ルイズと幻想郷   作:ふぉふぉ殿

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また、失くした

 

 

 

 

 天空唯一の月の下。真っ赤な屋敷の裏。紫のドレスに身を包んだ人外が、宙に空いた割れ目から身を乗り出してコソコソと何やら作業をしていた。

 

「後、三か所……」

 

 幻想郷の管理人、スキマ妖怪、八雲紫である。以前、彼女の式である藍と作った術式を仕掛けている最中。この術式、紅魔館にあるハルケギニアへの転送陣を監視するためのもの。山の神、神奈子と諏訪子から聞いた話から、不穏なものを感じた彼女が、念のためと作り上げたのである。ちなみに彼女より先に、山の神達は監視用の仮の社を立てていた。シェフィールドが見た、転送陣の部屋にあった四隅の図形こそ仮社だった。

 

 ともかく、この場所での作業も終わり、次の場所へと紫は移ろうとした。

 丁度、その時……。

 

「痛っ!」

 

 突然、頭の上から不運が降ってきた。しかも大きくて重い。さらに続けざまにいくつも。間が悪かったのか、日頃の行動の罰が当たったのか。紫に直撃。彼女は後頭部をさすりながらぼやく。

 

「乙女の頭の上に~」

 

 ゆっくり振り向いた先。人が数人ころがっていた。一瞬、当惑する妖怪の賢者。何事かと。だがすぐに彼らの服装に目が止る。幻想郷では、あまり見かけない姿に。そして気づいた。この連中が何者かであるかに。異世界、ハルケギニアの住人である事に。紫の表情は、パッと明るく様変わり。

 

「犬も歩けば棒に当たるって所かしら。やっぱり出歩いた方がいいわねぇ」

 

 日頃のぐ~たらで、藍に散々手間かけさせているのを棚に上げて、そんな事をつぶやく。腹に一物の笑みで。

 

 一方、地面に倒れている人間達。うめき声を上げながら、身を起こす。

 

「ん……。何なのよぉ……」

 

 最初に声を上げたのは、真っ赤な髪と褐色の肌が映える少女、キュルケ。背中を摩りながら、上半身を起こす。いったい何が起こったのか。痛みの中、記憶を手繰っていく。

 

 確かメンヌヴィルの起こした、巨大な炎の竜巻に吸い込まれそうになっていた。慌てて逃げようとしたが、間に合わなかった。ハズである。炎に焼き尽くされるかと絶望に苛まれたのだが、どういう訳かこうして生きている。そう大きな怪我をした様子もない。つまりは無事という訳だ。メンヌヴィルとの戦いが、夢だったかのような気分。

 辺りをゆっくりと見回すキュルケ、するとすぐに気づいた。倒れている人間が他にもいた事に。見知っている彼らに。慌てて近寄る彼女。

 

「タバサ!ギーシュ」

 

 二人の名を呼びながら、体を揺らす。自分を助けに来た友人達を。

 

「う……」

「う~ん……」

 

 うめき声と共に、目を覚ますタバサとギーシュ。

 

「タバサ!」

 

 やはり彼らも無事だった。生きていた。その名を口にし、キュルケは思わず抱き着く。押しつぶされる二人。彼女の腕の中、タバサがポツリとつぶやいた。いつもの彼女と違い、声が潤んでいた。喜びに震えていた。

 

「キュルケ……。生きてる……」

「あなたもね」

 

 答えるキュルケの声も、震えていた。そして安堵で溢れていた。彼女は満点の笑みを湛え、確かめるように小さな親友と頬を何度も合わせる。

 さて片割れのギーシュの方は、いきなり抱き着かれて苦笑い。掴めない状況と豊満なキュルケのバストが、余計に彼を戸惑わせていた。何か言うべきかも、などと頭を巡らせていると、意外なものが目に入る。

 

「ミスタ・コルベール?」

「え?」

 

