キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーは何故か寝付けなかった。この所の少々お酒が多めのせいか、それともこの国の不穏な空気のせいか。
仕方なく彼女はベッドを抜け出ると、褐色の肌のメリハリのついた体をガウンで包む。そして燃えるような長く赤い髪をかき上げると、棚へ向かった。そこからお酒とグラスを取り出す。グラスの半分ほどにお酒を注ぐと、それを片手に部屋を後にした。
廊下には双月の蒼と赤の光が混じりあい、幻想的な雰囲気を作り出している。人の気配がいつになく、しないのもあるかもしれない。
やがて一つの部屋の前に彼女はたどり着く。そこで足を止めた。
部屋の主の名は、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。キュルケの家、ツェルプストー家の宿敵、ヴァリエール家の三女でありクラスメイト。よくちょっかいをかけていた、ゼロの二つ名を持つ少女。貴族のくせに魔法が使えないという、不幸な少女。しかし弛まぬ努力と気の強さは人一倍。そんな彼女をキュルケは、それなりに気に入っていた。口に出した事はなかったが。
しかし、それも二ヶ月前までの話。
何故なら彼女、この部屋の主は、今はどこにもいないのだから。
「全く、何が起こったっていうのよ。ルイズ」
グラスを傾けながら、あの日の事を思い出す。ルイズがいなくなった日の事を。
使い魔召喚の儀式の日。最後の順番となったルイズは、相変わらず失敗を重ねていた。そしてあの時。これまでにない大きな爆発が起る。だが煙が消え去った後、爆発を起こした当人は影も形も消えていた。しばらく何が起こったか理解した者はいなかったが、やがて全員が気づく。ルイスがいなくなったと。
それからは学院を上げての大捜索が始まった。最初は爆発に巻き込まれたと考えられたが、布きれ一枚見つからなかった。いくらなんでも何もないのはありえない。まだルイズはどこかにいると考えられた。その後学院中を探すが、三日かけてもどこにも見当たらない。手がかりすらない。
その内、ヴァリエール家へルイズ行方不明が伝わる。すると、公爵自身がすっ飛んできた。公爵は私兵を使って、学校を捜索すると言いだし、オールド・オスマンと押し問答に。結局、公爵は折れる。そしてオスマン学院長をなじるように帰って行った。
だがさらにこの騒動は広がる。今度はアンリエッタ王女が、学院にやってきた。視察と称して。しかも護衛の名目で、ヴァリエール公爵までもが同行。そして空前絶後な大捜索が始まった。だが部屋の隅から倉庫の奥まで調べたその捜索をもってしても、見つからなかった。見つかったのは生徒や教師、メイドや衛兵のいろんな隠し事だけ。別の意味で被害は甚大だったようだが。やがて捜索範囲は学院の外へと広がる。しかし成果は出なかった。
そして日々が過ぎ、捜索も打ち切られる。一方で、ルイズが死亡したという証拠もない。だからこうして未だに部屋をあてがわれている。しかも打ちひしがれたヴァリエール公爵に気を使ったのか、二年生として。
キュルケは、窓の向こうの月にグラスを重ねるとつぶやく。
「皮肉なものね。あなたはいなくなってから、魔法が使えたようよ」
ルイズが二年生として在籍しているという事は、使い魔を持つことができたという事。つまり魔法が使えたという証なのだ。もちろん、いなくなった彼女が使い魔を持てたかどうかなんて分かるはずもない。
キュルケはこの扱いが少々不満だった。戦死した軍人の階級特進のような気がして。
彼女は部屋のドアの前まで来ると、ノブに手を伸ばす。だが、途中でひっこめる。ノブを回した所で開きはしないのだから。この部屋はすべてロックの魔法がかかっている。さらに部屋の中には軽い固定化の魔法がかかっていた。
キュルケは窓側の壁にもたれ、廊下に腰を落とす。そして、ルイズの部屋の扉を何の気なしに見詰めた。
「あなたがいなくなってから、学院もかなり変わっちゃったわ」
その言葉通り、学院の有様は大きく変わってしまった。今では生徒数が半数以下になっている。というのも戦争が始まったからだ。アルビオンとトリステインの戦争が。ほとんどの男子生徒と男性教師は予備兵力として動員。さらに一部の女生徒とほぼ全ての留学生は帰郷してしまった。もう留学生は、自分と親友だけ。だが学院は閉じなかった。戦時中こそ知識を蓄え、備えるべきというオールド・オスマンの言葉によって。この国はこれからどうなってしまうのか。もしかしたらあの時ルイズがいなくなったのは、不幸中の幸いになるかもしれない、なんて事すら思い浮かぶ。
だが、こんな状況にもかかわらず自分は残っている。それは、あの魔法の使えないちっこい意地っ張りな努力家に、どこか吹っ切れないものがあるせいかもしれない。
「あら?」
物思いにふけっていると、ふと気づいた。扉の隙間から青い光が漏れ出した事に。一瞬、蒼の月の光かと思ったが、それはない。それなら来た時から見えていたはずだ。光は今現れた。
しばらくして光は収まる。何か不穏なものを感じ、扉に耳を寄せた。
床を軽く叩く音、いや歩く音が聞こえる。何かがいる。それは間違いない。
(賊?)
