“竜”に四隅を持ち上げられた巨大な籠が、朝靄の中、城の前庭に降り立った。
周りに控えた召使たちが一斉に、馬車から車輪を外したような造りの籠に取り付く。馬丁が“竜”に取り付き、宥めている隙に、召使が籠の扉を開いた。緋毛氈のドアの入り口まで敷かれ、籠の中から降りて来た初老の“貴族”を迎えた。
ラ・ヴァリエール公爵であった。歳の頃は50過ぎだ。白くなり始めたブロンドの髪と口髭を揺らし、“王侯”もかくやと唸らせる豪華な衣装に身を包んでいる。左目にはグラスが嵌まり、鋭い眼光を辺りに撒き散らしている。
ツカツカと歩く公爵に執事が取り着き、帽子を取り、髪を直し、着物の合わせを確かめた。
公爵は渋みがかったバリトンボイスで「ルイズは戻ったか?」と尋ねた。
長年ラ・ヴァリエール家の執事を務めているジェロームは、恭しく一礼し、報告をした。
「昨晩、御学友であるシオンお嬢様と、メイド1人、それぞれ“使い魔”を連れて御戻りになられました」
「朝食の席に呼べ」
「畏まりました」
朝食は日当たりのよいこぢんまりとしたバルコニーで摂るのが、ラ・ヴァリエール家の常である。
その日もテーブルが引き出され、陽光の下に朝食の席が設えられた。
上座にはラ・ヴァリエール公爵が腰かけ、その隣に夫人が並ぶ。そして珍しく勢揃いした3姉妹が、歳の順番に座り、次いで客人であるシオンが座った。
ルイズは昨晩泣き腫らしたこともあって、今から父親に参戦の許可を貰おうというのにフラフラの体である。
公爵の機嫌はかなり悪い様子であり、客人であるシオンがいるにも関わらず、それを隠すことも抑えることもできないでいる様子だ。
「まったくあの“鳥の骨”め!」
開口一番、公爵は枢機卿を扱き下ろした。
「どうかなさいましたか?」
夫人は表情を変えることなく、夫に問うた。
ルイズなどはもう、父親のその一言で気が気ではない様子だ。
「この儂をわざわざ“トリスタニア”に呼び付けて、何を言うかと想えば“1個軍団編成され足し”だと!? 巫山戯おって!」
「承諾なさったのですか?」
「する訳なかろう! 既に儂はもう軍務を退いたのだ! 儂に代わって兵を率いる世継ぎも家にはおらぬ。何より、儂はこの戦には反対だ!」
「でしたわね。でも良いのですか? 祖国は今、“一丸と成って仇敵を滅ぼす可し”、との枢機卿の御触れが出たばかりじゃございませんか。ラ・ヴァリエールに逆心ありなどと噂されては、社交もしにくくなりますわ」
そうは言いながらも、夫人は随分と涼しい顔をしている。
「あのような鳥の骨を枢機卿と呼んでは良かん。骨は骨で十分だ。まったく、御若い陛下を誑し込みおって」
ルイズはブホッ! と食べていたパンを噴出させてしまう。
エレオノールがそんなルイズを睨み付けた。
「おお恐い。宮廷の雀たちに聞かれたら、ただじゃ済みませんわよ」
「是非とも聞かせてやりたいものだ」
それまで黙っていたルイズが、戦慄きながら口を開いた。
「と、父さまに伺いたい事が御座います」
公爵はルイズを見つめた。
「良いとも。だがその前に、久しぶりに逢った父親に接吻してはくれんかね? ルイズ」
「父さま、先ほどの事もそうですが、友人の前でそんな」
ルイズはそう言うが、父親である公爵と久しぶりにあったこともあり、立ち上がる。そして、ととと、と父親に近寄り、頬にキスをした。それから真っ直ぐに父親を見つめ、尋ねた。
「どうして父さまは戦に反対なさるのですか?」
「この戦は間違った戦だからだ」
「戦争を仕掛けて来たのはその……“アルビオン”ですわ。迎え討つことのどこが良けないのですか?」
「こちらから攻めることは迎え討つとは言わんのだよ。良いか?」
公爵は皿と料理を使って、ルイズに説明を始めた。
「攻めるという事は、圧倒的な兵力があって初めて成功するモノだ。敵軍は50,000。我軍は“ゲルマニア”と合わせて60,000」
カチャカチャとフォークとナイフを動かし、公爵は肉の欠片で軍を表す。
「我軍の方が10,000も多いじゃありませんか」
「攻める軍は、守る側に比べて3倍以上の数があってこそ確実に勝利できるのだ。拠点を得て、空を制してなお、この数では苦しい戦になるだろう」
「でも……」
公爵はルイズの顔を覗き込んだ。
「我々は包囲をすべきなのだ。空からあの忌々しい大陸……いやすまない、シオンちゃん。失言だった。あの“白の国”である大陸を封鎖して、上が日干しになるのを待てば良いのだ。そうすれば、向こうから和平を言い出して来るだろう。戦の決着を、白と黒で付けようとするからこういうことになる。もし攻めて失敗したらなんとする? その可能性は低くないのだ」
公爵は、客人であるシオンが“アルビオン”出身である事を思い出し、謝罪をする。そして、説明を続けた。それでも、言葉の端々には未だ棘があるのだが。
ルイズは黙ってしまった。父親の言う事、そして持論は1つの正論であるからだ。
「“タルブ”でたまたま勝ったからって、慢心が過ぎる。驕りは油断を生む。おまけに“魔法学院”の生徒を士官として連れて行く? 馬鹿を言っちゃいかん。子供に何ができる。戦はな、足りぬからと言って、数だけ揃えれば良いと言うものではない。攻めるという行為は、絶対に勝利できる自信があって初めて行えるのだ。そんな戦に、娘とその友人を行かせる訳にはいかん」
「父さま……」
公爵はそこまで言うと立ち上がった。
「さて、朝食は終わりだ」
ルイズはギュッと唇を噛み締めて、佇んだ。
「ルイズ。お前には謹慎を命ずる。戦が終わるまで、この城から出る事は許さん。シオンちゃん、君もだ。戦が終わるまで……君の故郷が解放されるまで、ここにいると良い」
「待って!」
そんな公爵の言葉に、ルイズは叫んだ。
「何だ? 話は終わりだと言っている」
「ルイズ……貴女……」
エレオノールが、ルイズの裾を引っ張った。
カトレアとシオンは、そんなルイズを心配そうに見詰めている。
「姫さま……いえ、陛下は、わたしを、わたし達を必要としているの」
「お前の何を必要としていると言うのだ。“魔法”の才能が……」
家族の皆は当然、ルイズが“虚無の担い手”であるという事を知らないのだ。