 釣られるように身を起こすキュルケ達。彼女達の瞳に映ったのは、背中にやけどを負い意識を失っているメイジ。臆病者と小馬鹿にしていたが、実は勇気ある教師。自分たちを助けようと、命を懸けようとした男性だった。

 

「ミスタ・コルベール!」

 

 キュルケは、すぐさま這い寄ろうとした。しかしその進みが止まる。彼の隣に倒れている男を目にして。

 

「メンヌヴィル……」

 

 男の名を漏らすキュルケ。同時にタバサ達も、ついさっきまで敵対していた強大なメイジに視線を囚われる。あの男までいるとは。

 これまでの喜びが急に冷めていく。キュルケは慌てて、コルベールを自分の元に彼を引き寄せた。胸に抱きかかえたその姿は酷いもの。爛れた背中に目が奪われる。

 

「こんなに……なって……」

 

 キュルケの内に湧き上がる熱い感情。それがなんなのか。今の彼女には、まだハッキリとは分からない。

 しかし、その感情があったのもわずかな間。災厄を招いた男が側にいるのだ。キュルケの顔つきが変わる。厳しいものに、灼熱に。彼女はタバサにコルベールを預けた。

 

「タバサ。彼の治療をお願い」

「……分かった」

 

 タバサは強くうなずく。多才な彼女にとって水属性も得意な分野。モンモランシーほどとはいかないが、並メイジ以上であるのは確かだ。タバサは寝かされたコルベールに近づくと、杖を構える。すぐさま彼の治療に入った。

 一方、キュルケは杖を手にする。そしてまだ意識を戻していない盲目の傭兵へと、杖の先を向けようとした。

 しかし……先に傭兵の杖の方が向いていた。メンヌヴィルは横になったままだが、すでに意識を取り戻していたようだ。殺気をはらんだ声が届く。

 

「やろうってのか?今なら、てめぇ等消し炭にするのに、瞬きする間もいらねぇぞ」

「……」

 

 動けないキュルケ。強く唇を噛む。こんな至近距離だ。魔法の威力よりも、発動速度がものを言う。さっきまでのメンヌヴィルの戦いを見ていた彼女は、彼の発動速度が自分よりはるか上である事を分かっていた。今戦えば負ける、いや死ぬのは自分達の方。

 対するメンヌヴィルは警戒を解かないものの、余裕を持って口を開く。

 

「何があった?」

「……。知らないわ」

 

 敵意を持って答える。もちろん今の自分たちでは、勝ち目がないのは分かっている。だがキュルケもタバサもギーシュも、抗う気持ちは失っていない。

 双方の間はほんの数歩の距離。その間に敵意がとぐろを巻いていた。

 

「なんで誰も私に気づかないのかしら?」

 

 突然、頭の上から女性の声がした。ふと見上げる一同。

 

 紫のドレスを纏い、赤いリボンのついたナイトキャップをかぶった女性がいた。

 いや、正確には浮いていた。

 しかも、上半身だけが。

 

「……!?」

「は、半分だけ!?」

「か、下半身がない!?」

 

 全員が一斉に、後ずさる。全く見覚えのない相手、いや何かに。

 メンヌヴィルは思わず立ち上がると、杖を向けながら叫んでいた。

 

「な、なんだ!?て、てめぇは!?」

「八雲紫と申します」

「な、何ぃ!?幽霊か!?」

「幽霊って……。妖怪よ」

「ヨーカイ!?何言ってんだ!?」

 

 さすがの百戦錬磨のメンヌヴィルも動揺が隠せない。目の見えない彼だが、全ての感覚器官が訴えていた、全く異質なものがここにいると。同時に彼は感じていた。胸の内から突き上げるものを。脳から出ている警報を。

 

 対する紫には、緊張感がまるでなかった。

 

「驚くのも無理ないけど、落ち着きなさい。これじゃ、話もできないわ」

 

