ルイズと幻想郷   作:ふぉふぉ殿

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奇跡かもしれない

 

 

 

 

 

 居合斬りかのように、カリーヌの杖が抜かれる。何度も見たその杖の先。ルイズに身を縛られる感覚が走る。

 

「か、母さま!話を……」

「問答無用と言いました」

 

 怒りを露わにしたままのマスクウーマン。対してルイズは、部屋へ下がりながらの必死の訴え。一方、シエスタは二人から離れた場所で、食事を抱えたままオロオロするだけ。

 

 聞く耳持たないカリーヌは、ルイズを追い部屋へと足を進める。そして……。

 

 がん。

 

 入れなかった。ドアは開いているのに。

 

「な!?何?これは!?」

 

 見えない壁にぶつかった。そうとしか思えない。実際触ってみると、確かに壁があった。思わぬ邪魔に、カリーヌはますます苛立ちを強くする。まさしく火に油。

 すると後ろのシエスタが、恐る々口を開いた。

 

「あ、あの……、ミス・マンティコア。その部屋はロバ・アル・カリイエの方々が魔法をかけてて、許可された人しか入れないんです……」

「何ですって!?」

 

 勢いよく、ルイズの方へ振り返るマスクウーマン。

 

「ルイズ!廊下へ出てきなさい!」

「ですから、話を……」

「出てこないというのなら……!」

 

 怒りに任せ、杖を振るう。『ウインド』が唱えられた。この結界は人の侵入を防ぐだけなので、他のものは素通り。当然、魔法で起こした風も。

 部屋の中に強風が吹き荒れる。

 

「うぎゃっ!?」

 

 一瞬で、吹き飛ばされるルイズ。部屋全体が洗濯機になったかのように、ちびっ子ピンクブロンドは撹拌され、壁に、天井に、あちこち跳ね飛ばされた。そして最後は床に突っ伏す。さすがは烈風カリンか。一番基礎的な風の魔法でも、この威力。しかも閉鎖空間での使用なので、威力は絶大。

 その様子を、後で見ていたシエスタは目が点。

 

「ミ、ミ、ミス・マンティコア!理由はよく分かりませんが、いくらなんでもやりすぎです!」

「おだまりなさい!」

「は、はい!」

 

 カリーヌの一喝に、シエスタ石化。脂汗垂らして、一歩も動けない。

 だが……、別の叫び声が突如乱入してきた。

 

「あーーーーーっ!なんだこりゃぁ!?」

 

 白黒魔法使い、魔理沙だった。食事から戻ってきたら、部屋がメチャクチャになっているのだ。ガサツな彼女でも、悲鳴を上げるのは無理もない。次に彼女の目に入ったのは二人。良く知ったシエスタと、見慣れぬマスクウーマン。

 

「てめぇか!」

 

 魔理沙、犯人を断定。マスクウーマンを睨み付けた。しかも、すでに八卦炉装備。カリーヌの方はというと、想定外の人物の登場に、一瞬気が逸れる。

 

「え?ミス・キリサメ!?」

「恋符『マスタースパーク』!!」

 

 こちらも問答無用だった。

 

 廊下が閃光で包まれる。光の奔流が、真ッ直線に突き進む。

 

「!」

 

 さすがのカリーヌも、廊下中を埋め尽くす魔砲は避けようがなかった。しかも至近距離での発射。どうしようもない。光の激流に巻き込まれる。ダムの放水口から放流の直撃を受けたかのように吹き飛ばされ、そのまま意識はフェードアウト。

 

 光が消え去った後に残るは、気を失っている二人。もちろん一人はカリーヌ。そして、とばっちりを受けた哀れなシエスタ。

 八卦炉を仕舞い、魔理沙は怒りを抱えたまま犯人に近づく。

 

「この野郎、なんて事しやが……」

 

 だが脚が止まった。犯人の顔を見て。『マスタースパーク』の衝撃のせいで、マスクが取れてしまったのだ。つまり今、魔理沙に見えているのは……カリーヌの素顔。

 

「え!?ルイズのかーちゃん?なんで??」

 

 魔理沙、瞬きできずにカリーヌを凝視。すると後ろから声が上がる。

 

「か、母さま!?」

「ルイズ、どこいたんだよ」

「母さまとシエスタ、大丈夫なの!?」

「気絶してるだけだぜ。弾幕ごっこ用のだからな。けど、何でルイズのかーちゃんがここにいるんだ?」

「あ……えっとね……。それは……」

 

 ルイズは、魔理沙達が幻想郷に帰っている間の出来事を話す。手短に。それから、部屋があの有様となった理由も告げる。やがて魔理沙とルイズは、カリーヌとシエスタを介抱。二人は目を覚ました。

 

「大丈夫ですか?母さま」

「ん……。ルイズ」

 

 状況をなんとか理解しようとするカリーヌ。何かとんでもない魔法に巻き込まれたハズ。そして、魔法の主の顔を思い出した。魔理沙の顔を。するとルイズの後ろから、その主の声が届いた。

 

「悪かったな。マスクしてたから、ルイズのかーちゃんだって分かんなかったぜ。けど、そっちだって悪いんだぜ。私らの部屋、あんなにしちまったんだから」

 

 魔理沙の親指が向いた先、部屋の入口からは荒れ果てた中の様子が垣間見られた。カリーヌはなんとか半身を起こすと、頭をさげる。

 

