ルイズと幻想郷   作:ふぉふぉ殿

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二つの脱出作戦

 

 

 

 図書館の大きな扉が開く。開けた人物は紅美鈴。いや、美鈴の姿をしたシェフィールド。

 目の前に広がるのは、悪魔の巣窟となっている図書館。彼女は呼吸を整えると、なるべく自然を心がける。そして、慎重に図書館へと入って行った。扉の先には小悪魔達。相も変わらず自堕落な様子。シェフィールドに一瞥を向ける者もいるが、気にしている様子はない。結局、彼女の不安を余所に、あっさりと奥の部屋へたどり着いた。魔法陣があるという部屋に。シェフィールドはその大きな扉に手をかけた。ハルケギニアに通じるという道を。

 

 あったのは真っ白い広い部屋。

 

「何もないじゃないの……」

 

 出てきた第一声はこれだった。実際、不思議な灯りに照らされた白い部屋はガランと空っぽだった。てっきり仰々しいマジックアイテムがあると思っていたが、本当に何もない。

 だが何もないのも当然だ。『魔法陣』はアイテムではないのだから。だが、ハルケギニアの住人である彼女。魔法に関わるものは、形あるアイテムであると勝手に思い込んでいた。

 

 足を進めるシェフィールド。すると、ふと違和感に足を止める。むしろ、正常になったと言うべきか。

 

「どうやら時間切れのようね」

 

 手の形が変わっているのに気づく。もちろんそれだけではない。足も、体も、顔も、服装も。全て元のメイド姿に戻っていた。変身薬の効果もここまでらしい。すぐにメイド服からいつもの服装に着替える。もちろんマジックアイテムも身に着けて。

 

「やはりこっちの方が落ち着けるわね。さてと……」

 

 すっかり本来の心持ちを取り戻したシェフィールド。じっくりと辺りを見回す。目標の魔法陣を探すために。だが見ての通り、隠すどころか物自体がない。想定外の状況に少し眉をひそめる。もしかして、美鈴が嘘をついたという可能性も考えたが、あの状況では不自然だ。

 

 目に入るものはわずかしかなかった。部屋の四隅の何やら文字らしき図形。そして、部屋の中央にはよく目立つ物が一つ。いや、物ではない。床に描かれた図形があった。ただそれはよく貴族の屋敷の床にある床絵、単なる飾りのようにしか思えない。実はこれこそ魔法陣なのだが、やはり彼女は気づかない。

 

 床絵の側まで来て、もう一度辺りを見回す。だが何度見ても、それらしいものは見当たらない。すると思いついた事が一つ。

 

「もしかして……この部屋全体がマジックアイテムか?」

 

 何せ、異世界に転移するというほどのものなのだ。この部屋自体がマジックアイテムである、という可能性もあり得るかもしれない。

 

「片っ端から試すしかないわね」

 

 虚無の使い魔はポツリとつぶやくと、腰を下した。そして床に触れてみる。しかし『ミョズニトニルン』のルーンは無反応。ただの床だ。少し触る場所を変えてみるが、結果は同じ。再び立ち上がると腕を組む。俯き気味に。

 

「ダメか……。残るはこの床絵だけ……。絵自体にマジックアイテムの効果があるのかしら?しかし……」

 

 膝を付け、床絵を凝視する彼女。ふと、視界の隅に影が入る。何気なく視線を上げた。

 人が佇んでいた。床絵の先に。白いドレスに紫を基調とした奇妙なエプロン。そして赤いリボンを付けたナイトキャップを被った金髪の女性が。怪しげな笑みを湛え、シェフィールドの方を見ていた。

 

「お、お前いつのまに!?」

 

 反射的に後ずさるシェフィールド。部屋に入った時には誰もいなかった。後から部屋に入って来た事に、気づかなかったのか?そんなハズはない。なんと言ってもこの部屋の外は、悪魔だらけの図書館。十分警戒していたつもりだからだ。

 そもそも紅魔館で、目の前の者を見た覚えはない。美鈴から説明を受けた中でも、この女性に思い当たる人物はいなかった。だとすると部外者となる。だがそれは、悪魔の図書館を抜け、ここに入った事を意味する。これだけでも十分不自然。それに纏わりついている奇妙な異質感。あの風見幽香とも違う、むしろさらに異様な感覚。それがあった。

 

 体中が張り詰める。腰のマジックアイテムに、思わず手が向かう。じりじりと下がりながら、戦いの体制を整える。

 そんな彼女に、女性は礼を一つ。

 

「始めまして。ミス・シェフィールド。わたくし、八雲紫と申します」

「…………」

「最初に助言しておきますけど、魔法陣を動かすことは『ミョズニトニルン』と言えどもできませんわよ」

「な!何故……『ミョズニトニルン』の事を……!」

「魔法陣はマジックアイテムと違って、魔力は術者持ち出しですの。あなたがメイジでもない限り、動きませんわ」

「き、貴様!な、何者だ!?」

 

