ルイズと幻想郷   作:ふぉふぉ殿

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幸運の女神

 

 

 

 

 

 その日の朝。アルビオンの各主要都市は騒然としていた。サウスゴータが、ダータルネスが、ロサイスが、ロンディニウムが。だが各都市の内情は微妙に違っていた。

 

 サウスゴータは、ばら撒かれたチラシをトリステイン・ゲルマニア連合軍の謀略と解釈した。魔理沙がポカやったせいで。作業中に見つかったのである。彼女自身はあっさりと逃げたが、サウスゴータの司令部は逃げた彼女を連合軍の工作員と断定。チラシの内容は嘘と解釈した。

 ダータルネスでは、衣玖が能力で巧みに見張りの目をかいくぐったため、無事、配り終わる。そのためダータルネスの軍は、朝に突然チラシが現れたかのように思えた。しかも内容が内容だ。司令部の対応は決まらず、町は混乱の坩堝と化していた。

 ロサイスでは、鈴仙の幻術により、チラシは奇策かのように受け止められていた。町は落ち着きをなくしていたが、混乱とまではいかなかった。

 

 さて、帝都ロンディニウムでは……。

 

「陛下が見当たらない!?」

「はい……。会議の時間となったので、ご出席を願いに行ったのですが、どこにもお姿がありません」

「まさか……逃げ出したのか?」

 

 将軍の一人が、町中にばら撒かれていたチラシを握りしめうめく。すると脇にいた別の将軍が、一言こぼした。

 

「そう言えば……最近陛下は、あの指輪をしておられなかったな」

「あの指輪が、ここに書いてあるマジックアイテムだと?」

「思い起こせば……。指輪を見なくなってから、陛下が虚無の力をお見せになった事は一度もない」

「確かに……」

 

 沈んだ表情で、考えにふける将軍達。

 クロムウェルは皇帝としての求心力を保つため、たまに虚無と称する魔法を見せていた。儀式の名目で。しかし、それがなくなって大分経っている。儀式は不定期だったため気にする臣下はいなかったが、今振り返ると確かに奇妙と言えば奇妙だった。

 チラシを握りしめていた将軍が、苦々しげに零す。

 

「やはり、この話はまことなのか?我らは、平民司祭に一杯喰らわせられていたのか!?」

 

 黙り込む彼ら。やがて、その内一人が衛兵たちに命令を下した。厳しい声で。

 

「ともかく!陛下を探し出せ!それが最優先だ!」

「はっ!」

 

 直ちに衛兵たちは走り去った。しかし残された将軍達は、各々がすでに考え始めていた。これからの身の振り方を。

 

 一方、正門の傍らのシェフィールド。

 

「く……」

 

 顔を歪め、チラシを凝視したまま固まっている。

 手にしたチラシの内容、少なくともクロムウェルに関しては真実。しかも、ごまかす手段が思いつかない。もはや、クロムウェルがただの平民司祭とバレるのは時間の問題だ。やがては、神聖アルビオン帝国の崩壊に繋がるだろう。それはすなわち、アルビオン作戦の全面的な失敗を意味する。この所の失態続き。その中でも最大級の失態だ。ジョゼフにどう弁解すればいいのか。いやそんなものより、ジョゼフの期待を裏切った事自体が、彼女の胸に重くのしかかっていた。

 

 そんな彼女に、馬に乗った衛兵が駆け寄ってきた。かなり慌てた様子で。

 

「ミス・シェフィールド!こちらにおられましたか?」

「……ええ」

「お伺いしたい事があります。陛下はどちらに?」

「何?」

「会議の時間だというのに、陛下がどこにもおられないのです。宮殿内をくまなく探しましたが、見当たりません」

「な……!」

 

 しまった、と思わず口から出そうになる。

 彼女はすぐに察した。クロムウェルは、もう逃げ出してしまったのだと。担ぐ神輿がないのでは、もはや神聖アルビオン帝国は終わりだ。完全に打つ手がなくなった。まさしく進退極まるである。しかもあの飾り物の平民司祭に、先に動かれた事が口惜しい。身を縛るような、絶望感と挫折感が彼女を襲っていた。

 我を忘れている彼女の耳に、衛兵の声が届く。

 

「ミス・シェフィールド?」

「あ……いえ、知らないわ……」

「そうですか。では」

 

 衛兵は、馬首を返すと宮殿へと急いで戻っていった。厳しい目でその後ろ姿を見つめるシェフィールド。

 