「それは……その……大変、申し訳ありません。その……気が立っていたもので……つい……」

「ルイズから聞いたぜ。勝手に軍隊抜け出したから、怒ったんだってな」

「ええ……まあ……」

 

 カリーヌらしからぬ歯切れの悪さ。規律違反を咎めようとして、自ら他人に迷惑かけては世話がない。

 もっとも、ここまで彼女が怒ったのは、軍規を破ったという点はもちろんある。だがそれ以上に、ルイズを思い彼女なりに尽くしたにも関わらず、それを無碍にされたような気持になったからだった。

 ただ、カリーヌとルイズの間に齟齬があったとすれば、カリーヌは母として娘を思ったと同時に貴族としての立場からも彼女を思っていた。立場を弁え、誇りを重んじる貴族として。一方のルイズは、カリーヌが単に母として自分を心配してくれたと考えていた。さらに幻想郷との関わりやこれまでの経験からか、貴族の矜持への意識が弱くなっていたのもあるのだろう。だいたいメイジとしても、系統が異質な虚無な上、日ごろから体術を磨いているという、妙な成長の仕方をしているので余計に。

 

 気持の置き場に困っているカリーヌの目に、床に正座して頭を下げたルイズの姿が目に入る。

 

「その……母さま!軍規違反してしまった事は反省しています!ですが理由があったのです。せめて、それだけでもお聞きください!」

「…………。分かりました。いいでしょう」

 

 魔理沙に吹っ飛ばされて頭が冷えたのか、カリーヌの気持に少し余裕が出ていた。やがてルイズ達は、幻想郷組の部屋へ入る。

 さて、無関係なのに散々な目にあったシエスタ。彼女には魔理沙が詫びを入れた上、魔理沙への貸しという事でとりあえず決着。彼女はルイズの代わり食事を取りに、厨房へと戻っていった。

 

 部屋の惨状の中、三人は倒れていた椅子を起こし座る。ルイズは神妙な顔付きで口を開いた。

 

「母さま、まず『サイレント』の魔法をかけていただけないでしょうか?」

「『サイレント』を?」

「はい」

「分かりました」

 

 カリーヌは、軽く杖を振る。風のスクウェアのカリーヌ。『サイレント』も並ではない。だが、同時にそれはルイズが国家機密レベルの話をすると、カリーヌは察した。

 ルイズは落ち着いて口を開く。

 

「神聖アルビオン帝国との戦争は、やる必要のない戦争でした。そのために命が失われるのを、見過ごす気にならなかったのです。しかも私は、戦争を止める方法知っていました」

「ならば、何故その方法を将軍達に提案し、正式な命令を持って動かなかったのですか」

「あ。えっと……その……つい、気持が先走って……」

「全く……。あなたという子は……」

「た、ただ……。説明しても、納得させるのは難しいと思います」

 

 思い起こせば、『アンドバリの指輪』の件について、将軍達を納得させるのは無理だ。女王であるアンリエッタでさえ、できなかったのだから。特にゲルマニア側は、思惑もあって戦争に参加している。彼らの意向を下げさせるのは、厳しかったろう。

 

 カリーヌはルイズの拙速を咎めずに、落ち着いて問いかけた。

 

「納得させられないのは、何故ですか?」

「それは……」

 

 それから『アンドバリの指輪』強奪と、その後の顛末、神聖アルビオン帝国消滅までの経緯についてルイズは説明する。カリーヌは神妙な顔つきで聞き入った。すべてが終わると、問題の根本をルイズは口にする。

 

「実は指輪の件、以前、陛下と枢機卿にもお話ししています。その時には、戦争にならないと伺いました。ですが後日呼び出された時に、枢機卿が覚えてないと言われるのです」

「それは……奇妙な話ですね」

「はい。理由は分かりません。陛下も戸惑っておいででした。その結果、出兵が決まってしまったのです」

「…………」

 

 腕を組み考え込むカリーヌ。ルイズはポツリと尋ねる。

 

「マザリーニ枢機卿が、嘘をついたのでしょうか?」

「確かに策を弄する方ですが、嘘をついてとぼけるというのはらしくありません。稚拙すぎる。それに……今回の戦争はどちらかと言えば、ゲルマニア有利に働いています。そんな手を、枢機卿が打つとは考えられません。あの方の、トリステインへの敬愛は本物ですから」

 

 現役時代、目の上のたんこぶとでもいうべきマザリーニを、よく知っているカリーヌならばの答えだった。

 

「いずれにしても、ここで考えても分かるようなものではないわ。ルイズ」

「はい」

「事情は分かりました。あなたが軍規違反をしたと知って、私も少々落ち着きをなくしていたのかもしれません。そこはごめんなさいね。ルイズ」

「え……は……はい」

 

 ルイズ、硬直。まさかカリーヌから、詫びを入れてくるとは。だがカリーヌの表情はすぐに戻る。

 

「何にしても軍規違反した事は確かです。私からはともかく、軍からの罰は受けねばなりませんよ」

「は、はい」

「艦隊へ急ぎ戻り、出頭なさい」

「はい……」

 

 予想はしていたが、いざ罰を受けるとなると気が重い。ルイズは、沈むようにうなずいた。

 その時、ルイズの背から聞き慣れた声が届く。

 

「なら、艦隊が、神聖アルビオン帝国がなくなったの確認できてからにしたら?」

「パチュリー……」

 

 振り向いた先に見えたのは、魔女二人と悪魔。パチュリーとアリスとこあだ。だが紫寝間着のアドバイスに、ルイズは渋い返答。

 

