朝。
教室に現れたルイズを見て、クラスメイトたちは目を丸くした。なにやら、ボロ布のようなモノを、鎖に繋いで引きずって入って来たからである。
ルイズの表情は随分と険しいモノだ。形の良い眉を、思いっ切りひん曲げ、ドスンと席に着いた。
「ねえ、ルイズ。貴女、何を引きずっているの?」
“香水のモンモランシー”ことモンモランシーが、口をポカンと開けた状態から閉じた後に、ルイズへと尋ねた。
「“使い魔”よ」
「良く見ると……そうね」
モンモランシーは、首肯いて言った。
大きく腫れ上がった顔と、こびり付いた血で原型を留めていないが、確かにそれはかつて平賀才人と呼ばれた人間だった物体であった。首と両手首に鎖が巻き付き、まるでゴミ袋のようにしてルイズに引きずられているのである。
「なにしたの、彼?」
「わたしのベッドに忍び込んだのよ」
「まあ!」
モンモランシーは驚いた顔をすると、見事な巻き毛を振り乱し、大袈裟に仰け反った。
「はしたない! まあ、そんなベッドに忍び込むなんて! まあ! 汚らわしい! 不潔! 不潔よ!」
そして、「オウ」とか、「ヨヨ」などと口にしながら、ハンカチを取り出すと、それを噛み締めた。
そこに、颯爽と赤い髪を掻き上げて教室に入って来たキュルケが、ルイズを睨んだ。
「貴女が誘ったんでしょ? ルイズ。エロのルイズ。娼婦のようにいやらしい流し目でも送ったんじゃないこと?」
「誰がエロのルイズよ! それはあんたでしょーが! わたしは誘っていないいわよ!」
「もう、こんなふうになっちゃって……可哀想……あたしが治してあげるわ」
そう言ってキュルケが、才人の頭を抱き締めた。巨大な胸で窒息しそうになる才人だが、彼は降って湧いたオアシスに身を委ねて鼻の下を伸ばす。
「アウアウアー」
「大丈夫? どこが痛いの? あたしが“治癒”で治してあげるわ」
「テキトウなこと言わないで。あんたに“水系統”の“治癒”が使える訳ないじゃないの。あんたの“二つ名”お熱でしょ。病気、熱病。少しは水で冷しなさいよ」
ルイズが忌々しそうに言った。
“メイジ”にはそれぞれ得意とする“系統魔法”が存在する。他の“系統魔法”が使えないという訳ではない。が、今のキュルケは、“水系統魔法”の練度が低いために、“水系統魔法”の“治癒”を思うように使うことができるだけの実力がないというだけのことであるのだが。
「“微熱”よ。び。ね・つ。貴女って、記憶力まで“ゼロ”なのね」
キュルケはルイズの胸を突いて言った。
「“ゼロ”は胸と“魔法”だけにしときなさいよね」
ルイズの顔が赤く染まる
それでもルイズは唇を歪め、できるだけの冷笑を浮かべ、言葉を返す。
「なんであんたみたいに胸だけ大きい女って、女性の価値を胸の大きさだけで決めようとするのかしら? それって、すっごく頭の悪い考えだと思うわ。ま、きっと空っぽなのよね。むむむ、胸に栄養取られて、頭がカカカ、空っぽなのよね」
冷静を装っていたのだが、かなり頭に来ているのだろう声が震えている。
「声が震えているわよ。ヴァリエール」
それからキュルケは、ボロボロの才人を優しく抱き締め、頬に胸を押し付けた。
「ねえダーリン。貴男は、こんなに胸の大きい私を馬鹿だと思う?」
「……す、素晴らしいと思います」
才人は、うっとりとした顔で、キュルケの胸に顔を埋めている。
それを見て、ルイズの眉が吊り上がった。そして、彼女は手に持った鎖を、グイッと引っ張った。
「おごげげげげ」
首と手首と胴体を鎖に繋がれている才人は、床に転がった。
ルイズは、転がった才人の背中に足を乗せ、冷たく言い放った。
「誰があんたに人間の言葉を許可したの? “わん”、でしょ、犬」
才人は弱々しい声で応える。
「わ、わんです。はい」
「バカ犬。もう1度おさらいするわね。“はい”、の時はどうすんだっけ?」
「わん」
「そうよね。“わん”、が1回。“畏まりました、ご主人さま”、は?」
