幻想郷、霧の湖のほとり。赤い屋敷が立っている。言わずと知れた吸血鬼の根城、紅魔館だ。
その紅魔館の台所で、食事の準備しているメイドが一人。メイド長の十六夜咲夜。下拵えを進めていると、一人の小悪魔が飛び込んで来た。こあではなく、図書館の留守番をしていた司書の内の一人。
「メイド長、パチュリー様達が帰られました」
「あら、戻ってこられたの?」
「はい。それで、紅茶をいただきたいとおっしゃってます」
「何人分?」
「5人です」
「分かったわ。すぐにお持ちすると伝えといて」
「はい」
司書はそう答えると、図書館へと戻っていった。咲夜は5人という人数に少し首をかしげるが、すぐに準備に取り掛かる。
しばらくして紅茶を用意すると、図書館へ向かった。
「お帰りなさいませ。パチュリー様」
「ただいま。咲夜」
挨拶をしながら、ティーカップを配る。テーブルでくつろいでいる久しぶりの面々へ。だがカップが一つ余った。
「5人と伺ったのですが、どなたか席を外しているのでしょうか?」
「あの……咲夜さん。たぶん、私のだと思うのですが……」
文の前だけカップがなかった。少しばかり引いて尋ねる天狗。日頃の行いを察してか。
しかしメイドは、憮然として一言。
「パパラッチに出す紅茶はないわ」
「えー!そんな!紅魔館の紅茶、久しぶりに飲めると思ったのにー!」
烏天狗の悲しい叫び。それを見てパチュリーが一言。
「今回は彼女にも手伝ってもらったから、入れて上げて」
「…………かしこまりました」
文はカップに注がれる、緋色の液体をキラキラした目で見つめていた。
アリスはカップを手にし、香りと味を楽しむ。
「この味も久しぶりね」
「向うのお茶も悪くなかったけど、やっぱり飲み慣れてたせいかしら。この味の方が馴染むわ」
パチュリーもわずかに笑みを漏らしながら、紅茶を口にする。
「20日ぶりでも、懐かしさを感じるものなんですね」
咲夜が笑顔でそんな事を話した。その言葉に魔理沙が引っ掛かる。
「20日?」
「ん?正確には19日だけど」
「そんなにいたかなぁ。2週間ちょっとだと思ったんだが……」
記憶を探るように、首を捻った。
それにこあが同意。
「私もそんなイメージです」
彼女の横で文が取材のメモ帳を取り出す。そして調べだした。
「16日間となってますね。咲夜さんの思い違いでは?」
「そんなはずないわ。メイド長として、日付の間違いは許されないし」
「う~ん……」
腕を組んで唸りだす文。するとアリスが口元からティーカップを離すと、考えを一つ。
「もしかして、ハルケギニアと幻想郷で時間の流れが違う?」
「それはないと思うわ」
パチュリーが反論。
「ルイズはこっちに2か月くらいいたけど、ハルケギニアでも2か月くらい経ってたわ。時間の流れが違っていたら、もっとズレてるはずよ」
「だったら何かしら?」
次に魔理沙。
「あの転送陣、往復で3日かかるんじゃないのか?」
「何よ。そのやたら遅い転送魔法。聞いた事ないわ」
「神奈子が手を入れたからなぁ。だぶん、それでおかしくなってんだぜ」
「後は……、文字通り時空を移動してるせいで、時間軸がズレるのかもしれないわね」
「それはあり得るな。今度神奈子に、調整できるか聞いてみるか。いざとなった時、3日もズレるんじゃ困るしな」
「そうね」
アリスはうなずく。
そんな二人の会話を聞いていたパチュリーは、その可能性もあると思いながらも、何か腑に落ちないものを感じていた。
結局の所、ハッキリした答えは出ず仕舞い。調べてもいない。原因が分かるはずもなかったが。
一息つくと、やがてそれぞれの家路へと着いた。久しぶりのわが家へと。
この所来なかった客が、人里のミスティアの店に入って来た。魔理沙と霊夢だ。ミスティアは少しばかり驚いて迎える。
「あれ?魔理沙。しばらく見なかったじゃないの。どうしたのよ?」
