Communio -In Paradisum-   作:白鷺 葵

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1-2小節.「――きっと、忘れられない旅になる」

『私、もっと頑張ることにしたの』

 

 

 ――瞼を閉じれば、いつだって、あの日の少女を思い出せる。

 

 ウェーブのかかったロングヘアが風に煽られる。緩やかな弧を描くようにして揺れた灰桜色の髪が、余計に彼女の儚さを助長させているように思えた。

 花のように綻んだ笑みを浮かべる少女からは、“彼女の命がもうすぐ燃え尽きようとしている”ことなど、決して想像できやしないだろう。

 

 

『知り合いのお医者様から、治験を勧められたんだ。うまくいけば、私の病気、完治するかもしれないって!』

 

 

 記憶の中の少女は、いつだって鮮烈な色彩を宿している。

 一度目に焼き付いたら、決して忘れられなくなる程に。

 

 

『私と同じ病気で苦しむ人も助けられるかもしれない。可能性は五分五分だけど……でも、頑張る。貴方と一緒に生きたいから』

 

 

 自分は知っている。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ことを。

 言うべき言葉は決まっている。すべきことも決まっている。やめろと叫んで、行くなと叫んで、彼女を腕の中へ閉じ込めなくては。

 だのに、口から出てくるのは、少女を断頭台へと送り出すための言葉だ。彼女の背中を押してしまう言葉だ。

 

 やめろ、やめろと念じても、記憶の中の自分は、記憶通りの言葉を告げる。

 

 

『――そうか。……頑張れ、■■■。応援してる』

 

『うん! ■■■■も、“試験”頑張ってね! 応援してるから!』

 

 

 ――そうして、同じ光景が繰り返されるのだ。

 

 暗転を挟んで、光景が移り変わる。浮かび上がったのは、灰色の色調で統一された薄暗い部屋だった。部屋の丁度中央の位置に、やけに鮮やかな白の台が置かれている。

 春の訪れを思わせるような灰桜色の髪も、柔らかな微笑みも、鈴のような音色を思わせる声も、そこにはない。あったのは、永遠の沈黙。静寂と、冷たさ。

 

 何があった。一体全体何が起きれば、彼女は()()()()()()()()()()()()()()

 

 髪は極夜の如き藍色へと変貌し、健康的な肌は青白くなっている。彼女の左腕には、幾重もの注射痕や点滴痕が重なるようにして点在していた。手足は枯れ木のように痩せ細り、目には真っ黒な隈が刻まれている。――どこからどう見ても、治験という言葉で片付けられるようなものではない。

 

 

『これは必要最低限の犠牲だ。彼女は、これからを生きていく人々の為の礎となった』

 

 

 振り返った先にいた医者は、メガネのブリッジに手を当てて告げる。

 

 

『悲しむことは何一つとしてないだろう。むしろこれは、誇るべきことだ。彼女の人生は“意味あるもの”となったのだから』

 

 

 ふざけるな。

 

 ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな――!!

 

 医者として、人間として、遺族に懸けるべき言葉の選択として、コイツは常軌を逸している。どうしてそんな悍ましい言葉で人の死を流すことができるのか、まったくもって理解できない。かけがえのない命を理不尽に奪われて、『必要最低限の犠牲』だと切り捨てられて、黙っていられる人間がどこにいようか。

 自分は医者の胸倉を掴んで抗議しようとしたが、周囲にいた人間たちによって阻まれた。手を伸ばすが、届かない。狂ったように叫びながら、人垣とスクラムを組む。そんなわずかな間に、医者の背中は暗闇の向こうへ消えて行った。呆然とする自分の背後から、同じようにして大切な人を奪われた遺族たちの悲鳴が木霊する。声色が、酷く遠い。

 

 

 ――遠い昔の悪夢から、意識は一気に覚醒する。

 

 

 自分の眼前には、巨大な檻。青く美しい4枚羽と、鮮やかな緑の尾羽を持つ、孔雀とよく似た外見のポケモンが閉じ込められている。彼の眼差しは、巨大な培養液に漬けられた少女に注がれていた。

 嘗て自分が亡くしてしまった女性(ひと)と瓜二つの姿。花のようなかんばせは思い描くことも能わぬ程に、少女の表情は苦悶で歪んでいる。フラッシュバックするのは、先程の悪夢。

 彼女は最後、変わり果てた姿で帰ってきた。物言わぬ骸となって帰ってきた。ならば、この少女に待ち受ける運命(さだめ)は――考えるだけでめまいがする。考えるだけで悪寒がする。

 

 少女が味わう苦しみは、彼女が味わい尽くした苦しみだ。何をされ、どんな副作用に苛まれ、どのようにしてもがき苦しみ、のたうち回り、そうして――死に絶えたのか。

 「助けてくれ」と叫んだのは一体誰だったんだろう。手を伸ばしたのは誰だったのだろう。手を伸ばすべきは誰だったのだろう。頭の中で、何度も何度も問いかける。

 

 

「私はもう見たくない」

 

 

 自分の中で繰り返される過去、拒否したい光景。

 それを代弁するが如く、眼前に囚われたポケモンが訴える。

 

 

「……見たくないんだ。■■■■■■やあの子が、これ以上苦しむ姿など……ッ!」

 

 

 期しくも、件のポケモンが抱いたのは、自分と同じ願いだった。()()()()()()()()()()()()()()姿()()()()()()()――その一念だった。

 ……だから、だろう。「お前も、そうなのだろう?」というポケモンへの問いに対し、無言のまま頷き返したのは。

 

 

「この世界のすべてを敵に回してでも、己の命を燃やし尽くしても、守りたいものがある。私にも、お前にも」

 

 

 彼の眼差しは、培養液に漬けられた少女へと向けられる。透明なガラス板で仕切られた部屋の向こうでは、研究者や制服を着た人間たちがせわしなく動き回っていた。全員の胸元には、十字架と音符が描かれた“特徴的なシンボル”が描かれている。

 伝説のポケモンの為に、己の信仰を示すために、奴らは日夜実験に明け暮れる。培養液に漬けられた少女と同じ目的で連れてこられ、同じ実験を受けた者たちは悉く死に絶えた。それ故に、研究者や制服を着た連中たちは、少女に執着している。

 死なせたくない。死なせるわけにはいかない。たとえその動機が、嘗て失くしてしまった最愛の人への鎮魂と贖罪からだったとしても。最愛の人と瓜二つの少女であるという理由だったとしても――この光景を黙って見過ごせるはずがなかった。

 

 だから、自分は頷き返す。

 それを見たポケモンも、皮肉気に鼻を鳴らした。

 

 

「――これより、私とお前は“共犯者”だ」

 

 

 

★★

 

 

 

 あちこちから轟音が絶えず響き、それに紛れるようにして怒号が飛び交う。慌ただしく駆け抜けていく者たちは、みな服の何処かに紋章が刻まれていた。

 十字架と音符が描かれた特徴的なマーク――これを身に着けた面々は、自らを『レクイエム団』と名乗っている。

 

 

「被検体S-371が逃げたぞ! 探せ!」

 

「う、うわあ! K-665が!」

 

「これ程の数のポケモンたちを、一撃で……!」

 

「何故こいつが自由になっているんだ!? システムは一体どうなってるんだ!」

 

「至急援軍を! このままじゃ持ちません!」

 

 

 どこもかしこも、火がついたような騒ぎになっている。息を潜める自分たちに気づく様子はない。

 

