ゼロの使い魔S   作:りおんざーど

33 / 163
トリスタニアの休日と狐鼠狩り

 “サン・レミ”の寺院の鐘が、11時を打った。

 俺と才人はやや駆け足といった具合で、“チクトン街”を中央広場へと向かっているところである。

 なぜ走っているのかというと……待ち合わせをした時間を少しばかり過ぎてしまい、遅れてしまいそうになっているからである。

 人混みを掻き分け、どうにかこうにかやっとの想いで中央広場へと到着すると、そこでは待ち人の2人、特にその1人が不満を隠すこともなくそれを表情に出して唇を尖らせていた。

「よ、よお」

 噴水に腰かけていたルイズは、才人を見ると頬を膨らませた。

「なにやってるのよ!? 遅いじゃないのよ!」

「まあまあ、ルイズ。なにか事情があったんでしょ? だから、落ち着いて。まだ間に合うから、ね?」

 シオンの言葉を聞いてどうにか落ち着いた様子を見せるが、やはりまだ不満そうな様子を見せるルイズ。

「いや……出かけにスカロンさんに捕まっちゃって」

「放っておきなさいよ」

「いや、一応、雇い主だし……」

 ルイズに事の事情を説明する才人だが、ルイズはそれでも待たされたことに対して不満を少しばかり抱えているのだろう。彼女は才人をガミガミと責め立てる。

 才人は、(嗚呼、こんなに怒られるんなら、待ち合わせなんかするんじゃなかった)、と思い、頭痛を感じているといった様子を見せた。

「まあ、落ち着きたまえ、ルイズ。スカロンは雇い主であり、俺たちは宿泊もさせて貰っている立場だ。無碍に扱う訳にもいくまいて」

 シオンの言葉、俺の言葉、そして才人の謝罪とその理由などから、どうにかルイズは落ち着きを取り戻す。

 ルイズは、一応、いや、出かけるということもあり、最低限ではあるがお粧しをしていた。“貴族”とバレては困る為に、豪華な格好ではなかったのだが……最近街娘の間で流行りだといわれている、胸の開いた黒いワンピースに黒いベレー帽だ。そして、才人が上げたペンダントを首に巻いている。そうしていると、生粋の“タニア”っ娘に見えるだろう。流石は年頃の女の子だろうか、街の着熟しを凄い勢いで身に着けつつあるルイズである。

 腕を組み、ツイッ、と顎を傾げる仕草に敵う女の子は……この街にはそうそういやしないだろう。

 桃色のブロンドは陽を受けるとキラキラと輝き、鮮やかに光るのだ。クリクリと動く鳶色の瞳は、まるで別世界にでも通じているのかと思わせる扉のようであるといえるだろう。

 才人は、(嗚呼、黙ってればやっぱ可愛いのにな。あー、ご主人さま、一応可愛いなー)と思い、ポカンとした様子を見せる。

 そうしていると、才人はルイズに足を蹴っ飛ばされてしまう。

「なかなか似合っているぞ。ふむ。こうして見ると……やはり何を着ても似合うモノだな。流石は“マスター”だ」

「ありがとう、セイヴァー」

 俺は、聞いているだけで、自分でも口にするだけで恥ずかしい気持ちになる言葉を、思ったままに感想を述べる。いや、なにも、称賛やお世辞にもなっていない言葉なのだが……。

 が、シオンはそういったことを気にした風もなく、素直に俺の賞賛の感想と言葉へとお礼を口にしてくれる。

 シオンは、ルイズほどお粧しをしているという訳ではない。この世界のこの時代のごく一般的な街娘だといえるだろう服装をしている。それを見事に着熟してみせていた。だが、サラサラとした金色の長髪など、そして立ち振舞いなどから、やんごとなき――高貴な身分の者がその身分を隠して行動しているのではとバレてしまいそうな具合だ。

 俺はどうにか、そんな彼女へと、ルイズと才人を除く周囲からの認識を誤魔化す為の“魔術”と“魔法”をかけている。その為に、バレることや悟られることなどは決してない。

「ほら、行くわよ。お芝居が始まっちゃうじゃない」

 なんだか照れたような声で、ルイズが言う。

 才人が首肯き、それに次いでシオンも首肯いて、4人で歩き出そうとする。がしかし、ルイズは立ち止まったままだ。

「なんだよ?」

「もう! エスコートしなさいよ!」

「えすこーとぉ?」

「そうよ。ほら」

 ルイズは、素っ頓狂な声を上げた才人の腕を引っ張った。

 才人は、「へ?」と呆けッとしていると、そこにルイズの腕が通される。(腕を組むのか!?)、と才人は妙に照れた様子を見せる。「普段、と言うよりもいつもは腕枕をして寝ているだろうにも関わらずに、今さら腕を組んだくらいでなに?」、という意見もあるだろうが、やはり街中を腕を組んで歩くというのは新鮮さがあるだろう。

 才人はとても緊張した様子を見せている。

 すると、今度はルイズは才人の足を踏んだ。

「な、なんだよ!?」

「“レディこちらです、ご案内します”、くらいの事言えないの?」

 ルイズは、う~~~、と唸って言った。

「え、えと、レィでぃ、こちらです。ご案内します。って、劇場どこ?」

 ルイズは溜息を吐いて首を横に振ると、グイグイと才人の腕を引っ張って歩き出した。

「もう! エスコート1つできないんだから! こっちよ! こっち!」

 どちらがエスココートをしているのかわからない勢いで、2人は先に歩き出す。

「相変わらずだね」

「そのようだな。では、“マスター”、いや、レディ。お手をどうぞ。ここから先は、彼らを見倣い、エスコートさせて頂きましょう」

「ええ、喜んで。ありがとう、セイヴァー」

 軽く腕を組み、2人の後に続く。

 身長差がある為に、まるで歳の離れた兄妹のようだり、また、親娘のようでもあるだろう。

 そうこうして、俺たち4人は夏の陽射しが射し込む“トリスタニア”を、劇場目指して歩き出した。

 

 

 さて、なぜこの4人がわざわざ待ち合わせをして芝居などを観に行くことになったのかというと……。

 本日は週半ばの“ラーグ”の曜日であり、お店は休みとなっている。

 ルイズが「芝居を観に行きたい」と言い出したのはこの日の早朝、才人と屋根裏部屋で朝食(寝る前に食べるのだから、実際には朝食という名の夕食であるのだが)を食べている時であった。

「芝居?」

「そうよ」

 ルイズはなんだか気恥ずかしそうに呟いた。

「お前、芝居なんか好きなんか?」

「別に好きじゃないわ。でも、観てみたいの」

「観たことないの?」

 ルイズはコクリと首肯いた。

 ルイズは地方育ちである。厳しく躾けられたらしいこともあり、街くらいにしか劇場はないだろうこともあって、行ったりすることはできなかったのだろう。

 才人は、そう考えてみると、急に不憫に感じたのだろう、(ま、いっか)となったのだ。

「いいけど、どうしてまた芝居なんだ?」

「ジェシカが言ってた。今、そのお芝居がとっても流行ってるんだって」

 ルイズは女の子だ。女の子というモノは、例外はあるだろうが、男性も含めて、そのほとんどが流行りモノには弱いようである。

 そして……ルイズはそこで、なぜか待ち合わせを主張した。

「一緒に行ったら気分台なしじゃない。こういうのは気分が大事なの! だから待ち合わせするの!」

「待ち合わせ?」

「いいこと? 中央広場の、噴水の前でわたしを迎えて来てちょうだい」

「めんどくせえな」

「めんどくさいじゃないの。そこから、“タニアリージュ・ロワイヤル座”は直ぐなんだから」

「ふーん」

 そういったこともあって、待ち合わせることになったのであった。

 そして、先にフロアにいたシオンと俺が、下りて来たルイズを見て、質問をし、一緒に行くことになったのである。

 シオンもまた、ルイズ同様に芝居というモノを劇場で見ることはあまりなかったらしい。“王族”である為に、そういった機会はいくつもあっただろうが、「立場に関係なく観たい」とのことらしい。

 いや、よくよく考えてみると、シオンはここ“ハルケギニア”に幼少期の頃からアンリエッタとルイズの幼馴染として共に過ごして来た。そして、立場も立場である。そういったこともあって、観ることなどできる機会などあるはずもなかったのである。

 

 

 “タニアリージュ・ロワイヤル座”は、なるほど確かに直ぐだった。

 豪華な石造りの立派だといえる劇場である。円柱が立ち並び、どこかの神殿を思させるような造りをしているのだ。

 お粧しをしている紳士淑女が階段を上り、劇場の中へと吸い込まれて行くように入場して行くのが見える。

 俺たちもまた、彼ら彼女らの後へと続く。

 切符売り場で意外に安い切符を買い求め、俺たちは客席へと向かった。

 舞台には緞帳が下りて、辺りは薄暗く……なるほど神秘的な雰囲気でルイズと才人、そしてシオンはワクワクとした様子を見せている。

 実際に、俺も前世――生前でこういった劇場での芝居というモノを観る機会はほとんどなかったといえる。そういったこともあって、やはり少なからず期待はしている。

 席には番号が振られており、切符に記載されている番号と同じ席に座るようである。これは、“地球”の映画館を始めとした施設などと同じだろう。

 俺とシオンは当然その番号通りの席へと向かい、座る。

 だが、浮かれてしまっている才人とルイズは気付かずに、俺たちから離れ、違う番号が振られている席へと座ってしまった。

 才人がそうして座り、ルイズと並んで開幕を待っていると、銀髪が美しい“貴族”だろう1人の初老の男性に肩を叩かれる。

「もし、君」

「は、はい」

「その席は私がずっと予約をしている席でね。君の席は別じゃないのかな?」

 そう言われたこともあり、才人は慌てた様子で切符の番号を確かめる。男性の言う通りであり、才人は慌て、申し訳なさそうな様子で、ルイズを促し立ち上がる。

「すみません。確かに、違う番号のようです」

「いや、なに。気にしてはいないよ。もしかして、君たちは初めてなのかな?」

「はい」

「そうか。では今度から気を付けることだ。いや、ここで間違いに気付き、改める事ができるのだから問題はないだろうな」

 そう言って初老の“貴族”の男性は、笑いながら予約をしていた席へと座る。彼は、どうやら、他の“貴族”とは違い、とても温厚であり、懐が深いのだろう、と思わせる。

「もう! 恥掻いたじゃない!」

 ブチブチとルイズは文句を、才人へと言った。

 席を探し、俺たちを見付けたのか、2人はシオンの横へとそれぞれ座る。

「なんていう劇なの?」

 才人はルイズへと尋ねた。

「……“トリスタニアの休日”」

「どんな話なの?」

「とある国のお姫さまと、とある国の王子さまが、身分を隠してこの“トリスタニア”にやって来るの。2人は身分を隠したまま出逢い、恋に堕ちるんだけど……お互い身分が判ると、離れ離れになっちゃうの。悲しいお話よ」

 そういったこともあって、若い女の子たちには人気の題材の劇らしい。

 なるほど、確かに周囲の客席には若い女性が溢れているのがわかるだろう。

 そして、才人に説明をするルイズの言葉を聞いて、シオンの顔に少し陰りが差す。

 “とある国のお姫さまと、とある国の王子さまが、恋に堕ちて、離れ離れになる”。その内容は、やはり、この前の出来事であるあの一件を想い出させるのだろう。アンリエッタとウェールズの恋、そして悲しい死別……実の兄と従姉妹のことを想い出してしまったのだろう。

 そうこうしていると、幕が上がり、音楽が奏でられ始める。どうやら開演のようである。

 美しい劇場内に、音楽が響き渡る。

「すごいな」

 ルイズは、と見ると、夢中になって舞台を見つめている。

 シオンもまた、どうやらルイズと同じようであり、先ほどの沈鬱な表情は消え失せ、舞台劇に夢中になっている。

 才人も初めて観る“ハルケギニア”での芝居というモノに、最初は夢中になって観入っていだのだが、しかし……直ぐに飽きてしまった様子を見せる。

 正直、俺もまた同様だ。

 脚本自体は悪くないといえるだろう……。だがしかし、どうにも役者が未まだ演じるということに慣れていないのか。有り体にいってしまえば下手なのである。

 俺と才人は別に、芝居マニアやヲタクなどという訳ではない。だが、“地球”にいる頃はそれなりに色々な映画を観たり、学校の劇とかを観て来た。それらに比べて見ると……どうにもやはり役者が大根であるのだ。たまに声が裏返ることもあれば、歌う場面では大きく音が外れてしまう時もあって音痴といえるだろう。ハッキリ言ってしまえば酷いオペラだ。

 しかしシオンとルイズはそれでも感動をしている様子を見せている。笑ったり、ハッ! としたり、ボロボロと泣いたりしているのだ。そういったことからも、感受性が高いのか、それともやはり芝居を観る機会というのがなかったのだろうと思わせる。

 まあ、そもそも“地球”では科学技術などが進歩していることもあって、娯楽に溢れ、観る機会が多いだけなのだが……それゆえに要求水準が高いのである。そういったことから、俺と才人はあまり良い印象を受けていないのだが。

 だがしかし……やはりこの芝居はあまり受けが良くないことが一目でわかってしまう。見回してみると、欠伸をしたり、つまらなさそうにしている客ばかりが見える。(評判聞いてやって来たのになによ?)、といった風な様子である。

 ただ、若い女性の客だけは……贔屓の役者でもいるのだろうか、夢中になって観入っている。その辺の客の匙加減はやはり、“地球”とあまり変わらないようである。

 そうして、退屈を感じていたのだろう、才人は眠気を感じ始め、我慢ができなくなってしまったのか、次第にウツウツとし始め、寝息を立て始めてしまう。

 ルイズは寝てしまった才人に気付き、(な、なによ!? こいつ……せっかくのお芝居なのに! わたしが誘ったのに!)といった風に、カッカ、としてしまう。

 ルイズにとって、これはデートである。ダブルデートだ。記念すべき生まれて初めてのデートであるのだ。だからこそ、待ち合わせなど細部に拘ったのにも関わらず、この“使い魔”である才人はそれに気付かないでいるのだ。そもそも、「初めてのデートなのだから、ダブルデートをするのはなにか違わないか?」といった疑問を抱きはするるが、追求はしない方が懸命だろう。

 ルイズは、(おまけにエスコートをしない。劇場の場所さえ調べなかった! 切符をわたしに買わせた! しかも席間違えて恥掻かせた! その上寝てる! せ、せ、せっかく人が初めてのデートのお相手に選んで上げたのに、ご主人さま相手いないからしかたなく! しかたなくあんた選んで上げたのに! どーゆーこと!?)と怒鳴り出したい気持ちを抑え、夢の世界へと旅立った才人を睨んだ。

 だが……芝居は長く……そのうちにルイズも飽きてしまったらしい。すると直ぐに睡魔が彼女へと襲いかかる。彼女の瞼がユックリと下りて行く。

 結局我慢をする事ができず……才人の肩に頭をもたれかからせるようにして……夢の世界で別のお芝居を観る為に……ルイズは船を漕ぎ始めてしまった。

 

 

 

