ルイズと幻想郷   作:ふぉふぉ殿

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脱出劇

 

 

 

 

 廃村の隠れ家、幻想郷メンバーの拠点で、うさぎ耳が頭を悩ましている。鈴仙・優曇華院・イナバである。

 ルイズの姉の治療のために、ハルケギニアに来た彼女だが、今抱えている問題はそれではない。もう一つの仕事。師匠の極秘命令、というか無茶な命令。この世界の宝を強奪せよという方。

 

 実はその宝、手の届く場所にあった。一つはルイズが持っている『始祖の祈祷書』。もっとも、ルイズがアルビオンに持って行っているので、今はない。しかし宝はまだある。それはトリステイン魔法学院の宝物庫。トリステインでも貴重な宝の数々が、保管されているそうだ。ただここは一度盗賊に入られており、警備が厳重になっている。だが、ここの鍵を管理しているのは、トリステイン魔法学院の学院長、オールド・オスマン。彼さえ上手く騙せば、警備を突破するのは簡単。しかも鈴仙は幻術使い。目的を達成するのは造作もなかった。問題なのは、彼女がいい人だった事である。

 

 良心と格闘しながら脂汗流していると、ノックがした。むりやり何事もなかったような顔を作り上げる。美容院のサンプルのような笑顔を。

 

「はい。どうぞ」

「失礼するわ」

 

 入って来たのは七曜の魔女こと、パチュリー・ノーレッジ。と、使い魔のこあ。ここには今、彼女達三人しかいない。残りはアルビオンで泥棒の最中。

 パチュリーは声をかける。不自然な鈴仙を気にもせず。

 

「今、暇?」

「え、ええ。特にやる事ないんで」

「なら、ちょっと付き合って」

「えっと……何?」

「時間つぶしよ」

「……まあいいけど」

 

 パチュリーに言われるまま、鈴仙は部屋を後にした。

 

 やって来たのは呼んだ当人の部屋。そこに一振りの剣が置かれていた。かなり錆びついた剣が、魔法陣の中心に置かれている。これを見るだけでも、曰くありげな物と分かる。玉兎はボロボロの剣を指さした。

 

「あれ、何?マジックアイテム?」

「見ねぇのが来たと思ったら、またヨーカイかよ。うさぎ耳って……今度は獣人か?」

「え!?しゃべった!?」

「いつも同じ反応されるな。慣れっこだけどよぉ」

 

 錆剣ことデルフリンガーは、鼻で笑うように言う。鼻はないが。

 話す剣に思わず、目を見開いたまま固まる鈴仙。口を半開きにして。やがてパチュリーに、好奇心ありそうな顔を向けた。

 

「付喪神?」

「違うわ。インテリジェンスソードっていうマジックアイテムよ」

「へー。話す道具があるんだ……」

 

 しみじみと眺めながら、異界の珍品にうなりを上げる。すると、さっきの会話を思い出した。

 

「時間つぶしってこれの事?」

「そうよ。これに幻術かけて欲しいの」

「剣に幻術?なんで?」

 

 頭にハテナが浮かぶ鈴仙。首を傾ける。紫魔女は変わらぬ態度で、説明しだした。

 

「あの剣、記憶喪失なのよ。それを思い出させたいの」

「ちょっと待ってよ。幻術でどうやるのよ?」

「できないの?」

「できる訳ないでしょ。私の幻術は、本人の記憶の中から幻を作り出すんだから。本人が知らない物は出せないわ」

 

 その言葉を聞いて、うなだれるパチュリー。望みがなくなったとばかりに。

 

「この手もダメか……」

「魔法じゃダメなの?」

「この剣、魔法を吸い込む性質があるのよ。調査用の魔法まで吸い込むもんだから、調べようがなくて。今までは、ある程度魔力を吸い込むと思い出すって方法が使えたんだけど、それも限界らしくってね」

「それで、私なのね」

「ええ。あなたの幻術は魔法じゃないから」

「でも、期待に応えられそうにないわ」

 

 鈴仙は肩をすくめて、お手上げのポーズ。

 それを見て、パチュリーはスッパリこの手をあきらめた。すぐに気持ちを切り替える。いつもの抑揚のない表情に戻った。

 

「まあ、できないものはしようがないわ。ついでだから、もうちょっと付き合って」

「いいけど……」

 

 玉兎は微妙な表情を浮かべながら、うなずく。やがて魔女達と共に部屋を出て行った。

 

 次に来た場所は廃屋となった寺院の屋根の上。後から作った観察台。鈴仙は満天の夜空を見上げながら、感心していた。

 

「へー。こんな所があったんだ」

 

 ちょっとばかり楽しそうに、空を見ている鈴仙。そんな彼女に水を差すように、パチュリーが問いかける。

 

「あなたに、星について聞いてみようと思ってね」

「私、星の専門家でもなんでもないわよ?」

「でも、あなた、波長が分かるんでしょ?」

「ああ、そういう事」

 

 実は鈴仙の幻覚を見せる力は、彼女の能力の副産物でしかない。対象の波長を操る事こそ、彼女の能力の本質。当然、いろんな物の波長が見える。もちろん星のものも。

 玉兎はさっきとは違い、見極める様に空を眺める。星々を、青と赤の双月を。

 しばらくして、空を見上げたままつぶやく。

 

「最初来た時から、なんか変だなとは思ったんだけど……、改めて見るとやっぱり変」

「で、何?」

「星が動いてないの」

 

