ゼロの使い魔S   作:りおんざーど

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元素の兄弟

「驚きましたね……まさか、城の寝室と、この“ド・オルニエール”が繋がっていようとは……」

 才人とアンリエッタは、“ド・オルニエール”の地下にある寝室のベッドへと腰掛けている。

 どうやら、この部屋にあった姿見は“ゲート”を模した“魔法”が掛けられた“マジックアイテム”である、その鏡は、この地下の隠し部屋と、遠く離れた城を繋いでいたのである。

「まるで“虚無”の“ゲート”みたいだ」

 才人が言った。

「恐らく……それを利用した古代の“マジックアイテム”なんでしょう」

 “虚無”の力を用いた“マジックアイテム”……いつ時の頃に造られたまでは2人には知らぬことではあるが、かなりの貴重品であるということだけは理解できた。このように、“虚無”の力を凝縮させて、後世に伝えた“メイジ”もいたのである。

 才人は、(それはあの時夢で見た……いや、逢ったブリミルさんだろうか?)と考えたが、当然才人にそれを知る術はない。

 一方、アンリエッタの寝室の壁自体には、“魔法”が掛かっていなかったために、そちらの出入り口は今まで発見されるということはなかったのである。“ディテクト・マジック”で発見できなければ、何も仕掛けはないと想ってしまうのが、“この世界(ハルケギニア)”の“貴族(メイジ)”という人種成のである。

「やっぱり、あれですかね? これは、秘密の抜け道って奴ですかね?」

 才人は言った。才人は幼少期、時代劇なんかで頻繁に見た隠し道……王様や殿様を始めとした偉い立場にある者達の部屋に大体こういった非常時のための脱出路が付いている、ということを想い出したのである。

 だが、アンリエッタは首を横に振った。

「私は……違うと思います。この部屋の造りを見るに……以前、この“ド・オルニエール”の土地は、父か祖父の妾宅だったのでしょうね」

「妾宅?」

「ええ。所謂……こういう言い方はあまり褒められたモノではありませんが、愛人ということです」

 愛人……その言葉の響きに、才人は頬歩を染めた。

「ただの抜け道成らば、こんな寝室を造る必要はありませんわ。恐らく……上の屋敷に愛人を住まわせ、ここで彼女と密会を行っていたのでしょう」

 成る程、見回すとここには、恋人達が喜びそうなモノで溢れているといえるだろう。細やかな彫刻が施された壁に、美しい宝石が飾られた小物……天蓋付きのベッドは大きく、布団も上等なモノであることが判る。

「父か、祖父か、曽祖父か……誰かは判りませんが、多分間違いないと想います。幾つか、城の抜け道は知っておりますが、ここは知らされておりませんでしたわ。詰まりは、そういうことなのでしょうね」

 アンリエッタは、楽しげに笑った。

「…………」

「すみません。笑ってしまって。でも、可笑しいのです。父も祖父も、厳格な王と呼ばれていました。そんな彼等にも、このような一面があったのですね」

 アンリエッタは、そのような肉親に対して不潔と想うよりも、人間味があると感じているのであった。

 謎が解けてみればなんてことはなかったが……この奇妙な空前がもたらした結果に、才人は激しく緊張していた。何せ……そのような愛人達が密会を行っていたであろう場所で、こうやって2人切りで、アンリエッタと共にいるのだから。

 アンリエッタも、そんな才人の動揺を感じ取り、感化されたのだろう、とりなすように呟いた。

「本当に、私は知らなかったのです。こんな風に、貴男に与えた土地と、王宮が繋がっているなんて……」

「理解ってますよ。大丈夫です」

「ならば良いのですが。そう言えば、貴男に与えたっ切りでしたわね。いずれ訪ねようとは想っていたのですが……住み心地はどうでしょうか?」

 才人は、答えに窮してしまった。まさか、「ほとんど実入りはありませんでした」などと言う訳にもいかないためである。そのため、才人は言葉を濁して言った。

「好い土地ですよ。散歩すると気持ちが好い」

「そうですか。それは良かった」

 しばらく……沈黙が続いた。

 才人は、横目でアンリエッタを見詰めた。

 蝋燭の灯りに照らされたアンリエッタは、ほとんどの男性からして堪らなくなるような色香を放っているといえるだろう。こればかりは、ルイズが逆立ちをしても適わないであろう部分であるといえる。しかも……ガウンのような部屋着の隙間から、胸の谷間が覗いているのである。

 才人は、先程の下着姿のアンリエッタを想い出してしまい、思わず鼻を押さえた。

 そんな才人の動揺を知ってか知らずか、アンリエッタは何気ない声で言葉を続ける。

「何だか……妙な気分ですわ」

「妙な気分?」

 才人は、(何だろう? ま、まさか……)とドキドキした。

「ええ。平和になってみれば、なってみたで、別の苦労が発生するのですね」

 シンミリと、感情の込もった声でアンリエッタは言った。

「そうですね」

 と、才人も、先程のルイズとの諍いを想い出して、相槌を打った。

 だが、平和といっても表面上のモノであり、未だ“聖杯戦争”をどうするのかが決まっていないのだが。

「あれほど待ち望んだ平和なのに、贅沢とは想うのですが……その心労は余り変わりませぬ。皮肉なモノですわ」

「心労?」

 才人が尋ねると、アンリエッタは言った。

「母と枢機卿に“結婚せよ”と言われました。国の“貴族”を纏めるために……」

 寂しいような、諦めたような、その様な声と調子でアンリエッタは言った。

 その口振りから、アンリエッタがその結婚を望んでいないということが判る。

 何と言葉を掛ければ良いのか判らず、才人は困ってしまった。

「元から、好いた相手との結婚などとうに諦めております。でも……いざとなると、何だか心が沈みますわ」

 どうやら、国内の有力“貴族”との縁談が進んでいるらしい、と才人は理解した。

 平和な時を見越して、基盤を固めて置こうというのである。

 そういった宮廷の力学は、なんとなくではあったが、それでも才人は理解できた。

「ホントに、結婚するんですか?」

「それを……決めかねていたのです」

 アンリエッタは、顔を上げると真っ直ぐに才人を見詰めた。

 その縋るような視線に、才人は息が止まるような気持ちになった。

「決めて頂けませんか?」

 一瞬、才人は、何の事だか理解ら無かった。

「何を……ですか?」

「私の行え末ですわ」

 才人は、ハッとしてアンリエッタを見詰めた。

「それは、結婚するかしないかって、そういうことですか?」

「ええ」

 コクリと、アンリエッタは首肯いた。

「どうして……俺なんですか?」

「何故でしょうね? でも、想い悩んでいると、貴男とセイヴァー殿の顔が浮かんだのです。かつてウェールズ様のあの事件で……私はもう2度と誰も愛さない、そう心に誓いました。でも……貴男方に何度も救われ、その御力を頼りにするようになってから……何故か貴男のことを考えるようになったのです。夢で、現世で……私は、ただ1度の恋しか知りませぬ。だから、この気持ちが、恋なのかどうか判りかねます。ただ……胸が震えるのは本当なのです」

 アンリエッタは、顔を伏せた。

 以前「女王としての顔しか見せませぬ」といった台詞が、ここからのモノではなかったことが窺い知れる。

「だから、俺なんですか?」

「それだけではありませぬ」

 そこでアンリエッタは、才人の手を握った。

 何気なく握られただけであるのだが……才人の胸は震えた。ルイズ、ティファニア、シエスタ、タバサ……様々なタイプの美少女をその目で見て来た才人であった。が、アンリエッタの美しさは、何だか質が違うといえるだろう。美しいだけではなく……その中に吸い込まれそうな何やら魔性とでも言えるようなモノがある、とそう才人は感じた。そして、その魔性の色香とでもいうべきモノは、明るい宮廷の中ではなく、こういった陽の目を見ない地下室や、安宿といった場所や環境の中でこそ、ありありと輝くのである。

