教皇の“即位3周年記念式典”は、ここ都市“ロマリア”から北北東に300“リーグ”程離れた“ガリア”との国境付近の街“アクイレイア”で執り行われる手筈となっっている。その期間は2週間にも及び、大きな御祭りとでも言い換えることができるだろう。
その“アクイレイア”へ向けての出発の準備に、“ロマリア大聖堂”はおおわらわであった。
5つの塔と、巨大な本塔に囲まれた中庭では、各文官、武官、司祭達がそれぞれの宗派の紋に描かれた“竜籠”に乗り込んでいる。
本塔の上には、巨大な御召艦が停泊しており、教皇達の座乗を待っている。
そこの桟橋は、教皇の移動の際のみに、使用が許可されているのであった。
“ペガサス”に跨った“聖堂騎士”達がその上空を飛び回り、警護を行っている。
ギーシュ達“
一同は“大聖堂”の本塔にバルコニーのように張り出した桟橋で、仲間の到着を待ち侘びていたのである。
「一体、サイトはどうしたんだろうなあ……?」
マリコルヌが心配そうに呟く。
そう。
出発の時間が近付いているというにも関わらず、肝心の才人が姿を見せないのである。昨日の訓練にも姿を見せなかったということもあり、一同はかなり気を揉んでいた。
「まさか、怖じ気付いたんじゃないだろうな?」
1人の生徒が、少し怒ったような声で言った。
“水精霊騎士隊”の面々は、「教皇を狙う“ガリア”の陰謀を阻止せよ」と聞かされているだけであったのだ。
選りに選って“ハルケギニア”で最高権威とされる教皇聖下を狙われていると少年達は聞かされているのである。(“ガリア”の陰謀とはいっても、一体“ガリア”のどこが陰謀を企てているのかしらないが、何にせよ敵は余程の覚悟で来るのだろう)と少年騎士達は考えた。
そういったこともあって、怖じ気付くということは無理のないことであ、と皆想うのであった。
何人かの生徒が、「やっぱり“平民”上がりだからなぁ……」と呟き始めると、ギーシュが「うーん」と唸って首を横に振った。
「そんなことはないと想うなあ。何せ彼は僕の“ワルキューレ”にやられてもやられても立ち上がって来た男だからね」
「いや、そっちは兎も角、110,000に立ち向かって行った男の1人だよ。“ガリア”の陰謀なんか怖がるもんか」
マリコルヌが首肯き乍ら、ギーシュの自惚れ混じりの言葉に軽く訂正を入れ、才人が怖気付いたという論を否定した。
すると……それまで黙っていたレイナールが、口を開いた。
「いやぁ……実は昨日、サイトを見たんだ」
「何だって?」
一同の目が、眼鏡を掛けた生真面目そうな雰囲気の少年に集まる。
「昨日の朝方のことなんだがね。見たんだよ。サイトがルイズと一緒に“大聖堂”を出て行くところをね」
「どうしてそれを言わないんだよ!?」
マリコルヌに言われて、レイナールはバツが悪そうに頭を掻いた。
「だって……その、サイトの立場がないじゃないか。訓練をサボって、女の子とデートだなんて……でも、サイトの気持ちも理解るんだ。危険な任務の前日、せめて恋人と過ごしたい。何せ、命を落とすかもしれないんだからね」
「それは僕達だって同じじゃないか」
ギムリがそう言ったが、ギーシュが首を横に振る。
「1番危険なのはサイトとセイヴァー、そしてイーヴァルディだよ。あいつ等は幾度も“
成る程、アンリエッタとアニエスの2人に連れ立って、ルイズとティファニアとシオンが現れた。その後ろに、俺がいる。
ルイズ達の格好を見て、ギーシュ達は目を丸くした。
「うわあ!? 尼さんの格好じゃないか!」
ルイズとティファニアは、白い神官服に身を包んでいるのである。所々合せ目にはオレンジのラインが走っており、ユッタリとした服である。首から大きな“聖具”を提げたその姿は、立派な巫女に見えた。
「彼女達は、巫女として式典に参加することになったのだ」
アニエスがそう説明した。
ティファニアの大きな耳が、フードにすっぽりと隠れている。いつもの帽子よりは具合が良いだろうといえるだろう。巫女に手を出す“ブリミル教徒”などいるはずもない。格好の隠れ蓑といえるだろう。
だからだろう、ティファニアの表情はいつよもよりは明るめである。
一方、ルイズは何故か沈んだ様子を見せている。ギュッと“聖具”を握り締め、何事か御祈りの言葉を呟いているのである。
そんなルイズの顔を見ていると、ギーシュに不安な気持ちが襲い掛かって来た。
才人のことについて訊きたくとも、アンリエッタの前ということもあって叶わない。どうしたもんか、とギーシュが思っていると、アンリエッタが代わりに疑問を口にした。
「サイト殿はどうなされたのです? 姿が見えないようですが……」
ギーシュが頭を上げた。
「私も気になっていたのです。ルイズ、サイトはどうしたんだ? 昨日は君と一緒だったようだけど」
するとルイズは、ギュッと“聖具”を握り締めた。
ルイズのその様子に、アンリエッタが何か気付いた様子で、ルイズに尋ねた。
「ルイズ、貴女、何か知ってらっしゃるの?」
ルイズは深呼吸すると、自分に注目する一同に告げた。
「サイトは帰りました」
一同は唖然とした。
アンリエッタは目を丸くして、ルイズを見詰める。
ティファニアは口を押さえた。
シオンは俯いた。
ギーシュが、驚いた声でルイズに尋ねる。
