“ガリア背骨”とも言われる“火竜山脈”は、その東端で趣を変える。
その分水嶺は、南北に“ガリア”と“ロマリア”とを分ける国境になるのである。
“火竜山脈”を下った先、内海に面した土地には“アクイレイア”の街がある。そのわずか北方10“リーグ”の所に、“下流”を南北に突き破る街道が存在する。
“
地層の断裂で生まれた山脈を引き裂く、幅が数十“メイル”ほどの地峡を利用して、数千年前に“メイジ”達が造り上げた街道である。“ロマリア”頭部から、“ガリア”へ通じる唯一の街道であるために、街道は常に行き交う商人や旅人で溢れている。
左右を切り立った崖に挟まれている谷底にある街道は、余り陽が射さない。この街道が整備された頃、昼であっても薄暗い此の土地には旅人を襲う虎が……人喰い虎が暴れていたという記録が残っている。討伐隊が何度か組織され、人喰い虎が退治された頃、今度は山脈が出没するようになった。
街道を行き交う人々は、その山脈をかつての人喰い虎に擬え、この街道を“虎街道”を呼ぶ様になったのである。
だが、今現在は国境が安定したために山賊も殆ど出なくなったといえるだろう。たまに食い詰めた盗賊団が現れるばかりで、かつての暗いイメージというモノはないに等しい。
街道の横には篝火が置かれ、途中開けた場所には宿場町もある。
“虎街道”は、華やかな“ハルケギニア”の主街道の1つとして、“ロマリア”と“ガリア”の繁栄に寄付していた。
そんな街道の“ガリア”側の関所では、少しばかり騒ぎが持ち上がっていた。
「通れねえ? 御役人さん、どういう了見だい?」
関所の門が固く閉ざされ、その前には旅人や商人達が群がっている。
「通れぬモノは通れぬのだ。追って沙汰があるまで、待っておれ」
1人の商人が役人へと詰め寄った。
「おい、待ってくれよ! 明日の晩までにこの荷を“ロマリア”まで運ばないと、こちとら大損こいちまう! それとも何だ、あんたが代わりに荷の代金を払ってくれるとでも言うのか?」
「馬鹿を申すな!」
次から次へと、街道の利用者達は関所の役人へと詰め寄る。
「教皇聖下の“即位3周年記念式典”が終わってしまうだよ! この日を私がどれだけ楽しみにしていたのか、あんた達に理解るもんかえ!?」
「“サルディーニャ”に嫁いだ娘が病気なんだよ」
関所の役人はとうとう“杖”を構えて、言い放った。
「私だって知らん! 御上からは、“街道の通行を禁止せよ”、との命令以外、何も受けておらんのだ! いつになったらこの封鎖が解かれるのか、私の方が知りたいくらいだ!」
集まった人々が、顔を見合わせる。
その時……1人の騎士が勢い込んで駆けて来た。馬から降りるのももどかしいといった様子で、手綱を放り投げたまま役人へと詰め寄った。
「急報! 急報!」
「どうなされた?」
「“両用艦隊”で反乱が勃発! 現在、“虎街道”方面に進撃中!」
「冗談にもほどがありますぞ。“両用艦隊”が反乱など……」
騎士はそれに答えず、空を見上げた。
北西の方角から……小さな点が幾つも現れ始め、徐々に大きくなり艦隊の形を取り始める。
「りょ、“両用艦隊”……」
だが、見上げた艦隊はいずれも艦尾に軍艦旗を掲揚していない。それは詰まり、この艦隊が“ガリア王政府”からの指揮下を離れたということを意味している。
「……今は名もなき反乱艦隊ですな」
「どこに向かうつもりなんだ? この先は“ロマリア”だぞ? 国境を超えて亡命するつもりなのか?」
集まった通行人達も、不安げに空を見上げる。
「何か吊って居るぞ!」
1人がそう叫んだ。
艦隊の真ん中に位置した数十隻ほどの戦列艦が、ロープで何か吊り提げているのである。良く見ると、どれもヒト型をしている。
「何だありゃあ? “ゴーレム”か? “ガーゴイル”なのか?」
「生意気に甲冑を着込んでらあ」
鈍色に輝く鎧を着込んだ“ゴーレム”のような巨大なヒト型を見詰めていると、役人の背筋に冷たいモノが流れた。忌むべき何かを、本能的に感じ取ったのである。
役人は、呆然として“ロマリア”目掛けて進撃する艦隊を見守った。
「一体、何が始まるというんだ……?」
元“両用艦隊”――“シャルル・オルレアン号”の上甲板で、艦隊司令のクラヴィル卿は、長い艦隊勤務で日焼けした顔を、困惑と期待に歪めていた。
「意味が理解らぬ。意味が理解らぬ」
ブツブツと、そんな事を一生懸命に呟いている。
海と空の上で一生のほとんどを過ごして来た彼は、自分の主君の考えが全く理解できないのである。
――“反乱軍を装い、ロマリアを灰にせよ”。
端的に言って、彼が受けた命令はそれだけであった。
候補生の頃より30年以上もの間、これほど妙で単純で残酷な命令を、彼は受けたことはなかったのである。