 扇子で肩を軽くたたきながら言う。どこかとぼけた態度で。

 しかし、メンヌヴィル。ヨーカイの言うことなど耳に入らず。本能が訴える警告に従った。

 

「消え失せろ!」

 

 罵声と共に、杖の先から炎が飛び出る。

 炎の塊はヨーカイを打ち抜く。

 残ったのは、胸から上が全くなくなった元女性。それは焼き尽くしたというよりは、まさしく切り抜かれたとでもいうような様相。それほどの高熱の塊が、彼女を貫いた。

 

「へ……へへ」

 

 汗をぬぐう白炎。あまりいい汗ではない。冷や汗すら混じっている。だがその元凶自体は処分した。とりあえず、この身を包む嫌な感覚とはおさらばだ。

 おさらばしたハズだった。処分したはずだった。しかし、胸から上をなくした女性の上半身は、未だ宙に浮いている。

 

「……。なんなんだよ……いったい……」

 

 居心地の悪い不安が身を襲う。

 

 すると残った体の、その背骨の部分から一本の白い筋が伸びていく。木の種が発芽したように。

 それはどんどんと上へ向かう。向かいながら、枝を伸ばす。枝はやがて骨の形を作り出した。鎖骨になり肋骨になり、上腕骨となる。一方、上へ向かった白い筋は膨らみ始める。ついには頭蓋となっていく。

 骨格ができると、神経や血管が生えてくる。それだけではない、内臓が、眼球が、筋肉が湧き出るように現れる。

 やがて全ては皮膚に包まれた。さらに服すら残った生地から、生えてくる。

 ほどなくして、完全に元に戻っていた。そこにいたのは、先ほどと変わらぬ女性の上半身。八雲紫と名乗ったヨーカイ。それがわずかに笑っていた。

 

 メンヌヴィルはわずかに口を開いたまま、身動きできずにいる。いや彼だけではない。キュルケもタバサもギーシュも、誰もが目の前で起こった事を、受け入れかねていた。理解できなかった。夢と現実がひっくり返ったかのような異質感が全員を包んでいた。奇跡とも怪異とも呼びようのないものが、ここにある。

 

「こ、この化物が!」

 

 多くの妖魔と戦った歴戦の傭兵が、バケモノと叫んでいた。大声で喚いていた。ヤケクソ気味に魔法を放つ。

 炎の塊が次々と紫を襲う。包み込む。今度はかけらも残さないほど焼き尽くした。

 しかし……。

 全く何もない空間から、再び現れた。生えてきた。それが。八雲紫が。これはなんなのか。

 

 メンヌヴィルの手に背に顔に、嫌な汗が噴き出すように流れていく。

 

 ぺち。

 

 いきなり彼の後頭部が叩かれた。軽く。何やら細い棒で。同時に、耳に入るさっき聞いた声。

 

「落ち着きのない子ね。誰彼かまわず、喧嘩を売るのはやめた方がいいわよ」

 

 八雲紫だった。今度は白いドレスに紫のエプロンをしている。

 さらに混乱する盲目の傭兵。さっきの場所にも、そして今、後ろに現れたのと全く同じ相手だ。理解が追いつかない。メンヌヴィルは半ばパニック気味に、魔法を放とうとした。

 

「う、うるせぇ!」

 

 しかし、今度は自慢の杖から何も出ない。

 

「なんだ!?この!おい!」

「面倒だから、その杖、丈にしちゃったわよ。ただの物差し。床の間にでも飾っておくのね」

「な、何……!?」

 

 言っている意味が分からない。いや何もかもが分からない。目に前にいるのが何なのかも。何が起こっているのかも。しかし、一つだけ分かる事があった。どうにかできるものではないと。

 

 メンヌヴィルは瞬時に背を向けた。逃げる。もう、それしか手はない。

 だが……転んだ。

 何もないまっ平らな地面の上で。何かに躓いたわけでもないのに。しかしメンヌヴィル、そんな無様な姿など構わず逃げようとする。四つん這いになって、這って行こうとする。もはや白炎と名を馳せたメイジの姿は欠片もない。ここから離れるしか頭になかった。