「でも、先伸ばしにする訳にもいかないわよ」

「手柄がハッキリしてからの方が、相手も罰しづらくなるわよ」

「あ、それもそうね」

 

 ぱんと手を叩き、急に明るくなるルイズ。罰が軽減される方法があると分かって。その様子を横で見ていたカリーヌ。ルイズに貴族の矜持が薄れてきたのは、この連中のせいかと実感していた。

 やがて一連の話は終わり、カリーヌは『サイレント』を解く。そして席を立とうとした時、不機嫌そうな声が耳に入った。

 

「ちょっと聞きたいんだけど、これはどういう事かしら?」

 

 アリスがこめかみを震わせながら、聞いてきた。辺りの惨状を見まわしつつ。

 ここにはアリス達の私物も当然あった。特によく紅茶を飲むので、一式しっかり揃えてあった。だが全てがもはや破片。他にもいろいろと崩壊していた。犯人であるカリーヌ。顔が青くなる。

 さらに追い打ち。別の悲鳴が廊下から聞こえた。

 

「うわっ!?な、何事ですか!?これは!?」

 

 コルベールの声である。寮内での騒ぎを生徒から聞き、慌てて駆け付けたのだ。彼の眼に入った廊下は、酷い有様になっていた。『マスタースパーク』のせいで。ガラスは全て割れ、窓枠さえ壊れ、廊下を照らしていた魔法ランプも吹き飛んでいた。壁や天井にも被害が出ていた。ルイズ、カリーヌ、魔理沙は三者三様に頭を抱える。

 

 その後、関係者である、ルイズ、魔理沙、カリーヌ、そして巻き込まれたシエスタも学院長室へ呼び出された。ついでにアリス達も学院長室へ。いつも騒ぎを起こしていた魔理沙だけではなく、よりにもよってカリーヌまでが関係者。指導教官の面目丸つぶれである。

 学院長室では、オールド・オスマンの呆れと疲れが混ざったような説教が続く。さらに私物を壊された、アリスやこあからの文句も。そんな中、ルイズはだけは少しばかり面白がっていた。カリーヌが縮こまるように恐縮しているのを、初めて見たので。

 

 

 

 

 

 アルビオンのとある小さな村。そこに元トリステイン王国親衛隊隊長、元神聖アルビオン帝国竜騎士隊隊長、今はなんの肩書きもないジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルドがいた。

 彼は今、奇妙な少女を組み伏せていた。女神かというような美しさと、最悪の妖魔、エルフの姿を持った少女を。エルフに見えるのに、杖を使おうとし、先住魔法を使わない少女を。ワルドはこの違和感に溢れた存在に、思案を巡らせるばかりだった。

 その時、頭に痛みが走る。

 

「痛!?」

 

 思わず頭を押さえたワルドの視界に、転がる石が入った。誰かが投げつけたらしい。同時に幼い声が届く。

 

「ティファニア姉ちゃんを放せ!」

 

 石や木の棒を持った子供たちが、彼をぐるりと囲んでいた。頭を抑えつつも、益々状況が掴めないワルド。警戒というよりは、当惑したまま子供たちを見渡す。すると、少女が叫び声をあげた。

 

「み、みんな逃げて!ここは何とかするから!」

「だけど、ティファニア姉ちゃん!」

「いいから!」

 

 声色から必死さがにじみ出ている。だがそれでも子供たちは、逃げようとしない。一方のワルドは、この光景を、唖然として眺めていた。旅芸人の三文芝居でも、見ているかのように。

 しかし、このどこか手ぬるい寸劇もここまで。

 

 突如、ワルドが吹っ飛んだ。背後から殴られて。そのまま3メイルほど吹き飛ばされ、木にぶつかる。

 

「な!?」

 

 子供の力ではなかった。大人、いや、それ以上の力で吹き飛ばされた。彼は、殴られた背を抑えつつ、立ち上がる。視線の先に2メイルほどのゴーレムがいた。ワルドの手を離れた少女は、そのゴーレムの背後に隠れる。子供たちも一斉にこの場から離れだした。ワルドは、どうやら真打が来たと察する。杖を握り直し、構えようとした。

 だが、その杖が叩き落される。振り向いた先に別のゴーレム。いや、それだけではない。足が何者かに掴まれている。視線を落とすと、土から手が生えていた。それが足を離さない。

 ワルドは察する。土系統のメイジが現れたと。しかもかなり手練れ。いくつものゴーレムを瞬時発生させ、巧に動かしている。同時に、確信した。この土系統のメイジの正体を。貴族専門の盗賊、"土くれのフーケ"であると。

 さっきの金庫にあった鉄の筒は、トリステイン魔法学院では"破壊の杖"と呼ばれていたもの。それは半年以上前に、土くれのフーケによって盗まれている。それがここにある。そしてこの数々の土系統の魔法。もはや答えは一つしかない。ここは土くれのフーケの隠れ家なのだと。

 だが、目の前にいる少女だけは、相変わらず謎のままだった。

 

 木陰から女性が現れた。緑かかった長い髪の女性が。明るい表情で、少女が女性に駆け寄る。

 

「マチルダ姉さん!」

「なんとか間に合ったようだね。ティファニア、大丈夫かい?右手、痛くない?」

「ちょっと痛いけど、大丈夫」

「そうかい。そりゃ、良かった。なら、さっそくで悪いけど、魔法かけてくれないかい?」

「え、あ、うん」

 

