“ガリア”と“トリステイン”の国境沿いに位置した“ラグドリアン湖”、其の近くに在る、古木瓜た屋敷の前に、“ウィンドドラゴン”(化)に跨った青髪の少女が降り立った。
屋敷の門には“ガリア王家”の紋が見えるのだが、醜い十字の傷で辱められてしまっていた。
此処はタバサの母親がヒッソリと暮らす家……旧“オルレアン家”の屋敷で在った。
タバサは昨晩破り捨てた手紙の内容を反芻した。
“ガリア王家”の判が押された手紙で在った。其処には短く、こう書かれていたので在る。
――“シャルロット・エレーヌ・シュヴァリエ・ド・バルテル。右の者のシュヴァリエの称号及び身分を剥奪する。追って書き。上記の者の生母、旧オルレアン公爵夫人の身柄を王権により拘束する。保釈金交渉の権利を認める由、上記の者は、1週間以内に、旧オルレアン公邸に出頭せよ”。
保釈金の交渉とはまた、随分舐めた言い回しであると云えるだろう。タバサを騙す気も無いに違いないといえる。詰まりは「母親を人質に取ったから、大人しく投稿しろ」という意味で在るのだ。其の後はタバサの裏切りに対する形式的な裁判が開かれるで在ろう事は簡単に想像出来る。其の結果は……運が良くって絞首刑……悪ければ……。
朝の爽やかな風が、春の陽射しと共に頬を嬲る。そんな爽やかな風を、一瞬で凍て付かせるかの様に冷たいオーラを纏った侭、タバサは屋敷へと、一歩、足を踏み出した。
御座りをしたシルフィードが、きゅい、と心配そうな声を上げた。(大人しく投降する積りか?)と其の目が尋ねている。
「平気」
タバサは前を向いた儘、忠実な己の“使い魔”にそう告げた。
すると、後ろからチョコチョコと大きなシルフィードが、タバサへと近付いて来るので在る。
「待ってて。直ぐ済むから」
シルフィードは首を横に振る。
此の賢い“竜”は理解っていたので在る。自分の主人は、勿論投稿する気など、無い。戦って、母親を取り返す積りで在るのだ。勿論、“ガリア王政府”もタバサが大人しく“杖”を渡すとは想っていないだろう。其の“風”の“魔法”を封じ込めるために、強力な使い手を大量に用意したにちがいないと。
裏切った以上、タバサを生かしておく理由は何処にも無いのである。元々“王家”は、タバサの命を奪いたがっていたのだから。然し父と同じく謀殺したのでは、旧“オルレアン”公派を憤らせてしまう結果に成るだろう事は明白で在る。よって、危険な任務に投入し、処理しようと考えていたのである。
だがタバサは、其の任務の尽くを果たしてのけたのである。現王派は、嘸かしヤキモキとしていた事で在ろう。
今回は……そんなタバサを、大手を振って殺せるだろうチャンスなのである。
嫌な空気が屋敷を覆っているという事に、シルフィードは気付いていた。
其の空気は、肌を刺すかの様に冷たい感触と成って、シルフィードの鱗をチクチクと刺激しているのである。
「理解ってるでしょ? 今から戦いに赴くの。貴女はいつもの通り、空で待ってて」
シルフィードは、タバサの戦いに参加した事は余り無いと云える。「帰りの足が失くなるから」という理由で、頻く空の上で主人の戦いが終わるのをジッと待っている事が多いのである。
然し今回は違った。
タバサの敵は、“ガリア王国”で在るのだ。
今まで相手にして来た、“幻獣”や“メイジ”や、“亜人”とは全く規模が違う相手なので在る。
如何に力の有ろうともただの少女1人では、1国との間では、どう足掻こうとも勝ち目は無いに等しいのだから。
此の旧“オルレアン”屋敷は、既にタバサの懐かしい想い出の場所では無いので在る。
かといって戦場でも無い。
タバサを葬るために用意された死刑執行人が待ち受ける場所で在り、棺桶で在り、墓地で在るといえる。
戦場ならば兎も角、墓地に“愛”する主人を1人で行かせる訳には、当然いかない。
そんな健気な視線で自身を見詰めるシルフィードを、タバサはジッと見詰めた。
小さく、言い聞かせる様な口調でタバサは言った。
「貴女が待っているから、私は戦える。帰る場所が在るから、私は戦える」
シルフィードは、暫く身動ぎもしなかったが……目に一杯涙を溜め、大きく首肯いた。
「きゅい」
赤い痣の在る手で以て優しい手付きで、タバサはシルフィードの鼻面を撫でる。
シルフィードは、グッと顔を持ち上げると、空へと羽撃いた。
屋敷の上空をグルグルと旋回するシルフィードを見詰め、タバサはいつもと変わらぬ表情で、「有り難う」と呟いた。
玄関の大きな扉に、鍵は掛かっていなかった。
タバサが押すと、ぎぃ~~~、と重たい音を立て、扉は難無く開く。
何時もで在れば執事のペルスランが飛んで来るのだが……シンっと冷えた朝の空気以外、タバサを迎えるモノは誰1人いない。屋敷の中には、何人かの使用人がいる筈で在るのだが全く人の気配は無いと云える。
其の身長より長い、節榑だった“杖”を無造作に右手に提げ、ユックリとタバサは奥へと向かう。
普段と変わらぬ無表情さ、普段と何ら変わらぬ足取りで在ったのだが、怒りがタバサの周りの空気を変えていた。屋敷奥の母親の居室に通じる長い廊下を歩いていると……廊下の左右に並んだ扉が一斉に開いた。
扉が開くのと同時に、一斉に矢が飛んで来る。
タバサは全く動じる事も無く、“杖”を振った。
ピキッ! と空気の中の水蒸気が爆ぜる音がして、氷の壁がタバサの周りに現れ、飛んで来た矢を弾き返す。
其の矢が挨拶で在るかの様に、次いで開いた扉から、兵士が飛び出して来る。然し……良く見ると剣を構えた其れはヒトでは無い事が判るだろう。
意思を付与された“魔法人形”――“ガーゴイル”で在る。
死を恐れぬ頑丈な“ガーゴイル”に、近距離で一時に十数体も掛かって来られたのでは、並の“メイジ”では対処する事は出来ないで在ろう。
然し、今のタバサの“精神力”は怒りで膨れ上がっている。
タバサが“杖”を振り被ると、其の先が青白く輝き、周りを無数の氷の矢が回転した。
短い髪の毛が、発生させたタバサを中心とする竜巻によって激しく靡く。
今まで発揮した事の無いスピードと威力を誇る“
射抜かれた“ガーゴイル”は、氷の矢が帯びた“精神力”――“魔力”で、一瞬にして氷結する。迸る“精神力”――“魔力”が、行き場を求めての結果だと云えるだろう。
強烈な怒りが、本人も気付かない侭に、タバサのランクを一段上げていたので在った。
“風”の二乗、“水”の二乗が、十八番で在る“
今のタバサが相手では、並の使い手は対峙する事すらも敵わぬで在ろう。
“ガリア”の秘密騎士、“北花壇騎士”としての経験と、強烈な“風”の“スクウェア・スペル”が、此の小柄な青髪の少女を“ハルケギニア”でも有数の戦士に変えていたので在る。
