ガリアの中枢、ヴェルサルテイル宮殿。この広大な敷地の外れ、他の建物からは少し離れた場所に礼拝堂が立っていた。そしてこの地下こそが、ビダーシャルのハルケギニアでの拠点。元々騒がしい場所ではないが、今は深夜。さらに主も不在。ここは海の底かというほど静まり返っていた。そこに突然ざわめきが現れる。礼拝堂の地下にいきなり。
「アリス。どうだ?」
「まだ始めたばかりよ。こらえ性ないわね」
「…気配がまるでしないんだけど」
魔理沙、アリス、パチュリーの三魔女達。そしてこあだった。ビダーシャルと密約を結んだ後、彼女達は連絡手段として隠し部屋に転送陣を構築していた。当然、ジョゼフ達は知らない。
転送陣から出現した魔女達。この隠し部屋に留まったまま辺りの様子を探る。アリスの人形たちが礼拝堂中を駆け巡っていた。人形遣いは渋い顔。悪い方の予想が当たりそうで。
「……やっぱり誰もいないわね」
「そっか。ま、とりあえず入ってみようぜ」
魔理沙は先頭切って、隠し部屋から出て行く。肩書き通り泥棒のごとく慎重に。後に続く三人。部屋に入ると、弾幕を浮かし辺りを照らす。やはり誰もいない。ここでパチュリーが使い魔の方を振り向いた。
「こあ。出口の見張り頼むわ」
「はい」
うなずくと同時に、地上の礼拝堂へ向かう小悪魔。夜目の利く彼女。夜間の見張りには打ってつけだ。地上へ上がる彼女を見送ると、主はポツリとこぼした。
「あのエルフ…どこ行ったのかしら。やっぱり始末された?」
わずかに顔つき引き締める三人。入念に部屋中を調べはじめた。
全く同じ時刻。同じヴェルサルテイル宮殿近くの特別牢には、嗚咽のような叫びがいくつも上がっていた。異形の存在を前にして。
「う…」
特別牢を守っていた兵達が、苦悶の声を漏らしながら次々と倒れていく。彼らと相対していたのは悪魔ダゴン。その左手には、やはりデルフリンガーが握られていた。その巧みな剣術で、次々と襲い掛かる看守たちをあしらっていく。牢屋に響く余裕の声。
「とっとと逃げた方がいいぜ。勝ち目なんてないんだからな」
「ふ、ふざけた事を!こ、この妖魔風情が!」
「面倒臭せぇなぁ」
気怠そうなデルフリンガー。ダゴンはその言葉と同時に、右手をかざす。すると闘志に溢れていた兵やメイジ達は、何もできずにバタバタと倒れていった。餓えに飲み込まれながら。
インテリジェンスソードは邪魔者をあっさりと撃退。悪魔と剣は呻いている看守たちを横目に、目的の場所へと進む。やがて、この建物の一番奥、たった一つの牢屋にたどり着いた。中に見えるのは一人の男。やせ細った男が捕らえられていた。金髪から突き出す長い耳の目立つ男が。
彼は足に枷をはめられ、両腕は鎖で壁と繋がれていた。さらに口には特殊な轡をかまされている。男の名はビダーシャル。かつてはガリア王ジョゼフに手を貸し、ハルケギニアの混乱を助長しようとしていたエルフだ。だが、全ては同胞のためだった。しかし今は、そのジョゼフに裏切られこの有様。まともに食事をもらえず、かといって殺す訳でもなく、ただ精神を蝕むような責め苦を受けていた。
さすがのデルフリンガーにも、憐みを抱かずにはいられない。顔をしかめたくなる。できないが。
「こりゃぁ酷ぇ。おい、生きてるか?」
格子越しに声をかけるが、言葉は返ってこない。もっとも返事をしようにも、口の轡のため話せないのだが。だがピクリとも動かないのでは、さすがに不安になる。
ダゴンは鍵を掴むと"魔"を込めた。鍵はボロボロと腐食していき、鉄の破片とパン屑となっていく。さすがは食の悪魔か。いとも簡単に鍵を外す。そして牢に入る。ビダーシャルを繋ぎとめている鎖と枷を解いていった。声をかけつつ。
「おい、聞こえてるか?」
「……」