「おのれ!おのれ!おのれ!」

 

 チラシを地面に叩きつけ、踏みにじりながら喚く。腹に溜まったものを、吐き捨てずにはいられない。なんと言っても、ここ数年間の努力が無に帰してしまったのだから。しかもその手段は、大戦力による征圧でも、特殊なマジックアイテムでも、強力な魔法でもなんでもない。単なるチラシ。弄ばされている気持ちにすらなる。

 

「覚えてなさいよ!この落とし前は必ずつける!」

 

 最後とばかりに、力の限りチラシを踏み抜いた。

 彼女の憎悪は、ルイズ達に向けられていた。全てのケチの付き始め、アンドバリの指輪の略奪犯と思われる連中に。幻想郷にいた時、美鈴からハルケギニアに行った妖怪の話は聞いていたので、犯人の目星はついている。彼女は、この遺恨を必ず晴らすと心に誓う。

 

 すでに紙吹雪のようにバラバラになったチラシを、睨み続ける彼女。だが、シェフィールド自身は気づいていた。こんな事をしている場合ではないと。さすがはガリアの謀略を担う間諜か。怒りは収まってないが、頭を切り替える。すぐに部下達に振り返った。

 

「お前たちは直ちに宮殿へ戻れ!ガリアに関する資料を全て焼き捨てなさい!研究に関するものも全てよ!部屋ごと焼き尽くしても構わないわ!」

「全て……ですか!?しかし……」

「一刻を争う!考えてる猶予はない!」

「ハ、ハッ!」

 

 部下達は自分たちの馬に飛び乗ると、慌てて宮殿へ急いだ。

 シェフィールドは彼らが動きだしたのと同時に、馬車へ乗る。残った部下に命令。

 

「全てガリアに持って行くわ。もう、ここにはいられない」

「はい」

 

 ここでいう全てとは、今馬車に積んである特殊装甲のゴーレムや火石などの、開発途中の特殊マジックアイテムだ。現状では、何人にもその素性を知られてはならないもの。この窮地であえて幸運を探すなら、一番残してはならないものがすでに運搬準備を終えていた事だろう。

 シェフィールド一向は、正規の手続きで門を出る。最前線へ向かう名目で。しかし、彼女達の一団が向かった先は、最前線とは逆の方角だった。

 

 それからロンディニウムでは、さらに混乱が広がっていた。皇帝専用の馬車が、南門から出て行った事が確認される。しかも一部の宝物と金銀がなくなっていたのだ。クロムウェルの逃亡はほぼ確定となった。追い打ちをかけるように、シェフィールドの執務室と地下の実験室から火災が発生。白の宮殿は喧騒と煙で一杯となっていた。

 

 

 

 

 

 

 密告のチラシが撒かれたその日。すでにクロムウェルは逃げ出し、シェフィールドが去り、さらに炎まで上がったハヴィランド宮殿。その中で、呆然としている男が一人いた。ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド子爵である。

 

「何故……こんな事に……」

 

 宮殿内の者たちから聞こえてくる話は、絶望的なものばかり。彼が期待を寄せていたオリヴァー・クロムウェルが、実はただの平民司祭で、マジックアイテムを使い虚無を詐称していたと。しかもその当人は逃げ出した上に、背後にいたガリアの使者と思われるシェフィールドまでが、もう城を出たという話。

 神聖アルビオン帝国は、反アルビオン王国テューダー朝という点では一致していたが、それ以外では様々な思惑を持った者の寄合所帯だった。それをまとめていたのがクロムウェルの虚無であり、シェフィールドの背後にあるガリアの影。今、その両方がなくなった。誰もがこの国は終わったと、感じていた。

 

 その時、ワルドは気づく。自分の身の危うさに。

 

「待て……。マズイ!」

 

 慌てて身の回りのものと、手近な金品をかき集めると、自分専用の風竜の所へ走り出した。

 神聖アルビオン帝国が終わるとなると、当然、トリステイン・ゲルマニア連合軍に寝返る者が出てくる。その手土産として、ワルドは最適な人物だ。なんと言ってもトリステインの裏切り者なのだから。ほんの一時まで味方だった相手も、信用はできない。いや、彼にもはや、味方などどこにもいない。

 