「貴男も、私と同じ気持ちなのではありませんか?」

 そう尋ねるアンリエッタは、いつもの女王然とした顔などではなく、歳相応のただの少女のそれであった。

 才人は、息が止まりそうになった。アンリエッタの言葉は……才人の胸に残るしこりを一言で言い当てたモノであったのだから。

 そう、あの時……確かに才人はアンリエッタに対して魅力を感じ、胸を高鳴らせたのであった。

 才人が再び激しい胸の高鳴りを感じていると、アンリエッタは朗らかな笑みを浮かべた。

「あの晩のことは、とても良く覚えておりますわ」

 それからアンリエッタは、下から才人の顔を悪戯っぽく覗き込んだ。

「貴男、夢中になって私の唇を求めて来たのですよ。こんな風に……」

 アンリエッタは、才人へと顔を近付ける。

 才人は身動き1つ取ることもできなかった。

 アンリエッタは優しく才人の肩を抱くと、ユックリと艶めかしい動きで才人の唇に自分のそれを押し付けた。

 どれほどの時間が過ぎたのであろうか。

 アンリエッタは唇を離すと、自嘲気味な笑みを浮かべて言った。

「結婚するなとは、言ってくださらないのね」

「……それは」

 才人は、自分の心に尋ねた。「国のために、自分を犠牲にするな」と言うだけであれば簡単であろう。だが……アンリエッタの立場を考えると、それもまた我儘のように想えたのである。それから、(でも……女王になるべく生まれたからといって、そこまで慢しなければいけないのか? セイヴァーは、こんな時どう言うだろう?)と考えた。が、(どうでも良いじゃないか、そんなこと)と才人は気付いた。そのような理屈などではなく、もっと心の深い部分で、アンリエッタの結婚を望んでいない、ということに。

 才人は、(もしかして、俺は……)と考え、そこで首を振った。次いで、(いや、俺が好きなのはルイズで……)と考える。

 そのような才人の葛藤に気付いたのであろう、アンリエッタは反省するような口調で言った。

「ごめんなさい。貴男を困らせるつもりはなかったの。本当よ」

 その、砕けた物言いが、才人の心を更に揺さぶってしまう。

「貴男に、こんな相談を持ち掛けるなんて、我儘もいいところだわ。貴男は、ルイズの恋人。それを知りつつ、貴男を誘惑するなんて……私も所詮、この部屋を造った、父や祖父と同じなのだわ」

 アンリエッタはしばらく、うつむいていたが……寂しい笑みを浮かべて立ち上がる。

「申し訳ありませぬ。忘れてください……」

「姫様」

 それから、心の中にわだかまっているモノを振り切るかのように、アンリエッタは呟く。

「結婚するわ。冷静になってみれば、それで良いのだあわ。誰も困らないじゃないの」

 才人は思わず立ち上がり、アンリエッタの手を握って叫んだ。

「や、やめろ!」

「……え?」

「そんな、したくもない結婚するってやっぱり可怪しいですよ。嫌ならやめれば良いじゃないですか!」

 アンリエッタは真顔になった。

「私を哀れで、そう仰っているの? それとも……」

 才人が答えないのを見て、アンリエッタは微笑んだ。

「貴男が何に悩んでいるのか……私には判りますわ。きっと、真面目過ぎるのね。他の殿方なら、何も悩まずに、2つの果実を手に入れようとするのでしょうに。貴男を弁護する訳ではないけれど、どちらの貴男も本当なんだと想いますよ。私もそう。貴男が親友の恋人だから、忘れようと想うのです。でも、もう1人の私は、そうは言ってくれないの。そんなのは関係無い、と言い続けるのです。でも……私は、それが可怪しいとは想いません。人間とは結局、そういう生き物なのですわ」

「…………」

「有難う。貴男がそう仰ってくれたから、結婚は断ります。でも、貴男に代わりになれとも申しません。安心して。でも……たまにこうして、ここで逢って頂けませんか? せめて私が……いえ、何でもありませぬ。そうね、友人として。それならば良いでしょう?」

 才人は……コクリと首肯いた。だが、(友人としてならば、構うまい。でも、ホントにそうなんだろうか?)と考え、自分が卑怯だと想った。だが……そう想っても、アンリエッタの言葉には抗うことができなかった。それほどに、蝋燭の淡い灯りに浮かび上がるアンリエッタは、神秘的なほどの色香を放ち、才人の本能を痛いくらいに刺激したのである。

 

 

 

 

 ドアの隙間から、一部始終を見ていたルイズは、ヘタリと地下通路の床にへたり込んだ。

 ルイズの頭の中には、(どうしてこんなことになったの?)といったことばかりが浮かんでいた。

 先程、才人と口論した後、ベッドの中でしばらく考えたルイズは、最終的に反省したのであった。(家族にサイトを馬鹿にされたくない)という想いから、つい才人に厳しく当たってしまったということを。その気持ちを、部屋に篭もる直前に言いはしたものの、(言わずとも理解って欲しい)と駄々を捏ねてい居た自分が恥ずかしくなったのである。

 感情が収まったルイズは、ベッドから抜け出し食堂へと向かった。が、そこには毛布が掛けられたシエスタが寝息を立てているばかりであり、才人の姿はなかった。

 ルイズは心配になって、屋敷を捜して見たら、地下室へのドアが開いているのを発見したのである。その後……ルイズは才人が通った道を辿り、この地下室のドアの前までやって来たのであるのだが。

 中に、才人とアンリエッタの姿を見付けた時には、ルイズは心臓が止まるのではと想えるほどに驚いた。声を掛けようと思ったのだが、声が出なかったのである。

 初め、ルイズは、アリエッタが才人にここを与えた意味を邪推した。(逢引きに使おうと、わざわざ下賜したののね)と想像したのである。

 だが、そうではなかったことが判った。

 話を聞く限り、この部屋の存在は2人共知らなかったようであるということを、ルイズは理解した。

 だが……そのようなことは、すっかり話を聞いてしまった今では、ルイズにとって関係がなかった。アンリエッタは、いつかルイズに「手を出すならば、それ相応の覚悟を持って、そういたします」と言っていたことを想い出し、(本気だったんだわ)と想ったのである。

 そして……才人の気持ちもまた、アンリエッタにも向いているということを、ルイズは知ってしまった。才人の不実を、アンリエッタの不実を詰ろうとしたのだが、(そう……きっと、姫様の言う通り。どちらの気持ちも本当なんだわ)と想い、ルイズは足を踏み出すことができなかったのである。

 才人のルイズを想う気持ちも本当であれば、アンリエッタを想う才人の気持ちもまた本当であるのだ。

 アンリエッタの友人としてルイズを想う気持ちも本当であれば、才人を想うアンリエッタの気持ちもまた本当である。

 どちらも本当で……それは何ら矛盾することなどなく、2人の中に息衝いているのである。

 それ等全部を知った時……真っ白になって行く頭の中で、ルイズは(私に、2人を責める資格はあるのかしら?)と想った。

 ルイズの中に生まれたのは、(ついさっきだって、私はサイトに上手く気持ちを伝えることができずに、怒ってしまったじゃないの)と想い、裏切られたという怒りなどではなく、そういった種類の哀しみであったのだ。

 ルイズは、(サイトはジッと我慢して、言う通りに高貴的な仕草を身に着けようと努力してくれてたのに……そんなサイトに私は何と言ったの?)と考えた。

 この屋敷に来るまで、ずっとくすぶっていた己への疑問が、ルイズの中に蘇る。プライドでどうにか押し潰していた、自分への疑問。

 今では、“救国の英雄”となってしまった才人。

 伝説の偉人にも劣らずの活躍をして退けた才人。

 ルイズは、(そんなサイトに、私は釣り合っているのかしら?)と悩みながら、来た時と同じように自室にコッソリと戻った。

 呆然とした頭の中、必死に一部の冷静な部分を働かせ、ルイズは荷物を纏めた。

 一部始終を見てしまったルイズの結論は、これであった。

 自分は、才人に相応しくない。

 それだけであった。

 今や“救国の英雄”……同時に敵も増やした才人には、真の庇護者が必要であるのだから。

 ルイズは、(“虚無の担い手”などと言われつつ、いつも足手纏いの私なんて、単に足枷になるだけだもの……姫様なら、立派に自分の代わりを務め上げてくれるわよね。何せ、この国の女王なんだもの。その彼女が後見人ともなれば、下手な“貴族”など手も足もでなくなるわ)と考えたのである。

 だが、それ等は小さな理由であった。本当の理由は、ただ1つ……。

 何より……2人は惹かれ合っている。

 ルイズは、(こうなってしまっては、私の居場所なんて、どこにあるというのかしら? 2人を責めることも、涙を見せることも、御門違いと言うモノだわ。だって、姫様は私の何倍もサイトを上手く守れるだろうし、大事にするはずだもの。そしてサイトも……ホントは姫様が好きなのに、ずっと我慢してたんだわ。私を気遣って……)と ショックのあまり、才人の気持ちを確かめることすらも忘れてしまっていた。また、才人の記憶が流れ込んで来たことによる、才人のルイズに対しての想いについてもどこかへと飛んでしまっていた。