 さてもう一組、芝居を観ていない客がいた。

 先ほど、才人に席の間違いを指摘した、初老の“貴族”の男性である。彼は商人風の男と並んで腰掛け、密談に精を出していた。

 その内容は……“トリステイン”の将軍たちが聞いたら引っ繰り返ってしまうだろうような内容である。そこでは、非常に行動な“トリステイン”の軍事機密が、まるで世間話のように交されているのだ。

「で、艦隊の建設状況は?」

 と、商人風の男が問いかける。

「少なくとも後、半年はかかるでしょう」

 と“貴族”の男が答えた。

 小声で何度かそういったやりとりが……“王軍”の機密に関する情報が交された後、商人風の男は“貴族”の男に小さな袋を手渡す。

 “貴族”の男は中を覗いた。

 中にはギッシリと金貨が詰めまっている。

 商人風の男が囁いた。

「しかし……劇場での接触とは考えましたな」

「なに、密談をするには人混みの中に限ります。ましてやここではヒソヒソ話をするのが当たり前。芝居小屋ですからな。どこぞの小部屋などで行えば、そこで良からぬ企みが行われていると、公言しているようなモノ」

「はは。我らが親愛なる皇帝陛下は、卿の情報に甚く感心を寄せられています。雲の上までお越しくだされば、勲章を授与するとの仰せです」

「“アルビオン”の御方は、豪気ですな」

「なに、いずれこの国もその名前で呼ばれることになりましょう。貴男の協力のおかげで」

 そう言うと、商人風の男は立ち上がろうとした。

 “貴族”の男は、それを引き止める。

「まだ、なにか?」

「なに、カーテンコール(終劇)はそろそろです。どうせなら最後まで観て行きませんか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 “トリステイン王宮”の通路の石床を、カツコツと長靴の響きを鳴らして歩く1人の女騎士の姿があった。短く切った金髪の下、澄み切った青い目が泳ぐ。ところどころ板金で保護された鎖帷子に身を包み、百合の紋章が描かれたサーコートをその上に羽織っている。その腰に提げられているのは……“杖”ではなく、細く長い剣であった。

 行き交う“貴族”や親衛隊の“メイジ”たちは擦れ違い様に立ち止まり、“王宮”で見かけることは珍しいこの剣士の出で立ちに目を丸くした。

 “メイジ”達はそんな彼女の提げた剣や、着込んだ鎖帷子を見て囁き合う。

「ふん! “平民”の女風情が!」

「あのような下賤な成りで宮廷を歩く許可を与えるなどとは……いやはや時代は変わったモノですな!」

「しかもあの粉挽き屋の女は“新教徒”という話ではないか! そんな害虫に“シュヴァリエ”の称号を与えるなどと……御若い陛下にも困ったモノだ!」

 彼女は自分の身体に投げかけられるそんな無遠慮な視線や聞こえよがしの中傷などには一瞥もくれず、ただただ真っ直ぐに歩く。通路の突き当り……アンリエッタの執務室を目指して。“魔法衛士隊”隊員の取り次ぎに、陛下への目通りの許可を伺う。

「陛下は今、会議中だ。改めて参られい」

 女騎士を見下した態度を隠そうともせずに、“魔法衛士隊”の隊員は冷たく言い放った。

「“アニエスが参った”とお伝えください。私は、いついかなる時でもご機嫌を伺える許可を陛下より頂いております」

 隊員は苦い顔をした。そしてドアを開け、執務室へと消える。それから再びやって来て入室の許可を女騎士――アニエスに与えた。

 アニエスが執務室に入ると、アンリエッタは“高等法院”のリッシュモンと会議を行っている最中であった。

 “高等法院”とは、“王国”の司法を司る機関である。ここには特権階級の揉め事……裁判が持ち込まれるのだ。劇場で行われる歌劇や文学作品などの検閲、“平民”たちの生活を賄う市場などの取締まりをも行うのだ。その政策を巡り、行政を担う王政府と対立する事もまたしばしばあるといえるだろう。

 アニエスに気付いたアンリエッタは、唇の端に微笑を浮かべ、リッシュモンに会議の打ち切りを伝えた。

「しかしですな、陛下……これ以上税率を上げては、“平民”どもから怨嗟の声が上がりますぞ。乱など起こっては、外国との戦どころの話ではないでしょう」

「今は非常時です。国民には窮乏を強いる事になりましょうが……」

「戦列艦50隻の建造費! 20,000の傭兵! 数十もの諸侯に配る15,000の国軍兵の武装費! それらと同盟軍の将兵達を食わせる為の糧食費! どこから掻き集めれば、このような金を暢達できるのですかな? 遠征軍の建設など、お諦めくだされ」

「“アルビオン”打倒は今や“トリステイン”の国是」

「しかしですな、陛下。かつて“ハルケギニア”の王たちは、幾度となく連合して“アルビオン”を攻めましたが……その度に敗北を喫しております。空を超えて遠征する事は、ご想像以上に難事なのですぞ」

 リッシュモンは身振りを加えて大仰に言い放つ。

 確かにそれは事実であろう。それはもちろん、アンリエッタ本人も十分に理解している。

「知っておりますわ。しかし、これは我らがなさねばならぬ事。財務卿からは“これらの戦費の暢達は不可能ではない”との報告が届いております。貴方方は以前のような贅沢ができなくなるからって、ご不満なのでしょう? 私のように、率先して倹約に努めてはいかがかしら?」

 アンリエッタは、リッシュモンが身に着けた豪華な衣装を見て皮肉な調子で言った。

「私は近衛の騎士に、“杖”を彩る銀の鎖飾りを禁止しました。上に立つ者が模範を示さねばなりませぬ。“貴族”も“平民”も“王家”もありませぬ。今は団結の時なのです、リッシュモン殿」

 アンリエッタはリッシュモンを見つめた。

 リッシュモンは頭を掻いた。

「これは1本取られましたな。理解りました、陛下。しかしながら“高等法院”の参事官たちの大勢は、遠征軍の編成には賛成できかねる、と言う方向で纏まりつつあります。そこは現実としてご了承頂きたい」

「意見の調整は、枢機卿と私の仕事ですわ。私たちには。“法院”の参事官たちを説得できる自信があるのです」

 そう言い放つアンリエッタを、リッシュモンは眩しいモノを見る目で見つめた。

「……なにか?」

「いえ……感心しておりました」

「感心?」

「そうです。このリッシュモン、先々代のあの偉大なる“フィリップ”様よりお仕えして早30年。お生まれになった時から、陛下以上に陛下の事を存じておりますれば」

「そうね」

「覚えてらっしゃらないと存じますが、陛下がお産まれになった時の先王両陛下のお喜びといったら! おそれながら、その小さなお身体を抱き上げ、憤る陛下をあやす公営に浴したことも、1度や2度ではありませぬ」

「貴男は良く、仕えてくださいました。母もそのように申しておりましたわ」

 アンリエッタは微笑を浮かべて、そう言った。

「もったいないお言葉です。先ほどの言葉とて、祖国を想えばこその苦言でございます」

「貴男が真の愛国者ということは、とても良く存じて上げております」

「なればもう、なにも申しますまい。あの泣き虫だった陛下が、このように立派になられた。それだけでもう、私には想い遺す事がありませぬ」

「今でも私は……ただの泣き虫ですわ。これからも祖国の為にお力をお貸しください。リッシュモン殿」

 頭を下げて、リッシュモンは退室の意向を告げた。

 アンリエッタは首肯く。

 リッシュモンは、扉の横に立つアニエスを一顧だにせず、退出して行った。

 ようやく順番が回って来たアニエスたは椅子に腰掛けたアンリエッタの御前へ罷り出ると、膝を突いて一礼をする。

「アニエス・シュヴァリエ・ド・ミラン、参上仕りました」

 顔を上げるように、アンリエッタが促した。

「調査はお済みになりまして?」

「はい」

 アニエスは懐から書簡を取り出すと、アンリエッタへと捧げた。

 それを取り、アンリエッタは中を確かめた。

 それは……アンリエッタがこの女騎士――アニエスに命じた、あの忌まわしき夜の調査の報告であった。

 そこにはあの夜、“アルビオン”からの誘拐者……偽りの命を与えられ、人形として蘇ったウェールズが誰の手引きで“王宮”へと忍び込んだかといった内容が記載されている。

「手引きをした者がいると……そう読めますわね」

「正確には、“王宮”を出る際に“直ぐに戻るゆえ門閂を閉めるな”と申して外に出られた方が1名」

「そして入れ違いに、私を拐かした一味が入って来たと」

 アンリエッタは苦しそうな顔をして、言った。

「ええ。わずか5分後です。陛下」

「それだけなら、偶然と言い張ることもできましょう。しかし、貴女の調査書に書かれたこのお金は……どうにも説明できないわね」

 そこに記載されているのは、その件の男が己の地位を確かなモノとする為に、最近ばらまいた裏金の合計記録であった。

「おおよそ7,0000“エキュー”……このような大金は、彼の年金で賄える額ではありませんわ」

「御意」

 膝を突いたまま、アニエスが同意の意を示す。

「屋敷に奉公する使用人に金を掴ませた情報ですが……“アルビオン”訛りを色濃く残す客が最近増えたとか」

「その使用人をここへ」

「昨日より連絡が取れませぬ。恐らく勘付かれ、消されたものかと」

 アンリエッタは溜息を吐いた。

「獅子身中の虫、とはこのことね」

「“レコン・キスタ”は国境を超えたる“貴族”の連盟と聞き及びます」

「お金でしょう。彼は理想より、黄金が好きな男。彼はお金で国を……私を売ろうとしたのです」

 アニエスは押し黙った。

 アンリエッタは、優しくその肩に手を置いた。

「貴女は良くやってくれたわ。お礼を申し上げます」

 アニエスは、身に着けたサーコートの紋章を見つめた。そこには百合を配った紋章――“王家”の印が象られている。

「私は、陛下にこの一身捧げております。陛下は卑しき身分の私に、姓と地位を御与えくださりました」

「私はもう、“魔法”を使う人が信用できないのです。一部の古御友たちを除いて……」

 悲しそうな声でアンリエッタは言った。

「貴女は“タルブ”で、“貴族”に劣らぬ戦果を上げました。従って貴女を“貴族”にする事に、なんの異議が挟めましょうか」

「もったいない御言葉でございます」

 アンリエッタは、その首を優しく掻き抱く。

「貴女は……この宮廷で苦労なさっているようね。アニエス」

「生まれが生まれですから。未だに粉挽屋(ラ・ミラン)と嘲笑されるのも、無理からぬことと存じます」

「生まれと、その魂の高潔さにはなんの関係もないのに、馬鹿な人たちね」

 呟くように、アニエスは問うた。

「例の男……御裁きになりますか?」

「証拠が足りません。犯罪を立件することは難しいでしょう」

 アニエスは、「なれば……」と低い言葉で続けた。

「陛下が新設なされた……この私めが率いる“銃士隊”に御任せてくださいますよう」

 “グリフォン隊”隊長のワルドの裏切り、“タルブ”の戦、そしてこの前の誘拐事件での“ヒポグリフ隊”の全滅により、王国を護るべき“魔法衛士隊”はボロボロになってしまっている。“グリフォン隊”は“マンティコア隊”の指揮下に入り、現在“魔法衛士隊”はその2隊のみで任務に就いているのが現状だ。

 護衛の不足を補う為に、アンリエッタは新設したのが……このアニエスが率いる“銃士隊”であった。その名の通り、“魔法”の代わりに新式のマスケット銃と剣を装備する部隊である。隊員は“メイジ”不足ゆえに“平民”のみ……それも女であるアンリエッタの身辺を警護するという名目で、女性のみで構成されている。

 隊長が“貴族”でなくては他の隊との折衝や任務に支障を来す為、アニエスは特例で“貴族”の称号である“シュヴァリエ”と姓を名乗る権利が与えられたのであった。

 しかし、アンリエッタがこれを特例にするつもりなどはなかった。有能なれば“平民”であろうがなかろうがどんどんと登用し、国力を高めるつもりであるのだ。当然、“貴族”たちからは反発の声が上がったのだが、アンリエッタはこれを見事に抑えてみせた。

 同盟国“ゲルマニア”のやり方に似てはいるが、その内心は違うといえるだろう。先ほど言葉にした通り、アンリエッタは己の心を深く傷付けた誘拐事件のおかげで、“魔法”を使う者……詰まりは“メイジ”がどうにも信用できなくなってしまっていたのである。

「私どもは、宮廷の方々が申すように、品位とは無縁の卑しき生まれでございます。所詮“貴族”にはなれませぬ。なればこそ、闇から闇へと葬る術は心得ておりますれば……」

 アンリエッタは首を横に振った。

「貴女が“貴族”ではないと、誰がそのように申したのです? 貴女は私が認めた“近衛騎士隊”の隊長。近衛の隊長といえば、規模は違えど、格としては元帥にさえ匹敵する地位なのですよ」

 アニエスは深く頭を垂れた。

「誇りをお持ちなさい。胸を張って歩きなさい。“自分は貴族なのだ”と、鏡の前で己に言い聞かせなさい。そうすれば、自ずから品位など身に着きましょう」

「御意」

「貴女はただ事前の計画通り、男の行動を追ってくだされば良いのです。私の見立てが正しければ、明日、犯人であれば必ずや尻尾を出すでしょう。その場所を突き止め、フクロウで報せなさい」

「泳がすおつもりですか?」

「まさか。私は、あの夜起こった事に関係する者を全て強請しませぬ。国も……人も……全てです。ええ、決して」

 アニエスは深く一礼すると、退室をした。

 彼女は心の中で、アンリエッタに感謝をしていた。アンリエッタは彼女に地位と苗字だけなく……先ほど言葉にしなかった、復讐のチャンスも与えてくれたのだから。

 

 

 

 才人は、グタッ、といて床に伸びていた。

 隣では荒い息を吐くルイズが、才人を見下ろしている。

 ここは“魅惑の妖精亭”の厨房。店は始まったばかりであり、店内の喧騒がここまで届いている。

 ルイズは腕を組んで、才人を見下ろした。

「質問するわ。お兄さま」

 ルイズは、「お兄さま」と言い放った。一応ここでは、才人はルイズの兄ということで通しているのである。ここで働く誰もが信じてはいないし、今やルイズが“貴族”であるということは店の者たちにはとうにバレバレではあるのだが、店内では未だに才人の事を当初の計画通り「お兄さま」と呼んでいる。そう。融通の利かない性格であるのだ。

「なんでしょう、妹さま?」

 才人は息も絶え絶えの声で言った。ルイズに散々にボコられたこともあり、半死半生といった状態に近い様子である。

「わたしが呼びかけた時、なにをしていたの?」

「皿を洗ってました」

「嘘仰っい。余所見をしてたじゃない」

「少しです」

「少しじゃないわ」

 ルイズは店内を指さした。

「シオンはまだ良いわ……でも、あの娘の太ももと、あの娘の胸と、あの娘のお尻と……」

 それからルイズは苦々しげな様子で、ジェシカを指さした。

「ジェシカの胸の谷間を見ていたわ」

「ちょっとです」

 俺は、そんな2人の様子を前にして苦笑を浮かべてしまう。

 普段となんら変わらない光景、言動、やりとりである。実に、平和であるという証拠だと言えるだろう。まだ、平和だという証拠なのである。

「ねえ、お兄さま」

 ルイズは才人の顔に、足を踏み付けるかたちで乗せる

「はい」

「あんた、わたしを見てなきゃ駄目でしょ? ご主人さま、情報収集の為に酔っ払いを相手してるのよ? 可愛いご主人さまが万一危険な目に晒された時、飛び出してわたしの盾になるのがあんたの仕事でしょーが」

