“ゲルマニア”の上空を、“オストラント号”は航海していた。“ガリア”の上空は“ロマリア”が押さえているために避け、“オストラント号”の所属国である“ゲルマニア”を使ったのである。
ルイズは船首に立ち、ジッと東の地を見詰めていた。航海中、寝る時以外はズッとそうしているのである。
その姿は、まるで伝説の“聖女”のようであるといえるだろう。新天地を求めて航海する船を導く、聖なる道標……。
だが、そんなルイズの姿を見守るシオン以外の仲間達は気が気ではなかった。
ルイズはなにせ、情緒不安定なところがあるためである。
才人が“エルフ”に攫われて、もしかしたら心を失わされているかもしれない。そのような状況……ルイズにとっては、気が気ではなであろう。心配、などといえるモノではないであろう。
いつなんどき、ルイズが絶望して“フネ”から飛び降りても可怪しくはないのである。
「あいつ、大丈夫かな? ずっとあの調子だぜ?」
マリコルヌが、心配そうな声で言った。
“オストラント号”が、“ド・オルニエール”を発ってから10日ほどが過ぎている。本当であれば、3日もあれば“ゲルマニア”を抜け、“未開の地”と呼ばれる森と荒野が広がるほぼ無人の地を抜け、今頃は“
その間、ルイズがずっとこのような調子である。苛々するのではなく、取り乱すこともなく、大人しく東の地を見詰めているのである。
そんなルイズの様子が誠に意地らしく、また健気で、同時にとても悲しく、仲間達は遣る瀬無い気分に成るので在る。
「うーん……何だか想い詰めてる様子だね」
ギーシュは、いつだか、皆がそう言っていたために才人が死んだ、と想ったルイズが“火の塔”から飛び降りたことを想い出し、首を横に振った。
「あの時は僕の造ったサイトの像がルイズを救ったが……今回ばかりはキツイな」
「なあ。僕達で慰めてやろうじゃないか」
マリコルヌが、慈悲溢れる笑みを浮かべて、ギーシュの肩を叩く。
「うーん、君はなにもしない方が良いんじゃないかね?」
「なにを言うんだ? 僕はこれでも、女の子を慰めたら天下一。慰めキングこと、マリコルヌ・ド・グランドブレだよ。“トリスタニア”じゃ、僕に慰められたい女の子で行列ができるほどなんだ」
嘘にもほどがある。
だが、確かにルイズの事を心配していることも理解るであろう。
ギーシュは、(心のケアをしてやらんとなあ)と腕を組んで考える。
「なに善からぬ相談してるのよ?」
甲高い、怖い声が響いた。
振り返ると、眼鏡をキラーンと光らせて、長身、細身の女性が立っていた。
「御姉様! 僕の御姉様!」
マリコルヌがガバッと抱き着こうとしたので、エレオノールはサッと避けると見事に足を振り回し、マリコルヌのその出張った腹に爪先を捻じ込んだ。
「フゲッ!?」
まるで蛙が潰されたような声を上げ、マリコルヌは甲板に倒れ込む。
「だから」
エレオノールは、マリコルヌのその腹を更に蹴り上げた。
「御姉様と」
エレオノールは、マリコルヌのその腕を踏み付けた。
「呼ぶな!」
エレオノールは、マリコルヌの顔を踏み付ける。
マリコルヌはピクピクと痙攣し始めた。
エレオノールはマリコルヌに一瞥すらくれずに、ギーシュに向き直る。
「仰い」
「よ、善からぬ相談なんかじゃないです! 僕達でルイズを慰めてやろうか、なんて相談していたんです。はい」
冷や汗を垂らしながらギーシュは説明した。
「全く! あんた達みたいな碌でなしに、女の子が慰められる訳ないじゃないの」
エレオノールは、キッ! と目尻を上げると、言い放つ。
「その通りです。僕達は、御姉様の足元にすら及ばない虫けらですから……」
甲板の上をのた打ち回りながら、マリコルヌが言った。
「良いから私に任せときなさい」
「ホントですか!? 御姉様の慰めテク、拝見できるですか!?」
マリコルヌがピョコンと立ち上がり、興奮したように捲し立てる。
エレオノールはルイズの元にツカツカと近付いて行く。
不安げに、ギーシュとマリコルヌがその後に着いて行く。
「ルイズ」
エレオノールがそう呼び掛けると、ルイズは振り返った。
ギーシュは、う、と息を呑んだ。
ルイズの顔が、まるで悟り切ったような、穏やかなモノであるためだ。どことなく、無理をしている、とそんな空気が滲み出ているのである。
「エレオノール姉様。どうしたの?」
「あのねルイズ。男は1人じゃないのよ。世の中の半分は男。だから元気を出すのよ」