 ところがまた転ぶ。いや、滑った。四つん這いでも、まともに進めない。それどころか身を支える事すらできない。初めてスケートリンクに来た、幼稚園児のようにコロコロ転ぶ。

 

「くそ!くそ!くそ!なんなんだよ!こりゃぁ!」

 

 何度も、転がりながら、ヤケクソに喚くメンヌヴィル。そんな彼を、うんざりするような目で見ている紫。

 

「あんまり落ち着きないからよ。あなたと地面の間をちょっといじったわ。今、あなたの摩擦係数は0よ」

「訳わかんねぇ事、ぬかすんじゃねぇ!」

「はぁ……。うるさい子ね。静かになさい」

「……!?」

 

 全く声が出なくなった。もちろん口も動く、息もしている。だが何故か声がでない。何が起こっているのか、何をされたのか、もはや思考の外。残虐さを恐れられた傭兵は、地面の上で駄々をこねる子供のようにバタバタと蠢くだけ。

 

 紫は転がる駄々っ子を放っておくと、残りの相手の方へ向く。

 

「さてと。あなた達は、落ち着いてるようね。助かるわ」

「……」

 

 わずかにうなずく一同。今の理解を超えた状況を目にしながらも、彼女達は混乱していなかった。それには理由があるのだが。

 まずキュルケが口を開く。

 

「ヨーカイって言ったわね」

「ええ」

「つまり……ここは幻想郷?」

「あら?知ってるの?」

「ルイズから聞いたわ」

「まあ。ルイズの知人なの。これは奇遇ね」

 

 スキマ妖怪は楽しそうに表情を緩めた。一方のキュルケ達も、どうもルイズを知っている者らしいと分かると、緊張感をわずかに解く。

 これこそ彼女達が、それほど混乱しなかった訳。ハルケギニアで得体のしれない事をする連中を、すぐ傍で見ていたので慣れていたのだ。もっともそれでも紫のやった事は、彼女達の想像を超えていたが。

 

 キュルケは出てきた名を耳にし、聞き返す。

 

「ルイズを知ってるの?」

「個人的には知らないわ。噂で聞いただけよ。でも、ここじゃそれなりに有名人よ。なんたって、異世界から来たんだもの」

「そう……なの……。それで私たちに何の用?」

「とりあえずは、話をしてみたい……って所かしら」

 

 紫は腕を組みつつ、世間話でもするかのように答える。キュルケはそれに静かにうなずいた。だが、慎重に次の言葉を続けた。

 

「分かったわ。でも一つだけ頼みがあるの。それさえ聞いてくれれば、いくらでも付き合うわ」

「ん?何かしら?」

 

 妖怪の賢者の意外そうな顔。まさか向うから条件を出してくるとは。だが、一方で異世界人が何を言い出すかにも興味があった。

 赤髪の少女は、すぐに後ろの人物を紫に見せる。背中に酷いやけどを負ったコルベールを。

 

「幻想郷には、どんな怪我も病気も治す医者がいるって聞いてるわ。彼を治療してもらいたいの。お願い!」

「そんな話まで聞いてるの。でも私、宇宙人好きじゃないのよねぇ」

 

 扇子を弄びながらそんな事を言う。彼女の言う宇宙人とは当然、八意永琳。実は紫、彼女の故郷、月でひと騒動起こした事があった。結果は、返り討ち。おかげで月人の印象はあまりよくない。

 あまり面白くなさそうな顔をする紫に、キュルケは必死になって頼み込む。

 

「そこをなんとか!お願い!お願いします!」

「……」

 

 キュルケの祈るような姿を、観察するように眺める紫。すると扇子で口を覆う。

 

「分かったわ。でも、その程度の怪我なら私でもなんとかなります」

「え!?ホント!?」

「ええ」

 