「今は、今は言えないけど……わたし……」
ルイズは口籠ったが、やおら昂然と顔を上げた。
「もう、昔のわたしじゃないの!」
「ルイズ! 貴女お父さまになんて事!」
エレオノールがキツい声で言い放つ。
「姉さまは黙ってて! 今、わたしが話をしているの!」
そんなルイズの態度に、家族全員は驚いた。昔のルイズであれば、こういった事はなく、姉に逆らうなどといった事は、ありえなかったのだから。
「わたし、ずっと馬鹿にされて来たわ。“魔法”の才能が無いって、姉さま達に比べられて、いっつも悔しい想いをしてた。でも、でも今は違うの。陛下は、わたしが必要だと、ハッキリ仰ってくれているわ」
その言葉で、公爵の目の色が変わった。ルイズの前に向かうと、膝を突いて娘の顔を覗き込んだ。
「……お前、得意な“系統”に
コクリと、ルイズは首肯いた。
「“4系統”のどれだね?」
ルイズはしばらく考えた。もちろん、“虚無”などと言えるはずもない。だが、父親に嘘を吐いても良いものかどうかと、しばらく葛藤をした。そして……唇を噛んで、嘘を吐いてしまった。
「……“火”、です」
「“火”?」
しばらくラ・ヴァリエール公爵はルイズの顔を見つめていたが、ゆっくりと首肯いた。
「お前のお爺さまと同じ“系統”だね。なるほど、“火”か……ならば戦に惹かれるのも無理はない。罪深い“系統”だ。本当に、罪に塗れた“系統”だ」
「父さま……」
公爵は力なく、頭を垂れた。
「陛下はお前の力が必要だと、確かにそう仰ったのだね?」
「はい」
「良いかねルイズ。大事なところだよ。間違えてはいけないよ。他の誰でもなく、確かに陛下が、お前の力が必要だと、そう仰ったのだね?」
ルイズはキッパリと言い放った。
「はい。陛下にはわたしの、わたし達の力が必要だと仰って下さいます」
老公爵は首を横に振った。
「名誉な事だ。大変に名誉な事だ。だが……やはり認める訳にはいかぬ」
「父さま!」
「御間違いを指摘するのも、忠義というモノ。陛下には儂から上申する。ジェローム!」
「はっ」
と執事が飛んで来て、公爵の脇に控える。
「紙とペンを用意しろ」
公爵は、それからルイズに向き直り、言い放った。
「お前は婿を取れ」
「え? どうしてですか!?」
「戦の参加は認めぬ。断固として認めぬ。お前は、あのワルドの裏切りの一件で自棄になっているのであろう? なれば婿を取れ。心も落ち着くだろう。2度と戦に行きたいなどと言い出さぬであろう。これは命令だ。違える事は許さぬ」
「父さま!」
ルイズが叫ぶ。
しかし、老公爵はやはり首を横に振った。
「ジェローム、ルイズをこの城から出してはならん。良いな?」
「畏まりました」
と執事が首肯いた。
そして公爵は、朝食の席から退場して行った。
残された夫人と姉達は、ルイズを取り囲む。
母親と長姉は、ルイズを責めた。
「お父さまはもうお若くないのよ。あまり心配をかえないで」
「父さまにあれだけの心配をかけたのだから、貴女婿を取りなさい」
エレオノールが、冷たく言い放つ。
「どうしてわたしが!? 順番から言えば、エレオノール姉さまが……」
「だから私は解消したって言ってるでしょ~~~~~~~~」
と言って、エレオノールはグリグリとルイズの頬を抓った。
「ご、ごめんなふぁい……でも、わたし、まだふぇっほんふぁんて……」
「なんで? どうして? 貴女、恋人でもいるの?」
母親にそう突っ込まれて、ルイズは首を横に振った。
「いないわ。いない、いないもの」
公爵夫人とエレオノールは、そんなルイズの様子で直ぐに勘付いたらしい。2人は顔を見合わせた。
「想い人はいるみたいね」
「そ、そんなのいないんだから!」
「誰? どこの“貴族”なの?」
「伯爵? 男爵?」
「準男爵? 貴女まさか、ただの“シュヴァリエ”なんかじゃないでしょうね?」
ルイズの身体が、ピクン! と固まってしまった。
「嫌だこの娘……そうだわ、“シュヴァリエ”か“勲爵士”か知らないけど……身分の低い男に恋したんだわ」
エレオノールが、苦い顔になった。
母親である夫人も額を押さえる。
「おお、この娘は本当にいくつになっても心配をかけるんだから……」
「わ、わたし、“シュヴァリエ”なんかに恋してないわ」
ルイズは慌てて言った。
ルイズは、本当は“シュヴァリエ”ですらないこちらの世界――“ハルケギニア”ではただの平民、しかも異世界――“地球”から来た少年だと知られたら、ただでは済まない気がしたのだ。というよりも常々、好きでもなんでもないもん、などと思っているのだが、今は才人の事で頭が一杯になってしまっている。
カトレアが心配そうにルイズを見つめる。
「この娘は、幾つになっても心配をかけるのね。戦争に行きたいと言い出したり、おまけに“シュヴァリエ”なんかに恋したり……」
ルイズは「だから、恋なんか……」と口籠るのだが、母親と長姉に左右から「お黙り!」と怒鳴られてしまう。
いつもの剣幕であった。
ルイズは父親に喰って掛かった先ほどの勇気もどこへやら、すっかり意気消沈してしまった。
急に哀しくなり、ルイズは駆け出し、バルコニーから逃げ出してしまう。
「こら! お待ちなさい!」
母親と長姉の叫ぶ声が響いた。
ルイズの姿が消え、残されたのは公爵夫人、エレオノール、カトレア、シオンの4人、そして給仕を始めとした従者たちである。
「叔母さま、エレオノールさん」
「あら、ごめんなさいね、シオンちゃん。みっともない場面を、いえ、客人である貴女の前でこんな」
規律や礼儀などを重んじる公爵夫人は、シオンからの言葉に対して真っ先に謝罪をする。
「いえ、気にしておりませんので。ですが、その……話がありまして」
「話?」
「はい。カトレアさんの事です」
「カトレアの?」
シオンとカトレアは互いに見つめ合い、そして首肯き合った。
「わたし自身からお話しますわ。ですが、その前に」
「セイヴァー」
シオンの呼びかけに、俺は“霊体化”を解き、当然夫人とエレオノールが驚く。
「貴男、いったいどこから? いえ、いつからそこに?」
「ずっと、です。主人の側に“使い魔”がいるのはなんら可怪しい事ではないでしょう? 御両人」
俺は、夫人とエレオノールの2人へと向き直る。
