Communio -In Paradisum-   作:白鷺 葵

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1-7小節.今後とも宜しく

 “ピンクの悪魔”という2つ名を知っているだろうか?

 

 他の分野――ジャンルごちゃまぜの夢みたいな格闘ゲームや他版権作品――では別物を指すのかもしれないが、ポケモン界においてはラッキーやハピナスのことを指す。攻撃力は平均値以下でありながらも、目を見張るのは有り余るほどの耐久力だ。これでもかと言わんばかりの高体力だけでなく、自己回復能力技を有する。

 耐久戦を仕掛けてくるポケモンへの対処法は2つ。「回復技のPP切れを狙う」等の耐久長期戦にこちらが打ち勝つか、「回復される前に、高威力の技で押し切る」という火力に物言わせた短期決戦に持ち込むのが模範解答と言えた。ショウマもチグサたちも、それをよく理解している。

 

 だが、理解できていても対処しきれるかどうかはまちまちだ。廃人系のトレーナーでも、それ専門の対策を固めておく必要がある。勿論、対策しても勝てるかどうかは五分五分だ。

 何の準備もしていないトレーナーや、把握していても手持ちや当人たちの実力が追い付かない場合、対処の難易度が上昇するのは当然と言えよう。

 

 

「ラッキー!」

 

 

 ピンクの悪魔は血走った目のまま、腹の袋から卵を掲げた。卵は溢れんばかりの光を放ち、ラッキーの傷をあっという間に治していく。

 

 

「<卵産み>……!」

 

 

 ショウマは思わず歯がみした。折角弱らせたというのに、ラッキーは戦い始めたときのようにピンピンしていた。<卵産み>のせいで、毒や火傷の蓄積ダメージは無に帰してしまう。

 更に悪いことに、ラッキーは<リフレッシュ>を使って状態異常を直した。再び、戦い始めたときの状態に逆戻りである。耐久型の真骨頂を、嫌が応にも見せつけられた。

 

 ラッキーの卵は栄養価が高く、味も濃厚でまろやかだ。料理は勿論、生食――例としては卵かけご飯――にも適している。食べた人やポケモンは、間髪入れず元気になる程だ。

 学会では“卵を介して、自分の体力を他のポケモンに分け与えている”という学説もあるらしい。本来のラッキーも、弱っているポケモンや人を助けようとする優しい性格であった。

 だが、戦闘となれば、他者の為の献身で力を発揮する卵を自分のために使う。攻撃手段として投擲する<卵爆弾>はあくまでも副産物で、真骨頂は回復手段――<卵産み>にある。

 

 

(まずいな。<寄生木のタネ>や道具を使っても、みんなに疲労の色が見える)

 

 

 チグサたちはラッキーへ果敢に挑みかかっている。戦意はあれど、身体が限界に近づいていた。

 

 

「すばー……!」

 

「ごめんクロハ、もうちょっと頑張ってください……!」

 

 

 特にクロハは、彼の持つ特性・根性――状態異常に陥ると攻撃力が上昇する――で技の威力を底上げしている。

 彼が喰らっている状態異常は火傷。攻撃力が著しく下がり、体力もじわじわ奪われていくというものだ。

 

 前者は特性・根性によって無効化されているが、体力が減っていくのは健在だ。

 薬を使って回復したとしても、火傷状態は残ったまま。体力は絶えず減り続ける。

 それに、クロハは先程からずっと火傷状態のまま戦い続けている。疲労度合いは計り知れない。

 

 鞄の中を確認する。PPを回復する道具――ピーピーエイドやヒメリの実も、戦い始めたときから著しく減ってきていた。6匹分のポケモンを絶えず回復させていたためだろう。対してラッキーは、無尽蔵同然に回復を続けている。<卵産み>や<リフレッシュ>が使えなくなる気配がない。

 

 

「いくら何でも、<卵産み>や<リフレッシュ>のPPが多すぎる……!」

 

「お菓子作りに卵を使うから、<卵産み>のPPは沢山増やす必要があったんです! それに、ラッキーが元気じゃないと、卵が調達できないから……!」

 