 人の気配が去ったことを確認し、少女は物陰からひょっこりと顔を出した。ポニーテールに結った桃色の髪がゆらゆら揺れる。青色の瞳は不安の色が滲んでいた。

 肩に下げていた鞄が小さく蠢く。中からひょっこり顔を伺わせたのは、真っ白な体毛を持ったシマエナガのようなフォルムのポケモンだった。

 

 

「サクラ」

 

「まだ駄目。隠れてて、エテルナ」

 

 

 少女――サクラは口元に手を当てるジェスチャーをしつつ、白いポケモン――エテルナの頭を撫でた。エテルナもこちらを労るようにして擦り寄る。

 遠くから足音が聞こえてきた。少女は大慌てで物陰に隠れる。レクイエム団の研究者と構成員が、似たり寄ったりな話を繰り返していた。

 彼らは2つのグループに分かれて行動しているらしい。1つが逃げたサクラを追いかける方、もう1つが暴れるポケモンを大人しくさせる方だ。

 

 

「まったく。悪いことがこうして重なるとは」

 

「K-665が暴れたドサクサに紛れて逃げ出すなんて、小賢しい被検体だな」

 

 

 研究員と構成員の声が遠ざかる。程なくして、人の声は聞こえてこなくなった。

 この場に響くのは、別の場所で起こっている戦いの喧騒のみ。

 

 

「ええと、今は施設内のこのあたりだから……この先の通路を右に曲がって、次の角で左に曲がって、その通路を真っ直ぐ行った突き当りにある転送装置を使えば、非常口に出られる……はず」

 

 

 偶然拾った施設内の地図――ホログラム形式になっており、脱出口の位置とサクラたちの現在地も一緒に表示してくれる高性能――で、現在地と目的地を確認する。地図に示された転送装置と、非常口まではまだ距離があった。隠れられる場所があればいいのだが、これまで通りに()()()()()とは思えない。

 

 

(今までは、通路の途中にあったゴミ箱や段ボール、荷物の影に隠れることができたけど……この先にも隠れられる場所があるとは限らない)

 

「ラルー」

 

「ブイ……!」

 

 

 サクラの荷物に紛れ込んでいた他のポケモンたち――ラルトス/メロディとイーブイ/ピアノも、警戒しながら周囲を見渡す。ラルトスは人の感情を敏感に感じ取れるポケモンだ。イーブイは臆病な性格で、危険予知という珍しい特性を持ち合わせていた。そのため、双方共に『自分に降りかかる危険を察知する』力に長けている。

 2匹は、レクイエム団関係者が放つ狂気や悪意が近辺にはないことを察したのだろう。サクラを促すように目配せする。サクラも頷き、小走りで通路を駆け抜けた。その後も何度か構成員たちとニアミスすることはあったが、丁度隠れられそうな場所があったおかげで、追っ手をやり過ごすことができた。

 先の通路を右に曲がり、次の門で左に曲がる。通路を真っ直ぐ行った突き当りにある転送装置に飛び乗れば、目的地である施設の非常口だ。サクラの願った通り、非常口は施錠されておらず、実験生活で弱っていた自分の力でも問題なく開け放つことができた。差し込む太陽の光に、サクラは思わず手で目を覆った。

 

 眩しい。

 

 思えば、最後に太陽を浴びたのはいつのことだったろう。この施設に連れてこられる以前の記憶や、施設内で実験を受けていたときの記憶は朧気だ。

 実験中の記憶は、痛くて、辛くて、苦しくて――意識がはっきりしない時間が長かったが、漠然と、そのことだけは覚えている。

 

 

(……あのポケモンは、大丈夫かな)

 

 

 サクラは思わず振り返る。この施設内で暴れていると言われるポケモン――レクイエム団からはK-665と呼ばれる――4枚羽と緑の尾羽を持つ孔雀のようなポケモンだ。

 

 時折、サクラが関係する実験に、K-665と呼ばれたポケモンが被検体として連れてこられることがあった。大きな鳥籠に閉じ込められた鳥は、いつも心配そうに自分を見つめていた。レクイエム団関係者を射殺さんばかりに睨みつけていたこともあったと思う。

 K-665と呼ばれた彼は大柄なポケモン故、威圧感はかなり強い方だ。それでも、サクラを見つめる眼差しは、とても優しかったことが印象に残っている。似たような実験を受けていた被検体同士、彼も無事に脱出できていればいいのだが。

 

 

「――いたぞ! 被検体S-371だ!」

 

(見つかった……!)

 

 

 施設の敷地内をうろついていたレクイエム団の下っ端が声を上げた。サクラは慌てて踵を返そうとするが、下っ端たちは次々と飛び出してくる。文字通り、あっという間に取り囲まれてしまった。下っ端たちは即座に手持ちポケモンを繰り出す。

 ニャスパー、ケーシィ、スリープ、シンボラー、ピッピ、プリン、ブルー等――エスパータイプやフェアリータイプのポケモンたちが、じりじりとサクラたちへの包囲網を狭めていく。メロディやピアノがサクラを守ろうと前に出るが、どちらも身体を小さく振るわせていた。

 サクラだって、本当は怖くて仕方がない。でも、鞄から飛び出そうとするエテルナを抑え込むことはやめなかった。サクラ同様、レクイエム団は被検体としてエテルナのことを求めている。自分もそうだが、エテルナをレクイエム団に渡すことはできない。

 

 自分はどうなっても、ポケモンたちは守らなくては――サクラが決意を固めたのと、何かが吹き飛ぶような音が響き渡ったのはほぼ同時。

 次の瞬間、下っ端たちとポケモンの悲鳴が響き渡った。間髪入れず、巨大な影が割り込むようにして突撃。そうしてすぐ、この場に降り立つ。

 

 突撃攻撃はサクラ、メロディ、ピアノらを逸れ、下っ端とその手持ちだけをピンポイントで狙ったらしい。

 

 

「無事か、サクラ!?」

 

「……貴方は……!」

 

「――ああ、無事なんだな。よかった」

 

 

 下っ端とポケモンを一撃で戦闘不能に持ち込んだ下手人――4枚羽と緑の尾羽を持つ孔雀のようなポケモン/K-665は、とても優しい眼差しでサクラを見返す。

 

 

「ここは私が引き受ける。だから、早くキミは逃げるんだ」

 

「ねえ、どうして? どうして、貴方は……」

 

 

 分からない。同じ痛みを知る者同士ではあるが、それ以上に、K-665はサクラのことを案じてくれる。今回彼が急に暴れたのだって、サクラとエテルナを施設から逃がすためではないのかと思えてならないのだ。

 サクラを逃がし、施設に大打撃を与えたとなれば、K-665も無事に済まない。逃げられれば助かるかもしれないが、K-665には『自分が逃げる』意志などなさそうだった。むしろ、()()()()()()()()()()()()()()()()()と考えている節がある。

 

 しかし、彼はサクラの質問に答えなかった。ふ、と、どこかニヒルな笑みを浮かべ、殺到してきた新手を睨みつける。

 

 

「心配は無用だ。私も後で、自力で逃げるさ。それに……」

 

「それに?」

 

「――別にアレを、全部叩きのめしてしまっても構わんのだろう?」

 

 

 鞄の中から「好きィッ……!!」と悶絶するくぐもった声が聞こえた気がしたのは、サクラの気のせいだろうか?