タバサは母の居室の前に立ち、取っ手に手を掛けた。
鍵は掛かっていない。
観音開きの扉を、タバサは無造作に引いた。
ベッドと、小机が見える。
だが、ベッドの上に、母の姿は無かった。
窓が開いており、春風が吹いて来る。
壁の周りには本棚が在って……男が1人立っていた。
薄い茶色のローブを着た、長身で痩せた男で在る。鍔の広い、羽の着いた異国の帽子を冠って居る。帽子の隙間から、金色の髪の毛が腰まで垂れている。タバサが立った部屋の入り口に背を向け、壁に並んだ本棚に向かって、熱心に何かをしている様で在った。
パラパラとページを捲る音が聞こ得て来る。
驚いた事に、男はどうやら本を読んで居るらしい。敵で在ろう人物に背中を見せて、本を読んでいる刺客など、タバサは聞いた事が無かった。
其の背に向けて、タバサは小さく口を開き尋ねた。
「母を何処へ遣ったの?」
男は、呼び止められた図書室の司書で在るかの様に振り向いた。そして、全く日常的な仕草で、殺気や敵意を微塵も感じさせない様子で口を開いた。
「母?」
男から発せられた声は、硝子で出来た鐘の様な、高く澄んでいた。
男の切れ目の奥の瞳が、薄くブルーに光っているのが見える。随分と美しい、線の細い顔立ちで在った。然し……年齢が予想し辛い、全く判らないといえる。少年の様にも見えるで在ろうし、40といっても信じてしまいそうな、妙な雰囲気を男は持っていたので在る。
「母を何処へ遣ったの?」
同じ抑揚で、タバサは繰り返した。
男は困った様に、本を眺めていたのだが……再び口を開いた。
「ああ。今朝、“ガリア”軍が連行して行った女性の事か? 行き場所は知らない」
ならば用は無い、とでも言う様に、タバサは無造作に“杖”を振った。
“ウィンディ・アイシクル”が男の胸を襲う。
然し、タバサの氷の矢は男の胸の前でピッタリと停止した。
彼が“魔法”を唱えた素振りなど、何処にも無かった。
停止した矢は床に落ちて、粉々に砕け散る。
壁……という選りも、矢自体が勢いを失った、といった其の様な感じで在り、一体どの様な“魔法”を使用したのか悟らせない。
タバサは慎重に“杖”を構えた。相手の出方を窺おうと想ったので在る。
「此の物語と言うモノは素晴らしいな」
男の次の行動は、タバサの意表を突いたモノで在った。
何と男は、再び本棚から先程読んでいた本を取り出したので在る。
「我々には、此の様な文化が無い。本といえば正確に事象や歴史、研究内容を記したモノに限られる。歴史に独自の解釈を加えて娯楽として変化さえ、読み手に感情を喚起させ、己の主張を滑り込ませる……面白いモノだな」
異国のローブを纏った男は、全く敵意の込もっていない声でタバサに告げた。
「此の“イーヴァルディの勇者” という物語……御前は読んだ事が在るかね?」
男が目を本に移した其の瞬間、タバサは再び、男に向かって“ウィンディ・アイシクル”を放った。今度は先の倍の量である。
が然し……やはり氷の矢は男の手前で勢いを失い、床へと落ちてしまう。
タバサの“呪文”による“魔法”を全く意に介した風も無く、男は言葉を続ける。
「果てさて、御前達の物語とは本当に興味深いな。宗教上は対立しているのに……我々の聖者の1人が、御前達にとっても勇者で在る様だ」
タバサの顔に、焦りの陰が浮かび上がる。どうして氷の矢が、途中で止まるのかが理解出来ないので在る。何らかの“風”の“魔法”によるモノか。だが、タバサは其の様な“系統呪文”は見た事も聞いた事も無かった。
だが其処で、タバサは気が付いた。
“呪文”の“系統”は、此の世界にもう1つ存在するので在る。
“北花壇騎士”として何度も戦って来た、“亜人”達が使用する“呪文”……。
「“先住魔法”……」
然も不思議そうな表情で、男は呟く。
「どうして御前達蛮人は、其の様な不粋な呼び方をするのだ?」
其れから、男は全く裏表の無いと云える声で言った。
「ああ、若しや私を蛮人と勘違いしていたのか。失礼した。御前達蛮人は書体目の場合、帽子を脱ぐのが作法だったな」
男はそう言うと帽子を脱いた。
「私は“ネフテス”のビダーシャルだ。出逢いに感謝を」
金色の髪から……長い尖った耳が突き出ている。
「“エルフ”」
タバサは喉から驚きの声を絞り出した。
男は――ビダーシャルは“エルフ”で在ったのだ。
“ハルケギニア”の東方に広がる砂漠に暮らす長命の種族……。
ヒトの何倍もの歴史と文明を誇る種族。
強力な“先住魔法”の使い手にして、恐るべき戦士。
“杖”を握るタバサの手に、力が篭もる。
“北花壇騎士”として、様々な敵を渡り合って来たタバサにも、立ち会いたくない相手が2つ在った。
1つ目は“竜”。ヒトの身で、成熟した“竜”と渡り合うという事は危険が多過ぎるので在る。“竜”の火力、生命力は、単純にヒトが駆使する“魔法”の力を凌駕しているので在る。
そして2つ目が、眼の前に立つ“エルフ”で在った。
初めて見る“エルフ”に、タバサは戸惑い……次いで恐怖した。
其の“魔力”などは噂通り、尋常では無いという事が判る。何せ、“ウィンディ・アイシクル”が届きもしないのだから……。
「御前に要求したい」
“ネフテス”のビダーシャルと名乗った“エルフ”の男は、気の毒そうな声で、タバサに告げた。
「要求?」
「ああ。我の要求は、抵抗しないで欲しい、という事だ。我々“エルフ”は、無益な戦いを好ま無い。我は御前の意思に関わらず、御前をジョゼフの元へと連れて行かねばならない。そう言う約束をしてしまったからな。だから、出来れば穏やかに同行を願いたいのだ」
叔父王の名前を聞いて、タバサの血が逆流してしまった。
タバサは、(怯えてどうする? 自分は、母を取り返すと決めたのだ。“エルフ”だろうが、神だろうが、此処で引く訳にはいかない)と恐怖で萎みつつ在った自身の心を叱咤し、再び猛り狂う嵐で心を満たした。
タバサの今の、“精神力”――“魔力”は十分で在る。
気力は感情だ。
強い感情の力は、“精神力”――“魔力”の総量に影響するので在る。
荒れ狂う怒りと激情の中、冷たい雪の様に冷え切った冷静な部分が、タバサに足せる“系統”が増えた事を自然と教えて呉れた。
“スクウェア”の威力を持った“トライアングル・スペル”を、タバサは唱え始めた。
「“ラグーズ・ヲータル・イス・イーサ・ハガラース”……」
タバサの周りの空気が、揺らいだかと思うと一瞬で凍り付いた。
凍った空気の束が、無数の蛇に様に彼女の身体の周りを回転する。
氷と風が織り為す芸術品で在るかの様な美しさと、触れたモノを一瞬で両断するで在ろう鋭さを兼ね備えた、“
ぶぅお、ぶぅお、ぶるぉおおおおおおおおッ!