 紫はそういうと、扇子を軽くコルベールの方へ向けた。余裕を持って。しかし、何も起こらない。

 

「あら?」

 

 少しばかり苦笑い。わずかに首を傾げる紫。するとキュルケ達の不安そうな眼差しが目に入った。それに余裕そうな笑みを返す妖怪の賢者。でも実は、ごまかしていただけなのだが。やがて一つ咳払い。

 

「だ、だいたい理由は分かったわ」

「理由?」

「ええ。だからこうすればいいのよ」

 

 もう一度扇子を向ける。すると奇妙な事が起こる。火傷の後が、霞むように消えていくのだ。キュルケも治療をしていたタバサも、横にいたギーシュもその様子から目が離せない。瞬きもできず見入っている。怪我が治るなんてものではない。火傷など、なかった事にしてしまったかの現象に。

 一同の様子を見て、少し自慢げな紫。心の内では、胸を撫で下ろしていたのだが。

 

「こんなものかしらね」

 

 キュルケ達は紫に向き直る。神妙な顔つきで。

 

「ありがとう!本当に!その……」

「八雲紫よ」

「ミス・ヤクモユカリ」

「フフ……。さてと、それじゃぁお話と行きましょうか」

「ええ。なんでも聞いて。分かる事なら答えるわ」

「それは有難いわね」

 

 紫満足気に答えた。

 

「あ、そう言えば名前を聞いてなかったわ。あなた達、お名前は?」

「キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストー」

「ギーシュ……・ギーシュ・ド・グラモン」

「タバサ」

 

 三人は三様に答える。特にギーシュは恐れ々に。それぞれに、一つずつうなずく紫。やがて残った者を扇子で指した。

 

「そこの火傷してた男性は?」

「彼は私たちの教師よ。名前は、ジャン・コルベール」

「あっちで喚いてるのは?」

 

 指した先にいたのは、メンヌヴィル。無言でバタついている。するとキュルケが少し厳しい口調で答えた。

 

「メンヌヴィルって名前しか聞いてないわ。でも、あの男は始末した方がいいわ。危険よ」

「ふ~ん……」

 

 紫は扇子を口元に当て、メンヌヴィルを一瞥するだけ。

 

「毛色の違うのもいた方がいいわ。その方がいろいろと面白いもの」

「面白いって……」

 

 だが、キュルケは言葉を切る。スッと納得してしまった。このヨーカイの前では、悪人も善人も人間である限り大差ないのだろうと。これがヨーカイか、幻想郷かと。頭というより体で理解してしまった。

 やがて紫は、扇子で口元を覆いながらつぶやく。

 

「何にしても、こんな吹きさらしの場所じゃ、落ち着けないでしょう。我が家に招待いたしますわ」

 

 そう言って、紫は頭の上に扇子で円を描く。すると一同を包む輪が現れる。その輪は上下へと広がっていく、帯となっていく。その帯の中に見えたのは、闇の中に浮かぶ無数の目。キュルケ達は全身から血の気が引くのが分かる。血管の血の流れを感じるほど。その闇は全員を包むように、広がっていく。やがて周りは闇と目だけの世界となった。ここにいる誰も言葉が無かった。紫を除いて。

 

「さあ、我が家へどうぞ」

 

 扇子で口を覆ったヨーカイが、不敵に笑っていた。

 

 

 

 

 

 とある場所に一筋の線が現れる。それはあっという間に広がり、人ひとりが通れるくらいの大きさとなった。そこからゆっくりと女性が降りてくる。八雲紫である。自宅に戻ってきたのだ。やがて、居間の畳に足を付ける。同時にスキマも閉じた。そして視線を上げた先、正面に見えたものは……。

 化け猫と九尾の狐だった。何やら、お菓子を食べている。

 

「紫さま、お帰りなさい。お邪魔してます」

 

