早朝、4時過ぎ。
未だ陽は昇らず、空は暗い。
“魔法学院”の上空に、1席の小さなフリゲート艦が現れた。
メンヌヴィルが甲板に立って、真っ直ぐに宙を見つめていた。
ワルドは足音を立てぬようにして、メンヌヴィルの背後に近づく。
“風”の“スクウェア”の彼が気配を断てば、それは空気と近しくなる。
ワルドは、(こんな困難な作戦を成功に導くことのできる男なのか?)、と疑問に想い、メンヌヴィルを試したくなったのだ。
しかし、ワルドの憂いは杞憂だったようである。
気配が届くだろう何倍もの距離から、メンヌヴィルはワルドに声をかけた。
「俺を試してなんとなる? 子爵」
ワルドは驚いた。
メンヌヴィルは振り向いてさえいないのである。
それに振り向いたとしても、辺り一面は闇であり、夜目に慣れようとも視界の確保などは難しいはずである。近付く人影など見えようはずもない。
それであるのにも関わらず……どのような手でも使ったものか、ワルドが近づいてくるのを遠くからメンヌヴィルは察知したのである。これは、流石に手練といわねばなるまい。
「さて、本当にここまで来れるなんてな」
メンヌヴィルは振り向かずに呟く。
ワルドは感嘆しながら、メンヌヴィルに近づいた。
「運が良かった。まあ、攻める側と言うモノは、自分が攻められることはあまり考えぬモノだからな」
“メイジ”の“使い魔”やピケット船が行っているであろう哨戒ラインを避けては来たのだが……何者にも見つからず、ここまで飛んで来ることができたのは僥倖に近いだろう。
「感謝するよ。“アルビオン”に戻ったら、なにか奢らせてくれ。子爵」
「余計な事を考えずに、生き残る事を考えんだな」
ワルドがそう言うと、メンヌヴィルはいきなり“杖”を引き抜き、彼の首筋に突き付けた。
「舐めた口を利くな小僧。ここで灰にしてやろうか?」
ワルドは目の色を変えずに、メンヌヴィルを見つめた。
「冗談だよ子爵。そう睨むな」
メンヌヴィルはニヤッと笑うと、ピョンと跳ねて甲板から空中に身を躍らせた。
黒装束に身を包んだ隊員達が次々とメンヌヴィルに続いた。
十数名の小隊は、あっと言う間に甲板から闇の中へと消えた。
そこにって来たフーケが、苦々しい声で呟く。
「いけ好かない奴だね。あいつ、気味が悪いよ」
「まあ有能は有能らしい。期待しようじゃないか」
「あんた、とどっちが有能なの?」
とフーケは悪戯っぽく笑って、ワルドに問うた。
「知るか」
ワルドは素っ気なく答える。
“銃士隊”の宿舎として割り当てられた“火の塔”の前に、“銃士隊”の隊員2人が見張りにマスケット銃を担いで立っていた。
軍務で駐屯する以上は、歩哨を立てるのは当然の措置である。
月明かりの下、何かが動く気配を2人は感じ取る。
年長の隊員は無言でしゃがむと、銃口に火薬と鉛の弾を髪で包んだ弾薬包を当てた。そのまま押し込み、槊杖で火薬を突き固める。
同輩のその動きで、もう1人の“銃士隊員”もマスケット銃に火薬と弾を込めた。
暗闇に目を凝らす……影が動いた。
誰何しようと口を開いたその瞬間、2人同時に喉を“風”の“魔法”で切り裂かれてしまった。
ドスン、と倒れそうになった身体が支えられる。
音を立たぬようにして、メンヌヴィル達は銃士の死体を地面に横たえたのである。
「こいつら、女ですぜ。しかもまだ若え。もったいねえ事しましたね」
1人が下衆な笑みを浮かべて、メンヌヴィルに告げる。
「俺は昔の“貴族”のような、男女差別論者じゃない」
メンヌヴィルはニヤッと、獣じみた笑みを浮かべる。
「平等に、死を与えてやる」
「“貴族”のガキ共を殺しちゃ駄目ですよ隊長。人質にするんですから」
「それ以外は殺しても良いんだろう?」
とメンヌヴィルは“杖”を弄りながら、愉しそうな声で呟いた。
隊員の1人が地図を取り出した。
フーケに描いて貰った“学院”地図である。
灯りが漏れぬよう布で覆うようにして、“魔法”の灯りをわずかに灯す。
銃士の死体を見つめて、隊員の1人が呟く。
「銃を持った連中が駐屯しているようですな」
「我らは全員“メイジ”だぞ? 銃兵など1個連隊来ようが物の数ではないわ」
地図を見ていた隊員が、メンヌヴィルに告げる。
「隊長、目標は3つです。本塔、そして寮塔、そして、こいつらが駐屯していると思しきこの塔です」
メンヌヴィルは素早く命令を下した。
「寮塔は俺がやる。ジャン、ルードウィヒ、ジェルマン、着いて来い。ジョヴァンニ、4人連れて本塔をやれ。セレスタン、残りを連れてこの塔だ」
侵入者である“メイジ”達は首肯いた。
だが、即座に命令を下したメンヌヴィルではあるが、1つ疑問を抱いていた。
侵入するまでは問題など何1つなかったのだが、侵入直後に“魔法”を使用した際の違和感。力が減衰しているかのようなそれを感じ、覚えたのだ。
だが、それを決して口にすることはなかった。
なにせ、それでも十分過ぎる力を発揮させることができ、そして自信もまたあったのだから。彼にとって気にするほどの事でもなかったのである。
タバサは目を覚ました。
妙な気配が、中庭から漂って来ているのだ。
少しの間悩みはしたが、やはりキュルケを起こす事にし、部屋を出て、階下のキュルケの部屋へと向かう。
タバサが扉を叩くと、素肌に薄手のネグリジェ1枚切りの、非れのない格好をしたキュルケが目を擦りながら起き出し、タバサを迎え入れた。
「なによ貴女……? こんな朝早くに……まだ太陽も昇ってないじゃないのよ」
「変」
タバサは短く、ただそれだけ告げる。
キュルケは軽く耳を澄ませるように目を瞑る。