「話と言うのは、わたしの病の事です。ですが、お父さまにも聴いて頂きたいので、居間の方にでも」
そう言って、カトレアは先を歩き出した。
居間――客人を饗す為の部屋へと集合した、公爵、公爵夫人、エレオノール、カトレア、シオン、そして俺。
そこで、昨夜に説明をした事をもう1度、聞いていなかった公爵と公爵夫人、エレオノールへと説明をする。
「そんなモノ信じる事も頼れる訳もないだろう。聞いたこともない」
「そうですわ。ここ“トリステイン”には“トリステイン”の、“貴族”には“貴族”としてのやり方と言うモノがあります」
公爵と公爵夫人は、やはり否定の意を示す。公爵は、先ほどのルイズの件の事もあり、未だ不機嫌な様子だ。
だが、エレオノールは少しばかり考えている様子である。
「ええ。確かに、習慣や規則、伝統……そういったモノは大事です。大切にしていくべきモノでしょう。ですが、新しい風を取り入れる事で、それらはより盤石になる事もありましょう」
カトレアの身体、そして病は彼らが知る中で“トリステイン”引いては“ハルケギニア”にいる“メイジ”や医者では治すことができない代物だ。
それを熟知しながらも否定をするのは、未知の存在への恐怖や拒絶、そして何より愛娘への“愛”故だろう。
俺はそれを理解しながらも、「それでも」、と喰い下がる。
交渉に於いては、1番という訳ではないが、先ず相手を立てる、相手の意見を肯定する事などが大事だ。そして、そこから折衷案などを出して行く。
「お父さま、お母さま。彼は、斯の“ロバ・アルカリイエ”から来たと言う話です。あそこは、ここ“トリステイン”や周辺の他国よりも進歩した技術を持つとか。もしかすると」
そこで、次女の事を考えた結果だろう、エレオノールが口を開いた。
「だが、そんな得体の知れないモノに頼るなど」
だがそこで、カトレアは、普段見せる事も、これまで見せる事もなかっただろう、断固とした強い意志と目を以て、両親を見詰め、口を開いた。
「お父さま、お母さま、わたしは、彼に任せてみたいと思っております」
「カトレア!?」
先ほど――食事の席での際のルイズの事もそうだったが、彼女に次いでカトレアも見せた事がこれまでなかった様子に、両親は驚く。
「可能性があるのであれば。わたしは」
「どちらにせよ、決めるのは御両親である御二方ではなく、彼女、カトレア御嬢様自身です。これはただ、筋として貴方方御家族に知っておいて貰う必要がある為にした事なのですから」
「ふむ……」
公爵は、カトレアの様子と、俺の言葉に、考え込んだ。そして、しばらくして口を開く。
「理解った。許可しよう」
「貴男!?」
「だが、もしカトレアの身に何かがあった場合」
公爵夫人の言葉を無視し、公爵は言い切った。
「当然です。“セイヴァー”の名に賭けて」
俺は、そう彼女らの両親へと真正面から向き合い、首肯く。
“セイヴァー”としての、初めての、“誰かを救う”行為だ。
「では、カトレアさん。失礼します。“宝具限定解放”」
俺は、彼女の背中へと手を伸ばし、触れる。そして、“宝具”の一部効果を解放し、“魔力”を注ぎ込む。
周囲では、あの“アルビオン”の艦隊を全滅させた“虚無”の“エクスプロージョン”に匹敵するほどの“魔力”が解き放たれ、荒れ狂う。が、攻撃的なモノではなく、負のモノを吹き飛ばす――浄化させるモノだ。
そして、その“魔力”は一瞬で治まり、場は静寂に包まれる。
「取り敢えず、これで施術は完了です」
「たったそれだけで良いのか?」
公爵からの確認に、俺は首肯く。
「はい。ですが、当然一定期間要安静です」
「一定期間?」
「カトレアさん自身次第ですが」
公爵夫人の言葉に、俺は首肯き答える。
「まあ! 少し、身体が軽くなった気がしますわ」
「それが、一時的なモノでなければ良いけれど……」
エレオノールは、心配そうにカトレアを見つめた。
「叔父さまと叔母さまに、もう1つ御話があります」
「なにかな?」
少し、ホッとした様子を見せる公爵は、シオンに向き直る。
「ルイズの事です」
その、シオンの言葉に、場は再び重い沈黙が支配しそうになる。
「確かに、戦争に行く事は良いものではありません。叔父さまの仰っていた通り、勝ち戦にする為にもっと戦力が必要でしょう。ですが、その戦力は既に用意されております」
「その戦力というのは何かな?」
「詳しくは言えませんが、ルイズ、あの娘の“使い魔”である才人、そしてわたしの“
「食事の際にも言ったが、子供にできることではないんだよ」
「はい。それがただの子供であれば、の話です。ルイズはもうただの“ゼロ”ではありません。“
「それは本当かね!?」
「機密故に詳しくは言えませんが、本当です」
シオンの言葉に、皆やはり俄には信じられないといった様子を見せる。が、カトレアだけは、違った。
公爵の言葉に、シオンは強く確かに首肯く。
「失礼、ミスタ、ラ・ヴァリエール。公爵殿。こちらでは、“メイジの実力は、使い魔を見れば理解る”と言うではないですか」
「それはどういう意味かね?」
公爵は大体の事を察しながらも、俺の言葉に確認をして来る。
「ハッキリと言ってしまえば、試合や模擬戦、そういった類のモノを行えば良いのです」
「試合、模擬戦か……」
「はい。ルイズと才人の2人、そして貴方方御両親での二人二組での腕試し。そうすれば、嫌でも理解るはずです」
夫人の言葉に、俺は首肯いた。
「では話を戻しまして。経過観察に1週間に1度こちらへと伺わさせて頂きます」
「1週間にだと? そんな馬車などを出すのもただではないのだぞ!」
「いえ。馬車の用意などは必要ありません。こちらで全負担しますので」
俺の言葉に、質問をした公爵、そして聞いていた夫人と、エレオノール、カトレアは驚いた。
「まあ、取り敢えずの処置はこれで完了ですので。では、またルイズの事ですが、捜がさないで宜しいのでしょうか?」
昼過ぎになった。
才人は何も用事がない事もあり、納戸のベッドに横たわり、天井をジッと見つめていた。ゴロゴロしていて、自分が寝転がっているモノがベッドではなく、箱の上に藁をいてシーツを被せただけの代物であるということに気付き、少しばかり切なくなってもいた。このラ・ヴァリエール家に於いて、自分はそれだけの存在である事、取るに足らぬ、チッポケな存在……であるという事を。
