ゼロの使い魔S   作:りおんざーど

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恋人と、特訓

 “ガリア”の首都、“リュティス”の郊外に位置した“ヴェルサルテイル宮殿”の中庭には、幾つもの天幕が張られている。

 そのうちの1つ、三角に立てた支柱に紺色の帆布が張られた小さな天幕の中で、才人とルイズは唇を重ねていた。

 “元素の兄弟”の1人であるジャックに襲われたものの、辛くも窮地をルイズに救われた才人は、眼の前の小さな身体を夢中になって抱き締める。それから、自身の唇を、その唇に押し付けるのである。

 数週間ほど逢うことができなかった時間というモノが、“愛”しさとなって溢れ出し、どんなに強く抱き締めても、才人の胸中にはもどかしさが残る。

 “セント・マルガリタ修道院”の修道服を着込んだっまのルイズは、黙って才人の腕に包まれ、なすがままになっていた。

 才人の手が、思わずルイズの控えめな胸に伸びる。

 すると、ルイズはソッとその手を離した。

「ごめん……自分勝手過ぎるよな」

 ハッとして、才人はルイズから身体を離した。何せルイズは、才人とアンリエッタの口吻を見て姿を消すことを決めたのである。あのような姿を見せておきながら、赦して貰うことなど、才人からすると虫の良い話であると想えたのである。

 ルイズは、ただジッと、鳶色の瞳で才人を見詰めている。

 才人は思わず身を竦めたが、その目に怒りの色が浮かんでいないことに気付く。

 それからルイズは、自分が着込んでいる修道服に視線を移した。

 修道服は、“セント・マルガリタ修道院”から抜け出した時から身に着けているために、あちこちが擦り切れたり、汚れたりしている。

 ルイズは、はう、と小さく溜息を吐くと、口を開いた。

「散歩したいわ」

 

 

 

 天幕の外に出ると、空には双つの月が輝いている。

 篝火に照らされてボンヤリと浮かぶ“ヴェルサルテイル宮殿”の中庭には、今才人達が出て来たような小さなモノや、10人くらいは入ることができそうな天幕などが密集して張られている。そこでは、迎賓館に入ることができなかった各国の下級“貴族”や、兵隊達が寝泊まりしている。

 今は、“ガリア”新女王の即位を祝う、園遊会の真っ最中である。

 ルイズは、そのような天幕の間を、スイスイと縫うように歩いて行く。

 才人は、半歩遅れて、そんなルイズに着いて行く格好になった。

「どこに行くんだ?」

 そう才人が尋ねたが、返事はない。

 どうやらルイズは、当て所なく歩いているようである。

 中庭、と一言で言いはするが、“ヴェルサルテイル”の敷地は広いといえるだろう。ちょっとした街くらいの大きさはある。

 いつしか天幕の群れから遠退かり、2人は大きな花壇に挟まれた場所に出た。

 “アンスール(8月)”の今は、暑い盛りである。夜といえども、辺りには熱気が漂っている。この辺りにはもう、篝火は焚かれていないために、月明かりだけが頼りとなる。

 眼の前からは、わずかではあるが水の音がする。

 近付くと、そこは噴水であった。

 ルイズは、噴水に腰掛けると、足を組んで空を見上げた。そして、呟くように言った。

「色々考えたのよ」

 才人は、(色々って何だろう? もしかして、もう俺には着いて行けないとか、そんなことを言われるのだろうか?)と不安になった。

 だが、そうではなかった。

 ルイズは考え事を整理するかのような顔になると、言葉を紡ぎ始めたのである。

「私ね、あんたと離れてる間に、一杯色んなことを考えたの。何にも考えないようにしようと想ったんだけどね。辛かったから。悲しかったから。でもね、それで気付いたの。嗚呼、私、逃げ出してるだけなんだって。嫌なことから。辛いことから……」

 それからルイズは、自分の右手を見詰めた。

 その右手には、指に嵌められた“水のルビー”、そして赤い3画の痣――“令呪”がある。

「でも、それって卑怯よね。どんなに心が潰れそうでも、私、力を持っちゃったんだもん。その力を必要としている人がいるのに、それに目を瞑ってことだもん」

 ルイズのその言葉は、いつか才人も想い行き着いたモノでもあった。

「そうだね」

 才人は首肯いた。

 ルイズは一旦逃げ出しはしたものの、それは卑怯だと自分で気付き、その意志で戻って来たのである。ルイズはしっかりと自分の力と向かい合い、答えを出したのである。

 才人は、(俺は欲望に負けて、そんなルイズを裏切ったんだ)と想った。

「俺……そんな御前にキスする資格なんてないのに……つい夢中になっちまって。ごめん」

 ペコリと才人が頭を下げると、ルイズの目がわずかに吊り上がった。

 だが、何だか疲れたように、ルイズは苦笑を浮かべた。

「そうね。私も何度も想ったわ。どうしてこの人、私を傷付けることばっかりするんだろう? って。そのたびに頭に来て、殴ったり逃げたりして。でも、そういうのにもう疲れちゃったの。だからもう、好きにすれば良いわ」

 その言葉は、最後通告であるといえるだろう。

 才人は、頭をハンマーで殴られたかのように感じられた。だが、ここで落ち込んだ顔を見せてしまうと、自分の“運命”から最終的には逃げ出さなかったルイズに何か失礼なような気がしたのである。

「……俺がしたいことは、御前の側にいることだけだよ。でも、俺はどうも馬鹿で節操がないから……俺、御前の“使い魔”で良い。それ以上なんで想わない。だから……」

 才人はそこで言い淀んでしまった。

 するとルイズは、才人に言葉を促した。

「だから、何よ?」

「もし、御前が恋人作っても、ちゃんと俺は御前を守る……って、俺、何言ってんだろ? 初めからただの“使い魔”なのに……」

 するとルイズは、呆れた様子を見せた。

「だからさ、もうそういうのやめてよ。あんた、私が恋人作ったら、命賭けなんかで守れない癖に」

「ば!? 馬鹿! そんなことねえよ!」

「そんなことあるわ。私だって、恋人でもない男に、義務感だけで守られちゃ堪んないわ」

「う……」

「そういう意味で言ったんじゃないわ。ホントに文字通りの意味で言ったのよ。貴男、私が何に我儘言っても私を助けてくれた。命まで張ってくれた。私だって、そんな貴男に意地悪い一杯したの。殴ったり蹴ったり、果ては何も言わずに逃げ出して心配掛けたり……だから御互い様なの……セイヴァーの言ってた通り、“間が悪かった”のかもしれないわ」

