「どうしたのよこれ」
「ああ、お前のドレスだぜ。ルイズがプレゼントしてくれた」
「何で?」
魔理沙の答えに、アリスは眉をひそめるだけ。
彼女が幻想郷から帰って部屋に戻ると、いきなり目についたのが壁に掛けられていたドレス。まるで覚えがない。尋ねて回ると、さっそく白黒が回答してくれた。相変わらず、前後関係を説明せずにだが。
人形遣いは埒が明かないとばかりに、いっしょに来た鈴仙に聞く。
「実は今日、『フリッグの舞踏会』があるの。それでみんなで参加しようって話になってね。ドレスを作ったの。アリスはいつ戻るか分かんなかったから、念のため用意したのよ」
「『フリッグの舞踏会』?」
「学年最初の行事なんだって。参加する以上は、一応ダンスもする事になってるの。けど、踊れなくっても大丈夫なんだって。相手がなんとかしてくれる、ってキュルケが言ってたわ」
鈴仙の説明に、魔理沙が続く。
「てな訳だ。お前も参加しろよ。拒否権はなしだ」
「ええ……」
白黒魔法使いは、文句を封じ込めるつもりで、強気の宣言。しかし、いきなりのイベント参加だと言うのに、どういう訳か人形遣いは生返事。もっとも、説得する手間がかからず済んだのは悪くはない。
鈴仙も魔理沙も、彼女の態度をあまり気にせず、用は終わったと部屋を出て行こうとする。するとアリスから声がかかった。真剣味を帯びた声が。
「魔理沙」
「なんだよ」
「今日が『フリッグの舞踏会』なの?」
「さっき言っただろ」
「つまり、もう新学期は始まってるのよね。私、幻想郷で二泊しかしてないわよ」
「おいおい、ちょっと待てよ。お前が帰ったのって、二週間くらい前だろ」
「こっちだと、そうみたいね」
「また時間のズレか……」
「ええ。そしてこっちの方が早いのも相変わらず」
「……」
さっきまでの浮かれた様子は消え失せ、魔女達の顔つきは重くなる。さらにアリスは続けた。
「後、向こうでいろいろと分かったわ。それと思いついた事があるの。今まで見落としてた事をね」
「なんだよ?」
「後で話すわ。今日は祭なんでしょ?終わってからの方がいいわ。じっくりやりたいし」
「分かったぜ。ま、祭の最中に、余計なもん気にするのもやだしな。興ざめだぜ」
気分を取り直すと二人は部屋を出て行った。
戦勝祝いのセレモニーが始まる。アルヴィーズの食堂に、全生徒と教師達が集まっていた。まずは王宮から遣わされた女王の名代の祝辞に始まり、オールド・オスマン、学院関係者の話が続く。そして彼らの次には、ミス・マンティコアが壇上に立った。ここで空気が一気に引き締まる。各人に懐かしくも、つらい記憶が蘇っていた。しかし、それは教師たちと二年、三年生だけ。新入生の一年生たちは、この異様な空気に戸惑うばかり。
こんな新入生の中で、一人だけ揺るがぬ少女がいた。というより、周りが見えていなかった。重要事項で頭が一杯で。その少女とはベアトリス。
今日の舞踏会では、ティファニアがエルフかどうかを決めるイベントがある。だがキュルケの策略により、賛否を示せるのは男子生徒だけにされてしまった。これでは、日頃彼女を囲んでいる取り巻き少女達は役に立たない。しかも相手は、破壊力抜群のボディ装備な上、ヴァリエール家やツェルプストー家まで味方に付けている。圧倒的に不利な状況。だがこの程度の苦境で、公国姫の高い鼻は折れなかった。何故なら、彼女には秘策があった。この劣勢を覆す策が。
「フン。田舎貴族の分際で……。クルデンホルフ家の力、見せてあげるわ。公国に負けはないのよ!」
ぶつぶつと独り言をこぼしながら、勝利を確信した笑みを浮かべるベアトリス。
もうティファニアがエルフかどうかより、ベアトリスの中では自分の言い分が通るかどうか、勝つか負けるかにすり替わっていた。
ともかく、やがて戦勝祝いとして、豪華な昼食会が始まるのだった。
昼食会も終わり、学生達は各々の時間を過ごしている。祝典という事で楽団も招き寄せられ、演奏を披露していた。その他イベントも行われている。もはや学院は、どこかの世界の文化祭のような様相。
そんな中、ルイズ、キュルケ、タバサは賑わいとは別の所にいた。学生寮だ。人けのない廊下を進むと、見慣れた幻想郷組の部屋にたどり着く。そして扉を開けた。奥から顔を覗かせたのは、玉兎。
「あ、来た来た。こっちこっち」