部屋の内装を切り裂き、“
嵐の目が、タバサの身体から“杖”へと移る。
同時にタバサは眼の前の“
其れ等の事が、僅かコンマ数秒の間に為された。
どの様な防御“魔法”が掛かって居ようとも、一撃で吹き飛ばす事が出来るだろうと、そう想わせた。
然し……金髪長身の“エルフ”は自分目掛けて突っ込んで来る猛り狂う“
彼の視線はタバサから動かない。
敵意も、怒りも、彼の其の細い瞳は感じられない。
タバサは、“エルフ”の瞳に宿るモノの正体を理解し、愕然とした。
其処に在るモノは遠慮で在ったのだ。
“スクウェア”の威力を持つ攻撃“魔法”が己を襲わんとしているというのにも関わらず……。未だ“エルフ”はタバサを敵と認めてさえいないので在った。
“エルフ”の身体が氷嵐に包まれた……かの様に見えた其の瞬間。
氷嵐の回転が、行き成り逆回転を始めた。
其の侭氷嵐は同じ勢いを保った侭に、タバサ目掛けて飛んで来たので在る。
「“イル・フル・デラ”……」
タバサは咄嗟に“フライ”の“呪文”を唱え、飛んで避けようとした。
実戦豊富なタバサは、一瞬で其の“呪文”を完成させる。
解放。
飛び立とうとした其の瞬間、タバサの目が大きく見開かれる事に成った。
飛べないので在る。
何時しか、足が迫り出した床に呑まれているので在る。粘土の様に形を変えた床が、ガッチリとタバサの足首を掴んで居るので在った。
タバサは呆然と呟いた。
「“エルフ”の“先住”……」
言葉は完成しなかった。
タバサは己の作り出した“
ボロボロに成って転がったタバサにビダーシャルは近付いた。
タバサの小さな身体は、己が作り出した氷の刃によって無数の傷が付いてしまっている。傷から流れた血と、水が入り混じり、床に敷かれた絨毯が酷い事に成ってしまっていた。
ビダーシャルは、倒れたタバサの首筋に手を当てた。
虫の息だ。
「此の者の身体を流れる“水”よ……」
朗々と、長身の“エルフ”は“呪文”を唱え始めた。
“ハルケギニア”のヒトが、“先住”と名付けている“魔法”を、実際使用する“エルフ”を始めとした“亜人”達は、“精霊の力”と其れを呼んでいた。
タバサの身体の傷が、筆で絵の具を塗られるかの様に、見る間に塞がって行く。“系統魔法”の“治癒”よりも、傷の塞がる速度は速いで在ろう。
ビダーシャルは、傷の塞がったタバサを慎重に抱え上げた。
ビダーシャルが窓の外を見ると1匹の“竜”が見ている事に気付いた。
タバサの“使い魔”で在るシルフィードである。其の目が怒りに光って居る。
其の目の光で、ビダーシャルはシルフィードがただの“ウィンドドラゴン”では無いという事に気付いた。
「“韻竜”か……」
ビダーシャルは、直ぐにシルフィードの正体を言い当ててみせた。
“韻竜”とは、絶滅したといわれている“古代種”で在る。知能が高く、“先住”の“魔法”を操り、言語感覚に優れた“幻獣”の一種で在る。
ビダーシャルの腕の中で昏睡している少女――タバサ……“韻竜”を“使い魔”にすると云う事は、余程の手練で在る事が判った。
ビダーシャルは、(自分が“契約”した場所で無かったら、危険だったかもしれないな)と想った。
「“韻竜”よ。御前と争う積りは無い。“大い成る意思”は、御前と私が戦う事を望んでいない」
“大い成る意思”とは……“エルフ”や“韻竜”など、“ハルケギニア”の先住民が信仰している概念で在る。彼等が“精霊の力”と呼ぶモノの源で在り、彼等の行動を決定付けている存在でも在る……ヒトにとっての神の様なモノで在るといえるだろう。
ビダーシャルの眼の前に居る“韻竜”――シルフィードは、“大い成る意思”という単語を引き出されても、引きはしなかった。返って、勇気を奮い立たせるかの様に、唸り始めたので在る。
シルフィードは恐怖を知っている。“エルフ”が、“精霊の力”の行使手として、己よりも数倍もの実力を秘めているという事を知り乍らも、ビダーシャルに牙を向いているので在る。
「魂まで蛮人に売り渡したか。“使い魔”とは、哀しい存在だな」
ビダーシャルがそう呟くのと同時に、シルフィードは壁を突き破って飛び掛かった。
然し、ビダーシャルは顔色1つ変える事は無い。ただ、手をシルフィードの前に突き出した。
痩せ過ぎな“エルフ”が、手1つで大きな“竜”を止めている様は異様で在ると云えるだろう。
シルフィードはジタバタと藻掻こうとしたのだが……が、満足に動く事が出来ない。
余りにも強力過ぎる“
ビダーシャルは、シルフィードの頭の上に左手を翳す。
ユックリと……シルフィードの瞼が閉じる。
どすん! と気を失って床に伸びた“韻竜”を見下ろし、ビダーシャルは呟いた。
「“大い成る意思”よ……此の様な下らぬ事に“精霊の力”を行使した事を赦し給え……」
ルイズの部屋は、相変わらず妙な緊張に包まれていた。
放課後、才人とルイズは御茶を摂っていたのだが……給仕をするシエスタの態度が、どうにもルイズを刺激するらしかった。
「サイトさん、どうぞ」
シエスタはニコニコとし乍ら、才人に焼いたばかりのビスケットを差し出した。シエスタは、其処が自分の席だと言わんばかりに、才人の隣に腰掛けているので在る。
「あ、有り難う……」
才人はルイズの表情を、恐る恐る確かめた。
物凄く不機嫌な表情で、ルイズはそんな2人をじとーっと睨み付けているので在った。
怒りが、黒い波動と成って才人へと襲い掛かる。
そんなルイズに才人は、「どうして怒るんだ? 御前は別に、俺の事好きでもなんでも無いだろうが。御褒美なのに、なんで怒るんだよ?」と言いたかった。
然し言っても始まらないという事を才人は理解しており、面と向かって言われたら言われたで傷付くだろう事も在って、言葉には出さないでいた。そして、(俺が“シュヴァリエ”に成ろうが“貴族”に成ろうが、ルイズにとってはただの“使い魔”なんだろうな。いつか逢える、と偽の墓の前で言い切ったルイズも、“ウエストウッド村”のベッドの中でもあんだけ可愛かったルイズも、結局は“使い魔”に対しての愛嬌なんだろ。理解ってたじゃないか才人……)と自身に言い聞かせた。