 ティファニアと呼ばれた少女は、杖を拾うと構えた。

 二人を前に、ワルドは抵抗をあきらめる。代わりに質問を口にした。

 

「待った。降参だ。魔法をかける前に、一つ聞かせてもらえないか?その少女は一体何者だ?」

「知った所で意味ないよ。どうせ、忘れちまうんだ」

「忘れる?」

 

 ワルドは、マチルダという女性の言う意味を理解しかねた。だが、そんな彼を余所に、ティファニアは詠唱を始めていた。それは聞き覚えのないルーンだった。魔法についても知識豊富なワルド。その彼が知らない魔法。益々目の前の少女の正体を、測り兼ねる。だがその時、ふと脳裏を過るものがある。ロンディニウムで聞いた話を。レコン・キスタが発生したそもそも原因を。その顛末を。

 

「ま、まさか……」

 

 ワルドが呟いたとき、ティファニアの魔法が放たれた。

 

 ティファニアの魔法が終わり、力を抜くマチルダ。杖を仕舞うと、頬を緩め少女の方を向く。

 

「お疲れさん。酷い目にあった……」

「マ、マチルダ姉さん……」

 

 だが、ティファニアは前を向いたまま、震えた声を漏らす。混乱した顔つきで。なぜなら、目の前にいた男が霞みのように消えて行ったのだ。同時にマチルダの顔色がゆがむ。

 

「チッ、偏在か!肝心の事を忘れてた。あいつ風のスクウェアだった!」

 

 マチルダは慌てて杖を抜きなおす。すると彼女達の背後、家の方から声がかかった。ワルドである。

 

「その様子だと、私の事は知ってるようだな」

「まあね。あんた、ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルドだろ?」

「いかにも」

「何しに、こんな所に来たんだい?暇潰してる余裕なんてないだろ。とっととアルビオンから離れないと、マズイんじゃないのかい?」

「ほう、もうそんな状況か。この国は。だが、暇ならまだまだあるさ」

 

 男の言いように、マチルダは眉を潜める。しかしそんな彼女を余所に、ワルドはゆっくりと杖を収めた。ますます彼の意図が読めないマチルダ。

 

「どういうつもりだい?」

「話をしようと思ってね。杖を向けたままでは、息が詰まって仕方がない」

「ハッ!遣り合うつもりはない、とでも言いたいのかい?けど、その体も偏在だろうに」

「確かにこの身も偏在だ。だが敵意がないのも本当だよ。さて、さっきの質問だが、君達は何者だ?」

「…………」

 

 ワルドの質問に答えないマチルダ。その横でティファニアは、何が起こっているのか分からずおろおろするばかり。彼は言葉を続ける。

 

「これは私の予想だが、聞いてもらおうか」

「…………」

「ロンディニウムで聞いた話だ。レコン・キスタが起こった原因は、モード大公がエルフの愛妾を匿っていたからと。それを王であるジェームズI世が咎めたのが、全ての始まりと。やがてモード大公の一族は誅殺され、さらに公の重臣であるサウスゴータ卿一族までもが誅殺される」

「…………」

「また別の話も耳にした。モード大公には遺児がおり、サウスゴータ卿がその遺児を守ったために、卿も誅殺されたと」

「…………」

「そしてサウスゴータ卿には娘がいた。その名はマチルダ」

「…………」

「さて私の予想を言わせてもらおうか。君達……あなた方は、モード大公とサウスゴータ卿の遺児ではないのかな?そして、その少女は……虚無の担い手」

 

 ワルドは二人を試すかのような視線を向ける。ロンディニウムで聞いた話、ここで耳にした二人の名。土系統のメイジと、エルフの姿でありつつも杖を使うメイジ。そして見知らぬ魔法。それらを全て繋ぎ合わせる回答は、これしかなかった。

 しかしマチルダは急に笑いだす。小馬鹿にするように。

 

「ハハハッ!子供じみた想像力があるんだね。あんたも。こんな辺鄙な村に、公爵家と大貴族の生き残りが隠れ住んでるだって?しかも虚無の担い手だ?劇作家にでもなるつもりかい、ワルド」

「そうか。言いたくないか。まあいいさ。だがここで、一つだけ確かなものを見つけたよ」

「何が言いたい」

 

 マチルダの問いかけに、親指で部屋の奥を指すワルド。

 

「悪いと思ったが、家の中に入らせてもらった。そこで金庫を見つけてね。鍵も開いていたんで、中身を見たのだよ。そこに見覚えのある物があった。鉄の筒がね」

「……!」

「あの筒が元々あった場所では、ちょっとした騒ぎがあった。騒ぎを起こした張本人は……」

「おだまり!」

 

 杖を勢いよく振るうマチルダ。瞬時に詠唱。地面から土の拳が現れ、ワルドを握りつぶそうとする。しかし、このワルドも霧散していった。

 

「クッ!」

 

 歯ぎしりするしかないマチルダ。すると、また家の奥からワルドが現れる。これも偏在か、あるいは本体か、彼女には判別がつかない。ワルドは余裕を持って口を開いた。

 

「話を続けようか」

「……」

「ところで、この子供たちは何なのかな?見たところ、親の姿がないのだが」

 

 マチルダとティファニアの元に寄り添う子供たち。すると、ティファニアが一人の子の頭を撫でながらつぶやく。

 

「その……この子達はみんな孤児です。戦争で親をなくした。私たちが、この子達の面倒を見ていました」

「しかし、こんな辺鄙な場所で、これほどの子供たちを養うのは難しいのではないか?」

「えっと……それはマチルダ姉さんが、仕送りをしてくれてたんです」

「なるほどな、そういう事か」

 

