廃村の隠れ家、幻想郷メンバーの拠点で、うさぎ耳が頭を悩ましている。鈴仙・優曇華院・イナバである。
ルイズの姉の治療のために、ハルケギニアに来た彼女だが、今抱えている問題はそれではない。もう一つの仕事。師匠の極秘命令、というか無茶な命令。この世界の宝を強奪せよという方。
実はその宝、手の届く場所にあった。一つはルイズが持っている『始祖の祈祷書』。もっとも、ルイズがアルビオンに持って行っているので、今はない。しかし宝はまだある。それはトリステイン魔法学院の宝物庫。トリステインでも貴重な宝の数々が、保管されているそうだ。ただここは一度盗賊に入られており、警備が厳重になっている。だが、ここの鍵を管理しているのは、トリステイン魔法学院の学院長、オールド・オスマン。彼さえ上手く騙せば、警備を突破するのは簡単。しかも鈴仙は幻術使い。目的を達成するのは造作もなかった。問題なのは、彼女がいい人だった事である。
良心と格闘しながら脂汗流していると、ノックがした。むりやり何事もなかったような顔を作り上げる。美容院のサンプルのような笑顔を。
「はい。どうぞ」
「失礼するわ」
入って来たのは七曜の魔女こと、パチュリー・ノーレッジ。と、使い魔のこあ。ここには今、彼女達三人しかいない。残りはアルビオンで泥棒の最中。
パチュリーは声をかける。不自然な鈴仙を気にもせず。
「今、暇?」
「え、ええ。特にやる事ないんで」
「なら、ちょっと付き合って」
「えっと……何?」
「時間つぶしよ」
「……まあいいけど」
パチュリーに言われるまま、鈴仙は部屋を後にした。
やって来たのは呼んだ当人の部屋。そこに一振りの剣が置かれていた。かなり錆びついた剣が、魔法陣の中心に置かれている。これを見るだけでも、曰くありげな物と分かる。玉兎はボロボロの剣を指さした。
「あれ、何?マジックアイテム?」
「見ねぇのが来たと思ったら、またヨーカイかよ。うさぎ耳って……今度は獣人か?」
「え!?しゃべった!?」
「いつも同じ反応されるな。慣れっこだけどよぉ」
錆剣ことデルフリンガーは、鼻で笑うように言う。鼻はないが。
話す剣に思わず、目を見開いたまま固まる鈴仙。口を半開きにして。やがてパチュリーに、好奇心ありそうな顔を向けた。
「付喪神?」
「違うわ。インテリジェンスソードっていうマジックアイテムよ」
「へー。話す道具があるんだ……」
しみじみと眺めながら、異界の珍品にうなりを上げる。すると、さっきの会話を思い出した。
「時間つぶしってこれの事?」
「そうよ。これに幻術かけて欲しいの」
「剣に幻術?なんで?」
頭にハテナが浮かぶ鈴仙。首を傾ける。紫魔女は変わらぬ態度で、説明しだした。
「あの剣、記憶喪失なのよ。それを思い出させたいの」
「ちょっと待ってよ。幻術でどうやるのよ?」
「できないの?」
「できる訳ないでしょ。私の幻術は、本人の記憶の中から幻を作り出すんだから。本人が知らない物は出せないわ」
その言葉を聞いて、うなだれるパチュリー。望みがなくなったとばかりに。
「この手もダメか……」
「魔法じゃダメなの?」
「この剣、魔法を吸い込む性質があるのよ。調査用の魔法まで吸い込むもんだから、調べようがなくて。今までは、ある程度魔力を吸い込むと思い出すって方法が使えたんだけど、それも限界らしくってね」
「それで、私なのね」
「ええ。あなたの幻術は魔法じゃないから」
「でも、期待に応えられそうにないわ」
鈴仙は肩をすくめて、お手上げのポーズ。
それを見て、パチュリーはスッパリこの手をあきらめた。すぐに気持ちを切り替える。いつもの抑揚のない表情に戻った。
「まあ、できないものはしようがないわ。ついでだから、もうちょっと付き合って」
「いいけど……」
玉兎は微妙な表情を浮かべながら、うなずく。やがて魔女達と共に部屋を出て行った。
次に来た場所は廃屋となった寺院の屋根の上。後から作った観察台。鈴仙は満天の夜空を見上げながら、感心していた。
「へー。こんな所があったんだ」
ちょっとばかり楽しそうに、空を見ている鈴仙。そんな彼女に水を差すように、パチュリーが問いかける。
「あなたに、星について聞いてみようと思ってね」
「私、星の専門家でもなんでもないわよ?」
「でも、あなた、波長が分かるんでしょ?」
「ああ、そういう事」
実は鈴仙の幻覚を見せる力は、彼女の能力の副産物でしかない。対象の波長を操る事こそ、彼女の能力の本質。当然、いろんな物の波長が見える。もちろん星のものも。
玉兎はさっきとは違い、見極める様に空を眺める。星々を、青と赤の双月を。
しばらくして、空を見上げたままつぶやく。