全く動かなかったエルフが、わずかに瞼を開いた。だがすぐに目を閉じる。とりあえずは生きているようだ。しかし、あからさまな化物の姿をしているダゴンを見ても、驚いた様子がない。反応できないほど弱っているのか。デルフリンガーに焦りが走る。
「マズいな」
ダゴンはすぐさまビダーシャルを抱えると、牢屋から出た。そして礼拝堂へと向かう。あそこはビダーシャルの生活の場でもあった。エルフの秘薬もおそらくある。その中には体を治す薬もあるハズだと。
「意識しっかり持てよ。アンタに死なれると、かなり困った事になるんだからさ」
励ますように声をかけるデルフリンガー。自分の都合もついでに口にしていたが。
悪魔はやせ細ったエルフを抱きかかえ、地面を滑るように進んでいった。
こあは礼拝堂を出、屋根の上にいた。礼拝堂にそびえる塔に身を隠しながら、辺りを窺っている。今のところは取り立てて気になるものはない。
「ここって意外に不用心ね」
独り言を漏らす悪魔の少女。外れとはいえ、一応は宮殿敷地内。衛兵の姿もない事に少々あきれていた。もっとも元々エルフが使っていたため、ジョゼフが近寄るのを禁じていたのが理由なのだが。
退屈してきた頃、ふと何かが近づいて来るのが見えた。宮殿の外に通じる道から。一瞬、衛兵かと思ったが、やけに速い。というか低空飛行している。
「何?あれ?」
目を凝らすこあ。すると、すぐに正体が分かった。悪魔ダゴンだ。あの特徴的な姿を忘れるはずがない。呆気に取られる。
「え?なんで?と、とにかくパチュリー様に知らせないと!」
こあは少々慌て気味に、礼拝堂の中へと向かう。一応は、身を隠すため裏手を経由して。だがこれが裏目に出て、先にダゴンが礼拝堂に入ってしまった。
「あ!」
口を大開して、失敗という顔のこあ。入口に向かって急加速。ダゴンの後を追った。
礼拝堂の地下の隠し部屋。ビダーシャルの研究室兼住まい。部屋の灯りは消えており、パチュリー達は弾幕をランプのようにして辺りを照らしていた。地下中を見た限り、取り立てて荒らされた様子はない。一同は部屋の一つに集まり、結果を報告。
「ネズミ一匹いないぜ」
「こっちもよ。どっか出かけた?」
魔理沙とアリスはお手上げの態度。全ての部屋を探ったが、人影一つなかった。パチュリーもうなずくが、何か違和感を覚える。ふとテーブルの上のコップを手に取った。現れたのは円形の跡。周りには、うっすらと埃が積もっている。紫魔女の目元がわずかに引き締まった。
「違うわ。しばらく使ってないようよ」
「となると…始末されたのかしら…」
「それとも逃げ出したか…。どっちにしても、ここにはいないようね」
コップを戻すと踵を返す。ここにいても無駄だと。魔理沙もそれに続こうとした。
「何しに来たんですか!」
三人の耳に突然、怒鳴り声が届く!声がした方角、一階に通じる階段へと一斉に向く一同。
「上か!?」
魔理沙はその一言と同時に、階段へ走り出していた。残りの二人も彼女に続く。
上がった三人の魔女の目に入ったのは、異形の存在。だがその姿はよく知っている。魔理沙が鋭く指さした。怒声と共に。
「お前!ダゴン!」
「て、てめぇら!なんでいるんだよ!」
ダゴンの方も、デルフリンガーが驚いた声を上げていた。まさしく意表を突かれた。そんな声だ。魔理沙はすかさず八卦炉を取り出すと、ターゲットロックオン。絶対に逃がさないという、狩人の顔をした白黒。
「そりゃ、こっちの台詞だぜ!」
「クソッ!間が悪いにも程があるぜ」
舌を打つインテリジェンスソード。すぐさま剣を構える。同じく身構える魔女達。その時彼女達は、ダゴンが抱えている人物に気付いた。パチュリーの視線が厳しくなる。
「その男…ビダーシャルよね?彼、かなり弱ってるようだけど、何かやったの?」
「俺じゃねぇよ。やったのはガリア王だ。このザマで、牢屋に捕まってたんだよ」
