陽光眩しい“アウストリの広場”で、才人は地面いっぱいに這いつくばり激しく身震いした。それから顔を上げ。自分がプロデュースした芸術品を見詰めた後、再び感動した様子で悶狂った。
はぁはぁはぁ……と、彼の呼吸は荒く熱い。
胸の高鳴りは何度も絶頂を数え、才人を魂のユートピアへと運んで行く。
才人は、「震えろ、鼓動のビート。高鳴れ、望郷のハート。もっともっと熱く震えて、俺の天才を祝福してくれ……天使はいた。ここにいた。生きてて良かった……」と小さく呟き、地面に生えた草を握り締め、高らかに咆哮した。
「うぉおおおおおおおおおおおおおおおオオオオッ! 俺ッ、サイッコォオオオッ!」
それから、彼にとっての眼の前の天使を指さした。
「シエスタも最高ぉおおおおォォォォッ!」
シエスタは唖然として、才人が悶狂う様を見つめている。
思わず彼女は、「サイトさん、ヘン……」と呟く。
そのくらい、才人の様子は尋常ではなかったのである。
俺もまた思わず少し引いてしまった。同時に、前世での――生前での俺もまた、今の彼とベクトルは違えど似たようなモノだっただろうと自嘲する。
「で、でも、この服……」
「な、なにッ? どうしたの? どこか不具合でもッ!?」
シエスタの言葉に、才人はガバッと跳ね起き、彼女に詰め寄った。
「い、いえ……だってこれ、軍服なんでしょう? わたしなんかが着ても、様にならないんじゃ……」
「馬鹿言うなッ!」
才人の剣幕に、ひっ、とシエスタは後退った。
「こっちのぉおおォォッ! せせ、世界ではぁッ! 確かにそれは水兵服かもしれまセンッ! でむぅぉおオッ! 僕たちの世界でぇはァアッ! シエスタくらいの年の女の子はそれ着て学校に通うッ! 現在進行系で通っているぅううウウウウウッ!」
「は、はい……」
シエスタは圧倒され、「ああ、サイトさん、ヘンを超えてる……」と呟く。
それから才人は半泣きで絶叫した。
「それは僕たちの世界でセーラー服と呼ばれてますッ! 生まれてすいましぇえエエンッ!」
「そ、そうなんですか? セイヴァーさん」
「ああ、厳密には違うがね。正確にかつ噛み砕いて言うのであれば……そうだな、俺たちの世界にあるセーラー服と呼ばれる服は、元軍服。俺たちの国の“日本”とは違う、異国の水兵が着ていたモノを輸入し、改造及び改良し、流れ、発展したモノだ。とにかくお前は、自重しろ、才人……」
シエスタは、(そうだったのね。これはサイトさん達の故郷の格好なんだわ……)と思った。
昨晩、才人がシエスタの元を訪ね、表情で件の水兵服をシエスタへと強張った表情で手渡し、「シエスタが着られるように仕立て直してくれ」と言ったのだ。その時間、シエスタは、(正直サイトさんの頭が沸いてしまった)と思った。それでもシエスタは、才人が自分の服を買って来たことが素直に嬉しく感じられたのである。
そして今、故郷の装いをさせて悦ぶ才人を“愛”おしく感じてしまっている。今の才人は普通であればドン引きする以外はありえないだろうほどの様子であるのだが、シエスタはそんな理由で頬を染めているのである。
「最初はサイトさんが可怪しくなったと思ったけど、そんな理由があったのね……」
シエスタは、「理解りました!」と首肯いて、真顔で才人に向き直った。
「どうすれば、もっと喜んで貰えるんですか?」
才人は上から下までシエスタの格好を見詰め直した。
まず上着。“アルビオン”の水兵服を仕立て直した逸品である。白地の長袖に、黒い袖の折り返し。襟とスカーフは濃い紺色である。襟には白い3本線が走っている。
そして、才人はその天才性を丈に凝縮させた。彼は、極力、胴の丈を短くするようにシエスタへと指示したのである。上着の丈は短く詰められ、スカートの上位までしかない。スタがって、シエスタが身を捩るたびに、ヘソが見えるのだ。
そしてスカート。いけないことなのだが、ルイズの替えの制服を無断で借用しているのである。元々プリーツが付いていたこともあって応用が利いている。これもまた極力、丈を詰めさせたらしい。結果、“
そして靴下。才人の趣味と現実が鬩ぎ合うところであった。才人は慎重に紺色の靴下を選び出し、あてがったのだ。
靴。いつもシエスタが履いている編み上げのブーツである。輝く芸術の唯一の傷であると言えるだろう。ここはやはりローファーが欲しいところだろうか。しかし悲しいかな、この世界にはローファーは存在しなかったのである。
とにかく全て才人が吟味し、あらゆる部分に口を出し、コーディネイトした品々であった。
いつもはエプロンに隠れて存在がわからない、いけない胸が、その手製のセーラー服を持ち上げている。羚羊のように健康そうな脚はスラリと伸びて、膝上15cmのスカートに吸い込まれているのだ。シエスタは普段短いスカートを履かなないので、俺と才人は懐かしさと新鮮さが入り混ざった感情を覚え、その感動は一入であると言えるだろう。
「言って! サイトさん! どうすればわたし、もっとサイトさんの故郷に近付けるの!? セイヴァーさんも!」
才人も、俺も考えた。特に、才人は真剣に、命懸けといった様子で。
色々なパターンが頭の中に蘇る。高性能の計算機の如く、才人の頭が回転している。
才人の心の声が、「サイト、アレシカナイヨ」と呟き、「そうだよ。それしかねえ……ねえンだ……」、と泣き出しそうな声を絞り出した。
「回ってくれ」
「え?」
「クルリと、回転してくれ。そしてその後、“お待たせッ!”って元気良く俺に言ってくれ」
幼い頃、「近付いちゃイケませんよ」と母に教えられたタイプの男性と才人がダブり、シエスタは引いた。
「嫌なら断っても良いんだぞ」
だが、それ以上に、シエスタは才人を喜ばせたかった。決心したように、俺の言葉ではなく才人の言葉に対して「は、はい……」と首肯いて、シエスタは回転した。
スカーフとスカートが軽やかに舞い上がる。
「お、お待たせっ」
「ちがーうッ!」
「ひっ!?」
「最後は指立てて、ネ。元気良く。もう1回」
シエスタは首肯くと、言われた通りに繰り返した。
見ると、才人は泣いていた。
「きき、き、君の勇気にありがとう」
シエスタは、(良いのシエスタ? この人で、本当に良いの?)といったそんな思いが冷静な部分からちょっぴり湧いて来たが、彼女はそんな考えを抑え込んだ。そして、(誰にだって、人に言えない趣味嗜好があるわ。サイトさんだって例外じゃない。そうよ、それだけよ……そう、それだけっ!)と自分に明るく言い聞かせ、ニッコリ微笑む。シエスタは強いのである。
「次はどうするの?」
「えっと、次は……」
才人が腕を組んで考え込むと、ギクシャクとした足取りの2人組がこちらへと歩いて来た。
ギーシュとマリコルヌだ。今この時期では、珍しい取り合わせであるといえるだろう。
2人は、ジッとシエスタのことを物陰から覗いていたのだ。
おほん、とギーシュがもったいぶった咳をする。
「それは、なんだね? その服はなんだねッ!?」
ギーシュは何故か泣きそうな顔で怒ったような、興奮した様子で口にした。マリコルヌも、ワナワナと震えながらシエスタを指さした。
「けけ、けしからん! まったくもってけしからんッ! そうだなッ! ギーシュッ!」
「ああ、こんなッ! こんなけしからん衣装は見たことがないぞッ! のののッ!」
「ののの脳髄をッ! 直撃するじゃないかッ!」
2人の目は爛々と輝き、シエスタを食い入るように見つめているのだ。
シエスタは、「わーん頭痛いの増えたー」と切なくなったが、相手は“貴族”である、仕方なく愛想笑いを浮かべて上げた。
マリコルヌとギーシュは、その笑顔とセーラー服に完全にやられたらしく、フラフラと夢遊病者のような足取りで近付いて来る。
シエスタは見の危険を感じ、「じゃ、仕事に戻りますッ!」と一声告げて疾走り去った。
その後ろ姿を見守りながら、ギーシュは「可憐だ……」と夢見るような口調で呟いた。