 ふぅ、とルイズは小さな溜息を吐いた。そして、何かを吹っ切るかのような声で言った。

「“恋人作っても”、ですって? それができるならとっくにそうしてるわ。でも、どんなに辛い所を見せられても、頭に来ても、私駄目なの」

「……駄目?」

「うん。貴男にキスされると、頭がボーってなっちゃうの。逢えない時は、いっつも貴男のことばかり考えてるの。寝てる時も、貴男の夢ばかり見るの。どうして? 貴男が私の“使い魔”だから? “マスター”と“サーヴァント”だから? いつも助けてくれたから? 何度も“好きだよ”って言ってくれたから? いっつも強く抱き締められて、キスされてから?」

 訴え掛けるようなルイズの声に、才人は大きく驚いて動くことができなくなってしまった。ルイズがそこまで自分のことを考えていてくれたとうことが上手く信じることができずに、才人は呆然と立ち尽くした。

「どれでもないのかもしれない。全部そうなのかもしれない。でも、そんなのどうでも良いわ。きっと、私がそう想うってことが全てなんだわ。悔しいけど、全部ホント。頭に来るけど、そう想っちゃうの。だから“好きにすれば”って言ったの。私、貴男が何をしても、多分きっと何も変わらないから」

 それからルイズは、ブツブツと何事かを呟き始めた。

 聞くと、「私ホントに馬鹿ね」、「最悪だわ」、「何でそんな風に想っちゃうのかしら?」、「でも全部ホントでどう仕様もなくって私の負けじゃないの」、「まあ良っか負けとか勝ちとかないから良いわ」、などと、目を細めて、恨めしげにそのようなことをブツブツと、ルイズは呟いている。

 そのようなルイズを見て、才人は、(ルイズ……そこまで俺のこと……命張った甲斐あったわ……)、と激しく感動した。それから、(嗚呼、何を言おう? もう余所見はしないとか? 馬鹿な。そんな失礼な言い草があるか。そんなのは言わずもがなの、当たり前じゃないか)と想った。

 ルイズの言葉を要約するのであれば、「何があっても貴男を想い続けるだろう」とそういうことである。

 才人は、(これほどまでに、俺を信頼し切っている女の子を、俺は何度裏切って来たんだろう? 俺のことなんか好きじゃないんだろ? とどれだけその気落ちを侮って来たんだろう?)と考え、ルイズのその言葉に何と言って応えれば良いのか、判らなかった。

「あ……俺……」

 才人は、何か言わなくちゃならない、と想い、口を開く。だが、何も出て来ない。

 そこで才人は、(そうだ。どうして俺が、こんなにルイズに惹かれるのかをちゃんと言おう)と想い、深く深呼吸をする。それから、真っ直ぐにルイズを見詰めた。

「お、俺も言って良いか?」

「ん?」

 キョトンとした顔で、ルイズは才人を見返した。

「しょ、正直に言ってしまいます」

「しまいますって何よ? キモいわね」

「キモいって言うなよ。そ、そんなキモい俺が御前は好いんだろ?」

「まあね、でもキモいわ」

「煩え。良いから黙って聴け。あのな、俺……変な話だけど、御前を見てると、“こいつ、どこか別の世界に連れて行ってくれるんじゃないか?” って。そんな気持ちになるんだよ。ワクワクするような、ここじゃないどこか。多分、良い悪い抜きにして、御前が色んな所に俺を連れ回したからだと想うけど。そりゃ、辛いこともあったし、悲しいこともあった。死にそうにもなった。でも、楽しかったのも事実なんだ」