 わずかに口元を緩める納得気なワルドを、マチルダは睨み付けた。

 彼女は自分のもう一つの顔、盗賊土くれのフーケについて、ティファニア達に明かしていない。それを知られる訳にはいかない。自分の持ってきた金が、実は汚れた金などと。とは言っても、目の前のメイジの口を塞ぐ手立ても見つからなかった。

 だがそんな彼女の考えを余所に、ワルドはまるで違う話をしだす。

 

「ミス・ティファニア。これからさらに、孤児達が増えるとしたらどうする?」

「え?増える?何故です!?」

「神聖アルビオン帝国は、もうすでに崩壊したからだよ。国の体を無くしたアルビオンは、混乱の時代に入る。戦争も起こるだろう。そうなれば、親を亡くす子供も増える一方だ」

「そんな……」

「ただ、あなたにだけは、それを止める術がある」

 

 ワルドはティファニアの顔を真っ直ぐ見ながら、語りかける。そのティファニアは、目を丸くしたまま戸惑っていた。しかしそこにマチルダが、鋭い声を挟む。

 

「ティファニア!こんなヤツの話に耳を貸すんじゃないよ!こいつは、汚い裏切り者なんだからね」

「ほう……。君がそれを口にするか」

「……」

「もっとも、私も君を非難できる立場ではないのは、分かっているよ。だが、あえて言わせてもらうが、君の稼業、これからも続けるつもりか?あんな危ない橋を渡るなど、そういつまでも続くわけでもあるまい。しかも君を失ったら、ミス・ティファニアはどうする?今度は彼女が、表に出ないといけなくなる」

「そ、それは……」

 

 口籠るしかないマチルダ。ワルドの指摘は全て的を射ていた。だが、すぐに鋭い目つきをワルドに向ける。

 

「そう言うアンタの考えも読めてるよ。ティファニアを利用するつもりだろ」

「もちろんその通りだよ。何故なら、私には虚無の力が必要だからだ」

「虚無の力?だから、クロムウェルなんかに引っかかったのかい。見る目がないね」

「返す言葉もないよ。だがそれでも必要だったのだ。虚無の力が」

 

 すると今度は、ティファニアが尋ねてきた。

 

「どうして、そこまで虚無にこだわるんですか?」

「そうだな、あなた方の素性を聞いておいて、こちらの話をしないのもフェアではないな。訳を話そう」

 

 ワルドは理由を打ち明ける。かつてアカデミーに所属していた母が、とある発見を切っ掛けに汚名を着せられ、自殺せざるを得なかった事を。その汚名を返上するためと。

 この話を聞き、ティファニアは感じ入っている。一方のマチルダは、疑いの目を向けたまま。それも当然。ワルドの言い分を証明するものが、何もないのだから。だが彼はそれをまるで気にしない。

 

「信じる信じないは勝手だ。ただ一つ確実なのは、ここアルビオンがまもなく大混乱に陥ると言う事。そしてその混乱を避けるには、しっかりした支柱が必要だと。それができるのは、ミス・ティファニア。あなたしかいないと」

「…………」

「もう一度、尋ねたい。あなた方は何者……いや、今は答えなくていい。返事は後で伺おう」

 

 急にワルドの目つきが変わる。だが向いているのは、二人とはまるで逆方向だった。怪訝に表情を曇らせるティファニアとマチルダ。ワルドは二人に言う。

 

「ここに近づく者がある。どうやら、乗ってきたドラゴンが見つかったらしい」

「何やってんだよ。迷惑な男だね」

「落とし前はつける。話はその後にしよう」

「そうだ。できれば、そいつは連れてきてくれないかい?」

「ん?何故だ?」

「下手に行方不明になると、困るからさ」

「…………。なるほど」

 

 ワルドは先ほど聞いた"忘れる"という言葉を思い出す。どうもティファニアの魔法は、記憶をいじる魔法らしい。それに確かに、マチルダの言う通りだ。もし近づく者が、どこかの軍の偵察だったら、始末して行方不明になった方が厄介な話になる。

 やがてワルドは家から出て、森の方へと向かった。

 

 風竜の側に金髪の少年が立っていた。女性なら、目を離さずにはいられないほどの美形の少年が。だが男でも、目を止めただろう。その左右の違う色合いの瞳に気づけば。彼はワルドのドラゴンに触れる、語りかけるように言う。

 

「君の主は、今どこに居るのかな?」

 

 すると不思議な事に、言葉が分かるのかドラゴンは首を主、ワルドが向かった方へと向けた。

 

「そうかい。ありがとう」

 

 少年は、ドラゴンさ指した方向へと足を進めた。だがその時、衝撃が背を襲う。

 

「うっ!?」

 

 息を詰まらせたような嗚咽と共に、少年は吹っ飛び気を失った。ほどなくして、彼に近づく影があった。ワルドである。ドラゴンが指した方向の逆から出てきた。このワルドは、見張り役の偏在。彼が『エア・ハンマー』で少年をふっ飛ばしたのだ。やがて本体のワルドも現れる。こちらはドラゴンが首で示した方からだった。

 ワルドは気絶している少年の側で、膝を落とすと身に着けているものを探り出した。マントがない上、杖もない。メイジではないらしい。次に服に縫い付けられた腕章を見る。

 

「連合軍の偵察隊か……。殺さなかったのは正解だったようだな」

 

