『始祖のオルゴール』を探しに、アルビオンに向かったパチュリー達だったが、結局収穫なしで戻ってきていた。廃村のアジトで、疲れを癒す一同。紅茶を飲みつつ、アリスが話を切り出した。
「それで、これからどうする?」
「予定通り、ガリアへ探しに行くわ」
パチュリーが、紅茶の味を楽しみながら返す。
「タバサに手を借りるって件は?あの子の母親、助けるの条件でしょ?彼女、それでいいって?」
「話はまだ持って行ってないけど、鈴仙から聞いた話だと、やっぱり母親を助けたいそうよ。十中八九、こっちの条件飲むでしょうね」
「平民になっても、かまわないって訳ね」
「そうね」
タバサが身分を捨てる覚悟をしたというのに、ここの連中は大して気にしていない様子。元々身分に興味がない上、個人主義の幻想郷の者たち。本人が選択したなら、他人が口出しすべきではないと考えていた。
魔理沙が空になったカップを弄びながら、疑問を一つ。
「助けるのはいいが、手はどうするんだよ」
「言ったじゃないの。神隠しに合わせるって」
「具体的な方法の話だぜ」
「神隠しって言ったら、決まってるでしょ?」
紫魔女は、相変わらずの落ち着き払った態度だが、口元は緩んでいる。
「八雲紫にやらせるのよ」
同時に怪訝な顔つきになる魔理沙とアリス。横に並ぶユニゾン状態。
紫がそんな頼みを聞く訳がない。だいたい、ハルケギニアに来るはずがない。そのつもりなら、とうに来ている。来る気はないのにハルケギニアが気になるから、神奈子達との会合に顔を出しているのではないか。魔理沙とアリスには、パチュリーの言った意味がよく分からなかった。
深夜に差し掛かかろうとしていたガリア王国の王宮、ヴェルサルテイル宮殿。頭を抱えている女性が一人いた。ガリアの虚無、ジョゼフ王の使い魔、シェフィールド。脳裏に浮かんでいるのは、ジョゼフとの謁見の出来事。アルビオンから逃げ帰ったすぐ後の。
シェフィールドの口から神聖アルビオン帝国崩壊の報告を聞いた時、ジョゼフの反応は薄いものだった。
「ほう……。滅んだのか。あの国は」
「誠に申し訳ありません!力及ばず、このような首尾となってしまいました。どのような罰も覚悟しております!」
「まあ良い」
「し、しかし……!」
「欲しかったものは、すでに手の内にある」
ジョゼフはそういいながら、脇に置いてある『始祖のオルゴール』の蓋を、愛おしむように撫でる。
「それに、そろそろ潰そうと思っていたしな。もうあの国は飽きた」
「……」
飽きたという主の言葉に、ただうなずくシェフィールド。
確かに、アルビオンという土地が欲しくて策を仕掛けた訳ではない。だが、数年かけた策をこうも簡単に捨ててしまうとは。もっとも、こんなジョゼフの気まぐれはいつもの事ではある。それに何よりも、今回の大失態を責めるでもないのだ。主には、感謝と謝罪、そして敬愛の気持ち以外などあるはずもない。
やがてジョゼフはオルゴールから手を離すと、シェフィールドの方を向く。
「それにしても、ミューズ」
ジョゼフだけが呼ぶシェフィールドの名、ミューズ。それを口にしながら、興味ありげに彼女を見ていた。今までの気の抜けた声色も、張りのあるものに変わっていた。
「どうやってトリステイン、ゲルマニアごときに、落とされたのだ?お前にしては、らしくない」
「申し訳ありません……。実は『アンドバリの指輪』を盗まれてしまったのです……。さらにそれをアルビオン中に知らされてしまい、結果、クロムウェルが逃げ出しました。その後は報告した通りです……」
「ハッ!なるほど、なるほど。確かにあの指輪を奪われては、全て台無しだ。よく気づいたな。目の付け所がいい。連中も中々やるではないか」