「正直に迷惑だったって言いなさいよ。御世辞なな要らないわ」

「迷惑じゃねえよ! いや、正直言うと、少し迷惑でした」

「殴るわよ?」

「でも、それ以上に楽しかった! ドキドキした! 嘘じゃねえ! そんな気持ちになるのは、御前だけなんだ。御前は、俺をどこかに連れて行ってくれる気がするんだ」

 ルイズは、ジッと冷たい目で才人を見詰めた。

「姫様にだってドキドキしたんでしょ?」

「し、してない……」

 冷や汗を流しながら、才人は言った。

「嘘ばっかり。あんた、すっごい顔してキスしてたわ」

 キスの時の顔を想い出したらしく、ルイズの肩がピリピリと震え始めた。そして、ほあ、と息を吸う音と同時に足が持ち上がる。

 才人は、咄嗟に身を屈めた。

 しかし、いつもの蹴りは飛んで来ない。

 ルイズは上げた足を見詰めて、やれやれと首を横に振りながら、足を再び下ろした。

「蹴らんの?」

「蹴らない。だから正直に言って。姫様とキスした時、ドキドキしたの?」

 才人は俯いて、それから顔を上げて、最後に深呼吸をした。

「ちょ、ちょっと」

 再びルイズの足が持ち上がった。

 才人は、それを見て覚悟を決めたらしく、涙を流さんばかりに絶叫した。

「ど、ドキドキしました! それも凄く!」

 ルイズの全身が痙攣したかのように震え出した。何度も足を持ち上げ、蹴りを繰り出そうとするように動く。が、ルイズはどうにか堪え切ってみせた。

「ここで蹴ったら終わりだわ」

 そう呟き、ルイズは足を下ろす。

「まあね。姫様ってば、色気は無駄に一人前だかんね」

「ルイズ……」

 才人が冷や汗を垂らしながら言うと、ルイズは冷ややかな目で才人を見詰めた。

「もう、一々そんなことで怒るのをやめたの。無駄だから」

 するとルイズは、ユックリと才人へと近付いた。それから、両手を広げて才人のその顔を包み込む。

「私が1番なんだからね」

「当ったり前じゃないか」

 才人が思わずキスをしようとすると、スルリとルイズはその唇から逃れた。

 不安な顔になって、「ルイズ?」と才人は尋ねる。

 すると、ルイズはサラリと、驚くことを言って退けた。

「み、みみみ、水を浴びたいな」

「はい? 水?」

 その言葉の意味が理解らずに、才人は問い返した。

 すると今度はハッキリとした声で、ルイズは言った。

「水を浴びたいなって、言ったわ」

 ルイズのその言動は穏やかではあるが、何かを決心した声である。

「水浴びって……また、どうして?」

「だって、“セント・マルガリタ”を出てから、1回も御風呂に入っていないのよ。汗を掻くし、服だって着たっ切りだし……」

「で、でも、こんな時間じゃ風呂だって……」

 迎賓館に用意された湯浴み場は、深夜の今は閉まっているであろう。

 するとルイズは更に驚くことを言った。

「水浴び場なら、ここにあるじゃない。立派なのが。ほら、今も水をさんさんと噴き出しているじゃないの」

 と、ルイズが指さしたのは、眼の前の噴水であった。

「で、でもな? 御前、これは噴水……」

「良いじゃない。汚い水って訳じゃないんだし。それに、今は夏だし」

 そう言うと、ルイズははっしと修道服に手を掛けた。

「ば、馬鹿! 大体、ここは外!」

「良いじゃない。こんなに真っ暗で、誰も歩いてないわ。見てるとしたら、セイヴァーと月くらいよ」

 その時になって、どうしてルイズがこのような所まで自分を引っ張って来たのか、才人は理解した。

 ルイズは、キョロキョロと何かを探している様子であったが……噴水を探していたのである。

 才人がアワアワとするうちに、ルイズは肩から修道服を脱いた。

 スルッと、丸い輪になって、修道服がルイズの足元に滑り落ちる。

 シュミューズ姿のルイズが月明かりに浮かび、才人は思わず目を逸らした。

「お、御前……」

 サラッと、小さな衣擦れの音が響き、それからチャプン、と噴水に足を踏み入れる音が聞こ得て来る。

「冷たくって、気持ちが好いわ」

「は、早くしろよ」

 後ろを向いたまま、才人は言った。チラッと盗み見たい衝動に駆られはしたが、(今ルイズの肌を見てしまっては、我慢ができなくなってしまうだろう)と想い、才人はどうにか堪えた。

 “サモン・サーヴァント”からしばらくの間は、何の恥じらいもなく着替えていたルイズではあるが……ハッキリとその肌を、才人は見たことがなかった。

 そんな風に才人がヤキモキして居ると、ルイズは更に驚くべき言葉を繰り出した。

「背中洗って」

「で、でも……」

 才人が、「良いのか?」と確認のために言おうと口を開くと、「手が届かないのよ」と軽く怒ったような声でルイズが言った。

 才人が振り返ると、ルイズは噴水の中、才人へと背を向けて座っていた。

 ルイズの白い背中が、月明かりに照らされ、形の良いラインを夏の夜に浮かび上がらせている。

 細いが、妙に色気のある背中で、才人は鼓動が跳ね上がって行くのを自覚した。

 思わず唾を呑み込みそうになり、才人は堪えた。そして、一歩踏み出す。それから、噴水の縁の前で靴を脱ぎ、ジーンズを託し上げる。

 足を踏み入れると、ヒンヤリと冷たい水の感触が、才人の足をくすぐった。

 そして……見下ろすと、ルイズの美しい背中が、才人の視界に入った。長い桃色の髪は、首筋から左右に分かれ、肩から背中を彩って居る。

 才人は、何度もルイズを抱き締めたことはあるだろう。だが、直接素肌に触れたことは、ほとんどなかった。

 ユックリと手を伸ばし、ルイズの背中に触れる。ルイズの肌の感触が、才人の掌に伝わって来る。滑らかで温かく、シットリと汗ばんだルイズの素肌は、才人に強く、生、を意識させた。好きな人が生きている、とうこと が、これほど“愛”おしく感じられた瞬間は、才人にとって初体験であった。

 才人は噴水の水を掬い上げ、ルイズの背中に掛けた。そして、掌でユックリと洗う。

 才人の手が動くたびに、ルイズの背中がピクッと震える。

 才人は、喉がカラカラになって行くかのような錯覚を覚えた。このまま手を前に伸ばせば……ルイズの柔らかい、 色々な部分に触れることができるであろう。

 だが、(でも、俺にその資格があるんだろうか? あれだけ、ルイズを傷付けた俺に、ルイズの素肌にふれる資格はあるんだろうか……?)と才人は考えた。

 その時であった。

 ふと、手が止まった才人の心中に気付いたのか、ルイズがポツリと呟いた。

「ねえサイト」

「な、何っ!?」

「私、綺麗?」

 小さな、消え去りそうなくらいに小さなルイズの声であったが、才人にはハッキリと聞こ得た。

「う、うん」

 才人が思わずそう言うと、ルイズはユックリと立ち上がった。

「お、おい!? 御前!? ちょっと!?」

 才人は慌てに慌てた。一体、ルイズが何をしようとしているのか、全く理解できなかったのである。兎に角、判るのは、眼の前に何1つ身に着けていないルイズがいるということだけである。

「姫様よりも綺麗?」

 落ち着いた声で、ルイズは問うた。

「うん……だって、姫様のそんな姿、見たこtないし……」

「シエスタよりも綺麗?」

「シ、シエスタのだって、見たことないっつの」

「そうなら良いわ」

「お、おい……」

 才人が心の準備をする間もなく、ルイズは振り向いた。

 才人は、(見たら死ぬ、きっと死ぬ)と想いながらも目を逸らすことができなかった。

 夢にまで見た、ルイズの裸身がそこにはあった。

「…………」

 月明かりは、ボンヤリとではるが、だが十分に、ルイズの美しい裸体を染め上げていた。わずかに膨らんだ胸の先端も、臍の下の微かな陰りも、余すところなく才人の視線に晒されている。

「ルイズ……」

 肩の荷が下りたかのような声で、ルイズは言った。

「もうね、つまらない意地張るのやめたの。今まで、御褒美だとか何とか、散々言いたいこと言って来たけど、ホントは、私がして欲しかったの。キスして欲しかったし、ギュッと抱き締めて欲しかった。でも、言うのが恥ずかしかったから、言わなかったの」

