「報告は以上となります」
「いつも有難う」
「いえ、陛下の御役に立つことができることは、私にとってとても幸運かつ幸福なことです」
“アルビオン”の“ハヴィランド宮殿”内の女王陛下用執務室にて、シオンと俺がおり、そこへホーキンスが入室しシオンが不在の間についてのことを報告してくれていた。
「にしても、陛下の手腕などには毎度驚かされます。反対意見を持つ“貴族”は少なく、また“平民”からの不満もあまりありません。これは歴史に残る善政ではないかと」
「ううん、これは皆の協力あってこそだから。ホーキンス将軍、貴男やセイヴァーがいてくれる、そして貴男達からのアドバイスがあるからこそ、ここまでのことができるんだよ」
シオンは、書類へと目を通しながら、ホーキンスへの心からの労いと感謝の言葉を掛ける。
ホーキンスの言葉は事実であった。
“貴族”達が抱える“王政府”――シオンに対する不満など、また“レコン・キスタ”が掲げる“聖地”奪還などを始めとして始まったかつて“アルビオン戦役”と呼ばれることになった内乱及び戦争が起こった。
だが、新しく即位したシオンが行う施政に対しての歴代の中でとても少ないといえるだろう。“貴族”か“平民”の意見のどちらかを立てるとなれば、そのどちらからか不平不満が出て来るものである。はずなのだが、それがない、あまりにも少ないのであった。また、新しい政策や法律などを考案し、発布したのであるのだが、それでも不平不満は少ない。
「そう言えばセイヴァー殿、陛下。街の方では、とある歌劇が人気を博しているとかどうとか」
「ええ、知ってるわ。“アルビオン”と“トリステイン”それぞれの“英雄”をモデルとした歌劇でしょ?」
「御存知でしたか。それぞれ、台詞や展開などは、違いがあるようですが」
「覚悟はしていたが、実際にそういったことになると、何だか照れ臭いものだな」
“トリスタニア”や“ロンディニウム”では、今爆発的にとある歌劇が人気を博しているのである。“アルビオン戦役”での、“トリステイン”軍側が撤退する際に殿として活躍した2人の騎士を題材とした歌劇である。そう、言わずもがな俺と才人がモデルとなっている。“貴族”達も観劇するのだが、中でもやはり“トリスタニア”同様に“平民”から絶大な人気を博しているといえるだろう。ただ、“トリスタニア”とは違い、“ロンディニウム”で行われている歌劇の主役のモデルは俺であり、俺が“魔法”を使うこともできるということから、剣を持つ“メイジ”として描かれ、“貴族”達からもどちらかというと好印象な部類だといえるだろうか。
「で、セイヴァー殿。あの秘密兵器に関してですが……」
「ああ、あれか」
話題を変え、ホーキンスは周りを気にしたように、執務室の外に誰かいる場合を考えてか小声で話し掛けて来る。
「あの、鉄の塊……鋼鉄の飛竜とでも言いましょうか。あれはホントに飛ぶのですか? 羽撃きもせず、“風石”も使わないので、そうは想えないのですが」
「もちろん飛ぶさ。君は、“竜の羽衣”を知っているか?」
「確か、“トリステイン”の“水精霊騎士隊”副隊長となられ、華々しい戦果を上げ活躍をなされているヒラガ殿が持つ飛行機械とか……」
「そうだ。それを参考にし、改良したモノ……そして、それを量産しているのだ」
「疑う訳ではありませぬが、もしや戦争などを起こすつもりでは」
「そんな訳ないだろ。あれは、きたるべき災厄に対してのモノだ」
「災厄、とは?」
「君は、ここ“アルビオン”が何故空に浮かんでいるのか知っているか?」
「いえ、存知上げません」
ホーキンスは、俺の質問に首を横に振る。
「“アルビオン”の地下には“風石”が沢山ある……それがこの大地を浮かばせているんだ。そして、その“風石”は他の場所でも採掘が可能なのだが……」
「とすると、他の場所も浮かび上がる可能性が?」
「聡いな。だがそうはならないようにするために既に動いている」