「そう。じゃあ、助けに来たって訳?何故あなたがビダーシャルを助けるのかしら?だいたいどうやって、監禁されてるって知ったの?」
「……。教える義理はないぜ」
「ふぅ…。結局、力づくなのね」
パチュリーは魔道書を開いた。同じくアリスが人形を展開する。各々、戦闘態勢を整える三魔女。さらに、こあが礼拝堂の出口で構える。すると魔理沙が急発進。ダゴンを越え、こあの側、礼拝堂の出口に陣取る。
魔女達と悪魔に挟み撃ちにされるデルフリンガー達。さらに右手にはビダーシャルを抱えている。しかも彼はかなり弱っており、この状態で戦えば命に関わる可能性もあった。そして悪魔の力はこの連中には通用しない。ガンダールヴの力のみが頼り。デルフリンガーは、歯ぎしりでもしたくなる気分に襲われていた。
アリスは槍を手にした人形たち前面に押し出し、にじり寄って来る。戦意で溢れる魔女達。
「この前のようにはいかないわよ」
「………」
前後に神経を張るデルフリンガー。ダゴンはゆっくり腰を落とすと、ビダーシャルを床に置いた。彼を抱えたまま戦うのは、さすがに無理だ。床に寝かされるエルフ。ダゴンの右手が自由となった。
ただちに反転!出口の方へダッシュ!だが、こあが無数の弾幕を発射!彼女の方が早い!しかも弾幕ごっこ用のものではない。しかしダゴンもガンダールヴ。見事な剣さばきで、山ほどあった弾幕を消し去ってしまった!ここで、魔理沙が口元を釣り上げていた。引っかかったとばかりに。
「魔符『スターダストレヴァリエ』!」
弾幕に対応していたダゴンに、魔理沙がスペルカードを発動!滑空砲のごとく一閃となり突進!ダゴンはさすがに彼女までは対応しきれず、デルフリンガーを盾にして、彼女の突撃を辛うじて防御。衝撃で弾けるようにすっ飛ぶ悪魔。なんとか壁際で堪えた。しかし眼前に迫るは並ぶ十槍!アリスの人形たち!
「みんな、行って!」
「チィッ!」
キンキンキン!
金属がぶつかり合う音がいくつも連なる。なんと、ダゴンは全てをさばききった。
「え…!?」
言葉がないアリス。驚きで動きが止まる。確かに彼女は槍術の達人という訳ではないが、同時に突き出した十もの槍を全て防ぐとは。さすがはガンダールヴと言うべきなのか。しかし、デルフリンガーも状況が好転した訳ではない。むしろ悪くなった。ビダーシャルと距離を離されてしまった上、やはりこの四人全員相手にするには分が悪すぎる。さらにそれ以上の問題があった。
ダゴンが突然、剣先を下す。戦意を収めすっと立った。右手を上げ無抵抗の態度で。
「ちょっと待った。お互い、こんな事やってる場合じゃないだろ。止めにしねぇか?」
「あなたが無条件降伏するならね」
パチュリーは淡々としながらも、言葉に凄みを漂わせる。彼女の周りには、いくつもの光弾が浮かんでいた。だが剣の方は変わらぬ調子。
「分かってねぇな。時間がねぇって言ってんだよ。もう牢屋の看守が報告してるハズだ。エルフが攫われたってな。衛兵達がエルフを探し始めるぜ。しかもここはそいつの住処だ。真っ先に来るだろうな」
「………」
顔色が変わる七曜の魔女。確かにデルフリンガーの言う通りだ。今すぐにでもここを去らないといけない。インテリジェンスソードは続けた。
「でだ。そのエルフはあんたらに預ける。ジョゼフに渡すなよ。今度はさすがに殺されちまうからな」
「………」
「後、見ての通りかなり弱ってる。死なすんじゃないぜ」
「どうして、そこまでビダーシャルを助けたいのかしら?」
「ヘッ…。さっき言ったろ。教える義理はないぜ」
「私達が見捨てるかもって、考えないの?」
「あのアジトに無駄に長居してた訳じゃないぜ。あんた達がどんな連中かは、だいたい分かってるさ」
「……」
「んじゃ、任せたぜ」
デルフリンガーはそう言い残すと、側の窓ガラスを破り外へと逃げ出した。だが魔理沙が、ただちに後を追う。残ったパチュリー達。ビダーシャルへ近づくと、見下ろした。淡々とした仕草は相変わらずに。