 ルイズは顔を上げて、才人を見詰めた。

「貴男のも見せて」

 才人は、真顔になり首肯いた。そして、マントにパーカー、ズボンに下着を脱いで、噴水の縁に置いた。

 2人は、生まれたままの姿で、向かい合った。どちらからともなく手を伸ばし、固く抱き合った。

「俺……」

「なぁに?」

「この瞬間のために、生まれて来たんだな」

 どこまでも真剣な、だが温かい声で才人は言った。不思議と、先程までの興奮は治まり、穏やかで、平和な気持ちが才人の胸の中で一杯になる。

「私も、同じ気持ちだわ」

 しばらくの間、2人はそうして抱き合っていた。

 ルイズが、呟くように言った。

「ねえサイト。御願いがあるの」

「うん」

「他の娘に目移りしても良いわ。浮気したって構わない。でも……」

「でも?」

「私より、先に死んじゃ駄目よ。それだけ約束して。私、きっと、貴男がいなくなるのだけは、耐えられそうにないから」

「それは俺の台詞だ」

 才人も、言った。

「他の男とキスしたって良い。何しても良い。でも、絶対に俺より先に死ぬな」

「じゃあ、死ぬ時は一緒ね」

 才人はルイズの顎を持ち上げた。

 ルイズは、従順にそれに従うと、目を瞑った。

 唇が重なり合う。

 長いキスの後、ルイズは腰の辺りに何か違和感を感じたらしい。下を向いて、そこにあるモノを見て、顔を赤らめる。だが、決心したような顔で、言った。

「……する?」

 才人は、一瞬苦しそうに唇を噛んだが、直ぐに笑みを浮かべた。

「ううん。いい」

「……したくないの? だって、男の子って……」

「……し、したくない訳ないだろ。でも、今はまだ早い。やらなきゃならないことが一杯あるし……それに……」

「それに?」

「そういうことは、結婚してからだ」

 ルイズは、恥ずかしそうに俯いた。そして、はにかんだ声で呟く。

「有難う」

 2人は、噴水から出ると服を身に着けた。

 乾燥した“ハルケギニア”の夏の空気が、直ぐに2人の身体を乾かして行く。

 才人が手を差し出すと、ルイズはそれを握った。

「ねえサイト。さっきはああ言ったけど、私、やっぱり貴男が浮気したら怒るかもしれないわ」

「それは当然だろ。俺だって、御前が浮気したら赦さない」

「自分は散々しておいて、勝手なこと言うのね」

 少しばかり拗ねたような声で、ルイズは言った。だが、満更でもないといった様子であり、才人に寄り添う。

 2人は、ピッタリとくっ着いたまま、歩き出した。

 どこまでも幸せな気分で、才人はルイズを見詰めた。

 その時である。

 不意に。

 ほんの、不意にではあるが、才人の中で生まれた感情があった。

 才人は、(ルイズが戻って来た。そして、“俺に全てを委ねてくれる”と言ってる。凄く嬉しい。でも……何だこれ?)とそうやって満たされることで、今まで気付かなかった感情に触れたのである。

 妙に焦った顔になった才人に、ルイズは気付いた。

「……どうしたの?」

「いや……ちょっと……」

 考え込んだ才人を、ルイズは心配そうな顔で見上げた。

「真っ青なんだけど」

「いや。ホントに、何でもない」

 双月が優しく2人を照らし、染め上げた。

 

 

 

 

 

 ドアが4回ノックされる。

「どうぞ」

 と、シオンがそれに応えた。

 扉が開かれ、顔を覗かせて来たのは才人とルイズの2人である。

 2人は、扉を開くのと同時に、大きく驚いた様子を見せる。

 だがそれは、当然のことであるといえるだろう。

 2人の眼の前に広がる光景――居室は、他のどの部屋とも違い、2人が見たことのない様式の様相や調度品などがあったためである。

 “古代ギリシャ”、“古代ローマ”、“古代エジプト”……そう云った“地球”でのそう云ったモノを想像させる物品に溢れている。

「お、御前等、このへ、部屋……」

「ああ、“招き蕩う黄金劇場(アエストゥス・ドムス・アウレア)”を使用したのだ」

「“招き蕩う黄金劇場(アエストゥス・ドムス・アウレア)”? それって御前の“宝具”なのか?」

 疑問を口にする才人に対し、俺は答える。

「ああ、まあ……俺の“宝具”と“スキル”を利用して再現した、とある“英霊”の“宝具”なのだが……“ネロ・クラウディウス”って名前に聞き覚えはあるか?」

「……あるような、ないような……世界史で習ったはずだとは想うけど……」

「“帝政ローマ第5代皇帝”……“本名はネロ・クラウディウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクス”って言うんだがな」

「勝手にこんなことして大丈夫なの?」

「問題ないだろ。シオンは“王”だ。ただ居室では待遇としては不十分。この“宝具”は、“己の願望を達成させる絶対皇帝圏”だ……“自身が生前設計した劇場や建造物を魔力で再現し、彼女にとって有利に働く戦場を作り出す”。“世界を書き換える魔術や魔法などとは異なり、世界の上に一から建築するために、長時間展開及び維持できる”。“この宝具は彼女の想像力によるモノで、それを強化するには、この宝具を豪華に作り直し、その姿を彼女の脳裏に刻む必要がある”が、想像力と魔力次第故、いかようににでもできる……調度品や模様替えなどをしたという訳ではないから安心しろ。まあ、ネロ皇帝陛下殿は御立腹かもしれないがな」

「まあ、それは良いんだけど……」

 ルイズの呆れたような疑問に、俺は答える。

「ルイズ……」

「シオン……」

 シオンはソッとルイズへと歩み寄り、真っ直ぐに見詰めた。

「凄く心配したのよ。大丈夫だって理解ってても、それでも……」

「ごめんなさい、シオン……そして、有難う」

 ルイズは誠心誠意、シオンへと頭を下げて謝罪と感謝の言葉を口にした。

 それからまた、ルイズは頭を抱えるようにしながら口を開く。

「あんたと“アサシン”……私達を守ためだってことは頭では理解ってるんだけどね……ずっと見られてるっていうの何だか気分が悪いって言うか」

「それはすまない。だが、一応身の安全のためだ。害意やそういった類のモノは一切ないことだけはハッキリと言わせて貰う」

「まあ、良いわ。それで……一発だけ、やらせて欲しいんだけど」

 そう言って、ルイズは“杖”を取り出した。

「ル、ルイズ?」

 ルイズのその言葉に、シオンと才人が驚きに目を見開く。

「ああ。俺は構わない。と言うよりも、御前達にはその権利が有る。外でやるよりも、ここでやる方が良いだろう。ここも俺も多少の“爆発”では傷1つ付かないからな」

「言ってくれるじゃないの……」

 ルイズは“エクスプロージョン”を唱えた。

 大きな爆発が起こり、濛々と煙が立ち込める中、俺の身体には傷1つない。

「何で傷1つ付かないのよ!?」

「才人にも、“虎街道”での時に言ったが……俺には、“ヘラクレス”と“アキレウス”と言う“大英雄”が持つ“宝具”を再現し、所有して居る。故に、“神性スキルを所有した者のBランク+以上の攻撃や干渉”、もしくは、“Bランク+以上かつ神性スキル特攻のある攻撃や干渉”、でないと俺には傷1つ付けることはできない。まあ、できたとしても、直ぐにそれに対する耐性を獲得するがな……」