 その真偽を確かめるよりも先に、下っ端たちが手持ちのポケモンをこちらへ差し向ける方が早かった。

 勿論、K-665と呼ばれたポケモンは、躊躇うことなく下っ端ごとポケモンたちを迎え撃つ。

 

 羽ばたきと共に発生した桃色の刃が、下っ端ごとポケモンたちを吹き飛ばした。K-665は文字通り獅子奮迅の勢いで、襲い掛かって来る下っ端たちを倒していく。勿論、サクラたちの方には誰1人として近寄らせない。

 

 やっぱり、彼はサクラを守るため、時間稼ぎのために戦っているのだ。

 そんなK-665を見捨てて、自分だけ逃げ伸びるわけにはいかない。

 

 

「来るな! 早く逃げなさい!」

 

 

 一歩踏み出そうとしたサクラを、K-665は一喝した。鬼気迫る声色に、サクラは思わずたじろぐ。それでも食い下がろうとしたのは、彼が自分のせいで犠牲になるのが嫌だったからだ。

 

 

「でも……! 貴方が私のせいで……私が弱いせいで……――」

 

 

 サクラの声は最後まで紡がれることはない。K-665が突如、美しい歌を歌い始めたためだ。天から白い光が降り注ぎ、下っ端やその手持ちたちの断末魔ごと飲み込んだ。

 K-665の攻撃は、この場に大きなクレーターを形成する。あまりの威力に、サクラは思わず身じろぎした。振り返ったK-665は、どこか誇らしげに目を細めている。

 瞳から滲み出ているのは優しさなのに、彼の眼差しはどこまでも不敵で力強かった。大丈夫だと訴える代わりに、「問題ないから心配するな」と彼は告げる。

 

 

「私()()がキミを守る。――必ずだ」

 

 

 K-665の眼差しが、サクラとエテルナへ向けられる。そうして、彼はちらりと視線を巡らせた。

 サクラもその先を見る。施設の高台で蠢く影らしきものが、逆光の中で揺れた。

 

 だが、それも一瞬のこと。K-665はすぐに下っ端たちへと向き直り、敵のど真ん中へと突撃した。再び悲鳴が響き渡る。

 

 

「今は逃げよう、サクラ」

 

「エテルナ……」

 

「――彼の想いを、無駄にしないであげて」

 

 

 鞄から顔を出したエテルナは、真剣な眼差しで訴える。サクラは暫し悩んだ後、エテルナの言葉に従うことを選択した。

 後ろ髪をひかれるような光景に背を向け、振り返らずに駆け出す。――背後から、美しい聖歌が響き渡った。

 

 

 

★★

 

 

 

 本日、コムニア地方は晴天。眩い太陽と、どこまでも透き通った蒼穹が広がっている。

 

 空の美しさに惹かれ、思わずカメラを構えてシャッターでパシャリ。良い写真が撮れたと確信し、少女はうんうん頷く。

 もしもこの場に父がいたら、「吹き抜けなんて撮ってどうするんだ?」と、心底不思議そうな顔をして訊ねてくるのだろう。

 感性や審美眼は人それぞれだから、着眼点が違うのは当然だ。写真家である母なら、ささやかな瞬間を鮮やかに切り取ることができるだろう。

 

 鼻歌混じりに、少女は舗装された通路を歩く。ダークブラウンの髪は、アローラ地方で流行っているスプラッシュガールに切りそろえられていた。瞳の色は父親と同じ鮮やかな緑色だが、眼差しは母親譲りだとよく言われている。意気揚々とした歩みに触発されるように、白のケープ風ジャケットの裾が揺れた。

 ケープ風ジャケットの下は、ネイビーのレイヤードタートルネックを着ている。動きやすい黒のホットパンツとニーハイソックスを穿き、ネイビーブルーのオペラシューズを履いていた。総評としては、非常に活動的な姿であると言えよう。写真を撮る際、動きやすい服装の方がいろいろと便利なためである。

 

 

エーテル財団(ウチ)の保護区とは、随分雰囲気が違うなぁ。あっちが補整された場所なら、こっちはできるだけ自然な状態の環境を利用する形になってるんだね」

 

 

 少女は故郷を思い出しながら、きょろきょろと周辺を見回す。パッションシティ近郊にある――コムニア地方の慈善団体・セクエンツィア財団が立ち上げた――保護区で見かけるポケモンたちは、この近辺に生息しているポケモンたちのみだ。コラッタ、オタチ、ジグザグマ、コリンク、ミネズミ、ポッポ、オニスズメ、ホーホーやその進化系などが多いらしい。

 おそらく、セクエンツィア財団が保有している保護区ごとに、多方面の環境変化や保護されているポケモンに差異があるのだろう。各地を巡り、その違いを写真に収めると言うのも楽しそうだ。父の仕事について行くことを選んだのは正しかった、と、自分の決断に対して自画自賛しながら、保護区内を練り歩いた。

 木の実をついばむポッポ、至近距離で警戒態勢のまま睨み合うオタチとミネズミ、どこからともなく拾ってきた道具にじゃれつくジグザグマを見守るマッスグマ親子――ポケモンたちの見せる一面や仕草を最高の状態でカメラに収める。ベストショットを求めて、飽くなき熱意を燃やしていたときだった。

 

 ――どこかで、ガラスが粉々に砕け散る音が響き渡った。

 

 間髪入れず、少女の足元を揺るがす程の振動が襲い掛かる。慌てて近くにあった手すりに摑まることで、尻もちをつくことだけはどうにか回避することができた。

 見学に来ていた人々やセクエンツィア財団職員が慌ただしく駆け回る中、少女は轟音が響いた方向に視線を向けた。

 

 

「――!」

 

 

 刹那、視界の端に鮮やかな青を視認する。晴れ渡った空とは、明らかに違う色彩だ。恐らくあれは、飛来物の類であろう。

 少女は反射的にカメラを構えてシャッターを切る。ファインダー越しに、鮮やかな青が降り立った地点を捉えた。

 カメラマンとしての勘と矜持が、『あの青い光を追え』と叫んでいた。その衝動に突き動かされるようにして、少女は駆け出す。

 

 息を切らせて走る、走る、走る。

 

 視界の端に、こちらに手を伸ばして何かを叫んでいた財団職員の姿がよぎったような気がした。背後から、男性がこちらを呼び留めようとする声が聞こえたように思う。――しかし、そのどれもが、少女の好奇心を引き留める一切の力を持たない。役として、あまりにも無力過ぎた。

 都会の喧騒が聞こえてきそうな郊外から、ぐんぐん距離が離れていく。道路の標識には、道路の番号と『ポケモンの飛び出しに注意』を示すマークが描かれていた。生い茂る草木を強引にかき分け、少女は鮮やかな青を追いかける。――そうしてその果てに、少女は、その色彩の持ち主と対峙した。

 

 そこにいたのは、威風堂々とした佇まいをした1羽のポケモンだった。

 青く美しい4枚羽と、鮮やかな緑の尾羽を持つポケモン。

 

 

(こんなポケモン、アローラじゃ見たことない!)

 

 

 孔雀を連想させるような姿に、少女は思わずカメラを構える。ファインダー越しから見たポケモンの姿に圧倒され――少女は気づいた。

 

 

(……このポケモン、傷だらけだ……。何かあったのかな?)