「すいません」

「すいませんじゃないの。あんたわたしを2回しか見なかったわ。それなのに、わたしが数えただけで、あの娘とあの娘を4回見た。そしてジェシカの谷間は12回見たわね。ご主人さまを蔑ろにして余所見。わたしには、そゆ事、どどどどど、どうにも赦せないわ」

「もう、見ません」

 才人は、(勘弁して欲しい)といった様子を見せる。実際、才人はルイズの事を毎日しっかりと見て気にかけている。寝顔も見ている。(嗚呼、ご主人さま可愛い。でも、他の娘を見るくらい許して欲しい。男の性である。余所見したって守れる、はず、だ。だからそんなに怒らなくても良いのに……心配性な奴だな)などとも思い、勘違いをしている様子である。

 だが、そういった言い訳などは一切せずに言いたいだけ言わせる。才人が学んだルイズへの対処法がそれであった。

「あんたが余所見してたおかげで、わたしが変な男に襲われたらどうするの? 理解ってるの? あんな際どい格好してるのよ? 危険だと思わないの?」

「いや……大丈夫かな? と」

「どうして?」

「いや、ご主人さまはほら、色気あんまりないし。ごく一部には人気あるけど、そういう人少ないし」

 言ってから才人は、(しまった)といった表情を浮かべた。

 ルイズは両手を広げると、ふぅ、と溜息を吐いて、後ろを向いて体操を始めた。準備体操だろう。

「良いこと? そこに寝てなさいね。犬は、身体に、教えないとねー。んーしょっと」

 ルイズは、これからまた散々暴れる予定をしている為に、身体を解す必要があるのだった。

「まあ、待てルイズ。確かに余所見をするのも、先ほどの言動も非道いモノではあるが、こいつはしっかりとお前の事を気にかけている。そら、想い出してみろ。おまえが“貴族”だとバレた時の事だ。どこぞの“貴族”どもを吹き飛ばしたその日の事。こいつは、お前を守る為に、前に出ただろう?」

 俺がそう言って、ルイズが準備運動を中断しようか悩みながらも身体を動かしている間に、才人はコッソリと抜け出し、裏口へと向かった。才人は、先ほども既に結構なお仕置きをされたばかりだったのだ。そして、逃げるついでに休憩をするつもりでもある様子だ。

 才人は布でグルグル巻にしたデルフリンガーを握っている。ここ最近、立て続けにデルフリンガーを持っていないが為に痛い目に遭ってしまうことが多いのだ。そういうこともあって、しかたなく、邪魔とは知りつつも持ち歩くことにした様子だ。

 裏口を開け、路地に出た瞬間、フードを冠った少女が才人の方へと向かって小走りに駆け抜けて来る。ドン! と裏口のドアを開けた才人に打つかってしまう。

 少女は思いっ切り倒れてしまい、才人は慌てて引き起こした。

「わ、すいません……大丈夫ですか?」

 少女はフードで顔を隠したまま、慌てた調子の声で尋ねた。

「……あの、この辺りに“魅惑の妖精亭”というお店はありますか?」

「え? それならここですけど……」

 才人はそう呟きながら、少女の声に聞き覚えがあることに気付いた。

 その女性もまた、同時に同じ事に気付いた様子を見せ、ソッと、フードの裾を持ち上げ、才人の顔を盗み見る。

「姫さま!?」

 才人は、アンリエッタに「しっ!」と言われ、口を塞がれる。

 灰色のフード付きのローブに身を包んだアンリエッタは才人の後ろに身を隠し、表通りから自分の姿が見られないようにと息を潜めた。

「あっちを捜せ!」

「“ブルドンネ街”に向かったかもしれぬ!」

 表通りの方からは、息急切った様子の兵士たちの声が聞こえて来る。

 アンリエッタは再びフードを深く冠った。

「……隠れることのできる場所はありますか?」

 アンリエッタは小さく、才人にしか聞こえないだろうほどの声で尋ねた。

「俺たちが暮らしているここの屋根裏部屋がありますけど……」

「そこに案内してください」

 

 

 

 才人はアンリエッタをコッソリと屋根裏部屋まで連れて来た。

 アンリエッタはベッドに腰かけると、大きく息を吐く。

「……取り敢えず一安心ですわ」

「俺は安心じゃないですよ。いったい、なにがあったんですか?」

「ちょっと、抜け出して来たのだけど……騒ぎになってしまったようね」

「はぁ? この前誘拐されたばっかりだってのに? そりゃ大騒ぎになりますよ!」

 アンリエッタは黙ってしまった。

「姫さま、今じゃ王さまなんでしょ? そんな勝手なことして良いんですか?」

「しかたないの。大事な用事があったのだから……ルイズたちがここにいることは報告で聴いておりましたけど……直ぐに貴男に逢えて良かった」

「ま。とにかくルイズとシオンを呼んで来ます」

 ルイズは才人が消えたことに気付いて、相当御冠だろうかもしれない。が、取り敢えずは気を取り直して給仕の仕事をしている。ルイズの行動は、才人には大体予想することができるのである。

「いけません」

 アンリエッタは、才人を引き止めた。

「ど、どうしてですか?」

「……ルイズたちには、話さないで頂きたいの」

「なんで?」

「あの娘たちを、ガッカリさせたくありませんから」

 才人は椅子に腰かけて、アンリエッタを睨むように見つめた。

「だったら尚更でしょう? 勝手にお城を抜け出したりしちゃ、駄目じゃないですか」

 それから才人は何かに気付いた様子を見せる。

「でも、ルイズたちに逢いに来たんじゃないんなら、ここにいったい何をしに来たんですか?」

「ふむ、それは俺も興味があるな」

「セイヴァー?」

 ノックによる確認などをせずに、静かに屋根裏部屋へと入った俺の言葉を聞いて、才人とアンリエッタは驚いた表情を浮かべる。

「どうして、お前がここに? 皿洗いは?」

「なに、お前たちがコソコソと屋根裏部屋へ向かうのが見えたのでな。暇を貰った。さて、姫殿下、いや、陛下よ。もしかして、この国の不穏分子、“レコン・キスタ”関係ですかな?」

 俺の言葉に、アンリエッタは静かに首肯き、口を開いた。

「仰る通りですわ。才人さんの力をお借りしようかと参ったのですが、貴男の御力もお借りしてよろしいかしら?」

「お、俺?」

「ええ、構いませんとも。先ほども述べた通り、暇を貰ったばかりなので」

「明日までで良いのです。私を護衛してくださいまし」

「な、なんで俺たちなんすか? 貴女女王さまでしょう? 護衛なら魔法使いや兵隊がいっぱい……」

「今日明日、私は“平民”に今交じらねばなりません。また、宮廷の誰にも知られてはなりません。そうなると……」

「なると?」

「貴男たちくらいしか、思いつきませんでした」

「そんな……ホントに他にいないんですか?」

 才人の質問などに、悩んでいるといった様子で答えるアンリエッタ。

 やはり、才人が考えているように、簡単な事ではないのだろう。

「ええ。貴男たちはご存知ないかもしれませんが、私はほとんど宮廷で独りぼっちなのです。若くして女王に即位した私を好まぬ者も大勢おりますし……」

「だろうな」

 アンリエッタの言葉に、俺は同意し、一瞬だけ重い空気が流れる。

 それから、アンリエッタは言い難そうな様子で付け加えた。

「……裏切り者も、おりますゆえ」

「それが、“レコン・キスタ”と繋がっている可能性があると?」

「ええ」

 才人はワルドの事を想い出した。

 お忍びの護衛であればやはり親友と呼べるルイズとシオンに頼む方が1番良いのかもしれないが、アンリエッタには2人に話せない事情などがある様子を見せる。

「理解りました。他ならない姫さまの頼みですから、引け受けますけど……」

 それから才人は、アンリエッタの顔を見つめた。

「危ないことじゃないでしょうね?」

 アンリエッタは、当然目を伏せる。

「ええ」

「ホントですか? 姫さまを危ない目に合わせたら、後でルイズになにを言われるかわかったもんじゃない。そこは約束して貰いますよ」

「大丈夫です」

 アンリエッタは首肯いた。

「なに、気にする必要はない。この俺がお前たちを護ってやる。なにせ、この身は“サーヴァント”。この時代の“メイジ”では傷1つ付けることなど一切できやしないのだからな」

「だったら良いんですけど……」

 アンリエッタの様子と、俺の言葉に、渋々といった風に納得した様子を見せる才人。

「では、出発いたしましょう。いつまでもこの辺りにはいられませんわ」

「どこに行くんです?」

「街を出る訳ではありません。安心なさってください。取り敢えず、着替えたいのですが……」

 才人の質問に答え、アンリエッタはローブの下のドレスを見つめた。白い、清楚で上品な造りをしたドレスだが、ローブに隠れているとはいえ、いかんせん目立つ。高貴の者がそこにいると訴えているのと同じようなモノである。

「ルイズの服がありますけど……“平民”に見えるように買った服が」

「それを貸してくださいな」

 才人はベッドの側の箱を漁り、ルイズのその服を取り出した。

 アンリエッタは後ろを向くと、俺と才人の目を気にするという素振りも見せずに、ガバッ! とドレスを脱ぎ捨てた。

 その為に、才人は慌てて横を向いた。才人は、チラッと背中越しに見えるアンリエッタの胸に驚いた様子を見せる。キュルケほどではないが、シエスタより大きいといえるだろう。

 もちろん、俺は目を閉じる。

 だがそこで、俺と才人の頭の中に、1つの疑問が浮かび上がった。ルイズのシャツを着ることができるのかどうか、だ。

 だがそれは、やはり難しいようであった。

「シャツが……ちょっと小さいですわね」

 ちょっとではない。ルイズのサイズに合わせて買ったシャツだということもあり、どうにもアンリエッタの胸は収まらない様子だ。ボタンが飛んでしまいそうなほどに、ピチピチに張り詰めてしまっているのである。

「まずいっすね。非常に」

 才人は鼻を押さえて言った。

「シオンの服を借りようか?」

「いいえ。これで構いませんわ」

 アンリエッタはそう言って、それほど気にした風もない。「こうすれば逆に目立たないかも」、などと呟き、上のボタンを2つほど外した。

 すると谷間が強調されるような、そういったデザインに見えなくもないシャツになる。隣を歩く人からすると、目のやり場に困ってしまうだろうが、なるほど女王とは到底思えないだろうラフで夜の女っぽい雰囲気を出している。

 そうしてアンリエッタは、「行きましょう」と俺たちを促した。

「それじゃまだバレバレですよ」

「え? そうなのですか?」

「せめて髪型くらいは変えないと」

「では、変えてくださいまし」

 やはりアンリエッタはルイズと同様に、上流階級の人間であるといえるだろう。悪くいえば世間知らずであり、どうやら着替えをしただけで変装をした気になってしまっていた様子だ。

 取り敢えずルイズがたまにするのと同じように、才人は、アンリエッタの髪を後ろでポニーテールの形に纏め上げた。

 そうすると、また随分と雰囲気が変わった。

 それから才人は、今さらではあるがルイズの化粧品を無断で使用して、アンリエッタに軽く化粧を施した。「店に出る時くらいは化粧した方が良いんじゃないのか?」、と才人が言って買って来た代物であったが……結局ルイズは使わなかった為、放って置かれていたのである。

「ふふ、これなら、街女に見えますわね」

 胸の開いたシャツを着て軽く化粧を施すと……なるほど確かに、陽気な街女に見えないこともないだろう。

 才人は、(屋根裏部屋を出る時、ルイズになにも知らせなくても良いモノだろうか?)と少しばかり気にした素振りを見せる。だが、後で話せば良いだろうといった考えに辿り着いた様子も見せる。

 裏口から路地へと出て回る。

 辺りは女王の失踪の所為でどうやら厳戒態勢が敷かれているようであり、“チクトンネ街”の出口には、衛兵が通りを行く人々を改めているのが見える。

「非常線張られてますよ」

 才人は、“地球”の刑事ドラマの中の登場人物でも演じているかのように告げた。

 意味は通じたようであり、アンリエッタも首肯く。

「どうします? 顔、隠さないで大丈夫ですか?」

「私の肩に手を回して」

 才人は言われた通りにアンリエッタの方を抱いた。

「いや、そんなことしなくても大丈夫だから」

 俺の言葉をスルーして、2人は衛兵がいる場所に近付き、俺もそれを追う。

 才人とアンリエッタは緊張が昂まったのか、2人の鼓動が激しいモノにnる。

 アンリエッタが硬い口調で、才人へと呟いた。

「私に戯れ付いてくださいまし。恋人のように」

 え? と思う間もなく、アンリエッタは肩を抱いた才人の手を握り、開いたシャツの隙間に導いた。

 アンリエッタの滑らかで柔らかい丘の感触が、才人の指を伝う。

 俺は、一瞬だけだが“霊体化”する。

「そのまま」

 アンリエッタは、睦言を呟くように才人の耳に顔を寄せ、作った微笑を浮かべた。

 衛兵の横を通り抜ける。

 衛兵は、まったく気付いていない様子であり、周囲を警戒している。

 大通りに出たアンリエッタは、一瞬俺に対して驚きはしたものの、直ぐにクスッと笑った。

「姫さま?」

「いえ……すいません。ちょっと可笑しかったものですから。でも、愉快なモノですわね」

「……え?」

「こうして、粗末な服を着て、髪型を変え……軽く化粧を施しただけで、誰も気付かないのですから」

「でも、勘の強い人や、姫さまの顔をちゃんと知ってる人に見られたら気付かれますよ」

「しっ!」

「え? ええ?」

「人目のある場所では姫様などと呼んではいけません。そうね、短く縮めてアンとでも呼んでくださいまし」

「アンですか?」

「ええ。セイヴァーさんも」

「了解した、アン」

 そう言うと、アンリエッタは首を傾げる。

「貴男の名前を仰って」

「才人」

「サイト。セイヴァーさん同様変わった名前ですわね」

 一瞬で身に着けたらしい、街女の仕草でアンリエッタは呟く。

「え、ええ。アン。変わってます」

「もっと乱暴に」

「理解った。アン」

 微笑んで、アンリエッタは才人と俺の間に入り、それぞれの腕に自分の腕を絡ませた、

 

 

 

 夜も遅かったこともあり、俺たちは宿を取ることにした。

 粗末な木賃宿である。

 案内された1階の部屋は“魅惑の妖精亭”の屋根裏部屋が天国に見えるほどにボロボロな状態だ。ベッドの布団は何日も干されたことがないのだろうか妙に湿っており、部屋の隅には小さな茸が生えてしまっている。ランプは煤を払っていないのだろう、真っ黒である。