 そこで、ルイズは目を凝らして俺を見た。その顔は、直ぐに驚愕を浮かべる。が、直ぐに元に戻った。

「まあ、良いわ……それで、えっと……」

「御帰り、ルイズ」

 俺への半端な制裁を終えたルイズは何かを決意したように、シオンへと向き直り、口を開く。

 言葉を続けようとするルイズに、その前にシオンが遮り何気ない様子で言った。

 先程とは打って変わったシオンの普段と何ら変わらない様子でのその言葉に、ルイズは一瞬だが面食らったかの様子を見せる。次いで、毒気を抜かれたかのような口調と態度で、言った。

「……只今」

 本人の弁では、「疲れた」とのことではあるが、傍から見ると、物事に折り合いを着け、憑き物が落ちた、といった様子をルイズは見せている。

「さて……御前等のしでかしたことだが……」

「…………」

 俺が口を開いたことで、才人とルイズの2人は黙り込む。

「……それ等は、全て“幸先の良い失敗だ”」

「え?」

「“例え、問題がすっかり解決しなかったとしても、じっと考える時間を持ったと言うことは、後で想い出す度に意味があったことが理解る”だろうさ……それに、“失敗したことは1度もない。10,000回も上手くいかない方法を見付けただけだ”。また、“恋は、走る火花、とは言えないが、持続性を持っていないことは確かだ。が、その恋に友情の実が結べば、恋は常に生き返る”。それ等については、既に理解しているだろう?」

「それ等も受け売りか? ほんとそればっかりだな……御前」

 俺の言葉に感心する反面、才人は呆れたといった風に言った。

「そう言えばそうだな……受け売りばかりだ……まあ、話のついでだが……才人、ルイズ……御前等にはこれからまた過酷なことが待ち受けているだろう。何度も何度も……心が折れるくらいのことなど。だが、ここはまだ途中……物語でいってしまえば、ようやく佳境に入ったといったところだ。で」

「で、何よ?」

「御前等にはより強くなって貰う必要がある。精神面の方では俺が俺自身の“宝具”で幾らでも操作できるが……肉体面の経験などによる強さや機転とかを身に着けて欲しいと想っている」

 俺はそう言って、部屋を豪華かつ色取り取りの様式の入り乱れたモノから、ローマ式のコロッセオへと変化させる。

「これも、御前が想像したってのか?」

「厳密には違う。使用したモノは確かに“招き蕩う黄金劇場(アエストゥス・ドムス・アウレア)”だ。が、俺は知識内のコロシアムの構造などを全て想い出す……と言うよりも、見付け出し、ここに映し出す――“魔力”で建築したと言った感じだな……」

「で、どうするって言うんだよ?」

「まあ、ことを急くな。そうだな……御前はどういった存在だ?」

「何だよ、藪から棒に。哲学的だな……俺は俺だけど」

「そうだな……ならば、言葉を変えよう。才人、御前が持つ力は、どういった力だ?」

「そりゃ、“汎ゆる武器を扱う”ことができる……」

「そうだな。だが、それはほんの一端だ。より重要なのは……そうだな。ティファニアが唄っていた歌を想い出してみろ?」

「確か……“神の左手ガンダールヴ。勇猛果敢な神の盾。左に握った大剣と、右に掴んだ長槍で、導きし我を守り切る”だっけか?」

「そうだ。“ガンダールヴ”……そして、その特性故御前は“シールダー”としての力も獲得した。今の御前は……その力を自由に引き出し、使用することができない。後ろにルイズがいないと力を発揮させることができない。ルイズ。御前もまた、“魔法”を唱える時間が必要であり、かなりの時間が掛かる」

「まあ、そうね。で? それがどうしたの?」

「それを克服して貰う」

 俺はそう答えて、“王律鍵バヴ=イル”を“投影”し、“バビロニアの宝物庫”と空間を繋げる。

「な、何を?」

 才人とルイズの2人は狼狽した様子を見せる。

「そうだな……実践することで、実際に体験することで身に着けて貰う、どうにも俺は不器用なようでな。そのことは、“虎街道”でのことを始め、他のことでも、既に理解しているだろう?」

 俺の背後の空間が歪み、金色に輝き光り出す。その光る歪みの中から、色々な武器――刀剣類が顔を出している。

「才人。刀を構えろ。ルイズ、“呪文”を“詠唱”しろ。これから俺は、御前等を扱く。“王の財宝。その一端を見せてやる”。精々、無様に足掻くことだ」

 俺はそう言って、背後の空間から刀剣類をルイズ目掛けて射出する。

「――!? 本気ってことかよ」

 才人は隙かさずルイズの前へと跳躍し、居合いの要領で刀を射抜き、それ等全てを弾き飛ばす。

「それ、次だ。次々」

 俺は再び刀剣類を射出する。が、今度のそれは、それぞれの射出するタイミングをズラしてだ。

 それも難なく、才人は弾き飛ばしてみせる。

「なら、これはどうだ?」

 俺は、才人とルイズの全方向――2人を囲むように、空間を“バビロニアの宝物庫”と繋ぎ、そこから刀剣類を射出する。

 それに対し、才人とルイズの2人は驚き、動きと“詠唱”を止めてしまう。が、それは一瞬だけであった。どうにかして気を取り直し、再び刀を構え直し、“詠唱”を再開する。

 それをどうにかして、才人は手に持った刀で全てを弾き飛ばしてみせた。

 だが、ルイズの足元から刀剣類が射出され、ルイズは“詠唱”を中断してしまい、尻餅を着く。

「ちょ、ちょっとッ! これはないんじゃないの!?」

「戯け。戦場で、そんなことを言えるのか? “土系統”の“呪文”で足元を絡め取って来るモノもあるだろう? それ等に対しての対策と考えて、行動しろ」

 ルイズは立ち上がると同時に、“詠唱”を再開する。

 才人は刀を構え、次に射出される刀剣類に対して身構える。

「ふむ……成る程。ある程度の技量や力は既にある、と……だが、それでは“元素の兄弟”や“エルフ”から身を護るにはまだ足りないな。俺は御前等に、こう言った時のための道具を渡したはずだがな……」

