タバサの“使い魔”であるシルフィードに跨り、俺たちが“王宮”に着いたのは、“魔法学院”を出発して2時間後のことであった。深夜の1時を過ぎた頃である。
中庭は大騒ぎになっており、ルイズと才人、そしてシオンは、自分たちの嫌な予想が現実になった事を悟った。
シルフィードが中庭に降り立つと同時に、一斉に“魔法衛士隊”が取り囲んで来る。
“マンティコア隊”の隊長が大声で誰何する。
「何奴!? 現在王宮は立ち入り禁止だ! 退がれ!」
しかし、“マンティコア隊”の隊長は、俺たちの事を覚えていたのだろう、眉を顰めた。
「またお前たちか! 面倒な時に限って姿を現しおって!」
ルイズはシルフィードの上から飛び降り、“魔法衛士隊”の隊長と問答をしている暇はない、といった様子で息急き切った様子で尋ねる。
「姫さまは!? いえ、女王陛下は御無事ですか!?」
中庭は蜂の巣を突いたかのような騒ぎになっている。
“杖”の先に“魔法”による灯りを灯した“貴族”たちや、松明を持った兵隊たちが大童で何か――誰かを捜索しているのだ。“王宮”に何かが起こった事は明白である。
「貴様らに話す事ではない。直ちに去りなさい」
ルイズはかぁーっと顔を怒りで赤くし、ポケットの中から、アンリエッタが手渡した許可証を取り出した。
「わたしは女王陛下直属の女官です! この通り陛下直筆の許可証も持っているわ! わたしには陛下の権利を行使する権利があります! 直ちに事情の説明を求めるわ!」
隊長は呆気に取られてルイズの許可証を手に取った。
それは確かに、言葉の通り本物のアンリエッタによる許可証である。“ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。右の者にこれを提示された公的機関の者は、汎ゆる要求に応える事”、といった風に但し書きが付いている。
隊長は目を丸くして、「こんなただの少女が……女王陛下からこんなお墨付きを貰っているなんて……」といった風にルイズを見つめた。
だが彼は軍人である。相手がどのような姿をしていようが、上官は上官である。直ぐに直立すると、陛下の名代に事の次第を報告した。
「今から2時間ほど前、女王陛下が何者かによって勾引かされたのです。警備の者たちを蹴散らし、馬で駆け去りました。現在は“ヒポグリフ隊”がその行方を追っています。我々は何か証拠がないかと、この辺りを捜索しておりました」
シオンとルイズの顔色が変わった。
「どっちに向かったの?」
「賊は街道を南下しております。どうやら“ラ・ロシェール”の方面に向かっているようです。間違いなく“アルビオン”の手の者と思われます。直ちに近隣の警戒と港を封鎖する命令を出しましたが……先の戦で“竜騎士隊”がほぼ全滅しております。“ヒポグリフ”と馬の足で賊に追い付ければ良いのですが……」
“ウィンドドラゴン”に次いで足の速い、“ヒポグリフ”の隊が追跡を開始しているようだが……追い付けるかどうか怪しいようである。
ルイズは再びシルフィードに飛び乗った。
「急いで! 姫さまを攫った賊は、“ラ・ロシェール”に向かっているわ! 夜が明けるまでに追い付かないと大変な事になる!」
事情を聞いた一行は、緊張した面持ちで首肯いた。
ルイズが叫ぶ。
「低く飛んで! 敵は馬に跨っているわ!」
あっと言う間に“トリスタニア”の城下町を抜け、シルフィードは街道に沿って低空飛行を開始し、続けた。
夜の闇が濃い。
暗闇で一歩先もわかり辛い状況ではあるが、シルフィードはその鋭敏な鼻先で空気の流れを感じ、木々や建物の障害物を巧み避けて低く飛んだ。
“グリフォン”と馬を足して2で割ったような姿の“ヒポグリフ”の一隊は、飛ぶように街道を突き進んでいた。馬の身体に取りの前脚、嘴を持つ“ヒポグリフ”は3隊の“幻獣”の中で1番足が速い。おまけに夜目も利く。従って追跡隊に選ばれたのである。十数名ほどの一隊は、怒りで燃えていた。敵は大胆にも、夜陰に乗じて宮廷を襲ったのである。まさか首都、それも宮廷が襲われるとは夢にも思っていなかった彼らは激昂したのだ。しかも攫われたのは即位間もない未若き女王アンリエッタである。宮廷と“像奥”の警備を司る近衛の“魔法衛士隊”にとって、これほどの屈辱なないと言えるだろう。
鳥のような前脚と、馬の後ろ脚を駆使して、飛び跳ねるように“ヒポグリフ”は突き進む。混乱で出発が遅れたが、敵は馬を使っている。“ヒポグリフ”の足は馬の倍速い。追い付けぬ道理はないだろう。
隊長は激しく部下たちを叱咤した。
「疾走れ! 一刻も早く陛下に追い付くのだ!」
一塊になって“ヒポグリフ”隊は疾走する。
先頭を行く騎士の“ヒポグリフ”が、大きく戦慄いた。
何かを見付けたに違いない、と思った隊長の合図で、“炎”の使い手が炎球を前方に向けて発射した。その明かりに照らされ、前方100“メイル”ほどの街道に、疾駆する馬の一隊が確認できた。その数おおよそ10騎ほど。
隊長は、「この屈辱は、何倍にもして返してやる」といった風に凶暴な笑みを浮かべた。
「まずは馬を狙え! 陛下に当てては取り返しが着かぬ!」
“ヒポグリフ”隊は一気に距離を詰め、次々に“魔法”を発射した。