 ドラゴンの厩舎へ向かう。宮殿内は騒然としていたが、ここはそうでもなかった。ひと気のない今がチャンス。ワルドは轡や鐙、鞍などを一式持つと、自分の風竜に近づく。

 すると奇妙なものが目に入った。

 自分のドラゴンの背に白兎が乗っていたのだ。平然と。兎などドラゴンのエサと言ってもいい存在。だがその兎はドラゴンを恐れる様子が全くない。しかもドラゴンの方も、兎を全く気にしていない。あり得ない光景がそこにあった。

 だが、今はそんなものを気にかける暇はない。ワルドは近づくと、背に乗る兎を追い払おうとする。

 

「邪魔だ!」

 

 兎を手で払う。しかし兎は、見事にそれをかわしていた。ワルドは少々ムキになって、何度も払おうとする。だが、ことごとくを避けられた。

 

「この獣の分際で、私を愚弄するとは!」

 

 苛立ちが増してくるワルド。だがその時、視界に入るものがあった。目の前の兎の向こう。風竜から少し離れた場所にも白兎がいた事に。いや、それだけではない。その先にもいた。まるで列を作っているかのように。そして全ての真っ赤な双眸が、ワルドを見ていた。

 息をのむワルド。さっきまでの苛立ちが、スッと消える。異質感すら漂わすこの状況に。

 

「まさか……私に用があるのか?」

 

 思わず兎に向かって呟いていた。すると兎はうなずく。ワルドの両目が大きく見開いた。

 何者かの使い魔か?だとするとこれは誘いか?罠に嵌めるための。しかしこの状況で、こんな手の込んだ罠を仕掛ける意味があるのか?今、ワルドには味方がいない。部下すら信用ならない。それ以前に、ここに来ると分かっているなら、厩舎の前で待ち構えていればいいだけだ。

 脳裏に様々な考えが次から次へと浮かぶが、どれも納得いくものではない。やがて、もう一度息を飲んだ。

 

「分かった」

 

 ワルドは頷いていた。鞍や鐙を放り投げ、兎達の列の方へ足を向ける。兎達も彼を導くように、先へと進んで行く。今、彼の置かれている状況はまさしく絶体絶命。そんな非常事態に寄り道とも言える行動をとった理由は、自分でもよく分からなかった。

 

 兎の後に付いて行くとそこは、宮殿の敷地内外れにある物置。使われなくなって久しいのか、かなり壁も屋根も傷んでいる。兎達は、戸にわずかに開いた隙間へと入る。ワルドも後を追おと戸を開けようするが、固くて開かない。なんとか無理に隙間を広げ、体を滑り込ませた。

 

「ふぅ……」

 

 一つ息を吐くワルド。そしてゆっくりと視線を小屋の奥へと向けた。小窓から漏れる明かりの中に、子供が見えた。短めの黒髪で、頭に兎の耳のような飾りを付けた女の子。その子を囲むように、真っ白い兎たちがいた。兎と子供。それだけなら、他愛のない田舎の光景に見えただろう。だが何故か、ここにあるものは異界の入口のように思えた。

 

 やがて子供がゆっくりと顔を上げる。一瞬、緊張に襲われるワルド。何故なら見えた彼女の瞳は、子供のそれに思えなかったから。人を値踏みするかのような瞳。何十年、何百年、それ以上の年期の入った目。何故かそう感じた。彼の直観が告げる。ここにいるのは人ではないと。

 彼女は、身を崩した姿勢のまま尋ねた。

 

「あんたが、ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルドで間違いないウサ?」

「……そうだ。で、お前はなんだ?」

「さあね」

 

 子供は手のひらを返し鼻で笑う。ワルドは不機嫌そうに、眉間に皺を寄せた。得体が知れない上に、不作法極まりない。すぐに彼は身を翻す。

 

「呼びつけた理由は知らんが、名乗りも上げられない者と話す気はない。帰らせてもらうよ」

 

 すると嘲笑うような声が、背から聞こえた。

 

「帰る?どこに?」

「……!」

 

 少女の問いかけに、ワルドの足が思わず止まる。拳を強く握り歯を食いしばるが、何も返せない。少女は、さらに畳み掛けるように言葉を並べる。

 

「小領主で爵位もそこそこ。けどトリステインの親衛隊隊長まで出世。しかも大貴族のヴァリエール公爵家と婚約まで結んで、順風満々なエリート人生」

「……」

「それをぜ~んぶ放り投げて、こんな訳の分からん国に身を寄せた」

「……」

「その顛末が、詐欺師の平民に騙されて終わり」

「……」

「今のあんたは、全財産を賭けた博打でペテンに引っかかったマヌケなボンボンと同じウサ。そんなあんたに、帰る場所がどこにあるウサ?」

「…………!」

 