 その言葉に、こあがすかさず反応。

 

「動いてないって……どういう意味ですか?星は空を動いてますよ?」

「星が昇ったり、沈んだりって意味じゃないの。ほら、私達の宇宙って、だんだん大きくなってるでしょ?だから、波長のブレが出て、それが星によって違うの」

 

 鈴仙の説明に、今度はパチュリーが一言添える。

 

「ドップラー効果?」

「ああ、それそれ。雰囲気って程度だけど、私達の星空だと微妙に感じるのよ。だけどここでは、それがないの」

「つまりここでは、ハルケギニアと星の距離が固定されてるって訳ね」

「うん。私が感じるレベルではだけど」

 

 月うさぎは再び空に目を向ける。そこにはさっきと変わらぬ、星空があった。

 一方、紫魔女。俯いたまま、口元に拳を当てて考え込む。こあの観測から惑星がないと考えざるを得ない。つまりは、この天空で動いているのは、太陽と双月だけという事。止まっている空。天球に張り付いている星。ふと、何か箱庭に入っているような感覚に魔女は襲われた。

 ポツリと漏らす。

 

「かなり小さい、閉じた宇宙って事かしら……」

「えっ?」

 

 鈴仙の声に、パチュリーは答えない。代わりに最後の問いかけを返した。

 

「もう一つ聞きたい事があるんだけど、青と赤の月の他に何かある?星みたいに小さいものじゃなくて」

「え?ないでしょ?見れば分かると思うんだけど……」

「本当に?」

「黄色の星……とか」

「黄色?」

「太陽……」

「……。それはそうね」

 

 肩から力が抜ける。

 そんなパチュリーにちょっと気の毒に思ったのか、鈴仙は空を指さした。

 

「えっと……その……あえて言えば……」

「言えば?」

「あそこ」

 

 だが、そこには真っ暗な闇夜があるだけ。パチュリーとこあは目を細める。

 

「何もないわよ?」

「そうなんだけど……、何か変な感じがするの」

「……。もしかして、緑のような感じ?」

「緑?違うわよ。でも、なんで緑?」

「……」

 

 魔女は答えない。ただ眉間に皺を寄せると、不満そうに零した。

 

「蛙の神様に、引っかけられたかしら?」

「蛙の神様?」

「山の神社の祟り神よ。彼女がね、青と赤の月に緑の月があれば、RGBだとか言ってね」

「ああ、三原色ね」

 

 彼女の質問に、ようやく納得する鈴仙だった。

 それから何かないかと、しばらく空を眺めていた三人。しかし、結局何も見つからないと分かると、観察台から降りていく。ただ鈴仙は首を捻りながらだが。今までの質問の繋がりが、分からないので。地下への階段を降りる途中、尋ねてみる。

 

「ねえ、いったい何を調べてるの?あなた系統魔法を調べてるって聞いたんだけど、星は関係ないような気がするし」

「この世界の事を知りたくてね。それに神奈子との約束でもあるし」

「山の神様の?」

「ハルケギニアの事を調べるって条件で、ここへの転送陣を手伝ってもらったのよ」

「へぇ……。なんでまた山の神様が?」

「さぁ?また何か企んでるかもしれないかも」

「相変わらず、迷惑な神様ね」

 

 鈴仙、呆れ顔。それにパチュリーは、短く鼻を鳴らす。

 共用のリビングに入ると、二人は椅子に腰かけた。こあが紅茶を用意。カップを置く。ただパチュリーには、それが見えてないよう。何やら考え込んでいる。この世界の事とは、そんなにそそられるテーマなのかと、鈴仙は半ば感心していた。彼女はカップに両手を添えながら、尋ねる。

 

「結構、私に期待してた?」

「ん?まあね。調査が行き詰ってたのもあったし」

「ごめんなさいね」

「気にするもんでもないわよ」

 

 魔女はそう答えると、紅茶を一口。すると玉兎に顔を向ける。

 

「鈴仙。私、一旦幻想郷に戻るわ」

「どうして?」

「原点から調べなおそうと思ってね。まずは、ルイズを召喚した召喚陣から。だから魔理沙達が戻ってきたら、そう言っといて」

「うん。分かった」

 

 置かれた紅茶を味わいながら、玉兎はうなずいた。

 その後、他愛もない会話がいくつか交わる。妖怪達の夜は、こうして更けていった。

 

 一方、パチュリーの部屋に残った剣。一人ポツリとこぼす。

 

「実験材料にされるのは初めてじゃねぇが、なんかこう面白くないぜ。もうちょっと暴れたい気分だ」

 

 ふと、使い手と共に勇ましく戦っている光景が、脳裏に浮かんだ。いや、脳はないのだが。強大なエルフと戦うその姿に、デルフリンガーは奇妙な感慨を覚えていた。

 

 

 

 

 

 月夜の神聖アルビオン帝国の帝都、ロンディニウム。その一角。ただの宿を300人以上の兵が囲んでいた。さらに空には、宿を中心に数十騎の竜騎士が旋回している。これほどの人数の兵達が、意識を向けている目標の宿。そこには賊が潜んでいたのだ。

 

 対する賊一党……ルイズ、キュルケ、タバサ、魔理沙、そして衣玖と水の精霊ことラグド。多勢に包囲されている中、何やら中で忙しく動き回っていた。

 キュルケが階段を、少しばかり重い足取りで降りて来る。一階に着いて最初に出たのは溜息。

 