「わんわん」
「そうよね。“わん”、が2回。“トイレに行きたいです”、は?」
「わんわんわん」
「そうよね。“わん”、が3回。バカ犬はそれだけ言えれば上等だから。余計なこと言ったらお仕置よね」
「……わん」
「わんわん言ってるダーリンも可愛いわ!」
キュルケが才人の顎の下を撫でた。
「ねえ、今晩はあたしのベッドに忍んで入らっしゃいな。ね? いっぱい、ワンちゃんに好きなところ舐めさせて、あ・げ・る」
才人はピョコンと膝で立つと、箒で作られた尻尾を振った。ルイズが昨晩、才人の尻にくっ付けた代物だ。良く良く見て見ると、頭にもボロ布で作られた犬耳が付いているのがわかるだろう。
「わん! わん! わんわん!」
ルイズは無言でグイッと鎖を引っ張る。
「ぐえ」
ルイズは、それから才人をガシガシと踏み付けた。
「ちゃんと“わん”って言ってるだろうが!」
才人は流石に頭に来たのか、ガオーと立ち上がり、ルイズへと飛びかかろうとする。が、彼女に呆気なく足を引っかけられ、床に転がってしまう。
ルイズは例によって才人の頭を踏ん付ける。彼女の目は吊り上がり、鳶色の瞳が怒りで燃え上がっており、可愛い顔をまさにブレスを吐かんとする“火竜”のように歪めた。
「発情期のバカ犬は見境ないわね。ツェルプストーの女に尻尾は振るわ、ご主人さまに襲いかかるわで、まあ大変。ままま、まあ大変」
ルイズは鞄の中から、鞭を取り出すとそれで才人を叩き始めた。
「いだいっ! やめっ! やめてっ! やーめーてッ!」
才人は身体に鎖を付けたまま、床をのた打ち回る。
「痛い? “わん”でしょ! “わん”でしょーがッ! 犬は“わん”でしょうッ!」
ビシッ、ビシッと乾いた鞭の音が教室に木霊する。
ルイズは髪を振り乱し、這い蹲って逃げようとする才人を追いかけ回し、鞭で叩いた。
才人は鞭で叩かれるたびに、心底情けない犬声を上げる。“伝説の使い魔”とは到底思えない、大した逃げっぷりだろう。
クラスメイトたちはその情けない様を見て、「ほんとにこの“平民”はあの“青銅のギーシュ”をやっつけ、“土くれのフーケ”を捕まえたんだろうか?」と激しく疑問に思った。
「きゃん! きゃん!」
クラスの“メイジ”たちが唖然とした顔で才人を鞭で叩き捲くるルイズを見つめる。
夢中になっていたルイズはハッとそんな様子に気付き、顔を赤らめた。誤魔化すように鞭を仕舞い、腕を組む。
「し、躾はここまで!」
躾にしては酷い騒ぎだったが、クラスメイトたちはとばっちりを恐れ、顔を背けた。
キュルケが呆れた声で言った。
「熱があるのは貴女じゃないの、ヴァリエール?」
ルイズはキッとキュルケを睨んだ。
才人は蓄積したダメージで気絶してしまい、床の上にぐったりと伸びている。
「これってどういう状況?」
そこにようやく到着したシオンと俺。
シオンは唖然、呆然として呟き、よろしくないことだが俺は腹を抱えて笑いそうになった。
そこに、教室の扉がガラッと開き、ミスタ・ギトーが現れた。
生徒たちは一斉に席に着いた。
ミスタ・ギトー(以降ギトーと呼称)は、フーケの一件の際に、当直を放っぽり出してしまっていたシュヴルーズを責め、オスマンから「君は怒りっぽくて良かん」とたしなめられた教師である。長い黒髪に、漆黒のマントを纏ったその姿は、なんだか不気味だといった印象を与えてくる。“地球”で言う魔法使いといったイメージとほぼ合致する出で立ちをしている。まだ彼は若いのだが、その不気味さと冷たい雰囲気からか、生徒たちから人気がない。
「では授業を始める。知っての通り、私の“二つ名”は“疾風”。“疾風のギトー”だ」
教室中が、シーンとした雰囲気に包まれた。その様子を満足げに見つめ、ギトーは言葉を続ける。
「最強の“系統”を知っているかね、ミス・ツェルプストー?」
「“虚無”じゃないんですか?」
