“ガリア王国”の王都“リュティス”の真ん中を流れる“シナ川”……。
その中洲に発達した旧市街と呼ばれる中心地から延びた“ボン・ファン街”を30分程王都郊外へと馬で疾走る。
すると街並みがトイレ、代わりに長い石壁が延々と続く場所に出る。昼でもその石壁の切れ目を見ることは難しいであろう。
その長い石壁の向こうにあるのが、“ガリア王族”が暮らす“ベルサルテイル宮殿”である。
何故このような街外れに宮殿が建設されたのかは、その規模を見れば直ぐに理解することができるだろう。
これほど贅を凝らした大宮殿を造ることができる土地は、“リュティス市街”のどこを探しても他にないためである。
双月が雲に隠れている御蔭で、闇が重く肩に伸し掛かるようなその夜……宮殿東側の赤薔薇門の前を騎乗して闊歩する騎士の姿があった。
宮殿壁には“魔法”による松明が掲げられており、街道を照らしている。が、それでも闇は濃い。昼に振った雨の所為だろうか、その闇は湿気を含み、粘着く空気となって騎士達を包んでいる。
右側を歩く若い騎士が、白百合が飾られた帽子の廂を持ち上げ、疲れた声で言った。
「しかし、“
若い騎士は一息吐くと、小さな声で街で流行っている小唄を唄い始めた。
「“神と始祖より寵愛されし我がガリアよ。ハルケギニアに毅然と君臨する我がガリアよ。何故に始祖から勘当された? 何故神から愛想を尽かされた? おおガリア。芳しき花の香りはどこへ消えた? おおガリア。麗しき我が祖国よ。何故に艦隊までもが愛想を尽かす?”」
“ガリア”の北西海岸に面した軍港“サン・マロン”を母港とする“両用艦隊”が突如として反乱を起こし、現在軍港は閉鎖中であるとの報告が届いたのは今朝のことであった。“リュティス”には厳戒令が敷かれ、幾つもの騎士団や連隊が“サン・マロン”へと向かっている。
現在、艦隊と軍港を包囲した部隊の間では睨み合いが続いているらしいことを、若い騎士は知っていた。
その若い騎士と同じく“南百合花壇騎士団”所属の老騎士は、若輩を僅かに哀れんだ目で見詰めた。
「君は本当に、“両用艦隊”が反乱を起こしたなどと想っているのかね?」
「そのように聞いて居りますが。だからこそ、我々がこうやって夜中の警邏に駆り出されているのでしょう。まあ、“サン・マロン”の鎮圧任務に駆り出された他の騎士団に比べれば、楽な任務と言えましょうが……反乱勢とは言え、同じ“ガリア”人に“杖”を向けるのはあまりゾッとしませんからな」
老騎士は溜息を吐くと、若輩騎士にとって驚くべき言葉を切り出した。
「頭を下げた回数で艦隊司令に選ばれたような男が、主人に噛み付ける訳がなかろう」
「どういうことですか?」
「全ては陛下の思し召しということだよ」
老騎士は、長年軍服を着込んで来た者だけが纏うことができるだろう披露と慧眼が入り混じった目で、石壁の向こうを見遣った。
「……何と!? それは真ですか?」
若い騎士は、入団偉大、ずっと自分の教師でもあったこの老騎士を見上げた。
彼がこの歳になっても一介の騎士に過ぎないのは、家柄のみがその理由であった。彼がせめて男爵の位でも持っていれば、今頃は騎士団を預かる身分にもなっていたであろう。
文武に優れた彼の老騎士の言葉は今まで外れたことはなかったといえる。それ故に、若い騎士は彼を心から尊敬し、その発言を頭から信じ込んで来たのである。
若い騎士は、(成る程驚くべき言葉ではあったが、その彼が言うからには本当のことに違いない)と想った。
「……では包囲した部隊と睨み合っているというのは?」