 ルイズの目には、才人は自分より、アンリエッタに惹かれているように映ったのである。ルイズは、それが、自分の引け目が見せたモノだということに気付かない。

 ルイズはただ、(私がいなくなればそれで良いの。そうしたら、皆、幸せになれるわ。やっと訪れた平和を満喫できる。私の側にいたら、息が詰まるだけじゃない。簡単なことよルイズ。皆を大事に想うなら、こうするべきなののよ)と想い、哀しみで凍り付いた心に、そう言い聞かせながら荷物を纏め上げる。

 鞄1つ。他には何もない。

 あっと言う間に、手荷物はできあがる。

 最後にルイズは、短い滞在であった寝室を見回す。

 才人と暮らした屋敷。誰のモノでもない、2人の城……そこまで考え、ルイズは感情を振り払い、(楽しかった。だから良いわ。きっと、私には過ぎた生活だったんだわ)と想った。

 それからルイズは、(せめて置き手紙を書かないとサイトが心配するわね)と想い、ペンと紙を取った。

 何かを書こうとするたびに、ルイズの中に想いが溢れた。言葉の代わりに、とめどなく涙が溢れるのである。涙はポタポタと、羊皮紙に水玉を描いた。

 ルイズは、必死の想いで、たった一言、言葉を書いた。それ以上書てしまえば、悲しみで身体が動かなくなってしまいそうだったためである。

 その紙をベッドの上に置くと、鞄を握り締め、ルイズは目を瞑ってドアを開いて外へと飛び出した。

 ルイズは、(取り敢えず、“ド・オルニエール”の領地を出よう。後のことは、それから考えれば良いわ)と考え、厩に赴き、才人の馬に跨った。

 ルイズは、(ごめんね。後できっと誰かを通して返すから……今だけ貸して頂戴)と心の中でそう才人に詫び、双月の照らす中、たった1人馬に乗り駆け出した。

 ルイズは、(急がなくてはいけないわ。急いで、“ド・オルニエール”を出るのよ。いずれ、悲しみでこの身体は動かなくなる。そうなっては、一歩も歩くことができなくなってしまううわ)と進むたびに、屋敷から身体が遠ざかるたびに身を引き裂かれるかのような想いに、ルイズは倒れそうになったが……必死に堪え、夜の闇の中を走り続けた。

 後を追ける、黒い外套に髑髏の仮面を着けた男に気付くこともなく。

 

 

 

 

 

 アンリエッタを寝室に送った後……才人はしばらく地下寝室で頭を冷やしていた。

 1時間ほど、ボンヤリと過ごした後、才人は部屋を出た。

 通路の天井が低い為に身を屈めると、何かが落ちていることに、才人は気付いた。

「何だこれ……スリッパ?」

 そのピンク色のスリッパには、才人は見覚えがあった。才人は、(ルイズのじゃないか……どうしてここに? もしかして今の……見られていたのか? そうに違いない。ルイズはここまでやって来て、一部始終を聞いたんだ)と考え、頭から血の気が引いて行くように感じた。

 才人は慌てて、地下通路を抜け、2階の寝室へと向かった。

 鍵が開いている。

 才人は中へと飛び込んだ。

「……何だ?」

 ルイズの服が、ベッドの上に散乱している。

 才人は、(賊か?)と一瞬考えたが、違うことに気付いた。ルイズの鞄がなくあんっていることに気付いたためだ。

 そして、ベッドの上に1枚の羊皮紙を見付け、才人は真っ青になった。

 そこにはたった一言、こう書かれていた。

 

――“御免ね”。

 

 才人は泣きそうになった。先程の、自分とアンリエッタとのやりとりを見た上で、この一言を書いたルイズの気持ちを想像して、才人は目眩がした。

 その一言で、ルイズが何を想ったのかを、(あいつ……多分、俺と姫様のやりとりを見て……身を引くつもりなんだ)と才人は一瞬で理解したのである。

 ルイズの性格を、才人は良く理解している。頑固で融通が利かなくて……真面目過ぎ。でもって、誰より才人の幸せを願ってくれているのである。

 だからこそ……才人の幸せのためであれば、己を犠牲にすることも厭わなないのである。“ロマリア”では、自分の一生と引き換えにして、才人を“地球”へと帰そうとしたほどなのだから……。

 才人は、(今度もそうだ。あいつ、自分が消えれば俺が幸せになれると考えて……)と考え、側に置いてあるデルフリンガーを掴み、鞘から引き出した。

「デルフ! ルイズは?」

「んにゃあ、何だよ? 1時間ほど前に、何か泣きながら荷物を纏めて出てしまったぜ。また喧嘩したのか?」

 才人はデルフリンガーを掴んだまま駆け出した。食堂に向かい、シエスタを揺さぶり起こした。

「シエスタ! ルイズを見なかったか?」

「いえ……どうかしましたか?」

「家出しちゃったみたいなんだ……」

 まあ、とシエスタは口を開いた。それからジトッと才人を睨む。

「何したんですか? ミス・ヴァリエールがそこまで怒るなんてよっぽどだと想いますわ。あの人、何のっかんの言ってそうそう本気じゃ怒りませんからね」

 才人は苦しそうな顔をして言った。

「兎に角その話は後だ。俺はルイズを追い掛けるよ」

「私も手伝います」

「いや、シエスタはここで待っててくれ。夜も遅いし……危ないから」

 才人はテーブルの上にあったカンテラを掴み、そこに蝋燭の火を移し、外へと飛び出した。

 厩に行くと、愛馬がいないことに、才人は気付いた。

 ルイズが乗って行ったんだ、と才人は絶望に駆られながら駆け出した。

 

 

 

「今度は一体、どんな喧嘩をしたんだね?」

 背負われたデルフリンガーが、才人に尋ねる。

「喧嘩じゃない」

「だったら何だね?」

「俺が悪い。間が悪いとかじゃねえ……完全に、俺が悪い」

 才人は闇雲に駆けた。

 ルイズの行きそうな場所を、才人は想像する。

 実家、“魔法学院”……。

 だが、もし……姿を消す気であれば、そのような場所には行かないであろうということを、才人は理解した。

 

――“ごめんね”。

 

 才人には、ルイズが、完全に自分の前から姿を消す気だということが、その短い言葉だけで理解できた。そこには、才人をなじる言葉も、恨みがましい言葉など一切なかったのだから。

 才人は、(急がないと。今しかない。今、追い付かないと、ルイズと2度と逢えなくなってしまうかもしれねえ)と考え、焦った。

「そんなに急いで追い掛けても、逢ってくれないんじゃないかねぇ? かなり怒ってるんだろ? 何せ、あれだけの勢いで出て行っちまうくらいなんだから」

 恍けた声で、デルフリンガーが言った。

 才人はもう答えない。頭の中は、ルイズのことで一杯なためである。

「それに……言っちゃあなんだが、馬の足には追い付けねえよ。例え、“サーヴァント”でも、夜道を走り追い掛けるのは難しいんでねえの?」

 デルフリンガーの言う通りであろう。

 それでも、才人は駆けた。疾走らずにはいられなかったのである。

 平和で、幸せな時間が一瞬で崩れてしまったのである。それは、ただ続いて行く日常ではなかったのである。自然に、普通に、そこにあるモノではなかったのである。

 慎重に……自分の手で守り、育てなくてはいけない時間であったのだ。

 呆気なく……本当に呆気なくルイズを失おうとしてしまっている今、初めて才人はそれに気付き、理解した。同時に、どれだけ自分がルイズのことを“愛”しているのかを理解した。そして、いかに自分が軽率であったのかということも……。

 だが才人は、(違う。軽率だったんじゃない、俺は姫様の色香に魅力を感じ、自分で唇を重ねることを選んだんだ。あれだけ、ルイズに好きと言った唇を……自分の意思で姫様のそれに重ねたんだ。俺は最低だ)と想った。