「ふぅ……。終わったわよ」

「お疲れ」

 

 それを魔理沙が迎えた。キュルケは首を回しながら、厳しい面持ちで注意一つ。

 

「できるだけの事はやったわ。でも、あまり固定化って得意じゃないから、強度は過信しないでよ」

「できないものはしゃーない。そこは臨機応変だぜ」

 

 丁度、ルイズとタバサが宿屋の主の部屋から出てきた。キュルケが声をかける。

 

「そっちは?」

「終わった所。問題ないわ」

 

 ルイズといっしょに、タバサもうなずく。彼女が言った問題ないとは、主と客を一階の部屋に閉じ込める事。『スリープ・クラウド』の魔法で、眠らせてある。これからの事には邪魔になるので。

 

 準備が整い、全員が一階に揃った。

 いつもなら軽口の一つも出そうだが、今はそんなものはない。あるのは漂う緊張感。無理もない。なんと言っても地上も空も総勢350人に囲まれ、それを5人+1で相手をしないといけないのだから。だが、落ち着きを失っている者はいなかった。

 

 やがて、小さな樽を抱えた衣玖が口を開く。

 

「そろそろ始めましょう。兵達の準備が、整いつつあるようですから」

「よし。じゃ、いくぜ」

 

 魔理沙の掛け声に、全員が頷き動き出す。魔理沙とタバサは最上階の三階へ、キュルケはキッチン、衣玖は宿の入口の前。ルイズは一階の中央に陣取った。

 全員が息を飲み、構える。350人の兵を突破する脱出作戦の開始である。

 

 

 

 

 

 シェフィールドは、目標の宿から100メイルほど離れた建物の最上階から、現場を眺めていた。ここが臨時司令部。視線の先では兵の群が、一つの宿を完全に包囲していた。

 部隊は三つに分かれ、それぞれは10人ずつのメイジを含む兵100。一つの部隊は屋根の上。残りの二つは地上に。地上にはメンヌヴィル達もいた。さらにワルド率いる竜騎士が、空への脱出を防ぐため旋回し続けている。

 

 作戦はシンプル。賊が寝静まった間に、屋根からと地上からの一気の突入。数に物を言わせた奇襲だ。シェフィールドは、そのタイミングを計っている。口元には笑みが薄っすら浮かんでいた。

 これほどの構えだ。まず捕り逃がす事はない。それに、いざとなったら、自分も秘蔵のマジックアイテムを使うつもりでもある。頭に今あるのは、捕えた後の事だった。どこの手の者かと、想像を巡らせていた。

 

 やがて、副官がやってくる。

 

「全ての配置が完了しました。いつでも行けます」

「そう。では……ん?」

 

 突入の合図を出そうとした時、ふと宿の扉が開いた。人影が一つ出て来る。突入の構えを取っていた兵達は、そのたった一人に思わずたじろぐ。後ずさりしながら、人影を包囲する。

 シェフィールドは眉をひそめると、望遠鏡を手にした。その姿が目に入る。

 

 長いマフラーのようなものを、首から下げ、右手に小さな樽を抱えている。一見、顔を布で覆った平民姿の女性。だが何かが違う。異質な空気が、まとわりついているように感じる。彼女は直観した。これは妖魔だと。

 

 

 

 

 

 さて当の不審人物は、永江衣玖。一応、顔を隠すため、布を覆っている。その隙間から見えるのは、ぐるりと囲んだ兵の群れ。だが、突入しようとした正にそのタイミングで現れた彼女に、戸惑いが感じられた。

 

(かなりの数ですね。まるで祭りのようです。さてと、役目を果たしましょうか)

 

 天空の妖怪は頭の中でつぶやくと、視線を一人のメイジに向けた。この中の、指揮官らしき人物に。緊張した視線が、衣玖に向いている。一方、彼女は彼にわずかに頭をさげる。彼女自身は、先に詫びを入れたつもりだった。

 五戒をなるべく破りたくはないが、そうも言っていられないので、せめてもの礼儀。ただそれでも、人死には出さないつもりではいたが。

 対する相手は、不思議そうな顔で首を捻るだけ。

 次の瞬間、雷鳴が轟く。

 彼女を閃光が包む。

 雷撃が四方へと伸びる。

 

 しばらくして呻きながら倒れるメイジ。いや彼だけではない。衣玖の周りにいた最前列の兵が、全員バタバタと倒れていく。

 

 兵達は唖然として、動きを止めた。瞬きすらも。何が起こったのか理解している者は、ここにはいなかった。

 

 

 

 

 

 空気を切り裂くような轟音。シェフィールドが雷鳴だと気づいたのは、わずか後。

 

 妖魔らしき平民の周囲に、閃光が発生していた。その後には、うずくまる兵達。

 我に返ったシェフィールドは、思わず舌を打つ。

 

「チッ!やられた!」

 

 奇襲を掛けるつもりが、逆に先手を取られた。振り返ると、副官に命ずる。

 

「突入なさい!」

「は、はっ!」

 

 副官は直ちに伝令へ命令を伝える。夜の町がざわめき立つ。兵の群れが動き出す。

 

 しかし、最前列の部隊は動かない。妖魔の先制パンチに、尻込みしてしまったのだ。遠巻きに囲っているだけ。さらに突入班の班長も、電撃を喰らい動けずにいた。指揮は混乱し、部隊は動かない。

