廃村の地下。いつもは人妖で賑わっているこの場所も、今はひっそりと静まり返っている。それもそのはず。ここの住人、幻想郷のメンバーはルイズの実家を訪問中なのだから。そんな真っ暗な地下室に、あかりが灯った。ランプの灯りが。それを手に下げた人影が一つ。紫のロングの上にはうさぎ耳。鈴仙・優曇華院・イナバ。月の妖怪うさぎ。左腕に箱を抱え、辺りを警戒しながらゆっくりと進んでいた。
足取りは慎重ながらも、目当てに向かって真っ直ぐ進む。やがてたどり着いたのは魔理沙の部屋の前。ノブに手をかける。カチャっと軽い音を立て扉は開いた。
「相変わらず鍵かけてないのね。不用心だなぁ」
魔理沙のいつもの通りのいい加減さに安堵と呆れの気持ちを浮かべ、部屋に入っていく。広がっていたのは、ゴチャゴチャと全く整理されていない部屋。
「うわぁ……」
露骨に嫌な顔の鈴仙。魔理沙は興味のあるものに対しては猛烈な熱意を注ぐのだが、そうでないものは無神経を通り過ぎて目に入らないというほど関心がない。その中の一つが生活に関わるものだった。ドアの鍵がかかってないのも、もっぱらそのため。一方鈴仙の住まい、永遠亭は病院という事もあって整理整頓が行き届いている。家事関連も担う鈴仙。そんな彼女にしてみれば、こういう部屋は不快そのもの。
「ここから探すのかぁ。ゲンナリするなぁ」
不満をこぼし、項垂れる玉兎。だが気合を入れ直し、ゆっくりと奥へと足を進める。するとふと机の上に、気になったものが一つ。
「ん?あ!」
彼女の赤い双眸に映ったのはオルゴール。『始祖のオルゴール』そのもの。ターゲットはあっさり発見される。しかも側には『風のルビー』まである。考えてみれば、魔理沙は今、虚無関連の研究中。始祖の秘宝は一番の好奇心の対象。目立つ場所にあるのも当たり前だった。
鈴仙はオルゴールに近づく。目的のブツは机に描かれた魔法陣の中央。彼女は机を舐める様に見ていく。慎重に。罠を警戒しているのだ。あの白黒魔女は興味の対象に対しては、手を抜かないだろうと。自慢の波長を掴む能力をフル回転。
ぐるぐるとオルゴールの置かれている机を回る鈴仙。
「おい。何やってんだ?」
不意に背後から声がかかった。
「きゃっ!」
思わず、飛び退く月うさぎ。
声の方に、不安そうにランプをかざす。そこには一振りの剣があった。魔法陣の上に、よく知っている剣が。力が急に抜ける鈴仙。
「なんだ、デルフリンガーか」
「ああ」
「でも、なんでここにいるのよ。パチュリーの部屋じゃなかった?」
「魔理沙の嬢ちゃんが、なんでも話を聞きたいって言うからな。持ってこられた」
「虚無関連の話?」
「まあな」
「何か思い出したの?」
「いや、相変わらずだ。魔理沙の嬢ちゃんもいろいろやったんだがな。さっぱりだぜ」
「ふ~ん……」
事情が分かると鈴仙はすぐに興味をなくす。それよりも優先すべき仕事がある。彼女は再びオルゴールへ向かおうとするが、何かを思いついたのか足を止める。そしてデルフリンガーに質問を一つ。
「そうだ、デルフリンガー。魔理沙の作業ずっと見てたでしょ?」
「ここに置かれてからはな」
「彼女、このオルゴールとか机に、罠とか仕掛けてなかった?」
「そんな事聞かれてもなぁ。俺は幻想郷の魔法知らねぇし。まあ、今の俺じゃぁハルケギニアの魔法も知らねぇけどな」
「だよね。ありがと」
「おう。で、何やってんだ?」
オルゴールに向き直ろうとした鈴仙の姿勢が止まる。錆刀に見せた顔は、無理に作った歪んだ笑顔。
「え、えっと……。げ、幻想郷に持っていくの。オルゴールと指輪」
「幻想郷に?」
「その……た、頼まれてたのよ。で、断れなくって……」
ひくつく笑顔の鈴仙。だがデルフリンガーは何故か無言。