シエスタは自分に宛行われた部屋に戻っていたので、才人は独りぼっちであった。
朝食が未だだった事に気付き、(さてどうしよう? 何か貰いに行こうか? それとも誰かが持って来てくれるんだろうか?)、などと思っていると……城の召使たちがカツカツと石畳の廊下を駆け擦り回っている音が聞こえて来る。
「どこ? 見付かった?」
「いや、こっちじゃない!」
などと、そんな声だ。
どうやら誰かを捜がしている様子だ。
才人が(なんだなんだ捜しモノかよ)とボンヤリとしていると、バタン! とドアが開けられた。
数人の若いメイドが飛び込んで来て、才人を押し退けて、納戸中を引っ掻き回し始めた。
才人が「な、なんすかあんた等!?」と叫ぶと、「ここじゃないみたいね」と呟いてメイド達は去って行た。
いったい何があったんだろう? と才人が訝しんでいると、今度はドアがノックされた。
「開いてますよ」
と才人は答えるのだが、それでもノックが続く。
ルイズやシエスタであれば、そう言えばズカズカ入って来るだろう。(言っても自分で開けないのは、やんごとない人だろうな)、などとそのくらいは覚えていた才人は扉を開けた。
桃色がかったブロンド、鳶色の瞳の女性が立っていた。
才人は一瞬、ルイズ? と思ったが違った。
ルイズよりも背が高く、柔らかい目付き、フンワリとした棘のない笑顔。
カトレアである。
「え、えっと、その……」
才人がアワアワとしていると、彼女が問いかける。
「御邪魔しても宜しいですか?」
「は、はいっ! どうぞ!」
最敬礼で、才人はカトレアを迎え入れた。
カトレアは、「ごめんなさいね」、とペロッと舌を出した
そんな彼女の仕草に、才人は胸がキューンと締め付けられたような感覚を覚える。もともと、才人にとって、ルイズは好みである。しかし、性格のキツさがたまに顔に出る。雰囲気もどことなく、未だ幼い。だが、このカトレアは違う。ルイズの欠点を取っ払い、美徳で埋め尽くしたかのようなそんな雰囲気を醸し出しているのだ。年上の優しい御姉さんといった感じがヒシヒシと、才人に伝わって来た。
ルイズにはない、小悪魔的な悪戯っぽそうな笑みを浮かべ、カトレアは急造されたベッドに座った。
シエスタの健康そうな色気とも違う。
アンリエッタの高貴さと危うさの絶妙なバランスが生み出す色気とも違う。
キュルケが振り撒く暴力的な色気とも違う。
もちろん、ルイズの熟し切らない色気とも違う。
どちらかというと、シオン……いや、それよりももっと、フンワリと包み込むかのような、シオンに色気を足したような雰囲気である。
才人の頭の中で、(ルイズが成長したら、こんな風になってくれるんだろうか? そうならばルイズは完全に買いだよな)、などと良からぬ考えが浮かんでしまうくらいに、カトレアは魅力的だったのである。
「ルイズは成長してもわたしみたいには、ならないわよ」
いきなりニッコリと笑ってそんな事をカトレアから言われ、才人は跳び上がった。
「え? いえ! そんな! そんな事考えてません! はい!」
「あらそう? わたしには、“ルイズは将来こんな風になっちゃうのかなあ?” なんて考えているように想えたんだけど……」
カトレアはコロコロと笑った。
「ルイズはもっと魅力的に成長するから、安心なさって。背は伸びないかもしれないけどね」
才人は、(いや御姉様に似てくれたら十分過ぎる程に十分なんですけど、胸もその、はい)、と思いながら口をパクパクとさせた。
「貴男、御名前は?」
「才人です。はい」
「あら、素敵な御名前ね」
こちらに来て、初めて才人は名前を褒められたため、照れてしまった。
「ねえ、貴男何者? “ハルケギニア”の人間じゃないわね。と言うよりも、セイヴァーさんもそうだけど、なんだか根っこから違う人間のような気がするの。違って?」
そんな風に見つめられ、才人は(なんだ? 異世界の人ってバレバレ? って言うかルイズかセイヴァーが話したんだろうか?)などと驚愕し、考えた。
「うふふ。どうして知ってるんだって顔ね。でもわかるの。わたし、妙に鋭いみたいで」
「は、はぁ……」
カトレアはまるで読心でもしているかのような様子を見せる。
先日、旅籠での一件もそうであった事を才人は想い出した。
カトレアが、もし“サーヴァント”であるのならば、逸話などから高ランクの“千里眼”を所持していただろうか。
「でも、そんな事はどうでも良いの。どうもありがとうございます。ホントに」
「え?」
「あの我儘ルイズを助けて下さってありがとうございます。あの娘が陛下に認められるようになった手柄は、あの娘1人で挙げた訳じゃない。きっと貴男たちが手助けしてくれた。そうでしょう?」
才人は、(なんて答えれば良いんだ? どこまで話して良いんだ?)、とそんな風に困っていると、カトレアはニコッと笑った。
「話せない事もあるわね。良いのよ。さて……残念なお知らせなの」
「え?」
「ルイズ、父さまの御許しが頂けなかったのよ。それで以て、婿を取れなんて言われちゃって。姿を消しちゃったの」
「ほ、ホントですか?」
先ほどズカズカと入って来た使用人たちは、ルイズを捜しに来ていたのだ。
才人は、あちゃあ、と顔を伏せた。
「父さま、ルイズに結婚しろだって。あの娘も大変よねえ。婚約者が裏切り者だったと思ったら、直ぐに次の縁談よ。未だ幼いのに」
カトレアはまるで他人事のように、呟いた。
才人は切なくなってプルプルと震えた。ルイズが結婚をする。ワルドの一件で、その言葉は深く才人を責め立てるのだ。今の才人にとって、2度と聞きたくない単語になってしまっていた。
「貴男嫌でしょ? ルイズが結婚するの」
天使のような微笑みでカトレアが呟く。
才人は首を振った。
「そ、そんな……良いんすよ。だいたい俺、ルイズの事なんとも想ってないし。ルイズだって、俺の事……“貴族”でもなんでもない、俺の事なんてなんとも想ってないですから」
主従――主と“使い魔”ともども似たことを言う2人である。