「伝説の話をしている訳ではない。現実的な答を訊いているんだ」
「“火”に決まってますわ。ミスタ・ギトー」
いちいち引っかかる言い方をするギトーに、キュルケはちょっとばかりカチンと来てしまった様子で、彼女は不敵な笑みを浮かべて言い放った。
「ほほう。どうしてそう思うね?」
「全てを燃やし尽くせるのは、炎と情熱。そうじゃございませんこと?」
「残念ながらそうではない」
ギトーは腰に提した“杖”を引き抜くと、言い放った。
「試しに、この私に君の得意な“火”の魔法を撃つけて来たまえ」
キュルケはギョッとした。
「どうしたね? 君は確か、“火系統”が得意なのではなかったかな?」
挑発でもするかのような、ギトーの言葉。
「火傷じゃ済みませんわよ?」
キュルケは、目を細めて言った。
「構わん。本気で来たまえ。その、有名なツェルプストー家の赤毛が飾りではないのならね」
キュルケの顔からいつもの小馬鹿にしたような笑みが消える。
胸の谷間から“杖”を抜くと、炎のような赤毛が、ブワッと熱したようにざわめき、逆立った。
彼女が“杖”を振る。眼の前に差し出した右手の上に、小さな炎の玉が現れる。彼女はさらに“呪文”を“詠唱”すると、その玉は次第に膨れ上がり、直径1“メイル”はあるだろうほどの大きさへと膨張した。
それを目にして、クラスメイトたちは慌てて机の下へと隠れる。が、シオンは隠れない。どうやら、俺を信じてくれている様子だ。
キュルケは手首を回転させた後、右手を胸元に引き付け、炎の玉を押し出した。
唸りを上げて自分目がけて飛んで来る炎の玉を避ける仕草も見せずに、ギトーは腰に提した“杖”を引き抜く。そして、そのまま剣でも振るかのようにして薙ぎ払ってみせた。
烈風が舞い上がる。
一瞬にして炎の玉は掻き消え、その向こうにいたキュルケを吹っ飛ばした。
悠然として、ギトーは言い放った。
「諸君、“風”が最強たる所以を教えよう。簡単だ。“風”は全てを薙ぎ払う。“火”も、“水”も、“土”も、“風”の前では立つことすらできない。残念ながら試したことはないが、“虚無”さえも吹き飛ばすだろう。それが“風”だ」
キュルケは立ち上がると、不満そうに両手を広げた。
気にした風もなく、ギトーは続ける。
「目に見えぬ“風”は、見えずとも諸君らを守る盾となり、必要とあらば敵を吹き飛ばす矛となるだろう。そしてもう1つ、“風”が最強たる所以は……」
『ねえ、セイヴァー』
『ああ。彼はどうやら“風系統”に強い自信と自惚れがあるみたいだな。まあ、俺もあまり、と言うより決して他人のことを強く言えない立場にあるが……良いか? シオン。どの“系統”も最強足りえる。状況次第、使い手次第でどうとでもなるんだ。如何な状況や状態であろうと、例外はある。ゆえに、これが“最強”と言えることも無敵と言えることもあるが、言えないこともある。そもそも、実力差がある状態で、自分より下のモノを下して自慢げにするなど――おっと、誰か来るみたいだな』
『本当?』
「“ユビキタス・デル・ウィンデ”……」
低く、“呪文”を“詠唱”するギトー。
しかしその時……教室の扉がガラッと開き、緊張した顔のコルベールが現れた。
彼は珍妙ななりをしていた。頭に馬鹿でかい、ロールした金髪の鬘を乗っけている。見ると、ローブの胸部分にはレースの飾りやら、刺繍やらが踊っているのが見える。
『なあ、シオン……彼はいつから、教師を辞めて道化になったんだ?』
『さ、さあ……?』
「ミスタ?」
ギトーが眉を顰めた。
「あややや、ミスタ・ギトー! 失礼しますぞ!」
「授業中です」
コルベールを睨んで、ギトーが短く言った。
「おっほん。今日の授業は全て中止であります!」
コルベールが重々しい調子で告げ、教室中から歓声が上がる。その歓声を抑えるように両手を振りながら、コルベールは言葉を続けた。
「えー、皆さんにお知らせですぞ」
もったいぶった調子で、コルベールは仰け反った。