騎士が唱えた土の壁の“魔法”が、敵の進路を塞いだ後、間髪入れずに攻撃の嵐が始まった。
炎の球が、風の刃が、氷の槍が、敵の騎乗する馬目がけて飛んだ。どう! と地響きを立てて馬が次々に斃れて行く。
隊長は先頭の馬の後ろに、白いガウン姿の女王アンリエッタを確認した。一瞬ためらったが今は非常時だという事もあり、(怪我で済めば幸いとしなけれればいけないだろうな。お叱りなら後で何度でも受けてやる)と考え、神妙に詫びを口の中で呟いた後、“風”の“魔法”で、戦闘の馬の足を切り裂いた。騎乗した騎士と女王が地面に投げ出される。
歴戦の“ヒポグリフ”隊は、容赦なく倒れた敵の騎士たちに止めの“魔法”を撃ち込んだ。風の刃でもって憎い誘拐者の首を裂き、氷の槍がその胸を貫いた。隊長自らも、倒れて動かない、先頭を走っていた騎士に一際大きな嵐の刃を見舞った。その首が切り裂かれる。致命傷だ。
勝負は一瞬で決した。
隊長は満足げに首肯くと、隊を停止させる。そして、“ヒポグリフ”から飛び降り、叢に倒れた女王に近付こうとしたその瞬間……。
倒したはずの騎士たちが、次々に立ち上がったのだ。
驚く間もなく“魔法”が飛び、敵を全滅させたと思い込み油断していた部下と“ヒポグリフ”達が斃されて行く。
あ、と呻きを漏らし、“杖”を振ろうとした隊長の身体を、巨大な竜巻が包み込んだ。
竜巻に四肢を切断され、一瞬にして薄れ行く意識の中、隊長は止めを刺したはずの騎士が立ち上がり、切り裂かれた喉を剥き出しにして微笑んでいるのをハッキリと見た。
ウェールズは“杖”を下ろすと、叢に近付き、倒れたアンリエッタに近付いた。
アンリエッタは叢に投げ出されたショックで、目を覚ましたらしい。近付くウェールズを、信じられない、といった目で見つめた。
「ウェールズ様、貴男……一体なんてことを……」
「驚かせてしまったようだね」
アンリエッタは、どんな時も肌身離さず持ち歩いている、腰に提げた水晶が光る“杖”を握った。それをウェールズに突き付ける。
「貴男は誰なの?」
「僕はウェールズだよ」
「嘘! よくも“魔法衛士隊”の隊員たちを……」
「仇を取りたいのかい? 良いとも。僕を君の“魔法”で抉ってくれたまえ。君の“魔法”でこの胸を貫かれるなら本望だ」
ウェールズは自分の胸を指し示した。
“杖”を握るアンリエッタの手が震え始めた。その口から“魔法”の“詠唱”は漏れない。代わりに漏れたのは、小さな嗚咽の言葉だった。
「なんでこんな事になってしまったの?」
「僕を信じてくれるねアンリエッタ?」
「でも……でも、こんな……」
「訳は後で話すよ。様々な事情があるんだ。君は黙って僕に着いて来れば良い」
「私、理解らないわ。どうして貴男がこんな事をするのか……何をしようとしているのか……」
どこまでも優しい言葉で、ウェールズが告げた。
「理解らなくても良いよ。ただ、君はあの誓いの言葉通り、行動すれば良いんだ。覚えているかい? ほら、“ラグドリアンの湖畔”で、君が口にした誓約の言葉。“水の精霊”の前で、君が口にした言葉」
「忘れる訳がありませんわ。それだけを頼りに、今日まで生きて参りましたもの」
「言ってくれ、アンリエッタ」
アンリエッタは、一言一句、正確にかつて発した誓約の言葉を口にした。
「……“トリステイン王国王女アンリエッタは水の精霊の御許で誓約いたします。ウェールズ様を、永久に愛する事を”」
「その誓約の中で以前と変わった事があるとすればただ1つ。君は今では女王という事さ。でも、他の全ては変わらないだろう? 変わる訳がないだろう?」
アンリエッタは首肯いた。こうやってウェールズの腕の中抱かれる日のみを夢見て、今まで生きて来た自分だったのだから。
「どんな事があろうとも、“水の精霊”の前でなされた誓約が違えられる事はない。君は己のその言葉だけを信じれいれば良いのさ。後は全部僕に任せてくれ」
優しいウェールズの言葉の1つ1つが、アンリエッタを何も知らない少女へと戻して行く。アンリエッタは幼子のように何度も首肯いた。まるで自分に言い聞かせるかのように。
それからウェールズは立ち上がる。良く見ると、その胸や喉には致命傷と思える傷がついていた。しかし……彼らはそれを気にした風もなく、生者と変わらぬ動きを見せていた。彼らは斃れた馬を確かめ始めた。しかし、全て事切れている。すると次に彼らは叢の中へと、1人、また1人と一定の距離を取って、消えて行った。待ち伏せの陣形だ。何らの意思の疎通の素振りをさえないままに、ウェールズを含む一行は統一の取れた動きを見せているのである。まるでそれ自体が1個の生命であるかのように、だ。
シルフィードに跨り飛ぶ俺たちは、街道上、無惨に人の死体が転がる光景を見付けた。
シルフィードを止め、その上から降りる。
タバサは降りずに、油断なく辺りを見張っている。
「ひでえ」
才人は呟いた。
焼け焦げた死体やら、手足がバラバラに捥がれた死体やらが沢山転がっているのだ。血を吐いて斃れた馬と“ヒポグリフ”が、何頭も斃れている。先行していたはずの“ヒポグリフ隊”だろう。
「生きている人がいるわ!」
キュルケの声で、才人とルイズ、シオンが駆け付ける。
腕に深い怪我を負っているが、なんとか生き永らえている様子だ。
「大丈夫?」