 望遠鏡で覗くシェフィールドは歯ぎしり。だが、まだ余裕があった。屋根の上にも部隊があるからだ。

 

 屋根の部隊は全く無傷。隊長のメイジはすぐに指示を出した。突入の合図を。

 突入班が一斉に、目標の宿の屋根に飛び移る。兵達と数人のメイジ。力自慢の兵が、屋根をぶち破ろうと、大きな木槌を振り上げる。そして振り下した。

 だが、カンと言うまるで金属でも叩いたかのような響きが返る。屋根が巨大な木槌を跳ね返した。

 

「なんだ!?」

 

 兵達は、怪訝な表情。ただの木の屋根のはずが、あり得ない硬さ。しかも、彼だけではない。数か所に分かれた兵達の木槌が、全て通用しない。

 その様子を見ていたシェフィールドは、面白くなさそうにつぶやく。

 

「固定化か……」

 

 すると隣の副官が言葉を添えた。

 

「どうやら、賊はこちらの動きに気づいていたようですな」

「そのようね」

 

 これで、賊が寝静まった所を奇襲、という彼女の目論見は上手くいかなくなった。残る方法は一つだけ。

 

「強行突破なさい。残念だけど、妖魔は始末していいわ。ただしメイジだけは捕えるように」

「はっ」

 

 副官が命令を伝えに、部屋を出て行った。

 

 屋根の上では、アチコチを叩きなんとか突入口を開けようとしていた。だがどこも固定化がかかっており、木槌を跳ね返す。隊長のメイジは、苦虫を潰したような顔。その時、掛け声が上がった。

 

「開いたぞ!」

 

 木槌が屋根を突き破っていた。隊長の表情が緩む。すぐに号令。

 

「よし!やったか!突入!」

 

 開いた場所に兵達が集合。蓋のようにめり込んでいた木槌を抜き、一気に突入しようとする彼ら。だが足が止まった。

 

「なんだ?」

 

 木槌を抜いた直後出てきたのは、白い煙。一瞬、火事かと思ったが、煙たくはない。ただこの煙のせいで、中の様子がまるで見えなかった。

 恐る々一人の兵が中を覗き込む。

 だがその身を、一筋の閃光が貫く。

 覗いた兵は、見事に吹き飛ばされていた。

 突入口を囲む兵達は茫然。吹き飛んで屋根に倒れる仲間に、顔を向ける。

 

「え……?」

 

 すると彼らの後ろから、怒号が届いた。

 

「突入と言ったろ!貴様ら、耳がないのか!」

 

 余裕がなくなっている隊長のメイジが、そこにいた。

 彼に脅されるように、兵達は少々強引にでも中へ入ろうとする。しかし、また閃光。吹き飛ぶ兵。

 体を半ば穴へ入れようとする度に、光が兵を吹き飛ばす。はじけるポップコーンのように。

 痺れを切らした隊長が、さらなる命令。

 

「一斉に入れ!」

 

 数にものを言わせようと、無茶な事を言いだした。自棄になって、穴へ飛び込もうとする兵達。

 だが……。

 

「うわっ!」

 

 全員が吹き飛んだ。空気の塊のようなものに押し出されて。

 隊長と副隊長のメイジは、渋い顔でつぶやく。

 

「あれは……『エア・ハンマー』か?」

「では、あの筋状の光の魔法は?」

「知るか!とにかく入るんだ!」

「どのように!?あんな狭い入口では、数の有利が生かせません!中で何人待ち構えているのかも、分からぬというのに」

「いっそ、宿を焼いてしまうか」

「それはなりません!捕えよとの厳命です」

「クソめ!」

 

 思わず屋根を踏みしだく隊長。

 賊の数はわずか5人。その5人に、全兵が翻弄されていた。

 

 

 

 

 

 一方、その賊の方だが、アルビオンの兵達が考えているほど余裕はなかった。

 次から次へと入ろうとする兵達を、レーザーで吹き飛ばす魔理沙。それをフォローするタバサ。

 

「切がねぇぜ」

「切はある」

「ああ……。そうだったな」

 

 いずれ相手があきらめるという意味ではない。切があるのは魔理沙達の方だった。

 

 兵達が見た白い煙は、実は湯気、水蒸気。煙幕代わりという訳だ。

 固定化でほとんど精神力を使い切ったキュルケが、残った力を振り絞り作り出していた。彼女がキッチンに向かったのはこのため。しかしこの水蒸気。井戸から溜めこんだ水を蒸発させているので、限りがある。

 

 さらに屋根の固定化。二人がいる場所の上だけ、あえてかけてなかった。突入口を絞らせるために。だがここ以外は急いで固定化をしたため、ムラがある。あちこち叩けば、いずれ破られるのは時間の問題だった。

 

「急いでくれよ」

 

 魔理沙は、チラっと一階の方へ視線を送った。

 

 

 

 

 

 その頃通りでは、兵達が宿に近づけずまごついていた。少しでも近づこうとするなら、次の瞬間には電撃に撃たれる。通りはうめき声で溢れていた。ここには20人以上のメイジがいる。にも拘わらず、宿に近づく事すらかなわない。入り口の前に陣取る妖魔は、堅牢な城壁のよう。

 

 だがそれに、つまらなそうな表情を浮かべる人物が一人。白炎ことメンヌヴィル。兵達の後方、建物の屋根の上から様子を窺っていた。

 

