姫を下げた。相対している一護も、その様子に戦う姿勢をやめ立ち止まる。

 一護はどうしたのだと訝しんでいた。それは戦い始める前に喜助が言ったからだ。「戦闘の勘ってヤツを養うために戦い続けてもらう」と言っていたはずだ。尸魂界へ行くまでまだ数日の時間がある。とはいえただ無駄にしていいはずがない。

 

「急にどうしたんだよ。あんた始める前に残りの時間はずっと戦うって言ったじゃないか」

「確かにアタシはそういいました。でも何もずっとアタシとだけ戦うなんて言った覚えはありませんよ」

 

 喜助がそういった瞬間一護の瞳が胡乱な瞳に早変わりする。どうにもこの人は何を言うにも何をするにもこうやって何かしらの余地を残すし、裏をかこうとする。

 ジャスティスハチマキや落とし穴のおふざけはもちろん。杖に見せかけていたものが実は斬魄刀だったこともそうだ。この人はいつだって胡散臭い笑みですべてを煙に巻こうとしているような印象を与えてくる。

 だけど力を貸してくれていることも、死神の力を取り戻してくれたのも全部この人だ。信用はできないけど信頼はできる人だ。だからこそ戦う相手が変わることにも意味があるのだと信じられる。それを誤認させるようにしていた意味があるのかは知らないが、一護にはそのことを一々掘り返すことに意味があるとは思わなかった。

 

「それにずっと戦ってちゃアタシが疲れちゃいますからね」

「俺は良いのかよ、俺は」

「ほら黒崎さんはアタシと違って若いから五徹くらい余裕でしょ」

「奴隷だってそんな戦わされ方しねぇよ!!」

 

 力いっぱい抗議しても「まぁまぁ」なんて喜助はおざなりに抗議を受け流す。

 

「あんまり待たしちゃってもスタンバってもらってた彼に悪いんでちゃちゃっと紹介に移りましょうか」

「いつから仕込んでたんだよ」

 

 一護は少しだけその芝居がかった演出にまたかと気疲れするが、相手がそういう物を好んでいる節があるので思考を切り替えることで対処する。

 すなわち誰が相手であるかを思案した。浦原商店にいる面々で一護が面識のあるのは四人。下駄帽子の喜助。生意気なジン太。意外に恐ろしかった雨。腕を封じる術を使ってきた鉄裁。順当にいけば鉄裁なのだろうとそこまで思考が及んだ時に喜助が再び声をかける。

 

「そんじゃませんせー、おねがいしまぁす!」

 

 相変わらずとぼけた調子の声で喜助が声を張った。明後日の方角に向かって叫ぶ姿に、思わず一護もその先を追いかけて。

 

「誰もいねぇじゃねぇか」

 

 ただただ自分たちが足場にも使っていた大きな岩の一つが聳え立っていただけだった。

 

「おや、感じませんか?」

「何をだ──」

 

 一護の肌がぞわりと粟立つ。この重い霊圧は何だと驚愕に言葉が止まる。硬直した一護が再始動する前に妙に間の抜けた掛け声が耳に届いた。

 

「ちぇりお!」

 

 だが間の抜けた掛け声の直後、目の前の大岩が爆砕した。粉々になった破片が辺りに飛び散り、巻き上げられた粉塵が岩の向こう側にいたであろう人物を隠す。

 誰だ。誰なんだと思考が巡る。粉塵が早く晴れないかと気持ちが急く。だが一向に粉塵が晴れない。当たり前だ。ここは地下で粉塵を運ぶ風がないのだから、舞っている粉塵が自重で落ちきるまでは消えはしない。

 むしろ煙の向こうから誰かが咳こんでいる音が聞こえてくる。煙いのだろうか。煙たいのだろうな。そう思うには十分すぎる咳き込み方だ。

 

「浦原さん、めちゃくちゃ煙たそうだけど本当に大丈夫なのか?」

「あっちゃー。私としたことが演出を失敗しちゃいましたね」

 

