ゼロの使い魔S   作:りおんざーど

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ヨルムンガント

 宮廷の応接間に迎えた客を見て、アンリエッタは暫し呆然としてしまった。

 濃い紫色の神官服に、高い円筒状の帽子は、彼が“ハルケギニア”中の神官と寺院の最高権威……詰まり“ロマリア”の教皇であることを示している。

 その地位は、“ハルケギニア”の各王よりも形式上ではあるが高いために、アンリエッタは上座に彼を迎えていた。

 しかし、その若い男の顔には、纏った神官服の欠片程も偉ぶったところがないといえるだろう。目元は優しく、鼻筋は彫刻の様に整っている。形の良い小さな口には常に微笑が湛えられているのであった。そして……誰もが振り返るであろう程に美しいのである。“ハルケギニア”中の劇場を覗いても、彼ほど美しい役者を見付けるのは困難であろうと想わせた。

 アンリエッタは、(その微笑みはまるで、慈“愛”に満ちた神のようね)との感想を抱いた。

「どうなされました? アンリエッタ殿」

 アンリエッタはハッとした様子で我に返り、恥ずかしげに俯いた。

「申し訳ありません。教皇聖下。聖下の御威光に打たれて、暫し感動しておりました」

 細い金糸の様な髪をサラサラと揺らして、“ロマリア”教皇は笑った。

「ヴィットーリオと御呼び下さい。私は堅苦しいばかりの行儀を好みません。それが元で、本国の神官達には、何時も叱られておりますがね。それに、威光と言うので在れば、彼の方が放っているではありませんか?」

 そう言って、教皇聖下――ヴィットーリオは、俺へと一瞥をくれる。

 この場――“トリスタニア”の宮廷の応接間には、4人いる。アンリエッタは勿論のこと、客人であるヴィットーリオ、シオンと俺である。

 シオンは、“アルビオン”の女王であり、「折角なので」とヴィットーリオの許しをえることができたために、ここにいるのである。

 俺はシオンの“使い魔”であり、“使い魔”とその主である“メイジ”は一心同体ということもあって、この場にいることを許可されていた。

「恐れ多いですわ。即位式には出席出来ませんで、大変失礼いたしました」

 ヴィットーリオ・セレヴァレこと、聖エイジス32世の即位が行われたのは3年ほど前の事である。“ハルケギニア”の各“王族”は揃って参列する慣わしであったのだが、アンリエッタは流行風邪を拗らせてしまい、出席する事が出来なかったのであった。

 聖エイジス32世……“始祖の盾”と呼ばれた聖者の名を受け継ぐ、32代目の教皇が、20歳を僅かに過ぎたばかりの若者であるということ、とんでもない美青年であると言い伝え聞いていたアンリエッタとシオンの2人である。

 アンリエッタは、想像以上の美丈夫を前に、正直な所圧倒されてしまっていたのである。

「構いませぬ。即位式など、ただの儀式です。貴女が、神と“始祖”の経験成る下僕という事に変わりはありません。それで私には十分なのです」

 この聖エイジス32世は、若いながらも“ロマリア”市民達の支持を熱烈に受けているという。その理由は、この包み込むかのような寛大な雰囲気にあるのかもしれないといえるだろう。

 アンリエッタとシオンにそう想わせてしまうほどに、この若い教皇には尊大なところなど微塵も感じさせないのであった。

 しかし……随分といきなり訪問であるといえるだろう。

 聖エイジス32世の“トリステイン”への行幸が伝えられたのは、つい2日前のことである。宮廷は突然の賓客に大わらわとなってしまった。教皇がわざわざ出向いて来るなど、滅多にないからである。アンリエッタの父王の戴冠式の折、先代教皇の来賓を賜ったのが最後であったのだが。

 そんな聖エイジス32世の突然の訪問の理由は、アンリエッタには判らなかった。

 母后と宰相マザリーニを交えての会食もそこそこにして、アンリエッタは人払いをして、応接間まで遣って来たのであった。

 俺とシオンは、“学院”にいたのだが、アンリエッタの遣いからその報せを聞き駆け付け、合流をしたのである。

「しかし、“ハルケギニアの二大華”と謳われた、アンリエッタ殿とシオン殿は本当に御美しい。御逢い出来て光栄至極に存じます。僧籍になければ、ダンスの1つも申し込みたいところです」

「御訊ねしてよろしいでしょうか?」

「何なりと」

「こたびの突然の御行幸の理由を、御教え下さいますか?」

 教皇が茶飲み話に来た訳ではないことは、明白である。

 するとヴィットーリオは、アンリエッタの質問に対して、深い溜息を吐き、答えた。

「アンリエッタ殿とシオン殿は、先立っての戦役をどう御考えになるか?」

 シオンの故郷であり現在統治する“アルビオン”での戦の事で在る。“レコン・キスタ”と名乗る“貴族”の連盟が、“アルビオン王家”を廃し、“王政”に頼ることのない全“貴族”の連合と、“聖地”の回復を掲げて始めた戦……。

 “トリステイン”と“ゲルマニア”の連合軍との“レコン・キスタ”のその戦いは、突然の“ガリア王国”の参戦によって、連合軍の勝利に終わったのだが……。

 アンリエッタから最“愛”だった人物――シオンから肉親を奪った戦。

 2人からすると、想い出したくはないであろう、辛い戦いであったといえるだろう。

 悲しそうに、アンリエッタは顔を伏せた。

「悲しい戦でありました」

「…………」

「もう2度と、あのような戦は繰り返したくはない。そう考えております」

「私も、アンリエッタ女王陛下と同意見です。ただ、“レコン・キスタ”に参盟した“貴族”の方々の意見も理解できるのです。彼等の中には、純粋に“聖地”の回復を望んでいた者、そうせざるをえなかった者もいたでしょうし」

 シオンは、俯き言った。

 ヴィットーリオは、満足そうに首肯いてみせた。

「どうやらアンリエッタ殿とシオン殿の2人は、私の友人であるようだ」

「どのような意味でしょうか?」

「その通りの意味ですよ。私も、あの戦では心を痛めたのです。義勇軍の参加を決意したのも、なるべく早く、無益な戦を終わらせたかったからです」

 アンリエッタの質問に、ヴィットーリオは微笑を湛え答えた。

 無益な戦……その言葉に、アンリエッタの心が強く反応した。

「益ある戦など、あるのでしょうか?」

 ヴィットーリオは、アンリエッタの言葉に大きく首肯いた。

「アンリエッタ殿の仰る通りです。益のある戦など、ある筈がない。常々、私はこう悩んでおります。神と“始祖ブリミル”の敬虔なる下僕である筈の私達が、どうして御互いに争わねばならねばならぬのかと」