「ルイズの故郷に行ってたんだぜ」
「あー。そう言えば帰ったんだっけ。どう?あの子。様子は」
「帰ってすぐは、バタバタしたけどな。ま、変わらないぜ」
「ふ~ん……」
ミスティアは話に耳を傾けながら、生真面目に屋台で商売していたルイズを思い出し、ちょっとばかり笑みを浮かべる。すると先に座った霊夢から声がかかった。
「話すのは後にしてくれない?」
「あ、はいはい」
「とりあえず冷二つとお新香、枝豆、それとウナギ二枚」
「は~い」
ミスティアはさっそく準備にとりかかる。しばらくして、お新香、枝豆と徳利に入った日本酒が出てきた。二人は盃を交わす。最初の一杯を口にした魔理沙が、嬉しそうに言った。
「ん~。久しぶりだな。この味も」
「向うは日本酒ないの?」
「ワインとかの洋酒ばっかりでさ。悪くないんだけど、飲み慣れてたもんじゃないからな」
霊夢はお新香をつまみ、口をもごもごさせながら尋ねる。
「それで、どんな所?えっと~……」
「ハルケギニアだぜ」
「それそれ」
「なんて言ったらいいかなぁ。紅魔館みたいな雰囲気の所だぜ。建物もだいたいあんな感じだ。色とか大きさは全然違うけどな」
「ちょっと想像しにくいね」
「もう少ししたら、文のハルケギニアシリーズ第一号が出るから、それに写真が載ると思うぜ」
「へー。文の新聞が役に立つとは思わなかったわ」
いつもはかまどや焚き火の種火用くらいにしか思ってない『文々。新聞』が、少しばかり楽しみになっていた。
次の杯を霊夢は口にする。
「またすぐ行くの?」
「まあな。戻って来たのは、研究の準備のためだからな。あっちに道具がなにもないからさ」
「そう言えば、食事とかどうしてんのよ?」
「ルイズの行ってる学院……寺子屋に食事処があってさ。そこの料理人に、世話してもらってる。ただそこの料理長がなぁ……」
それから魔理沙は料理の話から始まり、トリステイン魔法学院、生徒達の様子など、次々話が広がった。土産話は尽きないので、二人の酒もいい感じで進んでく。
やがてその二人の前に二枚の皿がでる。ミスティア自慢のヤツメウナギのかば焼きだ。
「はい、お待ち~」
「お、来た来た。この香りも久しぶりだ」
「しばらく来てなかったもんね」
ミスティアが山椒を置きながら言う。魔理沙は山椒を手に取り、ウナギに振りかけた。香ばしい匂いが鼻を突く。
「って言うか、向う、醤油がないんだよ」
「それじゃぁ、代わりに何使ってんのよ?」
「代わりになるようなもんは、なかったなぁ……。せいぜいソースくらいか」
「ソースかぁ……。幻想郷とは違う?」
「全然違う。似てんのは見た目だけだ。後は香辛料も結構使われてたぜ」
「ふ~ん……。今度帰るときは、調味料適当に持ってきてよ。味見したいし」
「おう」
ウナギを口に放り込みながら返事。あまり行儀のいいものではないが。
話に区切りがつくと、霊夢が次の注文、こごみのおひたしと揚げ豆腐、また冷を二つ。聞き届けるとミスティアは板場へ戻っていった。
しばらくまた話がはずんでいた所で、魔理沙がふと思い出したようにこぼす。
「そうだ。金、どうするかなぁ」
「お金?いるの?」
「何かと入用になるだろ?もってく道具は最低限だしな」
「こっちから持ってけば?金」
「通じるわけないだろ。実はさ。行ったばかりの時、ルイズの国の王様助けたんだよ。その礼で、お金結構もらったんだけどさ。でも、それだけってのもな」
「商売でもはじめる?」
「商売か……」
顎を抱えて考え込む魔理沙。その時、ミスティアが近づいてきた。さっき注文したものとお酒だ。それをテーブルに置きながら話しだした。
「だったら、アイスクリーム屋はじめたら?」
「アイスクリーム?」
「ほら、ルイズが言ってたでしょ。氷、売ってないって。だから冷たい食べ物はヒットすると思うのよ。カキ氷屋でもいいけど、アイスクリームは年中それなり出るから」