 演出と言い切った喜助に一護の視線が数度ほど温度を下げたが、喜助に気が付いた様子はない。「仕方ないっすね」などと頭を掻いている。

 

「もうしょうがないんで土煙払ってもらえますか」

 

 この男は真面目にしたら死ぬんだろうか。一護がそう思い始めたとき、またわずかに霊圧を感じた。先ほどのと比べれば随分と抑え込まれているような印象を受けたが直後に風を感じた。

 一瞬の空気の攪拌。粉塵が歪んだ次の瞬間には散り散りに散っていく。そして煙の晴れた先には男が一人立っていた。その男の姿に一護は絶句していた。

 背丈は二メートルほどだろうか。かなりの大男である。だが驚いたのはそこではない。その人物があまりに見慣れた人だったからだ。その人は自分の背中を押してくれた人だったから。だから一護は驚愕していた。

 

「鑢……先生……」

「久しぶりだな、一護」

 

 大男、鑢七花は初めて会った時から欠片も老けていない容姿でこちらを見ていた。

 

「そんじゃま顔合わせも済んだのでレッスン五。切れないものを切ってみようを始めますか。七花さん、あとはお願いしますね」

「おう。任された」

「ってちょっと待ぇーい! ノンストップで話を進めようとするな浦原さん! なんでここに鑢先生がいるんだよ」

 

 喜助がどこかに行こうと背を向け七花が構えた瞬間、一護がツッコミを入れる。

 

「えぇ、そこで今修行中一番のツッコミが入るんすか。正直この地下室の方がびっくりしません?」

「誤魔化すんじゃねぇよ。あの人がなんだってここ、っ!」

「一護。お前に時間は余ってるのか?」

 

 喜助を問い詰めようとした一護の言葉が途中で止まる。いつの間にか目の前に姿を現した七花の足刀が迫ってきたからだ。反射的に飛び退さる。目の前を掠めていく足刀の空気を裂く音にぞっとした。

 

「お前は何のためにここに来た」

 

 油断なく構えている七花から発せられた言葉は、懐かしい問いかけだった。脳裏にあの雨の日の道場が過ぎ去る。七花の瞳は、あの日みたいに熱された鉄のような熱を帯びている。

 

「聞きたいことがあるなら後にしろ、一護。守る力がいるんだろ」

 

 七花の言葉に一護の身体が少しだけ熱を増した。

 

「それでも聞きたいのなら、お前がへばって動けなくなった時に、休憩がてら聞けばいい」

「じゃあ俺が一度もへばらなかったらいつ聞けば良いってんですか」

 

 七花の挑発するかの物言いに、一護も負けじと反射的に言い返す。負けん気の強さに、七花は口元を気が付かれない程度に緩めた。

 

「俺を動けなくさせて聞けば良い。まぁできたら、だけどな」

「そうですか。じゃあさっさと始めましょうよ、鑢先生。斬魄刀、構えてくださいよ」

「俺は斬魄刀を持ってないからこのままいくぞ」

 

 一護が七花へ返答する前に、一足飛びで間合いが潰れる。視線がかち合った瞬間、七花の瞳に本気を悟る。

 引き絞られた拳が打ち出される。咄嗟に斬月の腹で拳を受け止めるが、受け止めきれず吹き飛ばされた。腕がしびれるほどの力。地面を削りながらもなんとか体勢を立て直す。再び七花と相対するが、一護は切っ先を向けられなかった。

 対人での命のやり取りが皆無に近いゆえの甘さ。無手の相手に刃物を向けることができない。いまだ残る甘さが後ろめたさとなり一護の切っ先と霊圧を鈍らせている。

 

「構えろ、一護」

「でも鑢先生は……」

「一護。喜助がなんて言ったか覚えているか」

「浦原さんが? 確か切れないものを切れって……でもそんなことできるわけが」

「一護。お前、勘違いしてるぞ」

 