ルイズは優しい所も有るが……其れは自分が好きだからでは無い。才人の御主人様は兎に角真面目で在るのだ。真面目だから、一生懸命に任務を果たそうとしたり、幼い頃に忠誠を誓ったアンリエッタを大事にするし、時には「頑張った御褒美」と言ってキスを許可したり、其処は御褒美では無いのかもしれないが胸を触っても怒らなかったり、身体を許そうとまでしてしまうので在る。最近は「帰る方法を探して上げる」などと言い始めているのだ。才人の力は、ルイズの願望達成には必要で在るだろうに、其れを曲げてまで才人の幸せを考えているので在る。
そう。
兎に角ルイズは真面目で在るのだ。
才人は、そんな真面目なルイズが好きなので在る。
だが……(ルイズは自分の事を好きでは無い。若し、自分の事を好きだったら、あれだけ好き好き言ってるんだから、1回くらいは“好き”と言って呉れる筈だろ? どう考えたってそうだろ。其れなのに言わない……真面目で、ある意味馬鹿正直なルイズだもんな。其処まで許してるのに其の言葉を言わないって事は……ホントに好きでは無いんじゃないか? 焼き餅を妬くってのは、所詮“使い魔”への独占欲……)と殆ど初恋に近かっただけに才人は打ちのめされてしまっていた。
「どうしました?」
隣を見ると、シエスタが困った様子で才人を見詰めている。
才人は、(考えてみれば……いつも変わらぬ愛情を打つけて呉れるのは、此のシエスタだけじゃねえか。じゃあ姫様はどうなんだろ?)と考えた。
才人は首を横に振った。
「彼女は寂しいだけだろう。寂しくって、他に頼れる人間がいなくって、偶に其処に居た自分に凭れ掛かっているだけだ。良い気に成るなよ、才人。全く、高貴な女って奴ぁ我儘で……」
と才人はブツブツと呟いた。
「高貴な女性が……どうしたんですか?」
「え? 否……」
「そんな事より、ほら、口を開けて下さい。あーんです。あーん」
シエスタが才人にビスケットを突き出す。
思わず才人が口を開けようとした其の時、ピキッ! とカップが割れる音がした。
音のした方を見て、才人は震えた。
ルイズが、カップの破片を咥えているので在る。どうやら、口で割ったらしい。
「お、御前、カップ割るなよ。危ないよ」
ルイズは才人の言葉を全く無視して、割れたカップをシエスタに突き出す。
そして、ぶすっとした声で、「御代り」と言った。
シエスタは、はいはい、と立ち上がると、冷え切った御茶の残りを掛けたカップに注ぐ。ニッコリと微笑んで、其れをルイズに差し出す。
「どうぞ♪」
ルイズはシエスタをギロッと睨み付けた。
「ちゃんと新しいの淹れなさいよ。ホントに使えないメイドね。出来る事と言ったら、犬に色目使うだけじゃないの。御茶1つ満足に淹れられないなら、チャッチャと田舎に帰るが良いわ」
シエスタは全く笑みを崩さずに、ティーポットの中から出涸らしを捨てた。其れから、新しい茶葉をポットに入れようとして、茶葉が切れている事に気付き、困った表情を浮かべた。
其れから、ぽん、と何かに気付いた様に手を打って、外に飛び出して行く。5分程して、手に一杯の雑草を拾って来た。
シエスタは鼻歌交じりに、其れをポットに入れ、ドボドボと微温った御湯を注ぐ。ポットからカップに注ぎ、ルイズに馬鹿丁寧な態度で差し出した。
ルイズは無言で其れをシエスタの頭から注いだ。
シエスタは笑顔を浮かべた侭、ハンカチを取り出し、顔をユックリと拭いた。其れからポットの中の御茶を、自分が今仕方された様に、ルイズの頭の上に注いだ。
2人は笑顔で見詰め合っていたが、何方から兎も無く飛び掛かり、ガッチャンゴッチャン取っ組み合いを遣らかし始めた。
才人は物凄く切なくなり、小さな声で、「止めろ」と言った。
然し、2人は髪の毛を掴み合い、歯を剥き出しにして絡み合っている。
此の前襲われたばかりだというのに、平和なモノだと云えるだろう。
才人としては、敵の正体が判ったからには、此方から乗り込んで白黒付けたいので在る。何も戦争にまで発展させる積りなど毛頭無かった。相手は“ガリア”の王様だか大臣だか将軍だか大“貴族”で在ろうとも、御目通り願って、正々堂々と、一体ルイズを使って何をする気だ!? と訊いて遣りたいだけで在るのだった。
だが……アンリエッタに止められてしまったために動けないでいるのだ。
才人は、アンリエッタ達の言い分を理解して居た。が、当然其の全てを理解しているという訳では無く、(こないだ戦争がやっと、終わったばかりなんだ。新たな火種を作りたく無いんだろうな)と解釈していた。
才人は、(でも、外交で何とかするって言ったってなあ……幾ら証拠を用意したって、向こうが“そんなの知らないよ?” と言えばそれっきりだろ)と自身が“ガリア”に直接向かって問い質しても結果は同じだろう事には気付かず、そう想った。折角黒幕が判って、(何とかして遣る!)と勢い込んだ矢先で在ったために、割り切れずにモヤモヤが残ってしまっているので在る。
騎士に成らなかった方が、身軽に行動出来た部分も在るだろう。
(いや……)
と才人は首を横に振った。
才人は、(“トリステイン”の騎士だから……何て言い訳じゃないのか? 騎士だろうが何だろうが、ホントに突き止めたかったら……俺は行動した筈だ)とも想った。
そう。
才人が1番モヤモヤとした気分に成っているのは、自分自身に対してで在った。
アンリエッタに止められた時、実の所才人はホッとしたので在った。
これで危険な事に首を突っ込まないで済む、と、ホッとしたので在る。
相手は“ガリア王国”……あの“アルビオン”を一発で敗北に追い込んだ国で在るのだ。
そんな連中の所に乗り込まないで済んだ、との安心が、才人の胸に浮かんでしまったので在った。
才人は、(情けねえ。何が騎士だよ……)、と切なく成った。
そんな才人の切なさとは裏腹に、彼の眼の前ではルイズとシエスタが取っ組み合いを遣らかしている。
増々気が滅入り、思わず才人は口にしてはいけない言葉を言ってしまった。