 苦しそうな声で、アンリエッタは言った。

「私は政治家としては未熟ですが……人に欲ある限り、戦はなくならぬモノと考えております」

「“始祖ブリミル”も、欲の存在は肯定しております。欲、それ自身がヒトを人足らしめていると。なればこそ、自制が美しいのだと。我等神官が、妻帯に対する制約を設けたり、週に1度の精進を行っているのは、自制の在り方を忘れぬためなのです」

「全ての人が、聖下の様な自制が出来れば、この世から争い事はなくなるでしょうに」

 アンリエッタの言葉に、ヴィットーリオは首肯く。

「そうあれば、これ以上のことはないでしょう。しかし私は現実主義者です。我等“ロマリア”ほどの信仰を“ハルケギニア”の民に求めることの愚かさも、知り尽くしております」

「聖下の前で言う言葉では在りませんが、真に信仰が地に沈んだ、このようなな世の中ですから」

「セイヴァーさん、と言いましたか?」

「ええ、聖下」

 ふとヴィットーリオは、俺へと向けて来る。

「貴男はどう想われますか? 素直な意見を御聴きしたい」

「そうですね……アンリエッタ女王陛下、そして聖下の仰る通りでしょう。ヒトを人足らしめているのは欲望……その欲が在る限り、戦はなくなるということは先ずないでしょう。ですが、欲はヒトを人間として成長させるモノでもあります。また、欲がなくとも別の理由で戦というモノは幾らでも起こりえます」

「それはどういったモノでしょうか?」

「自身との違い、周りとの違い……同調弾圧からの迫害や圧政、そしてそれ等に対する反感からの反抗、革命……何にしろ、血が流す事を避けるということは先ず不可能に近いでしょう」

「…………」

「それでも、人は互いに歩み寄る事が出来る、失敗から学び前進する事が出来る生き物で在ると信じております。まあ、自分にはそのようなことを言う資格などある訳もないのですが」

「…………」

 暫く、ヴィットーリオは言葉を噤み……空を仰ぐようにして呟いた。

「この国は美しい国ですな。春に色付く田園、豊かな森、“水の国”の名に恥じぬ、美しい河川……“ロマリア”は水が乏しい。じつに羨ましい話です。このような美しい国を、戦火の中に巻き込む事は、神への冒涜としか想えませぬ」

「その平和を守ることが、私の使命、とそう考えております」

 アンリエッタは言った。

 その言葉に、シオンは首肯く。

 アンリエッタはそれから、(何だ、観光がてら実のない平和主義を説きに来たのね……“ロマリア”の教皇聖下も暇なことですこと)と軽くガッカリとした。

 壁に掛けられた簡易な造りの時計を見詰め、アンリエッタは立ち上がろうとした。

「では、部屋と召使を用意させますわ。好きなだけ御滞在下さいませ。御観学の際には、護衛も着けましょう」

 しかし、ヴィットーリオは立ち上がる様子を見せない。

「聖下?」

「そのアンリエッタ殿とシオン殿の使命を果たすための御手伝いをしに、今日は参ったのです」

 

 

 

 人払いをした中に、ヴィットーリオとアンリエッタ、シオンと俺の4人は遣って来た。

 春の陽光が射し込む宮殿の中庭には、“ガリア”の“リュティス宮殿”ほどではないが、花壇が築かれており、様々な花々が咲き誇っていた。

 花壇の隙間を縫うようにして設けられた小路を歩きながら、ヴィットーリオは押し黙った侭であった。

「私達に、見せたいモノとは?」

 痺れを切らした様子で、アンリエッタは言った。

 ヴィットーリオは、花壇の一角に気付き、しゃがみ込んだ。

「こちらを御覧ください」

 ヴィットーリオが示した場所では、蟻が群れていた。

「蟻がどうかいたしましたか?」

「赤い蟻と、黒い蟻が、餌を挟んで争っております」

 アンリエッタの言葉に、ヴィットーリオは首肯く。

 成る程、小さな羽虫の死骸を奪い合って、赤い蟻と黒い蟻の群れが争っているのである。必死になっているといった様子で、2種類の蟻の群れは争っている。

「小さな蟻の間でも、争いは存在するのですね」

 ヴィットーリオは、羽虫を取り上げると、2つに千切った。それを赤蟻と黒蟻、両方の群れへと投げ込んだ。

 次第に2つの群れの争いは収まり、其々の獲物を抱えて巣に戻り始める。

「御見事な仲裁ですわね」

「蟻は何に仲裁されたのか理解出来ていないでしょう。それは私が、蟻の知覚出来る以上に巨大な存在だからです。蟻にとって、人間は絶大な力を持っています。私がその気になれば、蟻の巣を滅ぼすこともできる。勿論、そんなことする積りはありませんが」

 アンリエッタの賞賛の言葉に、ヴィットーリオは何でも無いと云った様子を見せ、自説を口にする。

 そんなヴィットーリオへと、アンリエッタは再び質問をする。

「何が仰りたいのですか?」

「要は力なのです。平和を維持するためには。巨大な力が必要なのです。相争う2つの集団を、仲裁することのできる巨大な力が……」

 ヴィットーリオのその言葉に、シオンはピクリと、ヴィットーリオとアンリエッタの2人に気付かれることのない程度に眉を動かす。が、それだけであり、言葉を口に出すことはない。