「最初来た時から、なんか変だなとは思ったんだけど……、改めて見るとやっぱり変」
「で、何?」
「星が動いてないの」
その言葉に、こあがすかさず反応。
「動いてないって……どういう意味ですか?星は空を動いてますよ?」
「星が昇ったり、沈んだりって意味じゃないの。ほら、私達の宇宙って、だんだん大きくなってるでしょ?だから、波長のブレが出て、それが星によって違うの」
鈴仙の説明に、今度はパチュリーが一言添える。
「ドップラー効果?」
「ああ、それそれ。雰囲気って程度だけど、私達の星空だと微妙に感じるのよ。だけどここでは、それがないの」
「つまりここでは、ハルケギニアと星の距離が固定されてるって訳ね」
「うん。私が感じるレベルではだけど」
月うさぎは再び空に目を向ける。そこにはさっきと変わらぬ、星空があった。
一方、紫魔女。俯いたまま、口元に拳を当てて考え込む。こあの観測から惑星がないと考えざるを得ない。つまりは、この天空で動いているのは、太陽と双月だけという事。止まっている空。天球に張り付いている星。ふと、何か箱庭に入っているような感覚に魔女は襲われた。
ポツリと漏らす。
「かなり小さい、閉じた宇宙って事かしら……」
「えっ?」
鈴仙の声に、パチュリーは答えない。代わりに最後の問いかけを返した。
「もう一つ聞きたい事があるんだけど、青と赤の月の他に何かある?星みたいに小さいものじゃなくて」
「え?ないでしょ?見れば分かると思うんだけど……」
「本当に?」
「黄色の星……とか」
「黄色?」
「太陽……」
「……。それはそうね」
肩から力が抜ける。
そんなパチュリーにちょっと気の毒に思ったのか、鈴仙は空を指さした。
「えっと……その……あえて言えば……」
「言えば?」
「あそこ」
だが、そこには真っ暗な闇夜があるだけ。パチュリーとこあは目を細める。
「何もないわよ?」
「そうなんだけど……、何か変な感じがするの」
「……。もしかして、緑のような感じ?」
「緑?違うわよ。でも、なんで緑?」
「……」
魔女は答えない。ただ眉間に皺を寄せると、不満そうに零した。
「蛙の神様に、引っかけられたかしら?」
「蛙の神様?」
「山の神社の祟り神よ。彼女がね、青と赤の月に緑の月があれば、RGBだとか言ってね」
「ああ、三原色ね」
彼女の質問に、ようやく納得する鈴仙だった。
それから何かないかと、しばらく空を眺めていた三人。しかし、結局何も見つからないと分かると、観察台から降りていく。ただ鈴仙は首を捻りながらだが。今までの質問の繋がりが、分からないので。地下への階段を降りる途中、尋ねてみる。
「ねえ、いったい何を調べてるの?あなた系統魔法を調べてるって聞いたんだけど、星は関係ないような気がするし」
「この世界の事を知りたくてね。それに神奈子との約束でもあるし」
「山の神様の?」
「ハルケギニアの事を調べるって条件で、ここへの転送陣を手伝ってもらったのよ」
「へぇ……。なんでまた山の神様が?」
「さぁ?また何か企んでるかもしれないかも」
「相変わらず、迷惑な神様ね」
鈴仙、呆れ顔。それにパチュリーは、短く鼻を鳴らす。
共用のリビングに入ると、二人は椅子に腰かけた。こあが紅茶を用意。カップを置く。ただパチュリーには、それが見えてないよう。何やら考え込んでいる。この世界の事とは、そんなにそそられるテーマなのかと、鈴仙は半ば感心していた。彼女はカップに両手を添えながら、尋ねる。
「結構、私に期待してた?」
「ん?まあね。調査が行き詰ってたのもあったし」
「ごめんなさいね」
「気にするもんでもないわよ」
魔女はそう答えると、紅茶を一口。すると玉兎に顔を向ける。
「鈴仙。私、一旦幻想郷に戻るわ」
「どうして?」
「原点から調べなおそうと思ってね。まずは、ルイズを召喚した召喚陣から。だから魔理沙達が戻ってきたら、そう言っといて」
「うん。分かった」
置かれた紅茶を味わいながら、玉兎はうなずいた。
その後、他愛もない会話がいくつか交わる。妖怪達の夜は、こうして更けていった。
一方、パチュリーの部屋に残った剣。一人ポツリとこぼす。
「実験材料にされるのは初めてじゃねぇが、なんかこう面白くないぜ。もうちょっと暴れたい気分だ」
ふと、使い手と共に勇ましく戦っている光景が、脳裏に浮かんだ。いや、脳はないのだが。強大なエルフと戦うその姿に、デルフリンガーは奇妙な感慨を覚えていた。
月夜の神聖アルビオン帝国の帝都、ロンディニウム。その一角。ただの宿を300人以上の兵が囲んでいた。さらに空には、宿を中心に数十騎の竜騎士が旋回している。これほどの人数の兵達が、意識を向けている目標の宿。そこには賊が潜んでいたのだ。