 

 ショウマの呟きに応えたのは、洋菓子店『ホーリーグレイル』のパティシエだった。今戦っているラッキー含んだ4匹――ラッキー、ミルタンク、トロピウス、アローララッタ――は、この洋菓子店で働いているポケモンたちである。彼/彼女らが身に纏うスカーフがそれを示していた。

 何らかの特殊な職場で働いているポケモンたちは技構成が偏りがちになるそうだ。廃人系トレーナーが覚えさせる技や、コーディネーターが覚えさせる技とは一線を駕す。今、ショウマが対峙しているラッキーの技構成も、パティシエの発言通りなのだろう。

 PPの数を増やす薬――ポイントアップは確かに貴重品ではあるが、使う人は湯水のごとく使うのだ。どこぞの外国にあった特別なバトル施設――『自分の手持ちが瀕死になるまで何勝できるかの記録を競う』サバイバルバトル等――に挑戦するトレーナーなどが代表例であった。閑話休題。

 

 

「この強さ、《島巡り》で出会った主ポケモンみたいだ……! 主のオーラは無いのに、なんだんだ? この圧迫感……!?」

 

「セイラ殿からも話は伺っていたが、話から想像していたものとは大きく違うな。――()()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()ように見える」

 

 

 アローララッタと対峙していたシヨウが顎に手を当てて唸り、トロピウスと対峙していたマツブシは鋭い目を向ける。マツブシの見解を肯定したのは、リチアの頭上から戦いを見守っていたサキブレであった。

 

 

「いかんな。あのポケモンたちは、身体能力の限界を超えた力を強制的に引き出されている」

 

「……もしかして、このままだと……」

 

「あのポケモンたちの命が危うい。戦闘不能に持ち込めば、反動によってそのまま……ということも充分在り得る」

 

 

 サキブレの結論に、思わず息を飲む。特に、彼らを止めようとして追いかけてきたパティシエに至っては、顔面蒼白にして小刻みに震えている。

 戦闘不能にして落ち着かせる方法は使えなくなった。――だが、まだ打つ手はある。ショウマが他の3人に視線を向ければ、マツブシも、シヨウも、リチアも頷き返した。

 他3人も同じ考えのようだ。即座に視線をパティシエに向ける。パティシエは顔を真っ青にしたまま首を傾げたが、視線の行く先を辿って「あ」と声を漏らした。

 

 このまま相手を倒すのが悪手だというなら、()()()()()()()()()()()()()()方法を使えばいい。

 丁度、パティシエの手にはモンスターボールが抱えられている。本来、ラッキーたちが入っていたボールだ。

 

 

「お、お願いします! あの子たちを助けてください!!」

 

 

 パティシエは、ショウマ達が対峙しているポケモンごとにボールを手渡した。「予備用のボールも持ってきます」と言い残し、彼は慌てた様子で店へ駆け込む。背後から響く足音や荷物の音を背中で聞きながら、ショウマは再びラッキーへ向き直った。

 耐久型と言えど、自分の能力を常に最大で使っているのだ。心なしか、先程より攻撃が通るようになった気がした。それ以外に、ラッキーの動きも鈍くなっているように見える。……本格的に、あのポケモンたちの命が危ないようだ。早く手を打たねばなるまい。

 

 

(さっきは長期戦用として毒や火傷を使ったけど、方向を変えるか……!)