「で、その現在量産体制に入っている飛行機械と、何の関係が?」
「今量産しているあれは、その先に起こる更なる災厄への対策だ」
“ガリア”の首都“リュティス”。
郊外に位置した“ヴェルサルテイル宮殿”の一角……崩れ落ちた青壁の“グラン・トロワ”の上に、新しい城が建築されつつあった。
“ヴェダージュ山脈”拠り切り出して来た青い岩が、輸送船によって運ばれ、臨時の桟橋から滑車で下ろされて中庭に並べられている。
“ガリア”国内から掻き集められた石工が、其の石を割り、削り、石材へと加工して行く。石工に交じって、“メイジ”の姿も見える。彼等“土”の“
通常、このような建築に直接“貴族”が関わることはないのだが、王宮となれば話は別である。新しく冠を抱いた歳若い女王に取り入るべく、労働者に交じって“貴族”達も汗を流しているのである。
「おい! そこの! 手を休めるな!」
監督官が、声を荒らげた。
見ると、石工の一団が、木影でサボっているのである。
そろそろ本格的に夏がやって来ようという今日、照り付けて来る陽射しの下での作業は、まさに重労働であるのだ。
「文句なら太陽に言ってくださいや。この暑さじゃ、流石に参っちまう」
1人の石工が、汗を拭きながら言った。
他の男達も、そうだそうだと笑いながら首肯き合う。
「こちとら“魔法”が使えないでさあ。石を切るためにはどうしても身体を動かさなきゃいけねえんで。でも、御存知の通り、生身の身体にゃ限界がありますんでね」
監督官は、辺りに座り込んでいる石工達を見回した。
確かに、彼等はかなりへバっているといえるだろう。単にサボっているという訳ではないことが判る。これ以上無理をさせてしまえば、本当に倒れてしまう者達も出て来ることは明白であろう。
「理解った。だが、日給は半額だ」
「そりゃ非道え!」
「仕方なかろう。おまえ達はいつもの半分の仕事もできんのだから。文句なら太陽に言うが良い」
石工達は立ち上がった。その目が怒りに燃えている。
「旦那……そりゃあんまりってもんじゃないですかい?」
「な、何だ? 逆らう気か? 下郎共が!」
その声で、他の場所にいた気の荒い石工達が一斉にそちらへと振り向いた。彼等職人は、プライドが高い。技術を持っているが故に、“魔法”を使う“貴族”を嫌っている者も少なくないのである。このようなかたちで、職人達と揉め事が起こるのは、割と頻繁である。
手に石切りの道具を握り締め、石工達が集まり始めた。
“魔法”で蹴散らすには少しばかり数が多過ぎるが、監督官は“杖”に手を掛けた。
そのようにして不穏な空気が漂い始めた時……。
冷たい風が、ブワッと吹き込んで来た。
「何だぁ?」
小さな雪の粒が混じったその風は、熱く火照った石工達の身体を冷やして行く。
「涼しいぜ! こりゃ好いや!」
身体だけではなく、その雪風は彼等の頭をも冷やしてくれたようである。石工達の顔から、険しいモノが消えて行く。
「いやあ、中々旦那型も気の利いたことをしてくれるじゃありませんか!」
監督官は、後ろを振り向いた。そこにいた人物を見て、息を呑む。
「へ、陛下……」
何と、そこにいるのはつい先日、冠を抱いたばかりのシャルロット女王事、タバサであった。青い髪の下に、涼し気な碧眼が光っている。小さな身体を“王家”のマントに身を包み、後ろに延臣達を何人も控えている。
現れた人物に驚き、石工達も慌てて低頭する。
タバサは全く表情を変えることもしないまま、監督官に向けて、たった今雪風の“魔法”を放った大きな“杖”を突き付けた。
騒ぎを見咎められたと感じた監督官は、恭しく頭を下げると、震え出した。
「も、申し訳ありません! この者達には罰を十分に与えます故、何とぞ御容赦を……」
だが、タバサの返事は、彼等にとって全く予想だにしなかったモノであった。
「“風”の使い手を使って、今のように石工達を冷やして上げるよう」