まず、思いついたのはそれだった。そして物音をさせないように、扉の前から離れると自分の部屋に戻る。愛用の杖を持ち出し、厳しい顔つきで、またルイズの部屋の前に来た。
すると今度は強烈な光が、扉の隙間から漏れてくる。それが何回も。
(ライトニング?)
一瞬そんな考えがよぎるが、ライトニングの魔法の発生と同時にする、つんざくような音がまるでしない。それどころか全くの無音だった。
何か嫌な予感を抱えながらも、扉に杖を向ける。そしてアンロックを詠唱。鍵が外れるかすかな音がする。キュルケは呼吸を一つすると、やがてノブに手をかけた。
「待ちなさい!」
勢いよく扉を開けると同時に、杖を中に向けた。
だが、キュルケの目に入ったものは想像と違っていた。それは、青い光に包まれながら消えていく、小さな人影だった。
「な……!?え……!?ええええーーーっ!?」
静寂に包まれた夜の学院に、いつもの艶っぽさが抜け落ちた叫びが響いていた。
朝食も終わり、気持ちのいい空気の中、金髪縦ロールのそばかす少女が広場を歩いていた。モンモランシー・マルガリタ・ラ・フェール・ド・モンモランシ。彼女は寮へ教材を取りに行こうとしていた。やわらかい日差しを浴びながら進んでいると、珍しいものが目に入る。ベンチに座っている、キュルケとタバサだ。二人がいっしょにいるのは特に珍しくもなんともないが、珍しいのはキュルケの様子だった。何やら慌てているというか動揺しているかのように、タバサに話かけている。彼女が興奮している所は何度か見るが、動揺しているというのはそう見ない。モンモランシーはなんだろうと思い、近寄っていく。その時、不穏な言葉が耳に入った。「ルイズの幽霊」と。その言葉聞いて、思わずムッとする。
モンモランシーは特にルイズと仲が良かったわけでもない。いつもなら、不謹慎とは思いながらも、そう気には掛けなかったろう。だが今は事情が違う。
アルビオンとの開戦後、彼女の恋人、ギーシュ・ド・グラモンも予備兵力として動員された。家族が戦争に参加した生徒も少なくない。知人や愛する人が死ぬかもしれないというのは、絵物語ではなくなっていた。幽霊という言葉は、冗談事では済まない。唯一心配しなくていいのが、留学生。つまり今ここにいるキュルケとタバサだけ。
モンモランシーはズカズカと二人に近づいてくる。憤怒を胸に込め。
「ちょっと、あんた達!不謹慎でしょ!ルイズの幽霊とか……」
「あ、モンモランシー!ちょっと聞いてよ」
キュルケはモンモランシーの怒りなどまるで気に留めてないのか、寄って来る。その様子はやっぱりおかしい。あの不遜なキュルケが明らかに動揺している。取り付く島もないという感じ。さっきまであった怒りは急に冷めてしまった。
「いったい何なのよ」
「実はね。昨日の夜、ルイズの部屋の前にいたのよ。それで……」
キュルケは昨日のいきさつを話す。青い光に、足音、繰り返す強烈な光、そして消えた人影。そこまで聞いて、どう捉えていいか戸惑っていた。他の連中がそんな事を言えば、一笑に付していただろう。しかし、なんだかんだで肝の据わっているキュルケが言うのだから、本当かもしれないなんて思ってしまう。困って彼女の親友に尋ねてみた。メガネをかけた青いショートの小さなクラスメイトに。
「タバサはどう思うの?」
だが、彼女はそれを聞いて、ビクッと動いてだけで黙り込んでしまった。いや、さっきから話していないのだが。するとキュルケが解説。
「この子、幽霊が苦手なの」
「え、そうなんだ。意外ね」
「だけど、そこをなんとか手伝って欲しいのよ。タバサ」
しかし、タバサ答えず。石像の様に固まっている。手元の本を捲ろうともしない。わずかに震えているようにすら見える。代わりという訳ではないが、モンモランシーが聞く。
「手伝ってって、何をするのよ」
「今夜、またルイズの部屋に行ってみるの」
「えー!?幽霊を捕まえるとか?」
「そうじゃないわよ。もしルイズの幽霊なら、彷徨ってるって事でしょ。なら、彼女の話を聞いてあげるべきだと思うのよ」
「家族を呼んできた方がいいんじゃない?」
「だったら実家に出るでしょ?」
「それもそうね。でも恨み節かもしれないわよ」
「それでも聞いてあげるわ」