「ここ、金取って良い場所じゃないっすね」

 部屋の状態と才人の言葉を、アンリエッタは気にした風もなくベッドに腰かけた。

「素敵な部屋じゃない」

「そうかなあ……?」

「ええ。少なくともここには……寝首を掻こうとする毒蛇はいないでしょう」

「ふむ、確かにそうだな」

「変な虫ならいっぱいいそうですけどね」

「そうですわね」

 アンリエッタは、俺の同意する言葉と、才人の感想に、微笑んだ。

 才人は部屋に置かれた椅子に腰かけた。

 ガタガタのその椅子は、ギシッ! と変な音を立てて軋む。

 才人は、いつも敬語を使っている相手が前にいるということもあって、どういう距離を保てば良いのかわからないでおり、気さくに振る舞うというのも結構大変な様子だ。

「ホントにこんな部屋で良いんですか?」

「ええ。ちょっとワクワクするわ。市民にとっては、これが普通なのだから不謹慎かもしれないけど……」

 そう言って、アンリエッタは可愛らしい仕草で足をぶらぶらさせる。

 そんな仕草を目にして、才人は親近感を覚えた。

 取り敢えず部屋がどうにも暗いということもあり、才人はランプの煤を払い、灯りを灯そうとする。だが、マッチを探したのだが、見当たらない。

「マッチもないのか……下に行って取って来ます」

 アンリエッタは首を振ると、鞄から水晶の付いた“杖”を取り出した。それを振ると、パッ、とランプの芯に火種が点いた。

 才人は、突然灯りが灯ったことで、眩しさを感じたのだろう目を逸らす。

 そんな風に寛ぐアンリエッタは……親近感を覚えても、やはり王女だと改めて思わせてくる。だがそれでも、まだやはり、女王というには若い。王女という言葉が似合う年齢だ。威厳よりもまず嫋やかな清楚さが勝っている。ルイズと似た雰囲気ではあるのだが……跳ねるようなルイズの勘気が彼女を子供っぽく見せてしまうのに比べ、アンリエッタにはやはり落ち着きがある。シオンもそうなのだが、立派な年上の大人たちから傅かれ、その中で育って来た者特有の犯し難い雰囲気を身に纏っているのである。それは夜の女のようにシャツを開けても、その間から香って来るのであった。その香は高貴さと威厳さが混じり、得も言われぬ魅力を放っている。

「どうかなさったの?」

 無邪気な声で、アンリエッタは才人へと問う。

 才人は、(こんなお姫さまに、正直に綺麗だと思った)などといったことを言えないのだろう、口籠ってしまった。

「ルイズとシオンは元気?」

 ランプの灯りの向こうで、アンリエッタが尋ねて来る。

 不思議と、アンリエッタがそこにそうしているだけで、ボロい部屋がまるで“王宮”の寝場だと錯覚を覚えてしまう。そのように周りの空気を変えてしまうだけの力をアンリエッタは持っているのである。これがもし、夜ではなく、昼であれば、誤魔化すのは難しいだろう。

「ええ。でも、あいつ、その、姫さまに言われた仕事をキチンとやってるのかどうか、怪しくて……」

 才人は、情報収集より難癖付けて折檻することに夢中になってしまっているのではと思っているのだ。

「その点なら大丈夫よ」

「え?」

「あの娘たちは、きちんと毎日私に、伝書フクロウを使って報告書を送って来てくださいますわ」

「そうだったんですか」

 才人は、(いつの間に?)と思った。実際に彼女は真面目であり、才人が寝ている間に書いているのだから。

「ええ……ちゃんと、その日聴いた事、噂になってる事……1つ1つ、細やかに、愚痴1つ書かずに、良くやってくれています。きっと“平民”に交じって、気苦労も絶えないでしょうに。あの娘たちは高貴な生まれですから……だから、身体など壊してないかと心配になって」

 アンリエッタは、才人の質問に笑顔を浮かべ、優しい、大切な友人を想うように話す。

「大丈夫ですよ。元気でやってますから」

 才人は首肯き、俺もまた首肯いて肯定する。

「良かった」

「でも、ルイズが集めた情報なんか、ホントに役立ってるんですか?」

「ええ。役に立ってますわ」

 ニッコリと、アンリエッタは微笑んだ。

「私は、市民たちの本音が聞いたいのです。私が行う政治への、生の声が聞いたいのです。私の元へ運ばれて来る情報には、誰かが付けた色が付いてます。私の耳に心地好いように……それか、誰かにとって都合が良いように。私は本当の事が知りたいのです。例えそれが、どんなつまらぬ事であっても」

 アンリエッタは、そこで淋しげな笑みを浮かべた。

「姫さま?」

「いえ……でも真実を知るという事は、時に辛い事でありますわ。聖女などと言われても、実際聞こえて来るのは手厳しい言葉ばかり。“アルビオン”を下からただ眺めるだけの無能な若輩と罵られ、遠征軍を編成する為に軍備を増強いしようとすればきちんと指揮できるのかと罵られ、果ては“ゲルマニア”の操り人形なのではないかと勘繰られ……まったく、女王なんかなるんじゃなかったわ」

「大変ですね」

「貴男たちの世界も、同じ?」

「え?」

 アンリエッタの質問に、才人は驚いた様子を見せる。

「失礼。“魔法学院”のオスマン氏に伺いましたの。貴男たちは異世界から入らしたって。驚きましたわ。そのような世界があるなんて事、想像すらした事がありませんでしたから。貴男たちの世界でも、人は争い……そして施政者を罵るのですか?」

 才人は、連日ニュースで流れていた政治家の汚職や戦争などのことを、思い出した様子を見せる。

「あんまり変わりませんよ」

「そうだな。どこの世界でも、どんな時代でも、人間と言うモノは大抵は争い、認められないモノがあれば否定し、罵る傾向にある」

「どこも同じなんですね」

「だが、それをしない者も、なくそうとする者たちがいるのもまた事実だ」

「そうですか」

 俺の言葉を聞いて、ホッとしたように、アンリエッタは呟いた。

「戦争……するんですか?」

「するもなにも、我が国は今、真っ最中ですわ。いえ、貴男たちも、今のこの戦争とは違う戦争、“聖杯戦争”に参加するのではなくて?」

「いや、その……って言うか、あの空に浮かんだ大陸を攻めるんですか?」

「どうしてそんなことを仰るの?」

 才人の質問に、アンリエッタはやはり訊き返す。

「さっき、遠征軍って言ったから。遠征て、こっちから行って、攻めることでしょう?」

「そうね。じゃないと、この戦争は終わりませんもの……それに、あの娘の祖国を取り戻して上げたいし……口が過ぎました。貴男たちに話して良い事ではありませんでしたわね。お忘れください」

 それでも才人と俺が黙っている為に、アンリエッタは尋ねた。

「戦争はお嫌い?」

「好きな人なんかいないでしょう」

「でも、貴男たちは“タルブ”で王軍を救ってくださったわ」

「大事な人を守る為です」

「それから、あの夜、この私も……」

 アンリエッタは、顔を伏せて言い難そうに呟いた。

 才人はあの……忌まわしい夜の事を想い出した。死んだはずのウェールズが人形としての偽りの命を与えられることで蘇り、アンリエッタを連れ去ろうとした夜。いっぱい、死体が転がっていたのを目にしたのだ。

「申し訳ありません」

 アンリエッタは、小さな声で言った。

 その時……。

 ポツリポツリと雨が降り始めた。小さな雨粒が窓を叩く。通りを行く人たちの「ち! 雨だ!」、「降って来やがった!」などといった悪態が聞こえて来る。

 アンリエッタは震え出した。

「姫さま?」

 小さな声でアンリエッタは呟いた。消えてどこかに行ってしまいそうな、そんな声だ。

「……お願いがあります」

「な、なんですか?」

「どちらでも構いません。肩を抱いてくださいまし」

 震えるアンリエッタの手から、握った“杖”が落ちる。“杖”は床に当たって、乾いた音を立てた。

「どうしたんですか?」

「雨が怖いのです」

 その言葉で……あの夜も、雨が降り出した事を俺と才人は想い出した。

 アンリエッタはその雨を利用し、蘇ったウェールズと巨大な竜巻を作り出し……それで俺達を呑み込もうとしたのだった。

 アンリエッタの側にいた才人は黙って俺へと目配せをし、俺が首肯くと、彼は彼女の隣に腰かけ、肩を抱いてやった。

 アンリエッタは、ガタガタと震え続けている。

「姫さま……」

「私の為に……何人も死にました……私が殺したようなモノ。理解らない。私には理解りませんわ。一体どうすれば赦しが請えるのか」

 才人は考え込んだ後、言った。

「誰も赦してはくれませんよ。きっと……」

「そうですわね。私は……自分と、私にそうさせた人たちが、どうにも赦せないのです……雨音を聞くと、そんなことばかり考えてしまいます」

「そうさな。誰も赦さないだろうことは確かだが。いや、少し違うかと思うがね。ウェールズは満足して逝った。ゆえに、赦しているだろう。そして、俺もそうだ。“罪を憎んで人を憎まず”、と言うのとはまた違うだろうが、お前のした事を俺は赦そう」

 アンリエッタは目を瞑ると、才人の胸に頬を寄せた。手がしっかりと、才人の手を握り締めている。雨音に連れ、震えが一段と激しくなる。王女でも、女王でもない……か弱い1人の少女がそこにはいた。ただ異国の王子に恋をした、それだけの少女。この少女はたぶん、誰よりも弱い。今、誰かが側にいてやらないと、立つことさえできぬほどに、だ。

 それであるのに、冠を冠らされている。戦争を指揮する“杖”を握らされているのだ。

 実に、不幸で、不憫で、当たり前で、当然の事であった。

 

 

 

 

 

 少しばかり時間は遡る。

 ルイズは降って来た雨を見つめ、唇を尖らせた。(この雨の中、サイトはセイヴァーと一緒にどこに消えたのかしら?)、と考える。

 先ほど準備運動を終えたルイズが、俺の言葉を聞きながら落ち着きを取り戻そうとしていたその時、“使い魔”である才人の姿は掻き消えていたのである。

 ルイズはしばらく店内を捜し回ったのだが、才人はどこにもいなかった。屋根裏部屋に隠れた可能性もあるので戻り確認をしたのだが、そこも蛻の殻であった。ただ……カモフラージュの為に買った“平民”の服が消えているのだ。

 なんだか胸騒ぎを覚えたルイズは屋根裏部屋を飛び出した。

 店内であるフロアへと戻ると、シオンとジェシカ、スカロンたちが首を傾げていた。

「嫌ねぇ、雨よ……この雨じゃお客さんの足もバッタリ止まっちゃうわね」

「なんかさっきから外が騒がしいけど、なにかあったのかしら?」

 スカロンに続き、店で働く女の子――妖精さんの1人の言葉を聞いて、ルイズは改めて外を見やり、耳を澄ませる。

 なるほど言う通り、外からは雨音に混じり、駆け擦り回る衛兵たちの怒号が聞こえて来る。

「ルイズ、やっぱり様子が可怪しいわ。セイヴァーもいないし、念話での返事もしてくれない。なにかあったのかも」

 シオンの言葉に首肯き、ルイズは羽扉を開け、2人で外に出る。

 剣を提げた1人の兵士に近寄り、ルイズは呼び止めた。

「ねえ、なにが起こったの?」

 兵士はキャミソール姿のルイズとゴスロリ姿のシオンに一瞥をくれるだけで、煩そうに言い放つ。

「ええい! 煩い! 酒場女風情には関係ない! 店に戻っておれ!」

「おまちなさい」

 ルイズとシオンはなおも呼び止め、懐からアンリエッタによるお墨付の証明書を取り出す。

「わたし達はこのような成りをしていますが、陛下の女官です」

 目を丸くして、兵士はルイズとシオン、そして提示されているお墨付の証明書を交互に見つめた後に、直立した。

「し、し、失礼いたしましたぁ!」

「良いから話してちょうだい」

「そうだよ。楽にして良いから、落ち着いて、状況を説明して」

 兵士は小さな声で、ルイズとシオンに説明をした。

「……“シャン・ド・マルス練兵場”の視察を終え、“王宮”にお帰りになる際、陛下がお消えになられたのです」

「まさか、また“レコン・キスタ”が?」

「犯人の目星は着いておりません。しかし、どのような手を使かったモノか……馬車の中から、まるで霞のように忽然と……」

「その時警護を務めていたのは?」

「新設の“銃士隊”でございます」

「理解ったわ。ありがとう。馬はないの?」

 兵士は首を横に振った。

 ルイズとシオンは雨の中、“王宮”を目指して疾走り出した。

 ルイズは、(こんな時なのに、サイトはなにをやってるのかしら? まったく、肝心な時にいないんだから!)といった風に舌打ちをする。

「ルイズが訊いてくれて助かったわ。ありがとう」

「いいえ。それより、急ぎましょう」

 

 

 

 騎乗したアニエスは、とある大きな屋敷の前で馬を止めた。

 そこは昼間……女王アンリエッタと会談をしていたリッシュモンの屋敷である。

 錚々たる殿様方の屋敷が並ぶ高級住宅街の一角、2階建ての広く巨大な屋敷を見つめ、アニエスは唇を歪めた。

 彼女はリッシュモンが20年ほど前、どのような方法を用いて、こんな屋敷を建てられるほどの財を成したのか、痛いほどに知っているのだから。

 アニエスは門を叩き、大声で来訪を告げる。

 門に付いた窓が開き、カンテラを持った小姓が顔を出した。

「どなたでしょう?」

「女王陛下の“銃士隊”、アニエスが参ったとリッシュモン殿にお伝えください」

 怪訝な声で小姓が言う。

 なるほど深夜の零時を過ぎようとしている時間なのだから当然だろう。

「急報です。是非とも取り次ぎを願いたい」

 小姓は首をひねりながら奥へと消え、しばらくすると戻って来て門の閂を外した。

 アニエスは手綱を小姓に預け、ツカツカと屋敷の中へと向かった。

 暖炉のある居場に通されてしばらくすると、寝間着姿のリッシュモンが現れた。

「急報とな? “高等法院”長を叩き起こすからには、余程の事件なのだろうな?」

 剣を提げたアニエスを見下した態度も隠す事もせず、リッシュモンは呟いた。

「女王陛下が、お消えになりました」

 リッシュモンの眉がビクン! と跳ねた。

「拐かされたのか?」

「調査中です」

 リッシュモンは首を傾げた。

「なるほど大事件だ。しかし、この前も似たような誘拐騒ぎがあったばかりではないか。またぞろ“アルビオン”の陰謀かね?」

「調査中です」

「君たち軍人や警察は、その言葉が大好きだな。調査中! 調査中! しかし何も解決できん。揉め事はいつも法院に持ち込むのだから。当直の護衛は、どの隊だね?」

「我ら、“銃士隊”でございます」

 苦々しげに、リッシュモンはアニエスを睨んだ。

「君たちは無能を証明する為に、新設されたのかね?」

 皮肉たっぷりといった風にリッシュモンは言い放った。

「汚名を注ぐべく、目下全力を上げての捜査の最中であります」

「だから申し上げたのだ! 剣や銃など、“杖”の前では子供の玩具に過ぎぬと! “平民”ばかり数だけ揃えても、1人の“メイジ”の代わりにもならぬわ!」

 アニエスは、ジッ、とリッシュモンを見つめた。

「戒厳令の許可を……街道と港の封鎖許可を頂きたく存じます」

 リッシュモンは“杖”を振る。手元に丼で来たペンを取り、羊皮紙に何事かを書き留めるとアニエスに手渡す。

「全力を上げて陛下を捜し出せ。見付からぬ場合は、貴様ら“銃士隊”全員、“法院”の名に賭けて縛り首だ。そう思え」

 アニエスは退出しようとして、ドアの前で立ち止まる。

「なんだ? まだなにか用があるのか?」

「閣下は……」

 低い、怒りを押し殺すような声でアニエスは言葉を絞り出す。

「なんだ?」

「20年前の、あの事件に関わっておいでと仄聞いたしました」

 記憶の糸を辿るかのようにして、リッシュモンは目を細めた。20年前……国を騒がした反乱と、その弾圧に思い当たったといった様子を見せる。

「ああ、それがどうした?」

「“ダングルテールの虐殺”は、閣下が立件なさったとか」

「虐殺? 人聞きの悪いことを言うな。“アングル地方”の“平民”どもは国家を転覆させる企てを行っていたのだぞ? あれは正当な鎮圧任務だ。ともかく、昔話など後にしろ」