 俺はそう言って、自身の左右、その上下の空間を歪め、“バビロニアの宝物庫”と繋げる。

 繋がったそれぞれの空間には、少しばかり距離がある。

 その離れた距離の間を、刀剣類が行ったり来たりなどを繰り返させる。

「さて……では、この速度に対応できるかな?」

 俺はそう言って、刀剣類を射出する。

 その速度は、先程までのそれとは大きく違い、かなりの速さを持っている。

 目視での把握は疎か、反射的に動くことすら許されないであろうほどの速度を持って、才人とルイズへと襲い掛かる。

 だが、それ等全てを才人は見事に弾き飛ばし、もしくは往なしてみせた。

 見ると、才人の左手甲の“ルーン”は勿論のことだが、彼が身に着けている腕輪が光っている。

 ルイズも同様に、腕輪を光らせている。

 その直後、“詠唱”は終わる。“呪文”が完成したようであることが判る。

 ルイズは、“杖”を俺へと振り下ろした。

 大きな爆発が起こる。

 瞬時に、俺は才人とルイズとシオンの3人の周囲に“魔力”で防壁を生み出し、展開する。

 その爆発は、“アルビオン”の艦隊を吹き飛ばした時を始めそれ等よりも大規模かつ強力なモノであった。

「うむ、実に見事だ。俺は満足したよ。才人、ルイズ……その腕輪は、身体能力や“魔力”を高めること、“詠唱”時間の短縮も可能な“礼装”だ。積極的に使って行くことだな」

 俺の左半身は吹き飛んでいる。いや、抉れているといった方が良いだろうか。本来、“神性スキル”を所有する者による攻撃、もしくは“神性特攻”による攻撃でしか、傷を受けることはない。が、それでも傷を受ける……それどころか、半身が吹き飛んでいたのである。

 その吹き飛ばされ抉れた半身は、瞬きをする間に一瞬で再生し、“エクスプロージョン(爆発)”に対する耐性を獲得させた。

 俺は大きく首肯き、戦闘態勢を解除する。

 すると、2人もまた同じように刀と“杖”を下ろした。

「御前な……不器用にもほどがあるだろ」

「そうだな……俺自身良く理解しているつもりだ。が、どうにも生来持って生まれたモノでな……その性格や人格、自身の星座などを拡大解釈し昇華させたモノが俺の“宝具”だからな……“宝具”とは、その“英霊”の人生や特徴などでもある。だから、どう仕様もないか……」

 俺は自嘲気味にそう言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 “連合皇国首都ロマリア”……。

 基盤の目のように、整然と並んだ街道に、急ぎ足の女の姿があった。

 淡い栗色の長い髪を額の真ん中で分け、眼鏡の奥の瞳を理知的に光らせ、キッと口を一文字に結んだ顔は、整っていると評するには十分であるといえるだろう。

 紺に染められたシャツに、白いスカート、手には本を数冊抱えたその姿は、一見どこかの書記官を思わせる。

 だが、何気ない足取りの中、その女は油断なく辺りに目を光らせていることが判るだろう。

 大都市“ロマリア”は、熱狂に包まれている。若き教皇、聖エイジス32世により、“聖戦”が発動されたためである。“エルフ”から“聖地”を奪回するまで終わることがないとされる巨大な祭典(戦争)である。

 壁の至る所には、義勇兵として“聖戦”参加を呼び掛けるポスターや、“エルフ(異教徒)を抹殺すべし”とのスローガンを掲げられ、“聖堂騎士”達が、隊伍を組んで大通りを歩いている。通りを行く神官達は、そんな騎士団を見掛けると立ち止まり、祝福を与えるべく、“聖具”の形に印を切るのである。

 そういった御祭り騒ぎの中、女は何気ない足取りの中に緊張を潜ませながら、1本の路地へと足を進める。

 そこは、“光の国ロマリア”の、その光が当たらない場所である。壁の隅には汚水や生塵などが溜まり、得も言われぬ臭いを発しているのである。通りのそこかしこには、各国から流れて来た難民の子供達が、薄汚れた格好で座り込んでいる。女が通り掛かると、子供達は目を輝かせて、立ち上がった。

「御姉ちゃん! 御姉ちゃん!」

 すると、女はポケットから銅貨を取り出すと、近寄って来た子供達に手渡す。あちこちから子供はやって来て、終いには十数人にも増えた。子供達は、女から銅貨を貰う順番を巡って、闘いを始める始末である。

「ほら、ちゃんと上げるから、喧嘩をして取り合ったり、盗みをしたりするんじゃないよ」

 ピョンピョンと跳ねるように去って行く子供達を、女は目を細めて見送った。それから女は、後ろを振り返り、何者にも付けられていないということを確認する。次いで、漆喰が剥がれ落ちた、ボロボロの建物の中へと入って行く。

 玄関に入ると、2階へと続く階段があり、女はそこを上った2階には、幾つも似たようなドアが並んでいる。そのことから、ここがアパルトマン(共同住宅)であるということが判る。

 一番奥の部屋へと向かうと、女はそこの扉を開いた。

 中には部屋が1つ切りである。外観と同様、随分と安普請の居室であるといえるだろう。窓の側に置かれた大きなベッドの上のシーツには、所々継ぎが当たっている。壁髪は色褪せ、元の色がどうだったのかすら判別が難しいほどになっている。

 しかし、そのボロ部屋は異彩を放っているといえるだろう。樫の木の丸テーブルの上には、本が渦高く積み上げられており、乗り切らない本が床の上にまで転がっている。まるで図書館がそのまま引っ越して来たばかりであるかのような、そのような風情であるといえるだろう。

 そして、本の山に埋もれるようにして、1人の長身の男が、椅子に腰掛けて本を読んでいる。

「無用心だね。ワルド」

 灰色の瞳を本に向けたまま、ワルドは口を開いた。

「今更、俺を狙う奴などおるまい」

 “アルビオン”で“レコン・キスタ”に参加していた頃に比べ、今のワルドは随分と痩せた以外には、ほとんど変わりがない。“平民”が着るような、簡素な衣装に身を包んでいたが、全身から発せられる空気は、歴戦の“貴族”のモノであることに全く変わりがない。

 女……かつて、“土くれ”と呼ばれた女盗賊フーケは、持って来た本をドサリとワルドの隣に置いた。

「全く。“アルビオン”での戦争が終わってからこっち、あんたは学者にでもなったみたいだね」

 ワルドはそれに答えず、別の言葉を口にした。

「また子供に金を散蒔いていたな?」

「どうして判るんだい?」

「外から声が聞こ得た。目立つことはするな、と言っているだろうが」

 するとフーケは、眉を吊り上げた。

「あのね、あの子達は、“アルビオン”からの難民なんだよ。あんた達が好き勝手やった挙げ句に、こんな碌でもない生活する羽目になってるのさ。まあ、シオン女王陛下の政策のおかげ、帰国し始めてる子供達も多いけどね……」