「…………」
「そ、その……。せ、責任持って返すつもりよ!」
「…………」
「あの……デルフリンガー?」
「…………」
何故か、一言も漏らさなくなったインテリジェンスソードに、月うさぎは戸惑うだけ。神経痛でも起こしたような苦笑いが、顔に張り付いている。
「えっと……あの……」
「そうかい」
「え?そ、そう!」
「へぇー……」
急に関心を失ったかのようなデルフリンガーの返事。鈴仙、呆気にとられる。だが、すぐに気持ちを切り替えた。やるべき事は終わっていない。
「じゃ、じゃぁ、急がないといけないから」
「ああ」
作業を続ける月うさぎ。妙な居心地の悪さを感じたが、とにかく始祖の秘宝を持ち出すのに、今は絶好のチャンスなのだ。
鈴仙は改めて、机の周りを調べて回る。罠らしいものは見つからなかった。そして、持ってきた箱を開ける。慎重に『始祖のオルゴール』と『風のルビー』を仕舞っていく。移動中、傷一つ付かないように。
「ふぅ……。これで良しと」
蓋を閉めると、大きく息を漏らす。すると懐から手紙を一通。机の上に置いた。そして、再びデルフリンガーの方を向いた。その目はどこか切実。
「え、えっと伝言頼める?」
「ん?いいぜ」
「この度は本当に申し訳ありません!ちょっとお借りします!でも、必ずお返しします!」
「あ!?なんだそりゃ?」
間の抜けた返事。だが鈴仙は、デルフリンガーのリアクションを無視して荷物片手にドアに直行。まさしく脱兎。あっという間に魔理沙の部屋からいなくなった。
「なんなんだよ……」
残されたなまくら刀は、ただぼやくだけだった。
一方、鈴仙は始祖の秘宝を収納した箱、カトレアとタバサの母親から採血した検体を持ち転送陣へ。懐から小瓶を取り出す。そこには液体が入っていた。転送陣を起動する薬だ。魔法の使えない彼女。転送陣を動かす事はできない。そこで永琳が用意したのが、この薬だった。
鈴仙は小瓶のふたを開ける。すると、わずかな違和感を覚える。
「あれ?」
思わず足元に目が向く。その違和感の発信源に。だがおかしいのは、そこだけではなかった。
辺りから何かを叩く小刻みな音がしだした。いや、違う。
揺れていた足元が。地面が。
地震。
地震が起こっていた。
「なんで、こんな時に!?まさかトラップ!?」
鈴仙の脳裏を掠めたのは、あの魔女三人。何しろ虚無絡みのブツだ。連中が何も仕込んでいないハズはないと。急いで小瓶から液を垂らす。転送陣の上に。すぐに転送陣は発動、青い光を放ちだす。すると鈴仙は、霞むよう消えていった。手に抱えた荷物と共に。
寺院の地下は再び暗闇の世界。そしていつのまにか、地震も収まっていた。
紅魔館。入り口の側。館の中に入るつもりだったシェフィールドは、足を止めていた。呼び止められる声がしたので。正確には美鈴の名が呼ばれたのだが。その声の方向、正門へと顔を向けていた。
今の彼女、その姿は誰がどう見ても美鈴そのもの。これも永琳からもらった変身薬のおかげ。その目的は図書館の魔法陣。これが『ミョズニトニルン』の力で動くか確認するためである。
ともかく、他人からすればまさしく美鈴。呼び止められれば、無視する訳にはいかない。しかし難問が一つ。シェフィールドは美鈴そのものに成りきらないといけないのだ。そうは言っても、まだ美鈴と出会って一日も経っていない。人となりを十分わかっていない者のフリをする。かなりハードルの高い作業だった。
間諜としての明晰な頭脳がフル回転。視線の先にあるのは、門から歩いてくる一人の女性。美鈴の名を呼んだ人物。緑の髪にチェック柄の上下。日傘をさし、手にバスケットをぶら下げている。取り立てて変わった所はなく、外見からは人間にしか見えない。彼女は花のタネを渡すと言っていた。花壇についての話も。おそらくは花屋の店員が種を配達に来たのだろう。との解答が算出される。