 ワルドは、激高しかねない勢いで振り向く。兎耳の子供の方へ。だが何も出てこない。出せない。睨み付ける彼の視線の先には、子供の姿らしからぬ気配を持つ何かがいた。それが呆れたように、彼を見ている。

 不意にワルドは、全てが滑稽に思えた。腹の底から湧き上がるような、笑いを吐き出していた。

 

「フッ……ハハツ。ハハハハハッ!」

 

 この狭いボロ小屋に、投げやりの笑い声が響く。自分自身を小馬鹿にするような笑いが。

 

「で、全財産を詐欺師に賭けた大馬鹿者に、なんの用だ?」

「……」

「そうか。お前、妖魔だな。妖魔は子供を好んで食べると聞いたが、メイジも好むのか?それだけ私を調べたんだ。スクウェアのメイジというのも、分かっているのだろう?お前からすれば、さぞ美味に見えるかもしれんな。当てもなく絶望してる私なら、易々打ち取れると思った訳か」

 

 ワルドは、皮肉を込めた声色で大げさな身振り手振りで告げる。だが少女の方は、わずかに笑みを浮かべると嘲るように答えた。

 

「そう卑下しなくて、いいウサよ」

「な……」

「あんたを呼んだのは、逆ウサ」

「逆?」

「幸運を与えに来たウサよ」

 

 兎耳の子供はあっさりとそう言った。相変わらず緊張感のない態度で。ワルドは呆気に取られ、力が抜けていく。

 

「…………どういう意味だ?」

「一発大逆転。ここから、あんたの本当の人生が始まるってやつウサ」

「なんだそれは?まさか私を助けると言うのか?だが何故だ?」

「さあ?私は上から頼まれただけだから」

「上から?」

 

 意外な答えに、ワルドは戸惑う。ただの妖魔と思っていた相手が、実は使者。つまり何等かの組織が、自分に手を貸すという話だ。しかも妖魔を従えるような組織が。疑念に目を細める。

 

「それは……何者だ?」

「宇宙人」

「宇宙人……か。フッ……。自分達の正体は、わずかも晒す気はないという事か」

「乗り気がしないなら、別に蹴ってもいいウサよ。ただこの話、先着一名様限りウサ。しかも私が最初に話を振ったのは、あんた。ダメなら、他に行くだけウサけどね」

「他にも候補がいるという訳か。だが何故、私を最初に選んだ?」

「リストの一番下に載ってたから」

「リストの一番下?」

「上から行くのは面白くないから、下から行っただけウサ」

「……」

 

 呆気に取られ、言葉を出せないワルド。

 彼には風のスクウェアとして、さらにこれまでの経歴から来る自負があった。だからこそ、神聖アルビオン帝国でも皇帝側に仕える事ができた。この話も、自分だからこそ理由がある。何もかも失った今でも、どこかにそんな想いがあった。しかし彼を選んだ理由は、リストの一番下にあったからと兎耳の子供は言う。

 突然、またも笑いが込み上げてきた。

 

「フッ、ハハハ!リストの一番下だから選んだか!」

「よく笑うウサね」

「いや、気を悪くしたなら謝る。何もお前を笑った訳ではない」

 

 何かが吹っ切れる。彼の中にあった様々な違和感が、どうでもいいものに思えてくる。一頻り笑った後には、開き直った顔つきとなっていた。

 

「で、どんな助力が得られるのかな?」

「その前に、面接させてもらうウサ」

 

 そう言いながら、少女は懐から小箱を取り出した。その中から紙包みを一つ取り出す。

 

「正直になる薬ウサ」

「自白剤か」

「そ」

「何を聞きたい?」

「レコン・キスタなんて言うポッと出に、全てを張った理由ウサよ」

「そうか」

 

 一つ息をのむワルド。背中に伝うものがある。まるで戦地にいるような、緊張と冷や汗が。

 相手は素性の知れない妖魔。しかも組織に仕えているらしい。手助けするというが何の保障もない、理由すら分からない。こんな得体のしれない話を受け入れるのに、自白剤まで使った面接をするという。そもそも、この薬が自白剤である確証もない。ここに確たるものは何もない。分からない事だらけだ。しかし、ワルドはその紙包みを手にした。彼には分かっていた。これを退けた所で、行く当てなどないと。