「ちっ……。お前の言う通り、つまらねぇ仕事だ。もう少しマシな妖魔かと思ったんだがな」

「へ、へえ……」

 

 メンヌヴィルの部下は遠慮しがちにうなずく。あの妖魔を見てなお、この口ぶり。何がそう言わせるのか、彼にはまるで分からない。

 

「まあ、あんなヤツに手出せねぇアルビオンの連中も、間抜けだけどな」

 

 そう漏らすと、地上へ降りた。おもむろに兵の中へ分け入っていく。仕方なく、彼について行く部下たち。やがてメンヌヴィルは最前列の2、3列後ろまでたどり着いた。

 おもむろに、杖を抜く。

 思わず目を見開く部下。彼らの前には、まだ兵達がいる。祭りの見物客が、人垣を作っているように。つまり、ここで杖を抜くという事は……。

 

 詠唱は瞬時。

 魔法が杖の先から噴き出す。

 色をなくすほどの白い炎が、熱の塊が。

 それは兵を貫き、妖魔に向かう。

 

 と思われたが、違った。兵はいつのまにかいなくなり、炎はなんの障害もなく進んだ。灼熱の炎は妖魔の眼前。

 水が蒸発したような音が届く。

 誰もが、妖魔を焼き尽くしたと思った。それほど熱と光を感じていた。

 だが、そうではなかった事にすぐ気づく。魔法が消えた後、まだその姿はあった。稲光を操る妖魔の。しかし、さっきとは違っていた。左ひじから先がなくなっていたのだ。避け損なったらしい。ただ、うめき声一つ上げず、痛そうにもしてない。

 

 そんな彼女に、ずかずかと近づくメンヌヴィル。最前列からさらに一歩前に出てきた。

 

「妙な匂いだな、あまり好みじゃねぇぜ」

「…………」

「痛くねぇのか?」

「……。そういう訳ではありませんよ」

「へっ……。お前、面白いな。だがバカだ」

 

 鼻で笑うと、メンヌヴィルはわずかに振り返る。そこには倒れている兵がいた。

 魔法を撃つとき、彼の目の前から兵がいなくなったのは、彼らが転んだからだ。妖魔のマフラーに足をすくわれて。そう、彼女は敵兵の命を助けたのだった。おかげでメンヌヴィルの魔法を、かわし損なった。

 呆れた顔を戻すと、今度は最前列の兵達に罵声。

 

「バカはお前たちもだ!こんな妖魔一人、始末できねぇなんてな!」

 

 彼の言葉に怒りを露わにする者もいたが、全員が言い返せないでいる。事実なのだから。ただ、メンヌヴィルを睨みつけるだけ。

 白炎の怒鳴り声は続く。

 

「足元を見てみろ!死んだヤツがいるか?倒れてんのは全部生きてる。この妖魔様はなぁ、人殺しが大嫌いなんだよ!」

 

 言われて初めて気づいた。死者が一人もいない事に。つまり、少々痛いのを我慢すればいいだけの話だった。なんと言っても、地上には200からの兵がいるのだから。

 メンヌヴィルは、再び妖魔の方を見る。

 

「へっ……。けどな、てめぇが一番バカなのは変わらねぇ。敵助けてどうすんだよ。左手をなくしちまって、逃げられなくもなったしな」

「あなたは違うようですね」

「ああ、俺なら敵に情けなんて掛けねぇ。無能な味方にもな。それに、人殺しが大好きなんだよ。燃えちまってる所なんて最高だ!」

 

 からかうような口ぶりと、にやけた笑い。負ける事は絶対にないと確信していた。何者をも寄せ付けなかった彼女を、あざ笑う余裕すらある。

 だがそんな彼に、妖魔の様子は変わらない。

 

「それにしても、よく話しますね」

「へっ、気に障ったか?命をなんだと思ってるんだとかな?ハハッ!」

「いえ。みなさんが、大人しく清聴してるので」

「あぁ?」

「時間が稼げたなと」

「!!」

 

 盲目のメンヌヴィルは気づかなかった。周りにいる兵達が、いつのまにか妖魔の方ではなく、宿の方に顔を向けている事に。視線が釘付けになっている事に。

 

 光が漏れていた。宿の窓の隙間から、入り口から。いや、宿中から光の塊が滲みだしてきた、溢れだしてきた。

 兵達は振り返り、一斉に逃げ出す。しかし、ごった返したこの通り。数歩も前に進めない。

 光はすさまじい勢いで膨れ上がる。

 もはや逃げられない。

 それは宿を飲み込み、目の前の通りを飲み込み、兵を飲み込み、区画をまるごと飲み込む。それでも光の膨張は止まらない。

 光の巨大な半球が地上に現れた。双月の夜の町を照らしていた。

 

 アルビオン艦隊を壊滅させた、虚無の魔法『エクスプロージョン』。それが再び現れた。

 

「な……!?」

 

 シェフィールドは瞬きを止めたまま、迫る光を見つめる。その身を固めたまま。側にいた副官達も同じに。

 我に返り、慌てて逃げ出したのは、その数秒後。光の珠を理解する以前に、不可解への恐怖が、ここから逃げろと命じていた。

 

「あれは!」

 

 空中にいたワルド達もそれは同じ。風竜の手綱を返すと、急いで光球から逃げ出した。

 