さて、それに対する自分の振る舞いはどうするか。美鈴はこの貴族の館の当主代行。すなわち現段階では紅魔館の最高権力者。花屋の店員と貴族の当主。ここは毅然と振る舞い、不審に思われない内に、さっさと帰してしまうのが正解だろう。との解答が出た。
ただ一つだけ気になるものがあった。この身に張り付くような緊張感が。花屋が近づいてくると余計に感じる。しかしシェフィールド、自分の解答を信じ、そんな論理的でないものは頭の隅に追いやった。
やがて女性は、側までやってくる。やはり感じる妙な威圧感。しかしここまで来ては、対応を変える訳にはいかない。
緑髪の女性は、何の気なしに話しかけてきた。
「人里に行く予定もあったから、ついでに寄ったのよ。ほら、鹿の子百合の種。持ってきてあげたわよ。模様替えするんでしょ?花壇」
「……」
花壇を模様替えする。シェフィールドは美鈴からそんな話は聞いていない。もっとも、彼女と話したのは幻想郷と紅魔館の説明ばかり。世間話はほとんどしてない。知らないのも当然だ。とにかく受け取るものだけ受け取って、とっとと帰ってもらう。想定通りに動くだけ。
「ご苦労さま。是非使わせてもらうわ」
柔らかめな表情を浮かべ、ごく自然に言葉を返した。貴族らしく。今まで数々の謀略をこなしてきたのだ。この程度の演技など、造作もない。
しかし、対する女性は何故か無言。いや、表情が、目つきが、気配が変わった。
「…………」
何か失敗したのか?単に一言交わしただけで、見破られた?そんなハズはないと思いながらも、嫌な予感が浮かぶのを止められない。
だが、そんな予感は杞憂だったと言わんばかりに、すぐ女性の表情は戻る。
「フッ……。大事に育ててね」
「ええ……」
「あ、そうだわ。大したことじゃないんだけど、そこの野芥子、一輪もらえないかしら?」
「え?」
女性が指差した先、館の壁のすぐ側。そこにはいくつもの小さな可愛らしい花が咲いていた。ただ、ハルケギニア出身のシェフィールドには、野芥子がどれの事だか分かるない。しかも全部雑草にしか見えなかった。
それでもさすがはガリア王の懐刀か。心の揺らぎなど微塵も感じさせず、何という事はないという具合に返事をする。
「自由に摘んでもらって、構わないわ」
そう答えた。先ほどと同じく。ごく自然に。
自分が間違ったものを摘めば、不信を抱くかもしれない。そこで相手に摘ませる事にした。こんなことで、正体がバレる訳にはいかない。
不意に、何かの衝撃が横っ腹を刺した。いや叩き付けられた。
宙に浮く感覚。そして地面に突き落とされた。
「……!?」
気付くと、シェフィールドは地面に張り付いている。何が起こったのか理解するのに5秒。出た答えは単純。すなわち蹴り飛ばされた。ただの花屋と思っていた女に。元の場所から5メイルも。
シェフィールドは警戒しつつ体を起こす。何故いきなり蹴られたかは分かるない。ただ一つ分かる事がある。目の前の人間と思っていたものは、ヨーカイらしいと。女の身で、人ひとりを5メイルも蹴り飛ばすのだ。到底人間技とは思えない。
ちなみにシェフィールドの正体はバレている。その理由はというと、彼女の対応は、美鈴とはかけ離れていたから。美鈴は基本的に腰が低い。ましてやこの目の前の女性に対し、タメ口をきくなんて事はまずない。さらに花を摘めと口にするなど、間違ってもありえない。この女性を前にそれを口にする事は、幻想郷では自殺も同然なのだから。