 アニエスは退出した。

 リッシュモンはしばらく、閉まった扉を見つめていたが……それから羊皮紙とペンを再び取ると、目の色を変え、猛烈な勢いで何かを認め始めた。

 

 

 

 屋敷の外に出たアニエスは、小姓から預けていた馬を受け取った。

 鞍嚢の中を探り、中から黒いローブを取り出すと、鎖帷子の上に羽織り、フードを頭から冠った。それから拳銃を2丁取り出し、改める。雨で火薬が濡れぬ様注意をしながら、拳銃に火薬と弾を込めた。火皿の上の火蓋と、撃鉄の動きを確認し、火蓋を閉じてベルトに手挟む。火打式の新型挙銃である。

 剣の鯉口を切り、戦支度が完全に整うと、アニエスは馬に跨った。

 その時……雨の中から少女が2人駆けて来るのが、アニエスには見えた。

 “チクトンネ街”の方から現れたその少女たちは、馬に跨ったアニエスに気付いたようであり、駆け寄って来る。2人は、雨の中を駆け来たということもあって、酷い成りである。元は白いキャミソール、そして真紅だったはずのゴシックロリータの服は泥と雨で汚れ、走り難い靴を脱ぎ捨てて来たのだろう裸足である。

「待って! 待った! おまちなさい!」

 アニエスは、(何事?)と思い振り向く。

「馬を賃してちょうだい! 急ぐのよ!」

「断る」

 ルイズの言葉に対して、そう言って駆け出そうとしたアニエスの前に、ルイズとシオンは立ち塞がる。

「退け」

 アニエスはそう言ったが、2人は利かない。

 そして、1枚の羊皮紙――アンリエッタの直属の女官である証明書を取り出すと、アニエスの前に突き付けた。

「わたし達は陛下の女官よ! 警察権を行使する権利を与えられているわ! 貴女の馬を陛下の名に於いて接収します! 直ちに下馬なさい!」

「陛下の女官?」

 アニエスは首を傾げた。

 シオンとルイズの2人は、見たところ、酒場の女のような成りをしている。しかし、雨に汚れてはいただ、その顔立ちは高貴さが見て取れる。

 アニエスはどうしたものか、と一瞬迷った。

 ルイズはアニエスが馬から下りないので業を煮やしたらしい。ついに“杖”を引き抜いた。

 ルイズのその仕草に、シオンはそれを止めようとするも、対するアニエスの方も咄嗟に拳銃を引き抜いた。

 ルイズは低い震える声で逝った。

「……わたしに“魔法”を使わせないで。まだ、慣れてないのよ、加減ができないかも」

 拳銃の撃鉄に指を掛け、アニエスも告げた。

「……この距離なら、銃の方が正確ですぞ」

 沈黙が流れる。

「名乗られい。“杖”は持たぬが、こちらも“貴族”だ」

 アニエスが言った。

「陛下直属の女官。ド・ラ・ヴァリエール」

「アフェット・エルディ」

 アニエスは、ラ・ヴァリエールとエルディというその名に聞き覚えがあった。アンリエッタとの会話の中で、幾度となく聞いた名なのである。

「では、貴女たちが……?」

 アニエスは、(眼の前で“杖”を構えて震えているこの少女、そしてそれを止めようとしている少女が……噂の陛下の親友という訳か。桃色がかった髪をした、綺麗な長い金髪をした、こんな年端もいかぬ少女2人が……)と思いながら拳銃を引っ込めた。

「わたし達を知ってるの?」

 ルイズも“杖”を下ろし、シオンとほぼ同時にキョトンとした顔になった。

「お噂はかねがね。お逢いできて光栄至極。馬を賃す訳には参らぬが、事情は説明致そう。貴女たちを撃ったら陛下に恨まれるからな」

 アニエスはルイズとシオンに手を差し伸べた。そして、順番に、軽々と、華奢な女性とは思えぬ鍛え切った力でルイズとシオンを馬の後ろに引き上げ乗せる。

「貴女は何者?」

 アニエスの後ろに跨ったルイズは尋ねた。

「陛下の“銃士隊”。隊長アニエス」

 ルイズとシオンは先ほど1人の兵士から聞いた“銃士隊”という言葉が飛び出た為、ルイズは激昂した。

「貴女たちはいったい何をしていたの!? 護衛を忘れて、寝てんじゃないの!? おめおめと陛下を攫われて!」

「落ち着いてルイズ」

「だから事情を説明すると言っている。とにかく陛下は無事だ」

「なんですって!?」

 アニエスは馬に拍車を入れた。

 馬は駆け出した。

 降り頻る雨の中、3人は夜の闇へと消えて行った。

 

 

 

 木賃宿のベッドの上に腰かけているアンリエッタは、才人の腕の中で目を瞑り、震え続けている。

 才人は何も言うことができないでいるようであり、ただアンリエッタの肩を叩くばかりだ。

 雨が小雨に変わる頃、アンリエッタはどうにか落ち着いたらしく、無理に笑顔を作った。

「申し訳ありません」

「いや……」

「不甲斐ないところを、見せてしまいましたね。でも、また貴男たちに助けられた」

「また?」

「そうです。あの夜私が……自分を抑え切れずに、操られていたウェールズ様と行こうとした時……貴男たちは止めてくださいましたね」

「ええ」

「貴男たちは、あの時仰ってくださった。“行ったら、斬る”と、“嘘は赦せない”と。愛に狂った私に、そう仰ってくださいました」

「い、言いましたね」

 恥ずかしくなったのだろう、才人は顔を伏せた。

「それでも愚かな私は目が醒めませんでした。貴男方を殺そうとした。でも、貴男たちはその私が放った愚かな竜巻をも止めてくださいました」

 アンリエッタは目を瞑った

「あの時実は……ホッとしたんです」

「ホッとした?」

 ポツリポツリといった具合に会話を続けるアンリエッタと才人。

 そんなアンリエッタの言葉に、才人は怪訝そうな表情を浮かべる。

「そうです。自分でも気付いていました。あれは私の“愛”したウェールズ様じゃないって。ホントは違うって。私はきっと……心の底で、誰かにそれを言って欲しかった。そして、そんな愚かな私を誰かに止めて欲しかったに違いありません」

 切ない溜息を漏らすと、アンリエッタは言葉を続けた。諦め切ったような、そんな声であった。

「だからお願いしますわ。“使い魔”さん。また私が……なにか愚かな行いをしそうになったら……貴男たちの剣で止めてくださいますか?」

「なんですって?」

 アンリエッタの願いに、才人は目を大きく見開き、丸くする。

「その時は私を、遠慮なく斬ってくださいまし。ルイズとシオンに頼もうかと思いましたが、あの娘たちは優しいから、そんな事はできないでしょう。ですから……」

 才人は驚いた声で言った。

「できませんよそんな事! 全く……そんな弱くてどうするんですか。貴女は女王さまなんだ。自分の意志で、皆を守らなくちゃ。姫さま言ったじゃないですか。これからは、勇敢に活きてみようって。あれ、嘘だったんですか?」

 アンリエッタは俯いた。

「了解した。君が何か困った事があれば……間違った事を行おうとするのであれば」

「セイヴァー!? お前!」

「その悩みや間違いを斬って捨てよう。実際に、君を斬るのではなく、殴ってでも止めてやろうということだ。例えそれが、無礼な行為だとしてもな。何より、俺はお前のその弱さは悪い事ではないと想うがね。いや、弱さではなく、強み。“愛”しいとさえ想うよ」

 そんな時……。

 ドンドンドンドン! と、扉が激しく叩かれた。

「開けろ! ドアを開けるんだ! 王軍の巡邏の者だ! 犯罪者が逃げてな、順繰りに全ての宿を当たってるんだ! ここを開けろ!」

 才人とアンリエッタ、そして俺は顔を見合わせた。

「私を捜しているに違いありません」

「……やり過ごしましょう。黙って」

 コクリと、アンリエッタは首肯いたが……。

 そのうちに、ノブが回され始めた。しかし……鍵が掛かっている為に開けられない。ガチャガチャ! とノブが激しく揺らされる。

「ここを開けろ! 非常時ゆえ、無理矢理にでも抉じ開けるぞ!」

 バキッ! と剣の柄か何かで、ドアノブを壊そうとする音が聞こえて来る。

「いけませんわね」

 アンリエッタは決心したような顔で、シャツのボタンを開けさせた。

「姫さま?」

 アンリエッタのその言動、そして彼女の目を見て、俺は彼女に対して首肯く。

 驚く声もあらばこそ、アンリエッタは才人の唇び自分のそれを押し付けた。いきなりの激しいキスである。

 何が何やら動揺し切ってしまっている才人の首に腕を絡ませると、アンリエッタはそのままベッドへと押し倒した。続いてアンリエッタは目を瞑ると、熱いと息と舌を、才人の口に押し込む。いわゆるディープキス。もしくはそれ以上のモノだろう。

 アンリエッタが才人をベッドに押し倒すのと、兵士がドアノブを叩き壊し、ドアを蹴破ったのは同時であった。

 2人組の兵士が目にしたモノは……男の身体に伸し掛かり、激しく唇を吸っている女の姿、そして、その横に裸になって立っている男性の姿であった。

 アンリエッタは、兵士が入って来た事に注意を払いながらもそういった素振りを見せることなく、夢中になっている風を装おう。情愛の吐息が、2つの唇の隙間から漏れ続けている。

「……ったく、こっちは雨の中捕り物だってのに、お愉しみかよ」

「ボヤくなピエール。終わったら一杯やろうぜ」

「なんだ、情事の最中に乱入とは穏やかじゃないな。どうだ? 良ければ、5Pなんていうのは?」

 そんな裸の姿で、下品な誂いの言葉を口にする俺に対し、兵士2人は退がる。

「馬鹿言うな。こっちは仕事中だ」

 1人がそう言って、バタン! とドアを閉じ、階下部へと消えて行った。

 ドアノブの壊されたドアが軋んでわずかに開く。

 俺は、“魔力”で服を再構成する。

 アンリエッタは唇を離したが……兵士たちが宿の外に出て行っても、ジッと潤んだ目で才人を見つめ続ける。

 咄嗟のアンリエッタと俺の行動に才人はすっかり驚いてしまっているようである。

 今夜の行動はいざとなれば己の身体をも犠牲にできるような、そんな想いが秘められていることを、才人は強く感じた。

 上気した頬で、アンリエッタはジッと才人を見つめ続けている。

「……姫さま」

 アンリエッタは苦しそうな声で言った。

「アンとお呼びください、とそのように申し上げたはずですわ」

 才人が「でも……」と言ったが、アンリエッタは再び唇を押し付ける。今度は、優しく……情を込もった口吻である。

 ランプの灯りの中……才人の目に、アンリエッタの開けた白い肩が飛び込む。才人は激しく混乱したまま、アンリエッタの唇が自分の顔の形をなぞるのに任せていた。

「恋人は……いらっしゃるの?」

 熱い声で、アンリエッタが才人の耳元で囁く。蕩けてしまいそうになるだろう、そんな響きだ。

 才人の頭の中にルイズの顔が浮かび上がる。だが……違う。

「いません、けど……」

 アンリエッタは才人の耳朶を噛んだ。

「ならば、恋人のように扱ってくださいまし」

「な、なにを……!?」

「今宵だけで良いのです。恋人になれと申している訳ではありません。ただ、抱き締めて……口吻をくださいまし……」

 時間が止まったかのような……そんな気にさせる、気が遠くなるような数分が才人の中で過ぎて行く。

 部屋の中は雨のおかげか湿気に満ち、布団からは他人の体臭と、据えた匂いが漂っている。

 才人はアンリエッタの瞳を見つめた。これほどまでに汚い部屋にいてもなお……アンリエッタの美貌は眩いといえるだろう。いや、こういった部屋だからこそ、なお、逆に、更に輝くのかもしれないのだろう。

 その魅力に、つい溺れてしまいそうになった才人だが、もしアンリエッタとこれ以上キスを重ねてしまえば……ルイズは決して才人を赦さないだろう。赦さないだけでなく、とても悲しむだろう。ルイズが1番敬“愛”している人物であるのだから。だからこそ、(そんなことはできない。大事な人が、大事に想っている人に……恋人のフリをしてキスなんかできやしない。姫さまは寂しいだけだ。慰める方法は、きっと他にもあるはずだ)と才人はそう思った。だからこそ、才人は、アンリエッタの淡い栗色の髪を撫でた。

「俺は王子さまにはなれませんよ」

「誰もそのようなことは、申しておりませんわ」

「知ってるでしょう? 俺はこっちの世界の人間じゃない。こっちの世界の……誰かの代わりになるなんてこと、できません」

 アンリエッタは目を瞑ると、才人の胸に頬を寄せた。

 そうしていると……徐々に熱が引いていった様子で……アンリエッタは恥ずかしそうに呟いた。

「……はしたない女だと、お思いにならないでね。女王などと呼ばれても……女でございます。誰かの温もりが恋しい夜もありますわ」

 しばらく……アンリエッタはそうやって頬を才人の胸に押し付けた。

 都で1番安いんじゃないかと思われる木賃宿の中、国で1番高貴な少女が自分の腕の中で子供のように震えている、といったなんだかその皮肉な組み合わせに、才人は苦笑した。

「コホン。さて、そろそろ本題に入るべきだと思うのですがね? ご両人」

 俺のわざとらしい咳と言葉に、アンリエッタと才人は驚いた顔で俺を見やる。どうやら、本当に自分たちだけの世界へと入り込んでしまっていた様子だ。

「姫さま」

「なんでしょう?」

「そろそろ教えてください。いったい、どうしてここまでするんです? 姿なんか晦まして……皆して一生懸命に貴女のことを捜してる。そして……貴女は身を隠す為に身体まで張っている。気紛れなんかで飛び出して来た訳じゃないでしょう? セイヴァーが言ってた“レコン・キスタ”と関係が?」