 

 

 少女がそんなことを思い至ったのと、つい衝動と癖の赴くままにシャッターを切ったのはほぼ同時。

 シャッター音を聞き届けたポケモンが、怨敵を見つけたと言わんばかりに少女の方へと向き直る。

 

 眼差しはどこまでも鋭くて、剣呑だ。明らかに、こちらに対して強い敵意を持っている。傷だらけであるにも関わらず、こちらを迎え撃つ気満々だ。

 

 相手側の眼差しに呼応するが如く、少女の腰についていたモンスターボールがカタカタと揺れる。一番先頭に並んでいる相棒も、相手を迎え撃つつもりでいた。――勿論、相手を叩き伏せるための戦いではない。美しい毛並みは汚れ、薄らと血を滲ませたこのポケモンを保護するためだ。

 両親、および自分の出身地柄、ポケモン保護には精通しているつもりである。ウルトラビースト――通称UBと呼ばれる『外宇宙から来訪したポケモン』の保護に向かう両親の背中を、少女は頭の中に思い浮かべた。自分の実力は、憧れの両親には遠く及ばないことは理解している。

 

 けど、それでも、このポケモンを放置するわけにはいかない。何とか落ち着かせなくては。

 

 

「お願い、スピカ!」

 

 

 少女はカメラから手を放し、腰のモンスターボールに手をかけた。そのまま勢いよくアンダースロー。母親曰く『乙女なスタイル』投げらしい。現在は『華麗なスタイル』が様になっているが、ネクロズマと誓約者になった頃は『乙女なスタイル』投げをしていたという。閑話休題。

 モンスターボールが開き、中から相棒が飛び出してきた。青い体に、首には襟のようなものがついている海驢――アシマリのスピカ。地面に着地した彼女は、尻尾を使ってぴんと立って見せる。傷ついていようが格上の相手に対し、一切引くつもりはないらしい。きりりとした眼差しに、少女も前を向き直った。

 

 

***

 

 

 ――結論からして、自分たちはあの後、ポケモンを落ち着かせることに成功した。

 

 

『スピカ、<歌う>!』

 

 

 長い攻防戦を繰り返し、決定打――スピカの<歌う>による状態異常・ねむりが発生。件のポケモンが、こちらを攻撃することができなくなったためである。

 遭遇した時点でボロボロだったのだ。恐らく、かなりの疲労が溜まっていたのだろう。財団職員たちによって運ばれていったとき、件のポケモンはぐっすりと熟睡していた。

 

 後始末のために動き回る財団職員、何事かとこちらを見返す野次馬の群れ、野次馬を制する警察関係者――こういうときの対応や反応は、どうやら全国共通の光景らしい。少女がぼんやりと、そんなことを考えていたときだった。

 

 見覚えのある男性の姿が視界の脇に入る。前髪が特徴的な眩い金髪は振り乱れており、自分と同じ鮮やかな緑色の瞳は落ち着きなく周囲を見回していた。白いジャケットの胸元には、エーテル財団のシンボルが刺繍されていた。

 少女が男性を認識したのと、男性が少女を認識したのはほぼ同時。同じ色の瞳、その視線が交錯する。お互いの瞳には、お互いの姿が鮮明に映し出された。表情が変わったのは同時だが、少女が喜色満面なのに対し、男性が鬼気迫った表情を浮かべる。

 

 

「――ナトセ!」

 

「ああ、パパ! レックスさんとの話は終わったの?」

 

「馬鹿! お前はなんて無茶を……!」

 

 

 父へ大きく手を振り返した少女――ナトセ・エーテルに降りかかったのは、父からの声にならない叱責だった。怒りたいのに怒れない――そんな言葉を綺麗に体現するかのように、端正な顔立ちはくしゃくしゃになっている。

 それもそのはず、ナトセの外見は母親譲り。特に笑顔は「母親と瓜二つ」と自他ともに認めている程。そうして更に付け加えるとするならば、父は母にべた惚れだ。今この瞬間も、軽く頭を叩いた後、苦笑し小声で「よくやった」と褒めるくらいには。

 

 なんだか誇らしくて、ナトセとスピカがえっへんと胸を張ったときだった。

 

 

「流石、現在までチャンピオンとして君臨するアローラの写真家ヒマリさんと、エーテル財団総帥であるグラジオさんの愛娘ですね。見事な腕前です」

 

 

 こちらに声をかけてきたのは、1人の紳士。ブラウンベージュの髪は清涼感のある爽やかなショートヘアに切りそろえられており、黒い四角淵の眼鏡をかけた男性だ。

 細い目元と温和な微笑を浮かべた彼は、ナトセに向けて小さな拍手を送った。純粋な賞賛というのは照れ臭いが、とても心地よい。ナトセははにかんだ。

 対して、父――グラジオ・エーテルは、端正な顔を更に別ベクトルに歪ませる。眉間の皺が数割増し。苦労しているのだと言わんばかりの表情を浮かべていた。

 

 

「……レックスさん。あまり娘を調子づかせないでもらえないか」

 

「いえいえ、事実ですよ」

 

 

 父に名を呼ばれた紳士――レックス・トレメンデ・セクエンツィアは、人から好かれそうな柔らかな笑みを浮かべる。

 顎に手を当てて「ふむ」と呟いた彼の目が、薄らと開いたように見えたのは気のせいだろうか? ナトセがそう思ったとき、レックスが頷き返した。

 

 

「外部の方にこういうことを進めることは滅多にないのですが……ナトセさん。貴女の実力に魅せられた者として、コムニア地方出身者として、コムニアの文化を愛する者として、貴女に提案したいことがあるのです」

 

「何ですか?」

 

「我がコムニア地方に伝わる風習――《奉納の巡業》に、挑戦してみませんか?」

 

 

 

★★

 

 

 

『随分と回り道をしたが、断言する。俺の歩んだ道は何一つとして無駄なものはなかった』

 

 

 降り注いでいた罵声が止んだ。

 

 

『悪意に頽れ、悪事に手を染め、泥にまみれて生き恥を晒しながらも、それでも俺は帰ってきた。帰って来たぞ!』

 

 

 煌びやかなステージ衣装を身に纏った男性は、高らかに宣言する。

 

 

『――嘗てお前が憧れ、尊敬した“俺”を張り通すために!』

 

 

 そう叫ぶなり、男性はモンスターボールを投げた。

 

 ボールから飛び出してきたのは3匹のポケモン――エンペルト、情熱的な赤いオドリドリ、デンリュウ。男性の声に応えるが如く、まずはエンペルトが技を繰り出した。ド派手な水芸と冷気で、ステージ全体を氷のフィールドへと変貌させる。それと同時に、オドリドリが<フェザーダンス>を披露する。

 舞い落ちる羽毛に焔が合わさり、それは情熱の炎を放った。しかし、吹き荒れる冷気も負けてはいない。ステージを覆い尽くした冷気と氷のオブジェは、オドリドリの<目覚めるダンス>でも溶け始める様子はない。相反する属性が、ステージ上に共存している。

 

 観客たちが演技に釘付けになったことを察したのか、男性はニヤリとあくどい笑みを浮かべた。

 後は最高潮へ盛り上げる――青の瞳が不敵に瞬いたのを見て、思わず少年は息を飲む。

 ステージから遠い観客席でも、あの青年とポケモンたちが放つ演技の勢いはびりびりと伝わってきた。

 

 

『カイザー、テンツァー』

 

『きゅおん!』

 

『めらめらっ!』

 

 

 愛称を呼ばれたエンペルト/カイザーとオドリドリ/テンツァーは、了解したと言わんばかりに引き下がる。

 代わりに躍り出たのは、ずっと動かないままだったデンリュウ。

 

 男性がデンリュウに目配せした。デンリュウも不敵な笑みを浮かべて頷き返す。

 

 男性が左手首に触れ、高らかに手を挙げた次の瞬間、彼の左手首についていたリング――そこにはめ込まれていた石が、鮮やかな光を放った。

 呼応するが如く、デンリュウが持っていた石が輝きだす。溢れだしたエネルギーがデンリュウを包み込み、デンリュウは自らその殻を打ち破った。

 

 

『決めるぞ、リヒト!』

 

『りゅりゅーん!』

 