人間を超えた存在、ヨーカイ。その前にありながらも、今のシェフィールドは別の驚きに囚われていた。あれほどの衝撃を受けたのにも関わらず、大して痛くないのだ。肋骨の一本くらい骨折してもいいものが、なんともない。彼女は実感していた。この体に五倍の能力が宿っている事に。この身に充満する力に。自然と笑みが漏れる。そして、こう思ってしまった。この体ならば行けると。やれると。
シェフィールドはわずかな敵意を込めて、視線を送る。ヨーカイの不機嫌そうな顔に。殺気を伴った顔に。しかし神の頭脳は、臆さない。悠然と尋ねる。
「いったいどういうつもりなのかしら?いきなり蹴ってくるなんて」
「あなた、なんで美鈴の姿してんの?」
「そういうあなたこそ、一体どういうつもりかしら?」
虚無の使い魔は服についた土埃を落としながら、余裕を持って聞いた。しかし目の前の女は、彼女が何を尋ねているかなど、全く意に介さず。
「耳がないのかしら。私の話聞いてなかった?なぜ美鈴の姿してんの?」
自分の要求だけを口にしていた。怒りを目尻に漂わすシェフィールド。
「一方的なだけの相手に、答える気はない!」
「……」
女の赤い双眸が、わずかに鋭利なものを輝かせる。
爆発が起こったかのような衝撃。シェフィールドの腹部に。
衝撃で、すっ飛ぶミョズニトニルン。その速度、亜音速。
紅魔館の城壁に激突。一度も地面に触れることなく、一直線。飛んだ距離数十メイル。
一体何が起こったのか。神の頭脳にすら理解できない。
「ゲフッ!」
吐血。
口からリットル単位の血が噴き出す。バケツをひっくり返したように。見えた先は、真っ赤な水溜り。だが別の刺激が脳を突きさす。腹部の強烈な痛みが。いや、痛みなんてものではない。燃えている石炭を飲み込んだかのような、灼熱の衝撃。
視線を向けた腹は、文字通り潰れていた。筋肉も内臓も骨も。スレッジハンマーを叩きつけられたカボチャのようだ。
何が起こったのか、まるで分からない。分かるのは、一つの言葉だけ。ハッキリと脳裏に浮かんだそれ。
死と。
何もかもの終わりのキーワードが。こんな状態では、生を繋ぐのは不可能だと。
しかし、またも薬師が告げた台詞が頭をかすめる。
"この青い袋は治療薬。怪我ならなんでも治すわ"。
闇の光明のように、彼女は縋った。文字通り救いを願いつつ、脳が焼けるような苦痛の中、なんとか懐から青い袋を取り出す。袋を開き一つ取り出すと、慌てて飲み込んだ。
「!?」
信じがたい現象が起こっていた。さっきまでの痛みが嘘かのように、一斉に引いていく。さらに潰れていた腹部が、風船を膨らましたかのように元に戻って行く。吐き出した血までもが、体に吸い込まれるように戻る。
なんなのかこの現象は。怪我が治るなんてものではない。時間を巻き戻して元に戻したかのよう。数秒もすると、すっかり元のシェフィールド、美鈴の姿に戻っていた。死にかけていたのが幻覚かのように。
だが、なんとか九死に一生を得た彼女に、暴の主から声が届く。
「思ったよりタフね。手加減しすぎたかしら」
シェフィールドの視線の先にはさっきの女。ゆっくりと歩いてきている。大した事など起こってないかのような態度で。
体は元に戻った。即死しておかしくない怪我が一瞬で。しかし事態はまるで好転していない。ヨーカイを前にし、息をのむシェフィールド。冷や汗がほほを伝う。
ガリアの間諜を担ってきた冷静な頭が回りだす。まずは状況を、この女が何をしたかを分析。何のことはない。単に殴っただけだ。それだけ。それだけだが、その速度、打撃力は異常のはるか彼方。身体能力が五倍に上がったシェフィールドをここまで破壊するのだ。しかも、当人はこれで手加減したと言っている。今まで滅多な事では浮かばなかった感情。恐怖というものが、体中に湧き始めていた。
女は再びシェフィールドの前に立つ。
「これが最後よ。何故、美鈴の姿してるのかしら?」