嬉しそうに手招きする鈴仙。それを合図に、ルイズとキュルケは、一番後ろにいた少女を、前へと送り出す。
「ほら、タバサ」
「……うん」
珍しく緊張した面持ちのタバサ。勧められるまま部屋の奥へと進んだ。やがて見えたのは、青い髪をした女性だった。女性は柔らかな笑みを浮かべ、タバサの方を向く。
「シャルロット。来ましたよ」
「母さま……」
「さ、こっちに来て、よく顔を見せて」
「……」
気恥ずかしそうに固まっているタバサ。そんな彼女をキュルケが後押し。
「あたしたちは、もう出るわ」
「キュルケ……ありがとう……」
「ふふ……。思いっきり、母さまに甘えなさいよ」
さらに顔を赤くするタバサを、キュルケは嬉しそうに見ていた。
「ミセス・オルレアン。私たちは、ここで失礼いたします」
「今回のお気遣い、大変感謝しております」
「いえいえ、大したことはしておりませんわ」
いつも尊大なキュルケにしては、丁寧に礼を返していた。同じくルイズも礼をした。ただ注意事項を一つ。
「ミセス、この部屋は外から見えませんから、ご安心を。ただ部屋を出るのはご遠慮ください。その……見つかると、いろいろと困った事になりますので」
「分かっています」
「では、失礼します」
やがてタバサを残し、部屋を出て行く一同。虐げられていた母娘の微笑ましい光景を目にして、自然と顔が緩んでいた。それにルイズはほだされたのか、やけに気合いを入れている。
「さてと。ミセス・オルレアンの分の万能薬持って来ないと」
「そうだ。タバサのお母さん、何に化けるの?」
鈴仙が尋ねてきた。そこにキュルケがアイデアを一つ。
「男子生徒ってどうかしら?男の正体が、実は女性なんて意外でしょ?生徒なら居ても不思議じゃないし」
「モデルはどうするの?」
「モデル?」
「たぶんあの薬、知らない人には化けられないと思うわよ」
「そこは夫人に任せとけばいいんじゃない?さすがに学院の生徒は困るけど」
学院の生徒に化けては、同じ人物が二人いる事になる。ただそれを避けようとすると、在校生以外になるしかない。それはそれで、不信に思われる可能性があった。もっとも化けられる時間は半時。見慣れない生徒がいても、短時間ならごまかせるだろうとも考えていたが。
そうこうしている内に、ルイズの部屋へと着く。キュルケは途中で別れ、催し物を見に行っていた。ルイズと鈴仙は部屋へと入る。二人は奥へと進んだ。
「鈴仙。オルレアン公夫人に、あなたが使い方説明しておいて。あなたの方が専門家だし」
「分かった」
「さてと……」
ルイズは鍵を取り出す。万能薬が入った引き出しの鍵だ。そして鍵穴に差し込んだ。
「ん?」
違和感がよぎる。何故なら、鍵がかかっていなかったのだ。ルイズは引き出しを勢いよく開けた。目に入ったのは、広がる空間。空っぽの引き出し。大きく目を開いて、一時停止するルイズ。
「な、ない!」
怒鳴るように、声を上げていた。何事かと、鈴仙がルイズの肩越しから覗きこむ。
「ないって何が?」
「万能薬よ!」
引き出しをあさりながら、答えるルイズ。確かに万能薬を入れたビンが、影も形もない。すぐさま鈴仙は、能力を発動。部屋中をその異能の目で、見回し始めた。
「この部屋には……ないみたい」
「え!?ホント?」
「うん。よっぽど奥の方に仕舞われたら、分からないけど。今の所は、見当たらないわ」
鈴仙は様々な波長を見る事ができる。高性能サーモグラフィのように、棚の中にあるものすら探し出せた。そして例の万能薬の波長は、彼女もよく知っている。
玉兎の回答に、血の気が引くルイズ。今手元にある万能薬は、二個だけ。これでは自分と夫人の、それぞれ一個ずつ分しかない。そもそもあの薬は、特殊な効果のあるものだ。使い方次第では、大ごとになりかねない。
「……誰かが盗ってった?」
まず思いついたのは、盗人の異名を持つ魔理沙。彼女ならやりかねない。そして後から、悪気なさそうに謝って来る。あの白黒魔法使いに、ピッタリ収まりそうな行動パターンだ。
さっそくルイズと鈴仙は、魔理沙を探しに向かうのだった。
いよいよ『フリッグの舞踏会』が始まる。ホールには、着飾った生徒達と教師達がいた。メイド達は、高級ワインの注がれたグラスを配って回っていた。豪華な食事も各テーブルに並べられている。そのテーブルの周りでは、各々が歓談を交わしていた。