マリコルヌもまた、「まったくだ……」とうっとりした声で呟いた。
「なんなんだよ!? お前ら!?」
才人が怒鳴ると、2人は我に返った様子を見せる。
それから、ギーシュは才人の肩を抱いた。
「な、なあ君。あの衣装をどこで買ったんだ?」
「訊いてどうする?」
ギーシュは、はにかんだ笑みを浮かべて言った。
「あ、あの可憐な装いを、プレゼントしたい人物がいるんだ」
「姫さま?」
「馬鹿者! 恐れ多い! 恐れ多いぞ! 姫殿下は、今や女王陛下だ! ああ、手の届かない、高い場所に行ってしまわれた……姫殿下ならまだしも、女王陛下では……」
高いも何も、はなから全然相手にされてなかったのだが、才人と俺はそれを黙る。
「それでやっと、僕は思い出したんだ。いつも側にいて、僕を見つめ続けてくれていた可憐な眼差しを……あの麗しい金髪を、芳しい、香水のような微笑を……」
そこでようやく才人は、「ああ元カノか」と気付いた様子を見せる。
「モンモン?」
「モンモンじゃない! モンモランシーだ!」
「なるほど、よりを戻したくなったのか。お前って本当に節操ねえのな」
「君に言われたくない。さてと、では教えたまえ。どこで売ってた?」
「ふん。お前なんかに芸術が理解るかっつの」
才人は、(故郷の想い出を、お前なんかに汚されたくはない)といった表情を浮かべ、吐き出すように言った。
「仕方ない。今の出来事をキチンと報告した上で、ルイズに尋ねて見よう」
ギーシュは、俺へと質問することなく、才人をねだるための言葉を口にする。それは、まったく魔法の言葉であると言えるだろう。
「あと2着ある。好きに使ってくれ」
才人から最大限の譲歩を、瞬間的に引き出したのだから。
「しっかし、あの装いはなんなんだ? どっかで見たことあるような……確か水兵が着ている服じゃないのか? それが、うーむ。女の子が着るだけで、あんなに魅力を放つとは! 不思議だ」
腕を組んで、才人は胸を反らせて言った。
「当然だ。俺たちの故郷の、魅力の魔法がかかってる」
さて、その日の夜。
長い金色の巻き毛と鮮やかな青い瞳が自慢のモンモランシーは、寮の自分の部屋で“ポーション”を調合していた。どちらかというと痩せぎすで背の高い身体を椅子に預け、夢中になって、ルツボの中の秘薬をすりこ木で捏ね回している。
“水系統メイジ”である、“香水のモンモランシー”の趣味は“魔法の薬”……“ポーション”作りである。そして“二つ名”の通り、香水造りを得意としているのだ。彼女の造る香水は、独特の素敵な香りを醸し出す逸品と騒がれ、貴婦人や街女たちに大人気なのである。
この日モンモランシーは、とある“ポーション”造りに熱中していた。
ただの“ポーション”ではない。いけないことにそれは禁断の“ポーション”。国の触れで、作成と使用を禁じられている代物であった。
モンモランシーは造った香水を、街で売ってコツコツお金を貯めた。そして今日この日、その貯めたお金を使い、闇の魔法屋で禁断の“ポーション”のレシピと、その調合に必要な高価な秘薬を手に入れたのである。趣味は道徳に勝る。普通の“ポーション”を作り飽きたモンモランシーは、見付かったらただでは済まず、大変な罰金が科せられると知りつつも、禁断とやらを造ってみたくなってしまったのであった。
滑らかに磨り潰した香水や“竜硫黄”や“マンドラゴラ”などの中に、いよいよ肝心要の秘薬……大枚叩いて手に入れたその液体を入れようと、かたわらの小瓶を手に取った。
ほんの少量……香水の瓶に収められた、わずかのこの液体のために、モンモランシーは貯めたお金のほとんどを使ってしまったのである。“エキュー金貨”にして700枚。“平民”が、5~6年は暮らせるだろうだけの額であった。
零さぬように細心の注意を払いながら、小瓶をルツボの中へと傾けていると……扉がノックされて、モンモランシーは跳び上がった。
「だ、誰よ……こんな時に……」
机の上の材料や器具を引き出しの中に仕舞う。それから、髪を掻き上げながら扉へと向かった、
「どなた?」
「僕だ。ギーシュだ! 君への永久の奉仕者だよ! この扉を開けておくれよ!」
モンモランシーは、「だーれーがー永久の奉仕者よ」と呟いた。ギーシュの浮気性にはホトホト愛想が尽きていたのだ。並んで街を歩けばキョロキョロと美人に目移りするし、酒場でワインを呑んでいれば、自分が少し席を立った隙に給仕の娘を口説く。終いにはデートの約束を忘れてよその女の子のために花を摘みに行ってしまう。
流石にこれでは、永久が聞いて呆れるだろう。
モンモランシーは、イライラした声で言った。
「なにしに来たのよ? もう、貴男とは別れたはずよ」
「僕はちっともそんな風に思っていないよ。でも、君がそう思うのなら、それは僕の責任だね……なにせ、僕はほら、綺麗なモノが大好きだ。つまり僕は美への奉仕者……君も知っての通り、芸術、そう芸術! 綺麗なモノに目がないのでね……」
モンモランシーは、(芸術が大好き? 趣味が悪いくせに良く言うわ。デートの時に着て来るシャツの色はギンギラの紫だし、赤と緑色スカーフを巻いて来た時間なんか頭痛がしたわよ)と思った。
「でも、僕はもう、君以外を芸術とは認めないことにした。だって、君はなんだか1番芸術してるからね。えっと、金髪とか」
「帰って。わたし、忙しいの」
モンモランシーが冷たくそう言うと、しばらく沈黙が走った。
その後、「おいおいおい」と廊下でギーシュが泣き崩れる声が聞こえて来た。
「理解った……そんな風に言われては、僕はこの場で果てるしかない。“愛”する君に、そこまで嫌われたら、僕の生きる価値なんて、これぽっちもないからね」
「勝手にすれば」
モンモランシーは、(ギーシュみたいな男が、フラれたくらいで死ぬ訳がない)といった考えから釣れない態度を崩さずにいる。
「さて、ではここに……せめて、君が暮らす部屋の扉に僕が生きた証を、君を“愛”した証拠を刻み付けようと思う」
「ま、なにするのよ!? やめてよ!」
ガリガリガリと掻いたなにかで扉を引っ掻く音が聞こえてくる。
「“愛”に殉じた男、ギーシュ・ド・グラモン。永久の“愛”に破れ、ここに果てる……と」
「と、じゃないわよッ! もう!」
モンモランシーは扉を開けた。
ギーシュは満面の笑みを浮かべて立っていた。
「モンモランシー! “愛”してる! 大好きだよ! “愛”してる! “愛”してる!」
そして、ギーシュはモンモランシーをギュッと抱き締める。
一瞬、モンモランシーはうっとりとしてしまった。
ギーシュはとにかく「“愛”してる」という言葉を連発する。ボキャブラリーが貧困な所為ではあるのだが、その台詞を何度も言われることで、モンモランシーは(悪い気はしない)と感じ始めたのである。
それからギーシュは、持っていた包みをモンモランシーに手渡した。
「……なにこれ?」
「開けてごらん。君へのプレゼントだよ」
モンモランシーは包みを解いた。
それは例の水兵服であった。才人経由でシエスタに頼んで、モンモランシーの身体に合うように仕立て直してあるモノだ。
ギーシュは、仲良くなった女の子のサイズを欠かさず暗記しているのである。
「変な服……」
モンモランシーは眉を顰めた。
「着てごらん? 似合うはずだよ。君の清純が何倍にも増幅されるから。ほら。早く。なに、僕はあっちを向いているさ」
ギーシュは後ろを向くと、忙しげに爪を噛み始めた。
モンモランシーは仕方なさから、シャツを脱いでその上着を着てみた。
「良いわよ」
振り向いたギーシュの顔が、パァッと華やいだ。
「ああ、モンモランシー……やっぱり君は清純だよ……僕の可愛いモンモランシー……」
呟きながら、ギーシュはキスをしようとした。
すっと、その唇をモンモランシーは遮る。
「モンモン……」
悲しげに、ギーシュの顔が歪む。
「勘違いしないで。部屋の扉は開けたけど、こっちの扉は開けてなにの。まだ、貴男とやり直すって決めた訳じゃないんだから。あと誰がモンモンよ」