「…………」
虚無の使い魔、答えず。いや、答えられない。魔法陣を調べ、レミリアに出会わずにハルケギニアに帰ろうとしたなどと。この事実が知られれば、レミリアと敵対した事が分かってしまう。幻想郷の住人の敵だと。
だいたい、真相を言ったとしても信じるのかどうか。自分は異世界からやってきて、今の姿は薬で化けたなどという話を。何を言っても信じてくれない気がする。
だからと言って、ここから逃げられるとはとても思えない。目の前の存在は完全に自分を圧倒している。まさしく化物。五倍の身体能力が、焼石に水と言っていいほど。
絶体絶命。せっかく拾った一生もやはり消えるのか。虚無の使い魔の肌は、鳥肌と冷や汗に溢れていた。
だが、その時。またしても頭に浮かぶ、あの薬師の助言。
"これは一回だけ、あなたを見逃してもらえるわ。これはまあ、最後の手段。緊急用ね"
ハッキリと思い起こされる緊急用という言葉。シェフィールドは思わず懐を探り出す。そして取り出した。緑の袋を。あの数々の奇跡とも呼べる薬を作りだした薬師から、最後に手渡された救いの御手。残された希望。最終手段。シェフィールドは迷わず、丸薬を一つ口にした。
「!?」
突如、腰の下から力が抜ける。
崩れるように落ちるその体。
反射的に体を手で支えようと、前へ突き出す。
そして地面に手を付き、上半身を支える。
だが、その両腕からすら力が抜けた。
下へと落ちていく全身。
シェフィールドのその身は、大地の上に完全に伏せていた。両足は膝とくるぶしを合わせ折り畳まれ、両手は指先をそろえ地面を覆う。そして額を両手の上に乗せていた。
亀かのように、身をできる限り縮めた姿。だがこの姿。幻想郷ではこう呼ばれている。
土下座。
と。
やがて、身を伏せたままのポーズで、彼女は口を開いた。
「まことに!まことに、申し訳ありません!全くもって愚かな行為でした!あなた様には、大変ご迷惑をお掛けいたしました!」
(!!!???)
シェフィールド。訳が分からない。それもそのはず。彼女はこんな事を言うつもりは、微塵もないから。だが口が勝手に開き、次から次へと言葉を連ねている。謝罪の言葉を。
「私がいかに未熟者の知恵足らずである事を、思い知りました!深く、深く反省しております!あなた様のお怒りは重々承知しております!ですが、ここはどうか!どうかご容赦を!」
徹頭徹尾、平謝り。だが当の虚無の使い魔は、徹頭徹尾どころか大混乱。
(な!?なんなのよこれ!?これが緊急用の手段!?ただ謝ってるだけじゃないの!!)
頭の中に愚痴が次々と並ぶ。どうも最後に渡された永琳の薬は、平謝りするという効果のものだったらしい。
ともかく、体と口は頭の事などまるで無視。完全に別行動。
「私は自らの分を弁えない、まさしく愚か者そのものでありました!愚鈍な無能者、それが私でございます!どのように罵られても、返す言葉もありません!ですが、ですが!お許しいただければ愚か者の身ながらも、いずれ必ずこの償いをさせていただきます!その時は全霊を持って尽力したいと誓います!」
自分を貶める言葉をつらつら並べるシェフィールドの口。一方、頭の中は怒り心頭。プライドが高いだけに我慢ならない。
(な、何言ってんのよ!ここまで言う事ないでしょ!いくら逃げられないからって!)
すぐにでも口を縫い付けたい気分だ。自分自身の口を。
だがふと視点を変える。実際、逃げられないのも事実なのだから。今の姿は屈辱そのものだが、悪化の一途だった状況が一旦停止している。現に相手も、この平謝りしているシェフィールドを見て、動きを止めていた。
(もしかして、この世界では謝ってる相手に手を出さない……、いや見逃すのかしら?)