笑いを浮かべながら、彼女の言い分を楽しんでいるように見える。あたかも、二転三転するスポーツ試合を見て喜んでいる観戦者。文字通り他人事の態度。
「しかしミューズの目を盗んで、指輪を盗むとなるとかなりの手練れだな。なんだ、例のトリステインの虚無か?」
「関係はしているでしょうが、おそらく主犯は虚無ではないかと」
「ほう……。それほどのメイジがいたのか。大したヤツだな」
「いえ、メイジではありません」
「ではなんだ?平民なのか!?いや、妖魔という線もあるな。何にしても、なかなか興味深い」
ガリア王は大げさに喜びながら、膝を叩く。対してシェフィールドは、重い表情のまま。
「陛下。メイジでも、平民でも、妖魔でも、精霊でも、ありません」
「ではなんだ?残るは、始祖くらいしかいないではないか。まさかブリミルが現れた、などと言うのか?」
「いえ……そうではなく……」
「なんだ、もったいぶらずに話せ」
「はい。では……主犯と考えているのは……、ヨーカイです」
「ヨーカイ?なんだそれは?」
「陛下。今からする話をお聞きになった後、私の正気を疑うかもしれません。ですが、まぎれもなく私の身に起こった出来事です」
「ふむ。面白そうだな。よし、話せ」
「はい……」
それからシェフィールドは、ヨーカイとの最初の遭遇について話だす。レミリア達との戦いに始まり、そして幻想郷へ飛んだ事、さらに紅魔館での体験、そしてハルケギニアに戻ってくるまで。知っている全てを話した。
ジョゼフは最初、茶化しながら楽しそうに聞いていたが、やがて神妙な顔つきとなる。話が終わった頃には、黙り込んでいた。シェフィールドは、静かに告げる。
「全て、事実です」
「……そうか」
青い髭に手をやると、ジョゼフは黙り込んで考え込む。しばらくして口の端を吊り上げた。
「楽しい、楽しい話だ。余は、その異界の者どもを手に入れたくなった」
「え!?ヨーカイをですか?」
「そうだ」
「し、しかし……」
「例のトリステインの虚無とも関係しているというのだろ?なら、一石二鳥ではないか」
「は、はい……。確かに……」
シェフィールドは仕方なさそうに頭を下げる。王の、虚無の主からの命である。断れる訳もない。もっとも、以前から虚無に関しては、担い手を探し出すよう命令が出ていた。当然、トリステインの虚無、ルイズにも手を出さねばならない。ヨーカイ達と再び会いまみえるのは、必然とも言えた。彼女にとっては、避けようのない宿命だった。
ヴェルサルテイル宮殿は静まり返り、灯りもほとんど消えた。彼女の執務室を除いて。その中でシェフィールドは相変わらず、考え込んでいた。腕を組んで。
幻想郷ではチルノなどの妖精、風見幽香や八雲紫と言った大妖と対峙し、他にも直に会ったヨーカイもそれなりにいた。さらに美鈴から、幻想郷の人外の説明も受けている。正直な話、手持ちのカードであの連中をなんとかできる自信がない。さらに以前、レミリア達に捕まった時、彼女達はシェフィールドから情報を聞き出そうとしていた。彼女達も、自分を求めているのだ。下手をすれば、ミイラ取りがミイラになりかねない。
「チッ……。こうもヨーカイに関わるようになるなんて……。呪いにでもかかっているのかしら?」
愚痴を零しながら、何か手はないかと資料を広げ思案に暮れる。
こん。
その時、窓に何か当たった音がした。小石が投げられたような……。
つい振り向くシェフィールド。
「!?」
何かがいた。
……ような気がした。だが何もいない。外は庭園と星空が広がるだけ。窓を開け、周囲を見渡すが人影はなし。聞こえるのはフクロウの鳴き声くらい。首を捻りながら部屋へと戻る。気負いすぎて、過敏になっているのかもしれない。気持ちを落ち着けるように、大きく一呼吸入れ、席に座る。