 七花は構えを解き、再び一護の目の前へと姿を現す。敵意も攻撃の意志もない。だが七花の手が斬月へと伸びていく。

 そのゆっくりとした動きを一護はただただ目で追うだけだった。何をするのか。浮かんだ疑問が動きを止めさせていた。だからこそ防げなかった。七花が斬月の切っ先を握りしめるのを。

 

「鑢先生、手が!」

 

 一護が焦り声を上げるが、腕を動かせない。下手に動かして深く切りつけてしまったらと考えると動けなかった。

 

「よく見ろ。俺の手がどうした」

 

 七花の言葉につられ、斬月の切っ先へと視線を向ける。血は、流れていなかった。摘まんでいるとか、刃が触れていないとかではない。刃が食い込んでいるのに、薄皮さえ切れていない。

 力が込められていないわけではない。刃は食い込んでいるし、持ち手から伝わる感覚が、七花の万力のごとき握力を余すことなく伝えていた。

 

「喜助はお前の知り合いだから切れないって言ったんじゃない。お前のそのぼやけた霊圧じゃ切れないって言ったんだよ。霊圧を研ぎ澄ませろ、一護」

 

 一護は無意識に喉を鳴らした。この人は誰だと自分の知る七花との違いに圧倒される。昔道場で連れていた猫に顔を引っかかれ謝っていた平穏な時の姿と重ならない。

 

「じゃないと斬月(こいつ)をへし折るぞ」

 

 本気だと理解させられた。本気で斬月を折る気だと本能的に感じ取った。嘘でも発破でもなく、未熟をさらせば本気で斬月を折るつもりがあるのだ。

 

「お、うぉぉおお!」

 

 反射的に霊圧を高める。斬月が光を湛え、切っ先から閃光が放たれる。斬月を掴まれているという超至近距離での爆裂。着弾した衝撃で一護の身体が大きく後方へと吹き飛ばされる。

 斬月は折れてはいない。そのことに安堵した。あのままつかまれていたら。そうありえたかもしれない先を考え、肝が心底冷えた。だが次に来たのは心配だった。

 アレを至近距離で受けてしまった七花は無事なのか。今度は別の意味で心が冷えた。だがそれもすぐに消え失せる。

 

「うそ、だろ……」

 

 一護の視線の先には七花がいた。先ほどとまるで変わらない姿の七花がそこにはいた。わざとなのか、アレの圧力で離したのかはわからない。わずかに指が開かれているだけでそれ以外違いなんてない。もちろん、傷なんてあるはずがない。

 

「さぁ、一護。これでもう気兼ねはいらないだろ」

「なんだよそれ。何なんだよそれは!」

 

 矛盾しているとは解っている。どうやって撃っているのか自分自身でもわからないアレが、今の自分自身が放てる最大の攻撃なのだ。それで傷一つ負っていないのはどういうことだ。自信が崩れていく。急に足元が消え去り、虚空に放り込まれたような不安が全身を包む。

 怪我をしてほしかったわけではない。だけど、これはあんまりではないのか。斬魄刀の名を知り、力を得たのではないのか。喜助の帽子だって飛ばせてみせた。それなのにそれらが全部無意味だと言われたような気さえしてしまう。

 

「お前はそうやって尸魂界に行っても喚くのか。どうするかを考えるんじゃなくて敵に答えを求めるのか。お前には俺の時みたいに考えてくれる奇策士がいるわけじゃないんだ」

 

 不思議と混乱していた頭に七花の言葉が入ってくる。背中を丸めるなと叱られた時のように、すっと言葉が入ってくる。鋭い刃が通るように、言葉が自分の中へと刻まれていく不思議な感覚だった。

 

「守るんだろ。助けたい奴がいるんだろ。それともお前は、向こうで死んで助けたかった奴にお前の死を背負わせるのか。自分勝手に死んで、家族にお前の死を嘆かせるのか。その程度の覚悟なら、俺がここでお前の刀を折って終わらせてやる」

「……そうだよな」

 