さらに今日は、特別な参加者がいた。幻想郷の人妖達だ。皆、ドレスで着飾っている。あの魔理沙や天子でさえ。人目に無頓着な所がある彼女達だが、今日は文字通り見違えるほど一変。否応なしに注目されていた。
やがてオールド・オスマンの舞踏会開催の挨拶が始まった。続いて、文が幻想郷組を代表して挨拶。達者な口は会場を盛り上げる。ちなみに、今、タバサと鈴仙はいない。オルレアン公夫人を呼びに、部屋へと戻っていった。万能薬を手にして。
さて、各人はしっかり準備をし、参加していたが、ここにも入念な準備をした少女がいる。ルイズだ。この日のために、秘薬で少々胸元をボリュームアップ、新調したドレスも用意した。恋の切っ掛けになればと。
だが、それらは今、頭の中から吹っ飛んでいる。万能薬がなくなったという、重大案件のせいで。
あの後、魔理沙達に聞いて回ったが、万能薬の行方を知っている者はいなかった。嘘をついた可能性もなくはないが、てゐならともかく、今いる人妖達はそこまで悪い性格ではない。むしろ、悪事を開き直るような連中だ。しかしそうなると、どこにあるか見当もつかない。万能薬について知っているのは、ルイズ周辺だけなのだから。
アリスが話しかけてくる。
「私たち以外じゃ、仮に盗んだとしても使えないわよ。あれが万能薬って知ってんの、私たちだけなんだから」
「そうじゃないかも、しれないじゃないの」
「だいたい本当に盗まれたの?失くしただけじゃないの?」
「あの引き出し、鍵がかけてあったのよ。それが開いてたんだもん。盗んだんじゃなかったら、開いてる訳ないわ」
「最後に見たのいつ?」
「今日の朝よ。母さまが来たとき」
「その後、ちゃんと仕舞った?」
「うん。あの引き出しに……あれ?」
ルイズの脳裏に、カリーヌが来たときの光景が蘇る。そして気づいた。母親と言葉を交わした後、そのまま彼女について学院長室へ向かった事を。机の上に、万能薬の入った瓶を置いたままにしてしまった事に。
「あ~!」
思わず声を上げてしまうルイズ。一斉に、注目がされるが、まるで気づかない。青い顔をして項垂れる。
「仕舞ってない……」
「え?それじゃ、どうしたのよ?」
「机に置きっぱなしにしてた……」
机に置いたままの万能薬を、誰かが持って行った可能性が出てきた。理由はともかく。
ルイズは茫然としたまま顔を上げる。ふと一人のメイドが目に入った。シエスタだ。ワイングラスを生徒達に配っている。
突然、閃いたちびっ子ピンクブロンド。シエスタは、ルイズの部屋の掃除を担当していたのだ。ダッシュで彼女に駆け寄ると、壁際に引っ張っていく。
「な、なんですか!?ミス・ヴァリエール。今、仕事中なんですけど」
「あなた、私の部屋掃除した時、このくらいの小瓶見なかった?黒い小さな玉が、いくつも入ったの」
ルイズは両手で、瓶のサイズを教える。すぐさま、シエスタはうなずいていた。他愛のない失敗をしたという表情で。
「あ、ご覧になりました?あれ、私の忘れ物です。実は、ミス・ヴァリエールの部屋に、胡椒の瓶を忘れてしまいまして。取りに戻った時、ミス・ヴァリエールはいらっしゃらなかったので、無断で持って行ったようになってしまいましたが。申し訳ありません」
「持って行った……」
インディゴブルーの顔色のルイズ。シエスタの両肩を鷲掴みすると、必死の問いかけ。
「それ、どうしたの!」
「マルトーさんに渡しましたよ。料理に使うんで」
「りょ、料理……」
ゆっくりと会場の方へ顔を向けるちびっ子ピンクブロンド。目に映るは、テーブルに並べられた料理の数々。しかも、皆、もう手をつけていた。
「ど、ど、どれ!?」
「え?それはマルトーさんに聞いてみないと……」
「聞いて来て!」
「ええ!?でも、私、これからワインを……」
「大切な事なの!」
「は、はい」
訳も分からず首をひねりながら、シエスタは厨房の方へ向かった。
一方、ルイズは頭をフル回転。食べるのを止めさせるか。だがもう食べた者がいる。いまさらだ。だいたい理由はどうするのか。毒が入っているとでも言うのか。しかしそれでは、パニックになる。そもそも、どうやって納得させるのか。いい知恵が浮かばない。
すると衣玖が口を開いた。いつものように淡々と。
「そんな気に、するものでもないと思いますよ」