石工達から歓声が沸いた。
監督官は目を丸くする。
確かに“風”の使い手達は、直接石を加工することもできず、そのほとんどが石工達の監督に当たっていうる。ここにいる監督官もまたその1人であった。
「き、“貴族”に、こいつ等を、“冷やせ”、と仰るのですか?」
タバサは首肯いた。
「神から授かった、奇跡の業である“魔法”をそんなことに使うなんて!?」
ポツリと、何の感情も込もっていないような声と調子で、タバサは告げる。
「効率が良い」
直ぐ様手透きの“貴族”が集められ、要所要所に配置されて、石工達に冷たい“風”の“魔法”が掛けられた。
涼しい風に呷られ、石工達は張り切った。何せ、日頃威張っている“貴族”達が自分達の身体を冷してくれているのである。これ以上に、彼等からして痛快なことはないであろう。作業は目に見えて捗り始めた。
「今度の女王様は、前の王様より話が理解るじゃねえか」
「“トリステイン”と“アルビオン”の女王様と言い、幼いのに大したもんだ」
石工達の、そんな声が届いて来る。
タバサは、そのような声や言葉を悠々と聞き流し、眠そうな目のまま、ユックリと中庭を行くのであった。
タバサの横で、そのような様子をジッと見ていた神官服の男が興味深気に呟いた。
「陛下は中々おやりになますな」
その男の年の頃は、20代の後半であろう。終始にこやかに笑みを絶やさない。人懐こそうな男であったが、目が全く笑っていないことが判るだろう。
「作業が捗る方法を選んだだけ」
そうタバサが言うと、この神官服の男――“ロマリア”から派遣された助祭枢機卿であるバリベリニ卿は首を振った。
バリベリニはタバサ即位に際して、補佐兼連絡官として“ロマリア”から就けられた人物である。このたびの政変の際、“ガリア”も“トリステイン”に倣う、枢機卿を宰相として登用することになったのだが……どうやら教皇であるヴィットーリオは腹心の人物を選んだようである。
即位以来、“ロマリア”からの表立った干渉はない。“4の4”が揃わなければ、“虚無”の完全復活はないといえるだろう。従って“ガリア”の干渉を諦めたのかもしれないと、想わせて来るのだが……。
まさか、とタバサは直ぐ様そんな楽観を打ち消した。
彼等“ロマリア”の教皇とその“使い魔”であるヴィットーリオとジュリオは、未だ何かを企んでいる。それを、タバサは理解していた。だが、その真意やハッキリとした目的までは判らないが。
「“即位記念園遊会”に、間に合うと良いですな」
タバサは首肯いた。
“
各国から大々的に客人を呼んで、正式にタバサは自分の即位を御披露目するのである。もちろんその中には、“ロマリア”の教皇ヴィットーリオや、“トリステイン”女王陛下アンリエッタ、“アルビオン”女王陛下シオンも含まれる。
タバサは足を、“プチ・トロワ”へと向けた。
“リュティス”に入城した際、以前そこの主であった王女イザベラはいずこへか姿を消していた。“前王派”と目された“貴族”達は、見付かり次第軒並み投獄されたり地方に追いやられたり、閑職に回されたりなどをされた。別にタバサがシャルロットとして「そうせよ」と命じた訳ではないのだが。不遇を託っていたオルレアン公派の“貴族”達が、そうしたのであろうことは明白である。
そのような徹底した前王派狩りの最中、未だ王女イザベラだけが見付からないのであった。
“プチ・トロワ”の玄関先に着くと、タバサを後ろを振り向き、一行に解散を告げた。
これで、それまでタバサに付き従っていた廷臣達は、タバサと御別れである。鬱陶しい事この上ないバリベリニ卿も、例外ではない。
旧オルレアン公派であった“貴族”達は、自分達を再び陽の当たる場所へと連れ出してくれたこの幼い女王へと深々と礼をすると、立ち去って行った。
そんな忠臣達に、通り一遍の作法で挨拶を返した後、何度も“
