ゼロの使い魔S   作:りおんざーど

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修道女ルイズ

 エレオノールは、研究室にある自室の椅子に腰掛け、机の上に置かれている書類を左手でずっと弄っていた。それから、眉間に皺を寄せ、人差し指でこめかみをグリグリと捏ね回す。これは、彼女の癖である。悩み事があると、目を瞑り、眉間に皺を寄せ、口をへの字に曲げ、いつまでもといえるほどの時間の間この仕草を続けるのである。

 そのような時の顔は、末の妹であるルイズソックリである。

「しかし、あの娘……まだ帰って来ないのかしら?」

 ルイズが失踪したとの報告を実家から受けて、エレオノールが先ず思った事こと、(言わんこっちゃない)といった感想であった。

 エレオノールは最初こそ、(一緒に暮らし始めたら、色々と粗も見えたのだろう。まあ、ただの癇癪で、直ぐに帰って来るでしょう)なんて想っていたのだが、ルイズはまだ帰って来ないことを知った。

 少し心配になって来たエレオノールは、ド・オルニエールに行って、詳しいは話を才人から訊こうと考えていたのだが……。

「それどころじゃなくなっちゃったわね」

 先程から弄っていた、今朝方届いたばかりの書類を摘み上げ、エレオノールは呟いた。

「何よこれぇ……今度は私って訳?」

 その書類に記載されている内容は、エレオノールに命じられた研究内容である。

 それにしても、可怪しな研究の内容であるといえるであろう。

「“錬金を常時放出する魔法装置”ですって? 始祖像ばっかり造ってた私に、一体何をさせようと言うのよ?」

 流石にこれには何かがある……そう想ったエレオノールは、立ち上がった。それから。スラリと高く細身の身体に、壁に掛けていたマントを羽織る。机に置かれた帽子を冠ると、立派な“アカデミー”の研究員のできあがりといった寸法である。

「さてと……でも最上階って、苦手なのよね……」

 エレオノールはそのような言葉を呟きながらも研究室を出て、扉に鍵を掛ける。

 “アカデミー”は、30階もある“魔法”の塔である。円形の塔の周りに部屋が配置されており、部屋に包まれるようにして廊下が走っているといった構造である。そして塔の真ん中には、“昇降装置”がある。“風石”を使用し、各階に人を運ぶ装置である。見た目や用途こそ、“地球”にあるエレベーターと酷似しているといえるだろう。

 エレオノールが“昇降装置”の扉に設けられているレバーを下げると、籠が降りて来て、眼の前で止まる。

 乗り込んで、「最上階」とエレオノールが短く告げると、籠に取り付けられている“ガーゴイル”の像の目が光り、籠は上昇を始めた。

 最上階に達すると、エレオノールの眼の前には、五芒星が描かれた大きな鉄の扉がある。左右に控えている“ガーゴイル”の目が光ると、エレオノールに向かって光が延びた。

 光が彼女の瞳を確認すると、スゥッと扉が開く。いわゆる、“魔法”で行われる虹彩認識といったところであろう。

「…………」

 いつ来ても、エレオノールにとってなにやら慣れない場所であった。

 扉が開いたそこは、“アカデミー”の評議会長室玄関……“トリステイン”の知を司る機関の、最高責任者が執務を行う場所の入り口である。

 玄関室の左右には扉が設置されており、真正面には机がある。

 そこでは、若い女性が書き物をしている。エレオノールに気付き、女性は顔を上げる。

「あら。ミス・ヴァリエール、どうされました?」

 議会長秘書の、ミス・ヴァランタンである。理知的であり、冷たい印象を与えて来る女性だ。

 エレオノールと同年代ではあるのだが、2人はあまり親しく口を利いたことはなかった、というよりも、正直なところ、エレオノールはヴァランタンに対して苦手意識を持っている。