「う~ん……。悪くないな」
魔理沙は腕を組みながらうなずく。
実は、幻想郷の人里にはアイスクリームが売っている。製造方は、19世紀後半の手動式。このため電気のない場所でも作る事ができた。ただ必須なのが氷。だが氷なら魔法で作り出すことができる。ハルケギニアには、氷以前にアイスクリームという発想自体がないので、売ればヒット間違いなし、という予感はあった。
やがて次の注文を取ったミスティアは、また板場へと帰っていった。霊夢はヤツメウナギをつまみながら、ポツリとつぶやく。
「魔理沙。商売するのはいいけど、あんたできるの?」
「どういう意味だよ」
「自分の店だって切り盛りできてないじゃないの。そんな調子で、異世界で商売できるのか?っていうの」
「ウチはなぁ……道楽でやってるようなもんだから、いいんだよ」
ぶっきら棒な返事。
実は魔理沙。霧雨魔法店という店の商店主でもある。だが、店自体はほとんど客が寄り付かないので、開店休業状態なのだ。
霊夢はそんな白黒魔法使いに、ちょっと嫌味っぽく言う。
「今度は本気出すって?」
「まあな」
「どうだか」
霊夢はちょっとあきれ気味に、杯を煽った。
やがて話は次の話題に転がり、二人はなんだかんだで結構長くミスティアの店にいたのだった。
紅魔館の図書館に珍しい客が来ていた。八意永琳。永遠亭の薬師で月人だ。月の頭脳、不老不死の蓬莱人、月から来た宇宙人、万年を超す存在等々……いろいろ言われる。ともかく、得体の知れない女性で、この幻想郷の貴重で稀代の医者でもある。
連れてきたのはパチュリーではなくアリス。彼女はルイズの姉、カトレアの病気を治せないか、永琳に相談しに行っていた。だが永琳は異世界へ行けることを知ると、そのための転送陣を見てみたいと言いだす。そこでこの図書館へ、お邪魔する事となった。ちなみに、パチュリーは別件があって今はいない。
図書館にある魔法実験用の広い部屋と入る。小悪魔たちが忙しそうに床を拭いているのが、目に入った。永琳は彼女達を眺めながら尋ねた。
「何やってるの?」
「ああ、実験用の魔法陣がそのままになっててね。事故が起こっても困るから、消してるのよ。それで肝心の転送陣はあそこ」
アリスが指差した場所に、一か所だけ残された魔法陣があった。永琳は近づくと、腰を落として手をかざす。すると、少しばかり驚いた表情を浮かべた。
「これって、あなたが作ったの?」
「違うわ。基礎はパチュリーだけど、後から神奈子が手を加えたの」
「なるほど。山の神が絡んでるとはね。どうりで魔法使いが作ったにしては、奇妙だと思ったわ。でも、なんでまた神奈子が?」
「異世界の事が知りたいんだって」
「そう」
月人は立ち上がると口元に手を添える。少しばかり考え込むと、辺りを見回した。この実験室をぐるりと一周。その様子をアリスは怪訝な表情で見る。
「何か気になる事でもあるの?」
「これって安定してる?」
「転送そのものはね。ただ往復三日ほどかかるわ」
「三日?そんなに時間がかかるの?おかしな転送魔法ね」
「私達もそう思ってるの。最初、動作確認してた時は、そうじゃなかったのよ。原因は調査中」
永琳はまた口を閉ざした。そして少しばかり実験室を入り口へ視線を送る。やがて考えを決めたかのように、アリスの方を向いた。
「結論を言うと私が行くのは難しいわ。屋敷を空けるなんて、そうできないもの。姫様を放っておく訳にもいかないし、いつ急患が出るか分からないしね」
「そっか……。じゃ、治すのは無理ね……。分かったわ。余計な手間取らせて悪かったわ」
「治療しないとは言ってないわよ」
「ん?行かないでどうやって治すの?連れて来るとか?」
「まずは、治療のための調査がいるわ」
「調査?ルイズの姉の病状?」