 ペコっと頭を下げる化け猫、子供のような少女。彼女の名は橙。藍の式神。つまり紫からすれば、孫式とでも言おうか。藍に非常にかわいがられていて、よくここにも来る。藍自身が連れて来る事も多い。ともかく紫にとっては、家族も同然な存在だった。

 橙は無邪気に笑みを浮かべながら、袋からお菓子を出しだす。

 

「葛餅ありますよ。人里で買ったんです」

「…………」

「紫様の分も買いましたよ。食べます?」

 

 しかし紫、無言。というか彼女の言葉が耳に入っていない。それも無理もない。本来いるべき存在がいないのだから。影も形も。

 藍は主の様子のおかしさから、すぐに察した。その訳を。

 

「また誰か、攫ったんですか?」

「攫った訳じゃないわよ。招待したのよ」

「でも、見当たらないと。前回と同じく」

「う~ん……、そうね」

「一応、屋敷内探してみます」

「ええ」

 

 そういうと、紫は居間を後にする。藍も葛餅を残したまま、立ち上がった。

 

「橙、屋敷内に見かけない者がいるか探してくれないか?」

「見かけない者?」

「見た目は人間。しかし異世界人だから、変わった格好をしてると思う。魔法を使えるとも聞いてるから、念のため気を付けて」

「はい。分かりました。藍さま」

 

 橙は、気持ちよく返事をすると、さっそく居間から飛び出した。同じく藍も出て行く。

 

 それから三人は、屋敷内はもちろん敷地内も探したが、やはり結果は前回と同じ。誰も他にはいなかった。

 紫は二度も起こった同じ現象に、不穏な気持が湧き上がるのを否定できなかった。この妖怪の賢者を持ってしても、原因が分からないのだから。

 

 

 

 

 

 相も変わらず、兵に囲まれた息苦しいトリステイン魔法学院。しかし、夜だけは安らかだった。モンモランシー・マルガリタ・ラ・フェール・ド・モンモランシはベッドの中でまさにその世界に浸っている。静かな寝息を漏らしながら。

 だが、それを断ち切る一撃。彼女の上空から落下物。で、モンモランシーに直撃。

 

「げふっ!」

 

 蛙が潰されたような悲鳴が上がった。

 

「げほ、げほ、げほ」

 

 胸を押さえて、息をなんとか整える。訳も分からない状態で、お腹に向けた視線の先に見えたのは……。

 金髪の色男、愛する想い人ギーシュだった。

 それにしても、これはいったどういう事か。いくつものパターンが、一瞬にモンモランシーの脳裏を通り過ぎる。そして最初に出て来た言葉。

 

「ギ、ギ、ギーシュ。そ、そ、その、そういうのは……その困るのよ!いきなりなんて……!わ……私だって……」

「う……。あれ?モンモランシー?なんでいるの?」

「え?」

 

 モンモランシーの想定とまるで違う色男の解答。赤面していた表情が、別の意味で赤くなっていた。気持ちは逆方向へと。怒髪天の方向へと。

 

「な、な、な!なんでですって!?そ、そ、それはこっちの台詞よ!」

「ええっ?なんの事だい?」

「ふ、ふさけんじゃないわよ!もう!最低!最低だわ!」

 

 急に怒りだしたモンモランシー。対するギーシュは訳が分からない。枕で叩かれるのを何とか耐える。さらに魔法まで放たれ、色男は逃げるように部屋を後にした。

 

 廊下に出て目に入ったものは、寸分たがわずトリステイン魔法学院。あのヨーカイに、自宅に招待されたハズだったのだが、何故か学院にいる。状況は相変わらず掴めず仕舞い。ギーシュは何度も首を捻るだけだった。

 こんな中、ただ一つハッキリしているものがある。モンモランシーが、しばらく彼と口を利いてくれないのは間違いないと。

 

 

 

 

 

「いっ!」

 