 “アルビオン”での敗戦の後、フーケとワルドはこの“ロマリア”までやって来たのである。

 ワルドは、それ以上、何も言わずに本を読み続けた。

 ワルドが読んでいる本は、歴史書である。

 とはいっても、ただの歴史書ではない。フーケが苦労して盗み出して来た、“ロマリア宗教庁”に眠っていた、秘伝の書である。そこには、“宗教国家ロマリア”が、過去に行って来た様々な弾圧や、対外戦争などについて記載されている本である。

 黙々と本を読み耽っている男の態度が気に障ったのだろう、フーケは苛立った声で言った。

「ねえワルド。そろそろ話してくれても良いんじゃないの? どうしてこの“ロマリア”までやって来る気になったのさ?」

 ワルドは、表情を変えることもなく本のページを捲る。

 するとフーケは、スッとワルドの胸元からペンダントを引き出した。

 ロケットになっているらしいことを、パカっと開けると、中から綺麗な女性の肖像画が現れる。

「側にいてくれる女じゃなく、母親の絵を未だに入れとくなんて。愛想尽かされても、文句は言えないよ?」

 フーケがそう言っても、ワルドは素知らぬ顔である。

「ねえワルド。私、これでもあんたの力になってやろうって言うんだよ? 一体、あんたの母親に何があったのさ? あんたが全てを捨てて“レコン・キスタ”に身を投じたのも、“聖戦”真っ只中の“ロマリア”までやって来たのも、全部それが関係してるんだろ?」

 それでもワルドが何も言わないために、フーケはとうとう業を煮やしてしまったらしい。

「あっそ。そこまで頑なに無視を決め込むつもりなら、もう良いよ。本を盗って来るのはこれで最後にさせて貰うわね。大体、こんな本なんて、幾らにもなりゃしないんだ」

 それから、と言って、フーケはワルドの耳を摘んで言った。

「抱かれるのもごめんだね」

 ワルドは本から目を逸らすことなく、口を開いた。

「俺の母は“アカデミー”の主席研究員だったんだ」

「“アカデミー”って、あの怪しげな研究をしている所かい?」

「ああ。まあ、俺の母はそこで歴史と地学の研究を行っていた。でも、ある時を境に、心を病んでね。”アカデミー”を辞めて、屋敷から一歩もでなくなった。父や親族は、”女だてらに難しい学問をするからだ”なんて言ってた。俺もそう想ってた。全く、母は可怪しくなってたよ。うわごとのように、”ジャン・ジャック、聖地を目指すのよ”って、何度も繰り返すのさ。終いにゃ、父は奥の部屋に母を閉じ込めた」

 するとフーケは、眉を顰めた。

「呆れた。母君については気の毒だけど、そんなうわごとを真に受けて、“レコン・キスタ”に参加したって訳?」

「俺も、ずっとうわごとと想ってた。そんな母を、恥にさえ感じていた。辛く当たったこともある。良い加減にしてくれ! ってね」

「どうしてまた、母君の願いを利こうなんて考えたのさ?」

 ワルドは、懐から1冊の本を取り出した。それを無言でフーケに手渡す。

「何だい? これ」

「母の日記帳だ」

「呆れた。どこまで親離れができてないのさ」

 フーケは、その日記帳に対してそう口にしながらも読み始めた。

 どうやら、ワルドが生まれてから付けられたらしい。ワルドが生まれた時の喜びが、感動に震える文章で書かれてある。

 それからは、”アカデミー”の研究員としての日々が綴られている。

 ワルドの母は、“ハルケギニア”の大地に眠る“風石”について研究していたようである。内容は難解で、日記である故他人に読ませることを考えていなかったためであろう、非常に読み辛い……が、同じ“土系統”使いのフーケには、ボンヤリとではあるがそれが理解できた。

「あんたの母君は、効率の良い採鋼について研究してみたいだね。でも、一体これと“聖地”がどう結び付くっていうのさ?」

 そう呟き、フーケはページを捲る。

 しばらく読み進めた時、フーケの指が止まった。

 そこにはたった一言、こう書かれていた。

 

――“私は恐ろしい秘密を知ってしまった。この大陸に眠っていた、大変な秘密を……”。

 

 その日を境に、日記の内容は、恐ろしい秘密に、恐怖するモノになって行った。

 

――“こんなことは誰にも話せない。私はどうすれば善いんだろう? おお神様!”。

 

 フーケは、唾を呑み込んだ。どうやら、その恐ろしい秘密とやらを、ワルドの母は誰にも話さなかったということをフーケは理解した。フーケは、(何故かしら? “アカデミー”の研究員なのに?)と疑問を抱いた。

 

――“聖地に向かわねば、私達は救われない。でも、聖地をエルフから取り返そうとすることもまた、破滅……”。

 

 恐ろしい秘密についての、具体的な記述はどこにもない。ただ、その、秘密を1人で抱えることは、心を病むには十分だったであろうということは理解できる。

 

――“可愛いジャン。私のジャン・ジャック。母の代わりに聖地を目指して頂戴。きっと、救いの鍵がある……”

 

 その日を最後に、うわごとのような散発的な記述が続くようになり……「ジャン・ジャック。“聖地”へ……」で、日記は終わっていた。

「俺がその日記帳を見付けたのは、20歳の時だ。母の部屋を整理していて、発見したんだ」

「あんたの母君を悪く言う訳じゃないけど、ただの妄想にしか想えないよ。恐ろしい秘密、なんて言われてもね。この内容を信じて、“聖地”を目指す気になった、なんて言うんじゃないだろうね?」

「信じる信じないじゃないんだ」

 ワルドは、疲れたような声で言った。

「何を言ってるんだい?」

「母は俺が死なせた」

「何だって?」

「俺はその時、12になったばかりでね。屋敷でパーティが行われた日だった。パーティの最中、どうした訳か、母は奥の部屋から出て来てしまったんだ。で、廊下を大騒ぎしながら歩いてた。俺の名を呼びながらね。俺は心底、そんな母が嫌になってね、奥の部屋へと連れて行こうとした。階段の上で、母は俺に抱き着いて来ようとした……」