「ゴンドラン卿に面会したいのですけど」

 エレオノールがそう言うと、ヴァランタンは首を傾げた。

「御約束はおありですか?」

「いえ、特に」

 そうエレオノールが答えると、やはりヴァランタンは困ったような顔になった。

「となると、面会の申込みをして頂かねばいけませんわ。それが規則ですから」

 すると、エレオノールの額に青筋が浮いた。ピクッと眉を震わせ、エレオノールは議会長秘書へと詰め寄る。

「宮廷から来た監査官や、田舎から出て来た書生じゃないのよ。“主席研究員のエレオノール・ド・ラ・ヴァリエールが来た”と。そう告げてくださらない?」

 それでも、ヴァランタンはこれといった反応を見せない。

「それは良く存じておりますわ。例え女王陛下が来られようが、私はこう申すだけですわ。規則ですから、と」

 エレオノールの額に浮いた青筋が増える。それから、ヴァランタンへと顔を近付け、「融通の利かない人ね」と、怒りに震える声で言った。

「ここまで我儘を通そうとなさる研究員は、ミス・ヴァリエールだけですわ。少しは他の方の行儀を見倣っては? そうすれば御結婚だって上手く行くでしょうに……」

 冷たい笑みを浮かべ、サラリとヴァランタンは、エレオノールに対しての禁句を口にした。

 エレオノールは、ニッコリと笑みを浮かべると同時に“杖”を引き抜いた。

 しかし、ヴァランタン然る者である。ほぼ同時に“杖”を抜いて、エレオノールの鼻先に突き付けていた。

「この“アカデミー”内で、攻撃“魔法”を人に使えば除名……覚えておいでですか?」

「誰も攻撃“魔法”何か使わないわ。貴女の良く利く口を閉じる“魔法”を、ちょっと唱えるだけじゃないの」

 そにょうな一触即発といった空気の中、悲鳴の様な声が、机の上に載った小さな水晶の髑髏から響いた。

「こらこら! 君達、やめたまえ!」

 髑髏に向かって、エレオノールは叫んだ。

「ゴンドラン卿。貴男の秘書に、礼儀を教えて上げているだけですわ」

「理解った理解った……仕方がないな、入りたまえ」

 すると、エレオノールの左手側の扉が開いた。

 去り際に、エレオノールはヴァランタンを思い切り睨み付けた。

 執務室の中は、様々な“魔道具”や、美術品などで溢れている。まるで玩具箱を引っ繰り返したかのような部屋の真ん中で、背の高い老紳士が椅子から立ち上がった。髪は銀色に光り、鼻の下には小さく刈り込まれた髭がある。整ってはいるのだが、あまり覇気の感じれない顔立ちをしている。それが、この老人の印象を、薄いモノにしている。彼が、“アカデミー”評議会長、ゴンドランである。

「全く……一体何の用なんだね? ミス・ヴァリエール……」

 口の中でモゴモゴとし言い難そうに呟くゴンドランに、エレオノールはツカツカと近付いて行く。

「何の用もこんな用もありませんわッ!」

 エレオノールはゴンドランへと近寄ると、思いっ切り怒鳴り付けた。

 もう、それだけで気の弱そうなゴンドランは、タジタジになってしまう。

「そんな大声を出さないでくれよ……こっちは年寄りなんだから……」

「出しますとも! 一体、この研究命令書は、どういうことなんですのッ!?」

 エレオノールは、書類を突き出した。

「ああ……これか、うん。その、あのだね、王政府の偉いさんがどうしてもって……」

「別に異端とは想いませんが、この伝統ある“アカデミー”で行うべき研究ではありませんわ!」

「まあ、確かに君の言う通りなんだが、儂にも立場というモノがだね……」

 汗を拭きながらゴンドランは、エレオノールを宥めるように言った。

「一体、王政府は何を御考えですの? この前は、ヴァレリーが妙な研究を命ぜられたし……」

「さ、さあ……儂も何が何だか……」

 腕を組み、ジロリ、とエレオノールは細い目でゴンドランを睨んだ。

「何か御隠しになっているんじゃありませんこと?」

「儂が!? 君に!? とんでもない! 何も隠してなどおらんよ!」

 ゴンドランは慌てた調子で、手を振った。

「本当ですか?」

「ほ、本当だ! うん。あのだな、君、王政府が何を企んでいるのかは知らん。きっと、彼等には彼等の考えがあるんだろう。だがな、ここで恩を売っておくことには、悪いことではないぞ。ミス・ヴァリエール、確か君は、新しい“高速魔法炉”が欲しいと言っておったな?」

「う……」

 エレオノールは弱みを突かれてしまい後退った。

 何せ、研究には金が掛かるのである。“トリステイン”の知の結晶とはいえ、予算に振り回されてしまうのはいつものことであり、仕方がないことであるのだ。

「“土”武門の研究費を引き上げるよう、評議会で根回しもしておこう。どうだね?」

 エレオノールは、こめかみに人差し指を当ててて、グリグリとやり始めた。しばらく悩んでいたのだが、恥ずかしそうな声で言った。

「で、でもですね? やはり、納得のいかない研究をする訳には……」

「何を言っておるんだね? もう学生でもあるまいに、研究にはパトロンが必要なんだ。この“アカデミー”だって例外じゃない」

「…………」

 ゴンドランは、エレオノールの肩に手を置いた。

「君のような優秀な研究員が、もっとより良い環境で仕事に打ち込めるよう、儂なりに努力しているつもりなのだよ」

 エレオノールは、苦しそうな声で呟いた。

「……マ、“マンドラゴラ”の畑があと2枚あっても良いんじゃないかと?」

「そのように取り計らおう」

 それが止めで、エレオノールは執務室をフラフラと出て行った。

 1人残されたゴンドランは、扉が閉まると、ふぅ、と溜息を吐いて椅子に腰を下ろした。

 すると、乱雑に組み上げられた棚の後ろから、小さな影が現れた。10歳くらいの少年である。短い金髪の悪戯坊主といった風情であり、全くこの部屋には似付かわしくないといえるだろう。

 少年は、楽しそうな声でゴンドランに言った。

「押されっぱなしではありませんか。“灰色卿”」

「あのミス・ヴァリエールは苦手なんだよ……腕は良いんだがね」

 それから少年に向き直り、困ったような声でゴンドランは言った。

「さてと、聞いての通りだダミアン君。君の注文をそのまま受けると、大変な御金が掛かる。200,000“エキュー”? 馬鹿を言っちゃいけない! 100,000“エキュー”だ。それが我々の限界だ」

「他の方達からの出費はもう望めないのでしょうか?」

「伝統を守るためには金が掛かる……“それ以上の金を出しては、今度は自分達の体裁が危うくなる”、だそうだ」

「“トリステイン貴族”の伝統を守りたいのでしょう?」

 ゴンドランは、深く椅子に腰掛け直した。

「ああ。だが、他の君達の我儘は全て利いたぞ。次は君達が利く番だと想わんかね?」

 しばらくダミアンは考え込んだ。

「180,000“エキュー”ですな。それ以上はどうあっても罷りません」

「120,000“エキュー”だ」

「御話になりませんな!」

 吐き出すように言い捨てると、ダミアンは首を横に振った。そのような仕草を取る彼は、やはりどうにも10歳の少年とは想わせない。

「どうにも折り合いが着かんな! しかし、どうして、そんなに金が必要なんだね?」

 呆れた声でゴンドランは尋ねた。

「夢があるんですよ」

「夢?」

「ええ。夢です」

 ダミアンはそこで、初めて、見た目の歳相応の少年のように笑った。

 