 

 メガシンカしたデンリュウ/リヒトが元気よく返事を返した。迷うことなく打ち放たれた<電磁砲>が炸裂し、氷のオブジェを破壊する。

 砕け散った氷の破片に光が乱反射した。間髪入れず降り注ぐスピードスターが、幻想的な余韻を引き立てている。

 

 

『凄ぇ……!』

 

 

 誰も彼もが息を飲んで、男性の演技に見入っていた。

 

 男性の経歴――ライバルに敗北し続けて表舞台から姿を消し、コムニアで活動する過激派宗教団体で犯罪行為に手を染めていた過去がある――を詰っていた連中も、男の実力を蔑ん営たコンテスト評論家も、彼のことを一切知らなかった自分を含めて。

 何かを言おうとして、少年は“自分がすでに口を開けていたこと”に気づいた。湧き上がった衝動を言葉にしようとしたはずなのに、何も出てこない。喉の奥底から漏れたのは、壊れた笛のような掠れた音だけ。一歩遅れて、少年は、自分が泣いていることに気づいた。

 拍手の音が響き始める。まばらだった音は、水の波紋が広がっていくが如く、会場全体に伝播していった。少年も、響いてきた拍手に誘われたかのように、自らの意思で手を叩いていた。涙が止まらないのに、口元は自然と笑みを浮かべていた。

 

 背後のモニターに表示されたのは、問答無用の満点評価。前半戦を1位タイで突破した男性は、そのまま決勝トーナメントを破竹の勢いで勝ち上がる。

 優勝候補と目された少女――ナミネ・ヘデラとの因縁の対決も、接戦の末に彼女を降したのだ。――双方共に、満面の笑みを浮かべて。

 

 

『イカサマだ! こんな結果、イカサマに決まってる! アイツが審査員を買収したんだ!』

 

『何かズルしたんじゃないのか!? そこまでしてナミネちゃんに勝ちたかったのかよ!』

 

『恥を知らぬとは……流石は元・レクイエム団だな、サネチカ・アカザ!』

 

 

 しかし、この結果に納得していない者がいることも事実だ。会場のあちこちから、健闘を称え合ったナミネと男性――サネチカの空気をぶち壊しかねないブーイングが飛び交う。

 

 

『――やめて! 私がコンテストを始めるきっかけになった“憧れの人”を侮辱しないで!』

 

 

 そんなギャラリーを一瞬で黙らせたのは、此度は敗北者に甘んじたナミネだった。眦を釣り上げた彼女に呼応するが如く、アシレーヌたちが観客たちを睨みつける。

 対して、サネチカはナミネの行動に目を見張った。まさか彼女が自分を庇うとは思えなかったのだろう。呆気にとられた間抜け面を晒していた。

 

 

『――ふ、ふは、ふはははははははっ!』

 

 

 が、それも僅かな間のみ。サネチカは突如大笑いし始めた。

 マイク音声が彼の声を拾い、わんわんと響かせる。

 思った以上に反響しやすい声のようだ。

 

 ひとしきり笑ったサネチカが、ナミネを見返す。彼の眼差しは、どこまでも真剣だった。

 

 

『俺は、“お前が憧れた俺”を、張り通すことができたんだな』

 

 

 そう言って満足げに目を細めたサネチカの笑顔が、スクリーンに映し出される。勝利を求めて、己の貪欲さを隠しもしなかった不敵な笑みからは想像できない程、柔らかな笑みを浮かべていた。間髪入れず、満面の笑みを浮かべて頷き返したナミネの表情がスクリーンを彩った。

 経歴も優勝候補も何も関係ない。ナミネとサネチカは、“お互いの実力を認め合い、健闘を称え合うライバル同士”だ。他者が横槍を入れ、踏み躙るような隙は一切無い。それを穢す資格だって無いのだ。――誰もがそれを理解し、その上で、2人へ何を贈るべきかを決めたようだ。それは、少年も同じ。

 

 拍手の音が響き始める。まばらだった音は、水の波紋が広がっていくが如く、会場全体に伝播していった。

 少年も、響いてきた拍手に誘われたかのように、自らの意思で手を叩いていた。

 授賞式が終わるまで、ずっとずっと、拍手が鳴りやむことはなかった。

 

 

 ――ロータスシティで開催されたポケモンコンテスト。

 

 この大会で見た光景を、少年は一生忘れないだろう。

 サネチカ・アカザという男を知ったから、少年はこの道へと踏み出したのだから。

 

 

 

「…………」

 

 

 ――随分と懐かしい光景だ。

 

 路地で座り込み天を仰ぐ少年は、ぼんやりとそんなことを考える。走馬燈として見るにしては、なんだか泣きたくなってきた。

 夢を叶えるためにやってきた大都会の片隅で、自分は何をしているのだろう。行動しなくてはと思うのに、身体は一切動かない。

 先程からずっと、腹の虫が鳴いている。しかし、今の少年では、命に係わる命題――空腹を解決する手段を有していないのだ。

 

 手に持った財布は非常に軽い。“何も入っていない”とも言える。旅の費用に関する計算を、自分はどこで間違ってしまったのだろう。傷ついていたポケモンを治療するために買った傷薬や、弱っていたポケモンに分け与えるために購入したポケモンフーズなどが原因ではないか――そんなことを考えようとする己を叱咤する。

 親戚も『お前は超弩級のお節介野郎だからな。恐らく、旅の費用は“お前が想定した金額の2~3倍”を用意しないと大変なことになるぞ』と言っていたか。仲が良かった兄貴分を思い出し、少年は苦笑する。心なしか、頭に付けていた紫色のヘアバンドがずるりと落ちた。銀髪は埃やゴミが絡みついていてボサボサである。

 

 

(死ぬ前に、あの人に合いたかった)

 

 

 煌びやかな衣装を身に纏った男性――サネチカ・アカザ。自分をコーディネーターの道へと誘った、敏腕ポケモンコーディネーター。嘗て悪事に手を染めたが、足を洗って、再び表舞台へと躍り出てきた人物だ。

 今日、彼はコムニアのポケモンコンテストの祭典――《エスティメイノス》へと出場する。なら、大会の会場に向かえば、自分はサネチカに会えるかもしれない。希望に縋るようにしてパッションシティへやって来たが、自分はここで終わってしまうようだ。

 不意に自分の格好が目に入る。泥と埃に塗れた灰色のパーカーと緑のズボン、底がすり減って傷だらけのアーミーブーツ。誰がどう見ても、コンテストとは極めて無縁の服装であった。それもそのはず、少年のルーツはポケモンブリーダー。野山を駆け回ることが多い職業なのだ。

 

 煌びやかな世界に踏み込んでも、少年のルーツは変わらない。超弩級のお節介野郎として、街も道路もダンジョンも駆け回り続ける。

 

 

(ああ、空が眩しい。車や人々の喧騒が、どんどん遠くなっていく。俺は、夢も希望も叶えることができないまま、浮浪者の1人として死んでいくのか――)

 

「――何してるの?」

 

 

 滲みかかっていた世界に、ダークブラウンの色彩が浮かぶ。白、青、黒が綺麗なトーンを描いている。

 何事かと瞬きすれば、自分と同じ年頃の少女が、心配そうにこちらを見返しているところだった。

 

 

***

 

 

 大きく口を開けて、少年はホッドドックに被りついた。シャキシャキとした歯ごたえのレタスのほのかな苦味と、パキリと気持ちよい音を立てたウィンナーの程よい塩味、マスタードの辛味とケチャップの酸味やコッペパンのほのかな甘みが口一杯に広がる。