つい先日迄、イザベラが使っていたこの部屋で、タバサは幾度となく彼女から命令を受けて来ていたことを想い出す。今は主となった部屋を、タバサはユックリと見回した。
ここでイザベラから命令を受けていた頃は、まさかここの主になる日がやって来るなどとは、タバサは思いもしなかった。あの頃は、復讐をやり遂げた後のことなど、全く考えていなかったためである。
カーテンや緞子から、ベッドに至るまで当時のままである。
家臣の中には、「全て入れ替えられては」と言う者も当然いはしたが、タバサは気にも留めなかった。家具は家具、誰が使っていようが、機能を喪失するという訳ではないのだから。
タバサは無造作に冠と女王の被服を脱ぎ捨てると、部屋着に着替え、ベッドへと腰掛けた。そうすると、ようやくのことでユックリと考える気持ちになることができるのである。
テーブルの上に置いた王冠を、タバサは横目で見遣る。
タバサがこれを冠ることにしたのは、“リネン川”に布陣した“ガリア”軍将兵を救うためであった。偽の才人に「そうした方が良い」と諭され、それ等を十分に理解した上で行った決心であったのだが……。
今は目的が違う。
“ロマリア”の提唱する“聖戦”を止めるため。
その件が片付いたら、タバサはもう女王である必要はないのである。(こんな地位など、誰かしら適当な“貴族”に譲ってしまっても構わない)、とタバサは考えている。(いや……国の舵取りなど、有力な“貴族”を集めて彼等に任せてしまっても良いんじゃないだろうか? どうして王が政を行う必要があるというのだろう? なまじこのような王冠などがあるから、父とその兄の間には自分の窺い知れない確執が生まれたのではないか……)とも考えた。
だが、冠を脱ぐにせよ、誰かに譲るにせよ、そんな事態は未だ未だ先の話でるといえるだろう。何せ、あれ以来“ロマリア”は何も言って来ないのである。従って、タバサには手の打ちようがないのであった。
だがそれでも、“ロマリア”はいずれ“聖戦”のために、“ガリア”へと協力を要請して来るであろうことは簡単に想像ができた。そのために自分を女王に仕立て上げたに違いない、とタバサは考えた。“4の4”が揃わないからといって、あの“ロマリア”が諦めるとは、タバサには到底想えないのである。“
その現実の力に1番適しているのが、この大国“ガリア”の陸軍であることは、先ず間違いないであろう……。
そこまで考えていると、奥の間から、キュイッ、と聞き慣れた声が響いた。ヒトに化けたシルフィードである。
女官御仕着せに身を包んだシルフィードは、料理の乗った御盆を抱え、タバサの前に現れた。
「あらら! 折角女王になれたっていうのに、考え事なのね!? ほら、御料理を持って来てやったのね。これ食べて元気出すのね」
シルフィードは、タバサが女王になった後も、“使い魔”として頑張っている。だがやはり、どうにもこの衣装が気に入らないようであった。キュイキュイと喧しく文句を付けるのである。
「でも、この格好はホント窮屈なのね! 全く、何で私が宮廷付き女官なのね!?」
学生時代とは違い、女王ともなればどこで誰がタバサの行動を見ているとも限らないのである。“竜”のままでは、行動に支障を来たすであろうことが多いために、「いつもヒトに化けていろ」と言われているシルフィードであった。兎に角、“竜”が喋っているところを他人に見られる訳にはいかないのである。
「…………」
タバサは料理に手を付けず、考え事に耽っている。
シルフィードは仕切りにタバサに料理を勧めていたが、そのうちに手が伸びて、ひょいぱくひょいぱくと頬張りを始めた。
「ほら食べるのね。美味しいのね。ほら食べるのね。美味しいのね」
気付くと皿は空っぽである。
シルフィードは首をカクカクと左右に振ると、困った顔になった。
「ほら。御姉様が食べないから、料理がなくなっちゃったじゃないの」
タバサが返事をしないために、シルフィードは喋り続ける。