「“魔法学院”にかい?」
ルイズは首を横に振った。
「彼の“故郷”に帰ったの」
その場にいた一同は固まってしまった。
「ルイズ! 一体どういうことなんだ!? 説明してくれ!」
ギーシュが慌てながら、ルイズの肩を掴んで揺すった。
ユックリとルイズはその手を振り払うと、「サイトが、ちきゅうからやって来たことは知っているでしょう?」と確認する。
“水精霊騎士隊”の面々は首肯いた。
最初こそ、“
「……そこから、御母さんからの手紙が届いだの。帰って来てくれって」
「それで、帰したってのかい?」
ここ“ハルケギニア”で知られる手紙による連絡手段や“地球”での連絡手段。異なる世界同士での連絡方法など、先ずできないといえることは平時であれば気付くだろう。
が、皆、そのことに気付かず、ただ才人が帰ったということに対してのみ驚いた様子を見せる。
ギーシュの疑問に、ルイズは首肯いた。
マリコルヌは、ああああああああ、と頭を押さえて呻いた。
「だからって、こんな時に帰さなくたって良いじゃないか! 選りに選っってこんな大変な時に……」
するとルイズは、厳しい顔付きになった。
「何を言ってるのよ! こんな時だから、帰したんでしょ! 今までどれだけサイトが私達のために戦って来てくれたと想ってるのよ? 貴男達“貴族”でしょ!? 己に掛かる火の粉は己で払うべきよ」
ルイズは唇を噛み、“聖具”を握り締め、自分にも言い聞かせるように言葉を続けた。
「兎に角これ以上、私達の戦いにサイトを巻き込む訳にはいかないわ」
マリコルヌが、困ったような声で言った。
「何だか良く理解らないけど……それはもう、サイトに逢えないってことかい? 御母さんに逢ったらまた帰って来るのかい?」
ルイズはしばらく目を瞑っていたが……コクリと首肯いた。それから蒼白になり、“聖具”を握り締め、何事か呟き始めた。神に捧げる祈りの文句である。
“水精霊騎士隊”の少年達は、ルイズの仕草に顔を強張らせた。
「御祈りは後にしてくれよ。もう1個質問だ。良いかい?」
「良いわ」
「それはその、サイトの意志なのかい? サイトが自分で帰るって言ったのかい?」
ルイズは首を横に振った。
「私が帰したのよ」
「どうやって!?」
「その方法は言えないわ」
「なら、セイヴァー。君なら知っているだろう? どうなんだ? どうやって!?」
「すまないが、それには答えられない」
一同はルイズの隣に立つ、緊張した様子を見せているアンリエッタとシオンに気付き、それ以上の追求を止めざるをえなかった。
国家などに関する重大な機密……そして、“聖杯戦争”などに関する何か……そういう空気などを感じ取ったのである。
だが、そのルイズの言葉は一同を刺激した。問い詰めないままでも、非難の言葉が“水精霊騎士隊”の少年達から次々と飛んだ。
「だがなあ、とんでもない! とんでもないよ! 幾らサイトが君の“使い魔”だからって、自分勝手が過ぎるじゃないか!」
「勝手じゃないわ! ちゃんと考えたもの!」
マリコルヌが、首をかしげた。
「そうかい? 僕にはそう想えないけどな。サイトはもしかしたら、僕達と一緒に戦いたかったかもしれないじゃないか? と言うか、彼ならそう想うはずだ」
少年達は首肯き合った。
ルイズは何かを言おうとしたのだが、アンリエッタに遮られる。
「貴男方は、私とシオンに恥を掻かせるつもりなのですか?」
周りでは、“ロマリア”の神官や役人達が、“トリステイン”女王とその護衛隊や俺とシオン達との遣り取りを、興味深そうに見詰めて来ている。
女王自らの注意に、少年達は顔を赤らめた。
「騎士の1人が欠けたのは問題ですが、それで慌てふためく近衛隊も問題です。私は、勇敢な騎士を隊士に選んだつもりですが……」
威厳ある態度でそう言われたこともあり、少年達は畏まる。
アンリエッタはルイズを促すと、“フネ”から延びた桟橋へと歩き出した。
“水精霊騎士隊”の少年達は、顔を見合わせ無言で後を追い掛けた。
その後に、俺とシオンとティファニアとアニエスも続いた。
ルイズは用意された自分の船室に入るなり、ベッドの上に膝を突いて御祈りを始めた。
同室のティファニアは、ルイズのそんな様子を心配げに見詰める。
ティファニアの心は、当然のことだが、(サイトが帰った? それはあの、いつか“アルビオン”の“ウエストウッド村”と“オストラント号”で聞いた“
“異世界”ともいえる“地球”からどのようにして手紙が届いたのか当然ティファニアには理解らなかったが、ルイズの言葉が事実であるということだけは理解していた。
それからティファニアは、(そう言えば、サイトは、自分が暮らしてた村で、故郷を想って泣いていたことがあったわ。あの時私はサイトを慰めたっけ……)とその時のことを想い出し、複雑な気分になった。(故郷に帰れて良かったね)と想う反面、(折角御友達になれたのに、こんな唐突に御別れしなきゃならないなんて……)と何だか妙に寂しい気持ちになったのである。
詳しい話を訊きたいティファニアではあったが、ルイズは今御祈りに没頭しているために取り付く島がない様子で、ティファニアは躊躇した。
ティファニアがそのはち切れんばかりの胸の下で腕を組んで困っていると、ドアがノックされた。