 噛めば噛むほど、それぞれの味が絶妙に混ざり合い、五臓六腑に沁みわたっていく。普段は何気なく食べている出店の品物も、極限状態で食べると、高級レストランの大人気メニューのように思えてならない。最後の一口を咀嚼し、飲み込んだ少年は大きく息を吐いた。

 

 

「あー、美味かった。助かったよ、ありがとうな」

 

「どういたしまして! 写真家が『決定的な瞬間をカメラに収める』ように、『困っている人やポケモンを見たら助ける』のが、私たちのモットーだから」

 

 

 少年が礼を言えば、精算を終えた少女が満面の笑みを浮かべているところだった。

 

 彼女が支払いに使ったトレーナーカードは、世界の中でも“金持ちや一定の権力者、および実力者しか持たない”特殊な加工が施されている。白いトレーナーカードに刻まれた透かし模様がその証拠だ。カードの中央にはアローラ地方の島巡りを終えたことを意味する《輝きの紋章》、左上端にはエーテル財団関係者を意味する財団の紋章が刻まれていた。

 エーテル財団と言えば、アローラ地方における慈善活動団体である。中でもポケモン保護や、UBと呼ばれる異世界からの迷い子を元の世界へ帰す活動に力を入れているそうだ。20年以上前には大きな事件の渦中にいながらも、先代代表と現代表が立て直しに奔走し、現在に至るという。一般人である自分とは違い、少女は金と権力には困らない。

 それもそのはず、彼女はエーテル財団総帥の娘なのだ。大きな慈善団体を取りまとめる父、初代チャンピオンとして王の座を防衛し君臨する有名なカメラマンを母に持つサラブレット――それが、少年の目の前で屈託なく微笑む女の子だったりする。人生、どこでどんな出会いがあるか分からない――少年は、ホットドックと一緒にその事実を噛みしめたのだ。

 

 

「ナトセはエーテル財団のお嬢様なんだろう。どうしてコムニアに? 留学か観光?」

 

「パパが仕事で『セクエンツィア財団のポケモン保護に関して、ウチでも取り入れられそうな要素(モノ)がないか視察しに行く』って言うから、無理言ってついて来たの。絶対凄い写真とか撮れそうって思ったから」

 

 

 少女――ナトセ・エーテルの目は、夢と希望で溢れている。

 緑の瞳は爛々と煌めいており、見ているこちらも元気が湧いてきそうだ。

 

 

「それで、ちょっとした事件を解決したら、レックスさんから『《奉納の巡業》に参加してみないか』って誘われたんだ」

 

 

 ナトセはそう言うなり、鞄の脇にぶら下がっていた証をテーブルの上に置いた。紡錘型のプレートに、大樹と翼が描かれている。この地方に伝わる《奉納の巡業》への参加者へ手渡されるものだ。

 

 《奉納の巡業》は、コムニア地方に伝わる伝説のポケモンへ対する信仰を示すための儀式だったらしい。だが、年月と共に儀式は形骸化。伝説のポケモンの情報と共に信仰の大部分が消えた現在、度胸試しや成人の儀式、目下のモノに対し威厳を示す等の目的で行われることが多い。

 コムニア地方のポケモントレーナーはトレーナーパスが発行されると、年齢や性別問わず、全員に等しく《奉納の巡業》に挑戦する権利が与えられる。ポケモントレーナーはコムニア地方の各地を巡り、エムブレムを5つ集め、集めたエムブレムを大霊峰に納めるのだ。

 巡業を達成した者は『伝説のポケモン』から祝福を授かると言われており、達成者の名は大霊峰に刻まれ、永遠に語り継がれることになる。――ただしそれは、()()()()()()()()()()()()の場合だ。コムニア地方出身ではないトレーナーの場合、多方面で条件が厳しくなる。

 

 

「外部出身者は、コムニア地方の人間から推薦を受けなきゃ《奉納の巡業》に参加することは不可能だ。しかも、推薦者はセクエンツィア財団の総帥……ってことは、ナトセは凄いトレーナーなのか?」

 

「まさか! パパやママに追いつくには、私はまだまだ実力不足だよ。それに、本当に凄いトレーナーなら、もう同行者として誰かを見出していてもおかしくないハズだろうし」

 

 

 ナトセは苦笑して首を振った。彼女の様子だと、外部出身者が巡業に参加する条件――『“同行者”の確保』はまだらしい。

 

 理由は不明だが、古くからの風習で『外部からやってきた旅人が《奉納の巡業》に挑む場合、“同行者”と呼ばれる役割を持つ人物が必須』である。

 “同行者”の役目を満たすのは、『コムニア地方出身者で、既に《奉納の巡業》を終えたトレーナー』のみだ。しかも、“同行者”の確保や調達は自力で行わなければならない。

 ナトセは今、一番最初の難関にぶち当たっている。「どうしようかな」と苦笑する少女は、相棒のアシマリ――スピカと顔を見合わせていた。

 

 目の前に、困っている人間やポケモンがいると放っておけない――それは、少年の気質や癖のようなものだ。

 しかも、困っている相手は、行き倒れていた自分を助けてくれた恩人である。ならば尚更、恩を返さねばなるまい。

 

 

「じゃあ、俺が“同行者”を引き受けるよ」

 

「……いいの?」

 

「ああ。ナトセは俺の恩人だろ? 恩返しに理由なんかいらない。そうだろ?」

 

 

 そう言いながら、少年は自分のトレーナーカードを指し示す。自分のトレーナーカードの中央には、《奉納の巡業》を達成したことを示す透かし模様が刻まれていた。

 紡錘型の枠に、木の実を実らせた大樹と2つの翼が描かれている。右翼が白で左翼が青。巡業参加者の証に刻み込まれた模様を一部変化させ、着色したものだった。

 “同行者”として何も不足は無い。少年の申し出を聞いた少女は輝かんばかりの笑みを浮かべて頷き返した。「ありがとう!」と告げた彼女は少年の手を取りぶんぶんと振る。

 

 同年代の女の子から手を取られるとは思わず、少年は一瞬呆けていた。

 幸か不幸か、呆けているうちに手が離れたのと、ナトセが話題を振ったことで事なきを得たが。

 

 

「ところで、ヒスイくんはなんでパッションシティに?」

 

「コンテストを見に来たんだ。パッションシティでは《エスティメイノス》って呼ばれる、本土における《グランドフェスティバル》相当の大会が開かれてて――」

 

 

 少年――シトナベ ヒスイはそこまで言葉を紡ぎ、ハッとする。

 

 コンテストが開催される時刻は今日の午後1時。現在時刻は既に3時になる直前だ。行き倒れているのを保護され、ナトセに奢ってもらい、ナトセとのお喋りに興じている間に随分と時間が経過していたらしい。

 顔色が悪くなったヒスイの表情から何かを察したナトセは、凍り付いていたヒスイを促す。2人が慌てて会場へ向かい、辿り着いたときにはもう、観客たちが施設から出てきたところだった。

 

 

「今日のコンテスト、凄かったね!」

 

「ナミネちゃんの演技、素晴らしかったなあ! 観客席に彼氏がなだれ込んできた瞬間から怒涛の演技が始まったあたり、愛のパワーって感じだった!」

 

「サネチカも随分と食い下がってたな。コンテストの偉い奴らがアイツの悪口言ってたけど、アレは誹謗中傷を通り越した人格否定じゃん。俺だったらアイツらぶん殴ってるぞ。それを一蹴できるサネチカの精神パネェわー」

 

「今回も、コムニアクイーンは振るわなかったかあ。……やっぱり、娘さんが行方不明になったのが影響してるのかなぁ……」

 