 

 

 

 

 研究室に帰って来たエレオノールは、テーブルに突っ伏した。

「なに丸め込まれてるのかしら……? 私……」

 最近の“アカデミー”は妙だといえるだろう。

 次々に命じられる、不可解な研究内容……それ等が、(王政府からの横槍? 一体誰が? それ本当なの?)とエレオノールを悩ませる。

 とはいっても、“アカデミー”で毎日研究ばかりしていたエレオノールには判るはずもないことである。

 そうだ、とエレオノールは思い直した。

 それからエレオノールは、(ルイズに訊いてみよう。あの娘、陛下の女官だっていうし……宮廷の事情には明るいだろう)と考えたのだが。

「あ」

 そこまで考えて、ルイズが現在家出の真っ最中であるということを想い出し、エレオノールはガックリと肩を落とした。

「あの娘……一体どこで何をやっているのかしら……?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どうにもこうにも目紛しい5日間であったといえるだろう。

 “シュルビス”から3日掛けて、ルイズは“クラヴィル”に到着することができた。“クラヴィル”は海岸沿いのひなびた漁村であり、“サンドウェリー寺院”は港を臨む丘の上にあるのである。

 “サンドウェリー寺院”のマチスは、やって来たルイズとジャネットを怪訝な顔で見詰めた。が、ジャックが書いた手紙を見せると、表情を一変させた。

「そ、そんな……いやでも……」

 だが、マチスが悩んでいたのはものの数分で、直ぐにテキパキと用意をした。“竜籠”を手配し、何が何やらと戸惑っているルイズにこう言い含めた。

「今から貴女が赴く修道院は、とある事情があってそこで暮らすことを余儀なくされた女達ばかりだ。彼女達のことを深く詮索しないこと。そして……」

 ルイズは、首から提げられた“聖具”を見詰めた。どこにでもあるような、ただの“聖具”であったのだが、これを首から提げることで……何と驚くべきことに、ルイズの顔の形と髪の色が変わって行った。

 どうやら高度な“フェイス・チェンジ”の“魔法”が付与されているらしいことが判る。

「これを決して外さないこと……」

 マチスは、そうルイズに告げた。そして、「絶対の本名を名乗ってはいけない」と申し含めた。

 それ等から、ルイズがこれから行く場所は、かなり訳ありの所である、ということが理解る。そうでもなければ、身を隠すなんてことはできやしないであろう。

 “竜籠”に乗り込む時に、ルイズはジャネットに深く礼をした。何から何まで、ジャネットには世話に成りっ放しだったためである。

「さようなら。ホントにどうも有難う」

「さようなら。でもね、何だかまた直ぐに逢えそうな気がするわ」

「2度と出られないんじゃなかったの?」

 ルイズがそう言うと、「そうね。でも、そんな気がするのよ」と、本気か冗談か判り難い調子でジャネットは言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんなこんなでやって来た“セント・マルガリタ修道院”は、成る程今のルイズにはピッタリの場所であるといえるだろう。

「海の風が身に染むわ……」

 キラキラと鱗のように光る外海の漣を見詰めながら、ルイズは言った。

 ルイズが、この“セント・マルガリタ修道院”にやって来てから、2日が過ぎた。

「こんな場所が“ハルケギニア”にあったのね」

 まさにここは、陸の孤島、である。

 突き出した岬の突端に位置するこの修道院には陸路が通じていないのである。切り立った岸壁には、船も近付くことはできやしないだろう。ここにやって来るには、ルイズがそうしたように空から入るしかないといえるのだ。詰まり、ヒトではここにやって来ることは先ずできない……。

 身を隠すには、打って付けの場所であるといえるだろう。

 ルイズは風に嬲られ、髪が頬に掛かる。その色は、見事なまでのブルネットであった。ルイズは、1度鏡で見たのだが、鳶色の瞳は黒目に変色し、鼻も輪郭もまるで別人のそれになっていたのである。“聖具”によって掛けられた“魔法”の御蔭だといえ、例え家族であろうとも今のルイズも見ても、ルイズだと判ることはないであろう。

 そのようにまるっきり別人になってしまうことで、ルイズは何だか覚悟も付けることができた。ルイズは、(以前の私の顔を想い出せなくなる頃には……きっとこの胸の痛みも忘れてしまえるに違いないわ)と考えた。

「スール・ヴァネッサ」

 背後から声を掛けられ、ルイズは振り返る。ジャネットに名乗った偽名をそのまま使っているのである。ここでのルイズは、スール・ヴァネッサ(修道女)である。それ以上の肩書は誰も必要としていないのだから。

「はい」

 と、振り向くと、修道院長が立ってルイズを見詰めている。

 初老の人が善さそうな女性である。

 周りを見回して、辺りに誰もいないことを確かめると、修道院長はルイズに近寄り、小さな声で言った。

「さて、もう1度念を押して置きますが……ここに来られた以上、過去は御忘れになって頂かねばなりません。私は貴女が何者で、どうやってここを知ったのか……それすら尋ねません。ですから貴女も、他の修道女の素性を探ってはなりません」

「もちろんですわ。過去を忘れるために来たんですもの」

 ルイズは言った。

 この修道院長は、到着した時も全くルイズの過去を詮索することはなかった。詰まり彼女は、余計なことを知りたくないということである。

「それと、貴女が首から提げた“聖具”ですが……ここの規則で、決してこれを外してはいけません。貴女には、その理由が御理解りですね? しかし、生まれて直ぐにこの修道院にやって来た乙女達は、その“聖具”の秘密を知りません。従って、“聖具”に掛けられた“魔法”について口外することも固く禁じます」