 ワルドは、無表情のまま、左手を見詰めた。

「俺は思わず母を突き飛ばしてしまった。12になってな、そういう年なんだ。母の“愛”情が、鬱陶しくて堪らない。況してや、狂人のようになちまった母なんて、恥以外の何者でもなかった。ほんの軽く押したつもりだったんだが、母は足を踏み外した。階段から転げ落ちて、首がポッキリ折れちまった。今でも良く覚えてる。グンニャリと曲がった母の首……」

 ワルドは目を瞑った。

「事故ってことで、父は処理した。恐らく、父も母の扱いには困ってたんだろう。罪に苛まれた俺は何度も自分を慰めた。“母はもう、死んでたようなモノだ。俺は悪くない”ってね」

 フーケは、ジッとワルドお話に聴き入っていた。

 ワルドは抑揚のない声で話を続けた。

「それから、20歳になるまでの8年間、俺はずっと修行に明け暮れた。そうでもしないと、母殺し、の罪からは逃れることができないと想ってた。でも俺は20歳の時に、その日記帳を見付けてしまった。母が心を病んだのには、理由があったんだ。俺はそんなことも知らずに、母を唯のただの弱い人間だと軽蔑してたんだ」

 ワルドは、椅子の背に身体を預けるようにして身を沈めた。

「理解るだろ? マチルダ。俺にとって、“聖地”に向かうことは義務なんだ。そこに何があるのか、それはどうだって良いんだ。母の最期の願いだ。俺は、“聖地”に行かなくちゃいけないんだ」

 フーケ――マチルダは、手を伸ばすと、優しくワルドの首を抱き抱いた。

「やっと理解ったよ。どうして私が、あんたの側から離れられないのか。あんたは孤児なんだね。自分で自分を捨てちまった。可哀想な孤児さ。私はそんな子供を見ると、放っとけないんだよ」

 フーケは優しくワルドを抱き締めた。まるで母親であるかのような、慈“愛”が込もっている。次いで、フーケは、小さく子守唄を口遊んだ。

 それから、心配そうな声でフーケは、ワルドに尋ねた。

「あんた……“聖戦”に参加する気なの?」

「”ロマリア”の狂気に付き合うのはウンザリだが、それが1番手っ取り早いんだろうな。その前に、母をそこまで追い込んだ、恐ろしい秘密、とやらの中身を知りたくなってね」

「それで私に書物を盗ませてたって訳か。全く、“皇国図書館”に忍び込むのは、結構大変なんだよ。で、何か判ったの?」

「今のところ、それらしいことは何も判らん。“ロマリア”なら、何かを掴んでいると想ったんだが……しかし、この国も随分とえげつないことをしているな」

 “ロマリア”の秘密執行機関の記録書をテーブルの上に放り投げながら、ワルドは言った。

「弾圧、暗殺、破壊活動……疑わしいと見れば殺す。気に入らないとなると滅ぼす。“始祖”の御為とあらば、世界さえも滅ぼすんじゃないかっていうくらいの暴れっぷりだな。全く、あの“レコン・キスタ”が小物に想える」

「実際、小物だったんじゃないの」

 トントン。

 そんな会話を交していると、扉がノックされた。

 フーケはスッとみを離すと、懐から“杖”を引き抜いた。

 ワルドも立ち上がり乍ら、傍らに置いた“軍杖”に手を掛ける。

 トントン。

 再び、ドアが叩かれた。

 ワルドはチラッとフーケを見遣る。

 フーケは、心当たりはない、といったように首を横に振る。

 ワルドじゃ、ドアに向けて口を開いた。

「どなたですかな?」

「“ロマリア”政府の遣いで参りました」

 少女の声で在る。

 小声でフーケが呟く。

「……追けられるようなヘマはしてないよ」

「現に追けられているだろうが」

 ワルドはドアに近寄ると、右手を“軍杖”に置いたまま扉を開けた。

 そこに立っていた人物を見て、ワルドの目が僅かに細った。

 “ロマリア”政府の遣い、にしては、実に意外な人物であったためである。

 年の頃は、15ほどであろう。白い巫女服に身を包んだその姿は、まるで寺院の助祭のようである。

 射竦められるようなワルドの視線に晒され、少女は身を竦めた。

「“ロマリア”の政府が、一体我々に何の用でしょう?」

 ワルドが問い掛けると、少女は震える声で言った。

「あ、あの……ワルド子爵と、ミス・サウスゴータで御間違えないですよね?」

 ワルドは、少女の後ろを見やり、感覚を研ぎ澄ませた。

 廊下、そして階下……そして建物の外。

 どこにも、誰かが隠れている様子はないことが、ワルドには判った。

 こちらの素性を知りながら、少女は1人で来たらしい。

 ワルドは、少女のその勇気に対して、素直に感嘆した。(否定するより、素直に肯定した方が面白そうだ)、とワルドは判断したのである。また、(まあ、否定したところで仕方がない。最悪、騎士隊にでも囲まれる羽目になるだろう)とも考えた。

「そうですが。でも、私達はもう、”レコン・キスタ”とは何の関係もありませんよ」

「知っております」

「どうして我々を知っているのですか?」

「貴方方は有名人ですから……」

 ワルドは後ろを振り向いた。

 フーケが、やれやれと言わんばかりに両手を上げる。

「失礼ですが、あのその、貴方方が入国してから、常に監視させて頂いていました。申し訳ありません」

 ワルドは、(流石は“ロマリア”、といったところか。一応、かなり入念に変装して、身元を偽って入国したつもりだったのだが)と想い、笑みを浮かべた。

「貴方方の掌の上で、泳がされていたという訳ですな。では、我々が行っていたつまらないこそ泥も、御存知という訳だ」

 少女は、コクリと首肯いた。

「本は御返しします。もう、読んでしまいましたから。それで勘弁願えませんか? 我々は、貴方方とことを構えようという気は更々ありません。単に調べ物がしたかったのです。それに、“聖戦”も支持しております。何なら協力しても良い」

 ワルドがそう言うと、少女は、ホッとした様に溜息を吐いた。

「そう言ってくださると、助かります。実はその、貴方方の協力が欲しくて、私は主人に遣わされたのです」

「貴女の主人とは?」

 すると少女は恭しく一礼して、懐から1通の手紙を取り出した。

 差出人の名前を見て、ワルドは表情を変えた。

 

――“民の下僕。ヴィットーリオ・セレヴァレ”。

 

「……教皇、聖エイジス32世が、貴女の主人なのですか?」

 少女は、頭を下げたまま、ワルドへと告げた。

「我が主は、貴方方を御待ちで御座います」

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