すると視界に奇妙なものが入ってきた。一筋の線が。線が宙に浮いていた。
「な!?」
その一筋の線はやがて広がり穴となった。その穴の向こうには、暗がりが広がっていた。無数の目に溢れた世界が。
「こ、これは……!」
シェフィールドは飛び跳ねるように立ち上がると、その穴の向こうに見入る。彼女はこれと同じものを一度見たことがある。かの幻想郷で。
するとその穴から、何かが出てきた。降りてきた。それは女性だった。美しい金髪をナイトキャップで覆い、白いドレスに奇妙な図形の描かれたエプロンらしきものをしている。シェフィールドは息を飲むと、その者の名を口にする。
「ヤ、ヤ、ヤクモユカリ……」
「あら、憶えていてくれたの。お久しぶりね」
八雲紫。
幻想郷で、シェフィールドが会ったヨーカイの中でも、最も得体のしれない存在。
「な……何しに来た」
「断りを入れておきたくて」
「断り?」
「ええ。オルレアン公の奥方、あなた達が預かってるんでしょ?シェフィールドさん」
「そ……そうだが……。何をするつもりだ!?」
声を絞り出すように、答えるシェフィールド。知らぬうちに、冷や汗が肌から湧き出ている。手を強く握りしめている。一方の紫は、優雅な佇まいのまま言葉を連ねた。
「だから断っとこうと思ってね。彼女、いただいていくわ。幻想郷に」
「何!?何のためにだ!?」
「サンプルよ」
「サンプル……だと!?」
「ええ。それじゃぁ、伝えたわ。シェフィールドさん」
「ま、待て……!……ん?」
思わず手を伸ばすシェフィールド。だが、この緊張感の中。妙な違和感がシェフィールドを襲う。ふと、思いついたままつぶやいた。
「シェフィールド……”さん”?」
「……!」
突然、顔色の変わる紫。さっきまであった優雅さは、どこへやら。すると突然、ごまかすように急に威嚇しだす大妖。やけに大げさに。
「そ、そんなに気になるなら、あなたもいっしょにつれて行こうかしらね!」
「……!」
反射的に後ずさるシェフィールド。脳裏に思い出される、あの訳の分からない世界。顔には狼狽が滲み出ていた。そんな彼女を前に、わずかに笑みを湛え、ゆっくり瞼を閉じる紫。もっとも余裕の態度というよりは、安心したかのようだが。
「遠慮するみたいね。まあ、いいわ。それでは、オルレアンの奥さまはいただいていきます。御機嫌よう」
「き、貴様……!」
だが紫はその言葉を最後に、吸い込まれるよう宙に空いた穴へと入っていく。目玉に溢れた世界に。そして、全て吸い込まれると、穴は閉じていく。やがては、全て痕跡もなく消え去った。
静寂に包まれた深夜に戻った執務室。その中で呆然としているシェフィールド。不意に我に返ると、歯を強く噛みしめ歪んだ形相を浮かべる。
「おのれ……おのれ!」
高ぶった感情のままテーブルに拳を叩きつけると、大股でドアへ向かい、廊下に出る。それから、脇目も振り返らず足を急がせた。
さて、誰もいなくなったはずのシェフィールドの執務室。そこに人影が一つあった。シェフィールドでも八雲紫でもない。今までいなかった人物が。その人物は、胸をなでおろしながら、大きく息を吐いた。一仕事終わったとばかりに。
シェフィールドが八雲紫と対峙した時間と同じ頃。ラグドリアン湖畔、オルレアン家宅、タバサの実家。この家を取り仕切っている執事ペルスランは、すでに眠りについていた。
しかし……。
「……ん?」
ふと、爆発音らしき音に目を覚ます。薄らと目を開け、ぼやけた頭で聞き耳を立てた。
「気のせい……」