 ルイズは首肯いた。

「よろしい。もう私から申すことはありません。共に、穏やかに、神への祈りを捧げましょう。この身が朽ち果てるまで……」

 そう言い残すと、修道院長は去って行く。

 ルイズは、自分がこれから暮らすことになる“セント・マルガリタ修道院”を改めて見回した。

 小さな修道院と、宿舎が、狭い岬の突端の上に建っている。岩場の隙間を利用して、貯水池と段々畑が作られている。

 それ等が、“魔法学院”の中庭くらいの土地に押し込まれているのである。ここで暮らす女達は30人ほどである。週に1度、空から輸送船がやって来て生活に必要なモノを始め食料などを置いて行く……。

 ルイズは、(ここで、毎日御祈りして暮らすんだわ)と考えた。

 ほんの12日ほど前までは“ド・オルニエール”でノンビリとした日々を過ごしていたはずなのだが、今日はこの世の果てような修道院で、海を眺めているのである。

 そんな物想いに耽りながらルイズが歩いていると……。

「ヴァネッサさん!  ヴァネッサさん!」

 前から3人ほどの、若い修道女が走って来た。彼女達はあっと言う間にルイズを取り囲むと、口々に騒ぎ始めた。

「ねえヴァネッサさん、どちらから入らしたの?」

「私が尋ねるのよ!」

「ここに来る前までは、何をしてらしたの?」

 先程の修道院長からの注意が吹き飛ぶかと思えるような、質問攻めの嵐である。

 ルイズがしどろもどろになっていると、若い修道女達は更に詰め寄った。

「こらッ!」

 修道女の後ろから、怒鳴り声が響いた。

「ジョゼットさん!」

 ツカツカとやって来たのは、長い銀髪の少女である。ジョゼットと呼ばれたその銀髪少女は両手を腰に置くと、澄ました顔で言った。

「貴女達、修道院長に何時も言われてるでしょう? “俗世のことに、興味を持ってはいけませんよ”って」

 すると、少女達はニヤリと意味ありげな笑みを浮かべた。

「あら。ジョゼットさんにそんなことを言われる筋合いはないわ。1番俗世に興味がおありになる癖に」

「何よそれ? どういう意味かしら?」

「どうもこうもないわ。だって、ねー?」

 ジョゼットが、ジロリと睨むと、少女達はキャアキャアと喚きながら駆けて行った。

 唖然としたルズに、ジョゼットはペコリと頭を下げた。

「ごめんなさいね。悪い娘達じゃないのよ。ただ、ほら、ずっとこんな場所にいるから……退屈しているだけで」

「そうね」

 ルイズは納得した。なんとなくではあるのだが、この修道院には2種類の女がいるということに、ルイズは検討を着けていたのである。

 ルイズの同様に世を捨てたいがためにやって来た女……彼女達は、割と年配であるといえ、他人を寄せ付けない雰囲気を周りに放ち、日がな1日中御祈りばかりをしている。

 もう一方は、先程の3人の様に比較的幼く若い修道女達であり、彼女達は恐らく生まれながらにしてここにやって来てあろうことを推測させる。存在が明るみに出ると不味い、“貴族”の私生児……そのようなところであろう。

 ルイズは、朝食の席で、隣の部屋から赤ん坊の泣き声を聞いたことを想い出した。

 そういった私生児と想われる少女達は、自分がどうしてこのような所にいるのか、それすらも理解していないに違いないといえる。だからこそ、先程の少女達を始め、若い娘達の殆どは明るいのである。

 ルイズがそのような考えに耽っていると、ジョゼットは手を差し出して来た。

「私、ジョゼットって言うの。よろしく」

「……ヴァ、ヴァネッサよ。よろしく。スール・ジョゼット」

「ジョゼットで良いわよ。ここじゃ誰も、そんな堅苦しい呼び方はしないわ」

 ジョゼットは、笑みを浮かべて言った。

 

 

 

 さてさて、ルイズは何故かそんなジョゼットに、子犬の様に懐かれる羽目になってしまった。

 この修道院は、朝と夕方の2回、毎日決まった時間に食事を摂るのだが、ジョゼットは澄ました様子でルイズの隣に座るのである。

 それだけではない。

 ジョゼットは、やって来て間もないルイズの世話係に立候補して、ベッドで隣を確保までしてしまったのである。

 流石にルイズは、(折角、ひっそりと暮らしたいと想ってやって来たのに、どうしてここまで懐かれねばならないのかしら?)とウンザリとしてしまった。が、それでも善意から来るモノであるということが判るために、無碍にすることもまたルイズにはできなかった。

 ベッドが隣同士になったその晩、ジョゼットはあれやこれやとルイズに話し掛けて来た。内容といえば、他愛のないことばかりである。

「ねえヴァネッサ。私、貴女の素性は尋ねないわ。規則だから! でもね、外、の御話だったら構わないでしょう?」

「……外?」

「ええ。ねえ、外の世界では、若い女の子はどんな服を着るの?」

「そんなの、他の誰かに訊いて頂戴」

 釣れなくそう言ったルイズであるのだが、それでもジョゼットは諦めない様子である。

「じゃあ、男の子とデートしたことある? それくらいだったら良いわよね?」

 ルイズの脳裏に、“使い魔”である少年の姿が浮かぶ。(折角忘れるためにやって来たのに!)、と不意に怒りを覚え、ルイズは強い調子で言い放ってしまった。

「……いい加減にして! 眠いのよ!」

「何よ。怒らなくたって良いじゃない」

 そう言って、ジョゼットはようやっと自分のベッドへと潜り込んだ。

 さて……いざこうやって、安息の地、に着いて、少しばかりホッとするルイズであったのだが……。やはり、想い出すことは才人に関することばかりであった。

 自棄糞のように、このような辺鄙だといえる所までやって来てしまったルイズであるのだが……。

 ここで暮らす以上、基本的には、もう2度と才人には逢うことは先ずできないであろう。

 ルイズは、(想えば、いつも眠る時にはサイトが側にいた。そうじゃないと安心して眠れなかった。“シュルビス”にいた時はワインが眠りの世界に運んでくれたけどが、ここは修道院。そんなモノはないわ)と考え、酔っていない状態で才人のことを想い出すことで……針で刺されたかのように胸に痛みを感じるのであった。