 30分ほど疾走ったのだが、ルイズの姿を見付けることはできなかった。

 田舎の夜の闇は濃い。“サーヴァント”としてのヒトより優れた視力をもっても、カンテラの灯りを持って街道を歩くのは、それだけでも困難なことであった。

 才人は、(街道を逆に行ったのか? それとも、別の横道に逸れたのか? それとも、俺が追い掛けるのを見て、どこかに隠れてしまったのか?)と考えながら疾走る。

 全速力で駆けたために、才人の息が切れ始める。

 そのうちに前方から、“魔法”の灯かりを“杖”先に灯した2人組の騎乗の“貴族”(?)が現れた。2人は何やら口論しながら、才人の方へとやって来る。

「もう! ドゥドゥー兄様は本当に愚図だわ! 資料を失くすなんて!」

「すまん……」

 聞こ得て来る声から、2人の“貴族”が若いことが判る。

 才人とあまり変わらない年頃であろう。

 才人は、(良かった。彼等に尋ねよう)と立ち止まる。

「すいません! ちょっと御訊ねしたいんですが!」

 才人が羽織っているマントに気付くと、2人は馬を止めた。

「どうしました?」

 黒い羽根帽子にマントを羽織った若い男が叫び、返事をした。

「ここを、馬に乗った“貴族”の女の子が通って行きませんでしたか?」

 2人の“貴族”は顔を見合わせた。

「先程、擦れ違った女性がそうかしら?」

「桃色がかったブロンドの髪の女性かい?」

 若い“貴族”(?)の言葉に、才人は首肯いた。

「そうです! じゃあ、やっぱりこっちで良かったのか!」

 再び駆け出そうとした才人に、“貴族”の男が声を掛ける。

「おいおい! 走って追い掛けるつもりですか!? 僕等が擦れ違ったのは1時間も前ですよ!」

「どうしても追い付かんきゃならないんで! 有難う!」

 才人が駆け出そうとすると、若い“貴族”(?)は馬上から才人に告げた。

「よろしかったら、次の駅まで送ろうか?」

 駅というのは、馬を借りることができる公的な場所である。そこまで行けば、御金を払って馬を借りることができるであろう。

 すると、女の方が文句を吐けた。ヒラヒラとしたモノが付いた、黒と白の派手なデザインの衣装に身を包んでいる。レースで編まれたケープの上の顔は、まるで人形のように美しいといえるだろう。

「まあ!? 今は御仕事の最中ですのよ! これだからドゥドゥー兄様とは組みたくないのよ! やっぱり、上の兄様達と一緒に来れば良かった!」

 それでも、ドゥドゥーと呼ばれた少年は、才人を促した。

「助かります。でも、良いんですか? 御仕事があるんでしょう?」

「資料を失くしてしまって……引き返そうかと思って居たところなんです」

 馬は疾走り出した。

 少女は、ブツブツとドゥドゥーに文句を吐け続けた。

「こないだの御仕事もそうだったわ! ドゥドゥー兄様ったら途中で御腹を壊すだもの! 仕方ないから、私1人で……」

「もう勘弁してくれよ。ジャネット。御詫びに、“トリスタニア”に戻ったら、御前の望むだけ御菓子を買ってやるから……」

 すると、ジャネットという名前の少女は満面の笑みを浮かべた。

「まあ!? ホント!?」

 そのような2人の兄妹のやりとりの中でも、才人は焦ったような顔で前を見詰めるのみである。

 ジャネットが、そんな才人を見詰めて言った。

「ドゥドゥー兄様、この方に尋ねてみたら?」

「でも、軽々しく話して良いことじゃないんだろ?」

「何を言ってるの? 勝手に資料を失くしておいて!」

 何だか妙な会話であるといえるが、才人は気にしなかった。それどころではなかったためである。

 妹にそこまで言われて、ドゥドゥーは決心したらしい。後ろを向くと、才人に尋ねた。

「御訊ねしてもよろしいですか? この辺りに、シュヴァリエ・ヒリゴイール様と言う“貴族”がおられるという話なんですが……」

 更に妙な発音になってはいたが、才人は自分のことに違いないだろうと理解した。

「多分、俺だと想いますけど」

「ええっ!?」

 ドゥドゥーは、心底驚いた、といった様子を見せる。

「まあ!?」

 隣を疾走るジャネットも、目を丸くした。

 ドゥードゥーは得意げな顔になり、ジャネットに告げた。

「ほら見ろ! ジャネット! 僕はいつもこうだ! 困っていると、神様が御味方してくださるんだよ!」

「ただ、運が良いだけじゃない」

「一体、俺に何の用何ですか?」

 怪訝に思って才人が尋ねると、ドゥドゥーは振り返り事もなげに言い放った。

「君を殺しに来たんだ」

 才人の身体が固まった。冗談だと思ったのである。

 隣のジャネットが、朗らかに笑いながら言った。

「そうなのよ。それなのに、この人ったら、肝心の貴男の資料を置いて来てしまったのよ。あのね、兄様。普通はね、資料なんてモノは、空で覚えてしまうモノよ」

「しょうがないじゃないか。僕は忘れっぽいんだ!」

 口論を始めた兄妹を、才人は呆気に取られて見詰めていた。「殺しに来た」と言いながらその兄妹はいきなり口論を始めているのだから、意味が理解らないのである。

「そんな訳で、僕は君を殺さなきゃならないんだが、できれば大人しくしていて欲しい。御互い面倒だし、抵抗は無駄なだけだからね」

「そうよ。大人しくしていれば、眠っているように“ヴァルハラ”へと送って上げるから」

 才人は、低い声で尋ねた。

「冗談、じゃないよな?」

「違う」

「もう1度尋ねるけど……」

「残念ながら……」

 そこまでドゥドゥーが言った時、才人の身体が反射的に反応した。背を反らせて、馬に跨ったまま腰に提げたに“日本刀”の柄を握り、居合いの要領で抜き払ったのである。

 背中に吊ったデルフリンガーを抜くよりも、ジーンズに提した“自動拳銃”より、この攻撃が1番速いためである。抜く動作が、そのまま攻撃になっているのだから。

 だが、才人の眼の前にはドゥドゥーの姿はなかった。

 神速とでもいえる“ガンダールヴ”が放つ居合いを難なく躱し、ドゥドゥーは空中に浮かんでいる。馬上から、“魔法”も使わずに一気にジャンプしたのであろう。恐るべき反射神経と体術であるといえるだろう。

 ドゥドゥーは地面に着地した。

 そこに向けて跳び込もうとした時……右から猛烈な風圧を受けて、才人は地面を転がった。

 ジャネットが、“風魔法”を飛ばしたのである。

「くッ!」

「剣士の癖に、沢山、“メイジ”を抜いたそうじゃないか」

 ドゥドゥーは、“杖”を引き抜いた。何やら、鞭のようにしなる“杖”である。その“杖”でもって、時代掛かった仕草で、帽子の鍔を持ち上げる。その帽子の下にあったのは、才人と幾らも年の変わらない顔であった。ハンサムと言っても良い、鼻が軽く上を向いており、妙な愛嬌を発している。

 ドゥドゥーの、まるで“魔法学院”で見掛けるような“貴族”の坊ちゃん然とした風情に、才人は面食らってしまった。

 だが、全く油断はできない。彼はそんな無邪気な顔と調子で「才人を殺す」と言い放ち、恐るべき体術を見せ付けたのだから。

「誰に頼まれた!?」

 立ち上がり様、才人は刀を構えて叫び問うた。

「言っても良いんだっけ?」

 ドゥドゥーは、ジャネットに尋ねる。

「駄目よ! 全く! ドゥドゥー兄様は馬鹿じゃないの!?」

「馬鹿って言うなよ! いつも兄さん達が片付けてしまうもんだから、手順や作法を覚えてないだけだ!」

 それから才人の方を向いて、ドゥドゥーは再び言葉を掛けた。

「ごめんよ。話せないそうだ。兎に角、今の一撃は良かった! どうやら“伝説の使い魔”って話は本当らしいな」

 それからドゥドゥーは、ニヤッと笑みを浮かべた。

 その笑みの種類に、才人は懐かしいといえる何かを感じた。

 そう。今ドゥドゥーが浮かべた笑みは、昔才人ゲームセンターの対戦ゲームなどで良く見た表情のそれに近いのである。小遣いを注ぎ込んだ格闘ゲーム。沢山のゲーム狂達。彼等が、強い相手を見付けた時に浮かべた時の笑顔……。

「なあジャネット」

「何よ!?」

「愉しんでも良いかい?」

「駄目って言っても、どうせそうするんでしょう? 知らないわよ。後で兄様達に怒られるのは、ドゥドゥー兄様なんだからね!」

「いつものことだ。気にしないよ。じゃあ手を出すなよ」

 再びドゥドゥーは、才人へと向き直る。

「良かったね。君。何だっけ? ヒ……ヒル……ヒレ……」

「平賀」

「そうそう。そのヒリギ殿だ。君は運が良い。わずかな間だけど、長生きできる。金にしか興味のない兄達と違って、僕は純粋に戦いが好きなんだ。特に、君みたいに強い奴の相手のね」