ギーシュはもう、それだけで嬉しくなった。それは脈があるということなのだから。
「僕のモンモランシー! 考えてくれる気になったんだね!」
「理解ったら、出てって! 用事の途中だったんだから!」
ギーシュは、「はいはい出て行くとも、君がそう言うならいつでも出るさ」、とピョンピョン跳ねながら部屋を出て行った。
モンモランシーは、鏡に自分の姿を映して見た。
「なによこれ……こんな丈の短い上着、恥ずかしくって着られる訳ないじゃない!」
だが、良く見ると結構可愛らしいデザインである。
思わず顔を赤らめるモンモランシー。(ギーシュはわざわざ、これを私のために誂えてくれたんだ。うむむむ……あんな風に好き好きだ言われて……そりゃまあ気分は悪くないわ。元々付き合ってたんだし、嫌いではないんだから)といった様子を見せ始める。
「どうする? 赦しちゃう?」
だが、かつてのギーシュの浮気っぷりを思い出した。(再び付き合ったって、同じことの繰り返しじゃないのかしら。もう浮気で焼き餅するのは懲り懲りだし。どうしようかなー?)、と考えているうちに、調合していた“ポーション”のことを思い出した。
引き出しを開ける。先ほど隠した、香水の小瓶に入った秘薬が見えた。
モンモランシーは首を傾げて、考え込んだ。
それから、モンモランシーは(うーん、良い機会だし……効果のほども試せるし……この“ポーション”が完成したら、ちょっと使ってみようかしら)、と思った。
翌朝、教室中が入って来たモンモランシーに一斉に注目した。
果たして、彼女はセーラー服姿で現れたのである。
男子生徒たちが逸速く反応を示した。水兵服と女の子の、今まで想像もしなかった絶妙な組み合わせに新鮮な清楚さを感じ、夢中でモンモランシーに魅入ってしまっているのだ。
女子生徒たちは、そんな風に男子たちが反応したことに対して急速に嫉妬と羨望を覚え、モンモランシーを睨み付けた。
モンモランシーは教室中の視線を独り占めにしたということまおり、気分が良かった。腰に手をやり、得意そうにツンと澄まして上を向いて、自分の席へと向かった
ルイズもあんぐりと口を開けて、モンモランシーを見つめた。そして、(あれは確か、サイトが街で買った“アルビオン”軍の水兵服じゃないの?)と勘付く。
ルイズは隣でなぜかガタガタと震えている才人を突いた。
「ねえ、あれってあんたが買った服でしょ? どうしてモンモランシーが着てるのよ?」
「あ、ああ……その、えへ、あ、ギーシュがくれって言うから……」
そう言えばギーシュとモンモランシーが付き合っていたことを、ルイズは思い出した。
ルイズからの「なんでギーシュに上げたの?」といった質問に、才人の身体がさらに震えた。
「え? だって、欲しいって言うから……」
ルイズは、才人の態度に怪しいモノを感じ、「ねえ、なにを私に隠してるの?」と詰め寄り、ジロッと睨む。
「え? ええ? なにも隠してないよ! 嫌だなあ……」
才人はジットリと冷や汗が流れるのを感じた。(まさか、モンモランシーが教室に着て来るとは思うわなかった。あれをシエスタにプレゼンとしたことがルイズにバレたら……ルイズ、怒り狂うに違いない。こいつってば、“使い魔”の俺が女の子と仲良くすることがつまらんらしいし。別に俺のこと好きでもなんでもないくせに、許せないらしい。きっと、いつもルイズが言っているに“ご主人さまを蔑ろにする、他の女の子と仲良くする”のが癪に障るんだろうな。なんちゅうの? とにかく“使い魔”に対する独占欲の一種みたいな)、と才人は解釈していた。飼い犬が自分より他人に懐いているとムカつくアレである。ルイズが自分に好意を抱いているとは夢にも思っていない。才人らしい、随分と遠回りな勘違いであった。
才人は、(嗚呼、この前、シエスタと風呂に入ったことがバレた時なんかひどかった)と恨めしげに、今朝再び取り付けられた拘束具を見詰めた。(あの一件が……シエスタにセーラー服を着せて、クルクル回転スカートをフワッ愉しんだことがルイズにバレたら……天井に吊られ、連続で電気を流されて……しまいにゃ、“虚無”の一撃を喰らって……あの藁束みたいにバラバラに……俺、死ぬかも)、と考え、恐怖で顔が強張らせ、ガタガタガタガタ、と身体を激しく震わせた。(震えるな、怪しまれる!)、と思えば思うほど、身体は震え上がる様子だ。(やっぱり初めからルイズにあのセーラー、プレゼントした方が良かっただろうか? いや、プライドの高いルイズが着る訳がない。それにシエスタの方がセーラーは嵌まる。髪は黒髪だし、8分の1、日本人じゃねえか。ルイズの桃色がかったブロンドは、セーラー服には似合わない。身体も小さいし、すっごいブカブカになってしまう。なに? そ、そうだった! くそ、それはそれで。そ、それはそれで。くそ! 計算ミスだ! 俺としたことが……)、といった風に才人は ブルブルと頭を振って妄想を頭から追い出す。(とにかく、俺はただ故郷の雰囲気を愉しみたかっただけだ。やましい気持ちはない。嘘だけど、ない)、と顔を真っ青にして、激しく震え、ブツブツと呟く。
そういったこともあって、才人の様子は、ルイズじゃなくとも怪しいと感じさせる。
「ねえ。なに隠してるの? 私に隠し事したら、赦さないかんね」
ルイズの目が吊り上がった。
「ね、なにも隠してましぇん」
ルイズは才人を問い詰めようとしたが、教室に先生が入って来たので諦めねばならなかった。
才人は放課後になると、「鳩に餌をやらなくちゃ」と如何にも取って付けたような、ありえない理由を言い残して逃げ去るようにして教室から消えた。
「いつ鳩なんか飼ったのよ」
ルイズは思いっ切り不機嫌な顔で呟いた。
才人は厨房へと駆け付けた。昼食の時はシエスタも忙しそうではあったし、ルイズの監視が激しくて話しかけることができなかったのである。
息急き切って現れた才人を見て、厨房で洗い物をしていたシエスタは顔を輝かせた。
「わあ! サイトさん!」
コック長のマルトーも才人へと近付き、才人の首に太い腕を巻き付ける。
「おい! “我らの剣”! 久し振りだな!」
「ど、ども……」
「やい! 最近、ここに顔を見せないじゃないか! シエスタがいっつも寂しがっているぞ!」
厨房のあちこちから、わははといった笑い声が飛ぶ。
シエスタは顔を真っ赤にして、皿を握り締めた。
才人は素早く、シエスタの耳元に口を寄せた。
「シエスタ」
「は、はい……」
「あの例の服を、仕事が終わったら、持って来てくれないか?」
「え?」
「そうだな……人目に付かない所が良いな……“ヴェストリの広場”に、塔に上がる階段の踊り場があるだろ? あそこに持って来てくれ」
「は、はい……」
シエスタはうっとりと顔を赤らめた。
それから才人は小走りで消えた。
「ああ……私……」
「どうしたシエスタ? 逢引の約束か?」
野次が飛んだがシエスタの耳には既に入ってはいない。シエスタは顔を思いっ切り赤らめ、うっとりとした声で呟いた。
「どうしよう。ああ、わたし、奪われちゃうんだわ……」
さて一方、ルイズは学園中を歩き回って“使い魔”を捜していた。鳩に餌をやる、などと言った切り、姿を見せない才人を。
“火の塔”を回り、コルベールの研究室を覗いて見る。研究室といっても、ボロい掘っ立て小屋である。コルベールは暇な時はほとんどここに入り浸っているのである。
しかし、そこには才人はいなかった。コルベールが1人、研究室の前に置かれた“竜の羽衣”――“ゼロ戦”に取り付いてカンコンカンコンと何かをやっているところであった。
ルイズはコルベールに尋ねた。
「ミスタ・コルベール。サイトを見ませんでしたか?」
「さぁ……ここ2、3日姿を見せんなぁ……」
ルイズは“ゼロ戦”を見て驚いた。機首の“エンジン”部分が機体から外されて地面に下ろされ。無惨に分解されているのだから。