 

「――トクサ、<キノコの胞子>!」

 

 

 ショウマの指示を受け、トクサは自身の纏う胞子を放った。巻きあがった胞子を吸い込み、ラッキーはそのまま眠り込んでしまう。

 

 疲労が溜まっていたのか、即座に飛び起きる様子はない。事実上の行動不能だ。

 彼女が眠っている間に、寄生木やチグサたちの恋激によって体力はじわじわと減っていく。

 ラッキーが起きないのを確認し、ショウマはモンスターボールを手に取った。

 

 

「戻れ、ラッキー!」

 

 

 そのまま勢いよく投擲すれば、ボールは真っ直ぐラッキーに直撃した。白い光幕が発生し、ラッキーは一端ボールの中へと納まる。

 どうか開かないでくれと願いながら、ショウマは固唾をのんでボールを見守っていた。

 

 モンスターボールは勢いよく揺れていたが、やがて揺れは大人しくなり、最後は沈黙した。――程なくして、開閉スイッチが閉じる音が響く。

 

 

「よし……!」

 

「よかった……! これで、あのポケモンたちは大丈夫……!」

 

 

 ラッキーがボールに収まったのを見て、ショウマとサクラは安堵の息を吐いた。

 

 

「あ、ありがとうございます……! 本当にありがとうございます!!」

 

 

 振り返れば、他の3人も、既にポケモンたちをボールに戻し終えた後だった。

 彼や彼女たちは、自分たちが対峙していたポケモンが入ったボールをパティシエへ手渡す。

 ショウマもラッキーが入ったボールを拾い上げ、パティシエへと手渡した。

 

 

「一体何があったんですか?」

 

「……分からないんです。セクエンツィア財団での健康診断から戻って来たら、ああなってしまって……」

 

 

 パティシエは不安そうな顔をして俯く。彼はぽつぽつと話を聞かせてくれた。

 

 曰く、健康診断が終わって、モンスターボールが返却されたときまでは特に問題は無かったという。ポケモンたちが暴れ出したのは、店に到着する直前だったらしい。

 ラッキーたちは突然、何の前触れもなく、モンスターボールの中から飛び出したのだ。後は目の前で繰り広げられた大捕り物が、すべてを物語っていた。

 パティシエはショウマたちに何度も頭を下げ、店へと戻っていった。周囲にいた人々も、事態が鎮静化したことを察して、それぞれの行き先へと戻っていった。

 

 穏やかな喧騒が戻ってくる。ラッキーたちが暴れたとき、怪我を負った人はいなかったらしい。

 その事実に、ショウマはほっと胸をなでおろした。サクラも安心したように息を吐く。

 

 

「とりあえず、事件は解決しましたね」

 

「そうですね。本当に良かった。……でも、どうしていきなり暴れ出したんでしょう?」

 

「――ここ最近のポケモン暴走事件は、やはり()()が関わっている可能性が高いですね」

 

 

 聞こえてきた声に振り返れば、シヨウとハザマが向き合いながら何かを話しているところだった。

 前者は顎に手を当てながら、後者は腕を組んで、神妙な面持ちでいる。

 

 

「事件が発生したときに暴れたポケモンたちとの共通点――状況証拠はありますが、()()()()は知らぬ存ぜぬを通しています」

 

「これだけの共通点に関わっているのに白を切り、突破口の繋がるはずの証拠も握り潰すか。……()()()()、やはり何かある」

 

「きな臭いところまでは掴めても、それ以上を突き詰めようとするとのらりくらりと躱されるんですよね。……最悪の場合、関係者が()()()()()()()()()()()()し」

 

「上に推定がつくにしろ、犠牲者が多すぎる。元々きな臭いとは思っていたが――」

 

「――これは一体、何の騒ぎですか?」

 

「あ、レックスさん」

 

 

 ショウマの視界に飛び込んできたのは、財団本部で別れたレックスだった。ショウマがレックスの名を呼んだタイミングで、シヨウとハザマは会話を打ち切って彼の方へと向き直る。 ……2人の表情が歪な愛想笑いに見えたのは、ショウマの気のせいだったのだろうか? 違和感の正体を掴むより、レックスが2人に声をかける方が早かった。

 

 

「珍しいですね。北区のアニュス・ディがお揃いだなんて。何か調査でも?」

 

「まあ、そんなところです」

 

「お2人は調査と隠密行動に関してはプロですからね。本職が組んで動いているということは、相当難しい案件を抱えているのだなと思いまして」

 

「いえいえ、大したことではありませぬよ。……ところで、レックス殿は何故こちらに?」

 