 

「分かった。いいだろう。もはや私には賭けるものがない。それでもまた一度、賭場に立てるなら、お前の話受けよう」

 

 包まれていた薬を、一気に飲み込む。それを少女は満足そうに見ていた。

 

「んじゃぁ、聞くウサ。まずは、さっきの話。レコン・キスタに何故参加したウサ?」

「それは……」

 

 ワルドはこの得体のしれない兎耳の子供に、全てを話していた。長い時間をかけて。

 

 やがて何もかもが語り終える。するとワルドは気づいた。少女の態度が変わっている事に。さっきまでの緩んだ気配が消えている事に。兎耳の子供は手を組み前のめりに身を傾けると、ワルドを見上げた。その姿はまるでマフィアの幹部かの様。

 

「合格ウサ」

「お目に適ったようで、何よりだ」

「んじゃぁ、合格祝いに面白い話を一つ」

「祝いをくれるとは、ありがたい。聞かせてもらおうか」

 

 冗談交じりに返すワルドだったが、彼女の話には驚愕する他ない。

 かつての婚約者、ルイズ・ヴァリエールが虚無の担い手である事。ガリア王も同じく虚無の担い手である事。さらにシェフィールドがその使い魔である事。そしてガリア王が、エルフと手を組んでいる事。まさしく信じがたい話ばかり。なんの証拠も提示されていないが、シェフィールドについては、頷けるような点がいくつも思い浮かぶ。ワルドも半ば信じざるを得なかった。

 

 やがて少女は、肩をほぐしながら言う。

 

「さてと、約定成立という訳で本番といくウサね」

「ああ。それで、具体的に何をしてくれるんだ?」

「最初に言った通りウサ。幸運を与えるウサよ」

「具体的と言った」

 

 揶揄するような言葉しか告げない少女に、ワルドは気分を悪くする。しかし少女の態度は変わらない。

 

「私の能力は『幸運にする程度の能力』。相手に幸運を与える事ができるウサ」

「ふざけて……」

 

 だがすぐに、ワルドは言葉を切る。この得体の知れない相手は、もはや何もかも失った自分に残されたわずかな道なのだ。迷うなどという選択はない。相手が得体の知れない何かなどというのは、承知の上だ。何もかも受け入れる。ワルドは覚悟を決めた。

 

「分かった。いいだろう」

「なら、やるウサよ」

「ああ」

「ただあんた達には、力がちょっと効きづらいみたいだから、気合を入れるウサ。痛いかもしれないけど、そこは我慢ウサ」

「体は鍛えてるつもりだよ。遠慮しないでやってくれ」

「んじゃぁ、いくウサよ」

 

 兎耳の子供は右手人差し指を突き出した。まるで銃でも撃つかのごとく。

 彼女の指先に強烈な光を放つ玉が現れる。次の瞬間、ワルドは強烈な痛みに襲われた。それと同時に彼の意識は飛び、闇の中に沈み込んでいた。

 

 それからどれほど時間が経っただろうか。彼が意識を取り戻したときには、小屋には誰もいなくなっていた。ゆっくりと身を起こす。

 

「……夢でも見ていた気分だ。だが……」

 

 ワルドにすぐ気づく。確かに誰もいないが、小屋にこのされた多くの足跡に。子供と兎の。それは告げる。あれは夢ではなかったと。だが現実だったと受け止めるのにも、抵抗ないと言えば嘘になる。しかし、もはや事は始まったのだ。

 

「行くところまで、行くしかないな」

 

 そうつぶやくとボロ小屋を後にした。そしてワルドは風竜に飛び乗ると、なんの障害もなくロンディニウムを後にする。当てがないのは相変わらずだが、胸の内だけは定まっていた。

 

 

 

 

 

 

 その日の夕暮れが、間もなく訪れようとしていた。緋に染まろうとしているアルビオンの空を、一騎の竜騎士が飛んでいる。もはや帰るべき国も、家すらなくなったワルドが。

 ここ数日、身を隠しながらアルビオンを移動していた。一時は、それなりに懇意にしていた、ホーキンスやボーウッドの所へ向かう事も考えたが、情勢がはっきりするまでは下手な動きはしない方がいいと考え直した。だからと言って、他に心当たりがある訳でもない。チラシの内容が真実なら、トリステイン、ゲルマニア、宗教庁を抱えるロマリアは手を組んでいるとなる。残るはガリアだが、シェフィールドが手足となって何かを画策していた国だ。安心とは言えないだろう。文字通り、行く当てがなかった。