「おお、これかね!? なぁに、構造に興味を抱いてな。サイト君には無断だが軽く分解させてもらった。複雑だが、理論的には私の設計した“愉快なヘビくん”と対して変わらぬ。しかし、これがなかなか脆い代物でな。1回飛んだら、キッチリ分解して部品の摺り合わせをおこなわぬといかんようだ。そうしないと、所定の性能を発揮できぬばかりか、壊れてしまう可能性もあるようだな……」
コルベールは、とうとう“エンジン”の構造と整備について語り始めた。
「は、はぁ。では失礼します」
ルイズは、そんな話にはあまり興味がなかったので、ペコリと頭を下げると再び走り出した。
その背中に向かってコルベールが叫んだ。
「ミス! サイト君に会ったら伝えてくれたまえ! この“竜の羽衣”に、あっと驚く新兵器を取り付けてやったぞと!」
次にルイズがやって来たのは、“風の塔”である。“魔法学院”は、本塔を中心にして、五芒星の形に塔が配置されているのだ。風の塔はそのうちの1つだ。ほとんど授業にしか使われない塔である。入り口は1つしかない。
ルイズは入り口の扉に、怪しい人影が消えるのを目撃した。白っぽい衣装……大きな襟。明らかに、モンモランシーが先ほど着ていた水兵服――セーラー服だ。
モンモランシーであれば金髪ではあるが……先ほど入って行った人物は黒い髪をしていた。
ルイズはコッソリと跡を着けた。
“風の塔”は扉を開けると、真っ直ぐに廊下が走り、左右に半円形の部屋が配置されている。そして、入って左側に螺旋状の階段が付いているのだ。
ユックリと扉を押し開くと、コツコツと階段を登る足音が聞こえて来る。
ルイズはしばらく1階で息を潜めた後、跡を追いかける。2階から扉が開き、そして閉まる音が聞こえてきた。
足音を立てないように注意して扉の前までやって来たルイズは、そこにピタリと小さな身体を寄せた。
その扉がある部屋は、倉庫である。
ルイズは桃色がかったブロンドを掻き上げ、耳を扉に付けた。中からは、妙な声が聞こえて来る。途切れ途切れの……。
「はぁ、ん、はぁはぁ……」
そんな声だったので、ルイズの眉がへの字に曲がる。小さいため、誰の声かまではわからない。がしかし、男の声であるということはわかる。
こんな所に、あの服装の人物を呼び寄せて……そういった声を上げる人物……ルイズの頭の中で、良くない妄想が膨らんだ。
「はぁ! かか、可愛いよ……」
ばぁーん! と扉を開けて中に躍り込むルイズ。
「なにしてんのッ! あんたッ!」
「ひぃいいいっ!」
そこにいた人物が振り向く。例の水兵服を身に包み、下にはなんとスカートを履いている。果たしてそれは膨よかなマリコルヌであった。
「ママ、マリコルヌ?」
マリコルヌは走って逃げ出そうとするのだが、慣れないスカートに足を縺れさせ、床にすっ転んだ。
「あ!? んあ! あ! ふぁ! ああ!」
マリコルヌは絶叫しながら床をのた打ち回る。
ルイズは鬼の形相で、マリコルヌの背中を踏ん付けた。
倉庫には古ぼけた確認鏡があった。“嘘つきの鏡”である。醜いモノは美しく映し、美しいモノを醜く映し出す“魔法”の鏡であったが、いろいろな理由で直ぐに割られそうになることもあって、しまってあるのだった。
どうやらマリコルヌはその鏡に己を映して悦に入っていた様子だ。
とんだお愉しみであるといえるだろう。
「なんであんたがその服着てるの?」
「いや、あんまり可憐過ぎて……で、でも僕には着てくれる人がいなくって……」
「そんで自分で着てたって訳?」
「そ、そうだよッ! 悪いかッ!? じ、自分で着るしかないじゃないかッ! ギーシュにはモンモランシーがいるし、君の“使い魔”の“平民”にはあの厨房のメイドがいる! でも、僕にはガールフレンドがいないんだぁあああッ!」
それは心の叫びである。
「なんですって? サイトとあのメイドがどうしたの?」
がしかし、それとは別に、とあるキーワードを耳にしてルイズの目が吊り上がった。
「え? だって、あいつとセイヴァーがメイドにこの服を着せて、クルクル回らせて……嗚呼、感動だなあ! 思い返すだけで、僕のハートは可憐な堪能で焦げてしまいそうさ! だからその想いの縁に、せめて鏡にこの服を着た自分の姿を映して……嗚呼、僕は……僕はなんて可憐な妖精さんなんだ……あぁあああああッ!」
マリコルヌは絶叫した。
ルイズがその顔を足で踏ん付けたのだ。
「お黙り」
「あ! ああ! あ! ルイズッ! あ! ルイズ! 君みたいな美少女に踏まれて、我を忘れそうさ! 僕の罪を清めてくれッ! こんなとこで可憐な妖精さんを気取って、我を忘れた僕の罪を踏み潰してくれっ! 僕はどうかしてるッ! あ! あ! んぁああああああああああッ!」
そのままルイズはマリコルヌの顔をグシャッと踏み付け、気絶させた。
「ええ、どうかしてるわよ。あんた」
はぁ、はぁ、はぁ、と怒りで肩を上下させ、ルイズは呟いた。
「そう……そういうことだったの……あのメイドがそんなに好いのね……可憐な装いをプレゼントするほど、好いって訳ね。おまけにクルクル回転させて、お愉しみ? 冗談じゃないわ」
拳をギュッと握り締め、ルイズは唸った。
マリコルヌからの説明のほとんどの内容を聞き、怒りで震えるルイズだが、一部だけ抜け落ちてしまっていることに彼女自身は気付かない。いや、気付いたところで大した影響はないのだが。
「っの、“使い魔”ってば。キキ、キスしたくせに」
待ち合わせの“ヴェストリの広場”に面した、“火の塔”の階段にシエスタがやって来たのは、とっぷりと日が落ちた頃であった。仕事を終わらせた後風呂で身体を清め、身支度を整えてやって来たということもあって時間がかかってしまったのである。
シエスタは階段の踊り場へと向かったが、そこには才人はいない。樽が2つばかり置いてあるだけである。辺りは薄暗い。シエスタは心配そうにキョロキョロと見回した。
「サイトさん……」
そんな風に心細気に呟くと、がたん! と音がして、樽の蓋が開いた。
シエスタが思わず後退ると、中から才人が顔を出した。
「シエスタ」
「わ! サイトさん! どうしてそんなとこに!?」
「いや、いろいろと事情があって……って、え?」
才人はシエスタの格好を見て、目を丸くした。
シエスタは、例の手製のセーラー服を着用におよんでいるのだ。
「き、着て来ちゃったの?」
「え、ええ……だって、こっちの格好の方がサイトさん喜ぶと思ったから」
才人が(しまった。持って来て、じゃなくって、返してくれと言えば良かった。まさかここで脱げと言う訳にもいかないし)といった風にあたふたしていると、シエスタはクルリと回転して、顔の前で指を立てた。
スカートが軽やかに舞い上がる。
「えっと、その……お、お待たせっ」
そしてシエスタは朗らかに、可愛らしく笑う。
才人は思わず顔を赤らめた。
その時、がたん! と背後で樽が揺れる音がした。
シエスタがきゃっ! と叫んで才人に抱き着いた。
にゃあにゃあ、と猫の鳴き声が聞こえてくる。
才人はホッと胸を撫で下ろした。
「なんだ、猫か……」
しかし、猫どころの騒ぎではないと言える状況だろう。才人へと、シエスタの胸がギュウギュウと押し付けられているのだ、むにゅ、むにゅ、と才人の胸で押し潰され、自在に手製のセーラー服が形を変える。
その感触に、才人の顔が青くなる。
「シ、シエスタって、その……」
「なんでしょう?」
「ブラジャー、着けてないの?」
シエスタはキョトンとした顔になった。
「ブラジャーってなんですか?」
「え? ええええええ? その、胸をですね、こう、保護する……」
しかし、シエスタはキョトンとした顔のままである。
この世界には、まだブラジャーはないらしい。
「メイド服の時はシャツの下にドロワーズとコルセットなら着けますけど……」
それから、シエスタは顔を赤らめる。
「でも、今はなにも着けてません。短いスカートにドロワーズを履くとはみ出でちゃうので……」