「何処にそのような力が……?」

 アンリエッタはそう言い掛けて、目の色を変えた。

「そうです。アンリエッタ殿とシオン殿も御存知の、伝説の力……」

「何の事だか、私には理解りかねますわ」

 アンリエッタは咄嗟に恍けた。

 然し、ヴィットーリオは言葉を続けた。

「神は我等に力を御与えくださった。力というモノは、色の付いていない水のようなモノ。白くするも、黒くするも、人の心です」

「聖下、おお、聖下……」

 アンリエッタは首を横に振った。

「“始祖”の“系統”を御存知ですかな?」

「“虚無”ですわ」

「はい。偉大なる“始祖ブリミル”はその強大な己の力を4つに分け、秘宝と指輪に託しました。“トリステイン”に伝わる、“水のルビー”と“始祖の祈祷書”もそうです」

「ええ」

「また、それを担う可き者も、等しく4つに分けました。おそらく力が一極に集中する事を恐れたのでありましょう」

 アンリエッタはルイズのことを、シオンはルイズとティファニアの事をそれぞれ想い出した。そして、ルイズ達を付け狙う、未だ彼女等にとって正体の判らぬ“ガリア”の担い手を想う。そして、“アルビオン”でヒッソリと暮らす、“ハーフエルフ”の少女の事を想う。

 “アルビオン王家”の忘れ形見で在るシオン、とその少女。ティファニアは、詰まる所、シオンやアンリエッタの従姉妹に当たるといえるだろう。

 アンリエッタは、「慎ましやかに暮らすのが、彼女の幸せだ」と聞いたためにソッとして置いたのだが……(それで彼女は大丈夫なのかしら?)と想い、シオンの方へと目を向けた。

 アンリエッタを、そんな想いから現実の会話が引き戻す。

「その上で、“始祖”はこう告げたのです。“4の秘宝、4の指輪、4の使い魔、4の担い手……4つの4が集いし時、我の虚無は覚醒めん”」

「何と恐ろしい力で在りましょう」

「言ったでしょう? 神が御与えになった力です。白に黒になるも、人次第です」

「過ぎたる力は人を狂わせます。私は母からそう習いました。私もそう想います。出来ることなら、ソッとしておきたいのです」

「その状態で何年、我等は無益な争いを繰り広げて来たのですか?」

 アンリエッタとシオンは言葉を失ってしまった。

 “ハルケギニア”の歴史は抗争の歴史ともいえるだろう。まさにその通りであったのだから。

 ヴィットーリオは、ポケットから何かを取り出した。いろとりどりの飴玉であった。

 それを、蟻の群れへと投げ込む。

 蟻達は、突然の恵みに夢中になった様子を見せる。大量の飴玉に取り付き始める。先程の様に争いは起こらない。これだけの量があれば、争う必要などないからである。

「強い力には、それに見合う行き先が必要です。我等はそれを、既に持っているではありませんか」

「行き先?」

「今投げた飴玉が何か、理解りますか?」

 アンリエッタは首を横に振る。

「理解りませぬ」

「“聖地”です」

 ヴィットーリオは告げた。

「……“聖地”」

 “エルフ”が守る、“始祖ブリミル”が光臨したとされる土地。“ハルケギニア”中の王国が何度も連合を組み奪回を目指したが、終ぞ果たす事が出来なかった土地……。

「“聖地”は、ただの聖なる土地ではありません。そこは我等の心の拠り所なのです。拠り所なくして、真の平和はありません」

「でも……“エルフ”は強力な……」

「“先住魔法”を使う。そうです。“ハルケギニア”の王達は、何度も敗北しました。しかしながら、彼等は“始祖の虚無”を持っておりませんでした」

「……また争うのですか? 今度は“エルフ”と? 仰ったではありませんか!? もう争いは沢山だと!」

「強い力の存在は争う事の愚を、“エルフ”達にも知らしめてくれるでしょう。強い力は使うモノでは在りません。見せるためのモノであるのです」

 ヴィットーリオは、力強い目でアンリエッタとシオンを見詰めた。その目には、些かの曇りも感じる事が出来ない。ただ、己とその信仰に絶対の自信をおく、聖職者の目で在った。

「……見せるためのモノ?」

「そうです。我等は“エルフ”達と、平和的に交渉するのです。そのためには何としてでも強大な力……“始祖の虚無”が必要なのです」

 アンリエッタは、この若い教皇の考えに引かれて行く自分がいることに気付いた。現実的で、無駄が殆どなく……そして見果てぬ理想への憧れを感じたからである。理想と現実、相反する事柄に、必死に折裏を見付けようとする苦悩を感じられたからである。

 それは今現在のアンリエッタの姿でもあった。

 だが、どうしてもアンリエッタは踏み出す事が出来ないでいた。

 勇気が、アンリエッタの中から出ないのである。

 そんなアンリエッタを見て、教皇は笑みを浮かべた。少年の様な笑みである。

 少年は大人になる前に1度は、このようなな壮大な理想を持つという。その理想は大人になるにつれて、現実に呑み込まれて行ってしまうのである。

 しかしこの教皇は、その少年の侭大人にでもなったかのような……アンリエッタに、そう感じさせた。

「聖下の御話は壮大過ぎて……人の身である私には、それが正しいのかどか判りかねます。暫しの御時間を頂けますか?」

「アンリエッタの仰る事は大変御尤もです。しかし、あまり猶予がありません」

「猶予とは?」

「“ガリア”です。哀しい事に、かの国は信仰なき男に治められている。民の幸せ選り、己の欲望を是とする狂王が支配しております。アンリエッタ殿、シオン殿、私達には、御互いの真の味方が必要なのです」

 アンリエッタとシオンの脳裏に、“ガリア”国王ジョゼフの姿が浮かんだ。諸国会議での折の人を喰ったかのような態度。何度もルイズ(虚無)を付け狙った野心家。実の弟で在るオルレアン公を虐し、姪で在るタバサに非道を繰り返した男……。

 だがシオンには、それだけではない、と想う何かがあった。

「御心当たりがあるでしょう? かの男に、“始祖の虚無”を与える訳にはいきませぬ」

「はい」

 アンリエッタとシオンは首肯いた。それだけは全く、同意する事が出来たのである。

「神と“始祖”の下僕たる“ハルケギニア”の民の下僕である教皇として、私は貴女達に命じます。御手持ちの“虚無”を1つの所に集め、信仰なき者共拠り御守下さいますよう」

 ヴィットーリオは、アンリエッタとシオンへとそう言い、それから俺にも目を向けた。

 

 

 