 シェフィールドの叫びが、何もないこの部屋に反響する。彼女の頭の中に、疑問が一斉に湧き立つ。

 ミスという呼称は幻想郷では聞いていない。メイジという言葉も。しかも、自分が何故『ミョズニトニルン』と分かったのか。いや、そもそも何故その言葉を知っているのか。もしかしてここは幻想郷などという異世界ではなく、実はハルケギニアのどこかなのだろうか。そんな考えすら過る。

 

 だがそんな彼女の困惑を他所に、八雲紫は緩やかな笑みを湛えるだけ。

 

「いろいろと疑問はあるでしょう。お答えしますわ。私も伺いたいことがありますから。ともかく、我が家にご招待いたしましょう」

 

 異質な女性はそう告げた。

 シェフィールドに直感が走る。あの風見幽香と同じように。本能が命じていた。すぐに逃げろと。

 気付くと走り出していた。扉に向かって。この扉の向こうは悪魔の群れの真っただ中だというのに、そんなものはもはや頭にはない。ノブに手をかける。思いっきり開ける。そして飛び込んだ。扉の先へ。

 

「え?」

 

 扉から出た場所。そこには、背を向けている八雲紫が佇んでいた。いや、それだけではない。彼女の向うには自分の背中があった。扉の先にいる自分が。真っ白な部屋で突っ立っている自分の背中が。

 

「な!?バ、バカな!?」

 

 すぐに振り返り、慌てて元の部屋に戻るシェフィールド。

 だがそこで見えるのも、こちらを向く八雲紫。そして同じく、奥の扉の向こうで背を見せる自分。いや、それだけではない。さらに、その扉の奥にも、八雲紫と自分が見える。まるで合わせ鏡のように、八雲紫が、自分が、この部屋がどこまでも続いていた。

 

「な……」

 

 シェフィールドの身は、わずかも動けなくなっていた。全ての骨が金属の支柱となったかのよう。頭は脳の代わりに綿でも詰め込まれたように、なんの答えも導き出さない。ここはどこなのか。一体何が起こっているのか。そして目の前の"あれ"は何なのか。怯え、当惑、呆然、全ての画材を混ぜたような感情が、頭を塗り込めていた。

 

 やがて"あれ"は、広げた扇子で口を覆うと流麗に語る。

 

「では、参りましょう」

 

 扇子が閉じられた。全てを断ち切るような音を立てて。

 

 すると、シェフィールドの頭上に一本の線が現れる。それは空に流した一本の糸のよう。だが、それが膨らみだす。いや、面のように広がりだす。違う、それは宙を裂く割れ目となっていた。そして見えた裂け目の向こう。そこには暗闇が広がっていた。無数の眼光が浮いていた。幻想郷では俗に、"隙間"と呼ばれる彼女固有の空間が。

 

「っ……!?」

 

 開いた口からは、言葉とも叫びともつかないものしか出てこない。頭が止まるとはこの事か。思考の外とはこの事か。

 シェフィールドは暗闇の中、無数の目に囲まれていた。目が彼女を見つめていた。そこに浮く金髪の女。口元が、裂け目と同じように開いた。

 

「さあ、我が家へ招待いたしますわ」

 

 シェフィールドが覚えているのは、ここまでだった。

 

 

 

 

 

 幻想郷のとある場所。わずかな者しか知らない隠所に、大妖の屋敷があった。その屋敷の誰もいない居間に、突如、人影が現れる。ここの主、スキマ妖怪、八雲紫である。彼の相手に背を向けたまま、ふとそこにいた。優雅であり、妖艶であり、不気味であり、不可解。そんな空気を纏い、ここにある。

 紫は扇子を広げると、なだめるように言葉を流した。

 

「ようこそ。どうぞお寛ぎになってください」

 

 背を向けたまま、威圧と安堵を織り交ぜたような響きが部屋に満ちる。

 

「はぁ」

 

 しかし、こんな状況にも拘わらず、当の相手の返事は紫の予想と違って緊張感がない。本当に言葉通り寛いでいるなら、たいしたタマだ。だがそんな相手の様子を他所に、妖怪の賢者の仕草は悠然としたもの。

 

「全ては、私にお任せを。安心していただいて結構ですわ」

「そうですか。では、あとの作業は全てお任せします。紫様」

「ええ。……え?紫"様"?」

 

 "様"付けで呼ばれた。連れてきたはずの相手が、絶対口にするはずのない呼び名で。紫は思わず振り返る。

 彼女の目に入ったのは、割烹着を脱いでいる九尾の狐。紫の式神、八雲藍である。九尾の狐という大妖にもかかわらず、紫の式神という立場。八雲紫という妖怪の、底知れなさを物語っているような存在だ。なのだが、時々立場が入れ替わる事もあったりする。もっぱら家事やら作業やら生活全般に絡んで。