ティファニアが扉を開けると、アニエスを従えたアンリエッタが立っていた。
その後ろにシオンと俺がいる。
「アンリエッタ様」
アンリエッタは、ルイズに近付いた。
しかし、ルイズはそれに気付くこともなく、御祈りを捧げている。
「ルイズ、御願いだから御祈りを止めてこっちを向いて頂戴」
そこでようやくルイズは顔を上げた。それでも、アンリエッタに顔を向けることはせずに、押し黙ったままである。
アンリエッタは、教皇の“
「ルイズ。サイト殿は本当に、御自分の“世界”へ帰ってしまわれたの? 貴女はこの前、聖下やチェザーレ殿と何か話していましたね。聖下の“虚無”を使って、サイト殿を本当に帰してしまったの?」
コクリ、とルイズは首肯いた。
アンリエッタは(一体、どうしてまたルイズはサイト殿を帰してしまったのかしら?)と想いはするが、詳しい話を訊くだけの時間の余裕はなかった。
アンリエッタはルイズの肩に手を置くと、耳元で囁いた。
「後でユックリ話を伺います」
それからアンリエッタは、“水精霊騎士隊”の居室へと赴き、この件で慌ててりすることがないように訓辞をした。
少年達は、当然納得行くはずもないのだが、何せ女王の言葉であるというために、しょうことなしに首肯いた。
アンリエッタは1人居室に帰ると、アニエスを下がらせた。
それから肘を突き、窓の外を眺めながら、アンリエッタは涙を流した。涙は双月の陽光に輝き、アンリエッタの形の良い頬を彩る。
涙を流しながら、アンリエッタはいかに自分がルイズの“使い魔”の少年に頼っていたかということを理解した。それから、未だ残っている“サーヴァント”のことについても考える。(関係のない“世界”のために、私達はどれだけの苦労を彼等にさせたのかしら? そんな彼が、帰るべき“世界”に帰った。喜ぶべきことじゃないの……今までが間違ってたのよ。それだけの話。これからは、セイヴァー殿やイーヴァルディ殿がいるとしても、自分達だけで何とかしなくてはいけないわ。何せ、私は女王なのだから……)と考えた。
だがやはり、理屈ではそう思うことができても、何故かアンリエッタの美しい目からは涙が溢れ続ける。
「“間が悪かった”……だけじゃないわね……」
アンリエッタは、(きっと唐突な御別れに、心の準備ができていないのだ)と自身に言い聞かせた。
水路の向こうから、“ロマリア”教皇ヴィットーリオを乗せた“フネ”が現れると、“マルティラーゴ広場”に集まった観衆から歓声が湧いた。
“ガリア”との国境に程近いここ“アクイレイア”の街は、石と土砂を使って埋め立てられた幾つもの人工島が組み合わさってできた水上都市である。
街の真ん中を細い水路が巡り、まるで迷路さながらのその都市は、歴史上、数々の陰謀やロマンスの舞台ともなった。
教皇の御召艦――“聖マルコー号”が、ユックリと降下し、乱暴にも見える勢いで着水する。
海面が盛り上がり、小さな波となって広場へと押し寄せ、広場を水浸しにした。
だが、集まった“アクイレイア”に市民達は怒るでもなく、溢れた海水を自ら浴びたり、夢中になって瓶に詰めたりしている。
この海水は、“聖水”の1つと見做され、信仰厚い“アクイレイア”の民の宝物であるのだ。
この街ではスッカリ御馴染みとなった、教皇御召艦到着の際のちょっとした御祭騒ぎであるといえるだろう。
乱暴なのは着水だけで、“フネ”はユックリと広場の岸壁に近付き接舷した。
催合が放たれ、“フネ”を固定する。
賛美歌を唄う聖歌隊を先頭にして、教皇を迎えるタラップがゴロゴロと運ばれて来る。“フネ”の舷縁に取り付けられると、広場の中央からタラップの降り口まで、紫の布が敷き詰められる。
“アクイレイア”の市長、レッツォニコ卿と、フェラーリ大司教が共にタラップの下まで赴き、膝を突いて賓客を出迎える。
先ず、タラップの上に現れたのは、護衛の“聖堂騎士団”であった。礼装の純白のマントに身を包み、“聖杖”を胸の上に掲げて降りて来る。
長い長い“聖堂騎士”達の行列が終わると、“都市ロマリア”からやって来た神官団が続く。これまた、“フネ”のどこに積み込んでいたか不思議に想わせるばかりの長蛇の列である。
それが終わると、歓声が更に沸いた。
“水精霊騎士隊”の少年達に前後を守らせ、巫女服の美少女に挟まれた“トリステイン”女王アンリエッタと“アルビオン”女王シオンが姿を見せたためである。同盟国の未若き2人の女王は、この“アクイレイア”に於いても例外なく大変な人気を誇っていた。
いつしか「“トリステイン”万歳」、「女王万歳」、「“アルビオン”万歳」などといった響きが混じり、アンリエッタとシオンは軽く手を振ってそれに応えた。
俺は“霊体化”し、、周囲を警戒しながら2人女王の後に続く。
そして……それ等全ての賓客を露払いに、本日の主演俳優とでもいえる男が姿を見せると、辺りは急に静まり返った。大声を張り上げていた水売りの少年まで帽子を脱いで、胸の前で“聖印”を切り始める。
教皇聖エイジス32世――ヴィットーリオ・セレヴァレが、その眩いばかりの威光を振りまきながら現れた時、集まった“アクイレイア”の民は、思わず溜息を漏らした。まるで背負った光が、自分に降り注いで来るかのように感じたためである。