「それと異世界そのものもよ。異世界じゃ、私の能力が通じるか分からないでしょ?」
「じゃ、私達の調査待ち?」
「医者は医者で別のアプローチが必要だわ。だから、それはこっちでやるから。そうね。鈴仙連れて行って」
鈴仙。鈴仙・優曇華院・イナバ。永遠亭の妖怪兎で、助手兼、販売員兼、雑用係。永遠亭の苦労人とも言う。アリスとはそう面識はないが、比較的常識的な人物のイメージ。連れていくことに、そう問題はなかった。
「分かったわ。後で、出発予定の日時を教えるから、彼女に伝えといて」
「ええ」
永琳は快くうなずく。
アリスはとりあえず一安心。少しばかり表情を緩めた。これでカトレアもなんとかなる。この月人の薬師が診るならまず治るだろうと。そもそもカトレアの病状が悪化したのは、ルイズがいなくなったからだ。その原因がアリス達の失敗召喚。そのせいで、ルイズへの後ろめたさがあった。彼女は肩の荷が下りた気分で、胸をなでおろす。
用事も済み、二人は紅魔館の門の外へ出た。アリスは前にいる永琳に話しかける。
「それじゃ頼むわね」
「ええ」
薬師は振り向くとうなずいた。そしてふわっと浮き上がると、竹林の方へと飛んで行った。
永琳は飛びながら、紅魔館の方を振り返る。神妙な目つきで。
「一度、神奈子に話を聞いた方がよさそうね……」
そう呟きながら永遠亭への帰路へとついた。
暇そうにテレビに向かいながら、コントローラーをいじっている影二つ。これでも神様。そんな二柱に声がかかった。
「神奈子様~、諏訪子様~。パチュリーさんが来ましたよ~。客間に通してますから~」
廊下からする大きな声。守矢神社の風祝、東風谷早苗だ。
諏訪子がぽつりと言う。視線と指先は、ゲームに集中したまま。
「あれだね。ハルケギニアの事、調べてくれって言っといたヤツ」
「てっきり手紙かなんかで済ますと思ってたんだけど、ワザワザ報告に来るとはね。しかも、あの引きこもり魔女が。なんかあったのかしら?」
「意外に、義理固いのかもしれないよ」
「直に聞いた方がいいに越したことはないから、ありがたいけど……あっ!」
神奈子の言葉が切れる。テレビ画面の中では、会話とは全然関係ない勝負がついていた。そして諏訪子、勝利の笑み。
「余計な事考えてるからだよ。さてと、今日の食事当番も神奈子だね」
「これで連続何日目よ」
「えっと……5日?軍神のくせにゲームは弱いんだよねー。神奈子は」
「やっぱゲームで当番決めるのは、やめよう」
軍神はうなだれるように部屋から出ていった。
パチュリーはこあと共に、客間で待っていた。ちゃぶ台の上に出ていたお茶も飲み干し、和菓子も最後の一かけらを口にしてしまった。すると丁度その時、神奈子と諏訪子の二柱が入って来た。その後ろから、お茶とせんべいを持ってきた早苗も入って来る。
神奈子はパチュリーの正面に座った。でんと具合に。
「よく来た!魔法使い!」
「……?」
「どうかしたか?七曜の魔女」
「いえ、なんでもないわ」
やけに鷹揚な態度の神奈子。不自然に見える。何か忘れるように無理にハイテンションというか……。そんな風雨の神を土着神が肘でつついていた。みるみる内にテンションが落ちる神奈子。一つ咳払い。
「ゴホン。それで、いつ戻って来たんだい?」
「昨日よ」
「これはまた随分早い報告だね。もう少し、ゆっくりしてるのかと思ったよ」
「できるだけ早く、ハルケギニアに戻りたいのよ」
「ふ~ん……。じゃぁ、話を聞こうか」
神奈子は力を抜いて、注がれたお茶を口にする。同じくパチュリーも。
「まだまだ調査なんて段階じゃないわよ。話を少し聞いただけだもの。所見って程度なんだけど、それでもいい?」
「かまわないよ。逆に第一印象が真実だ、って事もあるしさ」
「なら始めるわ」
すると彼女はこあが持ってきた鞄から、ノートを取り出す。