仰け反った拍子に、頭に乗っけていただけだろう馬鹿でかい鬘が取れて、床へと落ちる。
重苦しかった教室内の雰囲気が一気に解れる。
そして、教室中がクスクス笑いに包まれる。
1番前に座っているタバサが、コルベールのツルツルに禿げ上がった頭を指さして、ポツンと呟いた。
「滑りやすい」
教室内を爆笑が包み込む。
キュルケが笑いながらタバサの肩をポンポンと叩いて言った。
「貴女、たまに口を開くと、言うわね」
(笑うのは良いが、あまり好い笑いではないな……)
自身がネタにするのは別として、ヒトの失敗や身体的特徴などを笑いの種とするといったことに俺は少なからず抵抗があった。争いなどの原因や要因、理由となることが多いゆえに。
コルベールは顔を真赤にさせると、大きな声で怒鳴った。
「黙りなさい! ええい! 黙りなさい小童どもが! 大口を開けて下品に笑うとはまったく“貴族”にあるまじき行い! “貴族”は可笑しい時は下を向いてコッソリ笑うモノですぞ! これでは“王室”に教官の成果が疑われる!」
取り敢えずその剣幕に、教室中が大人しくなった。
「えーおほん。皆さん、本日は“トリステイン魔法学院”にとって、佳き日であります。“始祖ブリミル”の“降臨祭”に並ぶ、めでたい日であります」
コルベールは横を向くと、後ろ手に手を組んだ。
「恐れ多くも、先の“陛下”の忘れ形見、我が“トリステイン”が“ハルケギニア”に誇る可憐な1輪の華、アンリエッタ姫殿下が、本日“ゲルマニア”御訪問からのお帰りに、この“魔法学院”に行幸なされます」
コルベールのその言葉に教室内がざわめき始める。
「従って、粗相があってはいけません、急なことですが、今から全力を挙げて、歓迎式典の準備を行います。そのために本日の授業は中止。生徒諸君は正装し、門に整列すること」
生徒たちは、緊張した面持ちになると一斉に首肯いた。
コルベールはうんうんと重々し気に首肯くと、目を見張って怒鳴った。
「諸君が立派な“貴族”に成長したことを、姫殿下にお見せする絶好の機会ですぞ! お覚えがよろしくなるように、しっかりと“杖”を磨いておきなさい! よろしいですかな!?」
“魔法学院”に続く街道を、金の冠を御者台の隣に付けた4頭立ての馬車が、静々と歩んでいた。馬車の所々には金と銀とプラチナでできたレリーフが象られている。“王家”の紋章である。そのうちの1つ、“聖獣ユニコーン”と水晶の“杖”が組み合わさった紋章は、この馬車が王女の馬車であることを示している。
良く見ると、馬車を引いているのはただの馬ではない。紋章と同じ、頭に1本の角を生やした、“聖獣ユニコーン”である。無垢なる乙女しかその背に乗せないと言われる“ユニコーン”は、王女の馬車を引くのに相応しいとされているのである。
馬車の窓には、綺麗なレースのカーテンが下ろされ、中の様子を伺うことができないようになっている。
王女の馬車の後ろには、先帝亡き今、“トリステイン”の政治を一手に握る、マザリーニ枢機卿の馬車が続いている。その馬車も王女の馬車に負けず劣らず立派だと言えるだろう。いや、王女の馬車よりも立派だ。その馬車の風格の差が、今現在の“トリステイン”の権力を誰が握っているのか、雄弁に物語っていると言っても過言ではないだろう。
さて、2台の馬車の四方を固めるのは、“王室”直属の近衛隊、“魔法衛士隊”の面々だ。名門“貴族”の子弟で構成された“魔法衛士隊”は、国中の“貴族”の憧れの対象だ。男の“貴族”は誰もが“魔法衛士隊”の漆黒のマントを纏いたがるし、女の“貴族”はその花嫁になることを望んでいるのである。“トリステイン”の華やかさの象徴とも言えるだろう存在であるのだから。
街道は花々が咲き乱れ、街道に並んだ“平民”たちが、口々に歓声の声を投げかける。
馬車が自分たちの前を通るたびに、「“トリステイン”万歳! アンリエッタ姫殿下万歳!」と歓声が沸き上がる。