 固い廊下に尻もちをついた。青い髪の少女の叫びが、深夜の屋敷に響く。顔を上げたのはタバサ。あのヤクモユカリとか言うヨーカイの屋敷に着いたのかと、観察するように辺りを見る。しかし、そこは見覚えのあるものばかり。どう見ても、母のいる実家だった。

 怪訝な表情で立ち上がる彼女。すると廊下の奥から、一つの灯りが近づいて来た。一瞬警戒し、杖を向けようとしたが、届いた声に手が止まる。

 

「シャルロットお嬢様?」

「ペルスラン?」

 

 近づいて来た灯りの主、ランプを持った老紳士は、まさしく彼女の執事ペルスランだった。彼は不思議そうにタバサに尋ねる。

 

「左様ですが……。それにしましてもこのような時間に、一体どうなされたのです?そもそも、いつのまに居らしてたのですか?」

「……。ここは、ラグドリアン?」

「はい、左様ですが……。どうかされたのですか?」

 

 様子のおかしい主に、眉間に皺を寄せるペルスラン。なんと言っても、タバサはまるでここに初めてきたかのように、周りを確かめているのだから。やがて一応納得が行ったのか、老執事の方へと顔を向けた。

 

「他に誰か見なかった?」

「いえ……。と言いますか……、つい先ほどまで就寝していたものですから」

「そう……」

「本当にどうされたですか?」

「……。これから話す事は他言無用」

「はい」

 

 やがてタバサは、ペルスランへ真実を告げる。幻想郷という異世界の事を。

 

 

 

 

 

「うわっ!」

「きゃっ!」

 

 悲鳴と共に床に落ちる中年男性と少女。さらにその上に、崩れた本の山がさらに覆いかぶさる。舞い上がる埃。それらをなんとか掻き分け二人は、身を起した。

 

「げほげほっ」

「ぺっ、ぺっ」

 

 手を振りながら、埃を払う二人。ようやくお互いの顔を見やった。

 

「ミス・ツェルプストー……」

「ミスタ・コルベール……」

 

 茫然と見つめ合っている二人。ふと何かを悟ったのか、急に目を逸らす。特にキュルケは頬を赤らめ落ち着きなさそうに。そんな彼らの目に次に入ったのは、狭くてゴチャゴチャとして部屋だった。コルベールはゆっくりと立ち上がると、茫然とこぼす。

 

「ここは……私の実験室?」

「そうなんですか?」

 

 キュルケも不思議そうな顔で立ち上がった。彼女にとっては、滅多な事では来るような場所ではない。ただコルベールの私室にいると思うと、妙な気分になっていたが。

 部屋には、秘薬や実験道具など、物珍しいものがいくつも並んでいる。コルベールはそれらを確かめるように、じっくりと見ていった。

 

「間違いない。私の実験室です。しかし……何故、こんな所に……。ん?」

 

 彼はふと思い出した。あのメンヌヴィルとの戦いを。そして自分が大やけどを負ったハズの事を。思わず、首を後ろへ回す。見えた背中は綺麗なもの。もちろん痛みもない。

 

「火傷が……治っている……?いったい……」

「それは、ヨーカイが治してくれたんです」

「ヨーカイ?」

「あ!いえ……その……」

 

 口を塞ぎ、作り笑顔で無理矢理ごまかそうとするキュルケ。明らかに挙動不審な動きで。だが次の瞬間、もっと大切な事を思い出した。顔色が急に青くなる。

 

「そうだわ!タバサとギーシュがいないわ!」

「何?どういう事だね?」

「道すがら、お話ししますわ。とにかく二人を探しましょう!」

「うむ。分かった」

 

 やがて、二人は急いで実験室から出て行く。そして二人を探しに、まずは校舎へと向かった。その間、コルベールは信じがたい話を耳にするのだった。幻想郷という異世界の話を。

 

 

 

 

 

 メンヌヴィルは、意識が戻ると自分が横になっているのに気付いた。おもむろに半身を起す。さっきまでのまるで地に足がつかない状態はなくなり、元に戻ったらしい。寝起きの頭を、軽く振る。