「恐らく芝居だろうな。良いかねフランダール君、あの陛下は“無能王”などと呼ばれて内外から馬鹿にされているが、私はそうは想わん。陛下は……不敬を承知で口にするが、恐ろしい男だよ。私は“軍杖”を腰に提げてより爾来40年、“王家”に仕えて来た。駆け巡った戦勝は両の指を合わせても足りん。だが、そんな私でもあの王様選り怖い男を知らぬ」
若い騎士は老騎士を見詰め、それから深い溜め息を吐いた。
「……私達はその芝居に付き合わされている、ということですかな?」
「騎士とはそういうモノだ。所詮は誰かの掌の上で踊る喜劇役者に過ぎぬのだ。理解っているだろうが今私が話したことは、誰にも口外はならぬ。このことが陛下の耳に入れば、私だけでなく、君の首まで飛ぶだろうからな」
若い騎士は緊張の色を浮かべ、首肯いた。
2人は左側に鬱蒼と森が広がる場所に出た。
“テーニャンの森”だ。
“王室”の御猟場となっているこの森の一角に、若い騎士は、サッと蠢く影を見付けた。
「何奴!?」
若い騎士は素早く馬に拍車を入れ急行した。“明かり”の“呪文”を唱え、影がいたと思しき辺りを照らす。
黒いローブに身を包んだ男の姿が浮かび上がった。観念したのか、身動ぎすらせずに堂々と立っている。
若い騎士は“杖”を構えると、男に突き付けた。
「フードを取れ!」
男はユックリとフードを外した。
そこから現れた顔を見て、若い騎士は驚きの声を上げた
「カステルモール殿!」
フードのその下の顔は、“東薔薇騎士団”団長のバッソ・カステルモールであった。
若い騎士と然程変わらぬ年でありながらも、騎士団長を任されるほどの使い手である彼は有名人であった。数々の彼の武勇、そして顔を知らぬ“花壇騎士”はいないとさえいえるほどである。
そんな彼は、何故か硬い表情で若い騎士を見詰めている。
若い騎士は首を傾げながら、“杖”を鞘に収めた。
「どうしてこんな所におられるのです? “東薔薇騎士団”は……“サン・マロン”に向かったのではありませんか?」
「……理由は訊かずに、ここを通して頂きたい」
苦しそうな声で、カステルモールは呟く。
若い騎士は困ったように首を横に振る。恐らく何らかの密命を受けているのだろうと解釈はしたが、それでも此方もまた勤務中であるためである。
「そういう訳には参りませぬ。何せこのような御時世ですからな。夜間外出禁止令が御存知でしょう? “この辺りで出会った者は全て、身分官職問わずに連行せよ”と命令を受けております。だがまあ、形式に過ぎません。貴男ほどの人物なら、詰め所で書類にサインをして頂けえればそれで結構。さあ、取り敢えずこちらへ……」
しかし、カステルモールは身動き1つしない。
「カステルモール殿?」
その時、後ろで成り行きを見守っていた老騎士が叫んだ。何かに気付いたのである。
「――フランダール! “杖”を抜け!」
言う成り、老騎士は“杖”を引き抜いた。
「な!? どういうことです?」
若い騎士がそう呆けた声で呟くのと同時に、カステルモールの後ろから風のローブが飛んで、老騎士の身体に絡み付いた。
慌てて若い騎士が“杖”を引き抜こうとすると、深々と空気の塊が彼の腹に減り込んだ、振り向くと、カステルモールが厳しい表情で、素早く引き抜いた“軍杖”を構えているのである。
暗がりの中から、次々と黒いローブに身を包んだ騎士達が姿を現した。
「……どうして?」
そう呟くと、若い騎士の意識は薄れて行った。
倒れた2人の警邏の騎士を縛り上げる部下を見詰めて、カステルモールは溜息を吐いた。見付かるとは失態だったと、想ったのである。
とはいっても、ここまで80人からの騎士団が誰にも咎められずにやって来ることができたこと自体が僥倖だといえるだろう。