時たま「マザリーニ枢機卿万歳!」との声も上がったが、姫殿下への万歳に比べれば、かなりの少数である。“平民”の血が混じっているとの噂があるマザリーニ枢機卿は、妬みからかだろう民衆に人気がないのである。
馬車の窓のカーテンがソッと開き、未若い王女が顔を見せると、街道の観衆たちの歓声が一段と高くなる。
王女は優雅に微笑を観衆に投げかけるのであった。
アンリエッタ王女はカーテンを下ろし、深い溜息を吐いた。
そこには先ほど観衆たちに見せた薔薇のような笑顔はない。あるのは、年に似合わない苦悩と、深い憂いの色であった。
王女は当年取って御年17歳。すらりとした気品ある顔立ちに、薄いブルーの瞳、高い鼻が目を引く瑞々しい美女だ。細い指の中で、水晶の付いた“杖”を弄っている。“王族”である彼女もまた、言うまでもなく“メイジ”である。
街道の観衆たちの歓声も、咲き乱れる綺麗な花々も、彼女の心を明るくはしない、彼女は深い深い、恋と政治の悩みを抱えているのだから。
隣に座っているマザリーニ枢機卿が、口髭を弄りながらそんな王女の顔を見つめた。坊主が冠るような丸い帽子を冠り、灰色のローブに身を包んだ痩せぎすの40代男性だ。髪も髭も、既に真っ白、伸びた指は骨ばっており、実年齢よりも10ほど老けて見えてしまう。先帝亡き後、一手に外交と内政を引き受けた激務が、彼を老人にしてしまったのであった。
彼は先ほど自分の馬車から降り、王女の馬車に乗り込んでいた。
政治の話をするためである。しかし、当の王女は溜息を吐くばかりでまったく要領えない。
「これで本日13回目ですぞ、殿下」
困った声でマザリーニ枢機卿が言う。
「なにがですの?」
「溜息です。“王族”たる者、無闇に臣下の前で溜息など吐くモノではありませぬ」
「“王族”ですって! まあ!」
アンリエッタは驚いた声で言った。
「この“トリステイン”の王さまは、貴男でしょう? 枢機卿。今、街で流行っている小唄はご存知かしら?」
「存じませんな」
マザリーニ枢機卿はつまらなさそうに応えた。だがそれは嘘である。彼は“トリステイン”、いや、“ハルケギニア”のことであれば、火山に棲む“ドラゴン”――“ワイバーン”の鱗の数まで知っている、と例えて言っても良いだろうほどである。都合が悪いので、知らぬ存ぜぬといったふりをしているだけなのだ。
「それなら、聞かせて差し上げますわ。“トリステインの王家には、美貌はあっても杖がない。杖を握るは枢機卿。灰色帽子の鳥の骨”……」
マザリーニ枢機卿は目を細めた。“鳥の骨”などと王女の口から自分の悪口が飛び出したので、気分を害してしまったのである。
「街女が歌うような小唄など、口にしてはなりませぬ」
「良いじゃないの。小唄くらい。私は貴男の言い付け通りに、“ゲルマニア”の皇帝に嫁ぐのですから」
「仕方がありませぬ。目下、“ゲルマニア”との同盟は、“トリステイン”にとって急務なのです」
マザリーニ枢機卿は口をへの字に曲げて、言い放った。
「そのくらい、私だって知ってますわ」
「殿下もご存知でしょう? 斯の“白の国”――“アルビオン”の阿呆共が行っている“革命”とやらを。きゃつらは、“ハルケギニア”に王権というモノが存在するのがどうにも我慢ならないらしい」
アンリエッタ王女は眉を顰めて言い放った。
「礼儀知らず! 礼儀知らずのあの人たち! 可哀想な王さまを捕まえて、縛り首にしようというのですよ! 私は想います。この世の全ての人々が、あの愚かな行為を赦しても、私と“始祖ブリミル”は赦しませんわ。ええ、赦しませんとも!」
「はい、しかしながら“アルビオン”の“貴族”共は強力です。“アルビオン王家”は、明日にでも斃れてしまうでしょう。“始祖ブリミル”が授けし、3本の王権の内、1本がこれで潰える訳ですな。ま、内憂を払えもせぬ“王家”に、存在の価値があるとも思えませぬが」