 

 ともかく、自分の式神を前にした紫は、目を丸くしていた。どこかヌケた顔で。

 

「あら?藍」

「あら、藍じゃないです!どこ行かれてたんですか?紫様が勝手に出て行ったものですから、あの術式、まだ終わってませんよ。他に家事もしないといけませんでしたし。おかげで、出かけるのがすっかり遅くなってしまいました。もう少し早く、お帰りになってもらいたかったですね!」

 

 藍の語気が荒い。対して、小さくなっている紫。ついさっきまでの威圧感は、どこへやら。

 

「あ、あらそう……。そ、それは悪かったわ」

「では。私は小用がありますので」

 

 憮然としたまま、藍は割烹着を綺麗に畳む。そして、さっさと出て行こうとした。だが、慌てて声をかける紫。

 

「ちょ、ちょっと待ってよ」

「何でしょうか?」

「誰か来てなかった?」

「いえ。今日はどなたも来られてませんよ。幽々子様もいらしてませんし」

「そうじゃなくって、外来人、来てなかった?」

「外来人なんて、なおさら見てませんよ」

「あら?」

 

 傾げる紫。想定外。そんなバカなという表情。

 紫はその隙間を操る能力により、自由に空間を繋げる事ができる。この能力で紅魔館とここを繋げ、シェフィールドを誘導したのだ。したハズである。だが、当のシェフィールドはいない。ちなみに、魔法陣の部屋でシェフィールドが鏡合わせのように見えたのも、この能力のため。

 

 様子のおかしい紫を見て、藍が足を止めた。

 

「外から誰か連れて来たんですか?」

「外からじゃないんだけど、まあ、連れて来たのは確かね」

「少し屋敷内を見回ってみます」

「私も見てみるわ」

 

 念のためと、屋敷を巡る二人。それからほどなくして、藍と紫は居間に戻っていた。

 

「いませんね」

「いないわね」

 

 同じ答え。眉間を狭め、腕を組み、考え込むスキマ妖怪。一方の九尾は半ば呆れ顔。

 

「つまりは、攫った相手をどこかに落としてきた訳ですか」

「落とす訳ないでしょ」

「でも、いないじゃないですか」

「隙間の中で、無くしたのかしら?」

「もっとマズイでしょ」

「ほほほ、冗談よ」

「はぁ……」

 

 疲れた溜息をもらす従者に、主は苦笑いでごまかす。頬をヒクつかせながら。ともかく藍の言う通り、いないのも事実。どうにも腑に落ちない。すると藍が案を一つ口にした。

 

「なんでしたら、結界点検のついでに探して来たらどうです?」

「え?結界点検してないの?」

「紫様が急にいなくなるもんですから、作業に時間を取られたんです。おかげで点検する暇がありませんでした」

「うっ……」

 

 返す言葉がない紫。今日の藍は何故か辛辣。共同作業を紫が勝手に抜けだしたのだから、怒るのも無理ないのだが。

 

「それに紫様は先ほど、後の事は任せろとおっしゃいました」

「上げ足取らないでよ」

「今回ばかりは、取らせていただきます」

 

 強気の式神。もはや主は完全降伏である。両手を合わせ降参の賢者。

 

「分かった。分かったわ。私が悪かったわ。だから手伝ってよ」

「いえ。ダメです。そもそも術式は紫様から言いだした事なのに、当人がサボってるんですから」

「だ、だって……せっかくのチャンスだったのよ……」

「もう時間がないので、出かけます。ついでに、夕食の買い物もしてきますから。では」

「あ!こら、藍ってば!」

 

 従者は主を放っておいて、とっと飛んで行ってしまった。それを紫は肩を落として見送る。今回ばかりは、さすがのスキマも反省しているのもあって。しかし、彼女にも言い分はあったのだ。二人目のハルケギニア人が来たのである。見逃す手はないと。もっとも、しっかり一言断っておけばいいだけの話だったのだが。

 

 藍の姿が見えなくなると、紫は居間の座布団へ腰を下ろす。疲れたように。そして座卓に肘を立て、頭を支え、菓子鉢から煎餅を一枚。そして思考はまたシェフィールドへ。

 

「私の隙間から逃げ出した?とても、そんな事できるように見えなかったけど……」

 

 一人でつぶやきながら、頭を巡らす。

 ただの人間程度の存在にしか感じなかったシェフィールド。いくら虚無の使い魔『ミョズニトニルン』だと言っても、紫の隙間から抜けだすなど出来る訳がない。そもそも『ミョズニトニルン』はそういう能力ではない。マジックアイテムを使った様子もなかった。だからと言って、何か納得のいく答えが出る訳でもない。妖怪の賢者をもってしても、真相は闇の中。