「兄様達は御金が好きなんじゃないわ! 兄様達には大義が……」

「煩いな、僕に済りゃ同じことだよ」

 そのような妙なやりとりの間……才人は攻撃を仕掛けることができなかった。ドゥドゥーには、全く隙といえる隙が見当たらなかったのである。才人の額に鈍い汗が浮かぶ。

「おや? 来ないのかい? 沢山隙を見せてやったのに……変な奴だな。仕方ない! じゃあ、こっちから行くぜ! そら!」

 ドゥドゥーは、鞭のようにしな“杖”を振り下ろした。

 才人とドゥドゥーとの間の距離は20“メイル”ほど。

 才人は、氷の矢を始めとした遠距離からの攻撃“魔法”を警戒した。

 見る見るうちにドゥドゥーが持つ“杖”には“魔力”が宿り、青白く光り出し、大木のように太く長くなった。

「“ブレイド”!?」

 巨木のような“魔法”の刃が、才人の頭目掛けて叩き付けられる。

 間一髪、才人は横に跳んでその攻撃を躱す。

 その“ブレイド”の威力は半端ではなかった。地面が捲れ上がり、土埃が舞った。

 あのような一撃を刀で受けていれば……“サーヴァント”としての比較的頑丈な身体を持っていようとも、刀はバラバラにされ、身体には大きな傷を受けることになっていたであろう。

「そう。ただの“ブレイド”だよ。でも、他のよりちょっと大きいかな? それより君! 大したもんだな! 今の一撃を躱した奴は、君が初めてだ」

 才人は、(こりゃ不味い)と思いながら、“日本刀”を突き立て、背中からデルフリンガーを抜いた。

「よぉ相棒。何だか恐ろしい奴を相手にしてるね」

「……何々だあいつ。あんなでかぶっとい“ブレイド”何て見たこともねえよ」

「確かにあいつの“魔力”は尋常じゃねえな」

 だが……才人は、ここで負ける訳にはいかなかった。急いでルイズに追い付かねばならないのだから。

 そう想った時、才人の身体が震えた。

 左手甲の“ルーン”の輝きが増して行く。

 そんな才人を見て、ドゥドゥーは更に笑みを深くする。

「好いね。実に好い。流石は数多くの“メイジ”を倒して来た剣士。でも……」

 才人は目を凝らした。ドゥドゥーの動きに、全身全霊を傾けて集中する。数多の実戦の中で培って来た眼力などが、攻撃を仕掛けるべきタイミングを計ってくれているのである。

 未だ。未だ。未だ……。

 ドゥドゥーは言葉を続けた。

「君は、“メイジ”の光の部分しか知らないようだね。どうして僕達“メイジ”が、6,000年もの間君臨できたのか……その理由を教えてやろう。“スクウェア”だとか、“トライアングル”だとか、足せる“系統”の数が全てではないことを、君に教育してやろう。“メイジ殺し”の君にね」

 ドゥドゥーは、“ブレイド”を振り上げた。

 才人は、(今だ)と一足跳びに、ドゥドゥーの懐へと跳び込んだ、次いで、右手で握ったデルフリンガーを振り下ろす。

 ドゥドゥーは一瞬にして、縮めた“ブレイド”でそれを受け止めた。

 激しい音がして、火花と青白い“魔法”の光が混じり合う。

 ほぼ同時に、才人は左手で“自動拳銃”を抜いた。初段は既に薬室に装填してある。銃口をドゥドゥーの腹に突き付け、才人は引き金を絞った。目にも留まらぬといった早業で、3発を発射した。

 確かに才人は命中の手応えを感じた。

 だが……ドゥドゥーは倒れない。

「御見事! 御見事! そんなに鮮やかに剣と銃を組み合わせて、攻撃して来るなんて! でも、銃に対する防御なら、僕達は13通りも知っている」

 ポロッと、変形した弾丸が、ドゥドゥーの腹から落ちた。

「な……!?」

「1番簡単なのがこれさ。弾が当たる場所に、“硬化”を掛けてやれば良い。慣れれば、何てことない」

 才人は銃口をズラすと、躊躇いなくドゥドゥーの頭へと撃っ放した。殺らなければ殺られる。その本能的な恐怖が、身体を包み動かしたのである。

 だが、ドゥドゥーの額が銀色に光り、弾を弾き返した。

 才人は弾が切れるまで乱射したのだが、一分の隙もないようで、ドゥドゥーは“硬化”を用いてそれ等を弾いてみせた。

「連射できるなんて珍しいな! いつの間に、そんな立派な銃ができたんだ?」

 呆然とする才人の手から、ヒョイッとドゥドゥーは“自動拳銃”を取り上げる。それから、物珍しそうにそれを見詰め、才人に笑ってみせた。

「随分と精巧な造りじゃないか! こりゃ好い! 僕にくれないか?」

 才人をからかっている素振りは全くない。まるで友達に対して言うような気安さで、ドゥドゥーは言ったのである。

 才人は、ドゥドゥーが全く本気を出していないということを、その口調などから理解した。

「この……!」

 才人はデルフリンガーを両手で掴むと、力任せに振り下ろす。

 ドゥドゥーは身体を後ろへとズラし、剣先を躱してみせた。

「“魔法”を使わなきゃ、素早く動けない“メイジ”なんてのは、僕からすれば三流だ。一流の使い手というのはね、僕みたいに“魔力”を……」

 再び、“ブレイド”が唸りを上げて膨らんだ。

「全部攻撃に振り切るんだ」

 巨大な“ブレイド”の刃が、才人目掛けて振り下ろされる。

 しかし才人も然る者、それを避けて行く。避けながら、才人はデルフリンガーに尋ねた。

「あいつ……何だってあんなに速く動けるんだ!? “サーヴァント”でもない、況してや“魔法”も使わずに!」

「いるんだよ……長い“メイジ”の歴史の中じゃ、あんな風に戦うためだけに生まれて来たような奴が……何だかいつも言ってるようだが、こりゃ分が悪いね」

「それにしたって! ヒトの動きじゃねえよ!」

 躱したつもりのドゥドゥーの“ブレイド”が、才人の足を掠る。

 それだけで、才人は吹き飛ばされて地面に転がってしまった。

「おやおや!? もう御終いなんて言わないでくれよ!」

 才人は、(大丈夫、掠り傷だ、でも、次がそうだという可能性は限りなく低い)と想い、跳ね起きた。

「ん?」

 その時、デルフリンガーが、小さく言った。

「どうした? デルフ」

「成る程。関節に“先住”を仕込んでるのか。でもまた、一体どうやってそんな真似を……?」

「何だって?」

 “ブレイド”が飛んで来て、才人はそれをステップで躱す。

「簡単に言うとだな。あいつの身体は、正確に言うと生身じゃねえ。足、腕……膝、肘、手首。そういった部分に、“先住魔法”が掛けられてる。だからあんなに速く動けるんだ。でも、誰がそんな真似を……?」

「ちょこまかと!」

 痺れを切らした声で、ドゥドゥーが叫んだ。

 デルフリンガーの呟く種明かしが、才人を冷静にさせていた。そのため、最小の動きで、攻撃を躱してみせた。

「兎に角、理由(わけ)が理解れば、対処のしようもある。そうだな? デルフ」

「そうともさ。でも、そんなのは普通不可能だぜ。“エルフ”にだって、そこまで繊細な制御はできねえ。“ドラゴン”の吐く炎で、パンを焼こうってなもんだ。普通だったら黒焦げになっちまう」

「で、どうすりゃ良いんだ?」

「兎に角、俺があいつの“魔法”を吸い込んでやる。その隙に、あの相棒の国とやらの剣を拾って、突き立てな。でも……あいつの“魔力”は妙だ。強過ぎる。もしかしたら……」

「もしかしたら、何だよ!?」

「まあ、仕方ねえ。やってみよう」

 才人は、先程地面に突き立てた“日本刀”に躙り寄った。

「おいおい! まさか逃げるなんて言わないだろうね!?」

 ドゥドゥーが“ブレイド”を振り上げたその時……デルフリンガーが叫んだ。

「相棒! 今だ! 俺を地面に突き立てろ!」

 才人は言われるがままに、デルフリンガーを地面へと突き立てた。

「――んなッ!?」

 ドゥドゥーの口から、驚愕の呻きが漏れた。自分の“ブレイド”が、音を立ててデルフリンガーへと吸い込まれて行くのを目の当たりにしたためである。

 才人は、地面に立てていた“日本刀”へと飛び付いた。

「良いぞ! デルフ!」

「こ、このぉ……剣の分際でッ!」

 ドゥドゥーの顔から、余裕の笑みが消えた。

 次の瞬間、ドゥドゥーは懐から何かを取り出した。それは液体が入った瓶であった。

 何かを察知したデルフリンガーが叫ぶ。

「いけねえ! 相棒! 逃げろ!」

「え?」

 一気にドゥドゥーへと跳び掛かろうとした才人の足が、どうにか止まる。

 次の瞬間、ドゥドゥーはその液体を飲み干す。次いで、ドゥドゥーの口から、“竜”の咆哮のような叫びが漏れた。

「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!」

 “ブレイド”の幅が、倍に膨れた。

 才人は、信じられないような思いで、そのオーラの迸りとでも呼ぶべき、“ブレイド”を見詰めた。

 巨大な大蛇のように、“ブレイド”はドゥドゥーの周りを暴れた。

 その間合いに突っ込むことは、いかな“ガンダールヴ”であろうとも不可能であった。また、才人は“シールダー”の“サーヴァント”としての力を持ってはいるが、その力を完全に引き出すことはできてはいないに、それもまた不可能である。