 アニエスは、2人の女王と教皇の中庭での会談をジッと見守っていた。

 周りには“銃士隊”の面々も見える。

 彼女達は、遠巻きに護衛を行っているのであった。

 会議は漸く終わったらしく、アンリエッタは小さく手を動かし、アニエスを呼んだ。

 アニエスは女王の元へと向かい、膝を突いた。

「隊長殿、教皇聖下が御休みになります。御部屋に御案内して下さい」

「御意」

 立ち上がり、アニエスは教皇の前に進み出た。

「聖下、御案内仕ります」

「御苦労様です」

 顔を上げたアニエスは、聖エイジス32世の顔を見て息を呑んでしまった。いつも崩すことはないであろう冷静沈着な軍人としての仮面が掻き消えてしまい、その目が丸く見開かれる。

「どう為さいましたかな?」

 優し気なヴィットーリオの言葉で、アニエスは慌てて頭を垂れた。

「し、失礼をいたしました」

 アニエスは、激しい動悸を感じながら……歩き出した。一瞬で20年前に引き込まれたかのような、そのようなな気がしたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ルイズ、授業に行くぞ」

 才人は、ルイズを起こそうとした。

 しかし、ルイズは毛布を引っ冠った侭ベッドから出て来ない。

「起きろよ」

 才人は毛布を引っ張った。

 しかし、ルイズに強く引っ張り返されてしまうのである。

 どうやらルイズはベッドから出て来る気はないらしい。

 そんなルイズの様子を見ていたシエスタが、才人の肩をツンツンと突いた。

「ん?」

 シエスタは才人に抱き着くと、大声を出した。

「そんな!? サイトさん! 朝からそんな!?」

 それでも、ルイズがベッドから出て来る気配はない。どうやらかなり落ち込んでしまっている様子である。

「なあルイズ……そんなに落ち込むなって」

 スッとシエスタは才人から離れ、呟くように言った。

「サイトさんが、ミス・ヴァリエールが落ち込むようなことするからです」

「は? してないよ。俺」

「嘘ばっかり。だったらどうしてこんなにミス・ヴァリエールが落ち込むんですか? あの女の子に何をしたんですか?」

「あのなあ、俺は字を教えて貰ってただけだって!」

「ホントですか?」

「当ったり前だろ。何で俺がタバサにそんな事しなきゃならないんだよ。ルイズは、“魔法”の調子が悪くて落ち込んでいるんだろ。ほら、ルイズ。ちょっと調子が悪いくらいで、何だよ?」

 才人はユサユサとルイズを揺さぶった。

「サイトさん」

「ん?」

「あんな小さな娘が……成る程、そういう御趣味だったんですね。母が言ってました。“必要以上に若い娘が好きな男は、将来やらかすよ”って」

「あのね」

「でも、そんなやらかすであろうサイトさんが……私……」

 シエスタはポッと顔を赤らめたために、才人は頭が痛くなった。

「兎に角ルイズを起こさないと……ほらシエスタ、そっち持って」

 才人とシエスタは、協力し、「いっせーの」で毛布を引き剥がした。

 毛布にくっ付いて、ルイズがゴロン、と床に転がった。

 昨日のベビードールの上に、ネグリジェを羽織った妙な格好であった。夜は冷えるために、シエスタが着せてやったのである。

「おいルイズ。朝だぞ」

「ふにゃ」

 才人に頬をピチャピチャと叩かれるも、ルイズはほぼ無反応である。ただボンヤリと天井を見詰めるのみといった様子である。

「うわあ、ホントに抜け殻みたいになってますわ」

 シエスタは、ルイズを突いた。

「ふにゃ」

「ミス・ヴァリエール、起きて下さーい」

「ふにゃ。ふにゃふにゃ」

「わ、結構面白いです」

 シエスタはルイズを突き回し始めた。

 しかしルイズはされるが侭である。

「参っちゃったな……なあルイズ、誰だって調子の悪い時はあるよ。そんなに落ち込むなって」

 するとルイズは、やっとの事で口を開いた。虚ろな、独り言の様な声である。

「駄目よ。あれから何度やっても“虚無”が撃てないの。というか何を唱えても爆発すらしない。今までそんなことなかったわ」

「調子が悪いだけだよ」

 しかし、そんな才人の慰めは、床に伸びるルイズには届かない。

「どうしよう……? “虚無”だけが私の全てなのに……それが失くなっちゃったら、また“ゼロのルイズ”じゃない……」

「振り出しに戻る、で良いじゃねえか」

 しかしルイズにはもう応える事が出来ない。その視線は、やはりボンヤリと虚空を彷徨っている。

「デルフー」

 才人はデルフリンガーに尋ねてみることにした。

 最近、というよりも、ほとんど毎日放っておかれていることの多いデルフリンガーは、当然不機嫌そうな様子で答えた。

「あんだよ? もうホント、訊きたいことがある時だけ呼ぶんじゃねえーよ。斬りたいモノがある時だけ抜くんじゃねーよ。もう俺に飽きたんだろ?」

「良いから。ルイズが“虚無”を撃てなくなった訳を教えてくれよ」

「“精神力”が切れたんだろ」

「成る程。何だっけ、眠れば回復するんだっけ?」

「いや、“虚無”の場合はそう事は単純じゃねえな。普通の“系統魔法”なら、何日か寝れば大体回復するが……“虚無”は今までコツコツと溜めて来た分を消費する。ほら、ルイズがいつだから巨大な“エクスプロージョン”を撃っ放しただろ?」

「ああ、あの巨大戦艦を沈めた奴か」

「あれは、生まれて此の方ずっと溜まって来た“精神力”を消費して撃っ放したんだ。だからあんだけ大きな奴が撃てたのさ。それからは、少しずつ残りの“精神力”を消費して来たんだろう。2度とあんなデッカイ奴は撃てなかっただろ?」