モンモランシーを連れて来れば良かった、とルイズは後悔した。このくらいの傷であれば、彼女の“水”の“魔法”でなんとかなるかもしれないのだから。
「大丈夫だ……あんた達は?」
「わたし達も、貴方たちと同じ、女王陛下を誘拐した一味を追って来たのよ。いったい、何があったの?」
震える声で、騎士は告げた。
「あいつ等、致命傷を負わせたはずなのに……」
「なんですって?」
しかし、それだけ告げると騎士は首を傾げた。救けが来たという安心感からだろうか、気絶してしまったようである。
その瞬間、四方八方から、“魔法”による攻撃が飛んで来た。
逸早く、俺とタバサが反応し、タバサは頭上に空気の壁を創り上げ、“魔法”による攻撃を弾き飛ばす。俺もまた、“魔力”で周囲に障壁を生み出し、左右から飛来する攻撃から皆を守る。
叢から、ゆらりと影が立ち上がる。
1度死んで、“アンドバリの指輪”で蘇っただろう“アルビオン”の“貴族”たちであった。
そんな彼らを目にして、シオンの顔は蒼白になる。当然、シオンは彼らと面識があるのだから。
キュルケとタバサが身構える。しかし、敵はそれ以上の攻撃を放って来ない。
緊張が奔る。
その中に、懐かしい人影を見付け、シオンと才人、ルイズは驚愕した。
「ウェールズ皇太子!?」
「お兄さま……」
クロムウェルは、“水の精霊”の元から盗み出した“アンドバリの指輪”で、死んだウェールズに偽りの生命を与え、アンリエッタを攫おうとしたのである。
その卑怯と言える遣り口に、才人は怒りを覚えた様子を見せ、背負ったデルフリンガーを掴み、左手甲の“ルーン”を光らせる。
「姫さまを返せ」
しかし、ウェールズは微笑を崩さない。
「可怪しな事を言うね。返せも何も、彼女は彼女の意思で、僕に付き従っているんだ」
「なんだって?」
ウェールズの後ろから、ガウン姿のアンリエッタが現れた。
「姫さま!」
ルイズが叫ぶ。
「こちらに入らしてくださいな! そのウェールズ皇太子は、ウェールズ様ではありません! クロムウェルの手によって“アンドバリの指輪”で蘇った皇太子の亡霊です!」
しかし、アンリエッタは足を踏み出さない。戦慄くように、唇を噛み締めている。
「……姫さま?」
「見ての通りだ。さて、取引と行こうじゃないか」
「取引だって?」
「そうだ。ここで君たちと殺り合っても良いが、僕たちは馬を失ってしまった。朝まで馬を調達しなくてはいけないし、道中危険もあるだろう。“魔法”はなるべく温存したい」
タバサが、得意な“ウィンディ・アイシクル”の“呪文”を“詠唱”した。
何本もの氷の矢がウェールズの身体を貫いた。
しかし……やはりというか、ウェールズは倒れない。そして、見る間に傷口は塞がって行く。
それを目にしたシオンは、ショックを隠せないでいる様子だ。そして、何かを決心した、覚悟を決めたような表情を浮かべ、雰囲気を醸し出す。
「無駄だよ。君たちの攻撃では、セイヴァー君以外の攻撃では僕を傷付ける事はできない」
その様子を見て、アンリエッタの表情が変わった。
「見たでしょう!? それは王子じゃないわ! 別の何かなのよ! 姫さま!」
しかし、アンリエッタは信じたくない、とでも言うように首を左右に振った。それから、苦しそうな声で告げた。
「お願いよ、ルイズ。“杖”を収めてちょうだい。私たちを、行かせてちょうだい」
「姫さま? 何を仰るの!? 姫さま! それはウェールズ皇太子じゃないのですよ! 姫さまは騙されているんだわ!」
アンリエッタはニッコリと笑った。鬼気迫るような笑みだ。
「そんな事は知ってるわ。私の居室で、唇を合わせた時から、そんな事は百も承知。でも、それでも私は構わない。ルイズ、貴女は人を好きになったことがないのね。本気で好きになったら、何もかも捨てても、着いて行きたいと思うものよ。嘘かもしれなくても、信じざるをえないモノよ。私は誓ったのよルイズ。“水の精霊”の前で、誓約の言葉を口にしたの。“ウェールズ様に変わらぬ愛を誓います”と。世の全てに嘘を吐いても、自分の気持ちにだけは嘘は吐けないわ。だから行かせてルイズ」
「姫さま!」
「これは命令よ。ルイズ・フランソワーズ。私の貴女に対する、最後の命令よ。道を開けてちょうだい」
“杖”を掲げたルイズの手が、ダランと下がった。アンリエッタの決心の堅さを知り、どうにもならなくなってしまったのだ。それほどまでに“愛”していると言われて、どうして止めることができようか、といった風に。
「シオン、お前も一緒に来ないか? 悪いようにはしない」
「……お兄さま……」
ウェールズの言葉に、シオンは返事をしない。ただ、静かに見つめ返すだけだ。
諦めたといった風に、ウェールズは首を横に振った。
1人の生者を含む、死者の一行はルイズ達が呆然と見送る中、先へ進もうとした。
しかし、その前に……。
デルフリンガーを構えた才人、シオン、そして俺が立ち塞がる。
アンリエッタの気持ちはわかる。理解できるのだが。
だがしかし、才人の心が赦せないと叫んでいるのだ。そんな事は認められないと、心のどこかが悲鳴を上げているのだ。怒りと、悲しみを含んだ声で才人は言った。
「姫さま。言わせて貰うよ。寝言は寝てから言いな」