カステルモール率いる“東薔薇騎士団”に、“両用艦隊”反乱の報が届いたのは昨日の朝のことであった。
だが、現在“政府”に対して密かに叛意を抱いている“東薔薇騎士団”の精鋭達はそのような報告を当然全く信じることはなかった。直ぐ様各地に潜む協力者達に情報の提供を求め、正午過ぎには真実を手に入れていたのである。
反乱とは真っ赤な嘘。
現王ジョゼフの陰謀。
“ロマリア”に対し領土的野心を抱いたと想わせているジョゼフの、味方をも欺くその陰謀に、カステルモールを始めとした“東薔薇騎士団”は激昂したのである。反乱軍を装い、同盟を結んだ隣国に侵攻するなど、本来あってはならない事態であるのだから。この陰謀が後に明るみに出ることになってしまえば、“ガリア王国”の威信は事実上地に堕ち、その輝かしい歴史は闇の向こうに消え去るであろうことは明白であった。
そしてその2時間後、「“両用艦隊”を包囲せよ」との名目で“サン・マロン”への移動が命じられた時、カステルモールはついに決心したのであった。
“両用艦隊”の旗艦名は皮肉にも“シャルル・オルレアン”。ジョゼフが自分の手で殺した弟の名前である。
カステルモールは、(自分で殺した弟の名前を旗艦に付けるとは、贖罪のつもりなのだろうか? ……ならば、艦隊に陰謀の片棒を担がせるような真似はすまい。そればかりか、あの“無能王”は、自分達まで茶番の役者に仕立て上げようとしている。包囲? 何を包囲せよというのだ? 包囲して、どうせよというのだ? 恐らく自分達はただの見物人役なのだろう。他国を納得させるための、彩りの一部に過ぎない。もう我慢ならぬ。決起の時は今である……)と想い、“サン・マロン”へ向かう途中、“東薔薇騎士団”は夜を待って“リュティス”へと引き返したのである。
夜を徹しての進軍で、4時間後にはこのように“リュティス”へと舞い戻ることができたのであった。道々、協力を取り付けてあった各連帯へ急便を飛ばしながらの疾駆けで在った。
親子ほども歳の離れた副団長のアルヌルフが近寄り、カステルモールのその耳に顔を近付ける。
「3つの連隊が協力を確約した、との報告が只今届きました。彼等は朝には“リュティス”に到着します」
「心強いな」
カステルモールは、この日初めの笑顔を浮かべた。
現“王政府”に反感を抱く“貴族”や軍人達は少なくない。だが、実際に事を起こすとなれば話は別である。謀反人の汚名は誰も着たくないのだから。
それでも3つの連隊が直ぐ様決起に応じた。
そのことに、カステルモールは(自分の判断は間違っていなかった。ジョゼフの首を上げれば、残りの連中も直ぐに靡くだろう)と想った。
「3日後に“トリステイン”に亡命あそばされているシャルロット様を玉座に御迎えできるな」
カステルモールは、良いように扱き使われていた王女の顔を想い出し、首を振った。次いで、オルレアン公の優しげな顔を想い出し、胸が熱くなったことを自覚する。
「……殿下、殿下の御無念を晴らす時はついにやって参りました。殿下は貧乏“貴族”の家に生まれた私を、“見込みがある”の一言で騎士団に御引き立てくださいました。その御恩に報いる時が、ついにやって来たのです」
カステルモールは顔を上げると、高々と“杖”を掲げた。
「諸君! 騎士団諸君に告ぐ! 我等はこれより、簒奪者より玉座を取り返す! その後に、しかるべき御方に御返しするのだ! 恐れるな! 我等は叛軍にあらず! 真の“ガリア花壇騎士”、“ガリア”義勇軍である!」
騎士団から歓声が上がった。