対する賊一党……ルイズ、キュルケ、タバサ、魔理沙、そして衣玖と水の精霊ことラグド。多勢に包囲されている中、何やら中で忙しく動き回っていた。
キュルケが階段を、少しばかり重い足取りで降りて来る。一階に着いて最初に出たのは溜息。
「ふぅ……。終わったわよ」
「お疲れ」
それを魔理沙が迎えた。キュルケは首を回しながら、厳しい面持ちで注意一つ。
「できるだけの事はやったわ。でも、あまり固定化って得意じゃないから、強度は過信しないでよ」
「できないものはしゃーない。そこは臨機応変だぜ」
丁度、ルイズとタバサが宿屋の主の部屋から出てきた。キュルケが声をかける。
「そっちは?」
「終わった所。問題ないわ」
ルイズといっしょに、タバサもうなずく。彼女が言った問題ないとは、主と客を一階の部屋に閉じ込める事。『スリープ・クラウド』の魔法で、眠らせてある。これからの事には邪魔になるので。
準備が整い、全員が一階に揃った。
いつもなら軽口の一つも出そうだが、今はそんなものはない。あるのは漂う緊張感。無理もない。なんと言っても地上も空も総勢350人に囲まれ、それを5人+1で相手をしないといけないのだから。だが、落ち着きを失っている者はいなかった。
やがて、小さな樽を抱えた衣玖が口を開く。
「そろそろ始めましょう。兵達の準備が、整いつつあるようですから」
「よし。じゃ、いくぜ」
魔理沙の掛け声に、全員が頷き動き出す。魔理沙とタバサは最上階の三階へ、キュルケはキッチン、衣玖は宿の入口の前。ルイズは一階の中央に陣取った。
全員が息を飲み、構える。350人の兵を突破する脱出作戦の開始である。
シェフィールドは、目標の宿から100メイルほど離れた建物の最上階から、現場を眺めていた。ここが臨時司令部。視線の先では兵の群が、一つの宿を完全に包囲していた。
部隊は三つに分かれ、それぞれは10人ずつのメイジを含む兵100。一つの部隊は屋根の上。残りの二つは地上に。地上にはメンヌヴィル達もいた。さらにワルド率いる竜騎士が、空への脱出を防ぐため旋回し続けている。
作戦はシンプル。賊が寝静まった間に、屋根からと地上からの一気の突入。数に物を言わせた奇襲だ。シェフィールドは、そのタイミングを計っている。口元には笑みが薄っすら浮かんでいた。
これほどの構えだ。まず捕り逃がす事はない。それに、いざとなったら、自分も秘蔵のマジックアイテムを使うつもりでもある。頭に今あるのは、捕えた後の事だった。どこの手の者かと、想像を巡らせていた。
やがて、副官がやってくる。
「全ての配置が完了しました。いつでも行けます」
「そう。では……ん?」
突入の合図を出そうとした時、ふと宿の扉が開いた。人影が一つ出て来る。突入の構えを取っていた兵達は、そのたった一人に思わずたじろぐ。後ずさりしながら、人影を包囲する。
シェフィールドは眉をひそめると、望遠鏡を手にした。その姿が目に入る。
長いマフラーのようなものを、首から下げ、右手に小さな樽を抱えている。一見、顔を布で覆った平民姿の女性。だが何かが違う。異質な空気が、まとわりついているように感じる。彼女は直観した。これは妖魔だと。
さて当の不審人物は、永江衣玖。一応、顔を隠すため、布を覆っている。その隙間から見えるのは、ぐるりと囲んだ兵の群れ。だが、突入しようとした正にそのタイミングで現れた彼女に、戸惑いが感じられた。
(かなりの数ですね。まるで祭りのようです。さてと、役目を果たしましょうか)
天空の妖怪は頭の中でつぶやくと、視線を一人のメイジに向けた。この中の、指揮官らしき人物に。緊張した視線が、衣玖に向いている。一方、彼女は彼にわずかに頭をさげる。彼女自身は、先に詫びを入れたつもりだった。
五戒をなるべく破りたくはないが、そうも言っていられないので、せめてもの礼儀。ただそれでも、人死には出さないつもりではいたが。
対する相手は、不思議そうな顔で首を捻るだけ。
次の瞬間、雷鳴が轟く。
彼女を閃光が包む。
雷撃が四方へと伸びる。
しばらくして呻きながら倒れるメイジ。いや彼だけではない。衣玖の周りにいた最前列の兵が、全員バタバタと倒れていく。
兵達は唖然として、動きを止めた。瞬きすらも。何が起こったのか理解している者は、ここにはいなかった。
空気を切り裂くような轟音。シェフィールドが雷鳴だと気づいたのは、わずか後。
妖魔らしき平民の周囲に、閃光が発生していた。その後には、うずくまる兵達。
我に返ったシェフィールドは、思わず舌を打つ。
「チッ!やられた!」
奇襲を掛けるつもりが、逆に先手を取られた。振り返ると、副官に命ずる。
「突入なさい!」
「は、はっ!」