ウルルルルル、と窓に向かって“サラマンダー”のフレイムが唸っていることにようやく気づいた。
「みたいね」
目を開いた時の眠そうな色はどこかにすっ飛んだ様子を見せるキュルケ。
キュルケは手早く服を身に着け始める。
キュルケが“杖”を胸に挟んだその瞬間、下の方から扉が破られる音が響いて来た。
キュルケとタバサは顔を見合わせた。
タバサが、「一旦引く」、と呟く。
「賛成」
敵の数や獲物が判らぬ内は、一旦引いて態勢を立て直す。これは戦の基本である。
キュルケとタバサは、窓から飛び降り、茂みに姿を隠し、辺りの様子を伺った。
辺りは暗い。
日の出は未だのようであった。
アニエスもその頃……与えられた寝室で目を覚まし、枕元に置いた剣を取る。
鞘から抜き放ち、扉の側で待ち受けた。
ここは、宿舎として使っている“火の塔”の2階。普段は倉庫として使われている部屋に、簡易的ではあるがベッドを持ち込んだだけの寝室である。
アニエスが連れて来た隊員は12名だ。彼女たちは全員、隣の部屋で寝起きしている。
アニエスは部屋の真ん中に置かれた鏡に気づいた。“嘘吐きの鏡”という“マジックアイテム”だった事を思い出す。醜いモノは美しく、美しいモノは醜く映し出すという鏡で、アニエスはなんとなく嫌で覗いていなかった。
セレスタンという傭兵“メイジ”が率いた4人は、“火の塔”の螺旋階段を登った2階に躍り出た。
扉が2つ並んでいる。
奥の方を2人の部下に任せ、彼は1人を連れて手前の扉を開けることにした。
扉の前に立ち、一気に蹴破る。
中には、美男子の“メイジ”が“杖”を構えていた。
セレスタンは、慌てて、“詠唱”を完了させていた“魔法”を解放した。
「――がッ……!?」
しかし、相手も同時に“魔法”を放ったようであり、セレスタンは心臓に“魔法”の槍を喰らい、彼は床に崩れ落ちた。
扉の側に隠れたアニエスは、自分の作戦が上手く行ったことを知った。
アニエスが扉の前に引き出して置いた“嘘吐きの鏡”に映った己の姿を敵と勘違いしたセレスタンは、鏡に反射した己の放った“魔法”に心臓を射抜かれたのである。
アニエスは、鏡に反射する“魔法”を放ってくれたセレスタンに感謝した。
慌てたもう1人が、部屋に飛び込んで来る。
横からそいつの喉に、深々とアニエスは剣を突き立て、彼は斃れた。
次に、隣の部屋にいた隊員たちが飛び込んで来た。
「アニエス様! 大丈夫ですか!?」
と訊ねられ、アニエスは力強く首肯く。
「平気だ」
「我々の部屋にも、2人ばかり忍び込んで来ました。片付けましたけど……」
アニエスの部屋に2人。隣に2人。計4人……。
どうやらこの“火の塔”に忍び込んで来た賊は、上手いこと全員片づけることができたらしいが……。
「“アルビオン”の狗のようだな」
アニエスは侵入者たちの成りを見て、呟く。
“メイジ”ばかりで構成された分隊だろう。間違っても物盗りの類ではない事は明白である。“アルビオン”が雇った小部隊に違いない、と彼女たちは判断した。
そこでアニエスは、外の状況が気になった。
今、ここ“魔法学院”には、数人の男子生徒と男性教諭、女子生徒しかいないのである。そして大多数が女子生徒だ。
「2分やる。完全武装して、私に続け」
アニエスは部下に命令をした。
メンヌヴィル達は、難なく女子寮を制圧することに成功した。
“貴族”の娘たちは、賊が侵入して来ただけで怯え、まったくの素振りを見せなかったのだ。一部、抵抗しようとした女子生徒もいはしたのだが、数や実力差を悟ったのだろう、すぐに無抵抗になった。
メンヌヴィル達は、寝間着姿のままの女子生徒たちの“杖”を取り上げ、一箇所に閉じ込める為に食堂迄連れて行った。
その数、おおよそ90人。
途中で、本塔に向かった連中と合流をする。
連れた捕虜の中には学院長のオスマンの姿を見つけ、メンヌヴィルは微笑んだ。
食堂に捕虜たちを集めたメンヌヴィルは、後ろ手に全員を縛るように部下へと命じる。
隊員の誰かが唱えた“魔法”のおかげで、ロープが独りでに動き彼女ら捕虜たちの手首に絡み付き、捕縛した。
女ばかりの教師や、女子生徒たち、数人の男子生徒たちは、ただ震えることしかできないでいる。
優しい声でメンヌヴィルは、一同に呟く。
「なぁに、無闇に立ち上がったり、騒いだり、我らが困るようなことをしければ、御命を奪うことはありません。ご安心召されい」
恐怖と不安のあまり、誰かが泣き出してしまう。
「静かにしなさい」
メンヌヴィルは出来る限り優しい声で告げる。
泣き出した女子生徒の隣に、1人の男子生徒が女子生徒を宥めようとするのだが、それでも、その女子生徒は泣き止まない。
メンヌヴィルは近づき、“杖”を彼女へと突き付けた。
「消し炭になりたいか?」
その言葉が決して脅しではないということを理解したのだろう。女子生徒は、ヒックヒックと杓りを上げはするが、どうにか泣き止んだ。
隣の男子生徒は、そんなメンヌヴィルを睨み付けはするが、抵抗という抵抗が出来無い為に大人しくしている。
オスマンが口を開く。
「あー、君たち」
「なんだね?」
「女子供に乱暴するのは、止してくれんかね? 君たちは“アルビオン”の手の者で、人質が欲しいのだろう? 我々をなんらかの交渉のカードにするつもりなのじゃろう?」
「どうしてわかる?」
「長く生きておれば、そいつがどんな人間で、どこから来て、何を欲しがっているのかわかるようになるものじゃ。とにかく贅沢は良かん。この老いぼれだけで我慢しなさい」
「爺、自分の価値を理解ってんのか?」
傭兵たちは大声で嘲笑った。