 才人が、入り込むことができる隙間など全ないといえるだろう。

 だが、そんな台風のように暴れ狂う“ブレイド”を、デルフリンガーは吸い込んで行く。

 ビギッ……。

 才人は、デルフリンガーの表面に罅が入るのを見た。

「デルフ?」

「良いか相棒、良く聴け。俺があいつの“魔法”を吸い込み切ったら、その剣であいつを打った斬れ。良いな?」

「お、おい! やめろ!」

 才人は、起こりつつある事態に気付き、想い出した。

 デルフリンガーの表面に走る罅が大きくなって行く。

 思わず才人はデルフリンガーに飛び付こうとした。だが、暴れ狂う“ブレイド”の波に弾き飛ばされてしまう。

「参った……こりゃ参った。あの薬のおかげだろうが、あの野郎の“魔力”は半端じゃねえ……どうやら、俺の身体は保たねえみてえだ……」

「デルフ!」

「あばよ。短え間だったが、実に楽しかった。6,000年生きて来た甲斐があるってもんだ」

「やめろ! やめろデルフ!」

 才人は叫んだ。

 荒れ狂う“ブレイド”が一際大きくなる。

 デルフリンガーの剣身が、ボロボロに崩れて行く。

「ああーあ、セイヴァーの言った通りになっちまったなあ……相棒。あの生意気な娘っ子に、ちゃんと謝るんだぜ……」

 巨大に膨れ上がった“ブレイド”を吸い込み切ったその瞬間……ブワッと、内から膨れ上がるようにして、吸い込む限界に達したデルフリンガーがバラバラに弾け飛ぶ。

 ドゥドゥーはその衝撃で吹き飛ばされ、地面に転がった。

 才人は呆然と、キラキラと光りながら、ユックリと地面に舞い落ちるデルフリンガーの破片を見詰めた。

 何が起こったのか、才人は直ぐには理解できなかった、眼の前の世界が、一瞬で凍り付いたように感じられたのである。

 ツイッと、才人の頬に熱い何かが伝う。

 それで才人は、ようやっとのことで我に返った。戦いで培って来た冷静さが、才人に悲しみに浸る余裕を与えずに、眼の前の状況を淡々と告げる。

 デルフリンガーが砕け散った。

「デルフ……馬鹿野郎……やめろって言ったのに……」

 才人が抱える深い哀しみを受けて、左手甲の“ルーン”がこれまでになく闇夜の中鮮やかに輝いた。左手全体が光っているかのような、そのような輝きを受けて、握った“日本刀”の刀身迄が青白く光り始める。

「やめろって言ったのにッ!」

 かつてワルドと戦った時の、「“ガンダールヴ”の強さは心の震えで決まる! 怒り! 悲しみ! 愛! 喜び! 何だって良い! 兎に角心を震わせな俺の“ガンダールヴ”!」といったデルフリンガーの言葉が、才人の脳裏に蘇る。

 煩くって、能天気で、恍けた様子を見せていた、才人の相棒。

 それでも困った時は、必ずと云って良いほどに、才人を助けてくれていた。

 才人は、(何度俺は、あいつに助けられただろう? 何度俺は、命を救われただろう?)と想い、「こんなんで震えたくねえよッ!」と絶叫した。

 吹き飛ばされたドゥドゥーはやっとの思いで立ち上がった。だが、激しい衝撃で、頭がクラクラしている。

「なんて剣だ……僕の“魔法”を吸い込むなんて……くそッ!」

 頭を振った瞬間、20“メイル”離れた先に、才人が“日本刀”を構えて跳び込んで来るのが、ドゥドゥーには見えた。そして、(なに、この距離と僕のスピードなら間に合う!)と考えた。

 疾走る才人には、ドゥドゥーの動きが止まって見えた。ノロノロと腕を振り上げ“ルーン”を呟いているように、見えるのである。

 才人は、(あんな奴に……デルフがあんな奴に)と想い、身体は羽が生えたかのように軽く、逆に心は重石を載せられたかのように感じられた。目からはとめどなく涙が溢れる。荒れ狂う嵐のような激情の中、才人は、自分が呆気なく親友を失ったということを理解した。(俺がもっとしっかりしてれば……俺がもっと強ければ……俺がもっと。俺がもっと。俺がもっと……)、と自身を責める。

 そんな中、才人はデルフリンガーとのやりとりを想い出していた。

 

「おでれーた。見損なってた。てめ、使い手か」

「でも、安心しな相棒、ちゃちな“魔法”は全部、俺が吸い込んでやるよ! この“ガンダールヴ”の左腕、デルフリンガー様がな!」

「相棒、こいつをあの“フネ”の真上に持って来な。そこに死角がある。大砲を向けられねえ、死角がな」

「どう仕様もこう仕様もねえだろが。あの竜巻を止めるのが御前さんの仕事だよ。“ガンダールヴ”」

「おい、娘っ子。俺が合図したら、座席の下のレバーを引きな。あのおっさんが取り付けた最後の新兵器だ」

「相棒、兎に角真っ直ぐ突っ込め」

「自信を持て。御前は強い。今から俺が指示を飛ばす。その通りに動け。良いな? そうすれば、必ず勝てる」

「あいつはあれだ。暗殺者の動きだね」

「俺にその“解除”を掛けろ!」

 

 時間にすれば刹那、ほんの零コンマ数秒のことであろう。1歩跳ぶたびに、かつてのデルフリンガーの言葉が、才人の脳裏を過る。

 

「忘れるな! 戦うのは俺じゃあねえ! 俺はただの道具に過ぎねえ!」

 

 才人は、(何言ってんだ。御前は道具なんかじゃねえよ)と想い、いつも的確なアドバイスをくれたこと、朝に昼に夜にふざけ合ったこと、調子に乗った時も、ピンチの時にも、嬉しい時、悲しい時、死にそうになった時も、いつも側にいた、デルフリンガーのことを想った。

 だが、もういない。

 獣のような咆哮が、才人の口から溢れた。それは悲しみの咆哮であるといえるだろう。激情は才人の心を確かに震わせ、左手甲の“ルーン”を更に更に輝かせるのである。その光は握った柄から刀身にまで及び、色鮮やかに“日本刀”の刃を光らせた。

 その光は、否応なく才人の心にたった1つの事実を突き付ける。残酷に。無情に。

 デルフリンガーは、もういない。

 ドゥドゥーが再び“ブレイド”を使用した時……才人はそれ以上のスピードでドゥドゥーの懐へと跳び込んでいた。

「な……!? 僕より、速いだと?」

 才人は、柄も通れとばかりに、ドゥドゥーの腹に“日本刀”を突き立てる。

「デルフ。馬鹿野郎……」

 勝利の余韻も、哀しみの慟哭も、才人には許さることはなかった。

 次の瞬間、才人は頭に衝撃を感じ、地面に倒れ伏したのである。

 そう。

 敵はもう1人いたのである。

 急速に薄れて行く意識の中、才人は何度も己を呪い続けた。

 

 

 

 地面に倒れた兄と才人を見下ろし、ジャネットは溜息を吐いた。

「ホントに馬鹿ね。私の兄とは想えないわ。このまま放って置こうかしら……」

 そうは言いながらも、ジャネットは気を失った兄を抱き起こし、刀を引き抜いて“治癒魔法”を掛けてやった。

 致命傷にしか見えない傷であったのだが、見る見るうちに塞がって行く。

 恐るべき威力――回復力を促す“水魔法”で在ると云えるだろう。

 気を失った兄を馬に乗せると、ジャネットはチラッと倒れた才人を見詰めて呟いた。

「貴男も命拾いしたわね」

 ジャネットは、手にした書簡を見詰める。

 それは、才人とドゥドゥー2人の戦いの最中、長兄の“使い魔”が運んで来た手紙であった。そこにはこう書かれていた。

 

――“可愛いジャネットへ”。

 

――“ドゥドゥーと2人で大丈夫かい?”。

 

――“さて、君達が、仕事を終えていないことを祈る”。

 

――“先程、ジャックから連絡があって、依頼主が要求した金額を用意できないことが判った”。

 

――“その仕事は中止だ”。

 

――“直ぐに帰っておいで”。

 

――“温かいスープを用意しているよ”。

 

――“理想のために生きる”。

 

――“ダミアン”。

 