 “使い魔”の気持ちが、自分に向いていない、ということが……これほど辛いことだとは、ルイズは想うことができなかったのである。たまに余所見をしても、気持ちは自分にあると想っていたためである。だが……才人のあのような顔を見てしまった後では、もうルイズにはそう想うことができなかった。

 ルイズは、(サイトが好きなのは……私じゃない。姫様。アンリエッタ・ド・トリステインその人。祖国で1番の女性。全ての“貴族”の上に君臨する、1番尊い女性……私に勝ち目なんかない)と想い、やはりどうにもこうにも、自分が、(ちっぽけなルイズ、“ゼロのルイズ”。痩せっぽちで性格の悪い女の子……)といった風にちっぽけな存在に感じて仕方がなくなってしまうのである。

「……ひっぐ。えぐ……えっぐ」

 気付くと、ルイズは嗚咽を漏らしていた。それから、周りに聞こえないようにと、毛布を冠った、泣いているところを、これから一緒に暮らさねばならない女の子達に見せる訳にはいかない、と想ったのである。

 だが、隣のベッドで寝ているジョゼットには聞こえてしまったようである。

 ジョゼットは起き上がると、ソッとルイズの毛布の中へと潜り込んで来る。

「どうしたの?」

「だ。だいじょうぶ……だから……ひっぐ」

「ごめん。私、何か不味いこと言っちゃった?」

 心配そうなジョゼットの声に、ルイズの心は増々昂ってしまう。

「ほ……ホントに、何でもない……えっぐ」

 するとジョゼットは、黙ってルイズの頭を優しく抱き締めた。

「良いのよ。御泣きなさいな」

「嫌だ……」

「どうして?」

「は、恥ずかしいじゃない……えっぐ……弱虫だと想われちゃう。ひっく」

 泣きじゃくりながらも、何故か自然と強がろうとする理由をルイズは口にしていた。

 すると、ジョゼットは優しい声で言った。

「良いじゃない、弱虫で。私だって弱虫よ」

 ジョゼットは、ずっとルイズの頭を優しく撫で続けた。

 

 

 

 

 

 翌朝……ルイズは泣き腫らした目で、ムクリと起きた。

 隣では、ジョゼットがスウスウと軽やかな寝息を立てている。

 こうして見ると、ジョゼットは幼い顔立ちをしている。とはいってもルイズと同じくその顔は首から提げられた“聖具”で変えられたモノであろうが……。

 ルイズは、(この娘は恐らく……生まれて直ぐにここにやって来たのね。だから外の世界のことを訊きたがったんでしょうね。ここでの生活しか知らない)と恐らく同年代であろう少女の顔を、ジッと見詰めた。ルイズは、今まで自分が……世界で1番不幸に近い少女だとばかり想っていたのである。

 だが、ここしか知らないジョゼット達は、自分が他人からした感覚でいう不幸であるということすら知らないのである。そのような娘に、ルイズは慰められたのであった。

 そう考えると、昨晩泣いた自分が随分と身勝手で我儘であったように、ルイズには想えた。それから、(外の世界の話くらい、何でもないじゃないの)と考えることができた。

 ジョゼットが、目を覚ましたのだろう、ユックリと身を起こした。

「ふぁあああああ……おはよう。ごめんね、貴女のベッドで眠っちゃったみたいね」

 ルイズは首を横に振った。

「良いのよ。あのね、昨晩はごめんね。外の御話で良かったら、させて頂戴。気晴らしにもなるし」

 すると、ジョゼットはキラキラと目を輝かせた。

「ホント?」

 コクリと、ルイズは首肯いた。

 

 

 

 “セント・マルガリタ修道院”での生活は、厳密に時間に縛られたモノであるといえるだろう。朝起きると先ず、修道女達は礼拝堂で祈りを捧げる。その後、掃除をして朝食。農作業や、雑務が午後の3時くらいまで続くといった具合である。それから、夕方まで自由時間があって、その後に夕食である。夕食の後は、御祈りをして、直ぐに寝てしまう。まさに夜明と共に起きて、日の入りと共に眠る生活であるといえるだろう。

 今迄“貴族”としての暮らしに慣れていたルイズには、このような質素とでもいうことができる生活があるということに、驚きを隠せなかった。

 そして、ルイズは僅かな自由時間を使って、ジョゼット達に外の世界の話をしてやるのである。彼女達は、目を輝かせ、ルイズの話をまるで英雄譚のように聴くのである。

 その日もルイズのベッドの上に集まり、少女達はルイズの話を夢中になって聴いていた。4人ほどで毛布を冠り、ひそひそとやるのである。あまり騒ぐと窘められてしまうために、こうするより他にないのである。