副官は直ちに伝令へ命令を伝える。夜の町がざわめき立つ。兵の群れが動き出す。
しかし、最前列の部隊は動かない。妖魔の先制パンチに、尻込みしてしまったのだ。遠巻きに囲っているだけ。さらに突入班の班長も、電撃を喰らい動けずにいた。指揮は混乱し、部隊は動かない。
望遠鏡で覗くシェフィールドは歯ぎしり。だが、まだ余裕があった。屋根の上にも部隊があるからだ。
屋根の部隊は全く無傷。隊長のメイジはすぐに指示を出した。突入の合図を。
突入班が一斉に、目標の宿の屋根に飛び移る。兵達と数人のメイジ。力自慢の兵が、屋根をぶち破ろうと、大きな木槌を振り上げる。そして振り下した。
だが、カンと言うまるで金属でも叩いたかのような響きが返る。屋根が巨大な木槌を跳ね返した。
「なんだ!?」
兵達は、怪訝な表情。ただの木の屋根のはずが、あり得ない硬さ。しかも、彼だけではない。数か所に分かれた兵達の木槌が、全て通用しない。
その様子を見ていたシェフィールドは、面白くなさそうにつぶやく。
「固定化か……」
すると隣の副官が言葉を添えた。
「どうやら、賊はこちらの動きに気づいていたようですな」
「そのようね」
これで、賊が寝静まった所を奇襲、という彼女の目論見は上手くいかなくなった。残る方法は一つだけ。
「強行突破なさい。残念だけど、妖魔は始末していいわ。ただしメイジだけは捕えるように」
「はっ」
副官が命令を伝えに、部屋を出て行った。
屋根の上では、アチコチを叩きなんとか突入口を開けようとしていた。だがどこも固定化がかかっており、木槌を跳ね返す。隊長のメイジは、苦虫を潰したような顔。その時、掛け声が上がった。
「開いたぞ!」
木槌が屋根を突き破っていた。隊長の表情が緩む。すぐに号令。
「よし!やったか!突入!」
開いた場所に兵達が集合。蓋のようにめり込んでいた木槌を抜き、一気に突入しようとする彼ら。だが足が止まった。
「なんだ?」
木槌を抜いた直後出てきたのは、白い煙。一瞬、火事かと思ったが、煙たくはない。ただこの煙のせいで、中の様子がまるで見えなかった。
恐る々一人の兵が中を覗き込む。
だがその身を、一筋の閃光が貫く。
覗いた兵は、見事に吹き飛ばされていた。
突入口を囲む兵達は茫然。吹き飛んで屋根に倒れる仲間に、顔を向ける。
「え……?」
すると彼らの後ろから、怒号が届いた。
「突入と言ったろ!貴様ら、耳がないのか!」
余裕がなくなっている隊長のメイジが、そこにいた。
彼に脅されるように、兵達は少々強引にでも中へ入ろうとする。しかし、また閃光。吹き飛ぶ兵。
体を半ば穴へ入れようとする度に、光が兵を吹き飛ばす。はじけるポップコーンのように。
痺れを切らした隊長が、さらなる命令。
「一斉に入れ!」
数にものを言わせようと、無茶な事を言いだした。自棄になって、穴へ飛び込もうとする兵達。
だが……。
「うわっ!」
全員が吹き飛んだ。空気の塊のようなものに押し出されて。
隊長と副隊長のメイジは、渋い顔でつぶやく。
「あれは……『エア・ハンマー』か?」
「では、あの筋状の光の魔法は?」
「知るか!とにかく入るんだ!」
「どのように!?あんな狭い入口では、数の有利が生かせません!中で何人待ち構えているのかも、分からぬというのに」
「いっそ、宿を焼いてしまうか」
「それはなりません!捕えよとの厳命です」
「クソめ!」
思わず屋根を踏みしだく隊長。
賊の数はわずか5人。その5人に、全兵が翻弄されていた。
一方、その賊の方だが、アルビオンの兵達が考えているほど余裕はなかった。
次から次へと入ろうとする兵達を、レーザーで吹き飛ばす魔理沙。それをフォローするタバサ。
「切がねぇぜ」
「切はある」
「ああ……。そうだったな」
いずれ相手があきらめるという意味ではない。切があるのは魔理沙達の方だった。
兵達が見た白い煙は、実は湯気、水蒸気。煙幕代わりという訳だ。
固定化でほとんど精神力を使い切ったキュルケが、残った力を振り絞り作り出していた。彼女がキッチンに向かったのはこのため。しかしこの水蒸気。井戸から溜めこんだ水を蒸発させているので、限りがある。
さらに屋根の固定化。二人がいる場所の上だけ、あえてかけてなかった。突入口を絞らせるために。だがここ以外は急いで固定化をしたため、ムラがある。あちこち叩けば、いずれ破られるのは時間の問題だった。
「急いでくれよ」
魔理沙は、チラっと一階の方へ視線を送った。
その頃通りでは、兵達が宿に近づけずまごついていた。少しでも近づこうとするなら、次の瞬間には電撃に撃たれる。通りはうめき声で溢れていた。ここには20人以上のメイジがいる。にも拘わらず、宿に近づく事すらかなわない。入り口の前に陣取る妖魔は、堅牢な城壁のよう。