ヴィットーリオが手を挙げて、ニッコリと笑みを浮かべた時……その沈黙が一瞬にして破れ、大きな歓呼の声が響いた。
教皇達一行が到着したその夜……“アクイレイア”の“聖ルティア聖堂”では、会議室の円形の大きなテーブルに、今回の作戦を知る者達が集められていた。
ティファニアとルイズは、アンリエッタの隣に座っている。
その隣にはアニエス。
更にその横には緊張した顔のギーシュである。
そしてその横に、シオンが座っている。
残りの半円には、“ロマリア”側の関係者である。
俺は、壁際に立っている。
真ん中には教皇ヴィットーリオ。
その隣にはジュリオ。
そして連れて来た各“聖堂騎士”の隊長達が並んでいる。
その隣に青褪めた顔の“アクイレイア”の市長と、“聖ルティア聖堂”の大司祭が座り、何事か不安げに言葉を交わしていた。
今回の計画を聴かされた市長が、不安げな声で、「計画は伺っておりますが……本当に“ガリア”は聖下の御身を狙っているので在りましょうか?」と尋ねる。
混乱を避けるために、伝説と化している“虚無の担い手”のことや“聖杯戦争”及び“サーヴァント”などに関することまでは話してはいない。
ヴィットーリオはにこやかな顔で首肯いた。
「間違いありません。あの“ガリア”の“無能王”は“ハルケギニア”の王になりたいのです。そのためには、神と“始祖”とこの私が邪魔なのです」
サラリと教皇自らにそう言われたこともあり、市長は額の汗を拭いた。正直、(どうして自分の就任中にこんな面倒事が舞い込んで来たのだ)と泣き出したい気持ちで一杯であるのだろう。
「そうだとしても、やはり聖下の御身を危険に曝すというのは……」
“即位3周年記念式典”の間、教皇は数人の神官と巫女と共に、ずっと祈りを捧げ続けるのが慣わしである。その間、街には“ハルケギニア”の各地からやって来た信者達が押し寄せ、祈りを捧げる教皇を一目見ようと列をなすのである。
その見物客に紛れて、“ガリア”は何らかの行動を起こす、と考えて居るのである。
市長にとっては、悪夢のような計画である、といえるだろう。万一教皇の護衛に失敗してしまえば、彼はおめおめと教皇の暗殺を許してしまった無能な市長として歴史に名を残すことになってしまうのだから。
「市長殿の憂慮は当然です。だが、我々は水をも漏らさぬ陣容で敵を迎え討つ予定です」
ジュリオが立ち上がり、黒板に今回の表面上の計画を書き始めた。
「御存知の通り、怖いのは先ず“魔法”です」
チョークを使い、ジュリオは聖堂の図面を簡素ながらも丁寧に書いた。
「そのため、敵に“魔法”を使わせぬために、聖堂の周囲を“ディテクト・マジック”を発信する“魔道具”を用いた結界で囲みます」
ジュリオは聖堂の図の周りに、幾つもの印を付けて行った。
「勿論、“杖”は見学の際には持ち込めません。ただ、何らかの方法で“魔法”を使おうとしたら……使用した瞬間に、この装置で見破られ、“詠唱”者は周りを囲んだ騎士達によって直ぐ様捕縛されるでしょう」
市長の顔が、少しホッとしたようなモノになった。
「それだけではありません。当然、教皇の周りには“エア・シールド”を幾重にも張り、その御身を守ります。通常の“魔法”や“銃”では、どうにもならないでしょうね」
ならば安心だ、と市長と司祭は顔を見合わせて首肯き合った。
一同はその計画に感じ入っている様子を見せているが、数人納得できない顔色を浮かべて居る人物がいた。
そのうちの1人が、手を挙げた。
ティファニアである。
彼女は、その話を聴いて……腑に落ちないモノを抱いたのである。
ティファニアが幼い頃、屋敷に乗り込んで来て“エルフ”である母を殺したのは、王命を受けた“アルビオン”の“聖騎士団”であった。
ティファニアは、(国家という組織が、本当に邪魔者を纏めて排除した時……それもこの一撃で勝負が着くと想われる時、陰謀を用いるのかしら? あっちには“
「ミス・ウエストウッド。何か?」
ジュリオがニコヤカな笑顔でティファニアを見詰める。
「は、はい……質問よろしいですか?」
「勿論です」
「あの……こんな偉い人達が集まっている中で、僭越とは想うのですが、どうしても気になってしまって、その……“ガリア”が若し軍隊を出して来たらどうするんですか?」
アンリエッタが微笑みを浮かべた。
「ティファニアさん、その心配はありません。“ガリア”とて由緒ある王国。“王権同盟”の列記とした一員です。“レコン・キスタ”などとは違い、面子というモノがあります。まさか、同盟を破って国境を超えて王軍を動かすような真似は……」
そこまで言って、アンリエッタは自分以外の誰もが笑っていないとうことに気付いた。
ジュリオが首肯きながら、ティファニアの言葉を肯定する。
「その可能性は5分と言ったところでしょうか」
「何ですって?」
アンリエッタの顔が蒼白になる。
淡々と、ジュリオは言葉を続けた。
「先週まで、国境付近での“ガリア”軍の活発な行動は見られませんでした。しかし現在、新たな情報は入って来ておりませんので、十分に警戒せねばなりません。対する我が軍の布陣ですが、国境付近に精鋭の“聖堂騎士隊”に率いられた4個連隊9,000が駐屯中です。かつその上を、“ロマリア皇国艦隊”が守っております。此の艦隊に対抗できる空中線力は、“ガリア”の“両用艦隊”のみです」