才人のその肩が、全身が、震えている。
「恋も、愛も知らねえ、女とまともに付き合った事のない俺にだってこのぐれえは理解る。そんなのは“愛”でも何でもねえ。ただの盲目だ。頭に血が昇って理解らなくなってるだけだ」
「どきなさい。これは命令よ」
精一杯の威厳を振り絞って、アンリエッタが叫ぶ。
「生憎、俺はあんたの部下でもなんでもねえ。命令なんか利けねえよ。どうしても行くって言うなら……仕方ねえ。俺はあんたを叩っ斬る」
「ごめんなさい。お兄さま、アンリエッタ。これ以上は行かせられないわ。家族だからこそ、兄妹だからこそ」
1番初めに動いたのはウェールズだった。実の妹がいるにも関わらず、攻撃性の高い“呪文”を唱えようとした。
が、才人が飛びかかる、しかし、水の壁が才人を吹き飛ばした。
“杖”を握ったアンリエッタが、震えながら立ち竦んでいる。
「ウェールズ様には、指1本触れさせないわ」
水の壁は才人を押し潰すかのように動く。しかし、次の瞬間アンリエッタの前の空間が爆発し、彼女は吹き飛んだ。
“エクスプロージョン”。ルイズが“呪文”を“詠唱”したのだ。
「姫さまと言えども、わたしの“使い魔”には指1本足りとも触れさせませんわ」
髪の毛を逆立てて、ピリピリと震える声でルイズが呟いた。
その爆発で、呆然と成り行きを見守っていたタバサとキュルケが“呪文”を“詠唱”した。
戦いが始まったのである。
“魔法”が飛び交う中、才人はルイズの前でデルフリンガーを振り続けた。
辺りは派手な攻撃“魔法”が飛び交っているが、お互いに致命傷を与える事ができないでいる、いや、この中で俺だけが余裕を示し、自身が“投影”した“
敵の連携は巧みではあった。が、“サーヴァント”に対しては有効的な攻撃はないと言えるのだから。
「炎が利くわ! 燃やせば良いのよ!」
キュルケは、俺が振るう“
キュルケの炎が立て続けに繰り出される。
タバサは直ぐに攻撃をキュルケの援護に切り替え、斬ったところで対象は直ぐに回復してしまい無意味であるということもあって才人も支援に回った。
キュルケ目掛けて飛ぶ“魔法”を、才人はデルフリンガーで吸い込ませる。
しかし、キュルケの炎で3体ほど斃した時……敵は“魔法”の射程から一気に離れた。態勢を立て直すつもりであろう。
「このまま、少しずつ炎で燃やして行けば……勝てるかもね」
キュルケが呟いた。
しかし、天は才人たちに味方しなかったらしい。
ポツポツと、頬に当たるモノに一番先に気が付いたのはタバサだった。珍しく焦った表情を浮かべ、空を見上げた。
巨大な雨雲が、いつの間にか発生していたのだ。
降り出した雨は、一気に本降りへと変わる。
アンリエッタが叫んだ。
「“杖”と剣を捨てて! 貴方たちを殺したくない!」
「姫さまこそ目を覚まして! お願いです!」
ルイズの叫びが、激しく降り出した雨粒で掻き消される。
「見てごらんなさい! 雨よ! 雨! 雨の中で“水”に勝てると思っているの!? この雨のおかげで、私たちの勝利は動かなくなったわ!」
「そうなんか?」
才人が不安げに叫んだ、
キュルケがやれやれと言わんばかりに首肯いた。
俺が持つ“
「とにかく、これであの姫さまは水の壁を全員に張れるわね。あたし達の炎も役立たず、タバサの風と、貴男たちの剣では相手を傷付けることすらできないだろうし……えっと、打ち止め。負け!」
ルイズは苦しそうな声で呟いた。
「仕方ないわ。逃げましょう。ここであんた達を死なす訳には行かないわ」
「でも、逃げられるのかな? 囲まれてるじゃん」
シオンと俺を除いた皆が黙ってしまう。
その時デルフリンガーが、恍けた声を上げた。
「あ!」
「どうした?」
「思い出した。あいつら、随分懐かしい“魔法”で動いてやがんなあ……」
「はい?」
「“水の精霊”を見た時、こうなんか背中の辺りがムズムズしたが……いや相棒、忘れっぽくてごめん。でも安心しな。俺が思い出した」
デルフリンガーのその言動に、俺は思わずニヤリとしてしまう。
対して、シオンを除いた皆はやはり何が何だか理解できていない様子を見せる。
「なにをだよ!?」
「あいつ等と俺は、根っこは同じ“魔法”で動いてんのさ。とにかくお前らの“4大系統”や“魔術”とは根本から違う、“先住”の“魔法”さ。ブリミルもあれにゃあ苦労したもんだ」
「なによ!? 伝説の剣! 言いたい事があるんならさっさと言いなさいよ! 役立たずね!」
「役立たずはお前さんだ。折角の“虚無の担い手”なのに、見てりゃあ馬鹿の1つ覚えみてえに“エクスプロージョン”の連発じゃねえか。確かにそいつは強力だが、知っての通り“精神力”を激しく消耗する。今のお前さんじゃ、この前みてえにでっかいのは1年に1度撃てるか撃てねえかだ。今のまんまじゃ花火と変わんね」
「じゃあどーすんのよ!?」
「“祈祷書”のページを捲りな。ブリミルはいやはや、大した奴だぜ。きちんと対策は練ってるはずさ」
ルイズは言われた通りにページを捲った。
しかし、“エクスプロージョン”の次は相変わらず真っ白である。
「何も書いてないわよ! 真っ白よ!」
「もっと捲りな。必要があれば読める」
ルイズは文字が書かれたページを見詰めた。
そこに書かれた古代語の“ルーン”を読み上げる。