カトレアは身を乗り出して、才人に尋ねた。
「ねえ、“貴族”の条件を御存知?」
いきなり何を聞くのだろうかと、才人は想った。
「え? 確かその、“魔法”が使えて……お金持ちで……」
「そんなのは些細な事よ」
「だって、この世界では“魔法”を使えなきゃ、“貴族”じゃないでしょ」
「違うわ」
とカトレアは首を横に振った。
「“貴族”の条件は1つだけ。“御姫様を命懸けで守る”、それだけよ。自分の娘を命懸けで守ってくれたから、かつての王さまはわたし達の御先祖様に領地や御城をくれたのよ。“魔法”が使えたからじゃないわ」
カトレアは、才人を真摯な目で見つめた。
ドキッとして、才人は後退る。10年後のルイズに見つめられたかのような、そんな気がしたのだ。
「あの娘は中庭にいるから行って上げて。中庭には池があって……小さな小舟が浮かんでるの。その中にいるわ。あの娘、昔っから嫌な事があるとそこに隠れるのよ。ルイズを連れ出したら、城の外に出て。街道には馬車が待っているわ。貴男たちの連れのメイドが手綱を握っているから、それで御行きなさい。シオンちゃんも、セイヴァーさんもそこにいるわ」
「……え?」
「戦は感心しない。嫌いだわ。正直、ルイズに行って欲しくはない。でも、あの娘がそう決めて、その行為を必要とする人がいる。だったら行かせて上げるべきだと想うの。それはわたし達が決める事じゃない」
カトレアは才人の頬を両手で挟んだ。
「貴男とルイズ、そしてシオンとセイヴァーさんに、“始祖”の御加護がありますように」
そして、カトレアは同じ“貴族”を扱うようにして、才人の額にキスをした。
「わたしの可愛い妹とその友達たちを宜しく御願い致しますわ。騎士殿」
ルイズは中庭の小舟の中で泣いていた。
城の中から、彼女を捜す使用人たちの足音や声が聞こえて来る。だが、幼い頃と同じように、この中庭の小舟は安全であった。小島の影に隠れる格好で、城の中からは死角になり、目立たないのである。
持って来た毛布を引っ冠り、ルイズは幼少期そうしていたように、小さく蹲っていた。幼い頃はそうしていると……段々と気持ちが治まって行ったのだが、今はそう上手には行かない。沈んだ気持ちは、晴れることなどないように想われた。
中庭の土を踏み締める、小さな足音が響いたのがルイズの耳に届く。
ルイズが息を殺してジッとしていると、池の小島に続く木橋に渡る大きな音に変わった。
いけない、と想ってルイズは毛布の中に身体を埋めた。
すると直後……バシャン! と足音の主が池に入った音がして、毛布を引っぺがされてしまう。
ルイズは思わず身を竦め、名前を呼ばれた。
「ルイズ」
「……サイト?」
「行くぞ。お前の姉さん、カトレアさんが、馬車を用意してくれた」
「……行けないわよ」
「家族の許しを貰ってないもの」
「無理だよ、向こうだってお前の家族だ。頑固なんだろ」
才人は手を伸ばした。
しかし、ルイズは拗ねているためにその手を振り払う。
「なんだよ?」
「もう嫌だ。良い」
「なんで?」
「だっていくら頑張っても、家族にも話せないなんて。誰がわたしを認めてくれるの? なんかそう想ったら、すごく寂しくなっちゃった」
才人はそんなルイズを前に、(そんな事でいじけてたのか。先が想いやられるな。こいつには俺がいないと……)、と本格的に想い始めていた。
小舟に乗り込んで、才人はルイズの手を握った。
「ったく。俺が認めてやる。俺がお前の全存在を肯してやる。シオンやセイヴァーだってそうだろうさ。それに、カトレアさんが認めてくれてるだろ? だから立ってつの、ほら」
ポッと……その言葉でルイズの心に温かい何かが灯った。(でも、サイトの言葉なんか信用できないわ)、と想う自分がいる事に気付く。(どうせメイドが好いんでしょ? どうせ胸の大きい娘が好いんでしょ? 黒髪で、何でも言う事利いてくれそうな、あの娘が好いんでしょ?)、と想ってしまうのである。
寂しいのは、両親や、姉の理解が得られなかったからだけではないのだ。昨日のシエスタの言葉もまた尾を引いている。「サイトさんはルイズの事なんか好みじゃない」といったその言葉がルイズの自信とやる気を著しく奪ってしまっているのである。ルイズはそんな事、自分の気持ちとはいえども、認めようとはしないが、それらを引き摺ってしまっているのであった。
従ってルイズは更に愚図った。
「何が“認めてやる”よ。嘘吐かないで」
「嘘じゃない」
「嘘よ。今回の戦だってどうせ姫さまの御機嫌取りたいんでしょ? ギーシュと同じだわ」
「な、なんで姫さまが……?」
ルイズは思いっ切り冷えた声で言った。
「キスしたじゃない」
「ば、馬鹿お前。あれは、なりゆきで……」
「なりゆきでキスするの? へぇーそぉー」
とうとう才人はキレてしまう。キレて、ルイズの肩を掴んで振り向かせた。
「な、なによ!?」
「馬鹿か? お前は!」
「誰が馬鹿よ!?」
「誰が好きで、お前みたいな我儘な娘の御機嫌取ってると想ってるんだよ!? 誰が好きでお前みたいなぺったんこのご主人さまの“使い魔”やってると想ってんだっつの!?」
才人はルイズを燃えた目で覗き込み、怒鳴り付けた。心底頭に来ていたのだ。(なんでこいつは理解んねぇかなぁ)、と引っ叩きたい衝動に駆られているのだ。
「よ、よ、よくも言ったわね!」
「ああ、何度でも言ってやるよ。正直な、俺だってお前の任務や戦なんかに付き合ってねえで帰る方法探してーよ! 東に行きてえんだよ! 俺はよ!」
「だったら行けば良いじゃない!」
ルイズは叫んだ。彼女も、(何よ!?)、と想っていた。(そんなに怒鳴らなくても良いじゃないのよ。もっと優しくしてよ。こっちは落ち込んでんのよ。サイトはいっつもそう。何をして欲しいのか、“使い魔”の癖にちっとも理解ってない。神経を逆撫でするばかりじゃない)、と想った。
そんな才人は、ルイズが叫んだ後、荒い息で肩を上下させていた。なにか言い返す言葉を選んでいるのだろう。
ルイズは、(馬鹿。馬鹿馬鹿。何なにか言われたら、顔を引っ掻いてやる。いったいなにを言い返す気かしら? “ああ理解った! 行ってやるよ!” かしら?)、と想った。