モンモランシーは意外という顔をする。一番、ルイズをからかっていた当人が、そんな話をするのだから。見かけほど嫌ってなかったのだろうかと思う。
するとタバサが突然、ベンチから立ち上がる。
「手伝う」
「ホント!?」
頷くタバサ。予想外の返事にキュルケは歓喜。タバサもキュルケがただ好奇心から言っている訳ではないと、分かったからだった。
ただ一方で、幽霊の恐怖から解き放たれると、冷静な頭が戻ってきていた。単純に幽霊と考えていいのかと。実は百戦錬磨のこの少女。額面通りに受け取るような甘さはなかった。
タバサはつぶやくように話す。
「けど、その前に調べたい事がある」
「いいけど、何をするの?」
「ルイズの部屋」
そう言って歩き始めた。後に続くキュルケ。モンモランシーは少々強引に連れられて。ちなみに三人とも最初の授業はサボリとなった。
ルイズの部屋の前まで来ると、タバサは杖を振った。アンロックを唱える。アンロックは校則違反の上、この部屋は今、学院長の管理化にある。見つかったら厳罰もの。それを平然とこの小さな少女はやっていた。そして部屋へと入っていく。キュルケとモンモランシーも続いた。
「変わってないわね」
「そうね」
部屋の中は整然そのもの。最後の大捜索の直後と同じ。あの後、公爵自らが、部屋に固定化の魔法をかけていた。だがその変わらなさが、逆にここに主はいないのだという事を告げている。
「タバサ。何を調べるの?」
しかし彼女は答えない。代わりとばかりに周囲を見回す。わずかな変化もない事を確認。そしてディテクトマジックをかけようとする。しかしここの固定化の魔法はかなり弱い。ちょっとした衝撃で解除されてしまう。もしルイズが戻ってきても、すぐに使えるようにとの公爵の配慮だった。
逆にそれは、ここで魔法を使うのは慎重にならないといけないという事。ディテクトマジックで固定化の魔法が解けてしまっては、入った事がバレてしまう。そこで通常よりはるかに弱いディテクトマジックを唱える。これでは魔法の気配くらいしか察知できないだろうが、それで十分だった。
タバサは杖を振るった。
キュルケとモンモランシーはその様子をただ見つめるだけ。
しばらくして、何かに気づいたのかしゃがみこむ。そして床に手を触れた。タバサの触れている所。そこだけ固定化が解除されていた。つまり何等かの魔法が使われたという事。だが、他は解けてない。キュルケの言う通り、強い光を発する魔法を使ったのなら、部屋中の固定化が解けてもおかしくないのに。
相変わらずタバサは黙ったまま。そこに、少し耐えかねたようにモンモランシーが聞いてくる。
「ちょっと、何か分かったの?」
「しっ」
「え?」
「黙ってなさいよ。その内話してくれるわ」
キュルケはタバサが何をしているか分かっていると言わんばかりに、モンモランシーを抑えた。
タバサは立ち上がると少し考え込む。
魔法を使っている時点で幽霊とは考えにくい。一方で強い光は魔法ではない。となると何か道具から出た光となるが、そんなものは聞いたことがない。特殊な道具を持った賊かとの考えが浮かぶ。トリステインは戦争中なのだ。賊が潜り込んできても不思議ではない。だがそれにしては稚拙すぎる。自分だったら、侵入後、トラップを警戒してディテクトマジックを最初にやる。ならば、やはり固定化は全て解けてしまっているはずだ。しかし、今調べた通り。そもそも綺麗な円形に解除されている固定化。一体なんの魔法を使ったのか。手がかりがまるで残ってなく、見当もつかない。
どうにも腑に落ちない。先生に言うべきかと思ったが、今残っているのは女性教師と、唯一男子で兵役を拒否した腰抜け評価のコルベールのみ。だいたいここの教師達は、あのフーケ捕縛にすら臆した連中だ。頼りになるかどうか。それに教師を動かすには、決定的な証拠というべきものが見つからなかったのもある。まだまだ憶測の域。
タバサは振り向くと、結論を二人に告げる。
「何かがいたのは確か。でも、幽霊じゃない。賊の可能性もあるけど、変」
「……そう。で、これからどうするの?」
「今晩、この部屋を見張る」
「やっぱりそうなるのね」
「ただし用心する事」