「“アルビオン”の“王家”の人々は、“ゲルマニア”の成り上がりと違って、私たちの親戚なのですよ? いくら貴男が枢機卿とは言えど、そのような言い草は許しません」
「これは失礼しました。私は本日寝る前に、“始祖ブリミル”の御前にて懺悔することにいたします。しかしながら、全部ホントのことですぞ、殿下」
アンリエッタ王女は悲しそうに首を傾げる。
「伝え聞いたところによるとあの馬鹿げた“貴族”どもは、“ハルケギニア”を統一するとかなんとか夢物語を吹いているそうです。となると、自分たちの王を亡き者にした後、あやつらはこの“トリステイン”に矛先を向けるでしょう。そうなってからでは遅いのです」
重々しい表情で、マザリーニ枢機卿はアンリエッタ王女に告げた。
彼女はつまらなそうに窓の外を見詰めている。
「先を読み、先に手を打つのが政治なのです、殿下。“ゲルマニア”と同盟を結び、近いうちに成立するであろう、“アルビオン”の新政府に対抗せねば、この小国“トリステイン”は生き残れませぬ」
しかし、アンリエッタ王女は溜息を吐くばかりである。
マザリーニ枢機卿は、窓のカーテンをズラして外を見た。そこには腹心の部下の姿があった。
羽根帽子に長い口髭が凛々しい、精悍な顔立ちの若い“貴族”だ。黒いマントの胸部分には“グリフォン”を象った刺繍が施されている。その理由は、彼の騎乗する“幻獣”を見れば、一目瞭然だろう。彼が跨っているのは、鷲の頭と翼と前脚、そして獅子の胴体と後ろ脚を持った、“グリフォン”その物なのだから。
3つの“魔法衛士隊”の1つ、“グリフォン隊”隊長のワルド子爵だ。彼の率いる“グリフォン隊”は、“魔法衛士隊”の中でも、特に枢機卿の覚えが良い隊である。
選り優りの“貴族”で構成された“魔法衛士隊”は、それぞれが隊の名前を冠する“幻獣”に騎乗し、強力な“魔法”を操る畏怖と憧れの象徴である。
「お呼びでございますか? 猊下?」
ワルド子爵は目をキラッと光らせて、馬車の窓へと騎乗した“グリフォン”を近付ける。
窓が心持ち開かれ、マザリーニ枢機卿が顔を出す。
「ワルド君。殿下のご機嫌が麗しゅうない。何かお気晴らしになるモノを見付けてくれないかね?」
「かしこまりました」
ワルド子爵は首肯くと、街道を鷹のような目で見回した。
才気煥発な彼は、直ぐに目当てのモノを街道の片隅にあるのを見付けると、“グリフォン”を疾走らせた。
腰に提した、レイピアのような長い“杖”を引き抜くと、短く“ルーン”の“呪文”を唱え、それを軽い仕草で振った。旋風が舞い上がり、ピン、ピン、と街道に咲いた花が摘まれ、彼の手元までやって来る。
ワルド子爵はそれを持って馬車へと近付くと、スッと窓からマザリーニ枢機卿に手渡そうとした。
マザリーニ枢機卿は口髭を撚りながら呟いた。
「隊長、御手ずから殿下が受け取ってくださるそうだ」
「光栄でございます」
ワルド子爵は一礼をすると、馬車の反対側に回る。スルスルと窓が開き、アンリエッタ王女が手を伸ばした。そして、花を受け取ると、今度は彼女の左手が差し出された。
ワルド子爵は感動した面持ちで、王女の手を取って、そこに口吻をする。
物憂い声で、王女がワルド子爵に問うた。
「お名前は?」
「殿下を守りする“魔法衛士隊”、“グリフォン隊”隊長、ワルド子爵でございます」
ワルド子爵は恭しく頭を下げて名乗った。
「貴男は“貴族”の鑑のように、立派でございますわね」
「殿下の卑しき下僕に過ぎませぬ」
「最近はそのような物言いをする“貴族”も減りました。祖父が生きていた頃は……ああ、あの偉大なる“フィリップ3世”の治下には、“貴族”は押し並べてそのような態度を示したモノですわ!」
「悲しい時代になったモノです。殿下」
「貴男の忠誠には期待してよろしいのでしょうか? もし、私が困った時には……」