しかし、才人の答えはルイズの予想の、遥か上を吹っ飛んでいた。
なんと才人は……顔を真っ赤にして言い放った。
「好きなんだよ!」
空気が固まった。
ルイズは一瞬、何を言われたのか理解らなかった。(今、なんっ吐ったの? スキ? スキってあの好き? どゆこと?)、と混乱してしまう。
「……え?」
「お前が好きなんだよ! 顔見てるとドキドキすんだよ! それって好きって事じゃねーのかよ! それをてめえと来たらブチブチと“姫さまの御機嫌取りたいんでしょ?” とか“どこ見てたの?” とか、“だったら行けば良いじゃない”とか、ゴチャゴチャ言いやがって!」
「え? ええ?」
「とにかくてめえと来たら可愛くねーんだよ! どういう事よ!? なんで俺が命懸けで戦ってると想ってんの!? 好きだからだろうが! じゃなかったら部屋で寝てるっつの!」
才人はそこまで捲し立てると、ハッ! と気付いた。
ルイズは顔を押さえて、蹲っているのだ。
ドッと、後悔が才人の胸を襲った。(嗚呼、俺は憩いに任せて何を言ってしまったんだ!? って言うか告白してんじゃん! なんで!? 状況を考えろ……今は告白してる場合じゃねえだろ……意味理解んねえ)、と小舟に突っ伏した。
しばらく時間が過ぎて……ルイズは我に返った。
混乱して、意味が理解らないのである。とにかく告白されたのである。才人に、ルイズは「好きだ」とハッキリ言われてしまったのである。
ルイズは、(どうしよう?)と想った。そう想うと同時に、(皆に言ってんじゃないの?)と警戒心も呼び起こした。怒りと歓喜、2つの感情が湧いて出たのだ。なんだか良く理解らなくなって、顔を真っ赤にしながらルイズは立ち上がり、突っ伏した才人の顔を持ち上げた。
「嘘だったら、殺すわよ」
震える声で、ルイズはそこまで言った。(今、自分の顔はどれだけ赤いのかしら? 頬は、どんだけ朱に染まってるのかしら? とにかく熱いわ)と想った。
「嘘じゃねえよ」
「わたしはあんたの事なんか好きじゃないわ」
「知ってるよ」
「だって、あっちでフラフラ、こっちでフラフラしてるんだもの」
「しないよ。もうしない」
「しなけりゃ良いってもんじゃないの。とにかく1年、わたしの事だけ見てたら、その言葉を信用して上げる。信用するだけだけど」
「あ、ありがとう」
そんな風に、心底ホッとした声で言う才人が、ルイズはとても可愛く想えてしまった。抱き締めて、頬擦りしたい、とそこまで想ってしまうほどにである。
だがそんな事は言えるはずも、行動できるはずもない。ルイズはなにせ、プライドの塊なのである。そのプライドは鎧のように何重もルイズの心覆って、容易な事では本心に刃を届かせないのであった。
ルイズは才人の方を掴んで腰を屈めた。その顔を真剣な目で覗き込む。
いつだかのキュルケの「貴女、どうせ何も許して上げなかったんでしょ? そりゃ、他の娘ともイチャつきたくなるってモノよ」という言葉が、ルイズの耳に過った。(うー、少しは許さないといけないのかしら?)、などと想う。だが、そういった事をして調子に乗られても困るのもまた事実なのだから、匙加減というモノはとても難しい。
だが、他の女の子を見たり触ったりするのだけは、ルイズには我慢ができなかった。そして、ルイズは仕方なく、ほんの少しの覚悟を決める事にした。
「あ、あの、あのね。んとね」
「はい?」
「あんたはご主人さまを好きと言う事により忠誠を誓ったのだから、ご、ごご。ご、御褒美が必要よね?」
「御褒美?」
「そうよ。姫さまがいっつも仰てたわ。忠誠には、報いるところが必要だって」
「は、はぁ」
才人はもう、ルイズがどうしたいのかサッパリ理解らなかった。だが次の言葉を聞いて、頭に血を上らせた。
「い、一箇所だけだかんね」
「はい?」
「ごご、ご主人さまの身体、一箇所だけ、好きなとこ、ささ、触っても良いわ」
そう言ってルイズは才人の肩に手を置いたまま目を瞑った。
才人は、「死ぬ。こんなこと言われて、俺もう死ぬ。でも死ぬ前に、こ、このルイズをば。こ、この可愛過ぎるご主人さまをば」、とブツクサ呟きながら、ルイズを抱き締め、いきなり唇を奪った。
「むご……」
突然の事に、ルイズは唸り声を上げた。(キスか。そう来たか。まあ、確かに、箇所には違いないわ。馬鹿ね。どこでも好きな場所って言ってるのに。でも、そんでキス? それって大事にされてる?)、なんて風に、こんな時にキスを選んだ才人を更に“愛”しく感じてしまうルイズであった。
しかし、キスをしたことで才人の興奮はマックスにまで達してしまったらしい。「一箇所だけ」というルールをあっと言う間に忘れてしまい、ルイズのスカートの中に手を伸ばした。
ルイズは慌てた。
「ば、馬鹿……一箇所だけって……しかも、あんた、そんないきなり……こらちょっと、おいこら何考えてんのこら、馬鹿、ちょ、この、あん、そんな、やん、馬鹿……」
「好き」
才人は譫言のようにそう呟き、ルイズの耳朶を噛み締めた。
身体から力が抜けて、ルイズは、(大事と好き。どちらが重いのかしら?)、と考える隙もなく小舟の上に押し倒された。
「あ、あの、ちょっと、こら……駄目、胸、胸は駄目。駄目、そこ駄目全部駄目」
スカートの中やシャツの隙間に入り込もうとする手を、ルイズはペシペシと必死に払い除ける。
「好き。大好き。ホントに好き」
まるで伝家の宝刀であるかのように、才人は「好き」をただひたすらに連発する。
それは果たして魔法の言葉であり、ルイズから抵抗する気力を奪ってしまうのであった。
「……ほ、ホントに好き?」
ルイズは、思わず問い返してしまった。
「うん」
「ホントにホント? ……ん」
すると唇が塞がれる。
ルイズは、(ちょっと待って。好きでもそんないきなりは駄目よ。教育上良くないし、プライドと言うモノがあるわ。そうよ、わたしはルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。公爵家のね、3女で御座いますの。そんなね、街女みたいに軽くないの。結婚するまでは絶対に駄目なの、結婚しても3ヶ月は駄目なの。それなのにこの“使い魔”はご主人さまのどこ触ってるのだろう? 許せない。調子にのののののの、乗るんじゃないわよ)とルイズは拳を振り上げた。股間を狙い打つべく、足を振り上げようとした。