「御前達、少しは姫様を見倣って、御淑やかにしろよ……」
ルイズとシエスタの動きがピタリと止まった。
急激に部屋の空気が変化して行く。
才人の脇の下に冷たいモノが流れるのを感じた。
才人の本能が身体に危険を知らせる。才人の身体が目に見えて震え出す。
ルイズは、う~~~ん、と伸びをすると、準備運動を始めた。
シエスタも、腰に手を当てて、後ろに仰け反ったりしている。
「シエスタ。あんたはしっかり身体を押さえててね」
「畏まりました。ミス・ヴァリエール」
才人は、よっこらせ、と態とらしく立ち上がった。
「さてと、其れじゃあ僕は騎士隊の訓練に行って来ます。ルイズ、後は宜しくね。シエスタ、御茶美味しかった。有り難う」
才人は、ドアに辿り着く事が出来なかった。シエスタに腕を捕まれ、ルイズに足を引っ掛けられたので在る。
床に転んだ才人は今にも泣きそうな顔で2人を見上げ、尋ねた。
「2倍?」
「ううん」
ルイズとシエスタは、特大の笑みを浮かべて言った。
「4倍」
“メイジ”とメイドの2人に、徹底的に痛め付けられてしまった才人は、グッタリと床の上に伸びた。
ルイズは其の上に座り込み、肘を突いた。
隣に立ったシエスタがはふぅ、と溜息を吐いた。
「私最近、自分がミス・ヴァリエールに似て来た様な気がしますわ」
「有り難う」
ムスッとした表情を浮かべ、ルイズが答えた。
「別に褒めてませんわ」
シエスタは疲れた声で言った。其れからしゃがみ込んで才人の頬をツンツンと突く。
「……ねえ、ミス・ヴァリエール」
「あによ?」
「私達、啀み合ってる場合じゃ在りませんわ。ホントどうしましょう?」
「何がよ?」
「女王陛下ですわ! あの目! ミス・ヴァリエールも御覧になったでしょう? 嗚呼、相手がミス・ヴァリエールなら兎も角……」
「兎も角何? 兎も角何? 兎も角何?」
ルイズはシエスタを“杖”でグリグリと突き回す。
よよよ、とシエスタは床に崩れ落ちたが、ルイズは執拗にシエスタを突き回した。
「ねえメイド。舐めてんの? あんた“貴族”舐めてんの?」
「すいません! 舐めてません! えっと、ミス・ヴァリエールも十分魅力的ですけど! 冷静になって考えれば、相手が女王陛下ではもう、夢も希望も在りませんわ!」
「どーしてよ?」
「何でも遣り放題じゃ在りませんか! 嗚呼、きっと騎士にしただけでは飽き足らず、其のうち御城勤務を御命じになるんですわ……そして夜な夜な……」
「夜な夜な、何よ?」
シエスタは気絶した才人の脇の下に手を伸ばし、よっこらせと立たせた。そして操り人形の要領で、才人の口真似をした。
「“おっす。俺、サイト”」
「何それ?」
「女王陛下がなさるで在ろう狼藉を御芝居風に、ミス・ヴァリエールに伝えたいと思いまして」
「……遣って御覧為さい」
シエスタは才人の手を器用に動かし、操った。
「“やあ。俺サイト。シエスタ大好き”」
「変な嘘吐かないで」
「作中の台詞ですから」
澄ました顔をと調子でシエスタは続けた。
「“俺サイト。ルイズはぺったんこ、ヤバ過ぎ”」
「何ですってぇ?」
「だから、作中の台詞ですってば」
「あんた、作中と遣らで姫様の狼藉を描くのか、己の心中を述べるのか、早いとこ選びなさい。“魔法”飛ぶわよ」
シエスタは「理解りました」、と呟くと、劇を開始した。
「“俺サイト。今日は女王陛下の御部屋に呼ばれて来たんだ。一体、何を遣らされるのかなあ? あ、姫様だ! どんな御用ですか!?”」
次にシエスタは、才人の前に回り、ガバッと抱き着いた。
気絶している才人は、シエスタに凭れる形に成る。
「“嗚呼! 騎士様! 私、貴男をズッと御慕い申し上げて居りました!”」
「“姫様! 良けません! 俺には、シエスタって決めた人が!”」
「“良いのです! 所詮はメイド風情では在りませんか!”」
シエスタは、才人をベッドに押し倒した。
「“私女王ですから! 胸も女王ですから! 胸も女王ですから! こんな胸! いやん!”」
シエスタはそう言って、気絶している才人の手を自身の胸に押し付けたために、ルイズは其の頭をぱかーん! と殴り付けた。
「痛いじゃないですか」
「遣り過ぎよ。と言うか何処でそんな三文芝居覚えて来るのよ?」
シエスタはゴソゴソと、私物を纏めて置いて在るスペースから、一冊の本を取り出した。
「何これ?」
「今、“トリスタニア”で流行っている本ですわ」
「字が読めたの? あんた」
ルイズは驚いた声で言った。
読み書き出来る“平民”は少ないので在る。
「“学院”に奉公するに当たって、寺院で習ったんです」
ふぅん、とルイズは本のタイトルを見詰めた。
「なぁに? “バタフライ伯爵夫人と優雅な一日”?」
パラパラとページを捲るルイズの顔が、見る間に真っ赤に染まって行く。
「な!? 何これ!? 何て如何わしい!」
汚らわしそうに、ルイズは本をバサッとベッドの上に放った。
「興味ないんですか?」
「有る訳無いじゃない! こんなの読んだら、罰が当たるに決まってるわ! “始祖ブリミル”が御赦しにならないわ!」
シエスタは、ボソッとルイズの耳元で囁いた。
「2章が凄いんです」
「知らないわ! 2章なんて!」
「2章が凄いんですってば。此の“マダム・バタフライ”がですね、御気に入りの騎士を、己の権限を利用して寝室に呼び付けるんです。其の際、騎士に要求する言葉が凄いのですわ」
「知らない! 知らない!」
そう言いつつも、ルイズの目は先程投げ捨てた本の方を、チラチラと向いているのが判る。
「“御前が望む遣り方で、此の私に奉仕しなさい”。そう言って“マダム・バタフライ”は、騎士に奉仕させるんです! 其れがもう! きゃあきゃあきゃあ! 言えません! きゃあきゃあきゃあ!」
シエスタは顔を真っ赤にして、ルイズの肩をポカポカと叩いた。其れから本を取り上げ、再び突き出す。
ルイズの眼の前で、シエスタはページを捲って行った。
真っ赤だったルイズの顔が、ページを捲る度に沸騰しそうな程に赤らんで行く。
「私、想うんです」
「あが。あがががががががが」