「ところで、この御城ってあんまり良い想い出がないのよね。だって、あの憎らしい
そうシルフィードが叫ぶと、居室の外から衛士の声が響く。
「“東薔薇騎士団”団長、バッソ・カステルモール殿!」
タバサは再び王冠を冠り、衣装を身に着けた。
フラリと現れたのはカステルモールである。タバサに対して忠誠心が厚い彼は、タバサがシャルロットとして戴冠した後、“花壇騎士”として再び仕えることになったのである。
数名に減ってしまった団員は、新たに若い“貴族”を入れて、30名程に数を増やしている。副官に団の切り盛りを任せて、団長本人はこうやってタバサ個人のために色々と活動している。
肩書は以前と変わらないのだが、彼はより“王家”の親衛隊員としての側面を色濃くすることになったのであった。
というよりも、タバサの忠実な手足となることを、本人が望んでいる風であるのだが。
カステルモールは、タバサの女王姿を見て、ハラハラと落涙した。彼はタバサが“ガリア”の王である女王陛下になって以来、姿を見るたびにこうして感涙に咽ぶのである。
「亡きオルレアン公も、草葉の陰で喜んでおられることで御座いましょう……」
そういう類の感傷に付き合っている暇はなかったために、タバサはカステルモールを促した。
彼は喜色満面になって、手を叩いた。
すると、部屋の外に控えていた騎士が、縄で後手に縛られた女性を引っ立てて来た。
シルフィードが驚きの声を上げる。
「きゅい!? あの我儘王女!」
「そうで御座います。然る修道院に隠れていたところを発見いたしました。成る程! 御隠しになることは叶わなかったようで。ほら、この通りで御座います」
縛り上げられているイザベラは、ワナワナと怒りと屈辱などを感じているのだろう、震えている。まさか、このような縄目を受けることになろうとは、つい先月までは想像すらしなかったに違いない。それに、今、イザベラの眼の前で引き合わされているのは、かつてこの場所で何度と命令を下した、タバサである。まるっきり立場を入れ替えることになった従姉妹に、イザベラは燃えるような憤りの眼差しを向けた。
「其れでは、御裁きは陛下の想うがままに」
そう言い残し、カステルモール達は退出して行った。
後には、縛られた元王女と、冠を冠ることになった元“
シルフィードとイーヴァルディを除けば2人っ切りになると、イザベラは毒を吐くようにして、呪詛の言葉を投げ掛けた。
「さあ! 殺せ! 殺すが良い! 父にそうしたように、その娘もおまえの呪われた“魔法”で“ヴァルハラ”へと送るが良い!」
イザベラの声に含まれるあまりの憎悪に、シルフィードは震え上がった。
だが、タバサは全く動じた風もなく、ただジッとイザベラを見詰めるのみである。
「どうしたのだ? 父から冠を奪ったその手で、娘の首にも同じことをするが良い!」
「どっちが冠を奪ったのね!?」
シルフィードが叫ぶと同時に、タバサは“杖”を掲げた。
流石のイザベラもそこで目を瞑り、(風の刃だろうか、それとも氷の矢だろうか?)と自分へと襲い掛かるであろう“魔法”をイメージし震えた。
イザベラは、首を刎ね、胸を貫く“魔法”を今か今かと待っていると、タバサは短く“呪文”を唱えた。
「……!?」
イザベラは、手に軽い余韻を感じ、思わず目を開いた。すると驚いたことに、イザベラを縛り上げていたロープが切られ、自由に動くことができるようになっていた。
次の瞬間、イザベラが取った行動は実に素早いモノであった。テーブルの上にあったペーパーナイフを掴むと、それをタバサへと突き立てようとしたのである。
「父の仇!」
だがペーパーナイフがタバサの胸に吸い込まれることはなかった。
行き先を失ったかのように、タバサの胸の前でプルプルと震えるのみである。
タバサは避ける素振りすら見せずに、其の切っ先を見詰めて居た。