「……“ディスペル・マジック”?」
「そいつだ。“解除”さ。さっきお前さんが呑んだ薬と、理屈は一緒だ」
アンリエッタは悲しげに首を振った。このままルイズとシオン達は逃げ出すかと思ったのだが、逃げない。おまけに、ルイズを中心に据えてさらにお互い近付き、緊密な円陣を組み始めたのだから。
顔を上げ、アンリエッタは“呪文”を唱え始める。(できることなら殺したくはない。でもこれ以上、行く手を阻むと言うのなら……)、と、“呪文”の“詠唱”と共に、決意を堅め、雨粒を固めて行く。
味方の“メイジ”の1人1人に、水の鎧が纏わり付いて行く。
これで“炎”による攻撃は封じたと言えるだろう。
さらにアンリエッタは“呪文”を唱える。
その“詠唱”にウェールズの“詠唱”が加わる。ウェールズはアンリエッタを見つめて、冷たい笑みを浮かべた。その温度に気付きながらも、アンリエッタの心は熱く潤んだ。
水の竜巻が、2人の周りをうねり始めた。
“水”、“水”、“水”、そして“風”、“風”、“風”。“水”と“風”の6乗。
“トライアングル”同士といえど、このように息が合う事は珍しい。ほとんどない、と言っても過言ではない。しかし選ばれし――“始祖ブリミル”の血をよ良り濃く受け継いでいる“王家の血”がそれを可能にさせるのである。
“王家”のみに許された、“ヘクサゴン・スペル”。
“詠唱”は干渉し合い、巨大に膨れ上がる。2つの“トライアングル”が絡み合い、巨大な六芒星を竜巻に描かせる。津波のような竜巻だ。この一撃を受ければ、城でさえ一撃で吹き飛ぶだろうと思わせるほどの。
謳うようなルイズの“詠唱”が雨音に混じる。
才人の背中に、ルイズの“詠唱”は心地好く染み込んで行く。
今のルイズには、もう何も届いていない。己の中でうねる“精神力”を練り込む。古代の“ルーン”を次から次へと口から吐き出させ続けている。
「この娘、どうしたの?」
キュルケが笑みを浮かべて尋ねる。
「ああ、ちょっと伝説の真似事をしてるだけさ」
才人はデルフリンガーを握り締め、やはり笑うような声で答える。
ルイズの“虚無”の“詠唱”を聞いていると、彼の中で勇気が漲って来るのだった。笑ってしまうくらいに陳腐な勇気ではあるのだが、死を前にしてさえ、冗談を言わせてしまう、そんな勇気だ。
「そう。そりゃ良かったわ。せめて伝説くらい持って来ないと、あの竜巻には勝てそうにないからね」
ウェールズとアンリエッタの周りを巡る巨大な水の竜巻は、どんどん大きくなって行っている。
ルイズの小さな“詠唱”はまだ続いている。“虚無”の“詠唱”は、やはり基本的にとても長いのだ、
「やべえなあ。やっぱり向こうが先みてえだなあ」
デルフリンガーが呟く。
「どうしよう?」
「どうしようもこうしようもねえだろが。あの竜巻を止めるのがお前さんの仕事だよ。“ガンダールヴ”」
「俺かぁ」
才人はフニャッと顔を歪めた。だが、恐怖は感じていない様子だ。どうやら、暴虐なまでの勇気が全身を揺さ振っているらしい。
「いや、不思議だな」
「どうした?」
「あんなにでっかい竜巻だってのに、ちっとも怖くねえ」
「そりゃそうさ。勘違いすんなよ“ガンダールヴ”。お前さんの仕事は、敵を殺っ付ける事でも、ひこうきとやらを飛ばす事でもねえ。“呪文詠唱中の主人を守護る”。お前さんの仕事はそれだけだ」
「簡単で好いな」
「主人の“詠唱”を聞いて勇気が漲るのは、赤ん坊の笑い声を聞いて母親が顔を綻ばすのと理屈は一緒さ。そういう風に出来てんのさ」
「任せたわよ」
キュルケが呟く。
タバサとシオンが才人の顔を見詰める。
そして、俺は才人と見合い、首肯き合った。
「楽勝だ」
才人は呟いた。
「俺は、“
ウェールズとアンリエッタの“呪文”が完成した。
うねる巨大な水の竜巻が俺たちに向かって飛んで来る。大きさも十分であり、そして同時に驚くほどに速い。
水の城、といった印象を与えて来る。
その城が激しく回転して、俺たちを呑み込もうと激しくうねっている。
才人は一気にステップを踏んで竜巻の前に飛び出ると、デルフリンガーでそれを受け止めた。
デルフリンガーを中心にして、水の竜巻が回転する。
呑み込まれそうになったが、才人は堅く両脚を踏ん張った。
才人の身体を痛みが襲う。呼吸ができなさそうな様子であり、水流が彼の身体を激しく嬲り、皮膚を引き剥がそうとしているかのように荒れ狂っている。
しかし、才人はそれを耐える。
彼の爪が剥がれる。彼の耳が千切れる。彼の瞼が切れて、眼球に激痛が奔る。
才人の右腕からデルフリンガーが離れ、関節が悲鳴を上げ、折れてしまう。
デルフリンガーが一気に水の中の“魔力”を吸い込んで行く。
才人が倒れそうになったその瞬間、ルイズが“詠唱”していた“魔法”、“ディスペル・マジック”の“呪文”が完成した。
音でも、光でもなく、背中から伝わる感覚が、才人にそれを教える。
才人は、「遅せよ、馬鹿」と呟いて、意識を手放した。
“呪文”を完成させたルイズの眼の前では、巨大な竜巻が荒れ狂っていた。
しかし、こちらへは近付いて来ない。
中で才人が竜巻に揉まれながら、必死に耐えている姿が彼女には見えた。