ルイズは震え乍ら、相槌に成らない相槌を打った。
其処に書かれている内容は、ルイズの飛びしい知識を雲の高さ程にも超えているので在る。
本の中で起こっている事は10分の1も理解出来ていないが、兎に角凄い内容が、ルイズの頭に飛び込んで来るので在った。
「女王様、きっとサイトさんに此処に書かれている事します。絶対。高貴な方って、何て言うか、きっと性的に歪んでると想うんです。其の……高貴な方って御自分を取り繕わなければいけないじゃないですか。其の結果、口には出来ない欲求が溜まりに溜まって、ボカーン」
「しないわ!」
「ボカーン」
「姫様はこんな事しない!」
ルイズは本を取り上げ、床に叩き付けた。
「わっ!? 55“スゥ”もしたのに!」
「こ、こんな事! こんな汚らわしい事! 此奴だって姫様にしないもん! 幾ら命令だからって、そんな……」
「騎士は命令には絶対! そうじゃ在りませんか! 縦しんばサイトさんがしたく無くっても、女王陛下が御命じに為れば逆らえませんわ! 言うじゃ在りませんか! 其りゃもういと哀しきは宮仕え……」
「だ、だって……此奴は私にメロメロだもん! いっつも言ってるもん! 私の事好きって! はん! 命令だからってする訳無いじゃない? ねぇ……」
余裕を気取って髪を掻き上げるルイズを、シエスタは冷ややかに眺める。
「サイトさんがいっつもミス・ヴァリエールに仰っていると言う、“好き”なんですが……」
「あによ? 歯切れが悪いわね」
「怒っちゃ嫌ですよ?」
「怒ら無いから言いなさいよ」
「其の“好き”なんですけど」
「ええ」
「若しかしたら……“使い魔”だからじゃないかと想うんです」
ルイズは呆然として、シエスタを見詰めた。
まるで予期しなかった方向からの指摘で在ったためである。
「私、“メイジ”と“使い魔”の関係の事なんか良く知りませんけど……“使い魔”って、“メイジ”を守るためのモノでも在る訳でしょう? 皆さんの“使い魔”……ギーシュ様の土竜とか、ミス・ツェルプストーの火蜥蜴とか……御主人様の事大好きじゃ在りませんか。でも、“使い魔”じゃ無かったら、あんなに懐きませんわよね」
嫌な予感が、ルイズの全身を襲う。
でも……とルイズは首を横に振った。
「でも! でもでも! サイトは、“ルーン”が取れて“使い魔”じゃ無くなった時でも、再び私の“使い魔”に成る事を選んだわ! 好きじゃ無かったら、どうしてそんな事するのよ!?」
「責任感って、可能性も在りますわ」
シエスタは冷静に分析して、ルイズに告げた。
「責任感?」
「ええ。サイトさんはこう見えて、責任感の強い人です。だから味方が110,000の大軍に追われて居る時も殿軍を務めたり、騎士隊の副隊長を御務めになったりしてるんじゃ在りませんか。ミス・ヴァリエールの“使い魔”になって、御手伝いする……其れが果たせて無いと想ったから、再びミス・ ヴァリエールの“使い魔”になる“運命”を御選びになったんじゃ……」
ルイズは力無く、膝を突いてしまった。
慌てたシエスタは、ルイズの腕を掴んだ。
「そ、そんな落ち込まないで下さい! 飽く迄可能性ですわ! 可能性! そんな事も在るんじゃないかって……」
もう、ルイズにはシエスタの言葉は届かない。(若しかしてそうかも?)という想いが膨れ上がってしまっているのだ。
サイトがルイズに向けている好意は……“使い魔”として“契約”した時に与えられた、偽りの感情かもしれないのだから。
ルイズの心に、認めたくない暗雲が広がって行く。
ルイズは、「どうしよう?」、とポツリと呟いた。
其の夜……。
才人はギーシュ達と、“水精霊騎士団《オンディーヌ》”の溜まり場で酒を呑んでいた。
溜まり場というのは、コルベールの研究室の隣に設えた、“ゼロ戦”格納用の小屋で在る。余ったスペースに机を置いて、周りに古く成って使われなくなった椅子を並べると、其処は居酒屋に変身したので在った。
夕食の後、才人達は此処に集まって、騎士隊の事を相談したり、詰まらぬ話をしたり、馬鹿話で盛り上がったりするので在った。勿論、1番比重が大きいのは馬鹿話で在る。
其処に、俺も加わり、偶にアドバイスなどをするので在る。
トロンとした顔で、ワインを流し込む才人にギーシュが言った。
「もう9時を回ってるけど、いつまでも此処で呑んでて良いのかね?」
「良いんだよ」
才人は憮然とした声で言った。
隣にいたマリコルヌが、心底信じられなないといった表情を浮かべて口を開く。
「ルイズと、専用メイドが君の帰りを待ってるんだろう? 其れなのに部屋に戻りたくないって言うのは、どういう訳なんだよ?」
うわぁあああああ、と才人は頭を抱えて震え出した。
マリコルヌはそんな才人にむかっ腹が立ったらしい。テーブルに突っ伏した才人の耳元で、何やら愚痴を垂れ流し始めた。
「そりゃ、ルイズはああいう性格だし、子供みたいな身体付きだから、あんまり人気は無かったけどさ。何駄感駄言ってとんでも無い美少女じゃないか。あの身体付きが厭らしいメイドだって、君を慕ってるんだろう? そりゃ、給金を払えばメイドくらい雇えるけど、心まで捧げて呉れるメイドなんて、そうそういないよ。羨ましい話だね!」
「ば、馬鹿! そんな良いもんじゃねえんだよ!」
ガバッと才人が顔を上げ、マリコルヌに言い放つ。
マリコルヌはピキッと頬を引き攣らせると、グイッとワインを呑み干した。
マリコルヌの目が据わり始める。
「……“良いもんじゃ無い”? 舐めてるのか? 成金」
「な、成金だと!?」
「文句有んのか? 成金。110,000止めて、“貴族”に成っちゃったー♪ か? えっへっへどんなもんだい僕シュバリエー♪ か? おまけにもってもてー♪ か?」
「こ、此の……ぽっちゃりさんが……遣んのかっ!?」
才人がそう言うと、マリコルヌは酒に酔った頬に凶悪な笑みを浮かべた。
「面白い。遣って貰おうじゃないか。しがない成金の御前が、“貴族”の此の僕をどうするって?」
「く、くぉの……御前なんか、御前なんかなぁ………」