 

「さて……どうしたものか……」

 

 今日も、隠れるように山間を低空で飛ぶ彼の風竜。ドラゴンを操りながらも脳裏に過るのは、ロンディニウムでの出来事。クロムウェルの虚無がまがい物であった事。神聖アルビオン帝国を見限り、消え去ったシェフィールド。そして何よりもあの異質な子供。その子供が言う、与えられた幸運。これら全ては数日前の、しかもたかが半日の内に起こった出来事なのだ。今でも信じがたい。

 空を舞いつつ、いろいろと考えを巡らせていると、風竜の速度が落ちてきたのを感じた。

 

「お前も疲れたか。私の方も、少々腹が減ってきた。休憩にするか」

 

 ドラゴンの首を撫で、声をかける。すると眼下にやや大きめな池が見えた。

 

「あそこにしよう」

 

 ワルドは、ドラゴンの頭を池の方へと向けた。

 降りた場所は山中の綺麗な池。少し広めの岸がありドラゴンを休ませるのに丁度よかった。地面に着くと、さっそくドラゴンは池の水を飲み始める。ワルドの方もドラゴンの手綱を木に結びつける。

 

「確か、近くに小さな村があったハズだが……」

 

 降りる時に、森の中に村があったのを見かけていた。

 今の彼が人前に姿を現すのは、危険を伴う。しかし、一方で現在アルビオンは混乱中。自分へ手配している余裕がないのも、分かっている。

 池を囲む森を抜けると小道に出た。そこを真っ直ぐ進むと目的の村が目に入る。森を切り開いた中にある小さな村だった。辺りに畑がない所を見ると、猟師の村だろうか。

 ワルドはその中で一番大きな家に向かう。もっともこの村の中での話で、貴族の彼からすれば多少大きな物置程度だった。戸をノックし、声をかける。

 

「失礼。どなたかおられないか?」

 

 家からは、なんの返事も帰って来ない。中を確かめようと戸を開ける。そこはキッチン兼リビング兼食堂。いかにも猟師や農民の家屋という風情だった。しかし、人影はなし。狩か山菜取りにでも出ているのか……。

 

「旅の者なのだが、食料を売って欲しい」

 

 相変わらず返事はない。彼は悪いと思いながらも、中へと入っていく。

 しばらく奥へと進み、部屋の一つを覗く。やはり誰もいない。だが、その部屋が奇妙な事に気づいた。まるでメイジの書斎かのように本が並び、魔法の実験器具まである。山中の猟師村らしからぬ光景。

 

「どうやら、ただの村ではないらしいな……」

 

 ワルドは腰の杖を抜いていた。

 部屋の見回していると、本棚の中に隠し扉らしきものがあるのに気づいた。しかも、それがわずかに開いている。ワルドは周囲に気を配りながら、その扉を開けた。中は金庫のようになっている。どうも隠し金庫らしい。だが何故だかの金庫の鍵は、かかっていなかった。

 金庫の中を眺めるワルド。入っていたもの自体は少なかい。しかしふと、棚の上にある一つの長い筒が目に付く。金属で出来ている筒に。

 

「これは……!」

 

 記憶の中にある物と一致する。それは研究者の中で、"場違いな工芸品"と呼ばれるもの。以前、一度だけ見た事がある。"トリステイン魔法学院"で。だが何故これがここにあるのか。すぐにワルドは解答を導きだす。当時の騒ぎ、魔法学院の泥棒騒ぎを思い出しつつ。

 

「そうか……ここが……」

 

 その時、外から話し声が届いた。どうやらここの住人が戻ってきたらしい。しかも数人いる。今、家を出れば鉢合わせる。

 

「チッ!間の悪い!」

 

 ワルドは苦い顔を浮かべると、魔法を唱える。『ユビキタス』を。分身を作り出す魔法。風のスクウェアであるワルドが、得意とする魔法の一つだ。

 分身の一人を声の方、入口の方へ向かわせた。だがさらに運悪く、見事なタイミングで鉢合わせる。入ってくる女性と。

 

「誰!?」

「!」

 