「何で!?」
「だいたい量が多くありません。料理に混ざったとしても、それぞれの量はわずかでしょう。その程度では、効果自体が出ないのでは?」
「それでも……宇宙人の薬なのよ!何かの拍子で、効果が出ちゃうかもしれないじゃないの!化けちゃったりとか」
「そうだとしても、効果があるのは精々舞踏会の最中のみ。そう大きな騒ぎには、ならないでしょう」
「け、けど……」
ルイズの不安を他所に、パチュリーやこあもノープロブレムを口にする。不安は残るものの、少しばかり落ち着くルイズ。
しかし、その脇にいた使い魔は、何やら不穏で楽しそうな笑みを浮かべていた。
舞踏会開催の挨拶の後、オスマンはこの場をコルベールに任せて引っ込んだ。二つの祝典が重なって、少々応えていたので。いつもは歳を感じさせない彼だが、今回ばかりはそうはいかなかった。
壇上では文がそのまま残っていた。さらにそこに魔理沙が加わる。珍しく着飾った彼女に、どよめきが漏れてきた。ガサツな性格と知れ渡っている彼女が、どこかの貴族のお嬢様にしか見えないのだから。それに、さすがの魔理沙も照れ笑い。
「いやぁ、さすがに慣れない恰好は落ち着かねぇな。ま、それはそれとしてだ。本番に入る前に、ちょっとしたイベントを用意したぜ。もう知ってるだろうけどな。まずは二人の主役の登場だぜ!」
「さあ、ご紹介しましょう。まずは、かのクルデンホルフ公国の妃殿下、ベアトリス・イヴォンヌ・フォン・クルデンホルフ嬢!」
文の紹介と共に、ホールの中央にベアトリスが立つ。自信ありありと。
「対するは、アルビオンからの留学生。ティファニア・ウエストウッド嬢!」
ティファニアの方は、注目を浴びて気恥ずかしいのか、身を縮めて中央に出てくる。だがそれが胸元の谷間を強調して、余計に男子生徒を喜ばせていたのだが。そんな事に当人は気づいていなかった。
次に魔理沙がノリよく話を進める。
「主役がそろった所で、イベント開始だ。まずは、ティファニア!頼むぜ!見せてくれよ」
「う、うん」
ティファニアはオロオロしながらうなずくと、杖を取り出した。いよいよ、ティファニアの出す光球が魔法かどうか判定される時が来た。
ところで、ホールの中央に全員が注目している最中。イベントには目もくれず、ウロウロと会場を歩き回っている少女がいた。少女は、一人の太った男の子に目を付けると声をかける。
「マリコルヌ」
「え?」
ティファニアを一心に見ていた彼は、いきなり声をかけられ、驚いて振り返った。視線の先にいたのは、ちっこいロングヘアの青髪少女。
「誰だい?」
「は?天子よ」
「あ……ああ……。その……見違えましたよ。えっと……ドレス、よくお似合いですよ……。ミス・ヒナナイ……」
畏まってビビっている太った子。運動神経の鈍い彼は、軍事教練で何度もこの天人にやり込められたので。天子に対しては、誰よりも岩壁暴君のイメージが強かった。
だが天子の方は、そんな彼の態度など気にしない。
「今回は、他にもちょっとしたイベントが仕込んであるんだって」
「え?」
「食べ物に、何でも化けられる薬が入ってるそうよ」
「何でも化けられる?」
「うん。ただし舞踏会の間だけだってさ」
「本当に?」
「なんなら試してみれば、上手くいかなくても何も起こらないだけだし。んじゃあ、そんだけ」
「う、うん」
天子は何やら楽しげに、この場を去っていった。残されたマリコルヌは、今一つ何の用だったのか理解していないが。
その時壇上からの声が響く。
「さぁてと、支持する側についてくれよ。舞踏会らしくダンスで決めるぜ!」
魔理沙の声に、マリコルヌは慌てて、ティファニアの方へと駆け寄って行った。
ホールの中央では、ティファニアとベアトリスの周りに男子生徒が集まっていた。ティファニア圧勝と思われたが、意外にベアトリスの方にもそれなりの人数が集まっている。
ティファニア側にいた眼鏡のレイナールは、その中に裏切り者を発見する。
「ギーシュ!?なんでそっちにいるんだよ!」
「いや……その……、なんと言うか……」
本当に申し訳なさそうな顔つきで、小さくなっているギーシュ。
「こ、心は、ミス・ウエストウッドと共にあるんだよ!で、でも、家の都合というか……、家計の問題というか……」
そこで、すかさず色男の発言をぶった斬るベアトリス。