 

「体を動かせば、何かいい考えが出るかしら?」

 

 そう呟くと、煎餅を口に放り込み立ち上がる。扇子を取り出し、縦に軽く振った。それをなぞるように切り開かれる空間。向こうに見えるは、暗闇の中の無数の目。そんな不気味な空間へと、紫はため息を纏いつつ入る。彼女の仕事、『博麗第結界』の点検に向うために。

 

 それから、点検がてら幻想郷中を回ったが、シェフィールドの姿は全く見当たらなかった。

 

 ところで、紫が何故『ミョズニトニルン』の事を知っていたかと言うと、神奈子達との会合の時、パチュリーの資料を見たから。そして、シェフィールドがその『ミョズニトニルン』である事を知っていたのは、本人の独り言を聞いていたから。シェフィールド出現を知った彼女は、藍との作業を抜け出し、この異世界人をずっと観察していたのだった。

 

 

 

 

 

 シェフィールドは茫然と辺りを見回していた。広い部屋にしゃがみ込んで。ここはどこなのか。いや、よく知っている。知ってはいるが、何故ここにいるのかが分からない。

 

 ゆっくりと立ち上がる彼女。目に入るは巨大な模型。見覚えのよくあるもの。彼女の主が惚れ込んでいる、手のかかった模型だ。ハルケギニア全体を模したもので、山や川の形などまるで空から見たかのように凝った作りになっている。さらに精巧な小さな人形が各地に配置されていた。ここはシェフィールドの主、ガリア王ジョゼフの私室。そしてこの館は、ガリアの中心、ヴェルサルテイル宮殿。ハルケギニアにおける、彼女のもう一つの故郷とでもいうべき場所だった。

 だが今、ここの主の姿は見えない。食事中か、出かけているのか、あるいは寝ているのか、それとも虚無の宿敵と会話を楽しんでいるのかもしれない。何にしても気まぐれな人物だ。どこにいるかを予想するのは、彼女でも難しいだろう。

 

 しかし、確かなものもここにはあった。帰って来たのだ。自分の世界に。シェフィールドの胸の内に、安堵感が溢れる。あの理不尽な世界から解放されたのだから。あれは実は、夢だったのではという気持ちすら浮かぶ。

 すると、頭を過るものが一つ。それはあの薬師からもらった薬。懐を探るとそれはあった。おもむろに手にする四つの袋。身体強化、完全治癒、変身そして土下座の薬。息を飲むシェフィールド。薬は告げている。幻想郷。あの異質な異世界は本当にあったのだと。

 この薬のおかげで散々な目にあった。しかし、この薬が脅威の効果を持つのも事実。もしこれを量産できれば、ガリアは諸国に対し圧倒的な力を持つこととなるだろう。身体強化の薬を全兵に配るだけでも、兵力が五倍になったも同然。シェフィールドの口元がわずかに緩む。

 

 その時だった、ふと視界に入ったものがあった。部屋の隅。小さなテーブルの上に置かれている、古ぼけた骨董品。

 

「な……!?なんで、ここに……?」

 

 思わず声を漏らしていた。目を大きく見開いたまま、動けずにいた。

 信じ難かった。あれがここに何故あるのか。あるハズないものが。

 あれは彼女の手元から失われた。水の精霊にアルビオンのハヴィランド宮殿から奪われ、行方知れずとなった。だがここにある。古びた骨董品、『始祖のオルゴール』が何故か置いてあった。

 

 

 

 

 

 午前の日差しを浴びた学び舎。トリステイン魔法学院。貴族の子息、息女が通う由緒正しき学校。だが今の様子は、とてもそうは見えなかった。

 開いた窓に肘をかけ、キュルケがポツリとつぶやく。

 

「いつからここは、刑務所になったのかしら?」

「…………」

 

 隣に立っているタバサは何も言わないが、小さくうなずいた。

 二人がそう思うのも無理はない。なんと言っても、このトリステイン魔法学院をぐるりと大量の兵達が囲んでいるのだから。しかもこれは全て警備の兵である。

 

 シェフィールド一味が、レミリア達からヴァリエール家へ引き渡されると、直ちにその報は王宮へ伝えられた。一味の目的が、学院の生徒達誘拐というのも知らされた。すると王宮は、ハチの巣をつついたような騒ぎに。もちろん多くの貴族たちの子らが通っているのだ。国としても貴族としても親としても大問題である。すぐさま一部の貴族が、自らの騎士団を学院警護へ派遣。それを切っ掛けに次から次へと、騎士団がやってくる。さらに次の襲撃を警戒し、生徒たちには無期限外出禁止令の発令。おかげで、学院から一歩も出ることができない。