 さらに探ると、別のものが縫い付けられているのに気づいた。さらに首飾りにも。

 

「これは……。ロマリアの神官か?となると……あのチラシはやはり真実なのか……」

 

 アルビオン中にばら撒かれたチラシには、宗教庁も連合軍に加担しているかのように書かれていた。この少年がロマリアの神官ならば、その証左となる。

 さらに探りを入れるワルド。しかしこれ以上は取り立てて探すものがなさそうだと、最後に右手の手袋に手をかけた。だが、急に手の動きが止る。目を大きく見開き、一点を見つめる。手袋から出てきた少年の右手を。

 

「な!?こ、これは……。まさか、この少年は……!」

 

 ワルドが見入っていたのは、少年の右手に刻まれているルーン。異様なルーン。しかし、彼は知っていた。このルーンを。虚無を求めた彼ならば。そのルーンには見覚えがあった。書物の中での話だが。このルーンを刻んだ者の名は『ヴィンダールヴ』。虚無の使い魔である。

 

「もしや……ミス・ティファニアの使い魔か?いや、断定は早計だ。とにかく連れて行こう」

 

 少年を身動きできないように縛り付けると、ワルドは彼を偏在に抱えさせ村へと向かった。

 

 村へ近づく者に対処するためワルドが去った後、ティファニアとマチルダは厳しい顔つきのまま、今起こっている状況を理解しようとしていた。やがてティファニアは、マチルダの方を向く。

 

「マチルダ姉さん……。あの人が言った事……この国の戦争が酷くなるって本当?」

「……」

「本当の事、教えて」

「たぶんね。近い内に、アルビオンはトリステインとゲルマニアに分割統治されるとは思うけど、そのまま治まるとは思えない。トリステインの女王は恋人を殺されたんでアルビオンを恨んでるだろうし、ゲルマニア皇帝は野心家だ。アルビオン貴族も、黙って他国の支配を受け入れるかどうか……」

「そんな……。それともう一つ。マチルダ姉さんは、危ない仕事してるの?」

「…………。安全とは言えないね」

「そう……」

 

 ティファニアは暗くうつむく。そして悔やむ。今までマチルダの苦労など、何も知らずにいた事を。対するマチルダは、口を強くつぐんだままワルドが向かった方を睨み付けていた。あの男さえいなければ、どうにでもごまかしようがあったのに、真実を半ば話すハメになった。だが一方で、彼の言う通り、いつまでもこんな状態が続けられると思えないのも確かだった。

 やがてティファニアは真っ直ぐ顔を上げる。覚悟を決めた顔つきで。

 

「マチルダ姉さん。私、ちょっと姉さんに甘えすぎだったかもしれない。だから、これからは私もがんばる」

「その前に聞きたいんだけどさ。あんた、あいつが何言ってたのか、分かってるのかい?」

「え?その……もっと子供達を助ける……かな?」

「分かってないようだね。あのワルドって男は、ティファニアにアルビオンの王様になれって言ってるんだよ」

「えええーーーーっ!」

 

 目が飛び出るような顔というのはこの事か。顎が外れるほどの驚きとはこの事か。ティファニアは、その女神のような美しさが、吹っ飛ぶほどの驚嘆を浮かべていた。

 

「な、な、なんでよ!?」

「あんたが、唯一の王家の生き残りだからだよ」

「だけど……私のお母さんはエルフよ……。そんな人が王様だなんて……」

「それは大丈夫さ。なんてったって、本物の虚無だからね。で、ここまで聞いて、どうする?ティファニア」

「それは……」

 

 事の大きさにようやく気付いた、ハーフエルフの少女。視線を落とし、黙り込む。体中を石のように固め、立ち尽くす。

 どれほどの時間が経ったろうか。長くも短くもない。そんな微妙な間の後、彼女はスッと顔を上げた。視線の先にあるのはマチルダ。覚悟を決めた瞳が向いていた。

 

「分かったわ。やる。王様。子供たちが、不幸になるのはやだから」

「いいのかい?あんたが考えてる以上に厳しいよ」

「かもしれないけど、もう決めたの」

「分かったよ。けど、私も付き合うよ。あんただけじゃ、とても無理だからね」

「マチルダ姉さん……」

「それに、そろそろ足を洗おうかとも思ってたし。いい切っ掛けかもね」

「足を洗うの?今?なんで?そんなに汚れてるの?」

「ははっ。そういう話じゃないよ」

 

 マチルダは笑って返す。その笑顔はどこか柔らかかった。

 

 やがてワルドが戻ってきた。二人のワルドが。マチルダ達の前に来ると、抱えた少年を下ろす。そして彼は偏在を解いた。

 

「やはり連合軍の偵察隊だったよ。そしてロマリアの神官だ。だが、それだけではない。なんと、虚無の使い魔だった」

「なんだって!?」

 

 マチルダは身を乗り出すように返す。ワルドは言葉を続けた。

 

「その様子だと、ミス・ティファニアの使い魔という訳ではないようだな」

「この子はまだ使い魔を持ってないよ。必要もないしね」

「そうか。さてと、どうする?」

「決まってるさ。全て忘れてもらって、何事もなく帰ってもらう」

 

 納得顔の二人が、そんな会話をしていると、少年が目を覚ました。

 

「う……」

「ん?起きたのか」

「あんたは……確か……。ワルド子爵……」

「その通り。トリステインの裏切り者を見つけて、君は大手柄という訳だ。だが、それを持ち帰る事はできない」

「殺すと言うのかい?」

「いや、忘れてもらう」

「忘れる?」

 