 才人は、デルフリンガーの言葉に首肯いた。

 あれだけ巨大な光の球などは、あれっ切りで在り、他にはまだ御目に掛かっていないのである。

「じゃあ、またコツコツ溜めれば良いだけの話だろ」

「でもなあ、再び“虚無”が撃てるようになるにはどんだけ掛かるか判らねえ。1年か、2年か……はたまた10年か」

「そりゃ気が長い話だな」

「強いってことは、それだけ使い辛いってことさ。例外はいるみたいだけどな」

 才人は、“聖杯”が“魔力”を貯める年月などを想い出した。それからルイズを見詰める。

 ルイズは床にグテッと伸びて、泣き腫らしたかのように目を赤くしている。

 そんなルイズを見ていると、才人は切ない気持ちになってしまった。

「なあルイズ、暫く休もうぜ。御前は十分に働いたよ。神様が休めって言ってるんだよ」

「……そういう訳にはいかないわ」

「何で?」

「こうしている間にも、何処で誰かが善からぬ事を企んでいるかもしれないじゃない。あんたの帰る方法だって探さなくちゃならない。やらなきゃならないことは一杯あるじゃない。なのに……これじゃ私ただの役立たずじゃない……」

 ルイズは再び泣き出してしまった。

 そんなルイズをシエスタが慰める。

「そんな……ミス・ヴァリエールは役立たず何かじゃありませんわ。こんなに愛らしいじゃありませんか。そこにおられるだけで、皆を慰める御力を御持ちで御座いますわ。ほら、泣き止んでくださいな」

 しかしルイズは泣き止まない。

 そんなルイズが可哀想に想えたのだろう、シエスタも同様に泣き出してしまった。

「なあ、ルイズ。それなら、シオンやセイヴァーに相談してみようぜ? きっと、何か良い案とか解決方法が貰えるかもしれないしな」

 才人が、(さて、どうしたもんか?)と頭を悩ましながらそう口にしたその瞬間……。

「サイトォ~~~! 御下命が来たぞ! 我が“水精霊騎士隊”に、陛下の御下命だ!」

 ギーシュが飛び込んで来た。

「御下命?」

「そうだ! ルイズと、我等“水精霊騎士隊”に直々の御下命さ! 嗚呼良かった! 罰こそ頂かなかったが、陛下の御不興を買ってしまったかと戦々恐々としてたんだ!」

「御前のどこが戦々恐々としてたんだよ? 馬鹿騒ぎしてた癖に」

「そんな意地悪言うなよ。顔では笑っていても、心中穏やかじゃなかったんだぜ。兎に角、そんな僕の心配は杞憂だったみたいだな。僕達に対する、陛下の信頼は揺るがなかったというところだね」

「で、姫様は何だって?」

「兎に角御城に来てくれとのことだ。嗚呼、参ったなぁ。また授業に出れないではないか!」

 嬉しそうにギーシュは身震いをした。

 才人は、ルイズの状態もあって、面倒事は遠慮したいところであった。がしかし……無断越境を赦してくれたアンリエッタの頼みを無碍にし、断ることなど出来る筈もない。

 才人は素早く支度をした。といってもデルフリンガーを背負っただけであるのだが。

「他の皆は?」

「取り敢えず、僕と君と、ルイズだけで良いみたいだな」

「ルイズは良い」

「え? 何でだい?」

「行くわ」

 スクッと、ルイズは立ち上がった。

「無理すんなよ。調子悪いんだからよ」

「調子が良かろうが悪かろうが関係ないわ」

「一体、どうしたんだね?」

 ギーシュが、怪訝な顔で2人を見詰める。

「いや、こいつな? 今、“呪文”が……あいででっ!?」

 いきなりルイズに股間を蹴られてしまい、才人は悶絶した。

「……余計なこと言わないで。姫様は何か御困りなのよ。私が行かないでどうするのよ」

 その時、窓から1羽の梟が飛び込んで来た。

「あら。トゥルーカス。どうしたの?」

 その名前に才人とシエスタは覚えがあった。が、上手く想い出せず、(何処だっけ?)と頭を捻る。

 トゥルーカスは、ルイズに一通の封筒を手渡した。

「ルイズ様に御手紙です」

「手紙?」

 ルイズはその手紙を読み始めた。一瞬、顔が輝いたのだが……再びその顔が曇って行く。それから、見る見るうちに蒼白になっていった。

「どうしたんだよ? 誰からの手紙だよ?」

 才人の質問に、ルイズは答えない。

 ルイズはその手紙をポケットに捻り込むと、着替えるためにヨタヨタと歩き出した。

 

 

 

「おい、御前、ホントに大丈夫なのかよ?」

 厩で、自分の馬に鞍を付けながら才人尋ねたのだが、ルイズは答えない。

 ルイズは、キュッと唇を真一文字に結んで、黙々と馬に跨った。

 才人が、(やれやれ、簡単な任務だと良いなあ)と思いながら校門を潜ると、空からシルフィードが降って来て、一同の前に着陸をした。

「何だよ!? 御前達!?」

 見ると、タバサとキュルケが乗っている。

「私も行く」

 そう口を開いたのは、キュルケではなくタバサで在った。

「この娘、窓から貴方達を見掛けたら、直ぐに飛び出して行くんだもの。びっくりしたわよ」

 キュルケが両手を広げて言った。

「な、何で御前が?」

 才人は少しばかり驚き、言った。

 昨晩、熱心に字を教えてくれたことといい、随分とタバサは才人へと協力的であるといえるだろう。

「愚問ね。貴男に救けて貰ったからでしょ」

「別に救けたのは俺だけじゃないよ」

 才人は言った。

「きっと、貴男は特別なのよ」

 キュルケがニヤッと笑いながらそう言った。

「ルイズ、乗せて行ってくれるってよ」

 才人はルイズに呼び掛けた。

 しかしルイズとくると、心ここにあらずといった風情である。馬に跨った侭、1人先に行こうとしている。

「おいルイズ。馬で行か無くても良いだろ。運んで呉れるって言うんだから、シルフィードで行こうぜ」

 才人がそう言っても、ルイズは馬に鞭を打ち疾走り出してしまう。

「何だあいつ?」

 ルイズは、先程、手紙を読んでから態度が更に変になってしまったといえるだろう。

 才人は、(いや、いつもルイズは変だしな)と想いながらギーシュに続いてシルフィードに飛び乗った。

 シルフィードは勢い良く羽撃いて、空へと駆け上がった。

 眼下を見遣ると、ルイズは前のめりになって、パカラッパカラッ、と必死な様子で馬を疾走らせている。

 当然放っておく訳にもいかず、才人はシルフィードに頼んだ。

「シルフィード、彼奴も乗せてやってくれよ」

「きゅいきゅい」

 嬉しそうにシルフィードは鳴くと、降下してルイズと跨った馬を一緒くたにして咥え上げた。

 “竜”に咥えられた馬は驚いて、ヒヒーン! と鳴き叫んだ。

 シルフィードは器用に長い舌を動かして、ルイズだけを背中へと放り込んだ。

 どでっ! と涎だらけになってしまったルイズを、才人は抱き留めてやった。

 そんな風に乱暴な扱いを受けているというのに、ルイズはというとと文句を言う訳でもなく、肩を抱いてブルブルと震えていた。

「ん? どうしたの? この娘」

 才人は、(さっきの手紙に何て書いてあったんだろう? “虚無”に関する事で、誰かに何か言われたのか?)と気に成った。それから、先程の梟の正体をここで漸く想い出す事ができた。