 兵で何重も囲まれ、外に出ることもできない。キュルケがここは刑務所かというのも、言い得て妙だったりする。

 

 一方で学院の教師達は、胃の重い日々を送っていた。特にオールド・オスマンは。彼は学院の最高責任者。各騎士団は警備の名目なので、一応彼の指揮下に入る事にはなっている。しかし、実状はバラバラの集団。その各地の兵達を、トラブルがないようにまとめあげるだけでも一苦労。さらに貴族達から生徒の安全についての、質問やら提案やらが書簡で次々届けられる。これら全部に対応しているのだ。幸い、王家からアニエス達が補佐として遣わされており、かなり助けられてはいるが。

 また他の教師も、程度の差はあれど似たような仕事をやらされている。以前はいい加減だった夜間の見回りも、今では誰もがキッチリこなしていた。

 

 ところでルイズ達は、まだ戻って来ていない。ダルシニ達の村を復旧中。教師達にとっては、これはせめてもの救い。こんな状況に幻想郷の連中まで加わったら、オスマンは過労死していたかもしれない。

 

 何時になく騒がしい学院を、面白くなさそうに外を眺める二人。しかも休日すら外出禁止なので、不満もたまるというもの。キュルケはもちろんだが、タバサもどことなく不満そう。トリスタニアに本を買いに行く事ができなくなったのが、理由かもしれない。

 

 キュルケはぶちまけるように愚痴をこぼす。いろいろと溜まっているのだ。この不自由な状況に関しては。

 

「だいたい夏休みがないって、どういう事!?」

「なくなってはいない」

「秋休みになったって言うんでしょ」

 

 うなずくタバサ。

 

 実は、夏休みもなかった。それどころか、新学期開始の時期もとうに過ぎてしまった。

 軍事教練が授業として入ったため、当初の予定通り学習計画が進まなくなった。おかげで授業は夏休みに割り込み、期日がずれる事に。そして兵力の復旧が急務だった国が、学生の軍事レベルの早急な向上のため、これに便乗。さらに夏休みの期日はずれる。やがて、ずるずると期日は伸び、とうとうこの時期に。新学期になった頃だというのに、未だ"夏休み"は始まっていない。一応大型休日はある事になってはいるが、その休日は"秋休み"と呼ばれていた。

 

 そんなキュルケとタバサに声がかかる。

 

「外、見ても、うんざりするだけじゃないかい?」

「ん?」

 

 振り向いた先には、色男と太っちょがいた。ギーシュとマリコルヌだ。二人にも不満そうな色合いが感じられる。特にマリコルヌには。その彼が話しかけて来た。

 

「いやな噂を聞いたんだよ。秋休み中も、外に出られないかもしれないって」

「何よそれ!?」

 

 思わずキュルケは激高する。夏休みは散々先に延ばされたが、秋休みはもう間もなく。ようやくこんな状況から解放される、と思っていたのだから。休みが来ても、ここから出られないのでは意味がない。

 褐色の美少女は、太っちょの襟首をつかみ上げた。

 

「どういう事よ!」

「ちょ、ちょ、ちょっと……。首、首が……」

 

 首絞められるような状況になっているのに、どこか嬉しそうなマリコルヌ。そんな彼の脇から、気の削げたギーシュの声が漏れて来る。

 

「学院襲撃の話があったろ?」

「ええ」

「いっそこのまま生徒を学院に閉じ込めておけば、護衛が楽なんじゃないかって噂があるらしいよ」

「はぁ!?」

 

 思いっきりの疑問形。不満と文句が顔に張り付いている。

 

「ふざけんじゃないわよ!私は関係ないでしょ!トリステイン人だけ、しっかり守っておけばいいのよ!」

「関係なくはない」

 

 タバサからの平然としたツッコミ。

 

「なんでよ。同じ生徒だから?」

「ゲルマニアはトリステインと同盟中。あなたも標的になる可能性がある」

「うっ……」

 

 返す言葉がないキュルケ。確かにタバサの言う通り。しかもツェルプストー家の家格は高い。標的にされるには十分な理由があった。

 行き場のないストレスが煮立っている。拳を握り、震えながら歯ぎしりしている。もはや微熱ではなく灼熱と、今なら呼ばれていただろう。だが、それが急に収まる。すっきりというか開き直ったような顔を上げた。

 

「ねぇ。ここから抜け出さない?」

「「ぬ、抜け出す?」」

 

 ギーシュとマリコルヌがハモっていた。さらにハモって質問。

 

「「どうやって?」」

 

 姿勢も合わせたように前のめり。期待がちょっとばかり顔に出ている。二人も不満が溜まっていたのだろう。しかし、その答えは提案者ではなく、意外な所から出て来た。隣の雪風から。

 