 蝋燭の灯りすらないために、もう真っ暗である。

「そうね、御休みの日には遠乗りをしたりするわ」

「遠乗り?」

「そうよ。馬に乗って、遠くまで駆けるの。楽しいわよ」

「ねえねえ、馬って何?」

 ジョゼットを始めとした少女達は馬を知らなかった。この狭い修道院だけが、彼女達の世界であるのだから、知らないのも無理はないであろう。

「何て言うかな……乗ることのできる動物?」

「“竜”とどっちが大きいの?」

「そりゃあ、“竜”の方が大きいわ」

「私、犬なら知ってる! この前、御船に乗っているの見たもの」

「あの、ギャンギャン吠える生き物? 煩かたわ」

「馬って、空は……飛べないんだよね?」

「似たような飛べる生き物ならいるわ。“ペガサス”とか“グリフォン”とか……」

「何それ!? どんな生き物なの?」

 日々の生活、食べ物、街の様子……そういったモノを、彼女達は熱心に聴きたがったのである。

 だが、話の途中で、ルイズは妙なことに気付いた。

 馬を知らない少女達であるのにも関わらず、妙に世間のことに関して詳しいのである。例えば、今、街で流行っている帽子の形……レースやアクセサリーを扱う店の名前だとか。“ガリア”の首都“リュティス”の街並みも良く知らないのにも関わらず、そういった街の端々のディティールに関しては知っているのである。

 そのことに、ルイズは驚いた。

「良く知ってるわね。波打った鍔の帽子が流行っているなんて」

 そうルイズが言ったら、1人の少女が得意げに言った。

「たまに入らしてくださる神官様が、街の流行を教えてくださるの」

 このような秘密の修道院であるが、訪れる客はいる。そういった人達から、外の話を聞くことくらいしか、彼女達には娯楽がないのである。

「でも、ジョゼットさんは、もっと色んなことを教えて貰っているようだけど!」

 1人の少女がそのようなことを言うと、ジョゼットは首まで赤くした。

「何を言うの!? 変なこと言わないで欲しいわ!」

「あら? 違ったの?」

 少女達はニヤニヤと笑みを浮かべた。

「ほら、ジョゼットさんが真っ赤になっちゃった! 真っ赤な林檎!」

「いい加減にして頂戴! それって貴女達、冒涜よ!」

 頬を染めて、ジョゼットは怒鳴った。

 その様子などから、ジョゼットとその件の神官が、微妙な関係であるということが判る。

 ルイズは、ジョゼットが少しばかり羨ましくなった。

「だから外の世界の話を訊きたがったのよね!?」

「違うもの!」

 ジョゼットは夢中になって否定している。

 そのようなジョゼットの姿に、ルイズはかつての自分をダブらせ、(嗚呼、私も、誰かにああやって誂われると、あんな風に夢中になって否定したっけ……)と想い出したように考えた。

 甘い記憶と鮮烈な痛みなどが入り混じり、ルイズは溜息を吐いた。

 そのようなルイズの様子を意にも介さず、乙女達は次なる質問を繰り出して来る。

「ねえ、ヴァネッサさん。キスしたことある?」

 その質問で、ルイズの心は、プツン、と切れてしまった。想い出が津波のように押し寄せ、一瞬で心が堪えられなくなってしまたのである。

 ルイズは白目を剥いて、倒れ込む。

 ジョゼットが揺すったり、擦ったりするのだが、ルイズの意識は失われたままである。

 ルイズは、気絶してしまった。

「……嫌だ。恋人同士のキスってそんなに凄いのかしら?」

 そんな風に乙女達が話していると、プハァ、とルイズは息を吹き返す。

「大丈夫?  ヴァネッサ」

「へ、平気……」

 ルイズは、首を振りながら呟いた。

 すると、他のベッドから咳払いが聞こ得て来る。

 どうやら、少しばかり騒ぎが過ぎたようである。

 少女達は、静かにルイズのベッドから抜け出し、それぞれ自分のベッドへと戻って行く。

 静けさが戻った後……ルイズは目を閉じた。

 先程の「キスしたことある?」という質問が、ルイズの頭の中で蘇る。(あるわ。何度も……想えば私達は、キスで出逢い、そしてキスで全てを失った。人生で1番嬉しかった時もキスの記憶で、悲しかったこともキスの記憶)、と想った。その2つのキスに関する記憶が入り混じり、ルイズは何だか切ないような、気怠いような、そのような気分になった。

 ユックリと指で唇を(なぞ)ると……ルイズの中で、様々な想い出が蘇る。

 ルイズはボンヤリと、(今日もサイトの夢を見るのかしら?)とそのようなことを想った。それから毛布を冠り、その中で膝を抱えてまん丸になった。

 

 

 

 

 

 それから毎晩というモノ、ルイズは夢の中で才人を見ることになった。(折角、覚悟してこんな陸の孤島のような所までやって来たっていうのに……意味ないじゃない)、とルイズは切なくなってしまった。忘れようにも忘れることができないのだから。

 ルイズが見る夢の中の才人は、とても優しく、ルイズのことを抱き締めてくれる。そして耳元で甘く、愛の言葉をルイズに囁くのである……だが、気付くと姿を消しているのである。夢の中でのルイズは、そんな才人を宛度なく捜し回るのである。場所は“学院”の中であったり、“トリスタニア”の街中であったり、何故かラ・ヴァリエールの実家だったりした。かつて、記憶を消した時と酷似した夢である。