「爺1人の為に、国の大事を曲げるやつぁいねえだろ? 考えろ」
オスマンは首を竦めると、“アルヴィーズの食堂”に集められた人間を見渡した。ここにいて欲しくない、“メイジ”の顔が見えないことに気づく。
オスマンは、(ふむ。だとすれば、なんとかなるかも、じゃな)、と想った。
「爺、これで“学院の連中は全部”か?」
オスマンは首肯いた。
「そうじゃ。“これで全部”じゃ」
傭兵たちは、そこで“火の塔”に向かった連中が戻って来ないことに気づいた。それから、(手間取っているのだろうか? いや)、と首を横に振る。
手間取るくらいであれば、いったん引いて増援を仰ぐだろう。そのくらいの判断はできる連中である。だからこそ、メンヌヴィルは分派させたのだ。
食堂の外から、声が聞こえた。
「食堂に篭もった連中! 聴け! 我々は女王陛下の“銃士隊”だ!」
メンヌヴィル達は顔を見合わせ、セレスタン達は殺られたことを理解する。かと言って、顔色1つ変えるような連中ではなかった。
1人の傭兵がオスマンを睨みつける。
「おい、老いぼれ。“これで全部”じゃねえじゃねえか」
「“学院に所属しているのはこれで全員”じゃ。“銃士”は数には入れとらん」
と、オスマンは涼しい顔をする。
メンヌヴィルは笑みを浮かべると、食堂の外の連中と交渉する為に、入り口に近づいて行った。
塔の外周を巡る階段の踊り場に、アニエス達は身を隠して様子を窺っていた。
離れた中庭には、“学院”で働く平民たちが一塊になって様子を窺っている。
寮塔や、“本塔”からは離れた宿舎で寝起きする彼ら彼女らは、事件に巻き込まれずに済んだのである。
未だ朝日は昇らない。
食堂の入り口に、ガッチリとした体躯の“メイジ”が姿を見せる。
雲の隙間からの月明かりに照らされ、ボンヤリとだがその姿が浮かび上がる。
その“メイジ”に向けて銃を構えた銃士をアニエスは制する。
「聴け! 賊共! 我らは陛下の“銃士隊”だ! 我らは1個中隊で貴様らを包囲している! 人質を解放しろ!」
アニエスは、「1個中隊」、とハッタリを噛ます。だが実際は、10人ほどに過ぎない。
ゲラゲラと食堂から嘲笑う声が聞こえて来る。
「銃兵如きが1個中隊いても痛くも痒くもないわ!」
「その銃兵に、貴様らの4人は屠れたのだぞ。大人しく投降すれば、命までは取らぬ」
「投降? 今から楽しい交渉の時間ではないか? さて、ここにアンリエッタを呼んで貰おうか」
「陛下を?」
「そうだ。取り敢えず、“アルビオン”から兵を退かせる事を約束して貰おう。我が依頼主は、土足で国土を汚される事が嫌いらしいのでな」
通常、人質程度で軍が引き返すという事はない。しかし……流石に“貴族”の子弟が90人近くも人質として取られてしまえば、話は別だといえるだろう。本当に侵攻軍の撤退もありえるかもしれない。
アニエスは、(私の責任だ。教練に来ただけではあったが、失態は失態だ。宮廷の連中は責任を追求してくるだろう)、と唇を噛んだ。
アニエスの耳元で、銃士の1人が囁く。
「……“トリスタニア”に急便を飛ばして、増援を頼みましょう」
「……無駄だ。人質に取られている以上、どれだけ兵がいても無意味だ」
そんな相談を見咎めてか、メンヌヴィルが叫んだ。
「おい、覚えておけ。新たに兵を呼んだら1人につき、1人殺す。ここに呼んで良いのは、枢機卿かアンリエッタだけだ。良いな?」
アニエスは返答に詰まってしまった。
すると、メンヌヴィルが怒鳴った。
「5分で決めろ。アンリエッタを呼ぶのか、呼ばぬのか。5分経っても返事がない場合、1分ごとに1人殺す」
銃士の1人が、アニエスを突く。
「アニエス様……」
アニエスは唇が痛くなるほどに噛み締めた。
その瞬間……。
後ろから声がかけられた。
「隊長殿」
アニエスが振り返るとそこにコルベールが立っていて、呆然とした様子で“アルヴィーズの食堂”を眺めようとしていた。
アニエスは、「首を出すな」、と言って、壁陰に、コルベールを引き込む。
「あんたは、捕まらなかったのか?」
「私の研究室は、本塔から離れておってな。いったい何事だ?」
暢気なコルベールに、アニエスは腹を立てる。
「見て理解らぬか。お前の生徒たちが、“アルビオン”の手の者に捕まったのだ」
コルベールはヒョイッと顔を出して、食堂の前に立っている“メイジ”の姿い気づき、顔面を蒼白にした。
「いい。退がっておれ」
アニエスは煩そうに、コルベールを退がらせる。
「ねえ、銃士さん」
次いで、アニエスは後ろからまた別の声をかけられる。
そこには、キュルケとタバサの2人組が立って、ニッコリと微笑んでいた。
「お前たちは、生徒か? 良くもまあ、無事だったな」
「ねえ、あたし達に良い計画があるんだけど……」
「計画?」
「そうよ。早いとこ皆を救けて上げないとね」
「どうするんだ?」
キュルケとタバサは、アニエスに自分たちの計画を説明した。
聴き終わったアニエスは、ニヤッと笑った。
「面白そうだな」
「でしょ? これしかないと想うのよね」
話を聴いていたコルベールが反対をした。
「危険過ぎる。相手は
「やらないよりはマシでしょ。先生」
軽蔑を隠さずに、キュルケが言い放つ。
アニエスなどは、もうコルベールを見ていない。
「あいつらはあたし達の存在を知らないわ。奇襲の鍵はそこよ」
キュルケは、タバサと自分を指さして、呟いた。
だが、そんな中、タバサは静かにコルベールと食堂前の“メイジ”を見比べ、コルベールを少しの間だけ見つめた。
椅子に座ったメンヌヴィルは、テーブルの上に置かれた懐中時計を見つめた。
針がカチリ、と動いた。