 少年は眉を潜めワルドを見返す。すると別の所から女性の声が聞こえた。

 

「ティファニア。頼むよ」

「うん」

 

 ティファニアは杖を構えた。そしてルーンを口にする。だが、そのルーンを耳にした少年の目が見開く。魔法をかけられる恐怖からではない。追い求めていたものが、ここにあると知って。

 

「ま、待ってくれ!君は虚無の担い手なのか!?」

「え!?なんで、分かったんです?」

 

 魔法を中断し、驚いて聞き返すティファニア。だが、それはマチルダやワルドも同じ。何故、彼女が虚無の担い手と気づいたのか。虚無の使い魔である事が関係しているのか。しかし、そんな彼らの思案を余所に、少年は縛られたまま身を起こす。

 

「僕の名は、ジュリオ・チェザーレ。ロマリアの神官だ。そしてトリステイン・ゲルマニア連合軍に参加している」

「それは分かってる。だいたい、そのふざけた名はなんだ?もう少しマシな偽名を考えたまえ」

 

 ぶっきら棒に返すワルド。ジュリオ・チェザーレと言えば、歴史上、最も有名な人物の一人だ。それを平然と口にするとはと。しかしジュリオは、とりたてて気にしない。

 

「いつも自己紹介すると、そう言われるよ。でも本当の名前さ。僕は建前上では、アルビオン王家を滅ぼした連中の討伐に、神官として参加という事になってる。けど、本当の目的は別。虚無の担い手の確認が、僕の使命さ」

「何?」

 

 ワルドの眉間がゆがむ。ジュリオは続けた。

 

「そして見つけた、という訳だよ」

「何故わかった?」

「系統魔法にはないルーンだからね。忘れさせる魔法らしいけど、そんなもの系統魔法にはない。それに……虚無の魔法らしいルーンだ」

「フン。口では何とでも言える」

 

 風のスクウェアは杖を向けたまま、警戒を怠らない。彼が虚無の使い魔ならばなおさら、どんな力を秘めているか分からない。だがジュリオは、臆する事なく不敵に答える。

 

「なら、そこにいるお美しい御嬢さん……ミス・ティファニアが虚無の担い手と証明してみせるよ」

「何だと?」

「彼女と二人きりにしてくれないかな?」

 

 そんなジュリオの問いかけに、マチルダは鼻で笑っていた。

 

「ハッ。そんなもん許す訳ないだろ」

「なら耳元でささやくだけでいい。僕が妙なマネしたら、殺しても構わないさ」

「…………。分かったよ」

 

 マチルダは杖を抜くと、ジュリオに向ける。そしてティファニアへ、彼に近づくように言った。彼女はその長い耳を、ジュリオの口元に近づけた。マチルダとワルドは、杖を構え厳しい目で二人を見つめる。

 そしてジュリオは呟いた。虚無に纏わる詞を紡いだ。虚無の証となる詞を。それを耳にした彼女は、飛び跳ねるように驚く。

 

「そ、それです!その通りです!」

「じゃぁ、この続きを知っているかい?」

「は、はい」

「なら僕に、教えてくれないかな?お美しい御嬢さん」

「え……あ、はい……」

 

 歯の浮くようなセリフを堂々と口にするジュリオに、対して少々苦手そうな顔をするティファニア。ともかく、彼女は彼の耳元で囁いた。詞の続きを。美しい少女の甘い声が、少年の耳元に響いていた。だがジュリオの表情は、そんな甘美なものを受けたものではない。不敵さと任務達成の満足感に溢れていた。

 

「君は、まさしく虚無の担い手だよ」

「は、はぁ……」

 

 この儀式の意味が分からず、ティファニアは肩を縮めてうなずくだけ。ジュリオはマチルダ達の警戒を、まるで気にしてないかのように、二人に向かって言う。

 

「彼女が知っている詞は、虚無の担い手が系統に目覚めたときに聞くものだ」

「だったら、何故あんたが知っていたんだい?」

「僕も虚無に関わりのある者だからさ。僕は虚無の使い魔なんだよ」

 

 ワルドが言っていた通り。さらに今のティファニアとジュリオの会話。全く無関係な二人が、共通の詞を知っている。ジュリオの言う虚無の証明は、真実味を増していた。マチルダ達の表情が固くなる。

 ジュリオは相変わらずの飄々とした態度で、要求を口にした。

 

「さてと、ロープを解いてくれないかな?僕はこの事を宗教庁に伝えないといけない。そうすれば、ミス・ティファニアも宗教庁からの庇護を受けられるよ」

「ロマリアの庇護だって?」

 

 怪訝そうに返すマチルダ。

 

「今のロマリアなんて、なんの力もないじゃないか。そんなもんの庇護が、なんの役に立つんだい?」

「確かに、今のロマリアは中身のない器みたいなもんさ。でもその器の見た目は、まだまだ悪くないよ。使い方しだいさ」

「胡散臭い話だね。だいたい……」

 

 言いかけたマチルダを、制止する声が挟まれる。ワルドだった。

 

「待ってくれ」

「なんだい?」

「その前に、聞きたい事がある。先ほどの話の答えだ」

 

 彼が言っているのはジュリオを捕まえる前の話。二人の素性と、ティファニアがこれからどうするか。その問いの返答である。マチルダは息を飲むと、ティファニアの方を向いた。

 

「ティファニア。考えは変わってないかい?」

「うん」

「そうかい。なら何も言わないよ」

 