 入口に立っていたのは、女神でも現れたかというような、美しい金髪の少女。呆気に取られるワルドの分身。だが次の瞬間には、別の一点に目を奪われていた。彼女の突き出した耳に。

 

「エ、エルフ!?」

 

 思わず杖を向ける。すると少女の方も、釣られる様に杖を抜いていた。しかしワルドの方が杖を先に抜いていた上、彼の魔法詠唱の素早さは抜きんでていた。一瞬で発生した『ウインド』が、少女を吹き飛ばす。

 

「きゃっ!」

 

 倒れ込んだ少女は、思わず杖を落としていた。すかさず杖を蹴り飛ばし、彼女を組み伏せる。

 

「い、痛い!」

 

 身動きできず、悲鳴を上げる少女。しかし相手はエルフ。気を抜くワルドではなかった。

 

「まさかエルフがこんな所に……、ん?」

 

 急にワルドの表情が怪訝に曇る。奇妙な事に気づいて。

 エルフが何故、杖を使おうとしたのか?エルフは先住魔法を使う。先住魔法は、口さえあれば事足りる。杖の必要はない。逆に系統魔法を使う妖魔など、聞いた事もない。そして今、少女は魔法を使うとしていない。口を押えていないにも関わらず。ワルドは、この状況に上手く当てはまる解答を出せずにいた。

 

 この出会い。これが特別な意味を持つなど、今の彼には想像できる訳もなかった。そしてこれを導いたものが、何かという事も。

 

 

 

 

 

 ルイズ達は、チラシをばら撒いて四日ほどアルビオンにいた。帝国崩壊を確認するため。

 集めた話からすると、どうもチラシの内容をアルビオン貴族たちは真実と捉えたようだ。クロムウェルが逃げ出したという話も、広まっている。それらを裏付けるように、次々と貴族たちはロンディニウムを後にしていた。帝国崩壊後の自分たちの所領を守るために。しかも、すでにサウスゴータ辺りで、貴族達の睨み合いが始まっているそうだ。それはロンディニウムでも同じ。皇帝がいなくなり、空白地となったここでは、周辺の貴族達が管轄権を主張し始めていた。

 神聖アルビオン帝国は、あっけないほど消え失せた。戦で大敗した訳でも、クーデターが起こった訳でもなく、指輪泥棒とチラシのばら撒きなんて方法で。その命脈は1年と持たなかった。

 

 ルイズ達は四日目の夜、帰路へと着く。それから二日後。彼女がいたのは学院ではなく、幻想郷組のアジトだった。

 

「どうしよう……」

 

 ルイズは悩んでいた。アルビオンの事ではなく、もっと身近というか自分の事で。神聖アルビオン帝国は滅亡したが、まだ大問題が残っていた。いや迫っていた。

 リビングで頭抱えているルイズに、魔理沙の気安い声がかかる。

 

「まあ、なるようになるぜ。とりあえずメシにしようぜ。もう夜だしな」

「食事ぃ?ここ、ロクなもんないじゃないの」

「人間は私だけだからな。他の連中は、人間の食事はそんな食わないし」

「そう言うあんただって、まともな食事してるとは思えないわよ」

 

 基本的にいい加減な魔理沙は、料理に拘ってない。出るのは、食べられればいいというものばかり。アルビオンで四日間も野宿して、まだ似たような食事。ルイズの忍耐も限界に近づきつつあった。すると魔理沙から次の提案。

 

「んじゃぁ、学院に戻るか」

「戻れる訳ないでしょ。一応私、まだ出兵してる事になってんだから」

「バレねぇようにすれば、いいんだよ。マルトーのおっさんとシエスタだけ話通しておけば、なんとかなるって」

「なんとかなるって……」

「美味いもん、食いたいんだろ?」

「う……」

 

 言葉に詰まるルイズ。難しい顔をしながら心の中のせめぎ合いの末、食欲が勝利した。

 

 魔理沙とルイズは転送陣で学院に戻る。幻想郷組の僚に。魔理沙はさっそくドアへと向かった。

 

「二人分持ってくるぜ」

「あんた一人なのに、二人分頼んだら、変に思われない?」

「何とかするぜ」

「まあ……、そうするしかないんだけど……。ん?魔理沙」

「なんだよ」

「リボン変えた?」

 

 ルイズは指差しながら言う。魔理沙は右サイドから前に下した髪の先を、いつもリボンで結んでいた。それが今までの単色系から、複雑な柄の物になっていた。指摘された魔理沙の方は、何故か答えづらそう。