「確かにかなり弱ってるわね。こあ、彼抱えて」
「はい」
こあを他所に、アリスがパチュリーに話しかける。
「どうするのよ?連れて帰るの?」
「デルフリンガーが何故、彼を助けようとしたかも気になるし。この状態で放っておくのもね」
パチュリーの言葉に、仕方なさそうにうなずくアリス。こうして四人は、また地下へと戻っていく。魔理沙も後からやってきた。デルフリンガー達にまた逃げられたとぼやきながら。近くに庭園用の用水路があり、そこに逃げ込んだと。どうやら逃走経路はちゃんと準備していたようだ。
やがて一同は、転送陣を使いアジトへと戻っていった。一応念のため、転送陣は転送後爆破された。
清々しい朝日に照らされたガリア王の寝室。だが部屋の主は、清々しさとは真逆の驚くべき報告を受けた。忠実な使い魔から。
「何ぃ!?まことか?」
「はい」
その報告とは、ビダーシャルが何者かによって攫われたという知らせ。エルフを監禁するために特別な牢屋を用意し、さらに鍵はジョゼフ自身が管理していた。どうやって、そして誰がやったのか。いずれにしても非常事態には違いない。彼はすぐさま布団を跳ね上げると、シェフィールドを問い詰める。強い口調で。
「何者の仕業だ!」
「それが看守共の報告では、魚のような妖魔だと」
「魚のような妖魔?」
青い髭をいじりつつ、眉間にしわを寄せるジョゼフ。魚のような妖魔など聞いた事がない。
「エルフの使い魔か?そう言えば、お前はロバ・アル・カリイエ出身だったな。そのようなもの、心当たりはあるか?」
「いえ。エルフ共はドラゴンを使役する事が多く、魚のような妖魔など耳にした覚えがありません」
シェフィールドの出身は、実はロバ・アル・カリイエ。幻想郷の人妖達とは違い、ペテンではない。ロバ・アル・カリイエの者達はエルフと長年敵対していたため、ハルケギニアの人間達よりはるかにエルフについて知っていた。だがそんな彼女でも、魚のような妖魔については聞いた事がなかった。
ミョズニトニルンの答に対し、ジョゼフは次に思いついたものを口にする。
「ヨーカイ共はどうだ?」
「ビダーシャル卿と敵対してたあの者共が、助けに来るとは考えづらいです。それに私が知る限りでは、人の姿をしてないヨーカイはおりませんでした」
シェフィールドは、ビダーシャルが幻想郷組と二度遭遇をし、どちらも戦ったと思っていた。完全に敵対していると。だが真相は違う。確かに一度目の遭遇では戦ったが、二度目は話をした上、逆に手を結んだ。この事実を彼女が知るハズもなかった。また、彼女にとっての幻想郷の妖怪は、ハルケギニアの妖魔とは違い人間に近しいという印象があった。蛍の妖怪リグルですら、人の形をとっていたくらいなのだから。
ジョゼフはうつむき、髭をもてあそびながら黙り込む。つまりは賊については、見当すらつかないという訳だ。ガリア王の表情がさらに厳しくなる。しばらくして、シェフィールドにさらに問う。
「攫われる直前のビダーシャルの様子は、どうだった?」
「看守の話では、歩くのはもちろん、体を起こすのも困難かと。餓死寸前と言った所でしょうか」
「となると、体力を回復させるまでは動けんな」
「おそらく」
「……」
また王は黙り込んだ。まだ間に合うかもしれない。しかし、余裕があるとは間違っても言えないだろう。
さわやかな朝日が差し込む寝室。だが室内には、それとは対照的な重い空気が漂う。ジョゼフはおもむろに、シェフィールドへ顔を向けた。戦地にいるかのような厳しい面持ちを。
「ミューズ」
「はい」
「まずはリュティス周辺を徹底的に洗え。昨晩の事だ。そう遠くへは行っていまい。さらに全土に警戒令を発せよ。特に関所、港、ドラゴンの厩舎は厳重にな。そしてエルフを発見次第、ただちに報告させよ」