「5分経ったぞ」
その声で、生徒たちが震え上がる。
メンヌヴィルは、先ほど「5分経ってアニエス達から“アンリエッタを呼ぶ”との言葉が無ければ、1人殺す」と言ったのだから。
メンヌヴィルは、「恨むなよ」と言いながら、“杖”を掲げた。
「儂にしなさい」
とオスマンが呟いたが、メンヌヴィルは首を横に振る。
「あんたは交渉の鍵として必要だ。おい、誰が良い? お前らで選べ」
なんとも残酷な質問であった。
唖然として、誰も答えられないでいる。
だがそこで――。
「ぼ、僕にしろ」
1人の男子生徒が口を開く。彼は、先ほど泣き出してしまった女子生徒を宥めようとした男子生徒だ。彼は体調を崩しやすく、“学院”で過ごす分には問題はないが、戦に参加することはできないが為に残っていたのである。
当然彼の、声と身体は震えている。
「理解った。恨むなよ」
とメンヌヴィルがそう言った瞬間……。
食堂の中に小さな紙風船が飛んで来た。
全員の視線がそこに集中したその瞬間……その紙風船は爆発を起こし、激しい音と光を放つ。
中にはたっぷりと黄燐が仕込まれた、紙風船であった。
それを“風”を使って食堂の中に飛ばしたのはタバサであり、着火させたのはキュルケの“発火”である。
食堂内の生徒たちが悲鳴を上げる。
まともにその光を見てしまった傭兵の“メイジ”達が顔を押さえる。
そこに、キュルケとタバサ、アニエスを始めマスケット銃を構えた銃士が飛び込もうとした。
作戦は成功するかに見えた。
しかし……。
キュルケ達目がけて、炎の弾が何発も飛んで来た。
成功すると想って油断していたキュルケ達は、次々とその火の弾を喰らいそうになる。
そこで、コルベールの言葉を聴いていたタバサは、即座に“風系統”の“魔法”で対応してみせた。
そのおかげか、どうにか直撃を避けることはできた。
だが、放たれた炎は激しく、銃士たちの抱えたマスケット銃の火薬が誘爆を起こしてしまう。
指が吹き飛んでしまった手を押さえ、銃士たちは地面をのた打ち回る。
キュルケは立ち上がろうとして、立てないことに気付く。直撃は免れたのだが、腹の前で炎の弾は爆発をして、至近距離で爆風に煽られたのだ。
炎で包むより、逆に効果が発揮されてしまう。炎で灼くのには時間が経かるが……衝撃は一瞬だ。倒してから、ユックリと料理すれば良いのだから。
キュルケの視界の中に、タバサが蹌踉めきながら立ち上がるのが見える。
彼女は倒れたその瞬間に頭を打ってしまったらしく……脳震盪だろう、再び地面に転がってしまう。
白煙の中からメンヌヴィルが姿を現した。
キュルケは、“呪文”を唱え迎え討とうとするのだが、肝心の“杖”が見当たらない。そして、眼の前に落ちていることに気づく。拾おうと手を伸ばしたところ、その“杖”がガシッと踏まれてしまった。
メンヌヴィルが立って、キュルケを見下ろしていた。
「惜しかったな……光の弾を爆発させて視力を奪うまでは良かったが……」
そう言ってメンヌヴィルは微笑む。
その瞬間、キュルケは気付いてしまった。メンヌヴィルの眼球がピクリとも動いていない事に。
「貴男、もしかして……目」
メンヌヴィルは自身の目に指を伸ばした。そして、それ――義眼を取り出す。
「俺は瞼だけではなく目を灼かれていてな。光がわからんのだよ」
「ど、どうして……?」
だが、メンヌヴィルの動きは、目が見える者のそれと同様だ。
「蛇は、温度で獲物を見つけるそうだ」
ニヤッと、メンヌヴィルは笑った。
「俺は“炎”を使ううちに、随分と温度に敏感になってね。距離、位置、どんな高い温度でも、低い温度でも数値を正確に当てられる。温度で人の見分けさえ付くのさ」
この男は、ピット器官を働かせる蛇と似た事ができるまでになっていたのである。
キュルケは、(こんな人間がいるなんて……)と思い、ゾワッと髪の毛が逆立つほどの恐怖を覚えた。
「お前、恐いな? 恐がってるな?」
メンヌヴィルは嘲笑った。
「感情が乱れると、温度も乱れる。憖見えるよりは温度の変化は色んな事を教えてくれる」
思い切り香りを吸い込むようにして、メンヌヴィルは鼻孔を広げた。
「嗅ぎたい」
「え?」
「お前の灼ける香りが、嗅ぎたい」
キュルケは震えた。生まれて初めて感じる、純粋な恐怖だった。その恐怖は、「やだ……」と、この炎の女王から、年相応の少女のような呟きを漏らさせるには十分過ぎた。
メンヌヴィルは、堪らぬ、と言わんばかりの笑みを浮かべる。
「今まで何を灼いて来た? “炎”の使い手よ。今度はお前が燃える番だ」
キュルケは、覚悟を決めて目を瞑る。
メンヌヴィルの“杖”の先から、炎が巻き起こりキュルケを包もうとしたその瞬間……。
沿いの炎が、ブワッと別の炎によって押し戻された。
恐る恐る目を開いたキュルケが見たモノは……。
“杖”を構えて、彼女の横に立つコルベールの姿であった。
「……ミスタ?」
硬い表情のまま、コルベールは呟いた。
「私の教え子から、離れろ」
何かに気付いたように、メンヌヴィルは顔を上げた。
「おお、お前は……お前は!? お前は! お前は!」
歓喜に顔を歪め、メンヌヴィルはまるで別人のように喚いた。
「捜し求めた温度ではないか! お前は! お前はコルベール! 懐かしい! コルベールの声ではないか!」
コルベールの表情は変わらない。頑なにメンヌヴィルを睨んでいる。
「俺だ! 忘れたか? メンヌヴィルだよ隊長殿! おお! 久しぶりだ!」
メンヌヴィルは両手を広げ、嬉しそうに叫んだ。
コルベールは眉を顰めた。その顔が、暗い何かで覆われて行くのが見て取れる。