「国境付近に軍を集めたのですか? 挑発行為ではありませんか!?」
アンリエッタは立ち上がり、大声を上げた。
「挑発と取るならそれも結構。我々の仕事がやりやすくなります」
「話が違いますわ! 聖下、貴男は戦争を起こすおつもりですか?」
ヴィットーリオは首を横に振った。
「我々ではありません。起こすのは“ガリア”です」
「貴男は“ブリミル教徒”同士が血を流すことに我慢ならないと仰ったではありませんか! その舌の根が乾かぬうちに、戦争の準備を行うとは! 意味が理解りませぬ!」
「我慢がならないからこそ、できえるモノなら一撃で終わらせたい。そう想って今回の計画を立てたのです。取り敢えず御安心を。“ガリア”軍は確かに強大ですが、打つべき手は打っております」
「卑怯ですわ! 今日の今日まで御隠しになるなんて!」
「アンリエッタ殿」
優しく、それでいて威厳に満ちた低い声でヴィットーリオは言った。その声は、まるで魔法のようで、聴く者全てを黙らせてしまいかねない迫力に満ちている。
アンリエッタは唇を噛み締めると、首を横に振った。
「私は戦争を憎むと申しましたが、その可能性は1度も否定しておりません。全ての状況に対し、対抗できる手段を用意しているだけです」
「……詭弁ですわ。どうして“即位3周年記念式典”の場として、この“ガリア”との国境に近い“アクイレイア”を選んだのか、やっと本当に理解できました。敵より引き出したいのは陰謀ではない……戦成なのですね」
ヴィットーリオはわずかに憂いを含んだ声で言った。
「選ぶのは私ではありません。あくまで“ガリア”です。そして可能性は、今のところ5分5分なのです」
市長と大司祭は、会話のあまりの内容に卒倒していた。
“即位3周年記念式典”についての話がいきなり戦争の話に変わってしまっているのだから、無理もないことであろう。
ティファニアも、自分の発言がもたらしてしまったこの状況に恐れ慄き、両腕で身体を押せて震えている。
一方ギーシュは腹を決めたのだろう、目を瞑って天井を仰いでいた。
アニエスは、いつもと変わらぬ表情である。が、それでも動揺してはいるだろう。
“聖堂騎士隊”の隊長達も、まるで顔色を変えない。
アンリエッタは1人立ち上がると、傍らでジッと黙ったままのルイズを見詰めた。
「……でも、そうなると残念ながら協力は適いませぬ。何故なら私は、ルイズを決して戦の道具にせぬ、とその父君と約束したのですから。さあルイズ、行きましょう」
しかし、ルイズは立ち上がらない、申し訳なさそうに、ジッと俯いていたままであった。
「ルイズ?」
ジュリオが、小さな声で言った。
「ミス・ヴァリエールは神と“始祖”の名に於いて、誓約くださいました。我々の理想にその御身を捧げてくださると。彼女はもう貴女の臣下ではなく、真の神の下僕であり、我々の兄弟なのです」
誓約、と聞いてアンリエッタの顔色が変わった。
“ハルケギニア”の“貴族”にとって、誓約、というモノは絶対的なモノであるといえるだろう。それを違えるということは、自殺にも等しい行為でもあると言い換えることができるほどである。
「本当なの? 貴女……」
コクリ、と心苦しそうにルイズは首肯いた。
アンリエッタは溜息を吐くと、両手を広げた。そして、はっと気付いた様子を見せる。才人が、間違いなく教皇の“
それから、(でも……“ハルケギニア”の理想のために、“虚無を使う”、と言い切った聖下が、1騎士のためにその切り札を使うかしら? そんな訳がないわ)と考え、アンリエッタは、“ロマリア”が何を条件にルイズの誓約を引き出したのかということを理解した。
“使い魔”には代わりがいる。だが、“担い手”はそうではない。
アンリエッタは、怒るというよりも、哀しくなった。どこまでもやるせない、悲しい何かがアンリエッタを包んだ。それは無力感であった。今まで感じたことがないほどの無力を味わいながら、疲れ切った目でアンリエッタは教皇ヴィットーリオを見詰めた。
「御見事ですわ。どこにも逃げ道はないようですわね。聖下がその御若さで、教皇の帽子を冠られた理由が、ようやくこの愚かな女王にも理解できましてよ」
ヴィットーリオは、僅かに顔に憂いを浮かべ、言った。
「言ったでは在ありませんか。私には理想があるのです。そしてその理想に届くためならば、手段を選ぶつもりはないのですよ」
アンリエッタは顔を真っ赤にした。怒りで恥といったモノなどで我を忘れそうになったが、どうにか堪えた。
戦に備えるのは、全くもって当然のこと。それをもってして“ロマリア”を責めることはできないのだから。
「良く理解りました。これから聖下の御言葉は、布で濃した後、慎重に理性を働かせて拝聴することにいたしましょう。ただ、もう1つの件に関しましては、正式に抗議することにいたします」
「なんなりと仰ってください。疚しいところなど、何1つありませんから」
どこまで本気か判り難い態度で、ヴィットーリオは言い放った。
「では伺いましょう。聖下は、私の近衛騎士に暇を出されたとか。他国の騎士の進退を御決めになるなど、教皇聖下と言えども重大な内政干渉。どう申し開きをするおつもりですか?」
厳しい声でアンリエッタは言った。