首を傾げそうになった彼の耳に、再び爆発音が届く。さすがに飛び起きるペルスラン。
「な、何事!?」
布団を跳ね除け、すぐさまガウンを羽織る。火をつけたろうそく立を手にし、廊下へと出て行った。
静まった深夜の廊下で、耳を澄ます老紳士。すると、何やらかすかな物音がする。しかもそれは、この屋敷で最も尊い人物の部屋の方。
「奥様!」
思わず貴人の呼称を口にするペルスラン。その部屋とはタバサの母親、オルレアン公夫人の部屋だった。ガリア王により毒を飲まされ、狂人と化してしまった彼女の。その貴婦人を守るのは、この執事の最も重要な役目だった。
部屋に飛び込む老紳士。すぐにオルレアン公夫人を探す。視線を向けたベッドには、夫人の姿はない。しかし、すぐに夫人を見つける。窓の側にいた。床に倒れていた。傍らに立つ女性の足元で。
得体のしれない女性が、そこに佇んでいた。
彼女は笑みを湛え、わずかに頭を下げる。
「はじめまして。私、ヤクモユカリと申します」
「……!?」
戸惑うペルスラン。一瞬、賊かと思ったが、それにしては堂々としている。むしろ違和感ばかりが湧いてくる。
ヤクモユカリと名乗る女性は、奇妙な姿をしていた。金髪をまとめたナイトキャップをかぶり、白いドレスに、奇妙な図形が描かれたエプロン。少なくとも彼は、こんな服装を見た事がない。ペルスランはその異様な外観に、眉間を険しく寄せる。
「な、何者ですか!?」
「さっき言ったでしょ?ヤクモユカリよ」
「ヤクモユ……何?」
「しっかり覚えてよ。ヤクモユカリよ。いい?ヤ・ク・モ・ユ・カ・リ」
何故か名前を覚えてもらいたいかのように、念を押すヤクモユカリ。だがペルスランにとっては、名前などはどうでもいい事。彼が守るべき女性に、目を移す。どうやら眠っているようで、危害を加えられた様子は見えない。わずかに胸を撫で下ろす執事。しかしすぐに、表情を厳しくする。
「奥様を、どうするつもりです!?」
「預かりに来ましたの。この方に興味があって」
「預かる……。誘拐すると?そのような真似、許しません!」
ペルスランはその老体の身など忘れたように、この得体のしれない女性に飛びかかった。しかしヤクモユカリはわずかに笑みを浮かべると、右手に持った扇子を軽く振る。するとペルスランの目の前から、ヤクモユカリが消えた。
「え!?」
何が起こったか分からない。なぜヤクモユカリが消えたのか。いや、消えたのではなかった。すぐに老紳士は理解する。消えたのは自分の方だ。なぜなら彼が今見えているものは、リビングだったからだ。いつの間にか、リビングに来ていた。
「いったい……?これは……?」
一瞬で、オルレアン公夫人の寝室からリビングに移動させられた。そう考えるしかなかった。
だが、まだこれで終わりではない。次の瞬間には、リビングが消えた。そして再び、ヤクモユカリが現れる。そう再び寝室に戻っていた。またもや一瞬で。
「!?!?!?!?」
ペルスランには言葉がない。胸に湧く感情を、どう表現していいのか分からない。
「分かったでしょ。無駄な抵抗は、おやめなさい」
「……」
理解不能な状況。理解不能な相手。しかしそれでも、老紳士の忠誠と敬愛、そして執事の誇りが揺らぐことはなかった。
「あなたが何者か存じません。しかし何者だろうと、奥様を渡すわけには参りません!」
しわがれた体から、全ての力を絞りだすペルスラン。得体のしれない相手に突進する。しかしその時、ヤクモユカリの前に黒いものが現れた。それは突然光り、真っ直ぐ彼に向かってくる。光弾が直進してくる。
そして直撃。
「うっ!」
ペルスランの腰にヒット。老紳士は、弾き飛ばされ倒れこむ。腰に走る痛みに、顔を顰める。激痛というほどではないが、この老体には大きなダメージだ。