「ドロワーズってなに?」
「え? その、下穿きです」
“貴族”の娘はレースでできた下着も着けるが、“平民”の女の子はそうもいかないのだろう。
才人は、(はぁ、コルセットを着けてないのでこう胸がむにむにするのかー)と茹で上がった頭で思いながら、鼻血が出ないようにと天を仰ぐ。
シエスタは顔を真っ赤にした。
「サイトさんは意地悪だわ……わたし、“貴族”の方みたいにレースの小さな下着なんて持ってませんもの……それなのに、こんな、こんな短いスカートを穿かせて……」
詰まり、今の彼女は穿いていないのである。
才人の頭の中で、ファンファーレが鳴り響いた。
シエスタは、ぎゅっと身体を才人に預けて来た。そして、その肩を抱く。ユックリと穿いてないシエスタが唇を才人へと近付ける。
「あ、あの……こ、ここで、ですかっ?」
「え?」
「わたし、そりゃ、村娘ですから、その、場所なんか気にしませんけど、でも、その……」
「シエスタ?」
「もう、ちょっと、その、人が来なさそうで、綺麗な場所が好いなぁ。あ、でも! これ願望でして! サイトさんがここが良いって言うんなら、ここでも平気よ。嗚呼、わたし怖いです。だって初めてなんだもの。母さま赦して。私ここでとうとう奪われちゃうのね」
なんだか激しく勘違いをしているシエスタ。
才人はここで、そのセーラー服を返した欲しかっただけだ。(なんとか説明しないと)、と考えを巡らせたその瞬間……背後で、もう1個の樽の蓋が垂直に跳ね上がった。
「な、なんだぁ!?」
才人が振り返ると、落ちて来た樽の蓋が頭を直撃した。
「ぎゃッ!」
そして樽の中から、ゴゴゴゴゴと地響きと共に人影が立ち上がった。実際、揺れているのは樽だけではあるが、地面全体が揺れているような錯覚を覚えさせるほどの迫力がそこにはあったのだ。そのくらい、樽の中の人物の怒りが伝染しているのである
「ル、ルイズ?」
才人は戦慄く声で呟いた。
シエスタが、樽の中から頭を出しているルイズに怯えて才人の陰に隠れた。
「ど、どうして樽の中なんかに……?」
「あんたの跡を着けたら樽の中にコッソリ隠れたから、真似して隣の樽の中に隠れただけよ。音を立てないように、そりゃもう注意してね。でも、ちょっと怒りで樽を叩いてしまったわ。にゃあにゃあってね」
全部、バッチリ、今の、先ほどまでの会話を聞かれていたのである。
ルイズの顔は怒りで青褪めている。目は吊り上がり、全身が地震のように戦慄いている。思いっ切り震えた声で、ルイズは呟いた。
「随分と素敵な鳩を飼ってるのね。へぇ、可憐な装いをプレゼントね。まあ良いわ。わたしは優しいから、そのくらいのことなら許して上げる。ご主人さまを蔑ろにして、鳩にプレゼントを贈ろうが、別に構わないわ」
「ルイズ、あのね?」
「しかし、その鳩はこう言ったわ。“こんな短いスカートを穿かせて”。下着も着けさえずに、“こんな短いスカートを穿かせて”。最高。高世紀最高の冗談ね」
「ルイズ! 聞いて! お願い!」
「安心して。痛くしないから。わたしの“虚無”で、塵1つ残さないようにして上げる」
ルイズは“始祖の祈祷書”を構えると、“呪文”を“詠唱”し始めた、
命の危険を感じて、才人は思わず背中に吊ったデルフリンガーを握り締めた。
シエスタは怖くなったのだろう、物陰に身体を隠した。
「なによあんた。ご主人さまに逆らおうというの? 面白いじゃないの」
そう呟くルイズからは、かなりの恐怖を感じさせる。
戦艦より、“竜騎兵”より、“オーク鬼”より、ワルドより……今まで戦ったその全てより、才人は今恐怖を感じている。
才人の身体がガチガチと震えた。
「相棒、やめとけ」
デルフリンガーがつまらなさそうに呟いたが、才人は理由を説明するよりも、蛮勇を発揮して剣を引き抜いた。引き抜いてしまった。
「きょきょきょ“虚無”がなんぼのもんじゃあッ! かかって来いやぁッ!」
才人の左手甲の“ルーン”が輝いた……途中“詠唱”のまま、ルイズは“杖”を振り下ろす。
ボンッ! と音がして、才人の眼の前の空間が爆発した。
閃光に彩られる中、才人は踊り場から吹き飛び、下の地面へと叩き付けられる。
地面に叩き付けられた才人は恐怖で顔を歪め、立ち上がるなり逃げ出した。
踊り場から顔を出してルイズが怒鳴る。
「待ちなさいよッ!」
原始の恐怖が、本能が、才人の脳裏を支配した。
才人は転びながら、必死になって駆けた。
ルイズはその跡を追いかけた。
ギーシュはモンモランシーの部屋で一生懸命に恋人を口説いていた。
モンモランシーの容姿を薔薇のようだ野薔薇のようだ白薔薇のようだ瞳なんか青い薔薇だと、とにかく薔薇を並べて褒め、それから“水の精霊”を引き合いに出して盛んに褒め千切った。
モンモランシーは“トリステイン貴族”の例に漏れず、高慢と自尊心の塊であると言える。そういったことからも、おべんちゃらは嫌いではない。しかし、ギーシュに背中を向けて、物憂げに窓の外を見つめるふりをする。そう、「もっと褒めろ」のサインである。
ギーシュは仕方なく、さらに頭を捻って、気を惹くための言葉を繰り出す。
「君の前では、“水の精霊”も裸足で逃げ出すんじゃないかな。ほら、この髪……まるで金色の草原だ。キラキラ光って星の海だ。ああ、僕は君以外の女性がもう、目に入らない」
ギーシュは部屋の中を行ったり来たりしつつ、既に歌劇1本くらいの台詞を吐き出していた。
モンモランシーは、(そろそろ良いかしら)と思った。
すっと、後ろを向いたままギーシュに左手を差し出す。
ギーシュは、嗚呼、と感嘆の呻きを漏らし、その手に口吻る。
「ああ、僕のモンモランシー……」
ギーシュは唇を近付けようとしたが、すっと指で制された。
「その前に、ワインで乾杯しましょうよ。せっかく持って来たんだから」
「そ、そうだね!」
テーブルの上には、花瓶に入った花とワインの瓶と陶器のグラスが2つ置いてある。ギーシュはそれ等を携えて、モンモランシーの部屋を訪れたのである。
ギーシュは慌てて、ワインをグラスに注いだ。
すると、モンモランシーはいきなり窓の外を指さした。
「あら? 裸のお姫さまが空飛んでる」
「え? どこ!? どこどこ!?」
ギーシュは目を丸くして、窓の外を食い入るように見詰めている。
そんなギーシュに対して、モンモランシーは(なーにーがー“君以外の女性は目に入らない”よ、やっぱりこれを使わなきゃ駄目ね)、と思いながら、袖に隠した小瓶の中身を、ギーシュの杯にソッと垂らした。透明な液体がワインに溶けて行く。
モンモランシーはニッコリと笑った。
「嘘よ。じゃあ、乾杯しましょ」
ギーシュが「嫌だなあ、びっくりさせないでれ……」とそう言った瞬間、扉がばぁーん! と開かれ、旋風が飛び込んで来た。
ギーシュは跳ね飛ばされ、床に転がった。
それは才人であった。
「はぁ、はぁ、はぁ……かかか」
「なんだ!? 君はぁ!?」
「匿ってくれ!」
そう言うなり、才人はモンモランシーのベッドに飛び込んだ。
「おい! モンモランシーのベッドに飛び込む奴がいるか! 出て行きたまえ! この!」
「ちょっと、なんなのよ! あんた! 勝手に人の部屋に……」
モンモランシーが腕を組んで、才人を怒鳴り付けよとした時、再び部屋に旋風が飛び込んで来た。
モンモランシーは突き飛ばされ、強かに鼻を打ち付けてしまった。
「ルイズ!?」
ギーシュが叫んだ。
果たして、それは怒りに我を忘れたルイズであった。
「なななん、なんなのよ!? あんた達ぃ!?」
「っさいわねッ! サイトはどこッ!?」
ギーシュとモンモランシーは、ルイズの剣幕に圧され、顔を見合わせるとベッドを指さした。
布団がこんもりと盛り上がって、小刻みに震えている。
ルイズは低い声で、ベッドの向かって命令した。
「サイト、出て来なさい」
強張った声が、布団から聞こえて来た。
「才人はいません」