「郊外の保護区を訪ねる用事がありましてね。その途中で偶然通りかかったんです」

 

 

 笑顔で会話する3人だが、心なしか、互いに牽制し合っているように見える。父があまり快く思っていない相手と対峙したときに浮かべるような、表面上の愛想笑いとよく似ていた。

 

 レックスの話を跨聞きするような形になったが、彼と談笑しているシヨウとハザマはアニュス・ディだという。

 本土のジムリーダーや、アローラ地方のキャプテンと似たような役職であるという話は耳にしていたが、まさかこんな形で出会うとは思わなかった。

 北区というのは、巡業で訪れることになる街の方角を意味しているのだろうか? ショウマはマルチナビを起動し、コムニア地方の北区を表示してみた。

 

 パッションシティの北側にある大橋を渡った先には、3つの街があるらしい。大きな湖の周辺に作られた湖の街・フェリシアタウン、映画『結晶塔のエンテイ』の撮影地として有名な雪と氷に閉ざされた街・ヒイラギタウン、本土から渡って来た忍者系の移民たちによって作られた隠れ里的な街・ロウバイシティ。

 本土――ショウマにとってのホウエン地方――におけるジム、もといコムニア地方における巡業で巡ることとなる試練場があるのは、フェリシアタウンとロウバイシティだ。シヨウやハザマとは、どちらかの街で相対峙することになるのだろう。ショウマが2人へ視線を向けたときだった。

 

 

「ああ、丁度いい。紹介しますよ。こちらにいる彼――ツワブキ ショウマくんは、外部からやって来たポケモントレーナーでしてね。コムニアの風習である《奉納の巡業》への挑戦者なんですよ。私が推薦したんです」

 

 

 財団総帥はいい笑顔を浮かべたまま、ショウマに手招きした。まさか話題を振られるとは思わなかったショウマは目を見張ったが、すぐに2人へ一礼する。

 アニュス・ディの2人は一瞬目を見張り、こちらをじっと見つめる。こちらを探るような眼差しは、すぐに細められた。――まるで、何か確証を得たと言わんばかりに。

 

 

「財団総帥が直々に推薦者になるってことは、相当な実力を持っているってことか……。ボクもうかうかしてられないね」

 

「先程、故あって共闘したが……悪くない。トレーナーもポケモンも良い目をしていた。ロウバイに来るのが楽しみだな」

 

「は、はは。もしそちらに伺ったときは、お手柔らかにお願いします」

 

 

 ショウマの発言は本気である。脳裏に浮かぶのは、シヨウのミミッキュ/キュリオスとハザマのメガスピアー/ハンゾウが、暴走したポケモンたちを翻弄する姿だ。

 どのような形になるかは分からないが――巡業に挑むということは、あの2人が連れているポケモンと相対峙することになる。正直な話、あまり考えたくないと言うのが本音だ。

 『外部から巡業に挑戦するトレーナーに対しては、難易度が跳ね上がる』という説明を受けていたから、余計にプレッシャーのような圧を感じてしまう。

 

 

「それに僕、まだ同行者が決まっていないので――」

 

「――同行者、探してるの?」

 

 

 いきなり声をかけられた。ショウマが振り返った先にいたのは、共に戦ったトレーナーの1人・リチア。

 

 反射的にショウマが頷けば、リチアは口元を緩ませて大きく右手を挙げた。彼女の頭に乗っていたサキブレが、ショウマたちに向けて、彼女のものと思しきトレーナーカードを示す。

 リチアのトレーナーカードには、巡業を達成したことを示す透かし模様が刻まれていた。透かし模様は陽光を反射し、虹色に輝いている。サキブレは厳かな調子で告げた。

 

 

「我らは嘗て巡業に挑み、それを達成した者だ。同行者としての資格は満たしている」

 

「こっちの方は、問題、無し。サポート頑張るから。……後は、そっちの判断に任せる」

 

 