「ホホホホ。ミスタ・グラモンは、私の見方が正しいと思われたのですわ!さすがは賢明な方です、ギーシュ殿」
「は、はぁ……」
これがベアトリスの秘策。要は借金があるという弱みを利用。取り巻き少女達を使って、男子生徒に脅しをかけていたのだった。
「な……なんという……」
頭のいいレイナールは、すぐに彼女の策を見破る。それにしても、あまりの露骨な家の力の使いように言葉がない。
さて、険悪な雰囲気の漂うティファニアファンクラブとベアトリス。そんな中、まるで違う事を考えていた男子生徒が一人。マリコルヌだ。さっき天子に言われた話が気になって仕方がなかった。
「何にでも化けられるって?まさかなぁ……。けど、やって損もないか」
ブツブツと漏らしながら上の空。
「う~ん……、ティファニア嬢になれ……とか?」
と、太った子はつぶやいていた。
一瞬、閃光がマリコルヌを包む。次に姿を現したとき、そこにいたのはティファニアだった。まるで鏡写しのような姿、微塵の違いもない金髪の妖精だった。
「こ、これは……。本当だ。本当だったんだ!」
叫ぶティファニア(マリコルヌ)に、周りの男子生徒は唖然。何が起こったか理解できない。
「な、なんだ?何をしたんだよ!」
「食事に化けられる薬が入ってんだよ!なんでも化けられるだってさ。だけど効果は、舞踏会の間だけだって」
「え!?なんでも化けられる?」
「うん!」
ティファニア(マリコルヌ)の力強い言葉と、その美しく変わった姿に、目も心も捕らわれた男子生徒。一斉にその奇跡に飛びついた。どさくさ紛れにレイナールも。
「「「ティファニア嬢になれ!」」」
次々と現れるティファニア(偽)。唖然とするティファニア(本物)とベアトリス。そして会場の全員。だが、一人だけこの様子を見て、ほくそ笑んでいた。天子が。ただ踊るだけのつまらない祭が、面白くなりそうだと。
ティファニア(偽)達の最初の行動は……まず視線をおろす事。胸元に装備された、巨大マンゴーへと。
「おお……」
感嘆の声を漏らさずにはいられない。ついつい手が伸び、感触を味わう者すらいる。
だが、そこに無粋な声。せっかくの享楽に、水を差す不届き者がいた。ベアトリスだ。混乱しているのか、ほとんど叫び声。
「な、な、なんのマネよ!」
「ん?」
「じょ、女性に化けるなんて、な、な、なんというハレンチな連中なの!」
ベアトリスの喚き声に、急に冷めていくティファニア(偽)達。彼女、もとい彼らの一人、ティファニア(レイナール)が口を開いた。
「君がハレンチとかいうとはね。借金で脅して、支持を集めようとした君が」
「な……」
「だいたい、なんだい君は?家から騎士団なんて連れてきて。ここにはいろんな貴族がいるけど、騎士団連れて入学した生徒は初めて見たよ。君は、何から何までお世話してもらわないと、学院生活もできないのかな?」
すかさず後に続くティファニア(マリコルヌ)。
「きっと食事も騎士団頼みだぜ。ベアトリスお嬢ちゃま、ナイフは右手で、フォークは左手でちゅよってね」
大ウケして高笑いする一同。対するベアトリスは怒りで震えている。ティファニア(レイナール)を、鋭く指さした。
「わ、私をここまで侮辱するなんて!覚えてらっしゃい!後で、ただでは済まないわよ!」
「ほう、どこの誰がただで済まないのかな?」
「あなたよ!」
「あなたって言うのは、どこのあなたかな?」
「そ、それは……」
ここで口ごもるベアトリス。目の前にいるのは、顔も姿も声までティファニアそっくり。それが何人もいる。誰が誰だか区別がつかない。正体を見破らないと、仕返しも何もない。
それが分かっているからか、クルデンホルフ公国姫を前に、ティファニア(偽)達は余裕綽々。
するとティファニア(マリコルヌ)が、また姿を変えた。今度はベアトリスに。またも呆気に取られる一同。
「我らがティファニア嬢を討伐しようなんて言語道断!このお嬢ちゃまには、罰が必要だと思うんだ」
ティファニア(偽)達に向かって、演説するベアトリス(マリコルヌ)。
「僕は壇上で、"カンカン"を踊る!」
ぐっと拳を握り宣言。一瞬で意味を理解するティファニア(偽)達。さっそく賛成。一斉にベアトリスとなる。
"カンカン"。要は、足を高く上げてスカートをはためかせながら、パンツを見せる庶民の踊り。それをこの姿でやろうというのだ。正体が分からないのをいい事に、やりたい放題のベアトリス(偽)達。