だが、これで諦める訳にはいかない。歯を食いしばり、再び立ち上がろうとする。すると、慌てた声が飛び込んできた。ヤクモユカリの。
「だ、大丈夫!?怪我してない!?」
「あ、いえ……。お構いなく。怪我などしておりません」
「よかったぁ……」
「老骨ながらも、まだまだ体に自信は……え?」
ついいつもの調子で、返事してしまう執事。しかし、ハタと我に返る。何故、ヤクモユカリが、自分の怪我を心配してくれているのかと。そして見上げた先の女性から、さっきまであった異質感が吹き飛んでいた。露骨に動揺したように見える。二人の間に、奇妙というか滑稽というか、なんともいえない空気が漂っていた。
「……?」
「……あ」
だがすぐに、何かを思い出したのか、元に戻る女性。声を上げて笑いだしていた。
「オ……オーホホホホホッ!こ、これで分かったかしら。余計な真似をすると痛い目に合うわよ!」
「……。そ……それでも私は、お嬢様からこの家を預かっている身。下がる訳にはまいりません!」
再び、なんとか立ち上がる老執事。腰の痛みに耐えつつ。それはドラゴンに立ち向かう勇者の様。一方、ヤクモユカリの方は少しばかり焦りが浮かんでいた。ポツリと小声でこぼす。愚痴をもらすように。
「……参ったわ。このお爺さん、根性ありすぎでしょ。ここまでしつこいなんて。もう、ここまでかしら」
一つ息をのみ、彼女は手を後ろに回す。すると、彼女の後ろのドアが突然開いた。誰も触れていないのに。
「そろそろお暇するわ」
余裕の笑みで、わずかに会釈するヤクモユカリ。奇妙な状況に、足が止まるペルスラン。
しかし……そこから何も起こらない。ヤクモユカリは余裕のある表情は崩さないが、何故か冷や汗を浮かべだす。またまた小声で愚痴。
「ちょっとぉ、何やってんのよぉ……」
目の前の女性が何やら口にしているが、そんなものは老執事の耳には入らない。彼が考えるべきものはただ一つ。夫人を救うだけである。やがて前に進む事を決意するペルスラン。
だがその時、異様なものが現れる。ヤクモユカリの背後に。無数の眼を浮かべた、暗い紫紺のものが。それが彼女を包むように広がっていく。
老紳士の勇気を込めたその身は、石化を食らったかのように動かない。
「な……!?」
またも得体のしれない状況。ヤクモユカリの方はというと、すっかり最初の頃の態度に戻っていた。
「それでは、御機嫌よう」
「お、お待ちなさい!」
しかし老紳士の声は届かず。一瞬で、ヤクモユカリ、そしてオルレアン公夫人は消え去った。さらに彼女の背後にあった、奇妙な紫紺のものも消え失せる。
気づくと、全ては元に戻っていた。夜の静寂に包まれた屋敷へと。夫人がいない点を除けば。
「な……なんという……」
力なく、膝を落とすペルスラン。
「お、お嬢様に……、お嬢様に急ぎお知らせせねば!」
力の抜けた身を奮起し立ち上がると、すぐに部屋に戻る。この事実を伝えねばならないと。トリステインにいる彼の主、タバサこと、シャルロット・エレーヌ・オルレアンに。
早速、遠出の準備をし始める。だが、はたと手を止めた。
「……いや、無理か……」
ここにある馬は年老いており、遠出できるほどの体力がない。もちろん日々の生活には、それで十分なのだが。そもそもペルスランの歳では、昼夜問わず旅など無理だ。だが、泊まりながらでは時間がかかりすぎる。誰かに頼むかも考えたが、他に男の使用人はいないこの家。若い者に頼むという訳にもいかない。近所の者たちも、ほとんどが農民。馬も農作業用のものしか持っていない。もちろんドラゴンなどあるはずもない。