タバサが“魔法”を使った訳でも、シルフィードが止めた訳でも、イーヴァルディが止めた訳でも無かった。イザベラが其の切っ先を、途中で止めたので在る。
震える声で、イザベラは尋ねた。
「……どうして殺さ無い? 情けを掛けようと言うの?」
タバサは力なく首を横に振った。
「貴女に恨みはない」
その言葉で、イザベラはペーパーナイフを取り落とした。
「私に恨みがないだって? あれほど私はおまえも辱めたのに!? そんな馬鹿な!? 何を気取っているの? 意味が理解らないわ!」
タバサはジッとイザベラを見詰めていたが、疲れた声で言った。
「……私には味方が必要」
「私に、おまえの味方になれと言うの? これは最高の冗談だわ! 父を殺し、冠を奪ったおまえの味方になれと!? 冗談も休み休み言うが良い!」
高らかに、狂ったようにイザベラは笑い続けた。そのうちに哄笑は小さくなり……啜り泣きに変わって行った。
「知っていたわ」
涙の中から、絞り出すような声でイザベラは言った。
「“エルフ”と手を組み、恐ろしい火の玉で“両用艦隊”を燃やし尽くしたことも……その“魔法”で自ら死んだことも……そして、あんたの父を殺したことも。私をちっとも“愛”していなかったことも。人らしい情愛など、何1つ持っていなかったことも……」
でも、とイザベラは言った。
「あれは私の父だったのよ」
月の光が射し込み……“プチ・トロワ”の中を照らし始めた。
それまでジッと黙っていたシルフィードが、ワインを1本持って来た。きゅい、と一声上げて、2人にグラスを持たせ、その中に注いで行く。
ボンヤリと、呆けた顔で其のグラスを見詰めていたイザベラは、諦めたように目を瞑ると盃の中のそれを飲み干した。それから、誰に言うでもなく、「貴女に仕えるわ」と言った。
「私、貴女にずっと劣等感を抱いていたの。父が、貴女の父……オルレアン公に対してそう感じていたように。貴女はとても“魔法”ができて、皆から“愛”されていた。私はそうじゃない。だから……その冠は貴女にこそ相応しい」
タバサも無言で盃の中のワインを飲み干す。それから、かつての仇敵であった従姉妹に手を伸ばす。
イザベラはその手を取ると、接吻した。
それから2人は抱擁した。だが……どことなくぎこちない抱擁であるといえるだろう。早々、心にあるわだかまりをどうにかすることなどできやしないのだから。
タバサはイザベラを立たせると、小さい声で告げた。
「着いて来て」
「どこへ?」
「貴女に逢わせたい人がいる」
訝しむイザベラが連れて来られたのは、“プチ・トロワ”の奥に設けられた、ヒッソリとした離れであった。
玄関には、兵士が1人立って歩哨を行っている。
タバサを見ると、彼は一礼して呼び鈴を押した。
中から返事があって、1人の老執事が姿を見せた。
「これはこれは陛下。奥様は、まだ御夕食を御待ちで御座いますよ」
「ペルスラン。もう1人御客が増えた」
ペルスラン、と呼ばれた老執事は、タバサの後ろの客を見詰めて、目を丸くした。
「これは……!?」
イザベラの方では、全くその老執事に見覚えはなかった。
「驚きましたな! ……これは! 実に驚いた!」
ペルスランは、何どか“聖具”の形に印を切った。それから、ホントに良いのか? といった顔でタバサを見詰める。
コクリ、とタバサは首肯いた。
離れの奥の間へと向かうに連れて、イザベラの心臓は早鐘の様に鳴り響いた。なんとなく、その奥にいる人物の予想が着いたからである。
廊下の奥には食堂があって、そこからは淡い蝋燭の炎が漏れている。同時に、美味しそうな料理の匂いが漂って来ている。
イザベラは中に入る勇気がどうしても出せずに、廊下で立ち尽くしてしまった。
そんなイザベラの手を、タバサは引いた。
「でも……」
タバサは、躊躇うな、と言わんばかりに首を振る。
観念したイザベラは、食堂の中へと入って行く。
テーブルの上座に着いた人物が、口を開いた。