ベアトリス(本物)の方は、箱入り娘のせいもあってよく意味が分かっていなかった。ふと脇の生徒の声が耳に届く。
「パンツ見せんの?」
顔が赤くなるベアトリス(本物)。恥ずかしさで。思わずその生徒に詰め寄る。
「カンカンって、なんなのよ!」
それから説明を受けた。さらに赤くなる公国姫。
「ま、待ちなさい!そ、そ、そんなマネ、させないわ!」
「へー、君が何かできるのか?自分の力と、家の借り物の区別のつかないお嬢ちゃまが」
「え……」
言われて初めて気づいた。誰もがかしずく中で育ったため、真正面から非難される経験がなかった。しかし、ベアトリス(偽)達に反論ができない。心の中で気づいてしまったのだ。言われている通りだと。自分は単に、家名に胡坐をかいていい気になっていただけだと。急に惨めな気持ちに襲われる。涙で瞳が霞みだす。
そんなベアトリス(本物)に構わず、喜々として壇上へ向かうベアトリス(偽)達。
しかし……。
「痛っ!?」
ベアトリス(マリコルヌ)が後頭部を抑えていた。ムッとして振り返ると、見えたのはティファニア(本物)だった。杖をベアトリス(偽)達の方へ向けていた。
「女の子を泣かせちゃダメでしょ!」
怒っている。彼らのアイドルが怒っていた。茫然として、動きを止めるベアトリス(偽)達。
「え!?いや、僕らはティファニア嬢の事を思って……。それに、このお嬢ちゃまは、君の事、妖魔呼ばわりして討とうまでしたんだよ?」
「それは、私がちゃんと説明してなかったのが悪いの!とにかく、男の子が、女の子泣かしちゃダメ!」
「や……その……」
あまりのティファニアの剣幕に、黙り込んでしまう一同。
一方で、ベアトリス(本物)は、彼女から目を離せずにいた。エルフ呼ばわりし討伐までしようとした自分を、毅然と守ろうとするティファニアに。
「ティファニアさん……」
胸の内で、今までない感情が芽生えていた。公国姫としての城暮らしの中では、わずかも感じなかったものが。温かなものが。
さて、ベアトリス(偽)の集団は、項垂れたままティファニア(本物)の言い分にうなずく。
「分かったよ。ティファニア嬢がそこまで言うなら、止めるよ」
一同は変身を解いていく。そして……
何故かティファニア(偽)になっていた。
てっきり、元の男子生徒の姿に戻ると思っていたティファニア(本物)とベアトリス。この状況がよく飲み込めない。ティファニア(本物)は、苦笑いしながら尋ねる。
「えっと……戻り方が分からないの?」
「え?ああ、この姿かい?だって、もったいないじゃないか」
「もったいない?」
「舞踏会の間しか、効果がないんだよ。楽しめるのは今の内だけだからさ。十分楽しんでおかないと」
ティファニア(マリコルヌ)は、あっけらかんと本音を口にしていた。この大胆さも、正体が分からないせいか。すると脇にいたベアトリスが、怒鳴り散らしだした。
「楽しむって、何を楽しむのよ!」
「そんなもの、女性の前で言える訳ないじゃないか。でも、安心していいよ。ティファニア嬢に恥はかかせない」
「どういう意味よ?」
「誰にも見られない所でするから」
と、ティファニア(マリコルヌ)は宣っていた。さらに血が上るベアトリス。憤怒で。
「な、な……!ティファニアさん!この連中は女性の敵ですわ!」
「ええ!?どういう事?」
「あ、あなたの姿で、何か、よ、よ、よこしまな事をしようとしてるのです!」
「えっ!そんな……。ちょっと、困る。やだ!」
怒りと恥ずかしさで赤くなりながら騒ぐ二人。一方、ティファニア(偽)一行は、すでにここを逃げ出そうとしていた。すかさず追うベアトリス。
「お待ちなさい!止めますわよ!ティファニアさん!」
「え、あ、うん!」
二人は杖を取りだすと、すぐさま攻撃開始。
「待ちなさい!」
「やめて!やめて!やめて!」
しょぼい光弾と魔法が、ティファニア(偽)達を襲っていた。
さて大騒ぎとなったホール中央。だが、この騒ぎをまんまと抜け出したティファニア(偽)が一人いた。ギーシュだ。ベアトリス側にいながら、どさくさまぎれに彼もティファニアに化け、中央から端へと逃げ出していた。
「滅茶苦茶になったけど……助かった……」