「最悪だ」
ギーシュは呻くように感想を漏らした。
「すんごい……いきなり呑底に叩き落とすなんてぇ……流石おねえたま……ハァ。ハァハァ」
マリコルヌは、息を荒くしながら、そんな姉妹の様子を見詰めている。
「え? え?」
ルイズが驚いていると、エレオノールは言葉を続けた。
「私もね、かつて将来を誓い合った殿方がいたわ。バーガンディ伯爵。初めはね、運命だと想ったの……だから婚約を解消された時は傷付いたわ。でも、時が経てば理解るの。あれは、麻疹みたいなモノなんだって」
「こういう時の自分語りって苛つくもんだよね」
「うん」
ギーシュとマリコルヌが首肯き合う。
だが、ルイズはそんなエレオノールにニッコリと微笑んだ。
「ありがとうエレオノール姉様。私を慰めてくれようとしてるんでしょう? でも、私なら大丈夫」
「ルイズ?」
「これはもう駄目なんじゃないかって時も、何度もあった。でもそのたびに、あいつはいつも笑って帰って来たの。あいつの居場所は、私の側しかないし、私もそうなの。それはね、理屈じゃないの。決まってるの。だから絶対に、今度も大丈夫。“令呪”だってある。夢で、何度も繋がりを確認できてるわ。だから大丈夫」
エレオノールは、はぁ、と溜息を吐いた。
こういったことに弱いギーシュは、感極まって涙を流している。
マリコルヌが、ポツリと言った。
「ルイズの言う通りだ。あいつは生きてる」
「マリコルヌ」
「僕は2人の“愛”に感動した。“ゼロ”だのなんだの昔は馬鹿にしてごめんな」
「ううん。良いの。私こそ、さんざん非道いこと言ったし、蹴ったり殴ったりしたわね。ごめんね」
「なに。気にしてないよ。ところであいつはなんのかんの言って、大丈夫だと想うけど。心配事が1つあるね」
「心配事?」
「ああ。あれだ。ティファニア嬢も一緒に攫わられたじゃないか?」
「そうね」
「良いか? ルイズ。冷静になって聴くんだ。セイヴァーがいるから一線を越えることはないだろうけど、そう言った極限状態では、男女の仲と言うものは深まりやすい」
「傾聴に値するわ」
ルイズは身を乗り出した。
「これは僕の妄想だがね。まあ、こんな状態が予想される。“ああサイト。私達、これで御終いだわ”。“馬鹿を言うんじゃないテファ。希望を捨てるな”」
「続けて」
「“サイト抱いて”」
「ちょっと待って。“希望を捨てるな”と“サイト抱いて”の間が見えない」
「良いか? ルイズ」
マリコルヌは、もっともらしく首肯いた。
「それが極限状態と言うモノなんだ。とまあそんな訳で、“テファ。胸大きいよテファ。ルイズなんかよりおっきい”。“ああサイト。ああサイト。ルイズよりおっきい胸、気持ち好い?” ――ゲフッ!?」
「殴って良い?」
「殴ってから、言わないでくれるかい?」
鼻を押さえながら、マリコルヌは言った。
「そんなことある訳ないわ」
「いやまあ。と、これが僕の考える心配事でね」
マリコルヌは、深い溜息を吐いた。
「あのでっかい胸を、サイトがどうにかすることを考えただけでぼかぁ、なんて言うか……」
「なんて言うか?」
「取り敢えず感想、訊いてやるぞと。絶対に」
「死んだ方が良い人って、いるのね」
「褒めるない」
「褒めてないわよ!」
「兎に角、そんなことになってたら、どうする?」
ルイズは胸に手を置いて、首を横に振る。
「ありえないわ。あいつは私に夢中だもの」
「どのくらい?」
マリコルヌに尋ねられ、ルイズは、最近では自分の方が夢中であるということに気付いた。気付くと、ジッと見詰めていて「チューしてくんなきゃ寝ない」くらいのことも言っているということを想い出す。
だが、そのようなことを言って、マリコルヌに舐められるのも癪だということもあり、ルイズは得意げに髪を掻き上げた。
次いで、ルイズは、“愛”された記憶を探る。(そうね。“ド・オルニエール”で、エレオノール姉様に怒られて、別々の部屋で練ることになった時……あいつってば、メイドやタバサを差し置いて、ちゃんと私の部屋に来たわ。それで、優しく肩を抱いて……きゃー! “俺にとってはおまえが全てだ”、なんてきゃー!)、と想い出し、(ヤバイ。私、“愛”されてるわ)と胸を押さえた。
「ルイズ?」
「“愛”されちゃってるわ。不味いわ……」