誰かが「サイトは強いぞ、止めとけ」と言った。
才人も胸を張る。
然しマリコルヌは何の躊躇いも見せる事も無く、シュヴァリエ・サイトを突き飛ばした。
「なっ!?」
「110,000の軍勢選りも怖いもん教えて遣るよ、僕ちゃん。良いか? 此方人等生まれて此の方17年……春夏秋冬朝昼晩……」
マリコルヌはピクピクと震えた後、思いっ切り才人を怒鳴り付けた。
「モテねぇえええええええええええええんだよッ!」
「……え?」
「モテねえ辛さが御前に理解るか? 110,000の軍勢だって逃げ出す恐怖だぜ。ああ、“竜”でも“エルフ”でも連れて来いや。そんなん、ただの甘ちゃんの戯言だぜ。怖くもなんともねえよ。モテねえ、其の事実の前にはよぅ……」
マリコルヌの魂の叫びに、才人は思わず後退った。
110,000の“アルビオン”軍の其れよりも迫力の有ると云える、魂の叫びで在ったためである。
太っちょのマリコルヌはまるで無敵の悪魔の様な雰囲気を滲ませ、才人へと詰め寄った。
「2人の女の子に言い寄られて、どうしたってッ!? おいこらッ! “平民”ッ!」
「えっと、其の……」
完全に才人は呑まれてしまい、モジモジと指を弄り始めた。
「貴様さっき何吐ったって、訊いてるんだよ。“貴族”様がよ、成り上がった“平民”風情に、御下問遊ばされてるんだよ」
「そ、そんな良いもんじゃ無いって……」
「聞こえねえ」
「良いもんじゃ、無い、です。はい」
マリコルヌは首を振った。
「貴様は侮辱してんのか? 此の僕を侮辱してんのか? 生まれて此の方17年、女の子から1度だって詩の一節すら贈って貰った事の無い、と言うか目を合わせたたけで、ぷ、とか笑われる人生を送って来た此の僕を侮辱してんのか? おい、教えて呉れよ。幸せってどんな味なのか“風上”のマリコルヌ・ド・グランドブレに教えて呉れよ。なあ」
見兼ねたギーシュが、マリコルヌの肩に手を置いた。
「マリコルヌ。君はちょっと呑み過ぎたみたいだな……ぐえッ!」
其の顔にマリコルヌの拳が減り込む。
ギーシュはヨロヨロと崩れ落ちた。
マリコルヌはどうやら酒乱の気が有るらしい。
「恋人が居る奴ぁ、此のマリコルヌに説教すんな。“風”選り速ええ、拳が飛ぶぜぇ……」
才人は其の鬼気迫るオーラに震えた。
「聞け。恋人が居る奴は一歩前へ。で、息すんな。貴様等は、僕の前で呼吸する権利すら無い」
無茶苦茶な理屈で在るのだが、其の迫力に“
何人かの生徒達が、そんなマリコルヌに頭を下げた。
「ご、御免……良く理解んないけど、兎に角御免」
マリコルヌは、唇をへの字に曲げ、小刻みに震え始めた。
「……すまないと想うんなら、出してよ」
「え?」
「女の子、出してよ」
才人達は、(そんな事言われても……)と顔を見合わせた。
「出して呉れたって、良いじゃないかよ。僕でも良いって娘、出してよ。否、寧ろ僕が好い娘、出してよ。僕じゃんきゃ駄目な娘、出してよ」
誰かが「人間じゃ無いなら……」と言った瞬間、マリコルヌの“魔法”が彼へと向かって飛んだ。“ドット”とは到底想えない程に凶悪な威力を持った“風魔法”で、其奴は派手に飛んでしまった。
「ねぇ。人間じゃ無いって、どういう事?」
「……ネ、猫とか。蜥蜴とか。一応、雌と雄は間違えない様に頑張るから」
弱々しい声で言った誰かを、マリコルヌは再び“風魔法”で吹き飛ばした。
「駄目だ……もう駄目だ。御前等、僕を完全に怒らせたな」
マリコルヌがワナワナと震える。
「隣の芝生は青く見える……」
「セイヴァー、御前もだ! シオンちゃんという恋人が」
「シオンは恋人では無く、“
其の時、格納庫の扉がバタン! と開いた。
腕組をしたルイズとモンモランシーを筆頭とする、女子生徒達で在った。其の中には、シオンはおらず、彼女は自室で待って呉れている。
彼女達は、才人やギーシュ、そして自分の恋人達に文句を付け始めた。
「いつまで呑んでるのよ? 門限8時でしょー!」
そう言ってルイズが才人の耳を摘む。
「ギーシュ。あんた今日、私に詩を読んで呉れるって言ってなかった?」
そう言ってモンモランシーが、床に伸びて居るギーシュを爪先で突く。
他の女の子達も「忘れたの? 今晩約束してたじゃない!」と騒ぎ始めた。
「ああ、すまない。彼等は俺が引き止めてしまったんだ。皆に非は無い。責められる謂れが有るとすれば、私だろう」
「ふーん、セイヴァー、あんたがねぇ~」
俺の言葉に、女子生徒達の皆に対しての態度は少しばかり柔らかいモノに成る。代わりに、俺は針の筵と云った風で在る。
「そうさ。上司の命令に逆らえ無い様なモノだ。余り責めないで遣って呉れ」
ルイズの言葉、そして他の女子生徒達の言動に、俺は謝罪をする。
眼の前で繰り広げられている、そう云ったイチャイチャを始めとした騒ぎに我慢が出来なく成ってしまったマリコルヌは絶叫した。
「僕にも女の子を出しえてよぉおおおおおおおおッ!」
次の瞬間、がぼッ! と板を張っただけの格納庫の天井が抜け落ちて、マリコルヌの上に何かが落ちて来た。
マリコルヌは思いっ切り下敷きに成ってしまい、ぐへっ!? と蜥蜴の断末魔の様な呻きを上げ、床に伸びた。
信じられない出来事を前に、周りの生徒達は目を丸くする。
落ちて来たのはなんと……青い長い髪の女性で在った。年の頃はヒトに換算して20歳くらいで在ろう。
騎士見習いの少年達は、眼を真ん丸に見開いて凝視した。
其の女性は素っ裸だったので在る。白い、雪の様な白い肌を惜し気も無く曝しているのだ。キョトンとした表情で、辺りをキョロキョロと見回すと、ヨロヨロと危な気な足取りで立ち上がろうとしたが……不器用に転がりそうに成る。
「きゅい……」
其処で、俺は手を差し伸べ、受け止める。
まるで生まれたての子鹿が初めて立ち上がる時の様に、青髪の女性はやっとの事で立ち上がった。然し一向に肌を隠そうとはしない。
女生徒達は、ムスッとして其々の恋人の目を塞ぎ始める。
ルイズだけは才人を蹴り回した。
其の女性は、キョロキョロと男子生徒達を見回す。
「きゅいきゅい!」