だがそれに、つまらなそうな表情を浮かべる人物が一人。白炎ことメンヌヴィル。兵達の後方、建物の屋根の上から様子を窺っていた。
「ちっ……。お前の言う通り、つまらねぇ仕事だ。もう少しマシな妖魔かと思ったんだがな」
「へ、へえ……」
メンヌヴィルの部下は遠慮しがちにうなずく。あの妖魔を見てなお、この口ぶり。何がそう言わせるのか、彼にはまるで分からない。
「まあ、あんなヤツに手出せねぇアルビオンの連中も、間抜けだけどな」
そう漏らすと、地上へ降りた。おもむろに兵の中へ分け入っていく。仕方なく、彼について行く部下たち。やがてメンヌヴィルは最前列の2、3列後ろまでたどり着いた。
おもむろに、杖を抜く。
思わず目を見開く部下。彼らの前には、まだ兵達がいる。祭りの見物客が、人垣を作っているように。つまり、ここで杖を抜くという事は……。
詠唱は瞬時。
魔法が杖の先から噴き出す。
色をなくすほどの白い炎が、熱の塊が。
それは兵を貫き、妖魔に向かう。
と思われたが、違った。兵はいつのまにかいなくなり、炎はなんの障害もなく進んだ。灼熱の炎は妖魔の眼前。
水が蒸発したような音が届く。
誰もが、妖魔を焼き尽くしたと思った。それほど熱と光を感じていた。
だが、そうではなかった事にすぐ気づく。魔法が消えた後、まだその姿はあった。稲光を操る妖魔の。しかし、さっきとは違っていた。左ひじから先がなくなっていたのだ。避け損なったらしい。ただ、うめき声一つ上げず、痛そうにもしてない。
そんな彼女に、ずかずかと近づくメンヌヴィル。最前列からさらに一歩前に出てきた。
「妙な匂いだな、あまり好みじゃねぇぜ」
「…………」
「痛くねぇのか?」
「……。そういう訳ではありませんよ」
「へっ……。お前、面白いな。だがバカだ」
鼻で笑うと、メンヌヴィルはわずかに振り返る。そこには倒れている兵がいた。
魔法を撃つとき、彼の目の前から兵がいなくなったのは、彼らが転んだからだ。妖魔のマフラーに足をすくわれて。そう、彼女は敵兵の命を助けたのだった。おかげでメンヌヴィルの魔法を、かわし損なった。
呆れた顔を戻すと、今度は最前列の兵達に罵声。
「バカはお前たちもだ!こんな妖魔一人、始末できねぇなんてな!」
彼の言葉に怒りを露わにする者もいたが、全員が言い返せないでいる。事実なのだから。ただ、メンヌヴィルを睨みつけるだけ。
白炎の怒鳴り声は続く。
「足元を見てみろ!死んだヤツがいるか?倒れてんのは全部生きてる。この妖魔様はなぁ、人殺しが大嫌いなんだよ!」
言われて初めて気づいた。死者が一人もいない事に。つまり、少々痛いのを我慢すればいいだけの話だった。なんと言っても、地上には200からの兵がいるのだから。
メンヌヴィルは、再び妖魔の方を見る。
「へっ……。けどな、てめぇが一番バカなのは変わらねぇ。敵助けてどうすんだよ。左手をなくしちまって、逃げられなくもなったしな」
「あなたは違うようですね」
「ああ、俺なら敵に情けなんて掛けねぇ。無能な味方にもな。それに、人殺しが大好きなんだよ。燃えちまってる所なんて最高だ!」
からかうような口ぶりと、にやけた笑い。負ける事は絶対にないと確信していた。何者をも寄せ付けなかった彼女を、あざ笑う余裕すらある。
だがそんな彼に、妖魔の様子は変わらない。
「それにしても、よく話しますね」
「へっ、気に障ったか?命をなんだと思ってるんだとかな?ハハッ!」
「いえ。みなさんが、大人しく清聴してるので」
「あぁ?」
「時間が稼げたなと」
「!!」
盲目のメンヌヴィルは気づかなかった。周りにいる兵達が、いつのまにか妖魔の方ではなく、宿の方に顔を向けている事に。視線が釘付けになっている事に。
光が漏れていた。宿の窓の隙間から、入り口から。いや、宿中から光の塊が滲みだしてきた、溢れだしてきた。
兵達は振り返り、一斉に逃げ出す。しかし、ごった返したこの通り。数歩も前に進めない。
光はすさまじい勢いで膨れ上がる。
もはや逃げられない。
それは宿を飲み込み、目の前の通りを飲み込み、兵を飲み込み、区画をまるごと飲み込む。それでも光の膨張は止まらない。
光の巨大な半球が地上に現れた。双月の夜の町を照らしていた。
アルビオン艦隊を壊滅させた、虚無の魔法『エクスプロージョン』。それが再び現れた。
「な……!?」
シェフィールドは瞬きを止めたまま、迫る光を見つめる。その身を固めたまま。側にいた副官達も同じに。
我に返り、慌てて逃げ出したのは、その数秒後。光の珠を理解する以前に、不可解への恐怖が、ここから逃げろと命じていた。
「あれは!」