キュルケとタバサで勝手に進む話。そこにモンモランシーが口を挟む。
「先生に言った方がいいんじゃないの?」
「当てにならないし、証拠が乏しい」
「まあ、臆病者ばかりだしね。で、あんたも臆病者?モンモランシー?」
「わ、私は違うわ」
キュルケの挑発に思わず返事をしてしまった。後悔が数秒遅れてやってくる。
「た、ただ、やっぱり慎重に物事は進めるべきだと思うの」
「なら、その慎重の部分はあたし達がやるわ。あなたは今夜、ここに来るだけでいいから。人手は欲しいしね」
「だったら、先生……」
「え?」
「いえ……、なんでもないわ……」
妙な事に巻き込まれた。夜なんて来なければいいのに、と思うモンモランシーだった。
全ての生徒が寝静まった夜。相変わらずの双月が、廊下を照らしていた。そこに潜む三つの影。キュルケ、タバサにモンモランシー。
もう就寝の時間だというのに、普段着にマントに杖。いつもの恰好だった。それだけではない。側にはキュルケの使い魔、サラマンダーのフレイム。モンモランシーの使い魔、蛙のロビンがいた。さらにタバサの使い魔、風竜のシルフィードは外で待機していた。臨戦態勢にある全員が注目するのは、ルイズの部屋。得体のしれない現象の起こったあの部屋。
だが、こうした状態のままかなりの時間が経っていた。もう深夜と言えるような時間。少々、うんざりしてくるモンモランシー。それに仮眠を取ったとはいえ、眠い。
「いつまでこうしてるの?」
「分からないわよ。もしかしたら、今日は起こらないかもしれないし」
「えー!?もしかして、起こるまで毎日これやるの?冗談じゃないわよ!」
「しっ」
タバサのちょっと強めの静止。
ふと部屋の扉の方を見ると、隙間から薄っすらと青い光が漏れてきた。それがだんだん強くなる。昨日より強い。今日もあの現象が起こった。
タバサは合図をすると前に進み始めた。口を噤んで後に続く二人。使い魔達も構える。三人は扉の側まで近づくと、耳を寄せた。だが聞こえたものは、キュルケの話とは大分違うものだった。
ドタバタと、何人もの足音が聞こえる。やっぱり賊かと、全員に緊張が走る。状況を確認しようと、耳を澄ました。すると声が聞こえた。
『!?!?!?』
『残念でしたー。一歩及ばなかったわねー』
『なんだよ。紅魔館とあんまり変わんねぇな』
『ほう、ここがハルケギニアですか。とりあえず記念に一枚撮っておきますか』
『ガーゴイルってのは、ここにはないのよね』
『思ったより広い部屋使ってるのね』
『それによく掃除されてますね。埃一つありませんよ』
今わかるだけでもその数七人。いったいどこから入って来たのか?タバサはシルフィードの視界と同調していたが、外から入った様子は全くなかった。突然、そこに現れた。
息を飲むタバサ達。突入すべきか迷う。相手は七人。こちらは三人。応援が必要だが、この場を離れる訳にもいかない。キュルケはモンモランシーに目配せする。助けを呼びに言ってくれと。戻ってくるまで二人で持ちこたえると。それに彼女もうなずいた。
その時、聞き覚えのある声が耳に入った。
『あんた達、静かにしなさい!真夜中なのよ!』
お互いの顔を見やる三人。まさかという思いが交錯する。
『バレたらどうすんの!』
『そう言うな。やっぱ初めて来た場所ってのは興奮するもんだぜ。な、ルイズ』
ルイズ。そう聞こえた。確かに。
どうするか躊躇するタバサとモンモランシー。だが気づくと、キュルケが扉を開けていた。その先に見えたものは、確かにあのルイズだった。桃色かかった金髪のちびっこいクラスメイトだった。
「ルイズ!」
「えっ!?キュ、キュルケ!?」
思わずルイズに抱き着くキュルケ。
「生きてたのね、あなた!」
「え!?え!?え!?」
大混乱するルイズ。いや大混乱しているのはルイズだけではなかった。中を見たタバサとモンモランシー。そして顔を見上げたキュルケ。彼女達は、異様な一団を目にしていた。月明かりに浮かぶ、見た事もない奇妙なファッションの連中と、黒い翼とこうもりの翼の翼人達を。
この状況を正確に理解している者は、ここには一人もいなかった。
キュルケとルイズの仲は、原作の序盤ほど悪くはないとしました。もちろん、親密って訳でもありませんが。