「貴様……」
「何年ぶりだ? なあ!? 隊長殿! 20年だ! そうだ!」
生徒たちの間、そして銃士たちの間で、(隊長殿? どういう事だ?)、と動揺が奔る。
「なんだ? 隊長殿! 今は教師なのか! これ以上可怪しな事はないぞ! 貴様が教師とな!? いったい何を教えるのだ? “炎蛇”と呼ばれた貴様が……は、はは! はははははははははははははははははははははははッ!」
心底可笑しい、とでもいったように、メンヌヴィルは嘲笑う。
「君たちに説明してやろう。この男はな、かつて“炎蛇”と呼ばれた“炎”の使い手だ。特殊な任務を行う隊の隊長を務めていてな……女だろうが、子供だろうが構わずに燃やし尽くした男だ」
キュルケは、そして他の生徒たちもコルベールを見つめる。
「そして俺から両の目を……光を奪った男だ!」
恐い何かを――殺気などを、コルベールは発散している。今まで、彼がここ“トリステイン魔法学院”では決して発することがなかっただろう、彼から感じたことのない類の空気である。
味方を燃やし尽くす、と云われたツェルプストー生まれのキュルケでさえ、実際にはそのような戦に従事したことはない。所詮、“貴族”同士の遊びのような決闘が関の山であった。
しかし、今のコルベールが発する空気はまったくの別物、違うのだ。
触れば火傷をする。いや、それどころでは済まないだろう。
燃え尽きて死す。
そんな肉の灼けるような、死の香りだった。
コルベールが無造作に突き出した“杖”の先端から、その華奢な身体に似合わぬ巨大な炎の蛇が躍り出る。蛇は“アルヴィーズの食堂”からコッソリと“呪文”を唱えようとした傭兵である1人の“メイジ”の“杖”に齧り付いた。
その“杖”が一瞬で燃え尽きる。
コルベールは笑みを浮かべた。
“二つ名”の爬虫類を想わせる感情のない冷たい笑みだ。
コルベールは呆然と見つめるキュルケに尋ねた。
「なあミス・ツェルプストー。“火系統”の特徴をこの私に開帳してくれないかね?」
噛み締めたコルベールの唇の端から血が流れているのが、キュルケには見えた。炎のように赤い血が、コルベールの顎を彩って行く。
「……情熱と破壊が、“火”の本領ですわ」
「情熱はともかく“火”が司るモノが破壊だけでは寂しい。そう想う。20年前、そう想って来た」
コルベールは、普段と変わらない抑揚で呟いた。
「だが、君の言う通りだ」
再び月が雲に隠れた。
辺りは刷毛で塗ったかのような闇に包まれる。
常人にとっては闇の中の戦いは辛いものだ。相手が見えないからである。
しかし盲目の“炎”遣いにとっては、闇などは何らハンデにもなりはしない。
“杖”を握り、“呪文”を“詠唱”しながらメンヌヴィルは、(20年前、自分の“炎”は負けた。未熟だったからだ。しかし今は違う。自分の“炎”は何倍にも強力になった。光を失ったが、引き換えに強力な“炎”を手に入れた。身体の中から膨れ上がる熱量が、神経を幾倍にも研ぎ澄ませてくれる)、と想った。
わずかな温度の隙間を、メンヌヴィルは空気の流れの微妙な変化で感知する。ヒトの体温、空気の流れ、それら全てが色の着いた影となり、メンヌヴィルの心の視界に映し出された。
コルベールはキュルケに命じた。
「友人を抱えて、塔の陰に逃げなさい」
キュルケは首肯くと、タバサを抱えて疾走り出した。
その背に向かって、食堂に潜む傭兵の“メイジ”が氷の矢を何本も飛ばした。
コルベールの“杖”の先から細い炎が飛び出し、その矢に絡み付く。
氷の矢は当然溶け落ちた。
そのコルベールの“炎”を感知して、メンヌヴィルの“炎”が飛んだ。
“炎球”。
ホーミングする炎の球が、コルベールを包み込もうとしたその刹那……。
その“炎球”が、コルベールの発した炎で一気に燃え上がり、手前で燃え尽きる。
「ふふ、やるな」
次々にメンヌヴィルはコルベールに向けて炎を発射した。
一気にコルベールは防戦一方に追いつめられてしまいそうになる。
だがどうした事か、コルベールは見事に右に左へと回避し、メンヌヴィルへと“炎”を飛ばす。
コルベールは回避と攻撃を繰り返しながら、不思議な感覚を覚えていた。一連の行動を続けながら、(身体が軽い。それに力が湧き出て来る……これは?)、と疑問を覚える。
「どうした!? どうした隊長殿!? 逃げ回るばかりではないか!」
メンヌヴィルは次々炎球をコルベールへと撃ち込む。
だが、当たらない。
メンヌヴィルもまた、不思議な感覚を覚えていた。(確かに自分の“炎”は20年前のそれより遥かに強力になった、なったはずだ……それなのに、どうして、その力を発揮することができない?)、と焦りと疑問を覚える。が、それを表に出すことはない。
「惜しい! マントが焦げただけか! しかし次は身体だ! 貴様の燃え尽きる臭いが嗅ぎたくて堪らんのだ! この俺は! うわは! うは! ははははははははははははは!」
だがそんな疑問を少しも出さず、狂気を帯びた笑みを浮かべ、メンヌヴィルは散々に炎を飛ばす。
コルベールは、“魔法”の発射炎目がけて炎を放つ。
しかし、手応えはない。
“魔法”を飛ばすと直ぐに、狡猾なメンヌヴィルは移動をして闇に消え、コルベールに反撃のチャンスを与えないように行動しているのである。
見えない相手に攻撃を当てることは難しい。
コルベールは眉を顰めた。
「そこだ! 隊長!」
それであるのにも関わらず、闇を見通すメンヌヴィルにはコルベールの姿は丸見え同然であるのだ。
コルベールは向かって来る炎球などを難なく回避することはできるが、攻撃を当てることはできていない。茂みに隠れ、次いで塔の影に隠れた。