徐々に竜巻はその回転力を失い、そのうちに巨大な滝のように、地面にばっしゃーんと崩れ落ちた。才人も一緒くたになって地面に倒れ落ちそうになるが、タバサが“呪文”を唱え、ゆっくりと地面に横たわる。
ルイズは唇を噛んだ。そして、崩れ落ちる水の隙間から、敵であるウェールズ達目がけて“ディスペル・マジック”を叩き込んだ。
アンリエッタの周りに、眩い光が輝いた。
すうっと、隣に立っているウェールズが地面に崩れ落ちそうになる。
そんな彼の元へと駆け寄ろうとするアンリエッタだが、消耗し切っていた“精神力”の所為か、意識を失い、地面に倒れた。
そして、辺りは一気に、静寂に包まれた。
ルイズの唱えた“ディスペル・マジック”が完全に利かなかったのか、ウェールズは立ち上がり、こちらを睨んで来る。
「まったく、やってくれたね」
そう言って微笑を崩さないウェールズだが、やはりそれには冷たさを感じさせる。それが、彼が既に死んでおり、人形のようになっている事を理解させてしまう。
だが同時に、温さもそこにはあった。それはきっと――。
「君の事はワルド君から聞いているよ、“サーヴァント”、セイヴァー」
「そうか」
「君と僕とではどう違うのかな?」
「そうだな。的外れだが……例えば、この世界への喚び出され方、とかだろうな。他にも挙げるのであれば……いや、星の数ほどあるだろうが」
俺は少しばかりとぼけて言った。
「いや、良い。僕は、君みたいに“サーヴァント”になれる、かな?」
「難しいだろうな。お前は、何か大きな事をなした訳ではない。俺みたいに、“転生”をして“特典”を手にするか、“世界と契約”するかでもしない限り、無理だろうな。せいぜい、“幻霊”程度だろうさ」
俺の言葉に、ウェールズは柔らかな、温かさを感じさせる弱々しい笑みを浮かべる。
立ち上がり、言葉を交わしたのはほんの一瞬だけであり、やはり“ディスペル・マジック”が利いていたのだろう。ウェールズは、地面へと崩れ落ちた。
しばらく気を失っていたアンリエッタは、自分の名前を呼ぶ声で目を覚ました。
ルイズが心配そうに、アンリエッタを覗き込んでいるのだ。
雨は止んでいた。辺りの草は濡れ。ヒンヤリとした空気に包まれている。
アンリエッタは、先ほどの激しい戦闘が嘘のようだわ、と想った。
しかしそれは嘘でも幻でもなかった。
アンリエッタの隣には、冷たい躯となったウェールズの身体が横たわっているのだから。
そして他にも、そこかしこに、冷たくなった死体が転がっている。“アンドバリの指輪”で、偽りの生命を与えらえていた者の成れの果てだ。ルイズの“ディスペル・マジック”によって、偽りの生命を掻き消され。元の姿へと戻る――魂は身体から抜け、輪廻転生の輪へと戻り、そして“根源”へと向かったのだ。
アンリエッタにはその理由は理解らない。ただ、あるべき所にあるべきモノが戻って行った事を感じた。そして、今はそれだけで十分であった。
アンリエッタは、(夢だと思いたかった。でも、全ては悪夢のような現実だったのね。そして私は、全てを捨ててその悪夢に身を任せようとしていたのね)と思い、顔を両手で覆った。(今の私に、ウェールズ様の躯に縋り付く権利はないわ。ましてや、幼い頃より私を慕ってくれた、眼の前のルイズとシオンに合わせる顔がないもの)といった風に。
「私、なんて事をしてしまったのかしら」
「目が醒めましたか?」
ルイズは、悲しいような、冷たいような声でアンリエッタに問うた。怒りの色はない。色々と想うと所はあるだろうが、普段通りの彼女である。
アンリエッタは首肯いた。
「何と言って貴女たちに謝れば良いの? 私の為に傷付いた人々に、何と言って赦しを乞えば良いの? 教えてちょうだい。ルイズ、シオン」
「それより、姫さまのお力が必要なんです」
ルイズは斃れた才人を指さした。
「ひどい怪我」
「あの竜巻に巻き込まれたんです。姫さまの“水”で治してくださいな」
アンリエッタは首肯くと、“ルーン”と唱えた。“水”の力を蓄えた、“王家”の“杖”の力を行使する。
がしかし、彼女自身の“精神力”が底を尽いている状態に近いこともあり、効果は芳しくない。
俺は、静かに彼女たちに気づかれることがないように、ソッと微量の力で“治癒魔法”と“治癒魔術”を行使する。彼女自身の力だけで発揮されているかのように思える程度に。
才人の身体の傷が塞がって行く。
才人は目を覚ますと同時に、自分の怪我を治しているのがアンリエッタであるという事に気付き、目を丸くした。
「お詫びの言葉もありませんわ。他に怪我をされた方はおられるの?」
“ヒポグリフ隊”の生き残りの“貴族”が何人かいることを、伝える。
アンリエッタは、彼らの傷も治療しようと、“魔法”を使おうとし、俺が影から悟られないようにサポートする。
それから……俺たちは敵味方問わず、死体を木陰に運んだ。後で埋葬するにしても、このまま放置して置く訳には行かないのである。特にシオンは、しっかりと供養をしたい、といった様子を見せている。
俺たちは……ルイズも、才人も、キュルケも、タバサも、シオンも、当然俺もだが、アンリエッタを責めはしなかった。彼女は悪夢を見ていたも同然なのだから。甘い、誘惑の悪夢だ。憎むとすれば、このようにアンリエッタの心に付け入り、ウェールズに偽りの生命を与えた人物――クロムウェル一行であろう。いや、そんなクロムウェル達を、そういった行動に奔らせた、動機や理由、原因などだろう。