 リチアはじっとこちらを見つめている。色白な肌に黒いゴシック調の洋服を身に纏う少女のコントラストは、真昼を少し過ぎたばかりの蒼穹でもはっきりと印象に残った。

 現状、同行者を依頼できる相手はいない。ここに来る前に声をかけてみた相手はいるが、同行者希望の申し出に快く答えてくれた者は1人もいなかった。

 正直な話、リチアの申し出は渡りに船だった。暴走状態だったアローララッタと対峙したときの実力を鑑みれば、試練で背中を預ける相手としても不足はない。

 

 

「……1つ、お尋ねしても?」

 

「何?」

 

「さっき、貴女は『僕を探していた』と仰っていましたよね? どうしてですか?」

 

 

 ただ、気になったのだ。初対面であるショウマを探し回り、危機を助け、同行者として申し出てくれる理由が。

 ショウマはじっとリチアを見返す。リチアは少し考え込んだ後、小さく小首を傾げた。

 

 

「……何となく?」

 

「何となく」

 

「上手く言い表せないけど、こう、ぴこーん! ってきた感じ。――『()()()()()()()()

 

 

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 《奉納の巡業》に挑戦することを選んだとき、ショウマが感じたものだ。父の言っていた言葉――『運命に選ばれた者』――が、何度も反響する。

 ……もしかしたら、若き日の両親は、この感覚に導かれて旅へと踏み出したのかもしれない。旅立った時期は違うけれど、確かに2人の運命は、両親を結び付けた。

 今、ショウマとリチアを結び付けた運命は、少し前にショウマとサクラを結び付けた運命と同じなのだ――うまく言えないけれど、そんな予感がした。

 

 ショウマは小さく頷き返し、リチアの方に向き直った。

 リチアも真っ直ぐにこちらを見返している。

 

 

「分かりました。リチアさん、同行者としてよろしくお願いします」

 

「了解。こちらこそ、これからよろしく」

 

 

 2人はそのまま握手を交わす。コムニア地方出身者以外の人間による《奉納の巡業》――その挑戦における大きな難関を、ショウマは乗り越えることができたのだ。そしてこれから、巡業で襲い来る試練を、リチアと一緒に乗り越えていく。

 彼女の頭の上に乗っていたサキブレも、こちらに対して恭しく一礼する。ショウマも同じようにして一礼した。難関を乗り越えた勢いそのままサクラの方に向き直れば、彼女や彼女のポケモンたちも嬉しそうに微笑んでいた。

 

 また1つ、巡業達成に向けて一歩前進である。安堵と喜びに浸っていたとき――

 

 

「あ」

 

 

 ――昼食を食べずに同行者探しをしていたツケとして、腹の虫たちが盛大に鳴いた。

 

 

 

***

 

 

 

『私の仕事が終わり次第、巡業における同行者関連の手続きをします。……申し訳ないのですが、明日、財団本部に来ていただけますか?』

 

 

 ショウマが是と答えると、レックスは安心したような表情を浮かべた。丁度そのタイミングで、黒塗りの高級車が彼の真横に停車する。レックスは運転手に促されて時計を見た後、車に乗って去っていった。

 彼が立ち去る直前、やけにサクラを見ていたようだが、何かあったのだろうか? 最も、サクラはきょとんとした顔で首をかしげていたし、忙しそうに車へ乗ったレックスの様子から問いかける気にならなかったのだが。

 

 

『こっちでの《調べ物》は一旦切りあげようかな。どうやら、別のアプローチを考える必要がありそうだし』

 

『ワシも一度、ロウバイに戻らねばならん。……もしかしたら、アンコが戻っているかもしれんし……』

 

 

 シヨウとハザマも、各々用事があるらしい。彼らは『ホーリーグレイル』での支払いを済ませた後、慌ただしそうに立ち去った。

 

 現在、ショウマたちは洋菓子店『ホーリーグレイル』で、少し遅めの昼食を取っている。財団職員のチドリから譲り受けた無料券を使おうと思ったことと、先程のポケモン暴走事件でラッキーたちを止めたトレーナということで歓待を受けたことが理由だった。