「あら? 御客様かしら?」
その声を聞くと、イザベラの全身が震え始めた。
それは……果たして、イザベラの父が毒を呷らせたタバサの母……オルレアン公夫人であったためである。
だが、かつてのオルレアン公夫人とは、趣を異にしている。幽霊のような姿は、多少膨よかになり、何よりその目には生気が宿っているのが目に見えて判る。立ち振舞いにしても、高貴な雰囲気が戻っているのである。
信じられないモノを見る目で、イザベラはオルレアン公夫人を見詰めた。
“リュティス”に凱旋した折、タバサは未だ城に残っていたビダーシャルに命じて薬を調合させ、母の心を取り返したのである。
ビダーシャルは役目が済むと、故郷である砂漠へと戻って行った。
真の親子の対面は、くだくだしく語るまでもないであろう。タバサは悲願であった母を取り返すことができ、母の方でも人形ではない本当の娘を取り返したのだから。
オルレアン公夫人の方では、イザベラを見ても何ら表情を変えることはなかった。それどころか、立ち上がると自分の姪に椅子すら引いてやったのである。
「久し振りね。イザベラ」
「お、叔母上……」
流石に良心の痛みに震えながら、イザベラは立ち尽くした。
「そうよ。私は貴女の叔母。さて、何を突っ立っているの? 早く御座りなさい。料理が冷えてしまうわ」
その言葉で、タバサとシルフィードが席に着いた。
この忠実なタバサの“使い魔”は、“貴族”でも何でもないただの“竜”――“韻竜”であったが、特別に相伴を認められているのである。
硬い表情で、イザベラは席に着いた。やっとの想いで、イザベラは言葉を口にした。
「私を……御咎めにならないのですか?」
「咎める? また物騒な! どうして姪の貴女を咎めるなければいけないのでしょうか?」
「私は、貴女の夫を殺し貴女の心を失わせた男の、娘なのですよ?」
「でも、私の心はこうして戻った」
「でも、オルレアン公は戻りません」
深い溜息を共に、オルレアン公夫人は言った。
「ええ。夢の中のことのように、全てを覚えています。全部が現実に起こったこと……そうね。忘れようにも忘れることはできません」
「ならば! どうして?」
イザベラは叫んだ。
「私達は未来に生きねばなりません。そのことは娘にも……陛下にも良く言って聴かせました」
オルレアン公夫人は、タバサの方を見詰めた。
コクリ、とタバサは首肯いた。
「貴女の父は亡くなった。数え切れぬ将兵を道連れにして……私としては、もうそれで沢山。これ以上の血は見たくありませぬ、それが、姪ということになれば、なおさらです」
「叔母上……」
「貴女達に、昔話をして差し上げましょう。夫は……オルレアン公は、生前、私に言ったものです。“この国を良くしなければならない”と。成る程“ガリア”は大国。中々総身が1つに纏まるという訳には参りません。国中の“貴族”はかつての誇りを忘れ、誰もが己の目先の利益の為に汲々としている。それを見越しての言葉でありました。そして……イザベラ。貴女の父君も、昔はそう考えていたに違いないのですよ。だが、どこかでその真心を誤った。なんとなくその理由にも見当は着きますが……今となってはそれも詮ないこと。私はただ、夫のその言葉に報いたいのです」
イザベラは首肯いた。
オルレアン公夫人はワインの盃を掲げる。娘と姪にも、そしてシルフィードにも、取り上げるように促す。
盃を取り上げたイザベラは、自分達の他にもう1人分、料理の皿が並んでいるということに気付いた。オルレアン公の陰膳であろうと、イザベラは予想を着けた。
「……叔父上の膳でしょうか? で、あるならば、私は叔父上にこの盃を捧げたく存じます」
だが、オルレアン公夫人は首を横に振った。
「この前の戦で……亡くなった将兵に捧げる膳です。彼等は、私達一族の内紛に巻き込まれたようなモノです。私達は彼等の霊を慰めねばなりません。また、決して同じ過ちを繰り返してはなりません」