「全く……只働きじゃないの。あ、前金は一応貰ってるんだっけ? それにしても割に合わないわ」

 ブツブツと文句を言いながら、ジャネットは馬に跨った。

「ま、これが商売の難しいところよね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 礼拝堂では銀髪の少女が1人、両手を合わせて“始祖像”に祈りを捧げている。

 美しく、儚げな印象を持つ少女である。

 キラキラと輝く羅紗な編み込んだような長い銀髪の隙間から見える、人懐こそうな丸い目を閉じ、まるで1個の彫刻であるかのように微動だにしない。

 美しい、7色のステンドグラスの窓から射し込む陽光が、薄っすらと礼拝堂の中に漂う埃とその少女を神々しいまでに染め上げている。

 修道衣に包まれたその身体と顔付きから察するに、年は14~15といったところであろう。

 熱心に祈りを捧げているという風情は、その口元からは感じることができる。彼女にとって、こうやって祈りを捧げる行為は呼吸と同じような日常の営みであるのだと思わせる、静かで、温かな黙祷である。

 礼拝堂の窓の外には広大な外海が広がっている。

 この“セント・マルガリタ修道院”は、“ガリア”北西部に突き出た幅2“リーグ”、長さ30“リーグ”ほどの細長い半島の先端に建てられているのである。

 その半島のほとんどはゴツゴツとした岩山で占められている。

 この修道院へは、陸路が通じていないのである。詰まり船か、飛行可能な“幻獣”などを用いなければ辿り着くことができないのである。

 観念だけではなく、物理的にも俗世と隔絶されたこの修道院では、30人ほどの修道女達が生活している。

 修道院の扉が開き、同じ修道服に身を包んだ少女が数人入って来た。彼女達は静かに黙祷する銀髪の少女を見付け、大声を上げた。

「まあ!? ジョゼットさんってば、御勤めの時間でもないのに、御祈りをしているわ!」

 彼女達は、とんでもない楽しみを見付けた、と言わんばかりに、きゃあきゃあと騒ぎ始めた。

 無理もないことであろう。外界から隔絶されたこの修道院では、娯楽といえる娯楽などないのだから。

 様々な事情からこの半島に閉じ込められている少女達にとっては、いつもと違う行動、すらもとんでもない娯楽じみた塊であるのであった。

「一体、何を御祈りしているのかしら?」

 1人の少女がそう言うと、隣の赤毛の少女が目を輝かせた。

「決まっているわ。御客様が入らしてくれるように、御祈りしているんだわ」

「何てことでしょう! 院長様に聞かれたら大変だわ!」

 少女達は、更に楽し気に笑い転げた。

「どうして? 怒られるようなことじゃないわ。だって、あの御客様は“ロマリア”の神官様じゃない。私達を導いてくださる、素晴らしい御方よ。ジョゼットさんが待ち望むのも無理もないわ。だって、1番の仲良しなんですもの」

 すると、静かに黙祷をしていたジョゼットの目が、パチリと開いた。

「失礼なこと言わないで頂戴!」

「きゃあ!? ジョゼットさんが聞いていたわ!」

 あれほどの大声で噂――会話をしておいて、聞こ得る聞こ得ないのもないといえるだろう。

 が、そんな彼女達のやりとりからして、これ等は御約束になったやりとりであろうことが判る。

「“竜の御兄様”は、本当に慈悲深い御方なの。だから退屈で死にそうな私達に、街の御話や、御菓子なんかを届けてくださるんじゃない。ただそれだけよ。特別な感情を私に抱いているなんて、無礼も同義だわ」

「おやおや!? ジョゼットさん、誰が特別な感情を抱いてる、なんて言ったの? 私はただ、貴女が1番の仲良しって言っただけよ」

 するとジョゼットは、顔を真っ赤にさせた。

「ジョゼットさんが林檎になっちゃった! 採れたての、美味しい真っ赤な林檎!」

 何が可笑しいのか、少女達は笑い転げる。

 するとジョゼットは、胸から提がった“聖具”をギュッと握り締めた。

 その銀の“聖具”は……ジョゼットが物心付いた時にはもう、首に提げられていた。

 ここの院長によると、街の救貧院の前で箱に入れられ泣いていたジョゼットの首に掛かっていたらしいのだが。たまたまそこを訪れた彼女に、ジョゼットは拾われたのである。

 ジョゼットは、この“聖具”を1度も外したことがなかった。「入浴、就寝、いついかなる時も外してはなく、それはここに住む乙女達のルールであった。

 決して“聖具”を外してはいけない。

 もし、そのようなことをしてしまえば……「“始祖”と神の恩寵を、一時に失ってしまう。もしそうなれば、命を落とす」と言われているのである。

 このような場所に建てられながらも、あまり戒律が厳しいとは言い難いこの“セント・マルガリタ修道院”に於いて、そのルールのみは国境の城砦のように、固く守られているのである。

 今や自分の分身にも感じられる“聖具”を強く握り締め、ジョゼットは呼吸を落ち着かせ、騒ぎ喚く友人達を尻目に、外へと向かった。

 礼拝堂の隣には、石造りの宿舎が見える。

 それで建物は全てある。

 猫の額ほどの土地に設けられた。何とも小さな修道院であるといえるだろう。

 風除けの壁の向こうには広漠として海が広がっている。

 横を向くと、岩山のほんの隙間を利用して、小さな畑が幾つも作られている。吹き荒ぶ潮風にも耐えることができる、“コガネソバ”の穂が頼りなさげに揺れている。

 神官以外、訪れることのできないこの修道院は、ほぼ自給自足でなりたっているのである。

 ここは、世界と呼ぶには細やかな……小さな、あまりにも小さな場所である。

 ジョゼットは空を見上げた。

 まるで囚人の暮らしのようではあったが、浮かべる笑顔は実に爽やかである。彼女はここ以外の生活を知らないし、食べる物も仲間にも特に不自由などしていないためである。

 それに……今では、待つ、喜びも覚えたのである。

 ジョゼットは、指を折って何やら数え始める。それから、(この前は、12日前に入らしたから……多分明日か明後日には来てくださるわ)と想った。

 そう想うことで、今まで感じたことのない胸のざわめきが、ジョゼットの全身へと広がって行き、不安と期待に身体が満ちて行くのであった。

 海から吹く強い風が、ジョゼットの冠ったフードを背中へと吹き飛ばした。

 長い銀髪が巻き上がり、海から吹く風に溶けた。

 

 

 

 

 

 2週間後……1匹の“風竜”が修道院の中庭へと降り立った。

 もうそれだけで一杯になってしまう。

 宿舎の中から、年老いた修道院長がやって来て、客を迎えた。

「御久し振りです。シスター」

 “ロマリア”の神官服に身を包んだ青年……いや、未だ少年の趣を顔に残している。白金の髪が眩しい美少年である。が、左右色の違う瞳――“月目”が、何か危うさや神秘的な雰囲気を醸し出している。

 ジュリオである。

 修道院長は、ペコリと頭を下げた。それから、困ったような顔で告げる。

「助祭枢機卿殿」

 “ロマリア宗教庁”での肩書で呼ばれたジュリオは笑みを浮かべて、修道院長を見詰めた。

「何でしょう?」

「御出になって早々、こう申し上げては何ですが、当院は外国の客人を歓迎するような造りにはなっておりません」

「私は“ロマリア”の神官ですよ」

 それが答えだと言わんばかりに、ジュリオは言い放つ。

 寺院の職位でいってしまえば、ジュリオとこの老修道院長との間には、天と地ほどの開きがある。その上、ジュリオは、ただの助祭枢機卿ではないのである。教皇の側に仕える神官でもあるのだから。

「そこなのです。貴男のような“始祖”に近き尊き御客様を迎え入れるには、いささか不如意に過ぎると存じます。知っての通り、ここは俗世から切り離された、身寄りなき少女達が神と“始祖”に近付くための修行場ですから……」

 修道院長の声には、恐怖が混じっていた。彼女とて昨今の“ガリア”の状況を知らぬ訳ではないのである。“ロマリア”との戦、ジョゼフ王の死、そしてその姪であるシャルロットの即位……。

 シャルロットは“ロマリア”の傀儡であるとの噂も、ここには届いていた。

 そんな折のたび重なる“ロマリア”神官の訪問……何かがある、と想うのは無理もないであろう。

「貴女が困るようなことには、決してなりませんよ。さて、教皇聖下部は貴女の献身と信仰に対して、深い感謝と友情を届けるよう、この私に御命じになりました」

 ジュリオは革袋を、修道院長に手渡した。

 そこにはキラキラと光る金貨が詰まっている。

 “聖具”の形を印を切りながら、修道院長はそれを受け取った。同時に、ガタガタと震え出す。

「御慈悲を。是非とも聖下にこう御伝えくださいますよう。私は本当に、何も知らぬ年老いたただの尼で御座います。私はただ、身寄り無き少女達を憐れみ、ここで神が与えたもう御勤めを果たしているだけで……」