 だが、それ等の夢、そこが何処であろうとも1つだけ共通していることがあった……。

 才人が決して見付からにあ、ということである。

 そのような訳で、ルイズは鈍よりとした空気を纏い始めることになってしまった。

 最初の頃こそ、珍しがってくっ着いていた少女達も、次第に近寄らないようになって行った。

 ただ、そのような中でも、ジョゼットだけが変わらずにルイズに接してくれていた。

「ねえヴァネッサ。ちょっと尋ねたいんだけど……」

 仲良くなって3日ほどが経ったある日、ジョゼットは恥ずかしそうな様子でルイズに尋ねて来た。

「なあに?」

「私の髪なんだけど……この髪に似合う髪型って何かしら?」

「何でも似合うんじゃない?」

 ルイズの素っ気なさに、ジョゼットは頬を膨らませた。

「相談に乗ってくれたって良いじゃない」

「……恋ね?」

 気怠げにルイズがそう言うと、ジョゼットは首を横にブンブンと勢い良く振った。

「違うわ! もう!」

「バレバレなのよ。何だけ、たまにやって来る神官さんだっけ? やめといた方が良いわ。恋なんて……」

「どうして?」

「だって、いつか裏切られるに決まってるもの」

 ルイズがそう言うと、ジョゼットは呆れた様子で両手を持ち上げて言った。

「もう、どうして貴女達“聖女”ってそうなの?」

 いきなり“聖女”と呼ばれ、ルイズは一瞬だけではあるがドキッとした。以前、ルイズは“アクイレイアの聖女”と呼ばれ祀り上げられたことがあるのである。(どうしてそれをジョゼットが知っているの?)、と不安になったのである。

「せ、“聖女”……? どうして?」

「ああ、あのね、貴女みたいにこの修道院に途中からやって来た人のことをそう呼ぶのよ。いっつも暗い顔をして、まるでこの世の苦悩を1人で引き受けているような目をしてる。別に良いんだけど、一緒に暮らしてる人のことも少しは考えて欲しいわ」

 そのジョゼットの説明から、“聖女”という言葉は、皮肉を混ぜた隠語であるということが理解った。

 そのようなジョゼット物言いに、ルイズは思わずムッとしてしまった。

「外の世界にはね、貴女の知らないことが一杯あるの。楽しいことも、悲しいこともね、もう、どう仕様もないくらいに傷付くことだってあるのよ」

 思わず、其の様な言葉がルイズの口を吐く。

「そうね、そうかもしれない。貴女の言う通り、私は何も知らないわ。ホントに、ここの生活しか知らないんだもの」

 澄ました顔と調子で、ジョゼットは言った。

「…………」

「でもね、だからって、楽しいことも、悲しいことも知らない訳じゃない。私の世界は小さいかもしれないけど、ここにだって色々あるんだから……あのね、恋じゃないわ。恋なんてしないし、してない。あの娘達はキャアキャア騒ぐけれど、理解ってる。だって、私達は修道女だもの。そんなことは許されない。でも……」

 ジョゼットは、それから、両手を組んで前に突き出した。

「あの人ね、私の髪を褒めてくれたの。この色……まるで白髪みたいで、大っ嫌いだった。でもね、綺麗って言ってくれたのよ」

 ジョットは、ニッコリと微笑んだ。

「ここには、綺麗な服はないけれど……せめて次にその人が来る時には、髪型くらいは似合いのモノにしたいのよ。それくらいだったら、神様だって目を瞑ってくださるわ。そう想わない?」

 そのジョゼットの言葉を聞いて、ルイズは恥ずかしくなった。嫉妬していた、ということに気付いたためである。

「したことあるわ」

 ポツリと、ルイズは言った。

「え?」

「キス」

 ジョゼットは、ルイズの突然の言葉にクスリと笑った。

「私には夢みたいな話だわ。恋人とキスなんて」

 ルイズは、ジョゼットの冠ったフードをズラした。

「私、あんまり御洒落のことには詳しくないけど、その髪とっても可愛いと想うの。そうね、じゃあ、ちょっと真ん中から分けてみたら?」

 ジョゼットは言われた通りに、指で真ん中から髪を分けてみた。

「どう?」

 ルイズはしばらくジッと見詰めていたのだが……。

「ごめん微妙。やっぱりそのままの方が好いわ」

 ジョゼットは笑った。

 ルイズも連られて笑った。

 

 

 

 その日の夜、ルイズとジョゼットはコッソリとベッドを抜け出した。

 別に示し合わせた訳でもなく、ルイズが就寝の後どうにも眠ることができずに横を見ると、ジョゼットも同じようにルイズのことを見ていたのである。

 並んで歩くと、ジョゼットは自分より10“サント”ほども身長が低いということに、ルイズは気付いた。

 ジョゼットのその横顔もまた、どことなく幼い……。

 宿舎を出て、2人は岬の突端に出た。

 双月が海に浮かび、キラキラと輝いている。波に散らされた光はまるで、無数に浮かんだ銀色の鱗のようであるといえるだろう。

 溜息を吐くように、ルイズは言った。

「嫌だわ」

「何が?」

「馬鹿みたいに綺麗なんだもの」

「どうしてそれが嫌なの?」

「綺麗なモノを見ると、想い出しちゃうのよ」

「悲しかったこと?」

 ルイズは、「うん」と首肯き、それから言葉を続けた。

「楽しかった想い出って、綺麗なモノに包まれてるのよ。一緒に見た風景とか、月明かりとか……」

「恋人と一緒に?」

「ええ」

「失恋したの?」

「そうかもね」

 ジョゼットは首を振った。

「失恋して悲しいのは判るわ。でも、そんな綺麗な想い出が、どうして悲しいの? 想い出は想い出じゃない」

「その想い出が、全部、嘘に成っちゃったから。たった1つの悲しい出来事が、宝物みたいな想い出を、全部嘘に変えちゃったから」

 海を見詰めて、ルイズは言った。

 光の1つ1つが、ルイズには、涙に見えた。

「それがここに来た理由?」

「そうよ」

 するとジョゼットは、ルイズの顔を両手で挟んだ。そして、ジッとルイズの目を覗き込んで来た。

「な、何?」

「私、そんなことないと想うな。全部が嘘になっちゃうなんて。良く理解らないけど、貴女が、そうだ、と感じたモノはちゃんと本物だったんだと想うわ」

「どういう意味?」

「楽しいこと。嬉しかったこと。それはきっと本物なのよ。嘘に見えてしまうのは、貴女に自信がないからだと想う」

 ルイズは唇を噛んだ。

「どうして貴女に、そんなことが判るの?」

「私がそうだから。私も、偶に想うわ。あの方は、私のことなんて好いていないって。ただ、こんな所に住んでいる私達を憐れんで、訪ねて来てくださるんだって。あの方はハッキリと、“君に逢いに来る”って言ってくれたのに……私、たまにその言葉を疑ってしまうのよ。そういう時って、決まって落ち込んでいる時。鏡でこの銀髪を見ちゃった時とか……ちっぽけな自分の身体を見た時とか。友達に意地悪なことを言ってしまった時とか。そんな時に、つい想ってしまうの」