 お昼時をとうに過ぎ去っていても、現在はおやつ時。店内は、甘いものを食べたいと思った老若男女で賑わっていた。黒を基調にした格調高い内装は、男女問わず惹きつける魅力がある。甘いものが好きだけど、内装の問題で菓子店へ近づけない男性への配慮なのだろう。

 ショウマ達が座っている席は窓際だが、カウンター席奥にある厨房入り口が視界に入る位置取りとなっていた。そこからは、先程暴走していたポケモンたち――ラッキー、ミルタンク、アローララッタが動き回っている姿が伺えた。みんな元気そうである。

 

 因みに、トロピウスは外のスペースで、パティシエたちへ木の実を分け与えていた。

 先程暴れていたとは思えない程、温厚で優しい性格をしていた。閑話休題。

 

 

「お待たせいたしました!」

 

 

 先程現場に居合わせたパティシエが、頼んだものを持って来たらしい。彼の方に無理向いて、ショウマは一瞬己の目を疑った。

 御膳の上には、頼んだ品物だけではなく、頼んだ覚えのない品物も大量に乗っている。

 

 

「あの、それは……」

 

「サービスです! みんなを助けてくれたお礼ですから、御遠慮なく召し上がってくださいね!」

 

 

 パティシエはそう言うなり、手早く菓子を配膳した。「ごゆっくり!」と言い残し、彼はそそくさと厨房へと引っ込む。

 しかし彼はすぐ、厨房からちらちらとこちらの様子を伺っていた。その隣には、神妙な面持ちのアローララッタもいる。

 そんなパティシエの頭上に雷が落ちた。上司から一喝された青年は、渋々、今度こそ厨房へと引っ込んでいった。

 

 

「……もしかして、あの人が作ったのかな?」

 

「かもしれん。味の感想が気になるのだろう」

 

「サキブレさん、美味しい?」

 

「うむ。美味だ」

 

 

 リチアの問いかけに対し、サキブレは黄色いポフィンを齧りながら答えた。

 

 材料は酸っぱい木の実――パイル、イア、ウブ、ノメル――が使われており、酸っぱいものを好むポケモンにとっては最高の御馳走だと言えよう。この店では――見た目を華やかにするための彩用として――ポフィンの上にラムの実があしらわれている。

 満足そうなサキブレだったが、対角線上でポフィンを食べていたチグサたちの姿が目に入った途端、ものすごく嫌そうな顔をした。口には出していないが、『よくもまあ、そんなものが食べられるな』と言いたげな眼差しだ。

 

 チグサを筆頭とした面々が食べているのは、目に突き刺さって来そうな程真っ赤なポフレだった。材料は辛い木の実――マトマ、ザロク、ズリ、フィラ――が使われている。辛いものが大好きなチグサたちにとっては大好物だ。しかし、サキブレの反応を見る限り、彼は辛いものが苦手なのだろう。

 因みに、チグサは渋いものが大嫌いだ。そのため、メロディやヒイロが幸せそうに頬張っている青いポフィン――材料はモコシ、ネコブ、ブリー、ウイ――を極力視界に入れないようにしている。青いポケモンだからと言って、青い木の実を好むわけでは無いのだ。

 

 ポケモン用のお菓子でも充分美味しそうだった。ならば、人間用のお菓子だって期待できるだろう。仲間たちが食べている姿を見守るのは、ここで一旦切りあげだ。

 ショウマは自分が頼んだチョコケーキへ視線を戻す。黒と白で彩られた生地の間には、チョコスプレーとソースとホイップクリームが挟まっている。

 どうやら、アローララッタをモデルにしたらしい。少々勿体ない気がするが、ケーキを一口大に切り分ける。口に頬張れば、チョコレートの重厚な味が口一杯に広がった。

 

 

(生地やチョコソース、チョコスプレーで、カカオの配合を変えているんだ。一緒に食べると美味しくなるように計算したのか)

 

 

 成程。店内で食べる客が多いのも、保冷剤を大量に入れてでも持ち帰ろうとする客がいるのも頷ける。

 もし『ホーリーグレイル』がホウエン地方にあったら、母と祖父母の“行きつけの店”になっていたことだろう。

 