ルイズはテーブルの上のワインのグラスを取り上げた。
モンモランシーが「あっ!?」と低い声を上げたが、もう遅い。ルイズはそれを一気に呑み干してしまった。
「ぷはー! 走ったら喉が渇いちゃった。それもこれもあんたの所為ね。良いわ、こっちから迎えに行って上げる」
ベッドの上の布団を、ルイズは引き剥した。
ガタガタと震えている才人がそこにいた。
「覚悟しなさい……んあ?」
才人を見詰め、そう言った瞬間……ルイズの感情が一瞬で変化した。
ルイズは自分にキスしたくせに、他の女の子にプレゼントした才人が赦せなくって追いかけ回していたのである。ルイズみたいな女の子にキスなんかしたら、そりゃもう大変なのである。
つまり、どちらと言うとプライドの問題であったのだ。
しかし今才人を見た瞬間、ルイズの中の才人への好意が膨れ上がった。それまでだって、それは微量に好きだという自覚は彼女にはあったのは確かである。だからこそこれほど嫉妬したのであるのだから……。
この瞬間、ルイズは才人のことを半端なしに、好きになっていたのである。当のルイズ自身が困惑するくらい、その感情は大きかった。ルイズは思わず頬を両手で覆った。
ルイズの目から、(嫌だ……わたし、こんなに好きだったの? こんなに、大好きだったの?)といった様子で、ポロポロと涙が溢れて来た。怒りより、悲しみの感情が大きくなったのである。(わたしはこんなにも好きなのに、どうしてサイトはわたしを見てくれないの?)、かと。それが悲しくて、哀しくて、ルイズはポロポロと泣き始めたのだ。
「ルイズ?」
才人は、コロッと態度を変えたルイズを訝しんで、立ち上がった。
ギーシュも、驚いた顔で、いきなり泣き出したルイズを見守っている。
対して、モンモランシーは「しまったあ~~~~~」、といった風に頭を抱えている。ギーシュに呑ませるつもりの薬を、ルイズが呑んでしまったのだから。
「ぉい、ルイズ……?」
ルイズは才人を見上げ。その胸に取り縋った。
「馬鹿!」
「え?」
「馬鹿馬鹿! どうして!? どうしてよ!?」
ポカポカとルイズは才人を殴り付けた。
「ルイズ、お前、いった、い……?」
今まで火のように怒っていたのに、まるっきり、正反対の態度を取るルイズに、才人は慌てた。
「どうしてわたしを見てくれないのよ! 非道いじゃない! うえ~~~~~~~~~ん!」
ルイズは才人の胸に顔を埋めて大泣きした。
さて時間を遡り、ルイズと才人が追い駆けっこをした日の昼前のこと……。
キュルケとタバサは馬車に揺られて、“魔法学院”から延びた街道を南東へと下っていた。キュルケは窓から顔を出して、きゃあきゃあと騒いでいる。
「タバサ、ほら見て! 凄い! 牛よ! 牛! ほら! あんなに沢山!」
街道の側には牧場があり、牛たちが草を食んでいるのが馬車から見える。
「草を食べてる! もー、もーもー」
しかしタバサはそちらの方を見向きすらもしない。相変わらず本を読んだままであった
キュルケはつまらなさそうに、両手を広げた。
「ねえタバサ。せっかく学校をサボって、帰省するんだからもっとはしゃいだ顔をしなさいよ」
ルイズと才人、シオンと俺の4人が“王宮”に呼ばれている日、キュルケはタバサの部屋に遊びに行ったのだ。驚いたことに、タバサは荷物を纏めているところであった。「旅行に行くの?」とキュルケが尋ねると、タバサは「実家に帰る」と答えたのだ。いつも無口なタバサではあったが、そのようになにか感じるモノがあったキュルケは自分も授業をサボり、くっ付いて来たのであった。
タバサの実家から馬車が派遣されて来たので、いつものようにシルフィードに跨る必要はなかった。シルフィードはキュルケのフレイム背中に乗せ、馬車の上をユックリと旋回しながら飛んでいる。
「きちんと署名入りの休暇届があれば、サボりじゃないわよね。あたしも付き添いってことで届けが通ったし……塔の掃除の心配しないで、ユックリと羽を伸ばせるわね」
タバサは答えずに、ジッと本を見つめている。
このキュルケから見て3つばかりの年下の娘は、本当に何を考えているのかわかり難いのだ。
キュルケは、少しばかり探るような口調で続けた。
「貴女の御国が“トリステイン”じゃなくって、“ガリア”だって初めて知ったわ。貴女も留学生だったのね」
それはタバサがキュルケに、国境を超えるための通行手形の発行をオスマンに頼むように指示したことで判明した。
キュルケは“タバサ”が偽名であることを薄々とは勘付いてはいたが、今までその理由を尋ねることは控えていたのである。
“タバサ”。随分とふざけた名前だと言えるだろう。“平民”だって、もう少し立派な名前を付けて貰うだろう。まるで、そう、飼い猫にでも付けるようなそんな名前なのだから。
タバサは恐らく世を忍ぶ“トリステイン名門貴族”の出だろうと、キュルケは当たりを付けていたが……それは外れていた。“トリステイン”、“ゲルマニア”と国境を接する旧い王国……“ガリア王国”の出だったのである。
“ハルケギニア”は大洋に突き出た緩やかに弧を描く巨大な半島だ。才人達の世界でいう“オランダ”と“ベルギー”を合わせたくらいの大きさの“トリステイン”を挟むように、キュルケの母国、北東の“ゲルマニア”と、南東の“ガリア”が位置している。それぞれ国土の面積は、“トリステイン”の10倍ほどはあるだろう。“トリステイン”人が自嘲気味に小国と母国を呼ぶのはそういった理由があるのだ。
さらに南の海に面した小さな半島群には、かつての“ゲルマニア”のような都市国家が犇めき覇権を争っている。そのような都市国家の1つに、“宗教国家ロマリア”もある。“法王庁”があるそこは、“始祖ブリミル”と神に対する信仰の要だ。ちなみに枢機卿マザリーニは“ロマリア”の出身である。
“ハルケギニア”を東に進むと、蛮族や魔物が棲まう未開の地が横たわる。
その先には広い砂漠が広がり、その不毛な土地を切り開く能力を持った“エルフ”達が“聖地”を守っている。さらに東へ向かえば、“ロバ・アル・カリイエ”……東方と一括りにされた地がどこまでも続いているのだ。
大洋と“ハルケギニア”の上を行ったり来たりしている“浮遊大陸アルビオン”、シオンの故郷はまた別だ。あれはあくまで“アルビオン”であって、厳密には“ハルケギニア”であって“ハルケギニア”はないという扱い、曖昧なボーダーの上にある国家である。
キュルケはタバサに尋ねた。
「なんでまた、“トリステイン”に留学して来たの?」
しかし、タバサは答えない。ジッと本を見つめたままである。
その時キュルケは気付いた。本のページが、出発した時と変わらないことに。捲りもしない本を、タバサはジッと見つめ続けているのだ。
キュルケはそれ以上、尋ねることをやめた。(留学とこの帰省になにか事情があるにせよ、話したくなった時に自分から口を開くでしょうしね)と思ったからである。
タバサが荷物を纏めていた時に感じた、少しばかりただならぬ雰囲気の理由はその時理解るだろう。
性格も年齢も違う2人が友達になれたのは、妙に馬が合うからという訳だけではない。聞かれたくないことを、お互い無理矢理訊き出したりしないからこそ友達になれたのである。タバサはそのあまり開かれることのない口によって。キュルケは年長の気配りで。
国境を超えて“トリステインにやって来たことに関して、2人共それなりの理由があるのだった。
キュルケは現在各国の政情を思い出した。政治に興味はなかったが、昨今のきな臭い“ハルケギニア”に住んでいれば、嫌でも耳に入って来るモノだ。
今から向かう“ガリア王国”は、“アルビオン”の“トリステイン”侵攻に関して中立と沈黙を保っていた。“アルビオン”の政変と新政府に脅威は感じているだろうが、なんらの声明さえ発していないのである。“トリステイン”から同盟参加への申し入れが あっただろうが、これもまた拒絶している。自国の国土が侵されぬ限り、中立を保つだろうというのが大方の予想であった。噂によると“ガリア”は内乱の危険を孕んでいるとのことであった。外憂より、内患で頭が一杯なのであろう、と。