「はい」
シェフィールドは主の命を一通り耳に収めると、すぐさま部屋を出た。残ったジョゼフはさらに頭を巡らす。一体何者がビダーシャルを助け出したのか。そもそも何故捕まっていると分かったのか。いずれにしても最悪の事態は、彼が故郷にたどり着く事だ。ビダーシャルの持つ情報がエルフに知れ渡れば、聖戦が破綻する可能性すらある。ガリア王は拳を強く握りしめると、虚空を睨みつける。
「おのれ…。余を煩わせよって…」
だがその時、ふと我に返ったように顔つきが変わった。晴れやかなものに。ジョゼフは、突然笑い出していた。
「フッ…。ハハッ、ハハハハハッ!」
ひとしきり笑うと、さっきまでの険しさは顔から消えている。ベッドから立ち上がり、窓の側に立った。朝日を全身で浴びるかのように。
「余が焦っておる。信じられん!いつ以来だ?こんな気分になったのは」
久しく忘れていた心の動きに、ガリア王は再び笑い声を上げていた。
アリスが部屋に入ると、一人の男性がベッドで寝ているのが目に入る。やつれた顔をした金髪のエルフ、ビダーシャルが。だが、これでも昨日よりはマシだ。するとエルフはまぶたをゆっくりと開けた。アリスに気付いたのか、目を向ける。人形遣いも同じく気づく。
「あら、目が覚めたの?」
「……」
「大分、顔色よくなったようね」
「あ……」
「まだ無理に話さなくっていいわよ」
「……」
ビダーシャルは再び目を閉じ、眠りに入る。
ここは幻想郷組のアジト。空き部屋のベッドに、彼は寝かされていた。実は、一時はかなり危ない状態にもなった。かなり弱っていた上、デルフリンガー達との闘いに巻き込まれたため症状はさらに悪化したからだ。しかし、ここには医療の達人がいた。瀕死でもない限り治してしまえる者が。
アリスがその達人に声をかけた。棚の上にある水瓶に。
「ラグド。悪いわね」
「構わん。エルフは精霊との縁が深い。私が手を施すのに、理由はいらぬ」
水瓶から覗く透明な顔は、そう答えた。相変わらずの抑揚のない口調で。ただアリスは、頼もしげにも聞こえたが。
この水瓶の存在こそが、アリス達が当てにした医療の達人。ラグドリアン湖の水の精霊、ラグドだ。なんと言っても、水系統の魔法が自在に使える。そしてこの世界においては、医療とは水の力をあやつる術と同義と言ってよかった。
しかしそのラグドの力をもってしても、ビダーシャルの回復は順調、という訳にはいかなかった。病気や怪我ならすぐに治せたが、餓死しかけていたとなるとラグドにも限度がある。自ら食べ物を口にしなければ、体力の戻り様がないからだ。今はまだそれが難しかった。流動食でわずかずつ回復を待つのみだ。ともかく打てる手は打った。後は時間が解決するだろう。
アリスはビダーシャルの部屋から出る。ふとパチュリーが目に入った。彼女の方もアリスへ顔を向ける。リビングに向かう途中のようだ。彼女は何の気なしに口を開いた。
「デルフリンガー、なんでビダーシャルを助けたのかしら?」
「パチュリー、言ってたじゃないの。ルイズの次の相手だからでしょ?」
「けど私達に預けたのよ?何か術をかけられるかもって、考えなかったのかしら。例えばこあのチャームとか。そうすれば、ルイズの敵にはならなくなるわ」
「予想が違ってたのかしらね。逆に、敵じゃなくって味方になるとか」
「味方…か。次の敵は他にいるのかしら…。だいたい、ガリア王は彼をあそこまで衰弱させて、どうするつもりだったと思う?」
「情報を聞き出そうとしたんじゃないの?エルフの。だって聖戦するんでしょ?」
「となると、デルフリンガーはジョゼフの聖戦を邪魔するために、彼を助けた話になるわね。確か、黒子も自分なりの聖戦したいんだっけ」
「うん。デルフリンガーはそう考えてたわ」
「一応、辻褄は合うって訳ね…」