空中にいたワルド達もそれは同じ。風竜の手綱を返すと、急いで光球から逃げ出した。
だが光の玉は、突然、膨張を止める。急速に縮みだす。やがて跡形もなく消え去った。
結局、規模としては、ラ・ロシェール戦の時よりはるかに小さい。それでも、全兵を巻き込んだ。
後に残されたのは、変わらぬロンディニウムの町と、身を伏せる兵達。
「ん?あれ?生きてる!?」
おもむろに立ち上がる彼ら。そう。光の玉に包まれはしたが、命を失った者はいなかった。だが、別の物を失っていた。
「おい……」
「あれ?」
誰もが気づいた。自分達の武器が一つもないと。剣が、弓が、銃が、杖が。今、彼らは丸腰。振り返った先には、あの雷撃を操る妖魔が相変わらず他佇んでいた。この妖魔の前で丸腰。冷や汗がただ流れる。
だが一人、違う感想を持った者がいた。やはりメンヌヴィルだ。
「信じらんねぇ!敵を嵌めたってのに、それでもお命大切かよ!大馬鹿だな!」
腹を抱えて大笑い。今までいろんな戦場を歩いたが、ここまで敵の命を大切にするなど見た事もない。驚きを通り越して、喜劇にしか思えなかった。
やがて、すぐにいつもの表情に戻ると、部下へ命令。
「おい、適当なロープと武器を持ってこい」
「へ?」
「このバカを始末するんだよ。こっちは死なねぇんだ。負けは絶対ねぇ」
彼は妖魔を指さし、小ばかにした口ぶりで命令。
だが当の彼女は、メンヌヴィルの態度を無視。小脇の樽の栓を抜くと、頭の上に掲げる。漏れてきた水を全身に被った。
「ん!?」
流れる水の音に、怪訝な表情のメンヌヴィル。その様子を窺う。
ふと妙な事に気づいた。さっきまであった、燃えつくした消し炭のような匂いが消えていくのだ。彼には理由がわからない。だが他の者は分かっていた。見えていた。妖魔のなくしたはずの左手が、生えるように元に戻ったのだ。消し炭のようだった部分はもうない。
またも理解できない現象。メンヌヴィルの態度に、気勢を取り戻しつつあった兵達は、また顔色を失う。
一方の妖魔は相変わらず。今度は、樽を両手に持つと、振り回し始めた。残った水が飛び散っていく。
意味不明な様子を、兵達は茫然と眺めていた。最前列の数人に水がかかる。だが何も起こらない。
しかし、それも一瞬。水がかかった兵は急に踵を返し、味方の方を向く。そして空を仰ぎ、大きく息を吸い込むと、口を開いた。
「エルフだぁぁ!賊はエルフだったぞ!」
大声を張り上げていた。そして走り出す。もと来た道を引き返す。この場から、逃げ出していた。
エルフ。妖魔の中でも、最も強大な力を持つ者。それがハルケギニアでの常識だった。
しかしエルフと聞いても、残った兵達は唖然したまま。目の前の妖魔は確かに、得体が知れない。だが、伝わるエルフの特徴、長い耳がない。どう見ても、エルフとは思えなかった。頭がどうかしたのかという様子で、逃げた兵達の後ろ姿を見る。
だがそれは、実際、妖魔を見た者だからこそ考える事。この通りは狭くはないが、さすがに200人は多すぎる。ほとんどの兵は、ごった返す味方のせいで、妖魔の姿を見る事もできずにいた。分かっていたのは、続けざまに起きる雷光と雷鳴。そして自分達を包んだ得体のしれない光だけ。
そこに悲鳴が聞こえて来る。大声をあげながら、逃げ出す味方が向かってくる。賊はエルフだったと叫びながら。
兵達はパニックとなった。
「エ、エルフって!?聞いてないぞ!」
「に、逃げろ!」
「う、うわぁーー!」
一斉に兵が後ろを向く。走り出す。堰を切ったかのように。何せ手元に武器がないのだ。いくら人数がいようとも、エルフを相手にするのは不可能だと誰もが考える。それに釣られるように、最前列の兵達も逃げ出す。屋根にいた者達もそれは同じ。
深夜の通りは、悲鳴で溢れかえっていた。
ほんの数分後、あれほどの兵であふれかえっていた通りは、閑散とし何もない。残ったのはメンヌヴィル一味だけ。メンヌヴィル本人が引き返さないので、部下は動けずにいただけなのだが。彼は、苦虫を潰したような顔を浮かべる。
「てめぇ……。これ狙ってたのか」
「…………」
妖魔は相変わらずの無反応。眼中にないという態度で。
だが、あえて無視していた訳ではなかった。別の事を考えていたのだ。半ば博打の一手、決め手の事を。
ほんの少し前の事。ロンディニウムの郊外。
森の中に、奇妙な恰好の少女達がいた。アリス、天子、文である。魔理沙達との打ち合わせ通り、時間が来るまでの暇を持て余していた。すると、ふと天子が口を開く。
「あれ何かしら?」
「え?」
アリスと文も、天子の指さす方向へ顔を向ける。この月夜に、太陽でも現れたかというような光の玉があった。ロンディニウム市内で膨らみつつあった。