「ハルケギニアはヨーロッパ中世……そうね、16世紀から19世紀がごちゃごちゃになったような社会よ。それに魔法が加わるわ」
「まさに剣と魔法のRPGですね!」
いっしょに座っている早苗の目が、キラキラしていた。パチュリー、とりあえず返事。
「そうなのだけど、一見して気になった事がいくつかあるわ」
「なんだい?」
神奈子、お茶を飲み干すと、わずかばかり身を乗り出す。パチュリーはちゃぶ台の真ん中にノートを広げた。そのノート指さしながら説明を開始。
「ハルケギニアにはルイズの言った通り、月が二つあったわ。大きい方が青の月、小さい方が赤の月。青の月の見かけの大きさは、地球の月よりも大きいわ。聞いた話だと、連星のようよ。そう長くいなかったんで、確認はできなかったのだけど」
「へぇ、二つの月ねぇ。あんたの所の吸血鬼なんか、大喜びしそうじゃないの。それで?」
「正直、あの状態で存在してるのには驚いてるわ」
「何故だい?」
「両方の月が大きすぎるの。特に赤の月は、軌道が不安定になってもおかしくないと思うわ。どこかへ飛んでいくか、あるいは青の月かハルケギニアに落ちてても不思議はないわね」
「ふ~ん……。それにしても星に詳しいのね」
「ほら、私も太陽と月に関する魔法を使うし、レミィ達も月に影響されるから。知識は蓄えて置いて損はないわ」
話を聞いていた早苗は、頭の中に双月を思い浮かべる。少女漫画のようなイメージを。
「でも、青と赤の月が並ぶって、ちょっとロマンチックですねぇ。青い月に祈るって……歌詞があったじゃないですか。あれ?白い月だったかな?」
「その青いのも疑問なの」
「えっ?」
早苗のポエマーな気分を、ぶった切るパチュリー。
「赤い月はまだいいわ。おそらく鉄分が表面に多い星。でも岩石天体で、青いのはちょっと想像つきにくいの。青い鉱物はいろいろとあるのだけど、地表全面を覆うほどとなるとね」
「もしかして月自体に、何か意味があると思われてるんです?」
「何かの術の効果で、そう見えてる……とかね。そうなると連星というのも、実態なのかという疑問も出てくるわ」
「へー……。そうですか……」
早苗は分かっているんだが、分かってないんだか、なんとも曖昧な返事をする。すると今まで黙っていた、諏訪子が口を開いた。
「青に赤の月か。後、緑があれば、色の三原色だねぇ」
「…………」
パチュリー黙り込む。そしてノートの端に何かメモっていた。
姿勢をただすと魔女は、話を進めた。
「それで次なんだけど……。ルイズのいる国の東。ずーっといくと砂漠があるのよ」
「それで?」
「なぜ砂漠があるか、分からないの」
「?」
神奈子は不思議そうな表情を浮かべる。眉間に皺をよせ。パチュリーは続けた。
「乾燥地帯になるような要因が少ないのよ。境界に高い山脈がある訳でもないようだし」
「緯度は同じなのにか……。本当に東かい?実は南東とか北東とかじゃないの?」
「かもしれないわ。十分調べた結果って訳じゃないから」
そこにまたもや諏訪子。
「地形じゃ、ないかもしれないよ」
「例えば?」
「内陸にあって常にそこだけ高気圧に覆われていれば、湿った空気は入れないでしょ?」
「高気圧が単体で存在する?そんな事ありえないわ」
「神奈子なら、できるんじゃない?」
土着神はちゃぶ台に肘を立てて、隣の風雨の神に聞く。
「まあね。でもそんな事したら、人がいなくなって存在を維持できなくなるよ」
「できる事はできるんだ」
それを聞いてパチュリー、諏訪子に言葉を返した。
「つまり何?砂漠の真ん中に、そういうものを発生させる何かがあると?」
「もしかしたらって話だよ。ネタみたいなものさ」
「…………」
また紫魔法使いは、何やらメモ書き。ちょっとばかり考えてから、次の話を口にする。