永琳が緊急手段と言ったこの薬。これまでの薬と同じように、奇跡の効果を生み出すのか。そんな期待がシェフィールドの中で膨れだす。
だが、そんな事は起こらなかった。
後頭部に強烈な衝撃。
1000リーブル(≒500kg)を超えるインパクト。ただの人間なら、城壁から落とした梨のように潰れていた。だがこの強化された体のおかげか、なんとか死なずにはすんだ。今の所はだが。
もっとも、今の打撃で顔は地面に埋没。そして頭には、にじるように踏みつけるヨーカイの足。怒気をはらんだ言葉が、直上から降りてくる。
「あんた、舐めてんの?」
「ばごどに、ばごどに、ぼぼじわげありまぜん……」
地面に埋まりながらも、謝罪しか口にしない、できないシェフィールド。絶望、八方ふさがり、万事休す、終わりの言葉がズラリと並ぶ。
(な、何が緊急用よ!まるで役立たずじゃないの!)
頭の中で喚き散らす。だが虚無の使い魔に今できる事はこれだけ。打つ手なし。
すると、後頭部の足がふと外れた。同時に届く、ため息交じりの声。
「はぁ……。もういいわ。死になさい」
死刑宣言。
シェフィールドの体中に緊急警報発令!それでもこの身は、全く言うことを聞かない。幻想郷連中に絡まれて以来、もはや何度目か、こうして情けない死に目に遭うのは。泣きそうになる。後わずかで、頭下げて平謝りしながら、馬車に潰された蛙のように死んでしまう。脳裏に描かれる未来像。
だがまだ彼女は見捨てられていなかったのか、それともてゐの幸運効果が残っていたのか。突然、救いの手が届く。
「あ、幽香さん」
美鈴の声だった。同時に止まる、幽香と呼ばれたヨーカイ。シェフィールドの後頭部から足が外された。幽香は美鈴に話しかける。
「あなた。留守の時くらいは、代わりの門番置いておいた方がいいわよ」
「え?」
「これ」
シェフィールドを指差すような言葉。その後から来る、美鈴の抜けるような驚きの声。
「え!?ええ~!?わ、私!?」
「あなたに化けて、忍び込んでたわよ」
「だ、誰ですか!?」
「さあ?聞いても答えないの。面倒だから殺しちゃおうと思ってね」
「あはは……」
美鈴の苦笑い。
こんな中でも、シェフィールドはずっと謝り続けていた。しかし、心の中では安堵の気持ちで一杯。まだまだ分からないが、今すぐの死は逃れたのだから。
その時、ふと体が軽くなった。いや、それだけではない。言葉が、謝ってばかりだった口が止まった。手に足に力が入りだす。口元も自在に動き出す。自由。この身は自由になっていた。彼女は思わず立ち上がる。そして拝むように叫んでいた。自分を指さして。
「あ、あの!私です!シェフィールドです!」
「「!?」」
美鈴も幽香も眉をひそめ怪訝な顔。文字通り何を言っているのだというふう。しかし彼女は続けた。
「や、八意先生から頂いた薬を飲んだら、こうなってしまったんです!」
「永琳さん?」
美鈴は、この所出入りしている薬師の名を口にした。確かに今日、永琳が訪問する予定にはなっていた。ただその時間帯、美鈴は出かけており入れ違いになったのだが。
とりあえずは、目の前の女性言い分を聞いてみる中華妖怪。
「永琳さんから何貰ったんです?」
「傷薬や、力の付く薬などです。生活に便利だからと。その内一つを飲んだら、このようになってしまいまして……」
必死に言い訳をするシェフィールド。未だに美鈴の姿のままで。
話を聞いていた本物の方はというと、左右へ首を傾けている。今一つ納得いかない様子。彼女の言い分を素直に取れば、美鈴に化ける薬を永琳が手渡したという事になる。だが、理由がさっぱり分からない。一方、シェフィールドという名は、紅魔館のそれもごく一部の者しか知らない。なんと言っても昨日来たばかりなのだから。目の前の美鈴に化けている何者かが、実はシェフィールドではないと考えるのも難しい。どちらの考えも収まりが悪かった。