だが全員がその光に見覚えがある。文が神妙な顔つきで一言。
「あれは……ルイズさんの、『エクスプロージョン』ね」
「なんで、あんな魔法使ったのかしら?」
天子は腕を組みつつ首を捻る。だがアリスだけは青い顔。
「トラブったからに、決まってるでしょ!」
「ああ、そっか」
緊張感のない天子。主はトラブルの渦中だと言うのに。アリスとは対照的。
すると人形遣いは、すぐに活動開始。
「助けに行くわよ!天子、雲出して。分厚くて低いの」
「えー。また、そういうの?この手のヤツになると、いつも裏方ばかりしてる気がするんだけど」
「こんな時に何言ってんの!しようがないでしょ!あんたしか、『緋想の剣』使えないんだから」
「うー……。分かったわよ」
天子はブツブツ言いながらも剣を抜き、天に掲げた。あっという間に雲が広がりだす。
次にアリスが声をかけたのは烏天狗。
「文。魔理沙達を助けに行って。雲に紛れてね」
「ま、いいでしょ。で、アリスは?」
「この子達に行ってもらうわ」
彼女の足元の小さなしもべ達。得物を手に、町へと飛んで行った。文はそれを見届けると、暗視スコープをセット。
「では私も行きますか。とう!」
天狗は、カッ飛んでいった。
ロンディニウムの宿の中では、魔理沙とタバサが外の気配を探っていた。
「静かになったな。いなくなったのか?」
「…………」
「ちょっと見てみるぜ。フォロー頼む」
うなずくタバサ。
魔理沙は屋根に開いた穴から、ひょっこり頭を出す。さっきまで、盛んに宿に入ろうとしていた兵達の姿は、人影一つない。さらに空には分厚い雲が広がり、月明かりもない。
「気づいてくれたみたいだな」
ルイズの『エクスプロージョン』は、救援信号の代わりでもあったのだ。
振り返った魔理沙。タバサに向かって親指を立てる。いよいよ脱出。
一方、宿に面した通り。衣玖とメンヌヴィルが対峙していた。いや、敵意をむき出しにしていたのは、メンヌヴィルだけだが。
対する彼女。
「そろそろ、お帰りになってはいかがでしょうか?」
「ぐ……」
「私には精霊の加護もありますから、あなた達だけではどうにもなりませんよ」
衣玖はそう言って、元通りになった左手を軽く振る。実はこの手、治ったのは水の精霊、ラグドのおかげ。さらに、水がかかった兵達を操ったのもラグド。水妖に水の精霊。鬼に金棒である。
対する、何も言い返せない百炎。歯ぎしりの鋭い音が響く。歯が擦り切れそうなくらい激しく。頭の中は、憤りで沸騰しそうだった。相手は舐めているというよりは、端から眼中にないかのよう。いろんな戦場を巡って来たが、こんな態度を取られたのは初めてだった。
「ざけんじゃねぇ!」
思わず、メンヌヴィルは思わず前に飛び出す。喚きながら。
だが、吹き飛んだのはメンヌヴィルの方。しかも衣玖に吹き飛ばされたのではない。別のものに。
足元に小さな人影があった。人形。その小さな人影は武器を手に、ぐるりと水妖の周りを囲っていた。
衣玖は安心した声を漏らす。
「来てくれましたか。助かりました」
「……」
人形は静かに頷いた。
数メイル飛んで、倒れていたメンヌヴィル。耳に、いくつもの小さな足音が届く。
ふと悟った。賊の助けが来たのだと。彼女達が逃げ出さず宿に籠っていたのは、このためだと。要は、籠城の基本に忠実だったという訳だ。そしてもう一つ。賊が二手に分かれていたという事。つまりは、シェフィールドの読み損ない。そんな有様で立てた捕縛作戦だった。
メンヌヴィルは腹を押さえながら、ゆっくりとおき上がる。そして、悔しそうに声を絞り出した。
「おい……」
「へ、へい」
「逃げるぞ」
「え?」
「逃げるって言ってんだよ!」
メンヌヴィルは、部下を叱りつけ、急いでこの場を後にする。その表情は口惜しさが噴出しそうなほど、歪んでいた。
宿の前には、すっかり人影がなくなった。
残ったのは空にいるワルド達、竜騎士だけ。
「いったい、どうなっている!?」
ワルドは、地上を見下ろしながらぼやく。
光の玉が消え去った後、あちこちから悲鳴が一斉に聞こえた。そして、逃げ出していく兵達の姿が目に入る。訳が分からない。空からでは、地上の様子を把握するのに限界があったのだ。しかも、上空にいつのまにか雲がかかっている。月明かりなしでは、なおさらだった。
ただ、一つだけハッキリした事がある。賊の捕縛作戦は失敗したと。
「これだけの人数を揃えて、しくじるとは……。せめてあの妖魔だけでも!」
舌を打つと、手綱を返し急降下。建物の屋根ぎりぎりを、滑空する。
町の上を滑るように飛ぶワルドの風竜。宿の前、衣玖を目に止める。この暗がりにも拘わらず、目標を見失わない。
「そこか!」