傍から見てると、道を譲るべきほどのタイプのアレにしか見えないのだが、これはルイズの自分に掛ける呪文のようなモノである。そうすることで、天下無敵の美少女としての自信が沸々と漲って来る効果があるのであった。
そうして、(私のサイトへの好きより、サイトの私への好きの方がおっきい。馬鹿ねー。そんなに私のこと好きでどうするのかしら? わ、私の好きなんてぇ、精々こんくらいよ。蟻の頭。あんたの好きはー、“ドラゴン”の頭)とそんな風に想うことで、どんな逆境にも負けるもんですかといったパワーが、ルイズの中で湧き上がって来るのである。
「あいつってば、2人切りになると凄いのよ。いつまでもジッと私のこと見てるの。それで“キスして良い?” なんて訊くのよ。私が、そんな気分じゃないのって断るでしょ? そしたらね、あいつどうすると想う?」
「知らない」
「土下座」
「いやいくらなんでも」
「ホントよ」
ルイズはいきなりガバッと甲板に身を伏せた。
「“ルイズ様~、ルイズ様~。ルイズ様のその柔らかで麗しい唇に~、この犬めの~、犬めの~、唇を~、ちょっと触れさせることを御許しください~”」
そこでルイズは、自分を見詰める多数の視線に気付き、ハッと顔を上げた。
エレオノールとギーシュの他、いつの間にか、キュルケにコルベール、シエスタ、そしてタバサにシルフィードがいるのである。
皆が呆れた顔で見ていることに気付き、ルイズは顔を真っ赤にした。以前のルイズであれば、ここで恥ずかしさの余り部屋に飛び込んで毛布を冠って引き篭もったであろう。が、今のルイズは違う。
正々堂々と、ルイズは言った。
「まあ、あいつってばこんくらい私に惚れてるから。しょうがなく救けに行って上げるの。御褒美ね」
その場の全員が爆笑した。
「そうだな。君みたいな困った女に惚れた男だものな。そんな良い奴、放って置く訳にはいかないよなー」
ギーシュが悩ましげに首を振って言った。
「なに言ってるんですか。サイトさんがどうにかなる訳ありません。きっとティファニアさんとセイヴァーさんと3人、元気でやってますわ」
澄ました顔でシエスタが言い放つ。彼女はどんな時でも才人を信頼し切っている。負けることなどありえない、と想っているのである。
「そうよね」
ルイズは首肯いた。それから、(この場にいる全員が、自分の気持ちを理解ってる。シオンに“大丈夫”って言われて頭で理解はしててても、ホントは不安で押し潰されそうなこと、ホントは怖くてどうにかなってしまいそうなこと、必死になって自分を励ましてること、皆そんな自分をなんとか励ましたくって、でもどうすれば良いのか判らなくて。マリコルヌや、ギーシュや……エレオノール姉様だってそう。そうよ。絶対に落ち込んだりしない。負けるものですか。最後の最後まで、あいつを信じる。絶対に大丈夫だって。サイトとティファニア、セイヴァー……3人共、絶対に救け出す)と自分に言い聞かせた。
でもそれでも……当然、完全に不安を拭うことなどできるはずもない。必死になって自分を奮い立たせても……もしかしたら、という、悪い想像が直ぐにルイズの頭の中を覆い尽くそうとする。消えないのである。1度は希望で満ちたルイズの心の中に、不安は直ぐに忍び寄り、そのような根拠のない、希望、を闇色に染めてしまうのである。1度そのような不安に襲われると、先程の高揚も、自信も、直ぐにどこかに行ってしまうのである。
この1週間はずっとその繰り返しで……ルイズの心はもう限界であった。
顔を逸らして溜息を吐くルイズを見て、コルベールは微かに眉を顰めた。それから、努めて平静を装った声で、一同に告げた。
「では諸君。前方に川が見えるだろう?」
遥かな雲の下、地平線と平行に流れる川が見える。
「あの川を超えれば、いよいよ、“未開の地”だ。正確には“エルフ”の土地ではないが、勢力圏内ではある」
一同は、緊張に身を硬くした。
「で、ジャン。これからどうするの?」
キュルケにそう尋ねられ、コルベールは一同を見回した。授業で、実験のやり方を説明するような何気ない調子で、コルベールは言った。
「それでは作戦を説明する。後3時間で日没だ。夜を待って、川を超える。その後は一直線に“エルフ”の国“ネフテス”の首都、“アディール”を目指す」
一同は息を呑んだ。
「そ、それが作戦だ」
ギーシュが、呆れた声で言った。
まるで猪のような猪突猛進であり、とても作戦と呼べるような代物ではないためだ。