「理解っています。理解っていますよシスター」

 老母を安心させるように、ジュリオは優しく彼女の肩を叩いた。

「私も孤児院の出です。貴女の行為は、本当に尊いモノだと知っています。私は、自分の妹のような少女達に、ただ夢と希望を与えたいだけなのです」

 現れた“風竜”とジュリオを見付け、宿舎から少女達が飛び出して来る。

「“竜の御兄様”! 今日はどんな御話をしてくださるの?」

 口々に少女達は叫びながら、ジュリオを取り囲む。

「こら! 貴女達! 貴女方は神に仕える身分なのですよ! 助祭枢機卿殿が呆れているではありませんか!」

 咄嗟に怒鳴り付ける修道院長であったが、少女達の興奮は治まらない。

 修道院長は、切なげな様子で“聖具”の印を切った。

 無理もないであろう。様々な事情でここにやって来た身寄りのない少女達なのである。心からの信仰を期待する訳にもいかず、また彼女達が経験して来た苦労を考えればほんのわずかな娯楽を取り上げることは偲びないのであった。多少の騒ぎは大目に見る必要があるだろう。

 ジュリオはにこやかに笑いながら、少女達に尋ねた。

「御話は後でして上げる。それより、ジョゼットはどこだい?」

 少女達は、意味ありげに顔を見合わせ合う。

「さあ? 御自分で御捜しになられたら?」

 再び、きゃあきゃあ、と少女達は騒ぎ始める。

 ジュリオは首肯くと、礼拝堂へと向かった。

 この小さな修道院で、捜す所など他にないのだから。

 

 

 

 銀髪の少女は、膝を突いて祈りを捧げていた。

 扉が開いてジュリオが姿を見せても、ジョゼットは祈りを続けている。

 ジュリオはソッと彼女の背中へと近付き、フードの横から溢れる少女の銀髪に触れた。愛しむように、その髪を暫し手の指で弄ぶように。

「修道女の髪を触るなんて、地獄に堕ちますわよ?」

 どこまでも真面目な声で、ジョゼットは言った。

「君のこの綺麗な髪を触って地獄に行くなら、本望だね」

「まあ!? なんて罰当たりな言葉でしょう! 神官様の言葉とは想えませんわ!」

「何を怒っているんだい?」

「怒るですって? まあ!? 私が? どうして私が怒るんですの? そうね、怒るとすれば、前は2週に1度は入らしてくれたのに、何故か1ヶ月後に訪問が延びたことくらいだわ。でも、それほど怒っている訳ではないの。何故って、ここは楽しみが沢山あるんですから」

「忙しかったんだよ」

「理解っていますわ。でも、今までの習慣を乱されると、待っている方はあまり面白くないのです」

 そこでジョゼットは立ち上がった。それから、満面の笑みを浮かべてジュリオに抱き着いた。

「“竜の御兄様”!」

「怒っていたんじゃないのかい?」

「そうでしたわ。でも、やっぱりどうでも良くなってしまったの。だって、私、御兄様が大好きなんだもの」

 ジョゼットは身体を離すと、ジュリオのその手を握り締めた。

 この“ロマリア”の神官……ジュリオがここ“セント・マルガリタ”へとやって来るようになったのは半年前のことである。各地の修道院を巡り、説法をしているという触れ込みであった。彼はこの、特殊な場所に位置した“セント・マルガリタ修道院”に甚く興味を惹かれたといった様子を見せている。

 ほとんど外に出ることのできない自分達を憐れんだのかもしれない、とジョゼットは想った。

 兎に角、たびたびジュリオは、この修道院へとやって来るようになったのである。

 初めはもちろん、これほど仲が良かった訳ではない。

 ジョゼットも、ジュリオの説法に目を輝かせて聴き入る修道女の1人に過ぎなかった。だが、御堅い説法が街の噂話に変わる頃、ジュリオは去り際にジョゼットへと、「これからは、君に逢いに来る」と囁いたのである。

 自分のどこにジュリオを惹き付けるモノがあったのか、ジョゼットにはサッパリ判らなかった。同年代の女の子と比べても、ジョゼットは小さめで幼く、女性らしいラインに恵まれているとは言い難いのである。髪などは、白髪に近い銀髪である。

 ジョゼットは、幼い頃から、この髪が嫌で堪らなかった。老婆のようであると、いつも想っていたのである。何せ、修道院長の白髪ソックリであったのだから……。

 他の女の子達は、金髪を始め、燃えるような赤髪、吸い込まれそうな黒髪をしている。が、ジョゼットは違ったのである。どうしても、それがコンプレックスに感じられていたのであった。

 だが、ジュリオはそんなジョゼットの髪を、「美しい」と言ったのである。

「今日はどんな話をしてくださるの?」

 目を輝かせて、ジョゼットは言った。それから、(私は、確かにこの修道院で1番彼と仲が良いと想うわ。でも、それは皆が噂するような恋人関係ではない。兄と妹……そういう関係が近いと想う。孤児の自分には兄弟はいないけれど……もしいたらこう言う感じになるなろうな)とボンヤリと想った。

「今日はね、とても大事な話をしに来たんだ」

「大事な話?」

 ジョゼットは、(一体何かしら? まさか、“愛”の告白? もし、そうだったらどんなに素晴らしいのかしら。でも、彼は神官だし、私は修道女だ。そんなことはありえないわ。神を裏切ることになってしまうもの)と考えた。ジョゼットは。世の神官達がコッソリと恋愛を謳歌しているということを知らないのである。教義の通り、自分達には無縁のモノであると想っているのである。

「仰ってください」

 真っ直ぐにジョゼットは、ジュリオを見詰めて言った。

 吸い込まれそうな“月目”。彫刻のように整った顔立ち。若い男性をほとんど見たことがないジョゼットにも、このジュリオが並外れて美しい事は理解できた。

 ジュリオは、ポケットから何かを取り出した。

「……指輪?」

 それは土色に光る宝石が嵌め込まれた、地味なデザインをした指輪であった。

「これを私にくださるの?」

 だが、ジュリオは答えにあ。ただ、真剣な目でジョゼットを見詰めていた。

「指に嵌めて御覧」

「大きいわ」

 成る程、それは確かにジョゼットの指には大き過ぎるといえるだろう。

「大丈夫。“魔法”が掛かってる」

 言われるがままに、ジョゼットはそれを指に嵌めた。すると、そうしたものか……スルスルとジョゼットの指に合わせた大きさへと縮んで行く。

「凄い」

 目を丸くして指輪を見詰めるジョゼットに、ジュリオは微笑んだ。

「君は“魔法”を使えないと言ったね?」

「当たり前ですわ。私が“貴族”の出である訳がありませんわ。でも、万一ということもありますけど!」

 それは、たまに仲間達と語り合う御伽噺のようなモノであった。夜、就寝まで短い自由時間、彼女達はそれぞれ自分の生い立ちを想像するのであった。わずかな手掛かりから想像を膨らませて、「私は“ルション”で拾われたから、 領主様の何某の忘れ形見で……」とか、「私が包まれていた布には、どこぞの伯爵家の紋章が刻まれていたとか」などを話すのである。もちろん、それ等は妄想の類に近いモノである。が、誰もそのような野暮なことを突っ込んだりはしない。

「この指輪は、一体何ですの?」

「とある王様が嵌めていた“指輪”だよ。彼が爆発して死んだ時に、目の利く僕の“アズーロ”が取り返した」

「まあ!? 御冗談を!」

 ジュリオは笑みを浮かべた。

 ジョゼットは、(とんでもないことをサラリと言う人だ)と想った。そのようなところも含めて、ジョゼットは参ってしまっているのだが……。

「そんな物騒なモノをくださるの?」

「いや……まだ君の物になると決まった訳ではない。でも、そうなってくれたら良いなって想っているよ」

 何とも意味深なジュリオの言葉である。

 再びジョゼットは“指輪”を見詰めた。

 深い、吸い込まれそうな土色をした見事な宝石が嵌め込まれている。

 ジョゼットは、(私にこの指輪を嵌めさせて、一体どうしようと言うのかしら?)と考えたが、同時に、その石を見詰めていると……何やら懐かしい気持ちに成った気がした。

 安心と不安、そして期待の入り混じった不思議な気分の中で……(でも、“愛”の告白の方が嬉しかったな)と ジョゼットはボンヤリと想った。

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