「……そうね。きちんとお話しなければならないわね」

 アンリエッタは普段と変わらぬ威厳を取り戻したような声を出す。

「狐狩りをしておりますの」

「狐狩り?」

「なるほど、狐ですか」

「ええ、狐は利口な動物という事はご存知? 犬を嗾けても、勢子が追い立てても、容易には尻尾を掴ませません。ですから……罠を仕掛けましたの」

「罠ですか」

「ええ。そして、罠の餌は私という訳。明日になれば……狐は巣穴から出て来ますわ」

 才人は尋ねた。

「狐というのは、何者なんですか?」

「“アルビオン”への内通者です」

「ふむ。内通者か。アン、その内通者の事だが、今朝方、とある劇場で取引をしていたよ」

 俺の言葉に、アンリエッタと才人の2人は驚いた表情を浮かべた。

 

 

 

 アニエスとルイズとシオンの3人は、馬に跨ったまま、リッシュモンの家の側の路地で息を潜めていた。

 雨は小雨に変わりはしたが……どうしても身体は冷えるモノだ。

 アニエスはルイズとシオンに、自分が着ていた大きめのマントを羽織らせた。ちょうど、2人が羽織ることができるほどの大きさをしている。気持ち的には、大分とマシにはなった。が、それでもやはり飛び出てしまう箇所は当然あり、濡れてしまう。

「で、事情ってなによ?」

「鼠捕りだ」

「鼠捕り?」

「ああ、“王国”の穀倉を荒らすばかりか……主人の喉笛を噛み切ろうとする不遜な鼠を狩っている最中なのだ」

 シオンは、察した様子を見せる。

 が、訳が理解らないといった様子のルイズは、アニエスへと尋ねた。

「もっと詳しく説明して」

「今はこれ以上説明する暇がない。しっ! ……来たぞ」

 リッシュモンの屋敷の扉が開き、先ほどアニエスの馬の轡を取った年若い小姓が姿を見せた。12~13歳ほどの赤いホッペの少年である、カンテラを掲げ、キョロキョロと辺りを心配そうに見回した後、再び引っ込み馬を引いて現れた。

 小姓は緊張した顔でそれに飛び乗ると、カンテラを持ったまま馬を疾走り出させた。

 アニエスは薄い笑みを浮かべると、カンテラの灯りを目印にその馬を追い始めた。

「……何事?」

「始まった」

 アニエスは、ルイズの問いに短く答える。

 夜気の中を、小姓を乗せた馬は早駆けで抜ける。主人に言い含められでもしたのだろう、余ほど急いでいる様子である。少年は辺りを見回す余裕さえなく、必死な様子で馬の背にしがみ付いている。

 小姓の馬は高級住宅街を抜け、如何わしい繁華街へと馬を進めて行く。辺りはまだ女王の捜索隊と、夜を愉しむ酔っ払いたちなどで溢れている。

 “チクトンネ街”を抜け、さらに奥まった路地へと馬は消えた。

 厩に馬を預け、小姓が宿に入った事を確認すると、アニエスも宿へと向かった。馬を放り出し、追いかけながらルイズが問う。

「いったい、なにが起こってるのよ?」

 アニエスはもう答えない。

 宿に入り、1階の酒場の人混みを掻き分け、2階へと続く階段を上る小姓の姿を見付け、アニエスは後を追う。

 階段の踊り場から、アニエスは小姓が入て行ったドアを確認する。

 しばらくそこで3人は待ち人になった。

 アニエスはルイズとシオンに、耳打ちでもするように小声で言った。

「マントを脱げ、酒場女のように、私にしなだれかかれ」

 訳が理解らぬままにルイズはマントを脱ぎ捨て、シオンもマントを脱ぎ捨て、アニエスの言う通りにした。そうすると、情人とイチャつく騎士の姿が出来上がる。酒場の喧騒に、その姿は良く溶け込んでいる。

「似合うぞ」

 アニエスは視線を2階から逸らさずにルイズとシオンに言った。声はやはり女だが、黙っていると短髪の所為か凛々しい騎士の出で立ちに見える。

 その為に、ルイズはつい、頬を染めてしまう。

 小姓は直ぐに部屋から出て来た。

 するとアニエスは2人を引き寄せた。あ、と言う間もなく、2人は順番に唇を奪われてしまう。

 ジタバタと暴れようとするルイズだが、アニエスは強い力で彼女を押さえ付けている為に、身動きを取る事はできない。

 小姓は唇を合わせるアニエスとルイズ、そしてシオンへとチラッと一瞥をくれはしたが、直ぐに目を逸らす。騎士と愛人の酒場女たち2人との接吻。屋敷の壁にかかった絵画のように、この世界、この時代に於いては有り触れた光景だ。

 小姓は出口から出て行くと、来た時間と同じように馬に跨り、夜の街へと消えて行った。

 やっとそこでアニエスはルイズとシオンを解放した。

「な、なにすんのよ!?」

 顔を真っ赤にしてルイズが怒鳴る。相手が男であれば、今頃は“杖”を引き抜いて吹き飛ばしているところであっただろう。

 シオンもまた顔を真っ赤にしてはいるが、それだけである。

「安心しろ。私にそのような趣味はない。これも任務だ」

「わたしだってそうよ!」

「私も、だよ」

 それからルイズは去って行った小姓を思い出した。

「跡を着けなくて良いの?」

「もう用はない。あの少年はなにも知らぬ。ただ手紙を運ぶだけの役割だ」

 アニエスは、小姓が入って行った客室のドアの前に、足音を立てないように注意をしながら近付く。そして、小さな声で、ルイズとシオンへと問うた。

「……お前たちは“メイジ”だろう? この扉を吹き飛ばせぬか?」

「……随分荒っぽいことするのね」

「……鍵が掛かっているはずだ。止むを得ん。ガチャガチャやってる間に、逃げられてしまうからな」

 吹き飛ばすという点については、ルイズが優れているだろう。

 ルイズは太腿のベルトに提した“杖”を引き抜くと呼吸を整え、短く一言“虚無”の“ルーン”を口遊み、“杖”をドアへと振り下ろした。“エクスプロージョン”だ。

 ドアが爆発し、部屋の中へと吹き飛ぶ。

 間髪入れずに、剣を引き抜き、アニエスは中に飛び込んだ。

 中では商人風の男が、驚いた顔でベッドから立ち上がるところであった。手には“杖”が握られており、“メイジ”であることがわかる。

 男は相当の使い手らしく、飛び込んで来たアニエスに動じることもなく、“杖”を突き付け短く“ルーン”を呟く。

 だがそれ以上の速度で、シオンが“魔法”と“魔術”を組み合わせ風を起こし、商人風の男が持つ“杖”を吹き飛ばす。

 それでも、男が唱えた“魔法”は完成していた事もあり、空気の塊がアニエスを吹き飛ばす。

 男が、壁に叩き付けられたアニエスにトドメの“呪文”を撃ち込もうとした時……ルイズが続いて入る。

 ルイズの“エクスプロージョン”が男を襲う。

 男は眼の前で発生した爆発により、顔を押さえて転倒した。

 立ち上がったアニエスが、床に転がっている男の“杖”を拾い上げ、男の喉元に剣を突き付ける。

 男は中年だろう。商人のような成りをしてはいるのだが、目の光りは違う。商人になった“貴族”ではなく、身分などを隠し行動をしている“貴族”だろうということがわかる。

「動くな!」

 アニエスは剣を突き付けたまま、腰に付けた捕縛用の縄を掴み、鉄の輪の付いたそれで男の手首を縛り上げた。破ったシーツによる即席の猿轡を噛ませる。その頃になると、何事? と宿の者や客が集まり、部屋を覗き込み始める。

「騒ぐな! 手配中のこそ泥を捕縛しただけだ!」

 宿の者や客たちはトバッチリを恐れたのだろう、顔を引っ込めた。

 アニエスは小姓がこの男に届けた思しき手紙を見付け、中を改める。微笑を浮かべ、それから机の中や、男のポケットなどを洗い浚い確かめ始める。見付かった書類や手紙を纏めにした後、1枚ずつユックリと読み始めた。

 そんなアニエスへと、ルイズが問い掛ける。

「この男は何者なの?」

「“アルビオン”の鼠だ。商人のような成りをして“トリスタニア”に潜み、情報を“アルビオン”へと運んでいたのだ」

「じゃあ、こいつが……敵の間諜なのね。凄いじゃない。お手柄だわ!」

「まだ解決していない」

「どうして?」

「親鼠が残っている」

 アニエスは1枚の紙を見付けると、ジッと見入った。それは、建物の見取り図であり、いくつかの場所に印が記いている。

「なるほど……貴様らは劇場で接触していたのだな? 先ほど貴様の元に届いた手紙には、“明日例の場所で”、と書かれている。例の場所とは、この見取り図の劇場に間違いないか? どうなのだ?」

 男は答えない。ジッと黙って外方を向いている。

「答えぬか……“貴族”の誇りという訳か」

 アニエスは冷たい笑みを浮かべると、床に転がった男の足の甲に剣を突き立てようとする。

 だが、そこで……。

「もしかして、シオン姫殿下でございますか?」

 その男は、シオンの姿を見て、目を丸くし、大きく驚く。

「ご無事でなによりです。姫殿下」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜が明けて、昼。

 中央広場、“サン・レミ”の聖堂が11時である事を告げる鐘を打つ。

 “タニアリージュ・ロワイヤル座”の前に、一台の馬車が止まった。

 中から降りて来たのは、リッシュモンである。彼は堂々とした態度で劇場を見上げた。御者台に座った小姓が駆け下り、その鞄を持とうとする。

「良い。馬車で待っておれ」

 リッシュモンは首を横に振ると、劇場の中へと入って行った。

 切符売の男は、リッシュモンの姿を認めると一礼した。

 切符を買わずに、リッシュモンは突き進む。

 芝居の検閲もその一職務の“高等法院”長の彼にとって、ここは別荘に近しい場所のようなモノなのであった。

 客席には若い女性の客ばかりであり、六分ほど埋まっているのが見える。

 開演当初は人気のあった演目ではあるが、役者の演技が酷い為に評判はガタ落ちし、酷評された。その結果客足が遠退いたのだろう。

 リッシュモンは彼専用の座席に腰かけると、ジッと幕が開くのを待った。

 続いて劇場の前にやって来たのはアニエスとルイズとシオンであった。

 ルイズは何が何やら理解らないままに、この毛机上の近くの路地にアニエスとシオンと共に張り込んでいたのである。先ほどの馬車が姿を見せると、アニエスが動いたこともあり、シオンと一緒に出て来たのである。

 ルイズは疲れてクタクタであった。なにせ、昨晩は一睡もしていないのである。それに、アニエスは何の説明もしない。鼠退治は良いのだが、誰が鼠であるのかも教えず、アニエスは黙して語らないのである。察しているシオンもまた語らない。

 シオンもまた、ルイズ同様に疲労が溜まっていた。

 劇場の前でジッとっているルイズ達の前に、懐かしい――見覚えがあり、見飽きた顔触れが姿を見せた。

 才人と、そして俺にエスコートされたアンリエッタである。

 才人もまた寝ていないが為に、目の下に隈が出来てしまっている。

 アンリエッタがルイズが買い求めた“平民”の服の上にローブを纏い、街女のように髪結い上げていたが……ルイズが見間違えるはずもない。

 俺たちは、アニエスが先ほど放った伝書フクロウからの報告で、ここを目指してやって来たのである。

「……姫さま。セイヴァー。サイト!」

 ルイズは小さく呟き、続いて大きく怒鳴って俺たちへと駆け寄って来る。

 シオンは、やはり大体の事を察し、理解をしているのだろう。落ち着いた様子でユックリと近付いて来る。

「ルイズ……」

 アンリエッタは、ルイズのその小さな身体を抱き締めた。

「心配しましたわ! いったい、どこに消えておられたのです?」

「優しい“使い魔”さんたちをお借りして……街に隠れておりました。黙っていたは、赦してちょうだい。貴女たちには知られたくない任務だったのです。でも、アニエスと貴女たちが行動を共にしているとの報告を今朝聞いて、驚きました。やはり貴女たちは私の1番のお友達。どこにいても駆け付けてしまう“運命”にあるのですね」

 アンリエッタはそう言って、ルイズとシオンを見つめた。

 それから側に控えたアニエスへと目を向ける。

 アニエスは膝を突いた。

「用意万端、整いましてございます」

「ありがとうございます。貴女はホントに、良くしてくださいました」

 そして最後に劇場の前にやって来た観客は……。

 “マンティコア隊”を中核とする、“魔法衛士隊”であった。

 獅子の頭に蛇の尾を持つ“幻獣”に跨った苦労性の隊長は、その場にいた全員を見つめて目を丸くした。

「おや!? これはどうした事だアニエス殿! 貴殿の報告により飛んで参ってみれば、陛下までおられるではないか!」

 慌てた調子で隊長は“マンティコア”から下りると、アンリエッタの元へと駆け寄った。

「陛下! 心配しましたぞ! どこにおられたのです!? 我ら一晩中、捜索しておりましたぞ!」

 泣かんばかりの勢いで、人の良い隊長は声を張り上げた。

 とうとう“魔法衛士隊”まで勢揃いだということもあって、何事? と見物人が集まって来る。

 騒ぎになりそうなので、アンリエッタはローブのフードを深く冠った。

「心配をかけて申し訳ありません。説明は後でいたしますわ。それより隊列長殿。命令です」

「なんなりと」

「貴下の隊で、この“タニアリージュ・ロワイヤル座”を包囲してください。蟻1匹、外に出してはなりませぬ」

 隊長は一瞬怪訝な表情を浮かべはしたが、直ぐに頭を下げた。

「御意」

「それでは、私は参ります」

「御伴いたしますわ」

 ルイズが叫んだ。

 しかし、アンリエッタは首を横に振った。

「いえ、貴女たちはここでお待ちなさい。これは私が決着を着けねばならぬ事」

「しかし」

「これは命令です」

 毅然と言われ、ルイズは渋々と頭を下げた。

 アンリエッタはたった1人、劇場へと消える。

 アニエスは馬に跨り、どこへと駆けて行った、他に何か密命でもあるのか、それとも――。

 そして……後には才人とルイズ、シオン、そして俺の4人が残された。

 ルイズは、なんだか頬を染めてアンリエッタの後ろ姿を見守っている才人の裾を引っ張った。

「ねえ?」

「なんだ?」

「いったい、何がどうなってるの?」

「狐狩りって言ってたな」

「鼠捕りって聞いたわ」

「どっちが正解なんだろ?」

「どっちも正解だよ。この国にいる不穏分子や“アルビオン”との繋がりがある、内通者たちを炙り出し、裁くの」

 首を傾げるルイズと才人に、シオンは静かに、そして沈鬱な様子で答えた。

 それからルイズと才人の2人は、ポカンとした表情を浮かべ、顔を見合わせる。

「なんだか今回の任務は……」

「うん」

「わたし達、脇役みたいね」

 ルイズの言葉に、才人は首肯く。

 そしてその直後に、ルイズはとある香りに気付き、才人の身体に鼻を近付けた。

「な、なんだよ?」

 ルイズは険悪な表情を浮かべると、クンクン、と鼻を鳴らして才人の身体の香りを嗅ぎ始めた。

「お、おいってば。なんだっつの?」

「この香り……姫さまの香水の香りだわ」

「え?」

 才人は、ギクッとした様子を見せる。

「あんたまさか……姫さまに変なことしたんじゃないでしょうね?」

 ギロッと、ルイズは才人を睨む。

 才人は、(まさか……いや、もちろん、キスをしたとは言えない。しかも、姫さまの方からして来たんだとは言えない。姫さまの名誉の為に、そんなこと言えない。そして言ってもルイズは信じないだろうしな)と思い、焦った。