「そのような際には、戦の最中であろうが、空の上だろうが、何を置いてでも駆け付ける所存でございます」
アンリエッタ王女は首肯いた。
ワルド子爵は再び一礼をすると、馬車から離れて行く。
「あの“貴族”は、使えるのですか?」
アンリエッタ王女は、マザリーニ枢機卿へと尋ねる。
「ワルド子爵。“二つ名”は“閃光”。斯の者に匹敵する使い手は、“白の国”――“アルビオン”にもそうそうおりますまい」
「ワルド……聞いたことのある地名ですわ」
「確か、ラ・ヴァリエール公爵領の近くだったと存じます」
「ラ・ヴァリエール?」
アンリエッタ王女は記憶の底を手繰った。
これから向かう“魔法学院”には……
「枢機卿、“土くれのフーケ”を捕まえた、“貴族”の名はご存知?」
「覚えておりませんな」
「その者たちに、これから爵位を授けるのでは?」
アンリエッタ王女は、怪訝な表情を浮かべ問うた。
対するマザリーニ枢機卿は、興味なさそうに返事をする。
「“シュヴァリエ”授与の条件が変わりましてな。従軍が必須になりました。盗賊を捕まえたくらいで、授与する訳には参りませぬ。“ゲルマニア”との同盟がなってもならなくとも、いずれ“アルビオン”とは戦になるでしょう。軍務に服する“貴族”たちの忠誠を、要らぬ嫉妬で失たくはありませぬ」
「私たちの知らないところで、色んなことが決まって行くのね」
マザリーニ枢機卿は答えない。
そう呟きながら、アンリエッタ王女は確か、盗賊を捕まえた“貴族”たちの中に、ラ・ヴァリエールの名前とアフェット・エルディの名前があったことを思い出し、(なんとかなるかもしれない)と思い、彼女は少しばかり安心をした。
マザリーニ枢機卿は、そんな王女をマジマジと見つめた。
「殿下。最近、宮廷と一部の“貴族”の間で、不穏な動きが確認されております」
アンリエッタ王女はピクリと身体を震わせた。
「殿下のめでたきご婚礼を蔑ろにして、“トリステイン”と“ゲルマニア”の同盟を阻止しようとする、“アルビオン”の“貴族”どもの暗躍があるとか……」
アンリエッタ王女の額から、汗が一筋伝う。
「そのような者に、付け込まれるような隙はありませんな、殿下?」
しばしの沈黙が流れる。
そして、アンリエッタ王女は苦しそうに口を開いた。
「……ありませんわ」
「そのお言葉、信じますぞ」
「私は王女です。嘘は吐きません」
それから、アンリエッタ王女は溜め息を吐いた。
「……14回目ですぞ、殿下」
「心配事があるものですから。致し方ありませんわ」
「“王族”たる者は、御心の平穏より、国の平穏を考えるモノですぞ」
アンリエッタ王女はつまらなさそうに言った。
「私は、常にそうしております」
アンリエッタ王女は、手に持った花をジッと見つめ、寂しそうに呟いた。
「……花は街道に咲くのが、幸せなのではなくって、枢機卿?」
「人の手によって摘み取られるのも、また花の幸せと存じます」
“魔法学院”の正門を潜って、王女の一行が現れると、整列した生徒たちは一斉に“杖”を掲げ、シャン! と小気味良く“杖”の音が重なり鳴った。
正門を潜った先に、本塔の玄関があった。そこに立ち、王女一行を迎えるのは、学院長のオスマンだ。
馬車が停まると、召使たちが駆け寄り、馬車の扉まで毛毛氈の絨毯を敷き詰める。
呼び出しの衛士が、緊張した声で、王女の登場を告げる。
「“トリステイン王国”王女、アンリエッタ姫殿下のおなーーーーーーーりーーーーーーーッ!」
しかし、ガチャリと扉が開いて現れたのは枢機卿のマザリーニであった。
生徒たちは一斉に鼻を鳴らした。が、マザリーニ枢機卿は意に介した様子も見せず、馬車の横に立つと、続いて降りて来る王女の手を取った。
すると、生徒たちの間から歓声が沸き上がる。
王女はニッコリと薔薇のような微笑を浮かべると、優雅に手を降った。
「あれが“トリステイン”の王女? ふん、あたしの方が美人じゃないの」
キュルケがつまらなさそうに呟く。