「そうだ。“エルフ”に小細工は通じない。我々の武器はこの“オストラント号”の持つ快速と“サーヴァント”であるイーヴァルディ君とハサン君だけだ。この艦が全速力を出せば、追い付ける“フネ”は“エルフ”だって持っていない」
「“アディール”に着いた後は?」
「あの土地には、“評議会”が置かれた“カスバ”と呼ばれる大きな塔があるらしい。私も見たことはないが、恐らく城のように目立つ建物だろう。そこにこの“オストラント号”で乗り付ける」
「で?」
「一気に下船して、“エルフ”の高官を、誰でも良いから人質に取る。その人質と、サイト君とティファニア嬢、そしてセイヴァー君を交換する」
一同は、本格的に絶句する。
「そ、そんな……敵の本拠地ですよ? どう考えたって無謀だ」
「どれだけの警備が施されていると想っているんですか?」
エレオノールも、目を見開いて言った。
ギーシュが、首を振った。
「“エルフ”もそう想う」
コルベールは、淡々とした声で言った。
「まさか自分達の本拠地に、無謀にも突っ込んで来るとは考えない。“エルフ”は頭が良いから、逆になにか罠があると想って二の足を踏むだろう。なるほど、彼等“エルフ”にとって見れば、我等は蛮人かもしれぬ。だから思い切り、蛮人に成り切ってやろうじゃないかね?」
「もし失敗したら、どうするんですか?」
と、エレオノールが尋ねた。
「その時は潔く全員討ち死にだ」
アッサリとコルベールは言った。
「そんな無責任な!」
「だから私は強制しない。船員達も、全て此の前の港で下ろした。下りたい人間は、今の内に言ってくれ。この“フネ”ならば、私だけでも1日くらいなら動かせる」
一同に緊張が奔る。
だが当然、誰も、「下りる」、とは言い出さなかった。
コルベールは、「ありがとう」と頭を下げると、歩き出した。
キュルケがその後に続く。
歩きながら、(なんて計画だ)、とコルベールは己を恥じた。
こういった計画は、最低でも向こうの建物の見取り図を使って緻密な計画を立てねば、成功など覚束ないモノである。況してや、未知の土地で、そこに救出の対象が捕まっているかどうかも定かではない状況では。誰を人質に取れば良いのかも判らない。究極の行き当たりばったりである。
皆から離れたあと、溜息混じりにコルベールは呟いた。
「私は正しいかね? どう考えても成功しそうにない。たぶん私達は死ぬだろう。そう言うくらい考えは良くないと想うんだが……冷静に考えると、他の結果が想い浮かばないよ。全くもって、“エルフ”は慈愛に満ちた種族ではない。敵に容赦はせんだろう。私だけで行こうとも考えたが、それでは万が一にも成功は覚束ない。無から、万分の1の可能性に賭ける……繰り返すが、そんな選択をした私は正しかったのかね?」
キュルケは、そんなコルベールの肩に手を置いて言った。
「正しいか、正しくないかは、余り問題じゃあないわ。やるか、やらないかよ」
「有り難い言葉だ。でも確実に、1つだけハッキリしていることがある。私はここで行かなかったら絶対に一生後悔するということだ」
あたしもよ、とキュルケは笑った。
「皆もそうよ。だからここにいるの。安心して、絶対に上手く行くわ。根拠なんかないけどね」
それからキュルケは、溜息を吐いた。
「でも、あの娘、大丈夫かしら?」
「そうだな……」
コルベールも悩ましげな顔になった。
「結局、最後はあの娘の“虚無”が頼りでしょ?」
「ああ」
「さっきは随分強がってたけど、あれで相当参ってるわよ。悲観しちゃうタイプだから」
「理解ってる」
コルベールもそれが悩みであった。唯一、成功の可能性があるとすれば……“サーヴァント”の存在と、ルイズの“虚無”が全力を発揮することができた時……その2つが揃った時だけだからである。
“エルフ”を本当の意味で負かせることができるのは、コルベール達が知る中では、“虚無”だけである。その“担い手”が、不安に押し潰され、実力を発揮できなかったらどうなるであろうか。
万に1つの可能性もなくなっってしまうであろう。
だが、こればかりは自分達ではどうにもならない、ということもまたコルベールは重々に理解していた。
ルイズに真の意味で励ましを与える事が出来るのは……。
コルベールは立ち止まるとキュルケに言った。
「あのメイド……シエスタ君、そしてシオン女王陛下を呼んでくれるかね?」
「理解ったわ、ジャン。そう言えば……シオン、さっきはいなかったけど、どうしたのかしら?」