「最後になるのだけど、ハルケギニアはやっぱり中世ヨーロッパみたいに、階級制度があるの。そこで貴族から上と、平民から下を分けているのが魔法」
「魔法を使えるのが貴族って訳か」
「その通り。と言いたいのだけど、そうでもないようなの。大きな手柄を上げた平民が貴族になる制度があるようだし、逆に貴族がいろんな理由で平民に身を落とす事もあるようよ」
「つまり、こう言いたい訳ね。それだけ貴族と平民が混ざり合う要素があるのに、何故か魔法が使える平民はおらず、一方、魔法の使えない貴族もいないと」
神奈子の解釈に、魔女はうなずく。注釈付きで。
「ただ、平民から成り上がった貴族本人は魔法が使えないし、同じく没落した貴族本人は魔法が使えるようよ」
「ふ~む……。魔法は個人の能力のように聞こえるけど、何故それが制度としての身分の縛りを受けるのか分からないと……」
すると早苗が考えを口にした。
「それって、単に例外的な貴族や平民が、とても少ないからじゃないですか?貴族になれる平民も、没落する貴族も滅多にいなければ、そう血が混ざらないような気がするんですけど」
「あなたの言う通りかもしれない。ほんの何人かに話を聞いただけだもの。どの程度の割合で、血の混ざりあいが起こってるか分からないわ。ただ、もし頻度が高いにも関わらず、身分に魔法の有無が縛られるなら理由は個人に帰属しない事になるわね」
「なんか面白そうですね。謎解きみたいで」
何やらまたも早苗が楽しそう。ただパチュリーは、そのテンションを落とす解答を用意しているのだが。
「もっとも、これはだいたい想像がついてるのよ」
「あら、もう理由が分かってるんですか?それはちょっとがっかりです。それでなんです?」
「杖よ。ハルケギニアでは、魔法を使うのに杖が必須なの。しかも個人専用。つまり魔法の素質があっても、杖の作り方を知らなかったら、魔法が使えないのよ」
「という事は、貴族と平民を分けているのは、魔法の才能じゃなくって、杖を作る技術という事ですか?」
「おそらくね。私は、ハルケギニアで魔法を使えない人間は、いないんじゃないかと思ってるわ」
「へー、そうなんですか……」
やけに感心している早苗。するとやっぱり諏訪子が一言。
「それを実証するの、簡単だね。平民のために杖を作ってやって、魔法を使える人間が一人でも見つかればいいんだから」
「そうね」
「でも、一人も見つからなかったら、それはそれで面白そうだね」
「…………」
なにやらまた意味ありげな事を言う土着神。紫魔女は、少しばかり不機嫌そうになっていく。
「ちょっと聞きたいんだけどいいかしら。蛇と蛙の神様」
「酷い言われようだ」
軽く返す神奈子。しかしパチュリーはおかまいなしに尋ねる。
「もしかしてあなた達、ハルケギニアの何かを知っていて、私達がそれを見つけられるかどうか、楽しんでるんじゃないかしら?」
「そこまで性格悪いつもりは、ないんだけどなぁ」
「では、隠し事は全くないと?」
「まあ、あえて言うなら、ハルケギニアを近いって感じた事くらいかな」
「近い?」
紫魔女は少しばかり、首を傾げる。神奈子は腕を組むと、語り掛けるように口を開いた。
「異世界に近いという概念を当てはめていいのか分からないけど、とにかくそう感じたの。文字通り近いのかもしれない」
「つまりハルケギニアはすぐ側にあると?」
「あるいは、重なってるとかね」
「重なる……。何か影響でも出てるの?」
「別に、今のところはない」
「今後、出ると?」
「それも、分からない」
「そう……」
パチュリーはうつむいて口元に手をやると、しばらく考え込んだ。神の不穏な言葉が、頭に響く。やがて何かを思いついたのか、ノートにメモをした。そしてノートを閉じ鞄へ仕舞う。そんな彼女に、また神奈子から声がかかった。
「それで、用事は報告だけ?」
「ああ、そうだったわ。あの転送陣なんだけど、幻想郷とハルケギニアで、往復3日のズレがでたの。あれって転送に時間がかかるもの?」