 だが光の玉は、突然、膨張を止める。急速に縮みだす。やがて跡形もなく消え去った。

 結局、規模としては、ラ・ロシェール戦の時よりはるかに小さい。それでも、全兵を巻き込んだ。

 

 後に残されたのは、変わらぬロンディニウムの町と、身を伏せる兵達。

 

「ん?あれ?生きてる!?」

 

 おもむろに立ち上がる彼ら。そう。光の玉に包まれはしたが、命を失った者はいなかった。だが、別の物を失っていた。

 

「おい……」

「あれ?」

 

 誰もが気づいた。自分達の武器が一つもないと。剣が、弓が、銃が、杖が。今、彼らは丸腰。振り返った先には、あの雷撃を操る妖魔が相変わらず他佇んでいた。この妖魔の前で丸腰。冷や汗がただ流れる。

 だが一人、違う感想を持った者がいた。やはりメンヌヴィルだ。

 

「信じらんねぇ!敵を嵌めたってのに、それでもお命大切かよ!大馬鹿だな!」

 

 腹を抱えて大笑い。今までいろんな戦場を歩いたが、ここまで敵の命を大切にするなど見た事もない。驚きを通り越して、喜劇にしか思えなかった。

 やがて、すぐにいつもの表情に戻ると、部下へ命令。

 

「おい、適当なロープと武器を持ってこい」

「へ?」

「このバカを始末するんだよ。こっちは死なねぇんだ。負けは絶対ねぇ」

 

 彼は妖魔を指さし、小ばかにした口ぶりで命令。

 だが当の彼女は、メンヌヴィルの態度を無視。小脇の樽の栓を抜くと、頭の上に掲げる。漏れてきた水を全身に被った。

 

「ん!?」

 

 流れる水の音に、怪訝な表情のメンヌヴィル。その様子を窺う。

 ふと妙な事に気づいた。さっきまであった、燃えつくした消し炭のような匂いが消えていくのだ。彼には理由がわからない。だが他の者は分かっていた。見えていた。妖魔のなくしたはずの左手が、生えるように元に戻ったのだ。消し炭のようだった部分はもうない。

 またも理解できない現象。メンヌヴィルの態度に、気勢を取り戻しつつあった兵達は、また顔色を失う。

 

 一方の妖魔は相変わらず。今度は、樽を両手に持つと、振り回し始めた。残った水が飛び散っていく。

 意味不明な様子を、兵達は茫然と眺めていた。最前列の数人に水がかかる。だが何も起こらない。

 しかし、それも一瞬。水がかかった兵は急に踵を返し、味方の方を向く。そして空を仰ぎ、大きく息を吸い込むと、口を開いた。

 

「エルフだぁぁ!賊はエルフだったぞ!」

 

 大声を張り上げていた。そして走り出す。もと来た道を引き返す。この場から、逃げ出していた。

 

 エルフ。妖魔の中でも、最も強大な力を持つ者。それがハルケギニアでの常識だった。

 しかしエルフと聞いても、残った兵達は唖然したまま。目の前の妖魔は確かに、得体が知れない。だが、伝わるエルフの特徴、長い耳がない。どう見ても、エルフとは思えなかった。頭がどうかしたのかという様子で、逃げた兵達の後ろ姿を見る。

 

 だがそれは、実際、妖魔を見た者だからこそ考える事。この通りは狭くはないが、さすがに200人は多すぎる。ほとんどの兵は、ごった返す味方のせいで、妖魔の姿を見る事もできずにいた。分かっていたのは、続けざまに起きる雷光と雷鳴。そして自分達を包んだ得体のしれない光だけ。

 そこに悲鳴が聞こえて来る。大声をあげながら、逃げ出す味方が向かってくる。賊はエルフだったと叫びながら。

 

 兵達はパニックとなった。

 

「エ、エルフって!?聞いてないぞ!」

「に、逃げろ!」

「う、うわぁーー!」

 

 一斉に兵が後ろを向く。走り出す。堰を切ったかのように。何せ手元に武器がないのだ。いくら人数がいようとも、エルフを相手にするのは不可能だと誰もが考える。それに釣られるように、最前列の兵達も逃げ出す。屋根にいた者達もそれは同じ。

 深夜の通りは、悲鳴で溢れかえっていた。

 

 ほんの数分後、あれほどの兵であふれかえっていた通りは、閑散とし何もない。残ったのはメンヌヴィル一味だけ。メンヌヴィル本人が引き返さないので、部下は動けずにいただけなのだが。彼は、苦虫を潰したような顔を浮かべる。

 

「てめぇ……。これ狙ってたのか」

「…………」

 

 妖魔は相変わらずの無反応。眼中にないという態度で。

 だが、あえて無視していた訳ではなかった。別の事を考えていたのだ。半ば博打の一手、決め手の事を。

 

 

 

 

 

 ほんの少し前の事。ロンディニウムの郊外。

 森の中に、奇妙な恰好の少女達がいた。アリス、天子、文である。魔理沙達との打ち合わせ通り、時間が来るまでの暇を持て余していた。すると、ふと天子が口を開く。

 

「あれ何かしら?」

「え?」

 

 アリスと文も、天子の指さす方向へ顔を向ける。この月夜に、太陽でも現れたかというような光の玉があった。ロンディニウム市内で膨らみつつあった。

 だが全員がその光に見覚えがある。文が神妙な顔つきで一言。

 