教皇はというと、全く悪怯れた風もなく、「御言葉ですが、シュヴァリエ・ヒラガ殿は貴女の近衛隊副隊長である前に、ミス・ヴァリエール個人の“使い魔”なのではありませんか? その主人である彼女より“御願いだから帰してくれ”と言われたので、“ブリミル教徒”として、己の信義に従ったまでのことです。だが、アンリエッタ殿の御言葉は一々ごもっとも。貴女に相談しなかったのは、私の怠慢です。御希望通りの補償はいたします」
「本当に、彼を帰してしまったのですか?」
ヴィットーリオは、大きく首肯いた。
「はい。彼の、“魂の拠り所、へ扉を開きました”。そう、私は彼を取りも直さず、“故郷”、へと帰したのです。ええ、それが私のすべきことのように想えましたから」
何てことを……と呟き、アンリエッタは首を横に振った。
ルイズが、バタン、と立ち上がり、一同にペコリを頭を下げた。その小さな肩が震えている。
「ルイズ」
「……申し訳ありません。気分が優れないので、失礼させて頂きます」
アンリエッタは暫く教皇を睨んでいたが、悲し気に首を横に振った。
「貴男は恐ろしい人ですわ。教皇聖下。この件が片付きましたら、“ロマリア連合皇国”との付き合い方を、多少考えることになりそうです」
ヴィットーリオは、優雅に礼を返した。
「過分な御褒めの言葉を頂き、誠に光栄です」
シオンと俺は、そんな3人をただただ静かに見守った。
その日の夜……。
ルイズは自分に用意された部屋で、1人祈りを捧げていた。
才人と別れてからというもの、ルイズは殆どの時間を祈りに捧げているのである。そうしていないと、心が潰されそうになるからであった
いや……既にもう、潰れ掛けてしまっているのであろう。
何せ……先程、「戦の可能性がある」と言われはしても、ルイズの心が動くことがなかったのだから。まるで遠い世界の出来事であるかのようにしてか、ルイズには感じることができなかったのである。
(“始祖”よ。尊き神の代弁者たる“始祖” よ。我を導く偉大なる“始祖”よ。空に星を与え給え。地に恵みを与え給え。人に恩寵を与え給え。そして我には平穏を与え給え……)
何度も繰り返した祈りの文句。
だが、何度その言葉を繰り返したところで、ルイズの心に平穏が訪れることなどない。
ルイズは祈りを中断し、ベッドに横たわった。次いで、両手で目を覆うと、とめどなく涙が溢れで来た。
泣いてしまうと、とルイズが想い出すのはやはり才人のことばかりであった。
ルイズは、(こんな気持ちになるって理解ってたのに……どうして私はサイトを帰すことを選んでしまったの? 堪えられる訳がない……それは理解ってた。今頃、サイトはどうしているのかしら? 御母さんに逢えたかしら? “向こうの世界”で懐かしい人達に逢えば……私のことなど忘れてしまえるでしょうね。サイトは何度も“好き”と言ってくれたけど……私はそれにきちんと応えることもできなかった。色々と理由を付けては、意地を張って、サイトの気持ちを測るような真似を何度もしたわ。そんな我儘な女の子のことなら、直ぐに忘れることができるでしょうね。でも、私は?)などと考え、首を横に振った。
それから、(いつまでこんな苦しい時間が続くのかしら? このままじゃ、私……“ハルケギニア”に一生を捧げることすらできない。それができないなら……私に存在の意味なんてないわ。私はもう、謂わば“ハルケギニア”の“ゴーレム”なんだもの。聖下に誓約した時に、そう決定付けられたもの。だけど、捨てた心に振り回されているようでは、“ゴーレム”にすらなれないじゃないの。このままじゃ……私hただの役立たずよ。自分の心に平安を与える方法は、即ちこの“ハルケギニア”の大地に平安をもたらす方法であるはずなのに……忘れなくちゃ)ともルイズは考えた。
ルイズは、1つだけ、その方法を知っていた。
だが、それを実行することになれば、自分が自分でなくなる、ということもまた理解していた。
(けど、こんな私に価値があるのかしら? サイトを帰したことは間違いじゃないはずなのに、既にもう後悔してる私……そんな卑怯な自分に、どんな価値があるっていうの? せめて“聖女”になろうと想って、祈りを捧げ続けてたけど……祈りだけでは限界があるわ。本当の“聖女”になるためには、やっぱり、神の奇跡、に触れねば、なることは叶わないの? 真の神の奇跡……“虚無”に……)
部屋を抜け出したルイズがやって来たのは、隣のティファニアの部屋であった。
元は神官達が寝起きしていた宿舎であるために、同じような造りの扉が左右に並んでいる。
ルイズが扉を叩くと、やはりティファニアも寝る事が出来て居無かったらしい、立ち上がる音が廊下からでも聞こ得て来る。次いで、誰何する声が響いた。
「私よ」
ルイズが言うと、慌てて扉が開かれる。
寝間着1枚の姿になったティファニアが、ルイズを中へと促した。
ティファニアの部屋には、シオンもいる。シオンは未だ、普段と変わらぬ部屋着のままであった。
「……あの、その。その…私も混乱してるの。色んなことがあり過ぎて。でも……」
「それで、私と話をして整理してたって訳」
ティファニアの言葉に、シオンが補足する。