「抜け穴を作る」

「抜け穴?簡単に言うけど、方法は?」

 

 ギーシュは、抜け穴と聞いて自分の得意分野とすぐに理解。理解はしたが、すぐ思いつく障害だけでも山ほどある。それはマリコルヌも同じ。二人が一斉に疑問を口にしようとした。しかし、キュルケが話を止める。

 

「ま、続きは部屋でしましょ。こんな所、先生方に見つかったら厄介だわ」

「そうだな。それにしてもタバサが、この話に乗って来るなんて」

 

 ギーシュは意外そうに、優秀で小さなメイジを見た。あまりに無口なので、勝手に冷静沈着なよい子のイメージを抱いていたのだが、ある意味彼女を見直していた。それにキュルケが笑みを添えて答える。

 

「あの子も文句アリアリだったもの。今の状況」

「なんか言ってたの?」

「別に。でも、見ればわかるわ」

「そう……なんだ」

「だいたい、今の状況に不満のない生徒なんているのかしら?」

「それもそうだ」

「とにかく、みんなやる気があるなら、話詰めちゃいましょ」

「そうだね」

 

 こうして四人は監獄からの脱出という希望を胸に、作戦会議へと向かった。

 

 

 

 

 

 すっかり双月の上がった夜。

 広場の隅、使い魔のたまり場。昼間は主の授業の終わりを待っている使い魔で賑わっているこの場所だが、夜はシルフィードなどよほど大型の使い魔以外は主と共に部屋にいる。

 

 そのシルフィードは、渋い顔で羽を使って足元を隠していた。というのは、そこに四人の脱走囚人(予定)が潜んでいたから。キュルケ、タバサ、ギーシュ、マリコルヌである。先ほど衛兵の見回りをやりすごしたばかり。これでしばらく誰も来ない。四人は用心深くシルフィードの影から出る。そしてギーシュが物陰に向かって、小声で呼びかける。

 

「ヴェルダンデ」

 

 モソモソと近づいて来たのは大きなモグラ。ギーシュの使い魔、ヴェルダンデ。彼はヴェルダンデの頭を撫でながら話しかけた。

 

「いいかい。ヴェルダンデ。ここから真っ直ぐ東。城壁の向こうの50メイルほど先まで穴を掘るんだよ」

 

 ヴェルダンデは主の言う事にうなずくと、さっそく穴を掘りだした。

 

 つまりは、ここが穴を掘るスタート地点。使い魔のたまり場に生徒がいても、取り立てて問題はない。穴の出入り口を干し草か何かで蓋をしても、幻獣や動物のいる場所だ。不自然な事はない。そして、学院の衛兵もここにはあまり近づきたがらない。またシルフィードをはじめ、多くの使い魔がよくここにいる。彼らに穴を見張らせる事ができる。

 

 ヴェルダンデはあっという間に掘り進んで行った。さすがはモグラの使い魔か。四人はそれを期待一杯で眺めていた。するとギーシュが思い出したように尋ねる。

 

「それで、馬の調達はなんとかなったのかい?」

「ええ。シエスタからうまく行ったって聞いたわ」

 

 自慢の胸を突きだしてうなずくキュルケ。

 外に無事出られたとしても、学院周辺には大きな町はない。それに当然、トリスタニアまで行くことを考えている。だがその距離は、徒歩では厳しい。最低限、馬は必要だ。しかし学院からは、馬や馬車を持ち出すのは不可能。そこで近くの農家に、馬を置かせてもらう事にしたのだ。もちろんお金を渡して。その繋ぎをしたのがシエスタ。平民は一応、通行証と理由があれば出入りする事ができるので。

 ところでキュルケ達とシエスタだが、魔理沙達のアイスクリーム商売を切っ掛けに知り合いになっていた。たまに彼女自身も『魅惑の妖精』に寄る事もあった。

 

 全員が頷く中、キュルケが自慢げな表情を少し崩す。

 

「ただちょっと、予定とは違ったけど」

「違ったって?」

「馬が二頭しか調達できなかったの。それも、あまりよくないのしか」

「う~ん。あの金額じゃしようがないか」

 

 ギーシュは唸る。手元の金をひっかき集めて用意したのだ。無理もない。一同はお互いの顔を見やる。つまりこの内半分は、外に出ても意味がない訳だ。するとタバサがいきなり口を開いた。

 

「私は行かない」

「なんでよ」

「今の時間では本屋は開いてない」

「ああ、確かにね」

 

 空を見上げるキュルケ。双月が目に映る。確かに、この時間に開いている本屋はない。タバサはもうここには用はないとばかりに、寮へ戻りだす。

 残った三人。マリコルヌが、意気込みつつ事を始めた。

 

「じゃあ、さっそく決めよう。この中で一人だけ脱落だ」

「ちょっと待った。僕は外に出る権利があると思うよ」

「何でだよ」

「僕の使い魔が穴を作ったんだからさ」

「う……」

 