「ねえ、ダーリンはどっちが綺麗だと思う?」
鎖に繋がれたまま、地面に転がっている才人へとキュルケは尋ねる。
「わん」
「わんじゃわかんないわよ。ねえ、どっち?」
才人はルイズの方を見る。
ルイズは真面目な顔をして王女を見つめている。そうして、彼女の横顔が、ハッとした顔になる。それから顔を赤らめた。
そんな彼女の視線の先には、鷲の頭と獅子の胴体を持つ見事な“幻獣”に跨っている、見事な羽根帽子を冠った、凛々しい“貴族”の姿があった。
ルイズは、彼をぼんやりと見つめているのである。
そして、キュルケもまたルイズと同様に、凛々しい“貴族”に目を奪われてしまっている様子だ。
そんな2人の様子を見て、才人は項垂れ、そのまま地面へとへたり込んだ。
隣ではタバサが、王女とその一行が現れた騒ぎなどまったく気にも留めずに、座って本を広げ読んでいる。
シオンは、王女に対し懐かしそうな、そして優しい表情を浮かべながら見守っている。
「お前は相変わらずだな」
才人はタバサにそう言った。
タバサは顔を上げて、キュルケとルイズの方を確かめ、最後に才人の方を向いた。
それから才人を指さして「三日天下」と呟いた。
俺は思わず、そのタバサの呟きに、笑ってしまった。
そしてその日の夜……。
才人は藁束の上に座り込んで、ルイズを見つめている。
俺とシオンは、ルイズの部屋へとお邪魔し、静かに座っていた。
そして、部屋の主であるルイズはというと、激しく落ち着きがない様子を見せている。立ち上がったかと思うと、再びベッドに腰かけ、枕を抱いてぼんやりとしたりしている。昼間、あの羽根帽子の“貴族”を見てからこの調子であった。あれから彼女はなにも喋らず、フラフラと幽霊のように歩き出し、部屋に篭もるなり、ベッドにこうやって腰かけるなどを繰り返しているのである。
これが、そしてこの行動の理由で俺とシオンがルイズの部屋にいる訳でもある。
「おまえ、変だぞ」
才人は、ハッキリと言った。が、それでもルイズは応えない。
才人は藁束から立ち上がって、手を眼の前で振って見た。それでも、彼女は動かない。
「変だぞ!」
それから才人は、ルイズの髪を、女性の命と言えるそれを引っ張った。が、それでも彼女はぼやーっとして、反応がない。
才人は、彼女の頬を抓る。が、これも駄目。
そうしていると、ドアがノックされる。
そのノックは規則正しく、リズムでも刻むかのように叩かれる。初めに長く2回、それから短く3回……。
ルイズの顔がハッとしたモノになる。
シオンも部屋の外にいる者の正体に気付き、頬を緩めた。
ルイズは急いでブラウスを身に着け、立ち上がる。そして、ドアを開いた。
そこに立っていたのは、真っ黒な頭巾をスッポリと冠った少女だ。
辺りを伺うかのように首を回すと、そそくさと部屋に入って来て、後ろ手に扉を閉めた。
「……貴女は?」
ルイズは、驚いたような声で確認の質問を投げかける。
頭巾を冠った少女は、シッと言わんばかりに口元に指を立てた。それから、頭巾と同じ漆黒のマントの隙間から、“魔法”の“杖”を取り出すと軽く振り、短く“ルーン”の“呪文”を唱えた。
光の粉が、部屋に舞う。
「……“
ルイズが尋ね、頭巾の少女が首肯く。
「どこに耳が、目が光っているかわかりませんからね」
部屋のどこにも、聞き耳を立てる魔法の耳や、どこかに通じる覗き穴がないことを確かめ終えると、少女は頭巾を取った。
現れたのは、アンリエッタ王女であった。
才人は、ウッと息を呑み、どうして良いのかわからないのだろう、ボケッと突っ立ってしまっている。
「姫殿下!」
ルイズがそう口にし、慌てて膝を突く。
シオンは慌てた様子は見せず、アンリエッタ王女が頭巾を取り、彼女が顔を見せたと同時に膝を突いた。
そうして、アンリエッタ王女は涼しげな、心地好い声で言った。
「お久し振りね、ルイズ・フランソワーズ、シオン・アフェット」