「とにかく、彼が回復したら聞いてみるから」
二人はとりあえず納得し口を閉ざす。しかし、何か煮え切らない。パズルのピースを一つ失くしたかのような、モヤモヤしたものがある。ただ今、すぐに分かるようなものでもないのも確かだ。とりあえずは、二人共用事があるのでその場で別れた。
アリスは学院の厨房へ向う。新しい紅茶の葉をもらうために。その帰り、難しい顔をしているピンクブロンドが目に入った。廊下をトボトボと歩いている。憂い顔のルイズも珍しいとなどと思いながら、人形遣いは声をかけた。
「ルイズ」
「ん?アリス」
「どうかしたの?」
「え?」
「なんか暗い顔してたから」
「そう?ちょっと考え事があって…」
「何?聖戦の話?」
「ううん。関係ないと思うんだけど、前から気になってた事があるの」
「黒子からみ?」
「分からない。そうかもしれないし…」
歯切れの悪いルイズの言葉に、アリスは一言アドバイス。
「私達に相談したいんだったら、早い方がいいわよ。パチュリー、幻想郷に帰っちゃうから」
「え?帰っちゃうの!?」
驚いて目を見開くルイズ。文、鈴仙に続いて、パチュリーまでも帰ってしまうのかと。しかしアリスは、他愛もないように返す。
「うん。ダゴンを調べるためにね」
「あ、そういう話なの。じゃあ、また戻って来るのね」
「そうよ。何?帰ったら寂しい?」
「さ、寂しいって言うか…いきなりだったから、びっくりしただけよ」
ごまかすように明後日の方を向くルイズ。それにアリスは口元をほぐす。
「パチュリー、まだ帰る準備の最中だから。今なら間に合うわ。どうする?」
「うん。話してみる」
明るい返事の後、二人は揃ってアジトへと向かった。
ところでビダーシャルについてだが、しばらくはルイズ達に黙っておく事とした。本来なら、ハルケギニアにいるだけで大問題。それを看病しているとなると論外だ。万が一にも、バレる訳にはいかない。
アジトのリビングの椅子に座る魔女達とルイズ。最近、よく見る光景だ。あえて違う点を上げるなら、ルイズがらしくない事だろう。悩んでいるらしいのだが、戸惑っている感じもある。なんとも言い難い表情をしていた。パチュリーが、いつも通りの淡々とした口ぶりで話しかける。
「で、何かしら?」
「実は結構前からおかしいと思ってた事があるの。あまり気にしてなかったんだけど。けど、ワルドがゼロ戦に襲われた時に、ハッキリしたっていうか、意識しだしたっていうか…」
「何を?」
「あの時、ワルドがドラゴンに乗って、ゼロ戦と戦ってたでしょ?」
「ええ」
「あれ、見た事ある気がするの」
「「「え?」」」
三魔女が一斉に声を上げルイズを見た。今一つ意味が掴めなくて。魔理沙が身を乗り出してくる。
「つまり…ゼロ戦が飛んでた所を見た気がするって話か?」
「違うわ。風竜とゼロ戦が戦ってる所よ」
「なんだそりゃ?ありえねぇだろ。ゼロ戦は外の世界のもんだし、風竜はこっちのだろ?戦う所か、いっしょにいる自体がありえないぜ」
「そうなんだけど、そうなのよ」
「……」
腕を組み益々難しい顔をする魔理沙。それはアリスも同じ。するとパチュリーが思い出したように尋ねた。
「そう言えば、あなた、ゼロ戦初めて見た時、名前知ってたわよね」
「うん」
「あの時は、大図書館で見たのかもって思ったけど、もしかしてそうじゃなかった?」
「分からない…」
ルイズは沈んだ表情のまま答える。
「それにゼロ戦の時だけじゃないの。前にも似たような事があったのよ。どこかで見たっていうか、経験したっていうか。でも記憶がハッキリしなくって。思い出そうと思っても、出てこなくって…」
「デジャヴってヤツか?」
「うん…」
魔理沙の言葉に、小さくうなずくルイズ。ここでアリスが何かを思いついたのか、独り言のように話し出した。
「もしかして、ルイズにも黒子の記憶操作の影響が出てるのかしら…」