すると唇が離れ、ルイズの耳元で才人が囁く。
「好き。ルイズ大好き」
大好きと来たものだ。
ヘナヘナと拳が下がり、ルイズは思わず才人の背中を抱き締めてしまった。
ルイズは、「嗚呼、もう駄目。どうしようお母さま? ごめんなさい。ルイズたぶん星になります」、と呟き、(最後に才人はこういう時どんな顔してんのかしら?)、と一応見とこうと想って薄っすらと目を開けると、素敵な光景が広がっていた。
池を取り囲むようにして、城の使用人たちが勢揃いをしている。
強張った表情を浮かべている長姉であるエレオノールがいた。
卒倒しそうなほどに蒼白な顔をした母親である夫人がいる。
そして、一同の真ん中には怒りを通り越した表情で震えている父親である公爵がいた。
ルイズは一瞬で熱から冷え、才人を突き飛ばした。
ドッボーン、と池に才人は落っこちる。
才人は身を乗り出し、「なにすんだよ!?」と怒鳴るのだが、同時に中庭の観客たちに気付いてしまった。
ラ・ヴァリエール公爵が、威厳のある声で命令した。
「えー、ルイズを捕まえて、塔に監禁しなさい。そうだな、少なくとも1年は出さんから、鎖を頑丈なモノに取り替えて置きなさい」
執事のジェロームは、「畏まりました」、と一礼する。
「で以て、あいつ。あの平民な。えー、打ち首。1ヶ月は曝すから、台を作って置きなさい」
ジェロームは、同じ抑揚で「畏まりました」、と答える。
使用人たちが一斉に、放棄や鍬や鎌や槍を持って襲いかかろうとし、才人は背中のデルフリンガーの柄を握り締めた。
才人の左手甲の“ルーン”が光る。
「いやぁ、相棒。すんごいお久しぶり。ホントに寂しくて死ぬかと想った」
「ごめん、話後!」
「みてえだね」
才人は、羞恥の余りポカンと口を開けて小舟の上に座り込んでいるルイズを抱き抱え、肩に担ぎ、疾走り出した。
「なな。なんだあいつ!? 速い!」
「まるで妖精だわ!」
城の廊下を、才人は風のように駆け抜ける、
“ガンダールヴ”としての能力を発揮した状態での足の速さは、それを知らない者たちの想像を遥かに超え、圧倒していた。
才人は、立ち塞がる使用人には、「ごめんなさい」、と一言詫びながら、足を引っかけて転ばせる。
「なにをしとるんじゃあああああああああ!?」
と、末の娘が押し倒された所を目撃した公爵は激昂して“杖”を引き抜く。
風のように疾走する才人だが、流石は大“貴族”ラ・ヴァリエール家。次々と使用人たちがあちらこちらから飛び出して来て、才人とルイズを包囲してしまう。
「フハハハハハハ! 娘を大事に想うのは理解るが、流石に過保護が過ぎるぞ、公爵殿」
「君は!?」
「セイヴァー!」
囲まれた才人へと一斉に飛び掛かろうとする使用人たちの前に、俺は“
驚く公爵に、使用人たち。
才人は、地獄に仏といった表情を浮かべる。
「そこを退きなさい。セイヴァー君。そこの少年を晒し首にする必要がある」
「なにを言うかと想えば、可笑しなことを。さて、先に行け才人」
「お前はどうするんだよ?」
「露払いでもしてやろうと言うのだ。その伝説の力を以てして、疾く御姫様共々外へと出るが良い」
俺の言葉に、才人は首肯いて、片手でデルフリンガーの柄を握りながら、ルイズを担ぎ、再び疾走り始める。
「行かせると思っているのか?」
「当然だ。にしても子煩悩にも程が在るぞ公爵。この時代で在れば親離れをしても可怪しく無い時期、年頃だ」
「あの少年は平民だ」
「ふむ、食後の会話でも言ったが、俺と彼奴は貴様達が言う所の“ロバ・アルカリイエ”出身だ。此処での平民や“貴族”などと言った枠組みには当て嵌められ無い。其れに」
場に静寂と緊張が奔り抜ける。
「“人の恋路を邪魔為る奴は、馬に蹴られて死ね”と言うでは成いか」
「……お前は、貴様は何者なんだ?」
俺は少しばかり“魔力”を解放し、言った。
そんな俺に対して、使用人たちは勿論、此の場にいる“メイジ”達、そして公爵と公爵夫人も後退ってしまう。
公爵はどうにか、口を開き、尋ねた。
「そうだな。では改めて自己紹介と行こうか。俺は、此度の“聖杯戦争”でシオンに依って喚び出された“サーヴァント”。セイヴァーだ」
疾風の如く疾走する才人だが、連絡を受けていたのであろう門番が跳ね橋を上げ下げする“ゴーレム”を操作しているのを目撃する。
ゴリゴリゴリ、と鎖が引き上げられ、跳ね橋が持ち上がろうとする。
門がある前庭に躍り出た才人は青くなってしまった。堀の幅……“ガンダールヴ”の力を発揮した才人でも、跳び越せそうにはないのだ。
絶体絶命! と想われた瞬間、“ゴーレム”が握った跳ね橋を持ち上げる鎖の色が変化した。
どうやら“錬金”によって、柔らかい土に変化したようである。
土になった。鎖はボロボロと崩れ去り、支えを失ってしまった跳ね橋は、ドスン! と落ちた。
才人は、隙かさず跳ね橋を駆け抜けた。
渡ったところで、馬車が飛び出て来る。
驚いたことに、馬ではなく1匹の“竜”が馬車を引いているのだ。
ガタガタと震えるシエスタが御者台に、その隣にシオンが座っている。
「早く! 早く乗って下さい!」
才人はルイズを先に馬車に押し込み、自分も跳び乗った。
「な、なんで“ドラゴン”?」
「理解りません! ただ、“馬じゃ逃げ切れないでしょう?” なんて、その、カトレア様に言われまして! きゃあ!? きゃあきゃあ!? とにかく“竜”恐いです! 顔が恐いです!」
シエスタは喚きながら、夢中になって手綱で叩いている。
「って言うか、セイヴァーが!」
「セイヴァーなら大丈夫だよ」
慌てた調子で振り向く才人を、シオンは柔らかな、そして絶対の自身と信頼を込めた笑みで答えた。
才人は、シオンの言葉に首肯き、シエスタに「代わるよ」と言って手綱を受け取り、御者台に座った。
シエスタは、ニコッと笑ってそんな才人に寄り添う。
後ろの座席からそんな様子を見ていたルイズは、思わずピキッとキレそうになったのだが、先ほどの才人からの「好き」という何度も繰り返された言葉を想い出し、どうにか堪えてみせた。そして、(ま、そのくらい許して上げるわ。“貴族”が平民に焼き餅妬くなんて、そもそも可怪しいのよ、ふっ……)、と余裕などを、噛ましてみた。