「あれは……ルイズさんの、『エクスプロージョン』ね」

「なんで、あんな魔法使ったのかしら?」

 

 天子は腕を組みつつ首を捻る。だがアリスだけは青い顔。

 

「トラブったからに、決まってるでしょ!」

「ああ、そっか」

 

 緊張感のない天子。主はトラブルの渦中だと言うのに。アリスとは対照的。

 すると人形遣いは、すぐに活動開始。

 

「助けに行くわよ!天子、雲出して。分厚くて低いの」

「えー。また、そういうの?この手のヤツになると、いつも裏方ばかりしてる気がするんだけど」

「こんな時に何言ってんの!しようがないでしょ!あんたしか、『緋想の剣』使えないんだから」

「うー……。分かったわよ」

 

 天子はブツブツ言いながらも剣を抜き、天に掲げた。あっという間に雲が広がりだす。

 次にアリスが声をかけたのは烏天狗。

 

「文。魔理沙達を助けに行って。雲に紛れてね」

「ま、いいでしょ。で、アリスは?」

「この子達に行ってもらうわ」

 

 彼女の足元の小さなしもべ達。得物を手に、町へと飛んで行った。文はそれを見届けると、暗視スコープをセット。

 

「では私も行きますか。とう!」

 

 天狗は、カッ飛んでいった。

 

 

 

 

 

 ロンディニウムの宿の中では、魔理沙とタバサが外の気配を探っていた。

 

「静かになったな。いなくなったのか?」

「…………」

「ちょっと見てみるぜ。フォロー頼む」

 

 うなずくタバサ。

 魔理沙は屋根に開いた穴から、ひょっこり頭を出す。さっきまで、盛んに宿に入ろうとしていた兵達の姿は、人影一つない。さらに空には分厚い雲が広がり、月明かりもない。

 

「気づいてくれたみたいだな」

 

 ルイズの『エクスプロージョン』は、救援信号の代わりでもあったのだ。

 振り返った魔理沙。タバサに向かって親指を立てる。いよいよ脱出。

 

 一方、宿に面した通り。衣玖とメンヌヴィルが対峙していた。いや、敵意をむき出しにしていたのは、メンヌヴィルだけだが。

 対する彼女。

 

「そろそろ、お帰りになってはいかがでしょうか?」

「ぐ……」

「私には精霊の加護もありますから、あなた達だけではどうにもなりませんよ」

 

 衣玖はそう言って、元通りになった左手を軽く振る。実はこの手、治ったのは水の精霊、ラグドのおかげ。さらに、水がかかった兵達を操ったのもラグド。水妖に水の精霊。鬼に金棒である。

 対する、何も言い返せない百炎。歯ぎしりの鋭い音が響く。歯が擦り切れそうなくらい激しく。頭の中は、憤りで沸騰しそうだった。相手は舐めているというよりは、端から眼中にないかのよう。いろんな戦場を巡って来たが、こんな態度を取られたのは初めてだった。

 

「ざけんじゃねぇ!」

 

 思わず、メンヌヴィルは思わず前に飛び出す。喚きながら。

 だが、吹き飛んだのはメンヌヴィルの方。しかも衣玖に吹き飛ばされたのではない。別のものに。

 足元に小さな人影があった。人形。その小さな人影は武器を手に、ぐるりと水妖の周りを囲っていた。

 

 衣玖は安心した声を漏らす。

 

「来てくれましたか。助かりました」

「……」

 

 人形は静かに頷いた。

 

 数メイル飛んで、倒れていたメンヌヴィル。耳に、いくつもの小さな足音が届く。

 ふと悟った。賊の助けが来たのだと。彼女達が逃げ出さず宿に籠っていたのは、このためだと。要は、籠城の基本に忠実だったという訳だ。そしてもう一つ。賊が二手に分かれていたという事。つまりは、シェフィールドの読み損ない。そんな有様で立てた捕縛作戦だった。

 

 メンヌヴィルは腹を押さえながら、ゆっくりとおき上がる。そして、悔しそうに声を絞り出した。

 

「おい……」

「へ、へい」

「逃げるぞ」

「え?」

「逃げるって言ってんだよ!」

 

 メンヌヴィルは、部下を叱りつけ、急いでこの場を後にする。その表情は口惜しさが噴出しそうなほど、歪んでいた。

 宿の前には、すっかり人影がなくなった。

 

 残ったのは空にいるワルド達、竜騎士だけ。

 

「いったい、どうなっている!?」

 

 ワルドは、地上を見下ろしながらぼやく。

 光の玉が消え去った後、あちこちから悲鳴が一斉に聞こえた。そして、逃げ出していく兵達の姿が目に入る。訳が分からない。空からでは、地上の様子を把握するのに限界があったのだ。しかも、上空にいつのまにか雲がかかっている。月明かりなしでは、なおさらだった。

 

 ただ、一つだけハッキリした事がある。賊の捕縛作戦は失敗したと。

 

「これだけの人数を揃えて、しくじるとは……。せめてあの妖魔だけでも!」

 

 舌を打つと、手綱を返し急降下。建物の屋根ぎりぎりを、滑空する。

 町の上を滑るように飛ぶワルドの風竜。宿の前、衣玖を目に止める。この暗がりにも拘わらず、目標を見失わない。

 

「そこか!」

 

 彼女に向かって一直線。風竜の咢を開かせる。その奥に炎の塊が燻っていた。

 