「この石壁の向こうに眠る男こそ、神と“始祖”と祖国に仇なす謀反人である! 諸君、我に続け!」
カステルモールはそう叫ぶと、“呪文”を唱えて、“フライ”で石壁を超えた。
次々に騎士達はその背に続いた。
わらわらと集まって来た警備の兵達を、“東薔薇騎士団”の騎士達は“魔法”で吹き飛ばし、一直線にジョゼフがいるであろう“グラン・トロワ”へと突進して行った。
ジョゼフは玉座に腰掛けて、“オルゴール”を聴いていた。ボンヤリと虚空を見詰めながら、ユックリと腕を持ち上げ、調べを奏でる指揮者のように手を動かす。
陶酔し切った表情を浮かべながら“始祖の調べ”にジョゼフが身を委ねていると、玉座の間に衛士を連れた大臣が飛び込んで来た。
「陛下! 陛下! 大変です! 謀叛です! 謀叛ですぞ!」
慌てふためきながら、大臣はジョゼフの玉座に跪く。
「“東薔薇騎士団”が謀叛を起こしました! 警護の者を蹴散らし、この“グラン・トロワ”に侵入いたしました! 今現在、鏡の間で親衛隊が必死の抵抗を続けておりますが多勢に無勢! 間もなく防衛戦は破られ、ここにやって来るでしょう!」
現在宮殿を守る“貴族”はわずか20名に過ぎない。代々衛兵を司る“分限大公国”出身の傭兵達が数百名駐屯していたのだが、“メイジ”ばかりの騎士団が相手では、戦力に数えられようはずもないのである。例の、陰謀、でほとんどの部隊や騎士団が王都を出払っているのだから。
その隙を突かれたのである。
本来であれば絶体絶命とでもいえるだろうピンチにも関わらず……ジョゼフは恍惚とした表情を崩すことはない。まるで大臣の叫びが調べの一部であるとでもいうように、“オルゴール”の音色に聴き入っている。
「陛下! 陛下! 早く地下通路へ! 私の護衛隊が警護を仕ります!」
其の大臣の剣幕にやっと気付いたかの様に、ジョゼフは顔を上げる。
「どうした?」
「謀叛です! 何度も申し上げているではありませんか!」
「ああ。そうか。そう言えば、そういう可能性もあったな。忘れていたよ」
ジョゼフは大きく首肯くと、ユックリと立ち上がる。
「ではこちらへ!」
そう言って案内しようとした大臣を遮り、ジョゼフは友禅と玉座の間の入り口を見詰めた。
入り口の向こうからは、衛士と謀叛の騎士達による剣戟が響いて来る。
その恐ろしいといえるだろう響きで、大臣は腰を抜かしてしまい、ヘタヘタと床に崩れ落ちた。
「嗚呼、嗚呼……終わり、終わりです……」
“魔法”の飛ぶ音や、“杖”同士が打つかり合う恐ろしげな音がピタリと止んだ。
ユックリと、勝者が玉座の間の入り口に姿を現した時も、ジョゼフはジッと立ち続けていた。
「おや、カステルモールじゃないか。一体どうした? 君の部隊には、“サン・マロン”へ向かうよう命じたはずだが」
カステルモールは、ジョゼフの問いに答えることもなく、“杖”を突き付けた。
「現“ガリア”王ジョゼフ1世。神と“始祖”の正義の名に於いて、貴様を逮捕する」
「ほう。一体どんな罪で余を逮捕するつもりなのだ? 国王を裁く法は、“ガリア”には存在せぬぞ」
「祖国に対する数々の裏切り行為だ。貴様は王の器ではない」
ドヤドヤと“東薔薇騎士団”の騎士達が玉間へと雪崩れ込み、次々に“軍杖”をジョゼフへと突き付けて行く。
「さあ! “杖”を捨てろ!」
すると、ジョゼフは大声で笑った。
「何が可笑しい!?」
「いやぁ、面と向かって、“王の器ではない”と言われたのは流石に初めてなモノでな。カステルモール、御前は中々見所があるじゃないか。正直、ただ頭を下げるしか能のない、おべっか使いだと思っていた」