 

「なんだぁ……?ここは……?ん?」

 

 なんとも掴み兼ねているような声を漏らした。だがまず一つの事に気づく。声が出ると。声を封じる術は解けたようだ。

 ゆっくり立ち上がると、鋭い感覚を張りつめ、辺りの様子を探っていく。さっきの、ヤクモユカリが居た場所と、匂いが違うのが分かる。どうも移動させられたらしい。

 

 そこは水の香りがする場所だった。実際、水が湧いているような音もする。だが野外ではない。室内なのは確かだ。手に床の感触がある。ただその床も奇妙だった。木の床だとは分かるのだが、やけに滑らかでニスが塗られている。家具や楽器でなく、床にニスを塗るなど貴族の屋敷かと考える。だがそれにしては、部屋が少々狭いように感じる。貴族ならば使用人の個室程度。そんな場所にニスを塗った床を使うだろうか?違和感がかすかにざわめく。

 

 さらにさっきから感じるおかしな熱。と言うより穏やかな空気。作られたような穏やかさが、体に纏わりついている。聞こえている湧き水の流れが作りだしたものとも違う。風属性の魔法とも違う。なんとも言い難い。さらに漂う、不気味なほどの清潔感があった。

 ここが、ヤクモユカリが招待すると言った、彼女の自宅なのだろうか?

 

「また妙な場所に来ちまったようだな……」

 

 白炎の警戒感が一気に上がる。杖を強く握る。

 辺りは静まり返り、聞こえるのは水の音だけ。部屋の中の空気は穏やかだが、居心地の悪い違和感がある。盲目の傭兵はゆっくり立ち上がると、いつでも魔法が撃てるように構えた。

 すると突然、耳に届くものがある。

 

「お前は……ここに居てもらう」

 

 声が聞こえた。確かに、ハッキリと。だが聞いた事のない声、相手。ヤクモユカリでもない。それどころか、人がいたというのに、今まで全く気配を感じていなかった。この百戦錬磨の傭兵が。

 メンヌヴィルは声の主へと怒鳴りつけた。杖を向けて。

 

「なんだてめぇは!?ヤクモユカリの仲間か!?ここに連れて来たのは、どういうつもりだ!?」

「……」

 

 しかし相手は答えない。するとわずかな足音と共に、ノブを捻る音がした。やや強めに響いた。ドアを閉じる音が。

 慌てて、ドアへと駆け寄るメンヌヴィル。

 

「おい!このやろう!待ちやがれ!」

 

 何度もノブを回すが、鍵でもかかっているのかびくともしない。しかし鍵穴らしきものはなかった。さらに木で出来ているらしいドアに、何度も体当たりをするがビクともしない。

 

「ざけんじゃねぇ!開けろ!開けねぇならなぁ!」

 

 杖を向け、ドアを焼き尽くしてしまおうとする。魔法を瞬時に詠唱。鉄すら溶かしつくす炎が、真っ直ぐ扉へ向かった。あっさりと大穴が空くと思われた。

 だが……。

 

「な……!?」

 

 大穴はおろか焦げ目すらない。というか炎の影響がまるでない。ドアにはもちろん、周りにも。

 それから何度も炎を撃つが、この部屋の中で何か変化が起こった様子はなかった。しかも、この部屋には他に出口がない。盲目の傭兵は、完全に閉じ込められてしまった。途方に暮れ、立ち尽くすメンヌヴィル。穏やかな空気がそよぐ部屋で、湧き水の音だけがやけに響いていた。

 

 それ以来、白炎と恐れられた傭兵、メンヌヴィルの消息はプッツリと途絶える。幻想郷ではもちろん、ハルケギニアでも。

 

 

 

 

 




 前回、上げようと思っていた残りの半分です。もっともこの話だけでも、それなりの長さになってしまいましたが。
 ちなみに最後に出て来た人は、オリキャラじゃないです。

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