「ん?試使用の時は、ズレてなかったんじゃないの?」
「そうなのだけど。今回、戻ってきたらズレてたのよ」
「時間がかかるようなもんじゃ、ないハズなんだが……」
「やっぱり時間軸に、ズレが出てるのかしら?」
「時間だったら、あんたの所のメイドの方が専門家じゃないの?私らより詳しいんじゃないのかしら」
「神自ら、人間に劣ってると口にするとは思わなかったわ」
パチュリー少しばかり嫌味を含めた口調。さっきの諏訪子の茶々への、意趣返しとばかりに。しかし神奈子、気に留めない。
「日本の神は専門職だからね。及ばない所も多いさ。それにあのメイドは、人間にしては規格外だ」
「それは確かね。ともかく一度、転送陣見てくれないかしら」
「ケーキを用意してくれるなら」
「ケーキが供物?」
「洋菓子はなんだかんだで、紅魔館が一番だからね」
「そ。今度咲夜に言っておくわ。神が絶賛してたわって。それじゃぁ頼むわ」
「ん」
神奈子は小さくうなずく。神の了解を聞き届けるとパチュリーとこあは立ち上がった。
「そろそろお暇するわね。お茶と茶菓子ありがとう。久しぶりの緑茶も美味しかったわ」
「またいつでもいらしてください。お話、面白かったです」
早苗は笑顔で答える。そしてパチュリー達を社の外まで送った。
守矢神社を離れ、ふわふわと飛びながら、紅魔館へと向かう。すると横にいるこあが話かけてきた。
「あの~、パチュリー様」
「何?」
「さっきの話、よく分んなかったんですけど……」
「私もよく分からないわ」
「からかってるんですか?」
「言葉で煙に巻いてたようにも思えたし。ともかくハルケギニアに何かあるのは、間違いなさそう。そっちの方も興味が出てきたわ」
「はぁ……。そうですか……」
こあは主にも煙に巻かれたようで、少し憮然。
やがて紫魔女と悪魔の司書は、あまり爽快でない気分のまま家路につく。
射命丸文は、自宅の暗室で難しい顔をしていた。
『文々。新聞』のハルケギニア特集第一号は、ほぼ調整が終わっていた。後は本番印刷にとりかかるだけ。だがその手は何故か止まっていた。暗室で写真やネガと睨めっこしながら唸っている。
「おかしい……。数が合わない……」
写真を並べながらそんな事をつぶやく。というのも写真の枚数がやけに多いからだ。普段なら枚数が多かろうが気にしない。スクープはどこで取れるか分からない。そんなものを気にしていたら、奇跡の一瞬を撮り損なうかもしれないからだ。
だが今回は事情が違った。文のカメラはフィルム式のカメラ。はたてのデジタル式とは違い、撮れる写真の枚数がフィルムの本数に影響される。そして取材現場は、なんと言っても異世界。そして異世界では、フィルムの補充が効かない。また、デジタル式のようにいらない写真を削除して、容量を増やすなんて事もできない。普段通りにやっていたら、フィルムが無くなってスクープを取り逃がす可能性も十分ありうる。だからかなり計画的にフィルムを使っていた。余裕が常にあるように。
計算ではフィルムが何本か余っているはずだった。しかし、それが残りわずか一本。マメにチェックしながら、写真を撮っていたつもりなのだが。
「16日間でこの本数……。どこかで余計に撮り過ぎたかしら?でも、ちゃんとチェックしてたはずだし……う~ん……」
首を何度もひねりながら、記憶を探っていく。だがどうしても出てこない。
「漏れでもあったのかしら?ま、とりあえず足りてたんで、良しとしますか。今後の反省に生かすとしましょう」
そう口にして気持ちを入れ替える。何せ、またハルケギニアに出発するまで時間がなかった。些細なことで悩んでいる暇はない。やがて暗室を片づけると、文は本番印刷に取り掛かった。もう不可解な枚数のずれは、記憶の彼方に追いやられていた。