イザベラはその言葉に深く頭を下げた。
「兎に角、私達の一族はもう、この3人だけになってしまったのだから……精一杯“愛”情を注ぎ合い、仲良くすることにいたしましょう」
3人だけ、と言う時、オルレアン公夫人の言葉が震えた。だが……激しく心を動かされていたイザベラも、タバサも、その調子には気付かない。
気付いたのは、“霊体化”しているイーヴァルディだけである。
イザベラはタバサと叔母を見詰めた。それから、(そう、もう私には、彼女等しか残されていないのだ。想えば私の一族は……御互いに随分と憎み合って来た。兄が弟を。従姉が従妹を……何と馬鹿げたことだろう。その憎しみが払った犠牲は、何と大きいのだろう。数多くの将兵。崩れ落ちた“グラン・トロワ”……馬鹿げた行いをした一族の生き残りとして、自分の一生は死んで行った人々に捧げなければいけない)と考えた。
イザベラは、首を振った。ユックリと、憎しみが“愛”情へと変わって行くのをイザベラは感じた。その2つは、実に良く似た感情であることを、イザベラは理解した。
イザベラは、叔母の言葉に突き動かされるままに立ち上がった。
タバサも立ち上がる。
2人は近付き、どちらからともなく抱き締め合った。
今度は、心からの抱擁であった。
「貴女に、知っておいて欲しいことがある」
タバサは、イザベラへとそう言って、“霊体化”しているイーヴァルディへと目を向ける。
次いで、イーヴァルディは“霊体化”を解除し、イザベラへと挨拶をする。
そして、食事と同時に“聖杯戦争”などについて、イザベラへと説明がなされた。
食事の後、離れから再び“プチ・トロワ”に向かう道すがら……イザベラはタバサに告げた。
「ねえ、小さなエレーヌ」
昔……幼い頃、従姉妹のように遊んでいた一時期、イザベラはタバサ――シャルロットをミドルネームで呼んでいた。先程の叔母であるオルレアン公夫人の言葉でそれを想い出し、そう呼んでみたのである。
「何?」
落ち着いた声で、タバサが言った。
「さっきは貴女に仕えると言ったけれど……御暇を戴きたいの。良いかしら?」
「どうして?」
「出家したいの。尼になって、父が犯した罪を、償いたい。私、毎日御祈りを捧げるわ。父と、叔父上と、犠牲になった人達のために……そうするのが、1番良いと想うのよ」
だが、タバサは首を縦に振らなかった。
「エレーヌ?」
「貴女の騎士団が、私には必要」
「“
「そう」
タバサは小さく首肯いた。かつてタバサが所属していた、汚れ仕事を一手に引き受けていた暗部の騎士団……“ロマリア”に対抗するためには、タバサにとって何としてもその手駒が必要であるのだ。
「そう、それならば仕方ない。御意のままに」
イザベラはそう言った。
御互いの顔も知らない“北花壇騎士”達の全容を知るのは、団長であるイザベラだけである。
「でも、昔ほどの働きは期待できないかも」
イザベラは、溜息を吐くように言った。
「どういう意味?」
「私……隠れる際に1番、手練の騎士達に連絡を取ったのだけど……どうにも連絡が付かないの。どうやら父の死を知って、雲隠れしたようね。金の切れ目が縁の切れ目って訳ね」
「手練の騎士達?」
「ええ。普通、“北花壇騎士”は単独で任務を行う。でも、そいつ等は特別でね。4人兄弟で、任務を請け負うの。ハッキリ言うけど、昔の貴女並み……いいえそれ以上に優秀だったわ。汚れ仕事に関しては、と言う意味だけど。何せ、 1度も失敗したことがなかったわ」
タバサは軽く眉を顰めた。そのような手練の戦士こそが、1番欲しい時であるためである。
「でも、いなくなって少しは清々したかも」
「どうして?」
「あまりにも残虐で、狡猾な連中だったから。金のためなら何でもする。そんな奴等よ。恐らく、新しいスポンサーでも見付けたんでしょうね」
「彼等の名前は?」
妙な胸騒ぎと共に、タバサは尋ねた。
「“元素の兄弟”」