「え?どういう意味?」
「そういうものを経験したかのように記憶をいじられたか、失敗して副作用が残ったんじゃない?」
「え!?でも今までの事、全部覚えてるわよ!影響ないからじゃないの?」
黒子の記憶操作は、忘れさせるというものが多い。だがルイズは周りの者達が忘れてしまった事を、全て覚えていた。だから、黒子の影響は受けていないと思っていたのだが。さらにパチュリー達は、幻想郷との縁が深い者達ほど黒子の記憶操作を受けないと考えている。その彼女達と一番関わりが深いルイズ。最も影響を受けづらいハズなのだが。
人形遣いは言葉を続ける。
「けど、虚無だもん。黒子が虚無関連ってのは知ってるでしょ?普通の人間より、影響受けやすくなってるかもしれないわ」
「………」
黙り込むルイズ。すると、パチュリーがおもむろに口を開いた。
「念のため、お守りでも作っとく?」
「お守り?」
「簡易結界のようなものよ。私達の影響化にあるほど、黒子が手を出しにくいのは確かなんだし。ないよりあった方がいいでしょ?」
「うん!お願いするわ」
少し表情が明るくなるルイズ。対策があると分かって。パチュリーの方は、とりあえずルイズが元気なったので今はこれでいいと思っていた。ただ黒子の影響と言うには、腑に落ちない。引っかかりを覚える。それが何かは分からないが。いずれにしても、彼女はこれから幻想郷に帰らないといけないので、お守り作りはアリスにまかされた。
ルイズはアジトに来たときとは違い、重い雰囲気はもうない。すっかりいつもの彼女に戻り、転送陣の上に立つ。
「それじゃ、お守り頼むわ」
「ええ」
「いろいろありがとう」
嬉しげに礼をしつつ、寮への転送陣を発動させた。それを三人は、頬を緩めて見送る。一息つくと、パチュリーが踵を返した。気分を通常運転に戻しつつ一言。
「さてと、私も戻らないと」
「幻想郷にか」
魔理沙が確かめるように言う。
「ええ」
「例の時間のズレもあるから、さっさと用済ましてこいよ」
「努力はするわ」
紫魔女は背中で答えると、部屋から出て行った。魔理沙とアリスもそれに続く。
パチュリーとこあが幻想郷へ向かったのは、それからしばらく後の事。このアジトにいるのも、ついには四人となってしまった。
ガリアの中枢、ヴェルサルテイル宮殿の外れの礼拝堂。ビダーシャルが拠点として使い、今は主のいなくなった場所だ。
よく晴れた空の下、衛兵達がここをぐるりと囲んでいた。だが中にはシェフィールドは一人のみ。彼女は探していた。ビダーシャルの行先の手がかりを。
礼拝堂に荒らされた痕跡があると分かったのは今朝だった。ビダーシャル誘拐と関係していると、シェフィールドは読む。さっそく警備の衛兵と調査支援のガーゴイルを一体連れ、礼拝堂へと向かった。
礼拝堂中央に立つ彼女。探るような視線で、周囲を見回していく。窓が一ヵ所割れており、テーブルや椅子、壁にも壊れた跡がみられる。最初こそ、火石などエルフの秘術により作り出したものを探した痕跡かと思ったが、だがこの荒れようはそうとは思えなかった。むしろ戦いの跡と言った方が近い。ミョズニトニルンはポツリと言葉を漏らす。
「戦ったとしても…いったい何と何が…」
あの晩。守衛や衛兵たちはこの場所に来ていない。仮にエルフをさらった賊が、この場所に来たとしても戦う相手がいない。有り得るとしたら、一つしか思いつかなかった。
「まさかヨーカイ共が来ていた?でも何故?」
その時ふと思い出す。ヨーカイ達に訊問を受けていた時に、聞いた言葉を。第三勢力がいるらしいという話を。その第三勢力と賊が戦ったのか。だとしても、正体が分からなければ意味がないが。
思案に暮れながら、足を進める。そのままガーゴイルと共に、地下へと向かった。エルフの元拠点に。