「朝一で、手紙を頼むしかないか……」
老紳士は肩を落とす。しかしすぐに気持ちを切り替えると、そんな暇はないとばかりにすぐに机に向かった。そしてペンを走らせる。
手紙を書き終えたが、一睡もできず夜明けを待つペルスラン。ようやく日が昇ろうとした時、激しい音が廊下から聞こえた。扉に拳を打ち付けるような音が。
「ん!?何事?」
慌てて廊下へ出る執事。耳を澄ますと、叫んでいる声が聞こえてきた。
「すぐにここを開けろ!」
女性の声だが、さっきの得体のしれない者ではないようだ。すぐにペルスランは玄関へと向かう。
「どなたでしょうか?」
「ガリア王家直属の使者だ!」
「なんと!?左様ですか」
「いいから開けろ!」
怒声を浴びせる女性。慌てて、執事はドアを開ける。その先には、疲れ切ったような黒髪ロングの女性がいた。どこか慌てた様子で、尋ねてくる。
「オルレアン夫人はいるか!?」
「夫人!お、奥様は……奥様は何者かにさらわれました!」
「遅かったか……!賊はどんなヤツだ!?」
「”ヤクモユカリ”と名乗る、得体のしれない女性です!」
「!!」
女性の名を聞いた途端、使者は激しい歯ぎしりとともに、強く拳を握りしめる。怒りの向けどころに困っているように。
それからシェフィールドと名乗る使者は、ペルスランから詳しい話を聞く。話を聞けば聞くほど、絶望感に表情を曇らせる彼女。無理もない。彼の言う人物のしでかした事は、シェフィールドの記憶にあるヤクモユカリそのものなのだから。彼女は竜騎士を乗り継ぎ、夜間、4時間以上も飛んでここに来た。その結果がこれ。全ての疲れが倍になったほどの無力感が、シェフィールドを襲う。
一通り聞き終えたシェフィールドは、リビングで肩を落とし無言のまま。老執事は、おごそかに礼をすると告げた。
「それでは夜が明け次第、この件をお嬢様に知らせたいと思います」
そう言ってリビングを出て行こうとしたペルスラン。すると何かを思いついたのか、シェフィールドが彼を呼び止める。さっきの疲れ切った顔つきも、生気を取り戻していた。
「その必要はないわ」
「しかし……」
「私が伝令を出します。その方が早いですから」
「お願いできるのですか?」
「ええ」
「それは願ってもない事。よろしくお願いいたします」
ペルスランは深々と礼をする。
オルレアン家に仕える執事としては、ガリア王家にあまりいい印象は持っていない。しかしこんな人物もいるのだと、多少考えをあらためる。
一方の、シェフィールド。もちろん親切心から伝令を言い出した訳ではない。策を一つ思いついたからだ。全ての懸念を解決できるかもしれない、画期的な策を。その前に、確認しなければならないものがある。タバサとヨーカイの関係だ。
実は、ジョゼフからヨーカイを手に入れろと命令を受けた時から、ルイズについて多少調べていた。するとまず出てきたのは、ルイズ周辺に何人かの怪しげな人物が存在するという報告。そしてタバサが、ルイズと親交があるというものだった。これはタバサが、ヨーカイを知っている可能性を示唆していた。だがそうではない可能性もある。トリステイン魔法学院では、ルイズ周辺の人物はロバ・アル・カリイエ出身という話になっているからだ。
それを確かめるために、伝令を受けたのだった。もしタバサが来なければ母親誘拐について知っていた事となり、ヨーカイとの繋がりがある。ヤクモユカリはタバサの依頼で動いたとなる。来れば誘拐は知らないとなり、ヨーカイとの繋がりはない。誘拐はヤクモユカリの独断となる。
やがて空が白みだす。その空へ、シェフィールドに同行した竜騎士が飛び立つ。母親誘拐をタバサに知らせるため、トリステイン魔法学院へと向かった。