タバサの帰省の付き添いは、そんな“ガリア王国”への訪問である。
観光気分だったのだが、何だか忙しいことになりそうな予感をキュルケは覚えた。
キュルケはしばらくそんなことに想いを馳せながら、窓の外をぼんやりと眺めている。
前から、馬車に乗った一行が現れた。深くフードを冠った10人にも満たない一行であったが、妙にキュルケの注意を引いた。マントの裾から“杖”が突き出ているのだ。“貴族”であろう。
その“杖”の造りからいって一行は軍人であるだろうことがわかるだろう。今は戦時であるのでなんら珍しくもない。何かの密命を帯びているのだろうか、静々と馬を進めている。
先頭を行く“貴族”の顔が、フードの隙間からチラッと覗いた。
キュルケは声にならぬ叫びを上げた。
涼しげな目元の好い男である。美男子に目がないキュルケは、溜息を漏らしながらその横顔を見送った。
「好い男って、いる所にはいるのよね~~~~~~~~」
キュルケは、腕を組んでうんうんと呟く。
それからはたと気付く。
見覚えがある気がしたのであった。
「一体どこで見たのかしら……? というか誰だっけ……?」
キュルケは熱し易く冷めやすい。好い男! と燃え上がるのも早いのだが、忘れるのもまた同様に早いのである。
キュルケは、「ま、良っか」と呟き、再び視線をタバサへと移した。
相変わらず、タバサは同じページをジッと見詰め続けている。眼鏡の奥の澄んた青い瞳からは感情を伺い辛い。
キュルケは優しくタバサの方を抱いて、いつもの楽天的な声で言った。
「大丈夫よ。なにが起こったって、あたしが着いているんだから」
国境まで2泊して、緩々と2人は旅を続けた。関所で“トリステイン”の衛士に通行手形を石の門を潜ると、そこは“ガリア”であった。“ガリア”と“トリステイン”は、言葉も文化も似通っている。“双子の王冠”と並んで称されることも多いのだ。
石門を挟んで、“ガリア”の関所があった。そこから出て来た“ガリア”の衛士に交通手形を見せる。大きな槍を掲げた衛士は、開いた馬車の扉に顔を突っ込み、タバサとキュルケの通行手形を確かめ、「ああ、この先の街道は通れないから、迂回してください」と言い難そうに告げた。
「どういうこと?」
「“ラグドリアン湖”から溢れた水で街道が水没しちまったんです」
“ラグドリアン湖”は“ガリア”と“トリステイン”の国境沿いに広がる、“ハルケギニア”随一の名勝とその名も高い大きな湖だ。
街道をしばらく進むと開けた場所に出た。街道の側を緩やかに丘が下り、“ラグドリアン湖”へと続いている。湖の向こう岸は“トリステイン”だ。
衛士の言う通り、確かに“ラグドリアン湖”はの水位は上がっているようである。浜は見えず、湖水は丘の縁を侵食している。花や草が、水に呑まれている様が良く見えた。
タバサは本を閉じ、窓から外を覗いている。
「貴女のご実家、この辺なの?」
「もう直ぐ」
タバサは馬車に乗り込んでから、初めて口を開いた。しかし、直ぐにまた黙り込んだ。
街道を山側へと折れ、馬車は一路タバサの実家へと進む。
その目を留めたキュルケ内森の中へと馬車は進み、大きな樫の木が茂っている所に出た。木陰の空き地では農民たちが休んでいるのが見える。林檎の籠には、馬車を止めさせ、農民を呼んだ。
「美味しそうな林檎ね。いくつか売って頂戴」
農民は籠から林檎を取り出し、銅貨と引き換えにキュルケに渡した。
「こんなに貰ったら、籠一分になっちまいます」
「2個で良いわ」
キュルケは1個を齧り、もう1個をタバサに渡しながら言った。
「美味しい林檎ね。ここはなんていう土地なの?」
「へぇ、この辺りは“ラグドリアン”の直轄領でさ」
「え? 直轄領?」
王様が直接保有、管理する土地のことである。
「ええ。陛下の所領でさ。儂らも陛下の御家来様ってことでさあ」
農民たちは笑った。
確かに土地の手入れが良く行き届いた、風光明媚な場所である。王さまが欲しがるのも無理はないほどである。
キュルケは目を丸くして、タバサを見つめた。
「直轄領が実家って……貴女ってもしかして……」
それから10分ほどで、タバサの実家の御屋敷が見えて来た。
旧い、立派な造りの大名邸である。
門に刻まれた紋章を見て、キュルケは、「う!」と息を呑んだ。
交差した2本の“杖”、そして“さらに先へ”と書かれた銘。紛う事なき“ガリア王家”の紋章である。
しかし、近付くとその紋章にはバッテンに傷が付いていた。不名誉印である。この家の者は、“王族”でありながらその権利を剥奪されていることを意味している証だ。
玄関前の馬周りに着くと、1人の老僕が近付いて来て馬車の扉を開けた。恭しくタバサに頭を下げる。
「お嬢様、お帰りなさいませ」
他に出迎えの者はいない。
キュルケは、(随分寂しいお出迎えね)と思いながら続いて馬車を降りた。
2人は老僕に連れられ、屋敷の客間へと案内された。
手入れが行き届いた綺麗な邸内ではあるのだが、しーんと静まり返っており、まるで葬式が行われている寺院とそっくりな印象を与えて来る。
ホールのソファに座ったキュルケは、タバサに言った。
「まずはお父上にご挨拶したいわ」
しかしタバサは首を横に振る。それから「ここで待ってて」と言い残して客間を出て行った。
取り残されたキュルケがポカンとしていると、先ほどの老僕が入って来てキュルケの前にワインとお菓子を置いた。
それは手を付けず、キュルケは老僕に尋ねた。
「このお屋敷、随分と由緒正しい見たいだけど、なんだか貴男以外、人がいない見たいね」
老僕は恭しく礼をした。
「この“オルレアン家”の執事を務めておりまするペルスランでございます。畏れながら、シャルロットお嬢様のお友達でございますか?」
キュルケは首肯いた。
“オルレアン家”のシャルロット。それが“タバサ”の本名らしい。
キュルケは、「“オルレアン”、“オルレアン”……」とそこまで思考を巡らせて、(“オルレアン家”と言えば“ガリア王”の弟、王弟家ではないの)といった風にはたと気付く。
「どうして王弟家の紋章を掲げずに、不名誉な印なんか門に飾っておくのかしら?」
「お見受けしたところ、外国のお方と存じますが……お許しが頂ければ、お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「“ゲルマニア”のフォン・ツェルプストー。ところで一体、この家はどんな家なの? タバサはなぜ“偽名”を使かって留学して来たの? あの娘、なにも話してくれないのよ」
キュルケがそう言うと、老僕は切なげに溜息を漏らした。
「お嬢様は“タバサ”と名乗ってらっしゃるのですか……理解りました。お嬢様が、お友達をこの屋敷に連れて来るなど、絶えてないこと。お嬢様が心赦す方なら、構いますまい。ツェルプストー様を信用してお話しましょう」
それからペルスランは、深く一礼すると語り出した。
「この屋敷は牢獄なのです」
タバサは屋敷の1番奥の部屋の扉をノックした。
返事はない、いつもの事である。
この部屋の主がノックに対する返事を行わなくなってから、5年が経っている。その時タバサはまだ15歳であった。
タバサは扉を開けた。
大きく、殺風景な部屋だった。ベッドと椅子とテーブル以外、他には何もない。開けっぱなした窓からは爽やかな風が吹いてカーテンを戦がせている。
この何もない部屋の主は自分の世界への闖入者に気付いた。乳飲み子のように抱えた人形をギュッと抱き締める。
それは痩身の女性だった。元は美しかっただろう顔が病のため、見る影もなく窶れている。彼女はまだ30代後半であるのだが、そこから20も老けて見えてしまう。
伸ばし放題の髪から覗く目が、まるで子供のように怯えている様子を伺わせる。戦慄く声で女性は問うた。