アンリエッタに罪はないとは言えないが、その罪に引き合う何かが存在するのも、また事実である。
アンリエッタはシオンと共に、最後にウェールズを運ぼうとした。
その時……。
アンリエッタとシオンの2人は心底信じられないモノを目にした。
もしかすると、アンリエッタの悲しい“愛”が、シオンの“愛”が、どこかに届いていたのかもしれない。誰かがソッと、その罪を癒やし、赦すために命の天秤をソッと揺らしたのかもしれない。
アンリエッタがウェールズの頬に触れると、その瞼が、弱々しく開いたのだ。
「……アンリエッタ? シオン? 君たちか?」
弱々しく、消え入りそうな声であったが、紛れもなくウェールズの声であった。
アンリエッタとシオンの肩が震えた。
奇跡が“ハルケギニア”に存在するとしたら、まさにこの時がそうであったと言えよう。消えていたはずの生命の灯火に、わずかの輝きが与えられた理由は、誰にも説明できやしないのだから。ルイズの“ディスペル・マジック”が偽りの命を吹き飛ばした時に、わずかに残っていたウェールズの生命の息吹に火を灯したのかもしれない。
アンリエッタのウェールズを想う気持ち、そしてシオンのウェールズを想う気持ちが、かすかに神――人の“抑止力”――“アラヤ”などに働きかけたのかもしれない。
ただ、ウェールズは目を開けた、それは紛れもない事実であった。
どちらにせよ、“聖杯”などを用いたモノではなく、真実、文字通りの奇跡だ。
「ウェールズ様……」
「お兄さま……」
アンリエッタは恋人の名を、シオンは兄を呼んだ。
彼女たちは、今度のウェールズは本物――偽りの生命によるモノではなく、彼自身が持つ本来の“魂”と感情によるモノだと、理解した。理解することができた。
アンリエッタとシオンの目から、涙が流れた。
「なんという事でしょう。おお、どれだけこの時を待ち望んた事か……」
驚いた顔の一行が、3人へと駆け寄る。目を開いたウェールズを見て、皆は目を丸くした。
アンリエッタとシオンはその時になって、赤い染みがウェールズの白いシャツに広がるのを見付けた。偽りの生命によって閉じられていた、ワルドに突かれた傷が開いたのである。
2人は慌ててその傷を塞ごうとして、“呪文”を唱えた。
がしかし……残酷なことに、その傷には彼女たちの“魔法”は通用しない。適用されない。傷口は塞がらず、血の滲みは大きくなるばかりだ。
「ウェールズ様、そんな……嫌だ、どうして……?」
「お兄さま……」
「無駄だよ……2人とも。この傷はもう、塞がらない。1度死んだ肉体は、2度と蘇りはしない。僕はちょっと、ほんのちょっと帰って来ただけなんだろう。もしかしたら“水の精霊”が気紛れを起こしてくれたのかもしれないね」
「ウェールズ様、嫌、嫌ですわ……また私を1人にするの?」
「アンリエッタ。最期のお願いがあるんだ」
「最後だなんて、仰らないで」
「君と初めて出逢った、あの“ラグドリアンの湖畔”に行きたい。そこで君に約束して欲しい事があるんだ。シオン、お前にもだ」
タバサがシルフィードを連れて来た。
才人と俺、キュルケが3人で、ウェールズをその背に乗せる。続いてシルフィードに跨ったアンリエッタは、ウェールズの頭を膝の上に乗せ、落ちないように身体を支えてやった。
シオンはその後ろに乗り、俺たちを乗せて、シルフィードは舞い上がった。
一路、“ラグドリアン湖”を目指して、シルフィードは飛んた。
“ラグドリアン”の湖畔、ウェールズはアンリエッタの肩とシオンの肩に身体を預ける格好で、浜辺を歩いていた。
薄っすらと空が白み始めている。どうやら、朝が近いようだ。
「懐かしいね」
「ええ」
「初めて逢った時、君はまるで妖精のように見えたよ。ほら、この辺りで水浴びをしていた」
ウェールズは一画を指さした。
既に目も見えなくなっているのだろう。そこはアンリエッタの記憶とは全く違った場所であった。が、アンリエッタは首肯いた。泣きそうになる気持ちを必死に押さえて、「もう、相変わらずお上手ですわね」と応えた。
「あの時、僕はこう想ったモノだ。このまま2人で、全てを、いや、シオンと君以外の全てを、“愛”する皆以外を捨てられたらと。どこでも良いんだ。場所なんか気にしない。庭付きの、小さな家があれば良い。ああ、花壇が必要だな。君たちが花を植える花壇だ」
ウェールズの足は、一歩歩く度に力が抜けて行くようだ。
「ねえ、ずっと訊きたいと思っていたの。どうしてあの時は、そんな優しいことを仰ってくださらなかったの? どうして“愛”していると、仰ってくれなかったの? 私、ずっとその言葉を待っていたのよ?」
ウェールズは力無く微笑んだ。
「君を不幸にすると知って、その言葉を口にする事は僕にはできなかった」
「何を仰るの、貴男に“愛”される事が、私の幸せだったのよ」
ウェールズは黙ってしまった。
“愛”するウェールズの身体から、生気が少しずつ、失せて行くのをアンリエッタとシオンは感じた。
ここまで永らえたのが、奇跡というべきなのだろう。
彼女たちは、(泣く訳にはいかない。残された時間、少しでも良いから会話を交わしていたい)と思った。それでも声が震えてしまう。