 

 ――終わった。

 

 ヒスイは膝からがっくりと崩れ落ちる。大会が終わってしまったということは、ヒスイが会いたいと思っている人物はもう既に帰ってしまった可能性が高い。

 現在時刻は3時を回った。コンテストの終了時刻も3時である。自分は何のために、遠路遥々パッションシティへやって来たのだろう。行き倒れるためでなかったことは確かだ。

 シトナベ ヒスイの夢は絶たれてしまった。こんなことなら、兄貴分の言葉に従い、旅の資金を予想額の2~3倍用意しておくべきだった。後悔後先に立たずとはこのことだ。

 

 

「だ、大丈夫だよヒスイくん。ヒスイくんが会いたい人って、大会の参加者なんでしょ? 大会が終わったばかりなら、着替えやらマスコミ対応やらで控室に残ってるかもしれない!」

 

 

 「私のママがそうだったもん!」とナトセは告げる。だからまだ、希望は絶たれた訳じゃない――ナトセの言葉に背中を押されるような形で、ヒスイはフラフラと立ち上がった。一縷の望みに縋るようにして、2人はコンテスト会場に足を踏み入れる。

 帰り始めた観客もいれば、興奮冷めやらぬと言わんばかりに今日のハイライトを語る観客もいる。観客たちからサインをせがまれるコーディネーターもいれば、マスコミから集中砲火を浴びるコーディネーターもいた。祈るような気持ちで会場内部を見回すが、探し人の姿はない。

 

 

「……もうだめだぁ。お終いだぁ……! 俺の憧れた人は、サネチカさんは、もう既に帰ったんだァァ……!!」

 

「ヒスイくん、あと2~3時間くらい待ってよう? もしかしたら、まだ――」

 

 

 

 

「――俺に何か用か?」

 

 

 聞こえてきた声に振り返る。眼鏡越しにこちらを見つめる青い瞳は、怪訝そうにヒスイとナトセを見つめていた。

 

 水色の髪に、青い瞳。眼鏡をかけ、黒い貴族風の衣装を身に纏った青年――服装が違えど、見間違えるはずがない。彼が、彼こそが、ヒスイが探していた相手だ。

 サネチカ・アカザ。ヒスイをポケモンコンテストの世界へ導いた、敏腕コーディネーターである。奇跡のようなタイミングに、ヒスイはがばりと立ち上がった。

 

 

 

★★

 

 

 

『――私の恋人くんったら、私のことを“凶悪な野生ポケモン”と間違っちゃったみたいで。でも、そういうおっちょこちょいなところも可愛いんですよね~!』

 

 

 大通りのテレビジョンに映し出されたのは、元コンテストアイドル/現在は凄腕コーディネーターとして世界的に有名な女性・ルチアだ。彼女は青・白・水色の三色を基調にした清楚なワンピースを身に纏っている。アイドル時代に来ていた衣装とは違って落ち着いたデザインであるが、恋人との惚気話を披露する姿はアイドル時代とさほど変わらない。

 彼女に恋人ができたのは大分昔の話だが、未だに入籍する様子はない。伯父であるミクリが般若の如き顔をして、執拗に邪魔をしていることは周知の事実だ。似たようなことをした人物は他にもいるが、結局は『愛娘が憎いあん畜生の元へ嫁いだ』父親もいる。件の人物――トウカのジムリーダーは今でも抵抗を続けているとかいないとか。

 

 

「この物の番は、なかなかに難儀な者のようだな」

 

 

 少女の頭に乗っかっていた奇妙な形をしたアンノーンは、難しそうな声色で呟いた。

 彼はどうやら、テレビジョンの内容――『恋人を野生ポケモンと勘違いして逃げ出した』という部分に対し、苦言を呈したいようだ。

 

 

「勘違いして逃げたら駄目なの……?」

 

「それを愛する者にするかどうかの違いだな。まあ、この場合は、全面的に件の“恋人くん”とやらの不注意が悪いのだが……我も人のことは言えぬ故な」

 

 

 そこまで言って、アンノーンは沈黙した。マトマの実を口の中に突っ込まれて悶絶しているときのような、重々しい声が漏れる。

 

 

「しかも彼は、番の親戚に襲われているのだろう? 雰囲気がよく似ているならば、見間違えてしまっても……いや、だが、ううむ……」

 

「サキブレさん、あんまり戦闘能力ないもんね……」

 

 

 少女の指摘に対し、アンノーン――サキブレはそれを自覚しているためか、大きくため息をついた。

 

 実際、サキブレの種族――アンノーンの戦闘力は非常に低い。使える技は<目覚めるパワー>1種類であり、技の特徴――個体によってタイプが変わる――も相まって、タイプ一致攻撃による威力上昇の恩恵を受けにくいのだ。そのため、分が悪いとなれば逃げだしてしまうのも致し方が無い。

 サキブレの場合、<目覚めるパワー>のタイプはゴースト。悪タイプには効果が今一つ、ノーマルタイプのポケモンには一切効果なしだ。そのため、この近辺に出現するポケモンの大半がサキブレの天敵になり得てしまう。レベルが高くても技が効かなきゃどうしようもないのだ。

 世の中では『困難に立ち向かうこと』が重要視され、必要なことだと声高に語られることが多い。しかし、だからと言って、明らかに形勢不利な状況で、馬鹿正直に戦い続けることは良いことでは無いのだ。時にはその場から逃げ出し、仕切り直すことも必要である。

 

 テレビジョンはいつの間にか切り替わっており、ルチアへのインタビューは既に終わっていた。

 海を越えた地方の話も、こうしてコムニアに流れ込んでくる。情報内容にも玉石金剛、文字通りの何でもあり。

 

 外国にも興味はあるが、今は故郷であるコムニアをじっくり見て回るために旅を続けている。

 

 

「……何故だろう。『遂にやっちまった』という言葉が頭から離れない」

 

「二度あることは三度あり、三度あることは――というヤツだな」

 

 

 近辺で、男性の声が聞こえた。振り返れば、白衣を着た男性2名が『ルチアへのインタビュー』に対して意見を述べていたところだった。

 片や眼鏡をかけて緑の瞳を持つ男性、もう片方は黒髪のショートヘアに琥珀色の瞳を持つ男性である。前者は天を仰ぎ見て、後者は額を抑えて俯いていた。

 彼らは暫く何かを語り合うと、そのまま荷物を片手に人混みの中へと消えていく。風に翻る白衣を見る限り、彼等は医者か研究者なのかもしれない。

 

 

「あの者たち、なかなかの実力者のようだな」

 

 

 雑踏に飲み込まれた背中を探すようにして、サキブレは真剣な面持ちになった。少女は思わず目を瞬かせる。

 

 

「私たちより、強いってこと……?」

 

「恐らくは。だが、いつかは手が届くようになるだろう。……しかし、それにしても……」

 

「?」

 

「先程の眼鏡をかけた方、なかなか意志が高い者とみた。どうにかしてほ――」

 

「――サキブレさん、めっ」

 

 

 サキブレが発しようとした言葉を、少女は咎める。

 その言葉がサキブレの戒めとなったのか、サキブレは動きを止めて謝罪した。

 

 

「……すまん」

 

「そういう物騒な言葉、使っちゃ駄目」

 

「心得た。以後気をつけよう」

 

 

 サキブレが反省したのを見届け、少女は近くにあったベンチに腰かけた。

 

 ここからは、右手には大きなテレビジョン、左手には港が一望できる特等席となっている。のんびりするのには最適な場所だ。

 再びテレビジョンに視線を向ければ、次に映し出されたのは、アローラリーグの再放送集だった。

 