「舐めるな! 貴様を欺くための演技に過ぎぬ!」
「実に余は……人を見る目というモノが欠けているな。御前の言う通り、全く以て王の器などではない。真実、御前の叛意すら見抜けなかったのだからな。無能もここに極まれり! だ。あっはっは!」
そしてジョゼフは、再び大声で笑う。
呆気に取られた一同を尻目に、ジョゼフは背中を向けた。
「どこへ行く!」
「寝るのだ。いや、そろそろ眠いのでな。話なら、明日にしてくれぬか?」
本当にそのつもりのようである。
カステルモールは怒りを通り越してしまい、(もしかしたらこの王は、本当に頭が弱いのかもしれぬ)と逆に呆れてしまった。
それからカステルモールは、(だが、赦す訳にはいかない)と意志を変えることなく、「ジョゼフを拘禁しろ」と命令を下す。
何人かの騎士達が、罠を警戒しながらジョゼフへと近付いて行く。
残りの騎士達も、“呪文”を唱えジャラジョゼフに対し“杖”を突き付けた。
副団長のアルヌルフが執事のように近付き、カステルモールに耳打ちする。
「罠があるかもしれません。御慎重に」
カステルモールは首肯いた。それから、(よもや、罠があろうが、80名からの騎士を止められる罠など存在しない。どんな“魔法”を使おうが、これだけの手練の騎士に囲まれて、逃げられる訳もない)と考えた。
事実、何も知らない者が見れば、この場にいる者からすると、ジョゼフは今まさに猟師に捕えられた兎であるといえるのだから。
だが、騎士がジョゼフの腕に手を掛けた時……不思議な事が起こった。
スッと、ジョゼフの姿が一瞬で掻き消えたのである。
「何だと?」
カステルモールが叫ぶ。
騎士達は反射的に“魔法”を撃ち放った。
玉座が、立てられた衝立が、玉座の後ろに掛けられた緞子が、豪華な彫刻が施された鏡などが、“火”や“風”を受けてボロボロになって行くだけである。
だが、どこにもジョゼフの姿は見当たらない。
誰かが“ディテクト・マジック”を慌てて唱える。何らかの“魔法”で隠れているのであれば、これで直ぐに見付かるはずなのだ……だが、玉間のどこにも“魔法”の反応はない。
1人の騎士が、明り取りの窓から顔を出して叫んだ。
「あそこにいます!」
「何?」
カステルモールは、騎士達を跳ね除け、その窓に飛び付いた。
「おーい、どうした? 何を探しているのだ?」
ジョゼフは中庭の噴水の横に立っていた。
騎士達は、何の技を使用したのか見当を着けることが当然できるはずもなく、青褪めた。“魔法”のエキスパートといえる彼等であっても、ジョゼフが一瞬で中庭に移動できた理由は判らないのである。
このようなことができそうな“魔法”は、彼等の知る中で唯一、“風系統”の“
また、“魔法”の才がないと言われているジョゼフに“風”の“スクウェア・スペル”を扱えるはずもない、とこの場の皆は想った。
中庭に面した明り取りの窓は小さく、そこから出ることは不可能である。
カステルモールは焦った声で命令を下した。
「中庭に回れ! 急げ! あいつを逃がすな!」
騎士達が慌てて駆け出して行く。
その叫びが届いたのだろう、中庭にいるジョゼフは大声で笑った。
「逃げも隠れもせぬよ! 安心しろ! それより、余は今宵のベッドを変えることにした。早く逃げた方が身のためだぞ」
「何だと?」
ジョゼフは、“呪文”を唱え始めた。
「“エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ”……」
この場にいる皆がかつて聞いたことのない“ルーン”の並びである。
カステルモールは攻撃“呪文”を唱えることも忘れてしまい、その“呪文”に一瞬聴き入ってしまう。