すると隣に立つ幽香が何かを感じたのか、美鈴に疑問を一つ。
「美鈴。あなた丁度いいタイミングで来たけど、誰かに何か言われた?」
「えっと……。人里で、てゐに言われたんですよ。幽香さんが館で待ってるって。だから、待たせちゃ悪いと思って、急いで来たんです」
その答えを聞いたシェフィールドが、すかさず声を上げていた。
「てゐって、因幡てゐって言ううさぎのヨーカイですか?」
「そうですよ。ってなんで知ってるんです?」
「私も会ったんです!その後、おかしなトラブルに巻き込まれて……酷い目に遭いました」
彼女の話を聞いて、幽香がわずかに笑みを漏らす。美鈴は、不思議そうにそんな彼女を見ていた。
「なるほどね……。そういう事」
「幽香さん、なんか知ってるんです?」
「ちょっとね。ここ来た切っ掛けがね」
「切っ掛け?」
「少し前に、美鈴がこれから花壇の模様変えをするって聞いたの。だから来たのよ。模様変えする前に、花のタネ渡した方がいいと思って」
「模様替え考えてますけど、今すぐって訳じゃないですよ」
「やっぱりね」
意を含むように鼻で笑う幽香。
一方、シェフィールドは目の前のヨーカイ達の会話から、不穏なものを抱く。間諜の彼女だからか。どこか陰謀の匂いがすると。
気付くと幽香から緊張が解けていた。そしてシェフィールドの方へ顔を向ける。ほんの少し前まであった殺気は、欠片もない。
「さっきは、悪かったわね」
「は、はぁ……」
悪いの一言で済むのか、殺されかけたのに。表情こそ気にしてないかのようだが、胸の内で毒づく。ただ、彼女自身もハルケギニアで散々似たような事をしていたが。そんなものはどこかの棚の上。
幽香は言葉を続ける。
「まあ、詫びという言う訳でもないんだけど、一つ助言してあげるわ。あなた、たぶんハメられてるわよ。あの薬師に」
「それは、いったい……」
「永琳とてゐは同居人なのよ。きっとグルね」
「な……!」
言葉がない。なんだかんだで感謝し感服していたあの薬師が、実は自分をハメようとしていたとは。裏切られた気分だ。もっとも、裏切り自体も彼女自身は何度もやってきた。しかし、やられると腹が立つ。勝手なものである。
やがて幽香は背を向けた。
「それじゃぁ、私、行くわ。あ、そうそう。美鈴、これ。鹿の子百合の種」
「ワザワザ持って来てくれたんですか。ありがとうございます」
「ついでにあなたの花壇見せてもらおうと思ったけど、またにするわ」
「何か予定があるんです?」
「宇宙人を一発殴りにね」
「はぁ……」
またも美鈴苦笑い。幽香らしすぎて。
やがて幽香は日傘をさし、門へと向かう。優雅に進むその姿。ただシェフィールドには、その後ろ姿にまたも凶暴なものを感じずにいられない。本能的に、この女には近づかない方がいいと思ってしまった。
そして幽香の姿が消えると、ようやく気持ちが落ち着いてくる。
「あの……」
「はい?」
「あの方は何者なんです?」
「風見幽香さんといいます。花の妖怪です」
「花!?花のヨーカイ!?で、でも、全く花って印象ないですよ!確かに優雅な感じはしなくはないですけど……。強いというか、なんというか……」
「はは……。まあ、いいたい事は分りますけどね。実際、とても強いですし、怒らせるとただじゃ済みませんし。普通に接していれば、そう悪い人じゃないんですけどね」
「…………」
その普通に接するのが、無理だと思ったが。それにしても花のヨーカイという、一見可憐そうなイメージからは程遠い凶暴さ。そして強さ。しかも魔法などではなく、単純に腕力が強いのだから。どの辺りが花のヨーカイなのか、よく分からない。
さらにシェフィールドは質問を追加。
「それと、因幡てゐってヨーカイ何ですけど、妙な事を言われました。幸運をあげるとか……」
「へー、そうなんですか。それ、彼女の能力ですよ」