 あれはルイズの実家にいた梟で在る。いつぞや、カトレアの馬車の中であのトゥルーカスが飛んで来た事を想い出し、才人は膝を打った。

 才人は、(あの厳しい家族の誰かに、何か言われたにちがいないな。その手紙の内容は、きっと“精神力”が切れて、“虚無”が撃てなくなったルイズにとって、追い打ちを掛けるようなものだったんだろ)と見当を付けた。

 取り敢えず、自分から話して来るまで、ソッとして置こうと才人は判断した。

 

 

 

 “王宮”に到着した一行を待ち侘びていたのは、随分と悩んだ様子を見せるアンリエッタであった。

 女王は“水精霊騎士隊”の面々を見詰め、「ようこそいらしてくださいました。貴方方に御頼みしたいことがあるのです」と言った。

「何の様な御用命で御座いましょうか?」

 膝を突いたギーシュに、アンリエッタは頼み事を打ち明けた。

「“アルビオン”の“虚無の担い手”を、ここに連れて来て頂きたいのです」

「ティファニアを?」

 才人が驚いた声で言うと、アンリエッタは深く首肯いた。

「……シオンとセイヴァーさんの保護もあるとはいえ、やはり、“虚無の担い手”を1人住わせておく訳には参りませんから。それに彼女は“アルビオン王家”の忘れ形見……いえ、詰まりはシオンと私の従姉妹ではありませんか。やはり放っておく訳にはいきませぬ、ルイズ、貴女を襲った様に、いつなんどき“ガリア”の魔の手が伸びるやもしれませぬ」

「彼女は1人じゃありませんよ。孤児達と一緒に暮らしてるんです。ティファニアは彼等の御母さん代わりなんだ」

「ならば、その孤児達も連れて来てください。生活は保証いたしましょう」

「でも、“アルビオン”の、シオンが治めてる国にいるんですよ? そんな勝手に……」

「大丈夫です。昨日、シオン女王陛下から許可を頂きました。彼女達を先ず、“アルビオン”国籍とし、そしてその次に我が“トリステイン”へと留学、迎え入れる手筈となっております。彼女達自身の意思を訊かず勝手なこととは理解しておりますが……」

 才人の言葉に、アンリエッタは既に行動を済ませていることを教えた。

「……理解りました。それほどに御心配なら、連れて来ますよ」

「有り難う。御願いするわね」

 アンリエッタの気持ちと行動などを聞き、才人は首肯いた。

 アンリエッタは深い溜息と共に、椅子に肘を突いた。

 その様子に、才人は首を傾げた。

「何か御心配事でも有るんですか?」

「いずれ話します。今は急いで下さいまし」

「“フネ”で行ったら時間が掛かるよなぁ……」

 すると、後ろに控えたタバサが、小さく呟いた。

「シルフィード」

「そうだ。シルフィード成ら、“フネ”より速いぞ」

 ギーシュも首肯く。

 アンリエッタはタバサに気付き、その手を取った。

「“ガリア”の姫君で御座いますわね。御協力を感謝いたします。いずれ改めて、貴女の御境遇と今後の身の振り方を相談させてくださいまし」

 タバサは小さく首肯いた。

「帰りには、“ロサイス”まで“フネ”を用意させましょう。兎に角、早く“アルビオン”へ向かってくださいまし」

 アンリエッタは、深く悩んでいる様子で、そう一行に告げた。

 才人は、ルイズとアンリエッタを交互に見詰めた。

 仲良しの2人が口を利かないのは珍しい事なのである。御互い、心ここにあらずといった風情である。それほどに心悩ましてしまう事態が、2人の心には渦巻いていあるのであった。

 才人は、(一体、それって何々だ?)と気になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 海沿いの“ガリア”の街、“サン・ロマン”。

 “ガリア”空海軍の一大拠点であるここには、“ハルケギニア”の各空軍基地と同じように様々な建物が並んでいる。鉄塔の様な空飛ぶ“フネ”の桟橋を始め、煉瓦造りの建物が幾つも並んでいるのである。

 市街地から離れた一角に、その建築物はあった。煉瓦と漆喰で造られた土台の上に木枠と帆布で組み上げられた、円柱を縦に半分に切って寝かせた様な建物である。

 周りには衛兵が立てられており、近郊の市民達が容易に近付く事が出来ないようになっている。

 一隻の巨大な“フネ”が、その建物の前に建てられた鉄塔へと近付いた。

 歩哨に当たっていた兵隊が其の“フネ”を見上げ、「やぁ、“シャルル・オルレアン”じゃねえか」、「相変わらずでっかい“フネ”だなあ」、と呟く。

 3年前に亡くなった王弟の名が付けられたその“フネ”は、“ガリア”王室の御召艦である。全長500“メイル”。そしてその全長は、“アルビオン”空軍の“レキシントン号”が沈んだ今となっては、今現在確認出来る中では“ハルケギニア”最大の艦であるといえるだろう。

 しかし、進空したのがつい最近のために、戦闘力という点では艦齢の古かった“レキシントン号”より遥かに勝っているといえるだろう。片舷120門、合計240門もの大砲を備え、数々の魔道具を改良した武器が備え付けられたその艦は、“ハルケギニア”最強国“ガリア”の象徴であるともいえた。