「馬鹿! する訳ないだろ!」

「ホント?」

 ルイズは才人を睨み続ける。

「さっきエスコートにしている時に付いたんだろ」

 ルイズは才人の耳を摘むと、グイッと引き寄せた。そして、首筋に鼻を近付ける。

「くんくん。くんくん。じゃあなんでこんな所からも香るのよ? エスコートして、首筋に香水付くの? へえ? どんな香水よ!?」

「いや、それは……なんか寝てる時に寝返り打って。顔近付いて。以上、みたいな?」

「ねえセイヴァー、それってほんと?」

「さて、どうだったか」

 明らかな言い訳を口にする才人を前に、ルイズは俺へと確認をして来て、俺は恍けてみせる。

「良いわ。身体に訊くから」

 そうしてルイズは才人の耳を摘んだまま、路地へと引っ張って行った。

 才人の悲鳴が路地に響いた。

 

 

 

 幕が上がり……芝居が始まった。

 女性向けの芝居だということもあり、観客は若い女性ばかりだ。キャアキャアと黄色い歓声があちらこちらから沸く。

 舞台では、綺羅びやかに着飾った役者たちが悲しい恋の物語を演じ始める。

 以前俺たちが観劇した、“トリスタニアの休日”である。

 リッシュモンは眉を顰めた。役者が笑う度に、見得を切る度に、無遠慮に飛ぶ若い女性の声援が耳障りという訳ではない。約束の刻限になったのにも関わらず、待ち人が来ないという事が気掛かりなのであった。

 彼の今の頭の中には、質問せねばならないことがグルグル回っている。(今回の女王の失踪は、私を通さずに行った“アルビオン”の陰謀なのか? もしそうなら、その理由は? そうでないのなら、早急に“トリスタニア”に内在する第3の勢力を疑わねばなるまい。どちらせよ面倒な事に成なった)と独り言ちた。

 その時……彼の隣にとある客が腰を掛けた。

 リッシュモンは、(待ち人だろうか?)と横目で眺めたが、違った。

 深くフードを冠った若い女性である。

 リッシュモンは小声で窘めた。

「失礼。連れが参りますので、他所にお座りください」

 しかし、少女は立ち上がろうとはしない。

 これだから若い女は……といった風にリッシュモンは苦々しげな顔で横を向く。

「聞こえませんでしたか? マドモワゼル」

「観劇のお伴をさせてくださいまし、リッシュモン殿」

 フードの中の顔に気付き、リッシュモンは目を丸くした。それは失踪したはずの……アンリエッタその人だったのだから。

 アンリエッタは真っ直ぐに舞台を見つめたまま、リッシュモンに問うた。

「これは女が見る芝居ですわ。御覧になって楽しいかしら?」

 リッシュモンは落ち着き払った態度を取り戻し、深く座席に腰かけ直す。

「つまらない芝居に目を通すのも、仕事ですから。そんなことより陛下、お隠れになったとの噂でしたが……ご無事で何より」

「劇場での接触とは……考えたモノですわね。貴男は“高等法院”長。芝居の検閲も職務の内。誰も貴男が劇場にいても、不思議には思いませんわ」

「然様で。しかし、接触とは穏やかではありませんな。この私が、愛人とここで密逢しているとでも?」

 リッシュモンは笑った。

 しかし、アンリエッタは笑らない。そして彼女は、狩人のように目を細めた。

「お連れの方なら、お待ちになっても無駄ですわ。切符を改めさせて頂きましたの。偽造の切符で癌劇など、法に悖る行為。是非とも“法院”で裁いて頂きたいわ」

「ほう。いつから切符売りは“王室”の管轄になったのですかな?」

 アンリエッタは緊張の糸が途切れたように、溜息を吐いた。

「さあ、お互いもう戯言は止めましょう。貴男と今日ここで接触するはずだった“アルビオン”の密使は作者逮捕いたしました。彼は全てを喋りました。今頃“チェルノボーグの監獄”です」

 アンリエッタは一気にリッシュモンを追い込んだ。

 しかし、そのように全てを知られていながらも、リッシュモンは余裕の態度を崩さず、不敵に、嬉しそうな笑みを浮かべた。

「ほほう! お姿をお隠しになられたのは、この私を燻り出す為の作戦だったと言う訳ですな!」

「その通りです。“高等法院”長」

「私は陛下の掌の上で踊らされたと言う訳か!」

「私にとっても不本意ですが……そのようですわね」

 リッシュモンはいつも見せぬ、邪気の込もった笑みを浮かべてみせた。

 ちっとも悪怯れないその態度に、アンリエッタは強い不快感を覚えた。

「私が消えれば、貴男は慌てて密使と接触すると思いました。“女王が、自分たち以外の何者かの手によって拐かされる”。貴男たちにとって、これ以上の事件はありませんからね。慌てれば、慎重さは欠けますわ。注意深い狐も、その尻尾を見せてしまう……」

「さて、いつから御疑いになられた?」

「確信はありませんでした。貴男も、大勢いる容疑者の内の1人だった。でも、私に注進してくれた者がおりますの。あの夜、手引きをした犯人は貴男だと」

 疲れた、悲しい声でアンリエッタは続けた。

「信じたくはなかった。貴男がこんな……“王国”の権威と品位を守るべき“高等法院”長が、このような売国の陰謀に荷担するとは、幼い頃より、私を可愛がってくれた貴男が……私を敵に売る手引きをするとは」

「陛下は私にとって、まだなにも知らぬ少女なのです。そのように無知な少女を王座に抱くくらいなら、“アルビオン”に支配された方が、まだマシというモノ」

「私を可愛がってくれた貴男は嘘なのですか? 貴男は優しい御方でした。あの姿は、偽りだったのですか?」

「主君の娘に、愛想を売らぬ家臣はおりますまい。そんなことも理解らぬのか? だから貴女は子供だというのですよ」

 アンリエッタは、(私は何を信じれば良いの? 信じていた人間に裏切られる、これほど辛い事があるかしら? いいえ……裏切られた訳ではないわね。この男は出世の為に、私を騙していただけだもの。そんな事も理解らぬ私は、やはりリッシュモンの言う通り、子供なのかもしれないわね。だけどもう子供ではいられない。真実を見抜く目を……磨かなくてはいけない、そして真実を目にした時、動かぬ心を持たねばならないわ)と思い目を瞑った。

「貴男を、女王の名に於いて罷免します、“高等法院”長。大人しく、逮捕されなさい」

 リッシュモンはまるで動じた様子を見せない。そればかりか、舞台を指さして、さらにアンリエッタを小馬鹿にした口調で言い放つ。

「野暮を申されるな。まだ芝居は続いておりますぞ。始まったばかりではありませんか。中座するなど、役者に失礼と言うモノ」

 アンリエッタは首を横に振った。

「外はもう、“魔法衛士隊”が包囲しております。さあ、“貴族”らしい潔さを見せて、“杖”を渡してください」

「まったく……小娘が粋がりおって……誰を逮捕するだって?」

「なんですって?」

「私に罠を仕掛けるなどと、100年早い。そう言ってるだけですよ」

 リッシュモンは、ポン! と手を打った。

 すると、今まで芝居を演じていた役者たちが……男女6名ほどではあったが、上着の裾やズボンに隠した“杖”を引き抜く。そしてアンリエッタ目掛けて突き付けた。

 若い女の客たちは、突然の事に震えて喚き始めた。

「黙れッ! 芝居は黙って見ろッ!」

 激昂したリッシュモンの……本性を現した声が劇場内に響く。

「騒ぐ奴は殺す。これは芝居じゃないぞ」

 辺りは一気に静寂に包まれてしまう。

「陛下自ら入らしたのが、御不幸でしたな」

 アンリエッタは……静かに呟いた。

「役者たちは……貴男のお友達でしたのね」

「ええ。ハッタリではありませんぞ。一流の使い手揃いです」

 リッシュモンはアンリエッタの手を握った。

 その手の感触の悍ましさに、アンリエッタは鳥肌が立つのを覚えた。

「私の脚本はこうです。陛下、貴女を人質に取る。“アルビオン”行きの“フネ”を手配して貰う。貴女の身柄を手土産に、“アルビオン”へと亡命。大円団ですよ」

「なるほど。この芝居、脚本は貴男。舞台は“トリステイン”、役者は“アルビオン”……」

「そして貴女がヒロインと。こういう訳なのです。是非ともこの喜劇に御付き合いくださいますよう」

「生憎と、悲劇の方が好みですの。こんな猿芝居には付き合い切れません」

「命が惜しければ、私の脚本通りに振る舞うことですな」

 アンリエッタは首を横に振った。そして、その目が確信に光る。

「いえ、今日の芝居は、私の脚本なんですの」

「貴女の施政と同じように人気はないようですな。残念ですが、座長としては、没にせざるを得ませんな」

 役者に扮した“メイジ”たちに“杖”を突き付けられているというにも関わらず……アンリエッタは落ち着き払った態度を崩さずに言い放つ。

「人気がないのは役者の方ですわ。大根役者も良いところ。見られたモノじゃありませんことよ」

「贅沢を申されるな。いずれ劣らぬ“アルビオン”の名優たちですぞ」

「さて、舞台を下りて頂かないと」

 それまでざわめき、怯えていたはずの若い女の客たちが……。

 アンリエッタのその言葉で目付きを変え、一斉に隠し持った拳銃を抜いた。

 アンリエッタに“杖”を突き付けていたリッシュモンの配下の“メイジ”達はその光景に驚き、動きが遅れた。

 ドーン! という、何十丁の拳銃の音が、1つに聞こえる激しい射撃音が響く。

 モウモウと立ち篭める黒煙が晴れると……役者に扮していた“アルビオン”の“メイジ”たちは各々何発もの弾丸を喰らい、“呪文”を唱える間もなく全員が舞台の上に撃ち倒されてしまっていた。

 劇場の客全員が……“銃士隊”の隊員たちであったのだ。なるほど、リッシュモンが怪しいと見抜けなかったのも無理はないだろう。“銃士隊”は全員が若い“平民”……それも女性で構成されていたからである。

 アンリエッタはどこまでも冷たい声で隣の観客に告げた。

「お立ちください。カーテンコール(終劇)ですわ。リッシュモン殿」

 

 

 

 リッシュモンはやっとの事で立ち上がった。

 そして高らかに笑った。

 “銃士”たちが一斉に短剣を引き抜いた。

 気が触れたかのような高笑いを続けながら、突き付けられた剣に臆した風もなくリッシュモンはユックリと舞台に上る。

 彼の周りを“銃士隊”が囲む。何か怪しい動きを為れば、一気に串刺しにする態勢であった。

「往生際が悪いですよ! リッシュモン!」

「ご成長を嬉しく想いますぞ! 陛下は立派な脚本家になれますな! この私をこれほど感動させる芝居を御書きになるとは……」

 リッシュモンは大仰な身振りで、周りを囲む“銃士隊”を見つめた。

「陛下……陛下がお産まれになる前よりお仕えした私から、最後の助言です」

「仰い」

「昔からそうでしたが、陛下は……」

 リッシュモンは舞台の一角に立つと……足で、ドン! と床を叩く。すると、落とし穴の要領で、ガバッと床が開いた。

「詰めが甘い」

 リッシュモンは真っ直ぐに落ちて行った。

 慌てて“銃士隊”が駆け寄るが……再び床は閉まり、押しても引いても開かない。どうやら“魔法”がかかった仕掛けのようである。

「陛下……」

 隊員の1人が、心配そうにアンリエッタを見つめる。

 悔しそうに、アンリエッタは爪を噛んだ後、顔を上げ大声で怒鳴った。

「出口と思しき場所を捜索して! 早く!」

 

 

 

 穴は地下通路に通じていた。いざという時の為に、リッシュモンが造らせた抜け道である。

 “レビテーション”を使い、穏やかに落下した後、リッシュモンは“杖”の先に“魔法”による灯りを灯し、足元を照らしながら地下通路を歩き始めた。

 この通路は、リッシュモンの屋敷へも通じている。彼は、(そこに戻れば後はなんとでもなる)と思い、集めた金を持って、“アルビオン”に亡命するつもりであった。

「しかし……あの姫にも参ったモノよ……」

 リッシュモンが、(亡命した暁には、クロムウェルに願い出て、1個連隊預けて貰おう。それで再びこの“トリステイン”に戻り、アンリエッタを捕まえて、今日掻いた何倍もの恥を掻かせた後、辱めて殺してやる)と想像をしながら歩いていると……灯りの中に人影が映った。

 リッシュモンは一瞬、後退る。

 ボゥっと、暗がりの中に浮かんだその顔は……“銃士隊”のアニエスの顔であった。

「おやおやリッシュモン殿。変わった帰り道をお使いですな」

 アニエスは笑みを浮かべて言った。

 狭い、暗く湿った通路にアニエスの声が響く。

「貴様か……」

 ホッとした笑みを浮かべ、リッシュモンは答えた。

 リッシュモンは、(なるほど。この秘密の通路を知っているということは、劇場の設計図を見たのだろうが……“メイジ”ではない、ただの剣士如きに待ち伏せされたとて、痛くも痒くもない)といった様子を見せる。彼も他の“メイジ”同様、剣士という存在を軽く見ているのである。

「退け。貴様と遊んでいる暇はない。この場で殺してやっても良いが、面倒だ」

 リッシュモンの言葉に、アニエスは銃を抜いた。

「止せ。私は既に“呪文”を唱えている。後はお前に向かって解放するだけだ。20“メイル”も離れば銃弾など当たらぬ。命を捨ててまでアンリエッタに忠誠を誓う義理などあるまい、貴様は“平民”なのだから」

 面倒そうにリッシュモンは言葉を続けた。

「たかが虫を払うのに“貴族”のスペルはもったいない。去ねい」

 アニエスは絞り出すように、言葉を切り出した。

「私が貴様を殺すのは、陛下への忠誠からではない。私怨だ」

「私怨?」

「“ダングルテール(アングル地方)”」

 リッシュモンは、(そう言えば、この前私の屋敷を去る時に……こいつはわざわざ私に尋ねて来ていたな。あれはそういうことだったのか)と嘲笑った。ようやくその理由に得心の行ったリッシュモンは声を上げて嘲笑った。

「なるほど! 貴様はあの村の生き残りか!?」

 アニエスは、ギリッと唇を噛み締めて言い放った。唇が切れて血が流れる。

「“ロマリア”の異端審問。“新教徒”狩り。貴様は我が故郷が“新教徒”というだけで反乱をでっち上げ、踏み潰した。その見返りに“ロマリア”の“宗教庁”から幾ら貰った? リッシュモン」