そして、彼女は叫んだ。
「逢えて良かった~~! きゅいきゅいきゅい!」
きゅいきゅいと騒ぎ乍ら、青髪の女性は俺を抱き締めてぴょんぴょんと跳ねた。
「知り合いなのか?」
「まあ、知り合いと言えば知り合い、だな……」
尋ねて来る才人に、俺は少しばかり濁して答える。
「大変なのね! 大変なのね! 大変ばのね!」
其れから青髪の女性は、才人の方へと向かい、抱き締めてピョンピョンと跳ねて叫んだ。
「一体何が大変なんだよ? と言うか御前誰何だよ? つうか服着ろよ! セイヴァー!」
「まあ、落ち着き給え」
大騒ぎをする皆に、俺は静かに言った。
モンモランシーが、「取り敢えずこれを着てよ」、と羽織って居た肩掛けを手渡した。
「御姉様を救けてなのね!」
青髪の女の子は、「御姉様を救けて!」と何度も喚いた。
「御前は一体誰なんだよ!? セイヴァー、紹介して呉れよ」
才人が尋ね、青髪の女性は困った様に首を傾げ口を開いた。
「えっと、其の、イルククゥ。御姉様の妹なのね。あ、御姉様っての此処で言うタバサ其の人なのね」
「タバサの妹だって?」
「まあ、妹と言えば妹か……」
一同は、青髪の女性の言葉に目を丸くした。
「妹……には見えないよな」
才人が腕を組んでそう言うと、イルククゥはきゅいきゅいと喚いた。
イルククゥは辿々しい言葉で説明を始めた。
タバサが裏切った結果、“ガリア王政府”は“タバサのシュヴァリエの地位を剥奪し、其の母親を拘束する旨”を伝えて来たという事。
タバサは母親を救い出す為に、単身で“ガリア”に向かった事。
然し、其処で圧倒的な“魔力”を誇り、操る“エルフ”に捕まってしまった事。
「で、俺達に救けて欲しいっていう訳か」
才人が言うと、きゅい、とイルククゥは首肯く。
胡散臭げな表情を浮かべ、ギーシュがイルククゥを見詰めた。
「……此の女性は、ルイズや君を襲った“ガリア”の手の者なんじゃないかね?」
ルイズが襲われた事を聞いたギーシュが、疑問の表情を浮かべ言った。
「タバサが囚われになって。其れを救けて呉れって言い分もなんだか怪しいわ。若しかして罠なんじゃゃないの?」
モンモランシーもまた疑いの眼差しをイルククゥに向かって投げ付ける。
イルククゥは困った様に、きゅい……としょぼくれ、俺を見る。
「怪しいんだよ! 御前! どう見たって妹には見えないんだよ!」
「其処は信じてなのね」
「やっぱり、“ガリア”の罠じゃないのかね?」
「いや、其れは無いから安心しろ」
ギーシュ達の言葉を俺は否定するのだが、1度膨らみ始めた猜疑心はそう簡単には縮み、払拭する事は難しいものである。
イルククゥは怒りを含んだ声でギーシュへと向かって言った。
「足りない癖に、生意気言うんじゃ無いのね」
「な、何だとぉ!?」
「証拠を見せるのね! きゅい!」
イルククゥは、俺から離れ小屋を飛び出して行った。
才人達が「何だ何だ?」と後を追い掛けると、暗闇の中に見慣れた巨体が現れた。
「シルフィード!」
其れは果たして、タバサの“使い魔”で在るシルフィードで在った。
「御前の御主人様は捕まちまったのか!?」
才人が尋ねると、シルフィードは大きく首肯いた。
「待ってろ! 直ぐに救けて遣るからな!」
シルフィードは嬉しそうにきゅいきゅい喚くと、喜びを表現する様に才人の頭を咥えて振り回す。
「此の“風竜”がそう言うんなら、信じざるをえないな」
「“使い魔”だもんね」
ギーシュとモンモランシーが顔を見合わせて、首肯き合う。
マリコルヌが、首を振り乍ら呟く。
「所でさっきの女の子はどうしたんだ?」
シルフィードは気不味そうに顔を逸らし、俺へと助けを求めるかの様に視線を向けて来る。
それから、シルフィードは羽撃き、夜空へと飛び上がった。
「何だ彼奴?」
暫くすると、暗がりからイルククゥが賭けて来る。
「何処行ってたんだよ?」
「ト、トイレなのね」
才人が尋ね、イルククゥは誤魔化して言った。
「と言うかあんた、タバサの妹の癖に、何で御姉さんより大きいのよ。其れに服着てないって普通ありえないでしょ?」
「ぎ、義理の妹なのね。服は……其の、シルフィード! から飛び降りた時に脱げたのね」
冷や汗を垂らさんばかりの勢いで在る。
才人は其の様子で此のイルククゥを理解した。
「少し、脳が可哀想な人なんだよ。疑ったら悪いよ」
ぽん、とルイズの肩に手を置いて、才人は真顔で言った。
「え? そ、そうなの?」
イルククゥは緊張と不満から居た堪れなくなったのだろう、両手を広げ、首を横にカクカクと動かす。
「きゅいきゅい」
「……そうみたいね」
其の仕草でルイズは納得した。
“王族”には何気に少し、何かが外れた人が多いので在る。
兎に角罠にしては、イルククゥは天然過ぎた。
というよりも、罠では無いのだが。
「所で、シルフィードは何処に行ったんだ?」
「あ、あの! あの娘は怪我してるのね。傷を治すために、ちょっと出掛けたのね」
「貴女も怪我してるじゃないの」
モンモランシーが、イルククゥの足の怪我に気付き言った。
モンモランシーは“水魔法”をイルククゥへと掛けるのだが、上手く塞がらない。
「結構酷い怪我なんじゃないの?」
然しイルククゥは首を横に振る。
「大した事ないのね! 直ぐに治るから大丈夫なのね!」
モンモランシーは首を傾げたが、自身の実力が低い所為だろうと考えたのだろう、切なげに唇を噛んだ。
一行はこれからの作戦を練るために、小屋へと戻って行く。
モンモランシーも後に着いて行く。
ホッとした様子を見せるイルククゥに、マリコルヌが話し掛けた。
「なあ。タバサの妹さんとやら」
「きゅい?」
「僕は、さっき、僕でも良い娘が欲しいよぉ! なんて怒鳴ったんだ。そしたら君が落ちて来た」
「きゅい」
「君は天が僕に与えて呉れた妖精かもしれないね」
マリコルヌは頬を染めて、イルククゥに手を伸ばした。
然しイルククゥはアッサリ其の手を無視して、逃げて来る様に俺へと寄り添う。
マリコルヌは、ふぉ~~~~ッ! と絶叫して、空を仰いだ。
星は、見えなかった。