するとシエスタは、ペコリとルイズに頭を下げた。
「あの、申し訳ありません。ミス……」
「ん?」
「わたし、酔ってなにか失礼な事してしまったようで……癖なんです。お酒呑むと、わたし、その、いつもと違う行動をする傾向があるようでして。はい」
シエスタは激しく恐縮していた。
「ま、良いわ。今度からは気を付けてね」
と、ルイズは恋に勝利した女の余裕で、嘯いた。
「ありがとうございます!」
シエスタはペコペコとルイズに頭を下げた。それから才人に、ヒシッと寄り添った。
ルイズは、(あーもーくっ着き過ぎ。でも、さっきはわたし達ももっとくっ着いてたから、ま、良いわ、ちょっとだけよ。御慈悲なのよ)と2人を見やる。
「でも……才人さん紳士ですよね」
「ん? 俺?」
「そうです! わたしが隣で潰れているのに……なんにもなさりませんでしたわ」
「そ、そりゃ……しないよ」
ルイズは微笑んだ。(なによ、それってあんたに魅力がないからよ。板とか仰いましたわよね? ヘンだ。板の勝ちー。でかいだけの馬鹿メイドの負けー)、と思ったのだが。
「とかなんとか言って、シャツのボタンが外れてましたわ。いやん」
ルイズの眉が、ピクンと動く。
「え? それは、シエスタが凄い苦しそうにしてたから。はぁはぁ、ぜぇぜぇって……」
「もう、だからいっつも言ってるじゃないですか……」
シエスタは才人の耳に顔を近付け、小さい声で呟いた。しかし、ルイズとシオンの耳には入るくらいの大きさで。とにかく、シエスタの牽制ジャブであった。
「は、はいぃ?」
「見たいなら、そう言って下さいって。わったし、隠しませんってば。なにも遠慮することないんですよー」
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ、と背後で空気が震える幻聴を、才人は耳にした。
そう震えているのは空気ではなく、ルイズである。
「おい」
「はい」
「“使い魔”は、メイドのボタンを外すしたのか?」
「“使い魔”はボタンを外しました。苦しそうにしてましたから」
「言い訳は良いの」
「言い訳じゃないんですけど」
「ミス! 仕方ないじゃありませんか! サイトさんは大きめの! 大きめのが好きなんですから!」
シエスタは、燃える水である油を、火に注いだ。
才人は、無駄だと知りながらも否定をする。
「そんな事はありません」
「そう言えば、ちい姉さまのも見てたわね」
「ちょっとです」
「そんな“貴族”は、やっぱり犬以下と判断せざるを得ません」
無駄に丁寧語である。既にもう、反論するだけ駄目な雰囲気である、というか酔っ払って潰れて“ガンダールヴ”の力を使用して、才人は疲れていた。というか、こうなってしまえば反論しても無駄である事を才人は熟知し切っていた。
耳を掴まれて、才人は奥に引っ張られてしまう。
「ミス! 落ち着いて! ミス・ヴァリエール!」
「大丈夫。すぐ済むから。なんつーかな、きっと“運命”なんだと。俺はそう想うな」
才人はニッコリと苦笑を浮かべながら、奥へと消えた。
それを見送り、日常が戻った事に安心したような笑みを浮かべながらシオンは御者台に座り、手綱を握る。
床に才人は転がされ、ルイズはその上に伸しかかる。
「取り敢えずさっきの小舟での件は、全部、間違いだから」
「はい。わかってます」
「今日は流石に、わたしもブレーキが必要だと想うわ。どう?」
「そうして頂けると、ありがたいです」
だが、当然ブレーキなどはかからなかった。
才人の長く切ない絶叫が、いつまでもラ・ヴァリエールの領地に響いた。
街道の向こう側に消え行く馬車を窓から見つめて、カトレアは微笑んだ。
彼女の手には“杖”が握られている。
先ほどの“錬金”は彼女が“呪文”を唱えて、使用したのだ。視界内とはいえ、ここから跳ね橋は相当離れており、離れた場所へ効果を及ばせる為には、かなりの“精神力”を消耗させる必要がある。
だが、いつもであれば体力と“精神力”を消費し、咳き込むどころか倒れそうになるはずなのだが、今日はそんな事はなかった。
部屋の中で鶫が鳴いている。怪我をしていた為に、拾って来て包帯を巻いてやった小鳥だ。
籠の中の鶫をしばらく見詰め、カトレアは優しい笑みを浮かべた。
カトレアは籠の蓋を開け、中に手を伸ばす。
鶫は、カトレアの手に乗った。
カトレアは中から取り出し、包帯を外してやる。窓から手を差し伸ばす。
その上の鶫は、カトレアの顔を見つめて、首を傾げてみせた。まるで彼女に問いかけるかのように。
「大丈夫よ。もう、平気よ」
鶫は空を見詰めた。そして、羽撃いた。
大空を飛び回る鶫を、カトレアは見つめていた。
ジッと、いつまでも、カトレアは見つめていた。
「き、貴様……それほどの数の“マジックアイテム”、“魔法”……どうやって……?」
使用人たちは気を失い倒れており、公爵と公爵夫人は息を切らしながらもこちらを見つめて来ている。
その目には既に敵意はないが、畏怖などが込められているのが一目でわかるだろう。
「そうだな。少しばかり、“特典”とでも言うズルをして居るのでな」
俺は、公爵からの途切れ途切れの質問に、息1つ乱すこともなく、余裕を持って答える。
「さて、之でシオンの実力と才能は理解っただろう。次は、ルイズと才人の番だ。だが、お前達は直接見る事は未だ出来無いだろう。まあ、何れ理解るさ。何れな」
俺はそう言いながら、“
「一応、言って置くが、俺にはお前たちをどうにか仕様と言う気は一切無い。寧ろ逆だ。お前達の愛娘を、確りと守って遣る。だからその、なんだ……安心しろ」
「それが、君の素かね?」
「そうだな……言葉遣いに気を遣うのは疲れるからなぁ。それに、俺は“何にも出来無かった、し無かった。だからこそ、何にでも成れるし、何でも出来る可能性を持って居る”。故に、時々本来の自分を忘れそうになってしまうけどな」
そう言って、俺は自嘲する。
「ではな、ヴァリエール夫妻。また逢おう」
俺はそう口にして、“霊体化”し、周囲から姿を眩ませた。