 ギーシュの当然とでも言いたげな答えに、マリコルヌ、言葉が返せない。すると次はキュルケ。

 

「ならあたしにも権利があるわ」

「え?何で!?」

「話を持ちだしたのはあたしよ。それに馬の話をまとめたのも私。で、あなた。何かやった?」

「え……。で、でもさ……」

 

 小さくなるしかない太った子。ギーシュとキュルケは勝利の笑みを並べていた。

 

「穴はなくなる訳じゃないし。また次の機会にすればいいじゃないか」

「そういう事」

 

 二人の投げ遣りな慰めを背に、マリコルヌはすごすごと寮へと戻って行くしかなかった。二人は後ろ姿をニヤニヤ見送る。

 

 時間がほどなく経つと、ようやくヴェルダンデが穴から顔を出す。どうやら抜け穴は完成したらしい。キュルケ達の表情が緩む。待ちに待ったという具合に。やがて二人は使い魔と共に、穴へと入って行った。

 

 穴を100メイルほど進むと出口にたどり着いた。使い魔達が顔を出す。キュルケとギーシュは使い魔の視覚を同調させた。辺りを探るフレイムとヴェルダンデ。穴の出口は林の中。木々の切れ目から、かがり火がいくつも見える。城壁の側には何人もの兵が見えるが、どことなく不満そうだ。向こうも向こうで、今の状況は我慢ならないらしい。だがそれだけに、少々緊張感に欠けていた。

 

「なんとかなりそうだね」

 

 穴の中でギーシュはつぶやく。うなずくキュルケ。やがて二人は穴から這い出した。そして側にいる使い魔に、命令一つ。

 

「いいかい?ここで見張りしてること」

 

 ヴェルダンデ達はうなずくと、穴の中へと入って行った。外のキュルケとギーシュは、さらに林の奥へと進んで行く。人目を避けながら。しばらくして林を抜けた。そして目当ての農家へ到着。そこで馬を受け取るとさっそく街道に出た。

 キュルケが声を弾ませていた。

 

「結構あっさりだったわね」

「そうだね。もう少し警備は厳しいかと思ったけど、やる気がなさそうで助かったよ」

「さてと、どうしようかしら。今からじゃトリスタニアに行っても、遅くなりすぎるし」

「そうだね。それじゃぁ、宿場町で成功祝いくらいにしとこうか」

「そうね」

 

 トリステイン魔法学院には日々の生活のため、多くの物品が流れ込んでいる。それらを扱うのは平民だ。だが、平民が泊まる場所など学院にはない。そのため学院から少し離れた場所に、小さな宿場町があった。ちなみに生徒達も、たまにその宿場町の酒場に入る事がある。学院とは空気の違う近場の酒場として、地味な人気があった。

 二人は頷くと、夜の街道を進んで行った。

 

 月明りだけの街道に馬を走らせる。学院の騎士団への伝令と出会うかと、警戒しながら進んでいたが杞憂のようだ。人影一つない。しばらくすると、学院と宿場町との中間辺りまで来た。

 突如、足元に火球。馬は足を撃たれ、そのまま倒れ込む。

 

「きゃっ!?」

「うわっ!」

 

 キュルケとギーシュは、前へと投げ出された。地面に突き落とされる二人。

 

「痛ったぁ」

「つつつ……」

 

 ギーシュ達はうめき声を上げるが、その痛そうな態度の割に怪我はしてしない。速度がそれほどでもなかったおかげだろう。だがその脇では、馬が断末魔を上げていた。わずかな間を置いてこと切れる。二人の目に映ったのは、足のなくなった二頭の馬。その足は、炭となって粉々になっていた。唖然とする色男。

 

「な……!なんだこれは!?」

 

 そこに、キュルケの緊張した響きが入る。

 

「ギーシュ。杖、抜きなさい」

「えっ!?」

「賊よ」

「!」

 

 ようやく気づくギーシュ。いきなり火の玉で馬が焼かれるなど、賊の襲撃以外には考えられない。しかも相手は瞬時に馬の脚を炭にした。かなりのやり手だ。二人は気を張り詰める。緊張感を纏う。お互いの背を合わせ、わずかな変化も見逃さないように、辺りゆっくり見回す。

 しばらくして、道外れから草をかき分ける音がした。そして一人の男が姿を現す。大きな杖を手にした、盗賊風の男が。だがその姿を見て、二人は言葉を失った。見知った顔だからだ。その傷を負った顔は。

 

 男の名はメンヌヴィル。二つ名を白炎という。

 