彼は家の都合で、ベアトリス側に付かざるを得なかったのだから。騒ぎなったとはいえ、このイベントが潰れたのは僥倖とも言えた。しかも、この体を手に入れた。ティファニアの姿を。
「にしても、これは……」
下品な笑いを浮かべつつ、胸元を見ようとするティファニア(ギーシュ)。だがその時、奇妙なものが視界に引っかかった。顔を上げる。黄色い歓声を上げる女性達が、輪を作っている。その中央に、見慣れたものが見えた。あるはずないものが。
それは、ギーシュだった。
「え!?」
凝固するティファニア(ギーシュ)。自分はここにいる。なのに、何故、視線の先にもギーシュがいる。混乱する色男、もとい金髪の妖精(偽)。
この上、さらに信じがたいものが見えた。ギーシュの隣に、ペリッソンという男子生徒がいたのだ。彼は美形男子として、女生徒の間で噂になっていた生徒だ。だがペリッソンは卒業し、もうこの学院にはいないはず。それが何故かいる。しかも、それだけではない。
ギーシュとペリッソンは頬を合わせ、抱き合っていた。恋人同士のように。
ティファニア(ギーシュ)の背中に、悪寒が走った。稲妻かのごとく。
「な、何をやってるんだ!」
慌てて、女生徒達の輪に突入するティファニア(ギーシュ)。一斉に振り向く彼女達。その中の一人が、彼、もとい彼女に話しかけてきた。
「あら、あなた確か……。ミス・ウエストウッド?」
「え!?」
一瞬何のことかと思ったが、今、ギーシュはティファニアに化けている。ここはうなずくしかない。そして気づいた。ここにいるギーシュとペリッソンも、また誰かが化けたのだと。だがここで、彼はもう一つのマズイ事実に気付く。今話しかけてきた少女の名は、ケティという。以前、モンモランシーと二股をかけ、浮気がバレたため振った少女だ。
ティファニア(ギーシュ)の額に、冷や汗が伝わる。もしかして、自ら業火の中に、飛び込んでしまったのではないかと。
ちなみに、何故ケティ達が化けられたかというと、やはり天子のせい。あのロクでもない天人はマリコルヌだけではなく、そこら中に万能薬の話をしていたのだった。
ケティは彼の思いなど他所に、親しげに話かけてきた。
「あなたも興味おありなのかしら?殿方の友情に」
「友情?」
恍惚とした表情で抱き合うギーシュ(偽)とペリッソン(偽)。その二人を、頬を引きつらせながら見るティファニア(ギーシュ)。どう見ても友情なんてものに見えない。もっと別の次元の……何かインモラルなものにしか思えない。
ティファニア(ギーシュ)は、無理に笑顔を作りながら言う。
「僕……私には、いかがわしいものにしか見えないよ……わ。や、やめた方がいいんじゃないかな……かしら?」
「いかがわしい…………」
突然、周囲の空気が凍り付いた。にこやかだった彼女達の視線が、急に冷たくなった。ゆっくりとティファニア(ギーシュ)に向く。まるで彼が、禁忌にでも触れてしまったかのように。ギーシュの脳裏に、警戒警報が響き出す。
「え、えっと……」
「ミス・ウエストウッドは、殿方の友情をそんな目で見ていたの?汚らしいものと」
「そ、そいう意味じゃないぜ!たださ、男同士の友情ってのは、そうベタベタしないって思うんだよ!」
「…………」
黙り込む少女達。表情は能面のように、さらに冷え込んでいく。一人の少女がつぶやいた。
「その話し方……まるで男の人みたい。あなた……本当にミス・ウエストウッド?」
「え!」
慌てて口を手で塞ぐ。つい、いつもの調子で話してしまった。
ふと気づくと、ケティが遠くの方を見ていた。ホールの中央を。釣られるように、他の女生徒達も見る。ティファニア(ギーシュ)も。
ホール中央では相変わらず、多数のティファニア(偽)が、ベアトリス、ティファニア(本物)コンビに追い回されていた。
女生徒達の視線がティファニア(ギーシュ)に戻る。ケティが口を開いた。冷ややかかな口調で。
「あなた……ミス・ウエストウッドじゃ、ありませんわね」
「いや……」
「それにその言い方……。まさかギーシュ様?」
「ええっ!?」
あからさまに動揺するギーシュ。その態度を見逃さない少女達。
「まさか、ギーシュ様だなんて!その姿、なんなの!?」
「そんな姿になって、よくもいかがわしいなんて言えたもんだわ!」
さっきまで冷たかった視線は、もう侮蔑に変わっていた。しかしティファニア(ギーシュ)、必死の抗議。