『ねえ、セイヴァー……』
『どうした?』
『どうにかならないの? できないの?』
『できることはできるが……』
実際、“原作”である“stay/night”でもあったように、“魂”を物質化させ、人形の中へとその魂を入れ直すことでどうにかできることはできるだろう。だがそれは――。
『ううん。やっぱり良い。気にしないで』
念話であっても、シオンの声、言葉は震えていた。
彼女は、感情、欲を押さえ込もうとしている。生者が抱く、死者に対する生者側の望みなどを。
「ああ、そう言えば……さっきここに来る前、夢を見たよ」
「どんな夢なの? お兄さま」
弱々しい声で言ったウェールズの言葉に、シオンは反応を返す。
「なんて事はない、良くある夢だよ。そこには、シオンがいて、アンリエッタがいて、父上がいて……“貴族派”も“王党派”もない。皆が笑顔で暮らし、幸せな生活を送る……」
ウェールズはしばらく間を置いた後、再び口を開いた。
「シオン、頼み事がある」
「なに、お兄さま?」
「“アルビオン”を、頼む……」
その一言だけで十分だった。
シオンは、何度も首肯いた。
「嗚呼、安心した。次に、誓ってくれ、アンリエッタ」
「なんなりと誓いますわ。何を言えば良いの? 仰ってくださいな」
「僕を忘れると。忘れて、他の男を“愛”すると誓ってくれ。その言葉が聞いたい。この“ラグドリアンの湖畔”で、“水の精霊”を前にして、君のその誓約が聞きたい」
「無理を言わないで。そんな事を誓えないわ。嘘を誓える訳がないじゃにあ」
アンリエッタは、その肩を震わせて立ち尽くした。
「お願いだアンリエッタ。じゃないと、僕の“魂”は永劫に彷徨うだろう。君は僕を不幸にしたいのかい?」
アンリエッタは首を横に振った。
「嫌。絶対に嫌ですわ」
「時間がないんだ。もう、もう時間がない。僕はもう……だから、お願いだ……」
「だったら、だったら誓ってくださいまし。私を“愛”すると誓ってくださいまし。今なら誓ってくださいますわね? それを誓ってくだされば、私も誓いますわ」
「誓うよ」
アンリエッタは、悲しげな顔で、誓いの言葉を口にした。
ウェールズは満足そうに、「ありがとう」、と消え入りそうな震える声で呟いた。
「次は、貴男の番よ。お願いですわ」
「誓うとも。僕を水辺へ運んでくれ」
アンリエッタとシオンは、ウェールズを水辺へと運んだ。
朝日が木々の間から顔を出し、この世のモノとも思えぬほどの美しさで、“ラグドリアンの湖畔”が輝いた。
水に足が浸かる。
アンリエッタとシオンは、ウェールズの肩を握り締めた。
しかし、ウェールズは答えない。
「ウェールズ様?」
アンリエッタがその肩を揺さ振る。
隣では、シオンは大粒の涙をポロポロと湖へと落としている。
既に、ウェールズは事切れてしまっていたのだ。
この場所で、初めてウェールズに逢った日々を、アンリエッタはゆっくりと想い出した。想い出の1つ1つを、宝石箱の中から取り出すようにして、確かめて行く。楽しく、輝いていた日々はもう来ない。
この湖畔で交わした誓約の言葉が守られる事はもう、無い。
「意地悪な人」
真っ直ぐに前を見たまま、アンリエッタは呟いた。
「最期まで、誓いの言葉を口にしないんだから」
ユックリとアンリエッタは目を閉じた。
閉じた瞼から、涙が一筋垂れて、頬を伝った。
木陰からそんな2人の様子を見守る才人はルイズの肩を叩いた。
ルイズはジッとそんなアンリエッタとシオンの様子を見詰めて、声を殺すようにして泣いていた。
ルイズの肩を抱きながら、才人は(俺は正しかったのか? あの時、姫さまを行かせてやった方が、姫さまが言ったように……幸せだったんじゃ? 偽りの生命でも、偽りの愛でも……本人が真実と信じられるなら、それで良かったんじゃ?)、と、幼子のように泣きじゃくるルイズの肩を抱きながら、ズッとそんな事を考え続けた。それから才人は、(何が正しくて、何が正しくないのか……これからも自分を悩ませる事があるだろうな)とボンヤリと思った。
これからもこのような決断を迫られる時が来るだろう事は確かである。
才人は強くルイズを抱き締めた。
せめてその時……己が迷わぬように、と祈りを込めて。
アンリエッタとシオンは、ウェールズの亡骸を水に横たえた。それから2人して小さく“杖”を振り、“ルーン”を唱える。
湖水が動き、ウェールズの身体はユックリと水に運ばれ、沖へと沈んで行く。
水はどこまでも深く透明で……沈んで行くウェールズの亡骸がハッキリと見えた。
アンリエッタとシオンは、ウェールズの姿が見えなくなっても、そこに立ち尽くした。
「見ているのですか? お兄さま。夢の続きを……」
沈んで行ったウェールズの顔は、偽りの生命を与えられ人形として使われたのにも関わらず、“愛”する2人と再逢できた事、そしてアンリエッタとの出逢いの場所である“ラグドリアンの湖”に来ることができた事、約束をし、誓約を聞き届けた事によるモノか、満足したような、そして楽しい夢を見ているような表情を浮かべていた。
湖面が太陽の陽光を反射させ、7色の光を辺りに振りまき始めても……アンリエッタとシオンはジッと、いつまでも見続けた。