ティファニアは言い難そうにモジモジとした後、「どうしてサイトを帰してしまったの? ホントにどうして? ……確かにそうするのは当然だと想うけど。でも、ルイズ、貴女……」と尋ねた。
ルイズは顔を上げた。それから、「御願いがあるの」と小さ言った。
「御願い? 何な御願いなの?」
だが、ティファニアの確認の言葉に、ルイズは黙ってしまった。その先を言葉にするということは、とても勇気が要るモノであるためだ。
そんなルイズの気持ちや考えを、シオンは悟り、尊重するように、目を瞑って黙り込んだ。
ティファニアも困ってしまい、3人して黙っていると、再び扉がノックされた。
ティファニアが、(誰だろう?)と思い尋ねると、小さな声で「私です」と言葉が返ってくる。
開けると、アンリエッタがそこには立っていた。
「ルイズが入るのが見えたものですから……シオンもいたのですね……」
と言い難そうに、アンリエッタは呟いた。
アンリエッタは先ず、ルイズとティファニアに深々と頭を下げた。
「貴女方御二人には、申し訳の言葉もありませぬ。戦の道具にせぬと約束しながら、結局はこうなってしまいました」
ティファニアは首を横に振った。
「いえ……まだ戦になると決まった訳ではありません。ただ、可能性としてある、というだけ……だと想います。それに……汎ゆる可能性に備えるのは、悪いことだとは想いませんわ」
そうね、とアンリエッタは溜息を吐いた。
「何せ“ガリア”は押しも押されぬ“ハルケギニア”の大国。陰謀だけで解決できぬとなれば、軍を繰り出して来ることも……予想出来てしかるべきでした。それなのに理想に酔い、貴女方まで巻き込んで……嗚呼、私は女王の器ではないのかもしれませぬ」
「私だってそうよ、アン」
サラリと心情を吐露して退けた従姉妹2人に、ティファニアは目を丸くした。
「……女王の器ではない、などと、気安く口にされては困ります。誰かの耳に入ったら、大変ではありませんか」
アンリエッタは、はっ! とした顔になり、また深く首肯いた。
「そうですわね。貴女達は私の従姉妹なのだからかしら、どうもついつい言葉が滑ってしまうわ」
それからアンリエッタは、真剣な面持ちでティファニアの顔を見詰めた。
「ティファニアさん、貴女は構わないのですか? もし、戦になっても……貴女は私達に協力してくれるのですか?」
ティファニアは少しばかり考え込み、それから首を振った。
「……本心を言うと、と理解らないのです。私はサイト達に連れられて、外に出て来られたんです。だから、サイト達の判断に従おうと想っていました。でも……」
「もう、サイト殿は帰えられてしまった。そう、そのことをルイズ、貴女に尋ねに来たのです」
アンリエッタは、ずっと俯いているルイズへと向き直った。
「どうしてサイト殿を帰してしまったの? 確かに彼は“此の世界”の人間ではsりません。“元の世界”へ帰えるのが道理でしょう。でも……ルイズ、貴女は……」
アンリエッタのその言葉で、ティファニアも首肯いた。
才人は、ルイズのことが好きであるのだ。そして、ルイズも……。
「大事な人でした。以上でも、以下でもありません」
心の一部を抑えたような声でルイズが言った。
「だから……一生懸命に考えたんです。彼にとって何が幸せなのか。その幸せのために自分が何をすれば良いのか」
しばしの沈黙が流れた。
アンリエッタは溜息を吐くと、そう……と呟き、ルイズの肩を抱き締めた。
「本当に貴女は優しくって、莫迦ね。ルイズ・フランソワーズ。貴女って、昔からそうよ。親切のつもりで、余計な御節介をしてしまうの。
「でも、それでもそうした方が、彼のためなんです。人にはそれぞれ住むべき“世界”と言うモノがあります」
「私は貴女の意見を尊重したいと想っているわ。だって、幼い頃からの馴染みなんですもの。でも、サイト殿の意向を決めるのは貴女ではないと想うのよ。全く、そんな大事なことを、私達に何の相談もせずに決めるなんて……」
アンリエッタは寂しそうに首を振ると、目を瞑った。
「嫌だわ。私、十分な御礼をして差し上げられなかった。あの方は、私達に何度も何度も御力を貸してくださったのに……」
シンミリとした空気が漂い、側で聞いていたティファニアも何だか泣きたい気持ちに駆られた。
「貴方達は、どう成の? セイヴァー、さん、は帰らなくても大丈夫なの?」
俺は、“霊体化”を解き、アンリエッタの質問に答える。
「俺がいた“地球”は、才人がいた“地球”とはまた別の“地球”だからな。行ったところで何の意味もない。違いを愉しむくらいしかないかもな」
「“違う、ちきゅう”……?」
“オストラント号”での説明を聞いていなかったアンリエッタは首を傾げる。
「平行世界……もし、たら、れば……などと言った可能性の数だけある別世界の1つ。俺は、“地球”の、そんな“平行世界”から来たんだ」
そうですか……と呟いて、アンリエッタはルイズが着込んでいる巫女衣装に目をやった。
式典の間中、ルイズとティファニアはこの格好で教皇の側に控えるのである。式典の彩りだけではなく、“虚無の担い手”が一堂に会する、ための処置である。
“ガリア”の……ジョゼフの手の者達を、引き寄せるための……。
だが、ルイズがこの服に袖を通したのには、また別の理由があるだろう。