 

「美味しいですね、これ。祖母と母が好きそうです」

 

「…………」

 

「……サクラさん?」

 

 

 チョコケーキに舌鼓を打っていたショウマは、眼前のチョコサンドを凝視するサクラの姿に気づく。

 彼女は何かに憑りつかれたように、じっとサンドイッチを見つめていた。が、見られていることに気づき、慌てた様子で姿勢を正した。

 自分を落ち着かせるように深呼吸したサクラは、「いただきます」と言ってチョコケーキにナイフを入れる。

 

 嘗てサクラは、人体実験によって記憶を失った。だが、記憶を失っても、身体には“記憶を失う以前の習慣”が根付いている。サクラの場合、それはテーブルマナーという形で表出したらしい。

 

 背筋をきちんと伸ばしているし、フォークとナイフを扱う動きも繊細だ。フォークにケーキを刺して口に運ぶ姿は、どこか優雅さも感じさせる。

 ケーキを咀嚼していたサクラだったが、暫くすると、また動きが止まってしまった。代わりに、青い瞳を零れ落ちんばかりに見開く。

 

 

「――――」

 

 

 少女の頬を伝ったのは、涙だった。

 

 

「サ、サクラさん!?」

 

「……何も、思い出せないんです。でも、これ、凄く()()()()気がして……」

 

 

 「ごめんなさい」と言い残し、彼女は目を手で覆った。涙があふれて止まらぬ理由が分からないから、どうすればいいのか分からないのだろう。あのケーキは、失われた少女の記憶に働きかけたのだ。すべてを思い出すことが叶わずとも、確かな手がかりがここにある。

 丁度そのタイミングで、厨房からパティシエとアローララッタが顔を出した。彼らの視界に、サクラの姿が映る。“自分が作ったケーキを食べた客が泣いている”という状況に、彼はパニックに陥ったらしい。大慌てでこちらへ駆けつけ、理由も分からぬままに「申し訳ありません!」と頭を下げる。

 

 サクラは涙を拭い、パティシエの方に向き直った。

 謝り倒す青年に対し、「大丈夫ですよ」と微笑む。

 恐る恐る顔を上げた青年に、静かに語り掛けた。

 

 

「とっても美味しかったです。……なんだか懐かしい味がしたから、感極まってしまって」

 

「そ、そうなんですか……。宜しければサービスしますよ?」

 

「是非お願いします」

 

 

 サクラの要望を聞いたパティシエは、意気揚々と厨房へ駆けて行った。アローララッタも慌てて彼の後を追いかける。

 2人の背中を、サクラは微笑ましそうに見守っていた。チョコケーキから溢れた懐かしさを、しっかりと噛みしめながら。

 

 

「……心が、叫んでいるんだ。()()()()()()()()()()()()()って」

 

「生きとし生ける者の誰しもに、居場所がある。行くべき場所もあれば、帰る場所もまた然り」

 

 

 チョコケーキを咀嚼しながら、リチアが小さく頷いた。ポフィンを食べ終えたサキブレも、厳かな口調のまま、リチアの頭上へと飛び乗る。

 

 

「なら、サキブレさんの居場所は、リチアさんの頭上ですね」

 

「ああ。ここは居心地がいいからな」

 

 

 サクラの言葉を聞いたサキブレは目を細めた。リチアも満足げに目を細め、最後のひとかけらを口に運ぶ。チョコケーキを食べ終えたリチアは、また新たにフォークを伸ばした。

 次に彼女が選んだのは、アルコールが飛んだクレープシュゼット。柑橘系の果実や蜂蜜の香りがほのかに漂う。リチアはクレープシュゼットを切り分け、咀嚼し始めた。

 リチアのテーブルマナーも、サクラに負けず劣らず綺麗であった。上流階級の嗜みとして、非常に洗練されている。ショウマはひっそり感嘆しながら、次の皿へと手を伸ばした。


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