それからどれほどの時間がたっただろうか。昼に差し掛かろうとする時間。ドアが激しく開いた音がした。ほどなくして少女の問い詰める声と老執事の返答が、リビングに届く。仮眠をとっていたシェフィールドは、ゆっくりと起きた。
「来たか……。ヨーカイと繋がってると思ったけど……違うのかしら?」
やがて、リビングのドアが勢いよく開く。中に入ってきたのはペルスランを伴ったタバサ。いきなり不躾に尋ねてくる。
「母さまはどこ!?」
「…………」
シェフィールドは、見定めるようにタバサを凝視。彼女の目に映る姿は、まさしく必死。ほとんどタバサとは面識がないが、人柄は伝え聞いている。無口な人形のようだと。実はガーゴイル、などという噂すら立つほどに。だが今ここにいる少女の姿は、そんな話は全て嘘と思えるほど切実なものだった。動揺で我を忘れているのを、肌で感じる。
虚無の使い魔は、諭すように言った。
「私たちの仕業じゃないわ。賊に攫われたのよ」
「信じられない!」
「フッ……。散々あなたをいいように使った私たちを、信じろというのは無理でしょうね。別にかまわないわ。でも信じなければ、母親は帰ってこない」
「……。どういう意味?」
「フフフ……」
ガリアの陰謀を担った謀略の主が、笑みを浮かべる。
「ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール」
「ルイズが何?」
「彼女を連れ出しなさい。本人一人だけで」
「何故?」
「言ったでしょ。母親を取り戻すためよ」
「意味が分からない」
「別に分からなくってもいいわ。母親を取り戻したくないなら、断りなさい。ただ成功の暁には、報酬を出すわ。そうね、母親を治す薬を差し上げましょう」
「え……!?」
「さあ、選びなさい」
「…………。分かった……」
「いい子ね」
満足げにほほ笑むシェフィールド。
これが彼女の策。シェフィールドは気づいたのだった。ヨーカイ全てを相手にする必要はないと。結局、ハルケギニアとヨーカイたちを繋いでいるのはルイズなのだ。ルイズ一人を抑えればいい話。そしてルイズは、虚無の担い手でもある。まさしく一石二鳥だった。
その後、細かい指示は追ってするという話となった。全てが終わり、用は済んだとばかりに立ち去ろうとするタバサ。よほどこの女と居たくないかのような態度。するとシェフィールドは、思い出したかのように声をかける。
「そうそう。一つ心に止めてもらいたいものがあるわ」
「……何?」
「”ヨーカイ”、”ヤクモユカリ”という言葉を聞いたら報告なさい」
「……」
「意味は分からないでしょうけど、理解する必要はないわ。じゃぁ、精々頑張りなさい。母親を取り戻すためにね」
「…………」
タバサはいつもの抑揚のない表情になると、余裕の態度を見せるシェフィールドに背を向け、この場を立ち去る。屋敷を出ると、すぐさまシルフィードに飛び乗り飛び立った。晴れた空を北へと向かうタバサ。ラグドリアン湖から大分離れた頃、タバサは使い魔に語り掛ける。
「シルフィード、前に行った廃村に向かって」
「きゅい?学校に帰るんじゃないの?」
「学院には行かない」
「でも、廃村って?」
「キュルケ達と宝探しした村」
「え……あそこ!?行きたくない。ヨーカイがたくさんいるの。いやなの」
「だから、行く」
「何故なの?」
「きっと……母さまがいる」
「??」
シルフィードには訳が分からない。確かタバサの母親は攫われたと聞いていたのだが……。しかし主の命令。ぶつくさ言いながら、幻想郷組のアジトのある廃村へと向かう。一方のタバサ。珍しく笑いを零し、頬を緩めていた。