「誰?」
タバサはその女性に近付くと、深々と頭を下げた。
「ただいま帰りました、母さま」
しかし、その人物はタバサを娘と認めない。そればかりか、目を爛々と光らせて冷たく言い放つ、
「退がりなさい無礼者。“王家”の回し者ね? 私からシャルロットを奪おうと言うのね? 誰が貴方方に、可愛いシャルロットを渡すモノですか」
タバサは身動ぎもしないで、母の前で頭を垂れ続けた。
「恐ろしや……この娘がいずれ王位を狙うなどと……誰が申したのでありましょうか。薄汚い宮廷の雀達にはもうウンザリ! 私たちは静かに暮らしたいだけなのに……退がりなさい! 退がりなさい!」
母はタバサに、テーブルの上のグラスを投げ付けた。
タバサはそれを避けなかった。頭に当たり、床に転がる。
母は抱き締めた人形に頬擦りした。何度も何度もそのように頬を擦り付けられた所為だろうか、人形の顔は擦り切れて綿がはみ出でている。
タバサは悲しい笑みを浮かべた。
それは母の前でのみ見せる、たった1つの表情だった。
「貴女の夫を殺し、貴女をこのようにした者共の首を、いずれここに並べに戻って参ります。その日まで、貴女が娘に与えた人形が仇共を欺けるようお祈りください」
開けた窓から風が吹き込んでカーテンを揺らす。
初夏だというのに、湖から吹いて来る風は肌寒かった。
「継承争いの犠牲者?」
キュルケがそう問い返すと、ペルスランは首肯いた。
「そうでございます。今を去ること5年前……先王が崩御されました。先王は2人の王子を遺されました。現在、王座に就いておられるご長男のジョゼフ様、そしてシャルロットお嬢様のお父上であられたご次男オルレアン公のお二人です」
「あの娘は、“王族”だったのね?」
「しかし、ご長男のジョゼフ様はお世辞にも王の器とは言い難い暗愚なお方でありました。オルレアン公は“王家”の次男としてはご不幸なことに、才能と神保に溢れていた。従って、オルレアン公を擁して王座へ、と言う動きが持ち上がったのです。宮廷は2つに分かれての醜い争いになり、結果オルレアン公は謀殺されました。狩猟会の最中、毒矢で腕を射抜かれたのでございます。この国の誰より高潔なお方が“魔法”ではなく、下賤な毒矢によってお命を奪われたのです。その無念たるや、私などには想像も尽き兼ねます。しかし、ご不幸はそれに留まらなかったのです」
ペルスランは胸を詰まらせるような声で続けた。
「ジョゼフ様を王座に就けた連中はお嬢様と奥様を宮廷に呼び付け、酒肴を振る舞いました。しかし、お嬢様の料理には毒が盛られていた。奥様はそれを知り、お嬢様を庇いその料理を口にされたのです。それは御心を狂わせる“水魔法”の毒でございました。以来、奥様は心を病まれたままでございます」
キュルケは言葉を失い、呆然と老僕の告白に耳を傾けた。
「お嬢様は……その日より、言葉と表情を失われました。快活で明るかったシャルロット御嬢様はまるで別人のようになってしまわれた。しかしそれも無理からぬこと。目の前で母が狂えば、誰でもそのようになってしまうでしょう。そんなお嬢様は、ご自分の身を守るため、進んで“王家”の命に従いました。困難な……生還不能と思われた任務に志願し、これを見事果たして“王家”への忠誠を知ら占め、ご自分をお守りになられたのです。“王家”はそんなシャルロット御嬢様を、それでも冷たく配われました。本来なら領地を下賜されてしかるべき功績にも関わらず、“シュヴァリエ”の称号のみを与え、外国に留学させたのです。そして心を病まれた奥様を、この屋敷に閉じ込めました。体の良い、厄介払いと言う訳です」
口惜しそうにペルスランは唇を噛んだ。
「そして! 未だに宮廷に解決困難な汚れ仕事が持ち上がると、今日のようにホイホイ呼び付ける! 父を殺され、母を狂わされた娘が、自分の仇にまるで牛馬のように扱き使われる! 私はこれほどの悲劇を知りませぬ。どこまで人は人に残酷になれるのでありましょうか?」
キュルケは、タバサが口を開かぬ理由を知った。
決してマントに縫い付けぬ、“シュヴァリエ”の称号の理由を知った。
ジッと馬車の中で、ページを捲りもしない本を眺め続けていた理由も……。
“雪風”……彼女の“二つ名”だ。
彼女の心には冷たい雪風が吹き荒れ、今もやむことがなのだろう。
その冷たさはキュルケには想像できなかった。
「お嬢様は、“タバサ”と名乗っておられる。そう仰いましたね?」
「ええ」
「奥様は、お忙しい方でありました。幼い頃のお嬢様はそれでも明るさを失いませんでしたが……随分と寂しい想いをされたことでありましょう。しかし、そんな奥様が、ある日、お嬢様に人形をプレゼントされなさったのです。お忙しい中、ご自分で街に出でて、下々の者に交じり、手ずからお選びになった人形でした。その時のお嬢様の喜びようと言ったら! その人形に名前を付けて、まるで妹のように可愛がっておられました。今現在、その人形は奥様の腕の中でございます。心を病まれた奥様は、その人形をシャルロットお嬢様と想い込んでおられます」
キュルケはハッとした。
「“タバサ”。それはお嬢様が、その人形にお付けになった名前でございます」
扉が開いて、タバサが現れた。
ペルスランは一礼すると、苦しそうな表情を浮かべ、懐から一通の手紙を取り出した。
「“王家”よりの指令でございます」
タバサはそれを受け取ると、無造作に封を開いて読み始めた。読み終えると、軽く首肯いた。
「いつ頃取りかかられますか?」
まるで散歩の予定を答えるように、タバサは言った。
「明日」
「畏まりました。そのように使者に取り次ぎます。ご武運をお祈りいたします」
そう言い残すと、ペルスランは厳かに一礼して部屋を出て行った。
タバサはキュルケの方を向いた。
「ここで待ってて」
これ以上は着いて来るなと言いたいのだろう。
しかしキュルケは首を横に振った。
「ごめんね。さっきの人に全部聴いちゃったの。だからあたしも着いて行くわ」
「危険」
「余計に、貴女1人で行かせる訳には行かないわね」
タバサは答えない。ただ、軽く下を向いた。
その夜、2人は同じ部屋で床に就いた。
気を張り詰めていたことで疲れが出たのだろうか、タバサは直ぐにベッドに入って寝てしまった。
キュルケは眠れずに、ソファの上で肩肘を突いていた。先ほどタバサから聞いた任務のことで頭が一杯になってしまったのである。
「安請け合いしちゃったけど……こりゃ大事だわ」
もしかすると、命を落とすかもしれない。
しかし“ゲルマニア貴族”にって、死の危険はそんなに遠い世界のことではない。
それより、この小さな友人の方が心配であるのだ。いったい、どのような寂しさに耐えて来たのだろうか。
タバサは寝返りを打った。眼鏡を外した寝顔は、どこまでもあどけない少女のそれである。年に似合わぬ不幸を背負わされ、“シュヴァリエ”に叙される功績を上げ、今また困難な任務に立ち向かおうとしている掃討者にはとても見えない。
「母さま」
タバサは手事を呟いた。
キュルケの肩が、その言葉にピクンと反応した。
「母さま、それを食べちゃ駄目。母さま」
寝言で、タバサは何度も母を呼んだ。額にはジットリと汗が浮かんでいる。
キュルケはソッと立ち上がるとベッドに入り込み、タバサを抱き締めた。
タバサはキュルケの胸に顔を埋めた。その豊かな胸に母性を感じたのだろう。しばらくすると、安心した様子で再び寝息を立て始めた。
キュルケはタバサが自分を友人として扱う理由が、なんとなくわかった気がした。
彼女の心は凍て付いてなどいない。芯には熱いモノが渦巻いている。ただそれが……雪風のベールに覆われているだけなのだ。
それを払ってくれる火を、キュルケに感じたのかもしれない。
子供をあやすような声で、キュルケは優しくタバサに呟いた。
「ねえ、シャルロット。この“微熱”が全部暖めて溶かして上げる。だから安心してユックリお休みなさい」