 マストに翻る王室の座上旗を見て、衛兵は息を呑んだ。

「おい、旗を見ろ。王様が乗ってなさるぜ」

「ホントだ。何だ、こんな田舎に視察かい」

 衛兵は、暢気な声で呟く相棒に目を細めてみせた。

「この実験農場が出来てから此方、変じゃねえか?」

「何がだね?」

「だってよ、怪しい連中が次から次へと遣って来るじゃねえか。遂には、王様の御出ましだ。ここだけの話だがな、イルマンの奴が“エルフ”を見たって言ってたぜ」

 低い声で、相棒が呟いた。

「“エルフ”? 幾ら何でもそりゃ嘘だろ。あの酔いどれのイルマンの言うこと何ざ、当てになるかい」

「いやいや、それが本当らしい。そん時ゃ珍しく素面だったそうだ。夜中に取り巻きを引き連れて、この実験農場の中に入って行ったって。帽子の隙間から、長い耳が覗いてたって言ってたぜ」

 相棒は震えた。

「怖がらせるない」

 “フネ”が鉄塔に取り付き、集まった基地就きの楽団が王を迎える演奏を開始した。

 儀仗兵が鉄塔から延びる石畳の通路の左右に並び、“杖”やマスケット銃を構える。

「あの“無能王”は、こんな建物を御っ建てて一体何を考えていやがるんだ?」

「でもってよ……」

 相棒は後ろを振り向いた。

 彼等が守る、巨大な実験農場を見上げ、彼は呟く。

「この中では一体、何を遣って遣やってやがるんだ?」

 

 

 

 実験農場の中に入ったモリエール夫人は、その気温に眉を顰めた。

 中はまるで蒸し風呂とでもいっても良い状態である。

「暑いですわ」

 そう呟いて、モリエールは傍らの愛人を見上げる。

 しかし、美髯の王は全く暑さを感じていないといった様子を見せている。

 側に控えた学者風の男が、弁解するように呟いた。

「申し訳ありませぬ。空気や音を逃さぬように、この建物は帆布で全体を覆っているのです。中の空気は春の陽光に熱せられるだけ、熱されておりまする。無数の釜戸に加えて、溶鉱炉まで御座います。暑さはいかんともし難いでしょうな」

「一体、ここで私に見せて下さるモノは何ですの?」

 気味が悪そうに、モリエールは呟いた。

 怪しげな瓶やら鍋やらが沢山並んでおり、“メイジ”の研究員達が一所懸命になって何やら実験を行っているのが見える。その側では大きな溶鉱炉がグツグツと煮え滾り、真っ赤に溶けた鉄が鋳型に流し込まれている。

 研究者風の男達が幾人も行ったり来たりを繰り返しては、忙しなく働く作業員達に何事か支持を与え、立ち去って行く。ここで働く誰もが、そう言い含められているのであろう、近付くジョゼフにさえ関心を払おうとする様子は見受けられない。

 その一角を過ぎると、何本もの大きな金床が並んでいた。

 そこでは、何人も鍛冶師が取り付き、10“メイル”四方はあろうかという鉄板を打ち出していた。膨大な量の鉄板が積み上げられている。

「あんな大きな鉄板を、どうなさる御積りなんですの?」

 モリエールが尋ねると、ジョゼフは美髯を揺らして答えた。

「鎧を造っているのだ」

「まあ! 誰がそんな大きな鎧を着るのですか?」

 しかしもう、ジョゼフは答えない。

 その内に一行は、建物の中心部と想われる、開けた場所に着いた。

 そこには貴賓席が設けられており、ジョゼフの到着を待つ腹心達が控えていた。

「御待ちしておりました。ジョゼフ様」

 そう言って恭しく頭を下げたのは、深いフードに顔を埋めた細身の女であった。モリエールも、何度か宮廷で見た事のある姿である。

 モリエールは、その女に何か冷たいモノを感じ取り、ソッとジョゼフに寄り添った。

「おおミューズ! 余のミューズ!」

 然しジョゼフは、そのフードの女性へと駆け寄ると、強く抱き締めた。

 ミューズと呼ばれたフードの女性の唇が、歓喜の形に曲がる。

 モリエールは、眉を顰めた。

「例のモノが完成したと聞いてな。このように飛んで参ったのだ」

「ビダーシャル卿の協力あってこその成功です」

 ミューズの隣に立った男は、痩せ過ぎといえる身体を僅かに折り曲げ、ジョゼフへと礼をした。大きな帽子を冠っているためだろう、やはり顔を見る事は出来ない。小さな口のみが、僅かに覗いている。

「おおビダーシャル! よくやってくれた! 難航していた“ヨルムンガント”の作成に、よくぞ協力して呉れた!」

「我は、任務を達成出来なかったからな」

 詰まらなさそうな声と調子で、ビダーシャルは言った。

 その言葉遣いに、モリエールは更に眉を顰めた。

 王とも思わぬ言葉遣いであったのだが、ジョゼフは気にした風も無い様子である。

「なに、この“ヨルムンガント”の完成で、そんな些細な失態など帳消しだ」

「ですが陛下、姪御が“トリステイン”の手に渡るのは、余り面白くない事態と申せましょう」

「あの“トリステイン”の小娘に、この余に歯向かう度量などあるモノか。捨て置け。警戒すべきは、“アルビオン”の小娘とその“使い魔”よ」

 そう言ったジョゼフであるが、新しい玩具に夢中だといった様子を見せる。

 モリエールは、この美髯の王が夢中になっている“ヨルムンガント”とは一体何なのか、興味が引かれた。

「陛下、教えてくださいまし。一体その、“ヨルムンガント”とは何ですの?」

「いつか貴女が余にくださった騎士人形を覚えているか? あれだよ」

「騎士人形で御座いますか?」

 モリエールは、(ただの玩具の人形を造るために、この王はこんな仰々しい建物を建てたのかしら?)と呆気に取られた様子を見せる。同時に、(この王ならそれをやりかねないわね)とも想った。あれほどまでに大きな箱庭を作り、一日中戦争ごっこに興じているジョゼフであるためだ。

「まあ見ておれ」

 ジョゼフは用意された椅子へと腰掛ける。

 隣にモリエールも座った。

 開けた場所が、一行の眼の前には広がっている。古代のコロシアムを想起させるような、円形の造りであった。

「一体ここで、どんな出し物が始まりますの?」

「余興だ。余興だよ! 実に楽しい余興が今から始まるのだ」

 ジョゼフは、少年の様な目で、眼の前のコロシアムを見詰める。

 モリエールもジッと待っていると……西側に設けられた柵が開き、中からズシン! ズシン! と地響きを立てて、高さ20“メイル”はあろうかという巨大な“ゴーレム”が現れた。