 学院襲撃最後の賊として手配中の人物。トリステインとゲルマニアには手配書が配られていた。さらに学院では、教師の方から詳しい説明もあった。だがキュルケはそれ以上に彼を知っている。なんと言っても、あのアンドバリの指輪奪還の時、自分たちを捕えようとした一人なのだから。その人となりは、衣玖から聞いていた。その能力と凶暴さも。

 彼女は、体中の細胞がざわめき立つのを感じていた。

 

 メンヌヴィルは杖を肩に乗せ、口元をわずかに緩める。

 

「学院があんなザマだからな。抜け出す悪ガキがいるとは思ったが、まさかお前だとはよ」

「な、何のことよ?」

「水の精霊の仲間だろ。お前」

「!」

 

 キュルケの顔が凍りつく。

 ロンディニウムではお互い対峙した立場だが、顔を合わせてはいない。何故、水の精霊と共にいた事が分かったのか。杖を握る手が汗ばんできているのが分かる。喉が渇いてきているのが分かる。

 メンヌヴィルがキュルケの事を察する事ができたのは、彼女の付けている香水から。ロンディニウムの賊騒動前、町に向かう最中の彼が賊らしい荷馬車一行から微かに感じた香りが、彼女と同じものだったのだ。

 

 身動きできないキュルケの耳に、小声が届く。ギーシュのいつもと違う真剣な声が。

 

「僕がワルキューレを使って、ヤツの意識を分散させる。その間にキュルケが攻撃してくれ」

「……ええ。分かったわ」

 

 キュルケの動揺が静まっていく。余裕がわずかに蘇っていた。それにしてもギーシュの真剣さ。この軽い友人の意外な面に、少しばかり驚く。胸の内で、礼をするキュルケ。そして戦いの覚悟を噛みしめた。

 だが、メンヌヴィルの方が、一手先。

 

 火球が迫る。

 

 だが、キュルケも卓越したメイジ。瞬時同じ規模の火球をぶつける。

 

 火の玉は双方の中間で爆発。辺りを朱で照らす。

 

 その間に、ギーシュはワルキューレを錬金しようとした。しかし……。

 

「キャッ!」

 

 脇からキュルケの悲鳴が上がっていた。首を向けた先には、彼女に乗りかかっているサラマンダーがいた。

 

「フレイム!?何やってんだよ!」

「こいつフレイムじゃないわ!」

「えっ!?じゃ……熱っ!?」

 

 突然、ギーシュの右手に痛みが走る。そして思わず離してしまった。杖を。だが落ちた杖は、もはや役立たず。わずかな炎を上げ、炭となっていたのだ。いつのまにか。気づくと、キュルケの杖も燃えている。

 メンヌヴィルの仕掛けだ。最初の火球は囮。意識が彼に集中している間に背後からの攻撃、そして相手の混乱中にすかさず無力化。キュルケの後ろから襲いかかったサラマンダーは、当然メンヌヴィルの使い魔。それも最近召喚したもの。彼自身は傭兵というのもあって身軽さを好んだ。そのため使い魔を持っていなかったが、今は手下もいなくなった身。やむを得ず召還したのである。

 いくら二人掛りとはいえ、所詮は学生。百戦錬磨の彼とは勝負にならなかった。

 

 戦う術を失った二人。しかもキュルケは身動きが取れない。少しでもおかしなことをすれば、サラマンダーに焼き殺される。背中の火とかげはそんな気配を漂わせていた。隣のギーシュも動けない。逃げる術も戦う術もない。不安と恐怖と悔しさとが、二人の身を固める。そんな二人にメンヌヴィルは悠々と近づいて行った。

 

「おい。小僧」

「な、なんだよ」

「学院に、コルベールって教師がいるだろ。そいつを連れてこい」

「え!?」

「一応、言っとくがな。他に余計なのを連れて来たらこの女は殺す。いいな」

「な……!でもなんでミスタ・コルベールを……」

「いいな」

 

 盲目の傭兵は、言葉に殺気を込めてぶつける。思わず、小刻みに何度もうなずくギーシュ。そして慌てて駈け出した。学院へ向かって。

 その後ろ姿がやがて小さくなると、メンヌヴィルはわずかに笑みを浮かべ、キュルケを見下ろす。

 

「さてと……。てめぇには、落とし前つけてもらわねぇとな」

「…………」

「お前らのせいで、こっちは酷ぇザマだ。仕事は上手く行かねぇ。手下は全員とっつかまる。おかげで、アジトは全部抑えられちまう。溜め込んでた金もパーだ。この白炎様が女も酒も買えねぇなんてな。笑えねぇぜ」

「…………」

「ま、けじめ付けんのは、後の話だ。お前には、聞きたいことが山ほどあるからな」

 

 キュルケは唇を強く噛んでいた。

 

 

 




 初マリコルヌ。後、夏休みの存在をすっかり忘れていました。
これからは、シリアスっぽい話が続きます。


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