「な、何をおっしゃるのかしら!?ぼ、私はギーシュなんてお方でなくてよ!」
言葉遣いが、もうティファニアとはまるで違う。さらに墓穴を掘るギーシュ。
その時、ケティが手をパンと叩く。一斉に静まる一同。
「今度は、少し変わった趣向を試してみましょう」
「ケティ?変った趣向って?」
「ギーシュ様の、次のお相手よ」
ケティの言葉のまま、一同はギーシュ(偽)を見る。一人の女生徒が尋ねた。
「誰にするの?」
「こういうのはどうかしら……。ミスタ・マリコルヌ!」
次の瞬間、ケティの射殺すような眼光が、ティファニア(ギーシュ)の方をギュンと向く。全てを察するギーシュ。頭から血の気が抜けていった。
ケティは変身の言葉を口にする。閃光と同時に現れる、太っちょマリコルヌ。
「さあ、ギーシュ。僕と友情を温めよう」
朗らかな表情で手を広げギーシュ(偽)に近づこうとするマリコルヌ(ケティ)。その距離、わずか1メイルもない。
だがその二人の間に、飛び込む影があった。両手を広げ、立ち塞がる者が。もちろんティファニア(ギーシュ)。
「や、や、止めてくれ!マリコルヌだけは許して!お願いだ!」
「あら、何故邪魔するのかしら?ミス・ウエストウッドには関係ないのでは?」
「いや……その……えっと……。すいません……。僕はギーシュです……」
項垂れる金髪の妖精(ギーシュ)。だんだんと腰を下ろし、床に膝をついていた。そんな彼をマリコルヌ(ケティ)は見下ろす。
「やっぱりそうだったんですね。それにしても、そんな姿になり果てるなんて……見損ないましたわ!」
「その……好奇心が、勝ってしまいまして……。すいません……」
身体を固定化したかのように、固まっているティファニア(ギーシュ)。しかも、ケティの化けたマリコルヌは、姿はもちろん声までそっくり。あの太っちょに変態行為を見つかって、非難されているようで、余計に落ち込む。
ケティの攻撃はさらに続く。
「こんな姿をミス・モンモランシがお知りになったら、どう思われるでしょうかね」
「その……黙っておいて……くださらないでしょうか……」
ひたすら低姿勢のギーシュ。マリコルヌ(ケティ)は少女達へ、悠然と話し出した。
「みなさん、ここはどうしましょう?」
「そうね……。黙っておく代わりに、トリスタニアのカフェで御馳走になるというのはどうかしら?」
「そうしましょう。だいたい、殿方の友情を侮辱したのも許せませんし」
意気投合して喜んでいる女生徒達。そしてマリコルヌ(ケティ)が、勝ち誇ったように問いかける。
「どうですか?ギーシュ様」
「はい……。喜んで……御馳走させていただきます……」
今の彼に、Yes以外の回答などある訳がなかった。
勝ち誇っている少女たちの中で、ギーシュの脳裏にさらなる不幸の予感が浮かぶ。トリスタニアで、彼女達を連れてゾロゾロと歩いている所をモンモランシーに見つかってしまう……とか。もし春休みに占いをしたら、女難の相が出ていただろう、なんて事が頭を過っていた。
さて、もはや舞踏会としての体をなしていない会場。ホールの端に、最も混乱している人達がいた。舞踏会の運営を任された教師達だ。シュヴルーズは戸惑い、ウロウロするだけ。
「あらあらあら……、一体どうなってるの!?」
最高責任者のコルベールも、自分を落ち着かせるためか、眼鏡を何度もかけなおしてしまう。
「何がなんだか……。もしかして、『真実の鏡』に異常が?」
「どういう事ですの?ミスタ・コルベール」
「あの鏡には、姿を変える効果があります。もしかして、原因はあれかもしれません。ミセス・シュヴルーズ、真実の鏡を見てきてくれませんか?」
「はい!それで、ミスタ・コルベールは?」
「私は学院長から、『眠りの鐘』の使用許可をもらってきます」
「分かりましたわ」
さっそく動きだす二人。シュヴルーズはホールから出て行った。コルベールはそれを確認すると、足を進めようとする。
この時、コルベールは知らなかった。彼にも災難が、いや人生最大の危機が訪れようとしていた事に。
フリッグの舞踏会編は、今回で終わりにしたかったんですが、長いんで分割する事になりました。
実は他にも、戦勝祝典のイベントとして、カリーヌvs天子戦を書いたんですけど、結局カットしてしまいました。