こちらの方は荒らされた様子がない。また、ビダーシャルが捕まる前に来たときとそう変わらなかった。慎重に足を進める彼女。すると何かに気付いたのか足を止める。テーブルの上のコップに目が入った。いや、正確にはコップの置かれている場所に。コップの脇に、円形の跡が覗いている。一度、コップを持ち上げ戻した。ただし位置が微妙にずれた。そう見える。刺すような目つきで跡を見つめるシェフィールド。
「これは…。誰かがここにいた?」
ここはジョゼフとシェフィールド。そしてビダーシャルしか知らない場所だ。だがビダーシャル捕縛後、火石等回収してからは、ここに三人は立ち入ってない。だから、ここにあるものが動くはずがない。動いたとするなら、それは何者かが侵入した証。しかも侵入した者は、秘密のハズのこの場所を知っているという事になる。
「まさか…」
慎重に辺りを見極めようとする神の頭脳。すると床にいくつもの足跡を見つけた。埃はテーブルの上だけではなく、部屋一面に積もっていた。ここを歩けば、足跡が残ってしまう。シェフィールドの顔つきが、さらに厳しくなる。
足跡を追うミョズニトニルン。それは戸棚前で消えていた。しかも戸棚で半分切れている。つまり、この戸棚も一旦動かされ元に戻されたという訳だ。さっそく戸棚を調べるシェフィールド。しかし何もない。だが彼女の直観が叫んでいた。ここだと。シェフィールドはガーゴイルに、鋭い声を飛ばす。
「この戸棚を壊しなさい!」
ガーゴイルは剣を振るうと、戸棚を破壊し始めた。木製の戸棚は一振りする度に、形を崩していく。そして全て木片と化した後には、先への入り口があった。
「…隠し部屋?けど…こんな所があるなんて聞いてないわ」
ビダーシャルは、単に自分達の命令を実行していただけ。彼の行動は全て把握していたと思っていた彼女。まさか彼が自分達に隠し事をしていたなどとは、予想もしていなかった。急にビダーシャルへの認識が変わっていく。
隠し部屋に入るシェフィールド。彼女に目に入ったのは破壊の跡。爆薬でも仕掛けたかのように、床が全て木っ端みじんとなっていた。だがそれ以外は何もない。置かれていた家具の破片や道具の痕跡など何も。
「何故こんな状態に…。それとも実は作りかけの部屋か?」
一見しただけでは分からない、この部屋の意味。彼女は薄い氷の上でも歩くかのように、慎重に足を進める。目に入るものを全て分析するかのように、頭をフル回転させる。するとある破片に目が止まった。それを拾い上げる。
「これは…!?」
破片にあったのは、何かの図形の一部。そのように見える。だが、シェフィールドはこれに見覚えがあった。正確には似たようなものに。それは幻想郷に飛ばされた時の事。紅魔館の大図書館で見たものだ。ハルケギニアへ転移するための魔法陣と呼ばれていた円形の図形。それが今、手にしているものとよく似ていた。そしてあのような魔法を使う者は、ハルケギニアには一つしか思いつかない。
「まさか…ヨーカイ共とビダーシャル卿が通じていた?」
またも脳裏に現れるキーワード。ヨーカイ。何度も煮え湯を飲まされた連中だ。しかもその目的が、研究や観光などという遊び半分なもの。それだけに忌々しい連中だ。もちろん手元にある図形が、魔法陣と決まった訳ではない。しかし、その可能性は低くはないと考えている。
「もしも読み通りなら…。このままという訳にはいかないわね」
穏やかだが、意志を込めた言葉を漏らすミョズニトニルン。実は、彼女にはルイズ周辺に手を出すと死ぬという呪いを、こあからかけられていた。ならば、もしもの時はするべき事は一つしかない。主のために命をかける。それは当然のように彼女の胸の内にあった。
そしてこの行動は、自己中心的な幻想郷の人妖達には思考の外。自分以外の者のために、命を捨てるなどというものは。
描写、手加えました。