彼女に向かって一直線。風竜の咢を開かせる。その奥に炎の塊が燻っていた。
しかし彼は気づいていない。彼もまたターゲットになっている事に。すぐ背後に、笑っている新聞記者、もとい妖怪が近づいていた事に。
「キッーーーク!」
ワルドの背中に強烈な打撃!肺が飛び出るほどの。
「げふっ!?」
一瞬呼吸困難。手綱から思わず手が離れる。そのままの勢いで、前にすっ飛ぶ。糸車のようにくるくる周りながら、通りを飛んでいくワルド。
そのままその辺の建物に直撃。壁をぶち破る。そしてピクリとも動かなくなった。
残された風竜は、そのままどこかへ去っていく。竜騎士隊も、戸惑うばかり。ワルドの元へ向かう者、ただ宙舞っているだけの者と、もはやバラバラ。
やがて衣玖の側に、ゆっくり降りて来る姿が一つ。黒い翼を広げた新聞記者、文である。
「お待たせしました。迎えに来ましたよ」
「お疲れ様です」
一つ礼をする衣玖。さすがの衣玖も少しは気を揉んでいたのか、文を見て声から力が抜けていた。もっとも文の方は、遊びの待ち合わせかという具合に、何の気ないが。
「では、逃げますか」
「はい」
文と衣玖はうなずくと、アリスの人形達と共に宿へと入って行く。
やがて全員が宿から出た。見回す通りには一兵もおらず、見上げた空には、混乱している竜騎士。さらに分厚い雲のせいで、夜の町はまさに闇。逃げるには申し分ない。
ルイズ達を幻想郷組がそれぞれ抱えると、宙に上がる。彼女達は誰にも邪魔される事なく、雲に紛れてロンディニウムを後にした。
紅魔館の地下。大図書館の奥、実験部屋にある魔法陣が光りだす。やがてその上に二つの姿が現れた。パチュリーとこあである。幻想郷に帰って来たのだ。
久しぶりの我が家という事で、少し表情も緩んでいた。パチュリーは一つ息をすると、出口へと向かった。
「とりあえずは、お茶でも飲みましょう」
「そうですね。咲夜さんの紅茶、久しぶりに味わいたいですし」
使い魔のこあが彼女後から付いてくる。
扉を開けると、聳え立つ本棚の群れ。目に入る見慣れた景色。変わった様子もないようだ。いつものくつろいでいたテーブルへと向かった。
すると本棚の脇から、近づいてくる影一つ。
「パチュリー様~」
留守の間、管理責任者代行をしていた別の小悪魔。ここあという愛称で呼ばれていた。ここあは嬉しそうに、寄って来る。
「2週間ぶりですね」
「2週間?」
「そうですよ」
「…………」
難しい顔で黙り込む魔女。代わりという訳ではないが、こあが口を開いた。
「また、ズレてますね」
「そうね。しかもズレが逆転してるわ。今度はハルケギニアの日付の方が進んでる」
ハルケギニアで過ごした日数と、幻想郷で経過した日数が合わない。前回、帰って来た時もそうだったが、また起こった。
ここあの方は、興味がないようで、二人に構わず話を進めだす。持ってきた一冊の本を、差し出した。
「そうそう、パチュリー様。『王の灯篭 真昼の章』を見つけましたよ」
「何よ、それ?」
「悪魔ダゴンを呼び出すって、言ってたじゃないですか」
「悪魔ダゴン?あ~……、ルイズ召喚した時に、呼び出すはずだった悪魔ね」
ルイズを呼び出した召喚陣は、そもそもこの悪魔のためのものだった。だが、出てきたのはルイズだったという訳だ。
パチュリーは、それを思い出したのと同時に、妙な事に気付く。
「ちょっと待ってよ。悪魔ダゴンの召喚は、『王の天蓋 絹の章』に載ってたわよ」
「それがですね~」
ここあは手元の本を広げた。覗き込むパチュリー。
「こ、これって……」
力なく、沈み込む魔女。肩を落とす。脇からこあも、その本に目を走らす。
「あれ?こっちには『王の天蓋 絹の章』が、必要って書いてますよ」
「だけど、当の『王の天蓋 絹の章』には、『王の灯篭 真昼の章』がいるって書いてなかったわ」
「なるほど、注釈が片方にしか書いてなかったんですね。それで召喚が失敗したんですか」
つまり二つの魔法陣が、必要だったという訳だ。魔道書は魔法使いがメモ書きのように作った本もあり、こういう事はたまにあった。
ただ何かが引っ掛かったのか、こあが微妙な表情になる。
「あれ?そうなると、ルイズさんを呼び出した召喚陣は、何だったんです?」
「ただの図形って事になるわね。後から仕掛けた、拘束魔法と、翻訳魔法以外は」
「ん?」
こあは首を捻る。さらに引っ掛かりを感じて。
「それじゃぁ、ルイズさんって、どうやって召喚されたんですか?」
「えっ?」
思わず振り返るパチュリー。こあに見えたのは、珍しい唖然とした表情。
そう。あの召喚陣は、召喚の機能を持っていなかったのだ。ではルイズはどうやって、ここに来たのか。魔女には言葉がなかった。
描写面ちょっといじりました。