「土“ゴーレム”ではありませんか」

 見せたいモノはこれなんだろうか、と少しガッカリとした声でモリエールは言った。

 成る程確かに見事だといえる“ゴーレム”ではあるのが、この時代土“ゴーレム”など珍しくもなんともないといえるのだからして。

 土“ゴーレム”は合わせて3体現れた。

 1体がコロシアムの隅の置かれた大砲を持ち上げた。その大砲を操作して、まるで拳銃でも扱うかのように、火薬を詰め、弾を込める。

 その動きに、モリエールは息を呑んだ。

 “ゴーレム”は本来、大きくなればなるほどに、歩く、壊すといった単純な動きしか出来ないモノであるのだ。

 あのような巨大さで、器用な動きが出来る“ゴーレム”は珍しいのである。

「“西指花壇騎士団”の精鋭達が造り上げた、“スクウェア・クラス”の土“ゴーレム”で御座います」

 ミューズがそう説明する。

「あの“ゴーレム”が、“ヨルムンガント”なのですか?」

 しかしもう、ジョゼフは答えにあ。

 その時。

 ジョゼフの唇の端が持ち上がり、猛禽類の様な顔付きになった。

 東側の柵が開き、一回り大きな“ゴーレム”が現れたのである。

 モリエールの目が、大きく見開かれる事になった。小さく、声にならない呻きを、彼女は漏らしてしまう。

 それほどに現れたモノは巨大であるばかりではなく、禍々しい雰囲気を放っているのである。

「な、何ですの? あれは……」

 全長25“メイル”にも達しようかという、その巨人モドキは、まるで人がローブを纏うかのようにして、帆布で身体を包んでいる。天井にも達しようかという大きさをしているのである。

 しかし、見るからに、元来の“ゴーレム”とは動きが違うであろうことが見て取れる。

 一歩、巨人が歩く。

 ズシン! と地響きが響き、モリエールの座っている椅子が揺れた。

 しかし、無骨なのは音だけであり、まるでヒトであるかのように滑らかで流れるような優雅な歩みであった。

「あ、あんな風に滑らかに歩ける“ゴーレム”がいるなんて……」

 モリエールは呟く。

「滑らかに歩けるだけではない」

 ジョゼフが歓喜に耐えぬ、といった面持ちで呟く。

 3体の“ゴーレム”は、腰を低く落とすと、現れた巨大“ゴーレム”――“ヨルムンガント”を取り囲むように動いた。

 左右の“ゴーレム”が、動いた。

 巨体に似合わぬ素早さで、“ゴーレム”は拳を繰り出す。

「ひっ」

 大きな土煙が舞い、モリエールは思わず目を閉じる。

 “ヨルムンガント”が、左右から巨大“ゴーレム”に押し潰される光景が、モリエールの瞼の裏に浮かび上がった。

 モリエールが恐る恐る目を開くと……そこには驚くべき光景が広がっていた。

 “ヨルムンガント”が、左右から繰り出された“土ゴーレム”の拳を、ガッチリと掴んでいたのである。

「何て力……」

 そんな感想を抱いた後、更に恐るべき光景が、モリエールの目を襲った。

 “ヨルムンガント”は、左右の“ゴーレム”を引っ張り、自らの前で打つけ合わせてみせたので在る。

 先程とは比べモノに成ら無い土煙が舞い上がり、モリエールは激しく咳き込んだ。

 “ヨルムンガント”は、2体の“ゴーレム”をまるでパン生地の様に捏ね繰り回し、ただの土の塊にしてしまったのである。

 最後の1体が、“ヨルムンガント”に向けて大砲を構えた。

 思わずモリエールは叫びを上げた。

「いけません! あんな大砲を撃ったら、“ヨルムンガント”が粉々になってしまいますわ! 危険です!」

 モリエールのそんな叫びは届かず、“ゴーレム”は砲尾に火縄を差し込み、大砲を発射した。

 轟音が響き、猛烈な火線が目を灼き、真っ黒な煙が舞い上がる。

 屋根代わりの帆布がパタパタと、激しい音を立てる。

 モリエールは再び目を瞑る。今度こそはバラバラになってしまったにちがいない……そう想って目を開くと、“ヨルムンガント”がそこにたっていた。

 大砲の弾によってローブの様に着込んでいた帆布が引き裂かれ、“ヨルムンガント”の地肌が覗いていた。

 鋼鉄の鈍い光が、モリエールの目に飛び込んで来る。

「鎧を……何て分厚い鎧を着込んでおりますの……」

 そのような鎧を着込んでいるというにも関わらず、“ヨルムンガント”は素早い動きで突進をした。

 “ヨルムンガント”のタックルを喰らってしまった“土ゴーレム”は、一瞬でバラバラになってしまう。

 眼の前で繰り広げられる、そんな俄には信じる事が出来ないであろう光景を前にして、モリエールは完全に言葉を失ってしまった。

 暫しの沈黙の後、モリエールはやっとの想いで言葉を捻り出す事ができた。

「陛下……何というモノを御造りになったんですの」

「“先住”と伝説、2つの“(魔法)”が出逢った事で齎された、奇跡の産物だよ」

「……こんな怪物が10体もいたら、“ハルケギニア”が征服できますね」

「10体? 余は、此の“ヨルムンガント(騎士人形)”を用いて、騎士団を編成するのだ」

 先程造られていた、鎧用であろう巨大な鉄板の量を想い出し、モリエールの目が裏返ってしまった。眼の前の光景と、ジョゼフの言葉に耐える事が出来ず、失神してしまったのである。

「御気に入られましたか?」

 ミューズ――“ミョズニトルニルン”――シェフィールドが近付き、ジョゼフの前で膝を突く。

「勿論だ。中々好い出来ではないか。此の騎士人形は……」

「実戦で使ってみませんと真価は測りかねます」

「丁度良い連中がいるではないか」

 ジョゼフは笑みを浮かべた。

「“我が兄弟達よ(虚無の担い手とサーヴァントのマスター)”よ。我が姪を救い出したように、簡単にはいかぬぞ。この“ヨルムンガント”は……」

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