「……貴女、修道院に入るつもりね? そうでしょう?」
アンリエッタからの質問に、「いえ」とルイズは首を横に振った。
「この件が片付き、教皇聖下と陛下がその御理想を達成なさったと判断された時……その時こそ出家の許可を戴きたく存じます」
アンリエッタはルイズの手を握った。
「……厳しいことを言ってごめんなさい。1番辛いのは貴女だったわね」
「でも私……やはり堪えられそうにないんです」
ポツリ、とルイズは言った。それから決心したように、ティファニアの方を向いた。
「だからティファニア。御願い」
「ルイズ。貴女、まさか……」
ティファニアは、ルイズの願いの内容に気付き、青褪めた。
「そう。私の中から、サイトの記憶を消して欲しいの」
「何ですって?」
ルイズの言葉に、アンリエッタも顔から色を失わせた。
「いけません! そんな……だって、だってサイト殿は……貴女の……」
「だから、消す必要があるんです!」
ルイズは“聖具”を握り締めて怒鳴った。
「もう2度と逢えない。理解っています。自分でそうしたんですから。でも、このままでは私はただの役立たずです。“ハルケギニア”の“聖女”にはなれそうもありません。だから……」
「ルイズ、ルイズ、そんな頼みは利けないわ。だって、そんなことをしたら、貴女は貴女でなくなってしまう」
「だから良いんじゃない」
ルイズは涙を流しながら叫ぶように言った。
「理解って……ティファニア。同じ“虚無の担い手”なら、理解って欲しいの。私もう、堪えられないの。この先、堪える自信がないのよ。だから……御願い」
ティファニアはどうして良いのか理解らず、アンリエッタとシオンと俺の方へと向いた。
「シオン! セイヴァーさん! 貴方達からも何か言って上げて!」
アンリエッタは、シオンと俺に訴える。
だが……。
「決意は堅い。もう、決めたのね? ルイズ」
「……うん」
シオンからの確認の言葉に、ルイズは涙ぐみながら首肯く。
アンリエッタは蒼白な色を浮かべていたが……そのうちにしめやかに瞼を閉じて、小さく首肯いた。
「……私からも御願いするわ。生きてなお逢えないというのは……死別と同じくらい、悲しいことなのでしょうから」
しばらくティファニアは迷っていたが……ルイズの目を真剣な面持ちで見詰めた。それから、シオン同様に、確かめる。
「本当に良いの? サイトに関する記憶を消したら……大事な想い出もなくなってしまうのよ? 貴女にとって、宝石のような時間が永久に失われてしまうの。それでも良いの?」
ルイズは、巫女服のポケットからブローチを取り出した。
いつだか、才人が“トリスタニア”でルイズに買ったモノである。
ルイズは、ソッとそれをティファニアへと手渡した。
そして、コクリと小さく首肯く。
ティファニアは悲しげに首を振ると、首肯いた。
「私はいつまでも忘れないわ。大事な御友達だったから。でもルイズ、貴女にしてみれば、その記憶が……傾けた気持ちの分だけ、貴女を苦しめるんでしょうね。こうするのが、貴女の選択が……正しいとはとても想えない。でも、それが貴女のためだというなら……だって、貴女も大切な人だもの」
ティファニアは、“杖”を握るとユックリと“呪文”を唱え始めた。
「“ナウシド・イサ・エイワーズ”……」
ティファニアの“呪文”の調べの中、ルイズは才人との想い出を1つ1つ反芻し、確かめて行った。消えて行く運命にあると想われる記憶達を、ルイズは何よりも“愛”しく感じた。
「“ハガラズ・ユル・ベオグ”……」
初めて出逢った時のこと……、(こんな奴が“使い魔”何て)とガッカリした日。
「“ニード・イス・アルジーズ”……」
“ゴーレム”に踏み潰されそうになった時に救けてもらったこと。
「“貴族”がどうした!?」、と頬を殴られたこと。
“フリッグの舞踏会”で一緒に踊ったこと。
“アルビオン”での冒険。
傷心の中、シルフィードの上でのキス。
「“ベルカナ・マン・ラグー”……」
始まった戦争の中で、何度も衝突し合ったこと。
自分達のために、捨て駒を引き受けたこと。
数えることも愚かしいとすら思えるほどの、幾多といえる冒険の数々。
何度も諦め掛けた生。それ等全てを解決したルイズだけの騎士。
日ごとに、掛け替えのない絆が生まれて行き……強く固く2人を結び付けた。
2人で過ごした数多の夜。
何度も交した唇……。
それ等全てが、遠くへと離れて行く。
ルイズは、「私は……」と呟き、(サイトのために別れを選び、自分のために記憶を捨てる。ホントに我儘ね)と同時に考えた。
そしてルイズは、(でも神様。赦してください。私……きっとこれから“虚無”になるんですから。名実共に、空っぽになるんですから。水のない水筒に。心を失くした人形に……だから、私の罪を御赦しください。“虚無”。自分の“系統”に相応しい姿ね)と最後に想った。
“呪文”が完成して、ティファニアは“杖”をルイズへと向けて振り下ろす。
アンリエッタは思わず目を背ける。
シオンの俺は、そんな3人を静かに見詰める。
部屋の中に、“虚無呪文”の光が輝き……唐突に、ルイズが持つ才人に関する記憶と共に掻き消えた。
ただ、彼との繋がりがを残したままに。
“虚無呪文”の光を、ルイズが持つ“令呪”が反射させ、神秘的な光が部屋の中を包んだ。