「幸運を与えるのが!?」
シェフィールドの口は半開きのまま止まる。信じがたい。幸運を与えるなどという力が存在するとは。そんな事ができるのは、一つしか思いつかなかった。
「その……天使か何かですか?」
「いえいえ。ただの妖怪うさぎです。しかも、その力をロクな事に使いません。いたずらが趣味みたいな妖怪ですからね。しかも妙に頭が回るので、そこらの妖精や妖怪達よりタチが悪いです」
「……」
「あ!そう言えば、トラブルがあったって言ってましたけど、何があったんです?」
「花壇に、落とし穴や罠がたくさんあったんです」
「え!?落とし穴?それじゃ花壇は?」
「酷い有様です。穴だらけですし」
「あ、あいつは……」
一瞬、拳を固く握るが、すぐに肩を落とし項垂れる美鈴。これからの後始末を考えると頭が重い。
他方、シェフィールドはふと思う。風見幽香という花の印象とはまるで合わない、凶暴な花の妖怪。因幡てゐという、幸運を授ける力を悪事にしか使わない妖怪うさぎ。なんというアンバランスさか。この幻想郷は常識で計ってはいけないと、どこかの風祝のような考えが浮かんでいた。
やがて、二人は館の中へと戻って行く。そして、揃ってシェフィールドに割り当てられた部屋へと入った。そこにはちょっとした客間。まさしく貴族の館にふさわしい整然とした部屋だった。とても人外の住処とは思えない。
部屋の中央のテーブルには一着の服が、綺麗に畳んでおかれていた。潜ませていたマジックアイテムの方も、なんとか無事。美鈴が話しかけて来る。
「えっと、シェフィールドさんの服。一応洗濯が終わりましたので」
「ありがとうございます」
メイドらしく丁寧に礼を返すシェフィールド。すると美鈴は、さっきから気にしている事を口にした。
「ところで、その姿。戻るんですか?」
「効果は半時ほどと聞いています。もう、まもなく戻ると思いますが」
「そうですか。ずっとそのままだったら、どうしようかと思っちゃいました」
「それは、私も困ります」
「ですよねぇ。でもなんで永琳さん、そんな事したんでしょうか?」
「さぁ……」
二人は同時に首を傾げる。姿が完全に同じなので、まるで分身の術でも使ったかのようにユニゾンしている。
しばらくして、美鈴は部屋の入り口へと向かった。
「それじゃぁ、シェフィールドさん。とりあえず変身が解けるまで、ここにいてください。外でると、ややこしい事になるかもしれませんので」
「はい」
シェフィールドの素直な返事。トラブルに巻き込まれた哀れなメイド、という雰囲気を最後まで漂わせて。やがて美鈴の姿が消えると、表情が戻る。いつもの彼女に。
「この私をハメるとは……。あの薬師め……」
じわじわと怒りが湧いてくる。思い起こせば、美鈴の姿に化けたのも永琳に誘導されたからだった。花壇の落とし穴の始末をチルノ達にやらせるには、当主代行に化ければいいと。しかもその花壇の数々の罠自体が、彼女の仲間のてゐのせい。つまり何もかもが仕組まれていた訳だ。そして手渡されたいくつかの薬。これも何か意図があるのかもしれない。
ただこの薬。効果があったのも確か。それは自分の身をもって証明した。もしかしたら、薬の人体実験に使われたのではとの考えが浮かぶ。
とにかく、この世界は信用できる者がほとんどいない。あえて言えば美鈴くらい。いや、彼女もどこまで信用できるか分かるない。
やがて彼女は決断する。もはや付き合っていられない。こんな所にいるのはコリゴリだと。では、どうするか。おもむろに虚無の使い魔は自分の手を見る。未だ美鈴の姿をしている自分の手を。
答えはすぐに出た。直ちに幻想郷から去ると。ハルケギニアに帰ると。変身が解けない内に。
シェフィールドは決意を固めると、すぐさま部屋を出た。みずからの服を手にして。行先はもちろん図書館。魔法陣のある図書館だった。