 そして女神のように美しい少女は、ワルドの方へ真っ直ぐ向いた。

 

「ワルドさん」

「はい」

「先程の話に答えたいと思います。あなたの言われる通りです。私はモード大公の娘です。マチルダ姉さんもサウスゴータ卿の娘で、私の命の恩人です。そして、そこの……ジュリオさんが言った通り、私は虚無の担い手です」

 

 それを聞き、意を得たりとワルドの目が大きく見開く。体が満足感に溢れ、震え上がる。喜びが体中を駆け巡り、弾けそうになる。

 すぐさまワルドは、落ちるように膝をつくと、頭を下げた。

 

「殿下!是非、私めの杖をお受けください!」

「ええっ!?」

 

 膝をついて杖を差し出すワルドに、ティファニア唖然。何をしているのか、さっぱり分からない。するとマチルダが言葉を添える。

 

「ティファニアの家来にしてくれ、って言ってるんだよ」

「け、家来!?そんな家来なんて、手伝ってくれるなら別に……」

「ダメだよ。ティファニア。これが、あんたが進もうとしてる道なのさ。受け取りな。一応は、使えるヤツだからね」

「……分かったわ」

 

 ティファニアはたどたどしく、ワルドの杖を受け取った。臣従の儀礼の形式をまるで無視したものだったが、アルビオン王国モード朝の最初の臣従の儀式だった。

 儀式の最中、ワルドにはまた別の驚きが渦巻いていた。

 

(なんなのだこれは!?たまたま寄った場所に、モード大公とサウスゴータ卿の遺児がいて、さらにその遺児が虚無の担い手だと?しかも虚無を証明できる神官が、このタイミングで訪れ、それがまた虚無の使い魔などと……。なんという偶然だ……。ありえない……。まさしく奇跡だ)

 

 その時ワルドの脳裏に一つの台詞が浮かぶ。兎耳を持った黒髪の少女、見かけに似合わない不敵な笑みを浮かべていた少女の台詞が。

 

 "幸運を与えに来たウサよ"

 

 という冗談のような台詞が。

 

(本当だ。あの妖魔の言ったことは本当だ。いや、妖魔にこんな真似ができるだろうか?エルフにすら不可能だ……)

 

 すると、妖魔という言葉とはまるで違うものが、浮んでくる。

 

(あの子は妖魔などではない……。そう天使……。天使だ!始祖ブリミルから遣わされた、本物の天使だ!)

 

 さらなる慶びがワルドを包む。

 

(私は始祖の加護を得たのだ!地上唯一の始祖の使徒となったのだ!始祖は望んでおられる。正義を行えと!"聖戦"をと!)

 

 頭を下げたままのワルド。その表情は歓喜に歪んでいた。

 

 

 

 

 

 さて、ワルドが思い込んでいる始祖の天使は何をしていたかというと……。鬱蒼とした竹林を、だらだらと歩いていた。そして目的地に着く。馴染んだ我が家、永遠亭に。無遠慮に上がると、そのまま躊躇なく診察室へ直行。ドアの先には、いつも通りこの部屋の主がいた。宇宙人、八意永琳が。

 

「あら、お帰りなさい。早かったわね、てゐ」

「ただいまウサよ」

 

 始祖の天使の正体は、因幡てゐ。始祖ブリミルの天使どころか、ハルケギニア自体となんの関係もない妖怪うさぎ。てゐは少々疲れ気味に、患者用の椅子に腰かける。

 

「師匠から頼まれた用件、一応終わったウサよ」

「問題は?」

「なし。今回は少し本気だしたから、下手打ってないウサよ。魔女連中にも見つかってないし」

「仕込みは?」

「もちろん」

 

 てゐはそう言いながら、小箱を診察机に置く。ワルドが飲んだ薬が入った箱だ。月の英知と兎詐欺が仕組んだ手なのだ。この薬が、ただの自白剤な訳がなかった。

 妖怪ウサギは椅子の上で胡坐をかくと、口を開く。

 

「これで聖戦とやらは、必ず起きるウサ」

「聖戦は手段に過ぎないんだけどね」

「ふ~ん……。ま、私には関係ないウサ。ご褒美、頼んだウサよ」

「はいはい」

 

 永琳はわずかに笑みを浮かべていた。相変わらずの打算的な弟子に。その弟子は、やっと解放されたとばかりに背伸びをすると、気の抜けた態度で診察室を後にしようとする。そこに止める声がかかる。

 

「そうそう、てゐ。ハルケギニアに行った感想を、聞きたいんだけど」

「そうウサねぇ。妙な感じはしたウサよ」

「一言でいうと?」

「違和感がなかった」

「違和感がない……。そう。ありがとう」

「んじゃぁ、しばらく休暇って事で」

 

 こう言っても、てゐが永遠亭で定常的な仕事をしている訳でもないのだが。妖怪うさぎは背を向けたまま、ひらひらと手を振り診察室を出て行った。弟子を見送った永琳は、作業の続きを始め出す。そして一言つぶやく。

 

「違和感がないねぇ……。一応、紫と神奈子にも話しておこうかしら」

 

 ほどなくして月人は作業を終えると、診察室を後にした。

 

 

 

 

 




 今回は、丁度いい切りどころがなくって、結構長くなってしまいました。

 原作はで、研究者が知っている虚無の使い魔のルーンは『ガンダールヴ』以外は定かでなかったんですが、本作では『リーヴスラシル』以外は、知られているとしました。

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