 ジョゼットは、そこで言葉を切ると、ニッコリと微笑んだ。

「でももし、あの人が、ただ私達を憐れんでいるだけだとしても……私、傷付かないわ。だって、もしそうだとしても、この髪を褒められたことや、“君に逢いに来る”って言葉が、例え嘘だったとしても……あの時感じた、私の気持ちだけは本物だもの。それがあれば、私、生きていける。貴女みたいに、逃げ出したりしない」

 ルイズは、ジョゼットのその言葉に頭を殴られたかのような気がした。

 黙ってしまったルイズを見て、ジョゼットは恥ずかしそうに頬を染めた。

「ごめんなさい。生意気言っちゃったみたいね」

「ううん……」

 ルイズは首を横に振った。

「貴女の言う通りよ。私、逃げ出したんだわ。そうよ、貴女の言う通り。私、何があってもあいつを信じるって決めたのに……あいつの話を訊くことさえ拒否しちゃった」

 ルイズは、(話を聞いたら、もっとショックを受けたかもしれない。今以上に傷付くことになったかもしれない。でも、それでも……真実を確かめようとすらせずに、自分は逃げ出したのね)と想った。

 

 

 

 ジョゼットと一緒に宿舎へと戻って来ったルイズは、ベッドに潜り込んだのだが、中々寝付くことができずにいた。

 隣のベッドから、ジョゼットの寝息が聞こ得て来ると……どうして、そのような気持ちになったのか……自分でも良く理解らなかったのだが……ルイズは再び起き出して、ベッドの横に在る私物入れから、“始祖の祈祷書”を取り出した。一緒に入れてある“水のルビー”も取り出す。

 ルイズは、“杖”と腕輪型の“魔術礼装”、この3つだけは、結局手放すことができなかったのである。

 今では自分の分身のように感じられる、それ等の品々を、ルイズはジッと見詰めた。何やら、予感めいた何かがあって、ルイズは毛布の中で、“水のルビー”を指に嵌め、“始祖の祈祷書”を開いた。

「…………」

 どうして今なんだろう、とルイズは想った。

 ページは淡く光り、今まで白紙であった場所に文字が浮かび上がっている。

 

――“もし、4の担い手、4の使い魔、志半ばでこのどれかが欠けても、虚無を受け継ぐ者は諦めるなかれ”。

 

――“虚無は血を継ぐ他者に覚醒めん”。

 

――“虚無を担いし者は、その他者を見付け出せ”。

 

――“そして、異教より、聖地を取り戻すべく努力せよ”。

 

 デルフリンガーがいつか言っていた、「必要があれば読める」という言葉をルイズは想い出した。“虚無の担い手”が1人欠けている今、“始祖の祈祷書”は、自分達にこの情報を与える時であると判断したのであろう。

「之って……“虚無の担い手”が死んでも、別の者にその力が宿るっていうこと?」

 ルイズは、唇を噛み締めながら、そう呟いた。

 となると……才人の懸念は的中し、自分達の予想が外れているということになるのだから、

 ルイズは、(もし、このことを“ロマリア”が知っていたとすれば……“聖戦”は続行できる)と考え、毛布の中で拳を握り締めた。

 それから、(このことを、才人や姫様に報せないと……彼等はもう、“ロマリア”の野望は潰えたと見て、安心し切ってるわ。でも、どうやって報せば良いの? 私がいる場所は、陸の孤島で……今のところここから出られる術はない。でも……)とルイズは心の中で首を横に振った。また、(“ロマリア”が知ってるなんて確証も無い。自分の胸に秘めておけば、秘密が漏れる心配もない。この牢獄のような修道院で、私と共に“始祖の祈祷書”を眠らせておけば、秘密が守れる可能性だってあるもの)と考えたが、(ううん。言い訳だわ。私はただ……もう関係のないこと、と想いたがってる。サイトや姫様に逢ってこれ以上傷付きたくないから……)とも心の中で首を振った。

 ルイズは、(知りたくなかった。どうして私は選ばれてしまったのかしあr? “虚無の担い手”などにならなければ、こうやって悩むことなんてなかった。“ハルケギニア”の未来なんて、私には荷が重過ぎるのもの)と想い 首を振った。

 その時……隣のページに、文字が浮かんだ。

 古代語の“ルーン”。

 それは、新たな“虚無”の“スペル”であった。

「…………」

 ルイズは、(神と“始祖”は、この“虚無”で私に何をさせようというのかしら?)と疑問を抱いた。浮かんだ“ルーン”は、「おまえは、これほどの力を与えられながら、その力を何ら役にも立てずに、ここで朽ち果てるつもりか?」)といった風に、何だか自分を責めているように、ルイズには見えた。

 そう“始祖の祈祷書”に言われているように、ルイズには感じられた。

 それから、(……嗚呼、そうだ。そうよ。私は、何があってもサイトを信じる、と決めたことから逃げ出しただけじゃない。私に与えられた“運命”からも逃げ出したのよ)といった大きな焦燥感が、ルイズを包んだ。

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