しかし、温度を正確にホーミングするメンヌヴィルの“魔法”から逃れることができない。
コルベールは回避と攻撃をし続ける内に、広場の真ん中へと誘き出される格好になってしまう。
辺りには身を隠せそうな場所はない。
「最高の舞台を用意してやったよ。隊長殿。もう逃げられない。身を隠せる場所もない、観念するんだな」
コルベールは大きく息を吸い込んだ。
そして、闇の中のメンヌヴィルに向かって口を開いた。
「なあメンヌヴィル君。お願いがある」
「なんだ? 苦しまずに灼いて欲しいのか? なに、あんたは昔馴染みだ。お望み通りの場所から灼いてやるよ」
落ち着き払った声で、コルベールは言った。
「降参して欲しい。私はもう、“魔法”で人を殺さぬと決めたのだ」
「おいおい、呆けたか? 今のこの状況が理解できんのか? 貴様は俺が見えぬ。しかし俺には貴様が丸見えだ。貴様のどこに勝ち目があってんだ?」
「それでも曲げてお願い申し上げる。この通りだ」
コルベールは膝を突いて頭を下げた。
軽蔑し切ったメンヌヴィルの声が響いた。
「俺は……俺は貴様のような腑抜けを20年以上も追って来たのか……貴様のような、能無しを……赦せぬ……自分が赦せぬ。ジワジワと炙り灼いてやる。生まれて来た事を後悔するくらいの時間を経けて、指先からローストしてやる」
メンヌヴィルが“呪文”を“詠唱”し始める。
「これほどお願いしても駄目かね?」
コルベールは続けた。
「しつこい奴だな」
哀しそうに首を横に振り、コルベールは上空へ向けて“杖”を振った。
小さな火球の球が打ち上がる。
「なんだ? 照明の積りか? 生憎とその程度の炎では、辺りを照らし出す事など適わぬわ」
メンヌヴィルの言う通りであった。
小さな炎の球は、わずかに周囲を照らすばかりである。太陽の代わりなど務められる訳もない。
メンヌヴィルの“詠唱”が完成しようとしたその瞬間……。
空に浮かんだ小さな炎の球が爆発をした。
その小さな爆発は、見る間に巨大に膨れ上がって行く。
“火”、“火”、“土”。“火”2つに“土”が1つ。
“錬金”により、空気中の水蒸気を気化した燃料油に変え、空気と撹拌する。
そこに点火して、巨大な火球を作り上げる……。
巨大な火球は辺りの酸素を燃やし尽くし、範囲内の生き物を窒息死させるのだ。“爆炎”と呼ばれる残虐無比の攻撃“魔法”。
“呪文”を“詠唱”する為に口を開いていたメンヌヴィルは、一気に肺の中から酸素を奪い取られ、窒息した。
敵が闇の中にいるのであれば……闇毎葬り去れば良い。
しかし、この“呪文”は近くの者を見境なく殺してしまう。
その為コルベールは、誰もいない広場の真ん中に移動するまで使用しなかったのであった。
口を押さえながら身を伏せていたコルベールは身体を起こし、斃れたメンヌヴィルに近寄った。
「蛇になり切れなかったな。副長」
苦悶の表情を浮かべて事切れたメンヌヴィルを冷ややかに見下ろして、コルベールは呟いた。
隊長が斃れされた事を知ったメンヌヴィルの部下たちは動揺した。
キュルケとタバサ、そして負傷を免れた銃士たちはその瞬間を逃すことなく、再び突入、そして捕縛、救助を開始する。
床に伏せた生徒たちの悲鳴が響き渡る中、1人、また1人と食堂に立て籠もった傭兵の“メイジ”達は斃れされて行った。
アニエスは1人の“メイジ”に剣を突き立てる。
「くっ!」
しかし、剣が抜けない。
1人の“メイジ”が、そんなアニエスの背に向けて“呪文”を完成させ“魔法”を飛ばした……何本もの“マジックアロー”。
キュルケも、タバサも他の銃士たちも、オスマンも、咄嗟に反応することができない。
そこに、黒い影が飛び込んで来た。
アニエスの前に立ち塞がり、身体で“魔法”の矢を受けて、“呪文”を唱える。“杖”の先から飛び出た炎の蛇が、“マジックアロー”を飛ばした“メイジ”の“杖”を焼き尽くす。
アニエスは呆然とコルベールを見つめた。
コルベールの目が見開かれる。その口から出て来たのは、アニエスを案じる声と言葉であった。
「……大丈夫かね?」
アニエスは思わず首肯いた。
瞬間、コルベールはゴボッと血を吐いて地面に倒れ込んでしまう。
生徒たちが慌てて駆け寄り、コルベールに“治癒”の“呪文”を唱え始める。
しかし……深手である。
そんな中……。
我に返ったアニエスが、コルベールに剣を突き付けた。
生徒たちは目を丸くして、アニエスを見つめた。
「ちょっと!? なにしてるのよ!?」
そんなアニエスに対して、キュルケが怒鳴る。
コルベールは弱々しい顔で、アニエスを見上げた。
「貴様が……“
コルベールは首肯いた。
「教えてやろう。私は“ダングルテール”の生き残りだ」
「……そうか」
「なぜ我が故郷を滅ぼした? 答えろ」
「止めて! 怪我してるのよ! 重症なのよ! 喋らせないで!」
必死になって“水”の“魔法”を唱えていたモンモランシーが喚く。
「答えろ!」
コルベールは俯いて答えた。
「……命令だった」
「命令?」
「……“疫病が発生した”と告げられた。“灼かねば被害が広がる”と、そのように告げられた。仕方なく焼いた」
「馬鹿な……それは嘘だ」
「……ああ。後になって私も知った。要は“新教徒狩り”だったのだ。私は毎日罪の意識に苛まれた。あいつの……メンヌヴィルの言った通りの事を、私はしたのだ。女も、子供も、見境なく灼いた。赦される事ではない。忘れた事は、ただの一時とてなかった。私はそれで軍を辞めた。2度と“炎”を……破壊の為には使うまいと誓った」
「……それで貴様が手にかけた人が帰って来ると想うか?」