 

「ん?ああ……。気分転換みたいなもんだ」

「そう」

 

 白黒魔法使いの態度に、少しばかり首を傾げるルイズ。すると魔理沙は誤魔化すように、ドアへと向かう。

 

「んじゃ、行ってくるぜ

「あ、うん。頼んだわよ」

「おう。まかせろ」

 

 親指立てて、ウインクしながら出ていく魔理沙。彼女の態度に違和感を覚えながらも、ルイズは大して気にもせず見送った。むしろ気になるのは、ポカして食事を持って来られなくなる方だが。アルビオンでのチラシ配りの時の、自信満々に向かって結局ポカやったのが脳裏を過る。

 

「はぁ、大丈夫かしら」

 

 ため息一つ漏らし、窓の方へ向かった。外はすっかり星が上がっている。今の時間帯、学院では食事が終わった頃。いつもなら、生徒たちの談笑の声があちこちから聞こえているだろう。だが、こうしているルイズの耳に届く声は少ない。もちろん、ほとんどの生徒が出兵か帰郷してしまっているからだ。だが、彼らが戻るのも時間の問題だ。戦争はもう、終わったも同然なのだから。

 

「みんな無事に帰ってくるんだ……」

 

 ふとこぼした言葉に、ルイズ自身、何やら気恥ずかしいものを感じていた。皆を救ったという想いが胸を掠めて。

 あれ程の大艦隊同士がぶつかり合うのだ、戦闘になればただでは済まなかったろう。生徒だって、何人命を落としたか分からない。だが、もうそんな心配をする必要はなくなった。ルイズはあらためて、自分のやった事に感慨を深めていた。そして今回の作戦は、幻想郷メンバーの助けがなければ達成出来なかった事。何かの形で礼をしたい、なんて考える。

 その時、ノックが聞こえた。どうやら食事が来たらしい。ルイズはドアへと向かう。

 

「えっと……魔理沙?」

「……いえ、シエスタです」

「魔理沙は?」

「賄い所で食事中です」

「相変わらずねぇ」

「は、はぁ……。そ、そうですね」

 

 何やら、濁したようなシエスタの返事が気になるが、魔理沙の行いを見てればそう感じるのも無理もないと思う。ちなみにルイズもまたキュルケ達と同じく『魅惑の妖精』での一件以来、シエスタとそれなりに付き合いがあった。

 ともかく、ほぼ一週間ぶりのまともな食事とあって、ルイズはさっそくドアを開けた。だがそこにあったのは……憤怒のオーラ。もちろんシエスタのではない。その背後の人物の。マスクウーマンの。

 

「ルイズ……」

「か、か、か、母さま……」

「あなたは何故、ここにいるのですか」

「あ、あの……それは……」

「連合軍艦隊から、問い合わせがあったそうです。あなたが行方知れずになったと。まさかとは思っていましたが……」

「いえ……あの……」

 

 カリーヌは本気で怒っている。それがルイズには肌身に分かった。体中を針で刺される感覚に襲われる。阿修羅のような怒号は続いた。

 

「私が何のために道化のような姿までして、学院に来たと思ってるのですか!」

「そ、それは……その……」

「あなたが貴族としてしっかり役目を果し、無事に帰るためです!」

「は、はい」

「それが……役目を放り投げた上に、無断で艦隊から抜け出すとは……」

「…………」

 

 実はこれが、ルイズが悩んでいた大問題であった。

 ルイズは正式に将兵として戦争に参加したのである。当然、軍令に従わなければならない。軍の命令を実行しなければ命令違反、勝手に軍を抜け出せば脱走である。つい勢いで動いてしまったが、全てが終わってから気づいた。自分のやった行為は、重大な軍規違反だと。軍規についてはこの数か月、カリーヌから徹底的に叩き込まれていたので、余計にそれが重く伸し掛かっていた。

 ルイズ、命乞いでもするかのように、カリーヌへ必死の弁解。

 

「か、母さま!そ、その理由があるのです!」

「問答無用!」

 

 烈風の一喝の前に、ルイズ、絶体絶命であった。

 

 ちなみに何故ルイズが戻ってきたのがバレたかというと、外にいたカリーヌの使い魔、トゥルーカスが寮から外を見ていたルイズを見つけたから。

 

 

 

 




 次はティファニア即位の話になります。マチルダの登場も、次になってしまいました。


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