「“オス・スーヌ・ウリュ・ル・ラド”……」
カステルモールは、背筋にヒンヤリとしたモノを感じ取り、驚いた。(自分は恐怖している! “風”の“スクウェア”の自分が……“魔法”の才能がないと嘲られ、“無能王”と呼ばれた王の“呪文” に恐怖しているのだ)と想ったが、同時に、(冷静になれ!)と自分に言い聞かせた。
彼が知る中で、80人からの騎士を吹き飛ばすことができる“呪文”など存在しないのである。“魔法”は強力ではあるが、その力には限りというモノが原則ある。
カステルモールは、(況してや、自分達は宮殿の中にいるのだ。その自分達を、中庭からどうやって攻撃しようというのだろう?)と想い、「この“無能王”が! 自分の心配をしろ!」と叫び、“杖”を振り上げて“呪文”を唱えた。
一瞬にして、カステルモールの“詠唱”により、巨大な氷の槍ができあがる。
カステルモールは、(生かして捕らえ、市民達の前で裁判に掛けたかったが、こうなっては致仕方無い)と判断し、それをジョゼフに放とうとした。
が、その瞬間……。
ジョゼフがユックリと、オーケストラの指揮者が演奏を開始させる時のように“杖”を振り下ろした。
カステルモールは、(ハッタリも良い加減にしろ。“無能王”、え。貴様に扱える“呪文”など……)と考えた瞬間、「――な!?」と驚きの声を上げた。
グラリと床が揺れたのである。
その揺れのためだろう、放った“アイス・スピアー”の狙いが逸れ、ジョゼフから離れた地面に突き刺さる。
「団長殿!」
隣に光たアルヌルフが叫ぶ。
カステルモールがそちらに首を向ける。
アルヌルフの身体が遠退かって行くのが、カステルモールには見えた。次いで見ると、床石が大きくズレて行っていること気付く。
カステルモールは、そこでようやく理解した。
宮殿全体が、崩壊しつつあるということを。
「馬鹿な! 一体どうやって!?」
“呪文”の検討を着ける暇など当然なかった。
見上げたカステルモールの目に、崩れ落ちて来た巨大な天井石が映った。
美しい青石で組み上げられた“グラン・トロワ”が、“東薔薇騎士団”の騎士達を呑み込みつつ、地響きを立てながら崩壊する様を、ジョゼフは大声で笑いながら見詰めていた。
中には反乱勢のみならず、使用人や大臣や、味方といえただろう衛士もいたのにも関わらず、ジョゼフは笑い続けた。
大きく土煙が舞い上がり、辺りは唐突に静かになる。
「これが、“
ジョゼフは手に持った“始祖のオルゴール”を見詰めながら呟いた。それから、ポケットから“始祖の香炉”を取り出した。優しく撫でると、中から芳香が漂ってくる。
「だが、“爆発”と言えど、俺の1つ目の“虚無”の素晴らしさには敵わぬな」
中庭に立った自分を見た時の騎士達の慌て振りを想い出し、ジョゼフは更に笑みを浮かべた。
そこに慌てふためきながら、護衛の騎士の生き残りが駆け寄って来た。
「陛下! 良くぞ御無事で!」
そちらの方を振り向きもせず、ジョゼフは命令した。
「人を集めろ。瓦礫の中から叛徒共の肢体を引き摺り出し、“リュティス”の各街道の門に吊るせ。朝になってのこのこやって来た莫迦共は、それを見て余に逆らう愚を悟るだろう」
騎士は、地獄の底で悪魔を見た時のような顔でジョゼフを見詰め、直ぐに低頭した。
「……は、はっ!」
命令に従うべく、騎士は駆け出して行こうとする。
「待て」
呼び止められ、騎士は稲妻に打たれたかのように直立した。
欠伸をしながら、ジョゼフは騎士の背に向かって告げた。
「その前にベッドを用意しろ。どこでも構わん。全く、眠くて堪らぬのだ」