コルベールは首を横に振った。
それから……ユックリと目を閉じた。
必死になってモンモランシーを始め生徒たち、残っていた教師たちも“治癒”を始め“水”の“呪文”を唱え続けていたのだが……その内に“精神力”が切れてしまったのだろう、バタッと、次々と気絶して地面に倒れてしまう。深手を癒やす“治癒”の“呪文”は、専用の“秘薬”が必要なのだが……今、この場にはない。
その為、“精神力”を酷使して“秘薬”の分をカバーしていたのだが……それでもやはり、限界がある。
倒れた“水”の使い手たちに囲まれるようにして横たわるコルベール目がけて、アニエスは剣を振り上げた。
しかし、コルベールを庇うようにして、キュルケが覆い被さる。いつもの他人を小馬鹿にしたような笑みは既に消えている。どこまでも真剣な顔で、キュルケは言った。
「お願い、止めて」
「退け! 私はこの日の為に生きて来たのだ! 20年だ! 20年もこの日を待っていたんだ!」
「お願いよ。お願い」
「退け!」
アニエスとキュルケは睨み合った。
緊張で、空気が張り裂けそうになる瞬間……。
キュルケが、ハッ!? とした顔になり、コルベールの手首を握った。
「退けと言っている!」
冷たい声で、キュルケが懇願した。
「お願い、剣を収めて」
「ふざけるな!」
キュルケは首を横に振って、呟いた。
「死んだわ」
その言葉で、アニエスの手首から力が抜けた。
呆然として、アニエスは膝を突いた。その身体が小刻みに震え出す。
「……恨むな、とは言わないわ。でも、せめて祈って上げて。確かにコルベール先生は貴女の仇かもしれないけど……今は恩人でしょう? 彼は身体を張って貴女を救ってくれたのよ?」
苦しそうな声でキュルケが言った。
アニエスは再び力なく立ち上がり、二言三言、言葉にならない何かを呟く。そして剣を振り下ろす。
その場にいたほぼ全員が目を瞑る中、キュルケとオスマン、タバサだけが目を閉じずに見守っていた。
剣は、コルベールの横に地面に、深々と突き刺さっていた。
踵を返し、アニエスはユックリと歩き出した。
アニエスの姿が見えなくなった後……キュルケはコルベールの身体を運ぼうとして、その指に光るルビーの指輪を見つけた。
見え盛る炎のような、真紅のルビーだ。
そのルビーを見つめていると……キュルケの目から涙が溢れた。
彼はキュルケ達を守ってくれたのである。
あれほど小馬鹿にしていた彼女を、「私の生徒に手を出すな」と言って守ったのだ。
素直な気持ちで、キュルケはしばらく泣いた。
“レドウタブール号”の艦上では、マリコルヌとスティックスが背中合わせに、呆然と座り込んでいた。
艦の辺りには出撃時の3分の2に減ってしまった戦列艦がヨロヨロと、這うようにして“アルビオン”艦隊を目指していた。
“トリステイン”艦隊は、戦闘に勝利したのである。突っ込んで来た“アルビオン”艦隊を何とか退けたのである。
“アルビオン”艦隊はその数を半分以下に減らし、這々の体で逃げ出したのだ。
大勝利であった。
がしかし……マリコルヌは、(これは勝利なのか?)、と想った。
辺りは彼らが生きているのが不思議なくらいの惨状を呈している。さながら地獄絵図であった。甲板は焼け焦げ、あちらこちらに大穴が空いているのだ。左舷の艦砲は半減し、右舷はそっくり砲甲板ごと砲列が失くなっているのだ。
一斉射を5度も受け、“レドウタブール号”の右舷は壊滅したのであった。
600名からの乗組員の内、200名以上が死傷した。
しかし、それでも“レドウタブール号”は空に浮かんでいるのだ。
マリコルヌも生きていた。
“魔法”と銃弾と砲弾が飛び交う中、生き残れたのは……幸運という他ないだろう。
マリコルヌは敵艦と擦れ違う度に喚きながら闇雲に“魔法”を放った。そうしないと恐怖で潰されてしまいそうであったからだ。効果があったかどうかなど、わかるはずもないが――。
「先輩」
死にそうな、半死半生な声で、マリコルヌは口を開いた。
「なんだね?」
やはり疲れ切った声で、スティックスが応じた。
「生きてる事が、不思議に想えませんか?」
「まったく同意するよ。君」
甲板の上を、ボーウッドと艦長が歩いて来た。2人は戦況について話し合っていた。
2人を先導していた士官が甲板に座り込んでいる士官候補生であるマリコルヌとスティックスを見つけ、大声で怒鳴った。
「こら! お前たち! なにを座り込んでいる!? 立て! 立たんか!」
慌ててマリコルヌとスティックスは立ち上がった。
「内火艇を用意しろ。今から艦長と教導士官が旗艦に向かう」
マリコルヌとスティックスは顔を見合わせた。死にそうな戦いが終わったばかりである。内火艇を用意する元気など、どこをどう絞っても出やしない。
「モタモタするな! 艦長を待たせる気か!?」
その時……ボーウッドがにっこりと笑って、士官を諌めた。
「あー、先任、彼らは初陣で参ってしまったのだろう。今日くらいは休ませてやりなさい」
「は! でも、しかし……」
「君にも初めて硝煙の香りを嗅いだ日があっただろう? 僕にもあった」
そのように“アルビオン”人の士官に言われ、先任士官は首肯いた。
「良し、貴様らは、夜直まで休んで良し」
ホッとしたように、マリコルヌとスティックスは敬礼をした。
立ち去るお偉いさんの一行を見つめ、マリコルヌが呟いた。
「“アルビオン”人に救われましたね」
「そうだな」
と、力なく呟き、スティックスは再び甲板にへたり込んだ。
“ヴュセンタール号”の作戦会議室で、ド・ボワチェ将軍は報告を受け取った。