 しかし彼は気づいていない。彼もまたターゲットになっている事に。すぐ背後に、笑っている新聞記者、もとい妖怪が近づいていた事に。

 

「キッーーーク!」

 

 ワルドの背中に強烈な打撃!肺が飛び出るほどの。

 

「げふっ!?」

 

 一瞬呼吸困難。手綱から思わず手が離れる。そのままの勢いで、前にすっ飛ぶ。糸車のようにくるくる周りながら、通りを飛んでいくワルド。

 そのままその辺の建物に直撃。壁をぶち破る。そしてピクリとも動かなくなった。

 残された風竜は、そのままどこかへ去っていく。竜騎士隊も、戸惑うばかり。ワルドの元へ向かう者、ただ宙舞っているだけの者と、もはやバラバラ。

 

 やがて衣玖の側に、ゆっくり降りて来る姿が一つ。黒い翼を広げた新聞記者、文である。

 

「お待たせしました。迎えに来ましたよ」

「お疲れ様です」

 

 一つ礼をする衣玖。さすがの衣玖も少しは気を揉んでいたのか、文を見て声から力が抜けていた。もっとも文の方は、遊びの待ち合わせかという具合に、何の気ないが。

 

「では、逃げますか」

「はい」

 

 文と衣玖はうなずくと、アリスの人形達と共に宿へと入って行く。

 

 やがて全員が宿から出た。見回す通りには一兵もおらず、見上げた空には、混乱している竜騎士。さらに分厚い雲のせいで、夜の町はまさに闇。逃げるには申し分ない。

 ルイズ達を幻想郷組がそれぞれ抱えると、宙に上がる。彼女達は誰にも邪魔される事なく、雲に紛れてロンディニウムを後にした。

 

 

 

 

 

 紅魔館の地下。大図書館の奥、実験部屋にある魔法陣が光りだす。やがてその上に二つの姿が現れた。パチュリーとこあである。幻想郷に帰って来たのだ。

 久しぶりの我が家という事で、少し表情も緩んでいた。パチュリーは一つ息をすると、出口へと向かった。

 

「とりあえずは、お茶でも飲みましょう」

「そうですね。咲夜さんの紅茶、久しぶりに味わいたいですし」

 

 使い魔のこあが彼女後から付いてくる。

 扉を開けると、聳え立つ本棚の群れ。目に入る見慣れた景色。変わった様子もないようだ。いつものくつろいでいたテーブルへと向かった。

 すると本棚の脇から、近づいてくる影一つ。

 

「パチュリー様~」

 

 留守の間、管理責任者代行をしていた別の小悪魔。ここあという愛称で呼ばれていた。ここあは嬉しそうに、寄って来る。

 

「2週間ぶりですね」

「2週間?」

「そうですよ」

「…………」

 

 難しい顔で黙り込む魔女。代わりという訳ではないが、こあが口を開いた。

 

「また、ズレてますね」

「そうね。しかもズレが逆転してるわ。今度はハルケギニアの日付の方が進んでる」

 

 ハルケギニアで過ごした日数と、幻想郷で経過した日数が合わない。前回、帰って来た時もそうだったが、また起こった。

 ここあの方は、興味がないようで、二人に構わず話を進めだす。持ってきた一冊の本を、差し出した。

 

「そうそう、パチュリー様。『王の灯篭 真昼の章』を見つけましたよ」

「何よ、それ?」

「悪魔ダゴンを呼び出すって、言ってたじゃないですか」

「悪魔ダゴン?あ~……、ルイズ召喚した時に、呼び出すはずだった悪魔ね」

 

 ルイズを呼び出した召喚陣は、そもそもこの悪魔のためのものだった。だが、出てきたのはルイズだったという訳だ。

 パチュリーは、それを思い出したのと同時に、妙な事に気付く。

 

「ちょっと待ってよ。悪魔ダゴンの召喚は、『王の天蓋 絹の章』に載ってたわよ」

「それがですね~」

 

 ここあは手元の本を広げた。覗き込むパチュリー。

 

「こ、これって……」

 

 力なく、沈み込む魔女。肩を落とす。脇からこあも、その本に目を走らす。

 

「あれ?こっちには『王の天蓋 絹の章』が、必要って書いてますよ」

「だけど、当の『王の天蓋 絹の章』には、『王の灯篭 真昼の章』がいるって書いてなかったわ」

「なるほど、注釈が片方にしか書いてなかったんですね。それで召喚が失敗したんですか」

 

 つまり二つの魔法陣が、必要だったという訳だ。魔道書は魔法使いがメモ書きのように作った本もあり、こういう事はたまにあった。

 ただ何かが引っ掛かったのか、こあが微妙な表情になる。

 

「あれ?そうなると、ルイズさんを呼び出した召喚陣は、何だったんです?」

「ただの図形って事になるわね。後から仕掛けた、拘束魔法と、翻訳魔法以外は」

「ん?」

 

 こあは首を捻る。さらに引っ掛かりを感じて。

 

「それじゃぁ、ルイズさんって、どうやって召喚されたんですか?」

「えっ?」

 

 思わず振り返るパチュリー。こあに見えたのは、珍しい唖然とした表情。

 そう。あの召喚陣は、召喚の機能を持っていなかったのだ。ではルイズはどうやって、ここに来たのか。魔女には言葉がなかった。

 

 

 




描写面ちょっといじりました。

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