 力をくれた死神の顔が、妹たちの顔が、腹が立つ顔だが父親が、悲しんでくれるだろう友人たちの顔が次々と浮かんでいく。

 死ぬ気なんてない。助けたい奴がいる。だったらここで狼狽えて、臆してどうする。

 一護の眉間にいつもの皺が戻った。七花はそれを確認すると、静かに構えをとる。

 

「鑢先生。切れるまで付き合ってもらっていいですか」

「あぁ。切れる物なら切ってみろ、一護」

 

 そうして二人は互いに一歩を踏み出した。

 

「さぁて私も穿界門の仕上げを急ぎますかねぇ」

 

 激しい戦闘音を背後に、喜助も自らの仕事へと向かっていった。

 

 

 

 

 ばちっという小さな破裂音。音の発生源となった喜助が何をいうでなく弾かれた手へと視線を落としている。

 喜助の前には穿界門が鎮座していた。現世と尸魂界を繋ぐ通路への出入り口である。そして今しがた門に拒絶された喜助が視線を手元から目の前の門に戻す。

 

「アンタなら行こうと思えば行けたんじゃないか?」

「それは買い被りすぎってもんスよ、七花さん」

 

 喜助が嘯いてみせれば、七花はため息をこれ見よがしについてみせる。

「信用ないなぁ」なんて剽軽な声を出してみるも、周囲の静けさが際立つだけだ。それもそのはず。ついさっきまで、ここには多くの人間がいたからだ。

 頭数が減ってしまえば賑やかさが減じるのも否めないのかもしれない。減った人員が若者達であることを考えれば、尚のこと静かになろうというものだ。

 

「七花さんは良かったんですか?」

「喜助がそれを言うのかよ。止めたのはあんただろうに」

「それを言われてしまうとボクとしちゃ返す言葉がないんですがね」

「あんたの言葉に納得したからな。俺はこっちで信じて待つさ」

「すみませんね」

「謝られてもなぁ。むしろ身内の厄介ごとに巻き込んでる俺が謝るべきだと思うけどな」

「そんなことないっすよ。それも全部含めてボクらの問題なんですよ。ボクらはみんな身内なんですから」

「悪いな」

「いえいえ」

 

 なんてやり取りを二人がしている横で、浦原商店の一員であるジン太が鉄裁にこそこそと小声で話しかけている。

 

「普段のぺっとした奴と普段にへらってしてる奴が真面目にしてると気持ち悪いな」

「ジン太くんにも気を使うって出来たんだね」

「んだとこらぁ!」

「あー、痛い痛い! 髪の毛引っ張らないでよー」

「ジン太殿、暴力はいけませんぞ、暴力は」

 

 浦原商店の地下にある広大な訓練部屋の一角が、にわかに騒がしくなる。それは先ほどまで居た高校生の少年少女らとはまた違う騒がしさだが、平穏な喧噪であった。

 

「子供達も心配しちゃいますから真面目な話はこの辺にしておきますか」

「そうだな。真面目なのはどうにも肩がこるからな」

 

 わざとらしく七花が肩のコリを取るように肩を回してみれば、二人の空気が弛緩する。

「さてと」なんてわざとらしく声を出しながら、喜助が鉄裁達の方へと向かっていく。

 七花は残された穿界門を普段通りの瞳で眺める。きっとこの瞳から感情を読み取れるものは一握りであろう。

 そして今その一握りに入るものは誰一人ここにはいない。七花が何を思っているかは本人だけが知る。

 喜助が増えたことで騒がしさが増した喧騒を聴いていると、独りでに穿界門が崩れていった。それが意味するところは一つ。役目を果たし終えたということだ。

 

「死ぬなよ。夜一、一護」

 

 数十年連れ添った自身の持ち主と、少しだけだが弟子のような立場に収まっていた少年の名を口にした。

 一区切りというように七花も立ち上がって一伸びする。伸ばされた腕には真新しい包帯とうっすらと赤い染みが滲んでいた。

 

 

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