“ロサイス”に偵察に向かっていた、“第一竜騎士中隊”の一騎士からのモノであった。
ニッコリと、満足気な笑みをド・ボワチェ将軍は浮かべた。
参謀総長のウィンプフェンが、上官の顔を見つめ、「朗報のようですな」、と呟いた。
「“ロサイス”吹きは蛻の殻との報告だ。“虚無”は上手い事“ダータルネス”に敵軍を吸引したらしい」
「これで第1の関門は通過できましたかな」
ド・ボワチェは首肯いて、命令を発した。
「これから艦隊は全速を以て“ロサイス”に向かう。上陸の打ち合わせをせにゃならん。格指揮官を集めろ」
将軍の命令を受けて、伝令が擦っ飛んで行く。
ド・ボワチェは首肯いた。
「さて、俺が元帥になれるかどうか、今後の1週間に賭かっているな」
上陸は成功しても、苦しい戦いになるであろう事は簡単に想像できる。
“アルビオン”には手付かずの50,000が眠っているのであるのだから。
“ダータルネス”上空に幻影を浮かべた後、たった2機になってしまい、俺たちは“トリステイン”艦隊との合流地点へと向かい飛行していた。
計画書の通りであれば、いや、実際に成功している為に、“アルビオン大陸”と空の境界で艦隊と合できる。
操縦席に座った才人は、ずっと黙りっ放しであった。
ルイズが何かを話しかけても、答えない。
飛行中、才人は一度だけ口を開いた。
「あいつら……」
「うん」
だが、それ切り才人は何も言わなかった。
ルイズはコルベールの説明書の中に、一通の手紙を見つけた。説明書に夢中になっていた為に、気づかなかったのである。
「手紙だわ」
才人が反応する。
「手紙?」
「うん。コルベール先生の。読む?」
才人は首肯いた。
ルイズは、手紙を広げると、朗読し始めた。
「“サイト君。私の発明は役に立ったかね? そうなら嬉しい。私は君を、君たちを……いや、君たちだけでなく、学院の生徒諸君を、いや先生たちも、大事に想っているから役に立つことが嬉しい。純粋に嬉しい。さて、どうして今日は君たちにこんな手紙を書いたのかと言うとだな、実は頼みがあるのだ。いや、変な事じゃない。お金の事でもないから安心して欲しい。何故頼み事をするのかと言うとだな、私には夢があるのだ。それは、魔法でしかできない事を、誰でも使えるような技術に還元する事だ。君たちも見ただろう? 愉快なヘビ君を。なに、あれは確かに玩具に過ぎんが……いつしか誰も使えるような立派な技術を開発する事。それが私の夢なのだ”」
ルイズは、一泊置いて続きを朗読する。
「“言うか言うまいか悩むがやはり話そう。私はかつて、罪を犯した。大き過ぎる罪だ。大き過ぎて、どうしようもないほどの罪だ。その罪を償おうと想って研究に打ち込んで来たが……最近、想うようになった事がある。それはだな、罪を贖う事はできないという事だ。どれほど、人の灼くに立とうと考えてそれを実行しても……私の罪は決して赦される事はない。決してない。だから君たち、1つ約束して欲しい。良いか、これから君たちは困難な事態に多々直面するだろう。戦争に行くんだ、人の死に沢山触れねばならんだろう。だが……慣れるな。人の死に慣れるな。それを当たり前だと想うな。想った瞬間、何かが壊れる。私は、君たちに私のようになって欲しくはない。だから重ねてお願い申し上げる。戦に慣れるな。殺し合いに慣れるな。死に慣れるな”」
雲が途切れ……ロサイスを目指す“トリステイン”と“ゲルマニア”連合艦隊が姿を見せた。
随分と数を減らしている。
が……それでも輸送船団がほとんど無傷であるという事から、戦闘に勝利した事がわかるだろう。
それでも勝ったとはいえ、活き残った“フネ”もボロボロである。船体には幾つもの大穴がある。マストが折れ、片舷の大砲がそっくり失くなっている戦列艦もある。
ルイズは手紙の朗読を続ける。
「“さて、最後になったが頼み事だ。君たちはいつか、私に言ったな? 別の世界からやって来たと。その世界では、君たちが今乗っているような飛行機械が空を飛び、ハルケギニアとは比べものにならんほど技術が発達している。そうだな? あのだな、私はそれを見たいのだ。見て、是非とも研究に役立てたいのだ。だから、君たちが東に行く際……私も連れて行って欲しい。なに、冗談ではない。本気だ。だから死ぬなよ。絶対に生きて帰って来い。じゃないと、私が東へ行けなくなるからな。なあ君たち。その世界では、本当に誰もが君たちの言う、くるま、を操り道を行くのか? 遠く離れても意思が通じる小箱の存在は真か? 本当に月へ人が降り立った事があるのか? 魔法を使わずに、それらの事をやってのけるとは、なんて素晴らしい事だろう。私は、そんな世界が見たい”。……これで終わり。変わった人ね。あんたの世界に行きたいんだってさ」
才人は鼻を啜りながら、ルイズに礼を言った。
「ありがとう」
ルイズは才人の首を優しく抱き締めた。そして呟く。
「馬鹿ね、なんで泣くの?」
「……泣いてねえよ」
「……今日はいっぱい色んな事があって、疲れたもんね、艦に着いたらゆっくり休みましょう」
ルイズは目を瞑り、才人の首にキスをした。
“ヴュセンタール号”が見えて、才人は着艦する為に機首を向けた。
どこまでも明るい陽の光が、煤に塗れた艦隊を美しく染め上げた。
着艦しようとしている“ゼロ戦”を見下ろしながら複雑且つ決意に満ちた表情を浮かべるシオン。
「ここから、だね……ここから」
「ああ、そうだ。君は、決めた。後は、突き進み続けるだけだ」
「うん……」
「だが、休息もまた必要だ。そして、お前は独りではない」
「うん……」
“ヴュセンタール号”へと“
“