 リッシュモンは唇を吊り上げた。

「金額を訊いてどうする? 気が晴れるのか? 教えてやりたいが、賄賂の額などいちいち覚えておらぬわ」

「金しか信じておらぬのか。浅ましい男よな」

「お前が神を信じることと、私が金を愛すること、如何ほどの違いがあると言うのだ? お前が死んだ両親を未練たっぷりに慕うことと、私が金を慕うこと、どれだけの違いがあるというのだ? 良ければ講義してくれ。私には理解できぬ事ゆえな」

「殺してやる。貯めた金は、地獄で使え」

「お前ごときに“貴族”の技を使うのはもったいないが……これも運命かね」

 リッシュモンは呟き、“呪文”を解放させた。

 “杖”の先から巨大な火の球が膨れ上がり、アニエスへと飛んだ。

 アニエスは手に握った拳銃を撃つかと思わせたが、それを投げ捨てた。

「なに?」

 身体に纏ったマントを翻し、それで火の球を受ける。一気にマントは燃え上がるが……中に仕込まれた水袋が一気に蒸発して火の球の威力を削いた。が、消滅した訳ではない。アニエスの身体に打つかり、鎖帷子を熱く焼いた。

「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!」

 しかし、アニエスは倒れずに耐えた。恐ろしいまでの精神力。転げ回ってしまうような全身が焼け付く痛みに耐えながら、剣を抜き放りリッシュモンに向かって突進した。

 その反撃に慌ててリッシュモンは次の“呪文”を放つ。

 風の刃がアニエスを襲う。散々に切り裂くが、鎖帷子と板金の鎧に阻まれ、致命傷とならない。身体に無数の切り傷を負いながら、なおもアニエスは突進する。

「うお……」

 リッシュモンの口から溢れたのは“ルーン”ではなく……真っ赤な鮮血であった。

 アニエスは柄も通れとばかりに深く、リッシュモンの胸に剣を突き立てていた。

「メ……“メイジ”が“平民”如きに……この“貴族”の私が……お前のような剣士風情に……」

「……剣や銃は玩具と吐かしたな?」

 全身に火傷と切り傷を負いながら、アニエスはゆっくりと突き立てた剣を回転させ、リッシュモンの胸を抉った。

「玩具ではないぞ。これは武器だ。我らが貴様ら“貴族”にせめて一噛みと、磨いた牙だ。その牙で死ね。リッシュモン」

 ごぼ、と一際大きくリッシュモンは血を吐いた。そしてユックリと崩れ落ちる。

 辺りには静寂が戻った。

 地面に落ちたカンテラを拾い上げ、アニエスは壁に肩を突いてヨロヨロと歩き始めた。火傷の上に負った切り傷が、今にも倒れてしまいそうなほどの激痛をアニエスに与えているのである。

 それでもアニエスは歩いた。

「……ここで、死んで溜まるか。まだ、まだ……斃さねばならぬ」

 剣を杖のように突き、血を流しながらゆっくりと一歩ずつ、アニエスは出口を目指して歩いた。

 “トリスタニア”の地下に掘られた、この秘密の通路の1番近い出口は……“チクトンネ街”の排水溝であった。

 そこから這いずるようにアニエスが身を出すと、街行く人の悲鳴が上がる。

 太陽を眩しく見上げて……生を実感し、幸運に感謝しながらアニエスは気絶した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 3日後……。

 “魅惑の妖精亭”の厨房で、俺と才人は皿を洗っている。

 そんな才人の背中に、ドン! とルイズが打つかった。

 皿を落としそうになり、才人は文句を言う。

「気を付けろ! 皿を割っちまうとこだったぞ!」

 ギロリ、とルイズを睨む才人。だが、その後直ぐに、やれやれと頭を掻いた。

 あの日から……先日の件から、ルイズは才人とまともに口を利いていないのである。

 才人は結局、ルイズに取っ締められて、アンリエッタと隠れた木賃宿で起こった事を話してしまったのである。ただ……キスの事だけは当然除いて。

 それだけでこれだけ不機嫌になるのだから、キスの事がバレてしまえばそれはもう目も当てられない事になるだろう事は明白であった。ルイズはなにせ独占欲が強いのである。“使い魔”の才人が他の女の子に目移りをしただけで怒り狂うのだから、ましてやそれが敬“愛”するアンリエッタとのキスであれば尚更だろう。

 才人はそういった事もあって、それだけは知られないように、と警戒をしていた。

「……そ、そんなに怒るなよ」

「怒ってないわよ」

「だから言ったろ? 姫さまとやむなく抱き合っただけだって。バレそうだったからしかたなく……セイヴァーが証人だ」

「……あんた、それ以上のことしてないでしょうね?」

「す、するかよ!」

 才人は口笛を吹きながら、皿洗いを再開した。

 傍から見たら恋人の痴話喧嘩そのものたであるのだが……2人ともそうは思ってはいない。とにかく才人はルイズの嫉妬を、“使い魔”に対するただの独占欲が原因と解釈している。ルイズはルイズで、己の気持ちをどうにも認めようとしないでいるのだ。そんなこんなで、2人の関係は依然平行線のままである。このままずっとそうなんじゃないか? と思わせるような平行線である。まあ、そうではないのだが。

 さて、ここ最近、いや、普段となんら変わらないそんな2人が拗れた様子を見せていると、羽扉が開き、2人の客が姿を見せた。

 その2人の客は、深くフードを冠っている。

「入らっしゃいませ」

 ルイズが注文を取りに行くと、客はソッとフードを持ち上げ、ルイズに顔を見せた。

「アニエス!?」

 アニエスはルイズに囁く。

「2階の部屋を用意してくれ」

「貴女がいるってことは……もう1人は……」

「……私ですわ」

 アンリエッタの声だ。

 ルイズは首肯いて、シオンに目配せをし、伝える。

 そして、スカロンに頼み、2階で空いている客室を1つ用意した。

 

 

 

 

「さてと……ルイズ、シオン。まずは貴女たちにお礼を……」

 アンリエッタはテーブルを囲んだ面々を見回して言った。

 ルイズ、シオン、才人、アニエス……そして俺だ。

 酷く負傷したアニエスだったが、アンリエッタと宮廷の“水”の使い手による“治癒”によって、ほとんど回復をしていた。ただ、まだ鎧を着けられるほどではないようである。従って今日は胴着にタイツ、そしてブーツといった簡素な出で立ちをしている。

「貴女たちが集めてくれた情報は、本当に役に立ってますわ」

「あ、あんなのでよろしいのでしょうか?」

 政治についての話題であったが、ただの噂に過ぎない。後は、市民たちの意見や批判。本来であれば、アンリエッタの役に立つとは到底思えないだろう情報ばかりだったのだ。

 驚くルイズに、アンリエッタは微笑み、言った。

「貴女たちは何の色も着けずに、そのまま私の所に運んでくださいます。私が欲しいのは、そう言った本当の声なのです。耳に痛い言葉ばかりですが……」

 とにかくアンリエッタへの批判は多かったといえるだろう。

 ルイズはどうしたものかと思ったが、そのまま報告していたのである。シオンもまた、同様だ。だが、それが善かったようである。

「まだ若輩の身、批判はキチンと受け止め、今後の糧としなければいけませんからね」

 ルイズは頭を下げた。

「で、次はお詫びを申し上げねばなりませんね。なんら事情を説明せずに、勝手に貴女たちの“使い魔”さん達をお借りして申し訳ありませんでした」

「そうですわ。わたし達を除け者になんて、非道いですわ」

 ルイズはつまらなさそうに言い、シオンは苦笑を浮かべる。

「貴女たちには、あまりさせたくなかったのです。裏切り者に……罠を仕掛けるような汚い任務を……」

「“高等法院”長が裏切り者だったんですよね……?」

 アンリエッタは内密に処理をしようとしたのだが……そういう秘密はやはりどこかから漏れてしまうモノだ

 リッシュモンが“アルビオン”、いや、“レコン・キスタ”の間諜であったという事は、既に街の噂となっている。

 ルイズは、キッパリと頭を上げた。

「でも、わたしはもう子供じゃありません。姫さまに隠し事をされる方が辛いですわ。これからは、全てわたし達にお話しくださいますよう」

 アンリエッタは首肯いた。

「理解りました。そのようにいたしましょう。なにせ、私が心の底より信用できるのは……ここにいる方々だけなんですもの」

「“使い魔”も?」

 ルイズがそう尋ねた。

 アンリエッタと才人の目が一瞬だけだが、合う。それから2人は頬を軽く染め、お互い俯いた。

「え、ええ……当然ですわ。あ、そう言えば! 正式な紹介がまだでしたわね!」

 アンリエッタは何か誤魔化すような調子で、アニエスに手を差し伸べる。

「私が信頼する“銃士隊”の隊長、アニエス・シュヴァリエ・ド・ミラン殿です。女性ですが、剣も銃も男勝りの頼もしいお方ですわ。1度は逃げた裏切り者を、見事成敗なさいました。“メイジ”相手に剣で臆することもなく……“英雄”ですわ」

「“英雄”などではありませぬ」

 アニエスは暫し目を瞑った後、再び快活な表情へと戻る。それから気を取り直すような声で言った。

「陛下、ご紹介には及びませぬ。既にラ・ヴァリエール殿とエルディ殿とは、一晩過ごした間柄です」

 ルイズとシオンは、踊り場でのキスを思い出し、頬を染めた。

「そ、そうだったわね」

「忘れられぬ一夜でしたね。ラ・ヴァリエール殿、エルディ殿」

 アンリエッタが、「忘れられぬ一夜?」と尋ねた。

「いやなに、敵の目を欺く為に恋人および愛人を装ったのです。我ら、唇まで合わせて! あれは愉快でした! あっはっは!」

 楽しそうにアニエスは笑った。

 ルイズとシオンはますます顔を真っ赤にさせた。

 ルイズは、(良いわよ、笑いモノにしなさいよ、女同士でキスまでしちゃったのよ)と思いながら才人の顔を見る。

 がしかし、才人の顔は笑っていない。なにやら気不味そうに、余所見などをしているのである。

 ルイズは続いてアンリエッタへと視線を移す。

 こちらも、何か居心地が悪そうに指を絡ませてモジモジとしている。

 この2人は先ほど視線を合わせて顔を伏せたということもあり、ルイズの中で疑念が……妙な疑問や猜疑心などが、膨れ上がって行く。

「で、では、お仕事もあるでしょうし、おするといたしましょうか。アニエス殿」

 アンリエッタが立ち上がる。

「え? 今宵はゆっくり祝杯を上げる予定では?」

「貴女の傷のことも心配だし……それではルイズ、シオン。引き続きお願いしますわ」

 アンリエッタはそそくさと、部屋を出て行った。

 解せぬ様子のアニエスが続く。

 才人も立ち上がると、外に出ようとした。

「そんな急がなくても良いじゃないの」

 ルイズが、才人を引き止めた。

 才人は、すごく嫌な予感を覚えたのだろう、青褪めた顔をしている。

「いや、ほら、皿を洗わないと」

 真っ直ぐ前を見て、才人は言った。が、声が震えている。

 しかし、ルイズはニッコリと笑った。

「ま、座って。良いのよ。朝までここ、貸し切りなんだから」

 ルイズが、ベッドを指し示す。

 才人は、(なんだこいつ、気付いたんじゃないだろうな? 姫さまとのキス……いや、まさか……そんな、ね? そんなに鋭くないよね? そ、そうだよな。気付いたら、ルイズがこんな態度を取る訳ない。ムスッとした顔で、踏み付けてこう言うだろう。“あんた姫さまとキスしたんじゃないでしょうね?”)などと思い、おっかなびっくりといった風にユックリと腰掛ける。

 それであるのに、ルイズは笑っているのだ。ホントに他意などはなく、才人の労を労いたいのかもしれないといった様子だ。

「な、なんだよ。妙に優しいな」

「いいえ、今回はお疲れさまって。お礼を言いたいだけ。ほんとよ?」

 ルイズは杯を才人に持たせ、そこにワインを注いでやった。

「あ、ありがとう」

「ほらわたし……てっきり姫さまに必要とされてないんじゃないかって。この2~3日、ちょっと機嫌が悪かったけど……そんなことなかったから。機嫌直った! もう平気!」

 その様子を見て、才人は(あ、ああ、思い過ごしか……良かった……ほんとに機嫌を直したようだな)といった風にホッとした様子を見せる。

「姫さまの護衛、大変だったんじゃない?」

 ルイズは才人の手を握り締めた。

「そ、それほどでも」

 才人は、(なんだよルイズ、ホントに優しいな。嗚呼、いつもこうだったら良いのに)と思った。

「でも、流石はわたしの“使い魔”ね! わたしも鼻が高いわ!」

 才人は思わず照れた。

「そ、そんなお前……簡単だよ。ただ、一緒にいるだけだったし、セイヴァーもいてくれたし……」

「それでも凄いわ。誰にもバレないように、追って手を撒いたんでしょう?」

「ま、まあね」

「さ、呑んで呑んで。今日はきっちり任務を果たした貴男がご主人さまよ。わたしが給仕」

 そう言ってルイズはワインを勧める。

 ルイズにそんな風に煽てられ、才人は段々と気分が大きくなって行く。

「サイト凄いわ! 部屋に踏み込まれた時、咄嗟に機転を利かせて恋人のフリして誤魔化したんでしょう? 貴男、役者になれるわ! “タニアリージュ・ロワイヤル座”の看板俳優になれるわ!」

「まあな! 楽勝だよ!」

 同じ調子で、ルイズは続けた。

「サイト凄いわ! 姫さまとキスしたんでしょう?」

「まあな!」

 瞬間、空気が固まった。

 自分が見事に嵌められたということに才人は、この時点で流石に気付いた。

 相手から何かを引き出す時は、まずは安心させる。ルイズがこの酒場で磨いたテクニックであるのだ。ルイズは、日々日々、何気に成長しているのである。

「ル、ルイズ、その……あ、あれは……その……」

 ピリピリピリと、部屋の中の緊張が高まって行く。

 才人は俺へと助けを乞う視線を向けて来るが、俺とシオンは即座に部屋から退出する。

 ルイズは立ち上がると、ドアの鍵を閉めた。

 後ろを向いたまま、ルイズが言った。どこまでも明るい声だ。

「ねえ犬」

 犬と来た。

 才人の中にあったワインによる酔いが、一気に覚めて行く。そして、(ルイズの肩から立ち上がるオーラなに? あのドス黒いオーラなに?)と戦々恐々の体でガタガタと震え始めた。

「犬、どうしたの? 返事は?」

「わ、わん!」

 今夜の犬は、きっと違うだろう。一味違う。そんな痺れるような予感が、才人の身体を突き抜けるのを覚える。苦い絶望の味が、彼の口の中に広がって行った。

「あのね。“魔法”と足、どっちが良い?」

「ど、どっちも痛そうだなぁ~~~~」

「痛いじゃ済まないの。良いから、早く決めてよね」

 恐らく、才人にとって今日の夜は長く感じるだろう。

 才人は、(もし、今宵生き残ることができたら……女の子の酌には注意しよう)と思った。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。