 

『いつも通り、喋んない方が面白いから黙ります』

 

『――グラジオの、馬鹿ァァァァァァアアアアッ!!』

 

 

 実況解説者が見も蓋もないことを宣言するのと入れ替わりに、女性が吼えた。彼女の叫びを表現するが如く、フィールドへ降り立ったピカチュウが<ボルテッカー>を轟かせる。真正面からそれを喰らったクロバットが一撃で撃破されていた。

 アローラチャンピオンであるヒマリと、挑戦者としてやって来たエーテル財団総帥グラジオによる夫婦喧嘩である。2人は口論を繰り広げるだけで一切指示を出していないが、主が優勢になれば主のポケモンが派手な攻めを見せると言う形で繋がっていた。

 今回の口論内容は、『本土の関係者が馬鹿なことをしたせいで起きた事件の責任を、グラジオ1人がおっ被せられるような形で背負わせられた。結果、グラジオだけが理不尽なバッシングや誹謗中傷を受ける羽目になった』一件が絡んでいるらしい。

 

 因みにこの映像、当時はリアルタイムで放映されている。勿論、本土の協会でも垂れ流しだったらしい。

 結果、夫婦喧嘩に守秘義務が搭載されていなかったことで、下手人は総辞職する羽目になったとか。

 

 実家の関係者が『ざまーみろ本土!』と腹を抱えて大爆笑していたことは、今でも忘れられないでいる。その人が、()()()()()()()()()()()先代のアニュス・ディと関わりがあったためだろう。閑話休題。

 

 

「ねえ、サキブレさん。夫婦喧嘩って、ああいうものなの?」

 

 

 少女の問いに、サキブレは難しそうな様子で唸った。

 

 

「夫婦の在り方によっ、て内容ややり方は様々だが……あそこまで賑やかなのは珍しいものだな」

 

「そうなんだ……」

 

 

 少女は再び、テレビジョンで繰り広げられる大規模な夫婦喧嘩へ視線を向ける。お互いの手持ちがどんどん倒れ、残されたのはあと1匹。

 ヒマリはアシレーヌを、グラジオはシルヴァディを繰り出した。夫婦喧嘩は苛烈を極め、主の心の気迫を表すが如く、最古参の相棒たちは激闘を繰り広げる。

 

 

『オレだって、お前を守りたかったんだ――!』

 

『シィィィルゥゥゥヴァアアアアアアアアアッ!!』

 

 

 主の叫びを具現するようにして、グラジオのシルヴァディが咆哮する。特性:ARシステムで草タイプに変わっていたシルヴァディが、渾身の力を込めて爪を振り下ろした。シルヴァディが使えば、問答無用でタイプ一致技になるメインウエポン――<マルチアタック>。

 水・フェアリーの複合型タイプであるアシレーヌには、脅威になり得る技だった。真正面から弱点攻撃を叩きこまれ、アシレーヌがフィールドに叩き付けられる。解説者がひゅっと鋭く息を飲んだ。解説は一切しないが、彼の表情が、アローラチャンプの世代交代の可能性――妻から夫へ――を示唆していた。

 

 ――だが。

 

 

『私は』

 

 

 ヒマリの声に呼応するように、アシレーヌが体を起こす。青い瞳はまだ折れていない。

 チャンピオンの左腕についていたZリングが、鮮やかな輝きを放つ。

 揺らめく水のエネルギーが、アシレーヌが所持していたZクリスタルに力を与えていた。

 

 

『貴方と一緒に、全部背負って、戦いたかったのっ!!』

 

 

 荘厳な歌声が響き渡る。巨大な水のバルーンが、シルヴァディの真上で大爆発を引き起こした。アシレーヌ専用のZ技、<海神(わだつみ)のシンフォニア>。現在、ARシステムによって草タイプになっているシルヴァディに対し、威力半減と言えど、容赦のない威力の攻撃が襲い掛かる!

 アシレーヌの特性:激流の効果も相まって、Z技の威力は加算される。元々倒れる寸前だったシルヴァディに、威力半減と言えどもZ技を受け止める体力など残されていない。妻の名前を呼んで呆然とするグラジオの声と入れ替わるようにして、シルヴァディは倒れ伏した。

 

 相棒をボールに戻した2人は、改めて互いの顔を見合わせる。ヒマリはボロボロと泣き顔を晒し、グラジオは情けない顔をして手を彷徨わせていたが、意を決したように歩き出した。

 

 泣きじゃくる妻を、夫があやす。お互いを想い合う2人の姿を見ていた解説者は、いつの間にか顔をハンカチで覆っていた。

 誰かの声が、本土にあるポケモン協会の電話番号を連呼している。恐らく、テレビに映っていない報道関係者だろう。

 長ったらしい肩書を持つ女性の声がOKサインを出したところで映像は終わり、現在のスタジオへと戻ってきた。

 

 

「……でも、結婚とかしたことないし、する予定もまだ無いから……私には分からないかな」

 

「ああ、それでいいと思うぞ。……我としても、そのほうが安心だ」

 

「……何か言った?」

 

「何でもないさ」

 

 

 サキブレは静かに微笑み、ゆらゆらと上体を揺らした。丁度そのタイミングで、船の来訪を伝える汽笛の音が響き渡った。

 

 今日もまた、新たな旅人たちがコムニア地方にやってきた。テレビジョンから視線を港へ向けて、少女は来訪者たちの観察を行う。

 髪も肌も服装も全く違う人々が、様々な表情浮かべ、この大地へと足を踏み入れてきた。

 

 少女がのんびりと――いや、どちらかと言えばぼんやりと、コムニアへの来訪者を眺めていたときだった。ある1組の親子連れらしき男性と少年に目が留まる。もっと正確に言えば、少女の興味を惹いたのは少年の方だ。

 水色の髪をオールバックに整え、額を覆うタイプで緑色のイヤーウォーマーを身に着けている。モンスターボールの柄が、白く色抜きされていた。白いカッターシャツの上には、袖なしの黒いベストを着ていた。ポーチタイプのバックを所持している。

 パッと見ればスーツパンツ風のズボンだが、非常に動きやすい素材で作られているのは遠めから見ても分かる。彼が履いている靴もまた、上品なデザインと動きやすさを両立させたチャッカーブーツだ。彼は父親と楽しそうに談笑していた。

 

 

「――――」

 

「リチア? また何か感じ取ったのか?」

 

 

 目を見開き、食い入るようにして少年を見ていた少女――リチア・ベアトリクスに、サキブレが苦笑交じりで問いかけてきた。やれやれと言いたげな相棒に対し、若干の不満を滲ませつつ、リチアはこっくりと頷き返す。

 

 

「今回は特別。ちょっと行ってみ――」

 

「駄目だ。また迷子になるつもりか?」

 

「……サキブレさん」

 

 

 リチアはじっとサキブレを見つめる。暫し無言の攻防戦を繰り広げた少女とアンノーンだが、軍配は前者に上がったらしい。

 渋々と言った感じで、サキブレは了承の意を返す。満足げに頷き返したリチアは、早速少年を追いかけようとして――

 

 

「――あれ……?」

 

「追いかけると言った途端に見失ったな」

 

 

 探し人は、ごった返す人波にさらわれてしまっていた。

 

 




【参考資料】
・『ポケットモンスターSM オープニングイベント』
・『ポケットモンスターUSUM オープニングイベント』

<スペシャルサンクス>
 雪月花さま、シズマさま、幽姫さま
ご協力ありがとうございました!
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