クラヴィルは、元より政治などには疎い人物である。彼より優秀な人間達は、政治に興味を抱き、内紛に巻き込まれ勝手に自滅して行った。首を竦め、ただただ忠実に命令を実行し……気が付けば提督になっていたのである。幾度もの戦いを経験し、名実共に提督としての名声は高まって行った。
クラヴィルの頭の中には、(その地位に自分は相応しかったのだろうか?)といった種類の問いが常にあった。答えをジックリと考えるほど、提督勤務は暇ではなく、脳裏を過ぎる余裕もないほどには忙しくはなかったのだが。
そして、時間は光の矢のように過ぎて行った。
クラヴィルが(このまま大過なく過ごして……沢山の勲章を貰い、引退して、領地で狩りでもして暮らそう)と考えていた矢先に……「“ロマリア”をくれてやる」とジョゼフがそう言ったのである。
一国を貰うことができるというからには、最悪、大公の地位が約束されたも同然である。いや……“ロマリア”ほどの規模の土地であれば、“王”、と呼ばれるのが相応しいといえるだろう。
“王”。
それは、クラヴィルが今まで想像したことのない地位であった。
当然、クラヴィルは現実感を覚えていない。だがその響きは甘く、クラヴィルの心を逸らせるのである。
「俺は、自分が欲のない人間だと想っていた。いや、そう想い込んでいたよ」
独り言のように、クラヴィルは呟いた。
自分に対する問い掛けだと判断した、隣に立つ艦隊参謀のリュジニャン子爵が口を開く。
「領地を灰にして、どのような
皮肉が混じっていた。
リュジニャンは、ジョゼフに対して含むところが大きいのである。
「知らん」
「率直ですな」
「御前との付き合いは、どれほどになるかね?」
「10年以上になりますな」
「俺はずっと、忠実に命令を守って来た。気が付いたら、今の地位まで昇り詰めていた。才があったなどとは、口が裂けても言わん。だが……野心がなかった訳ではない」
リュジニャンは、疲れたような声で言った。
「私もですよ」
「何、どこまで灰にするのかどうかは、俺の裁量だ。その辺りの塩梅には、陛下も口を挟まんだろう」
「さて、そこまで上手く行くかどうか。“サン・マロン”で乗せた例の客……あの妙な女と男達、そしてこの艦の腹に括り付けられた巨大な騎士人形。あいつ等は、ホントに“ロマリア”を灰にしてしまうかもしれません。我々がどう考えようが。この艦隊は彼女の指揮下にありますからね」
シェフィールドと名乗るジョゼフ王直属の女官の顔を、クラヴィルは想い出した。
不吉な香りが漂う女性であるといえるだろう
クラヴィルは、(あの女なら顔色1つ変えずに、比喩でも何でもなく、本当の意味で“ロマリア”を灰にしてしまうかもしれない)と考えた。
「それだけではありません。士官の間では、今回の作戦に対して、想うところがあ者が多いようです。まあ、それは当然でしょうが……噂では、“
「艦隊の士官には全員領地をくれてやる。男爵の位も就けてな。リュジニャン、貴様は公爵だ」
リュジニャンは首肯いた。
「直ぐに触れを出しましょう。ところで……」
「何だ?」
「この陰謀とやらで、何人死ぬのでしょうかね?」
不意に、これは戦などではない、とうことにクラヴィルは気付いた。
詰まるところ、これは単なる賭けなのである。
“ロマリア”が灰になることも。
クラヴィルが“王”になれるかどうか、ということも。
艦の乗組員が、大人しく言うことを利くかどうか、ということも。
このような卑怯な陰謀を聞いたことも見たことも、当然クラヴィルはなかった。だが、彼は逃げ出さなかった。痛む良心は、眠っていた大きな野心の前に吹き飛んでしまったのである。
クラヴィルは、(俺は心のどこかで、こういう賭を望んでいたのかもしれない。己をも含む、人の命をコインにして行うルーレット。邪悪極まりない、慈悲の欠片もない、無惨な賭け……)と想った。
見張り員が、震える声で叫んだ。
「左前方! “ロマリア”艦隊!」
“シャルル・オルレアン号”の砲甲板で、ヴィレール少尉は怒りに震えていた。
「一体、何々だ!? この戦いは!? 大義の欠片もないじゃないか!」
艦内の士官達も、ヴィレールと似たような気持ちであるといえるだろう。
彼等は先日、訳が判らぬままに出撃準備を行わされ、ここまでやって来たのである。
彼等の中での噂では、“ロマリア”に戦を仕掛ける、とのことであった。
「訳が理解らない……どうして僕達が“ロマリア”と戦わなきゃならないんだ?」
水兵達も、当惑した顔で士官達の様子を見詰めている。
上甲板から副長が駆け下りて来て、当惑顎の士官達に告げた。
「艦隊司令長官より、“両用艦隊”全乗組員へ! 当作戦に参加した全将兵には、特別な恩賞が与えられる! 全ての士官には爵位を! 兵には“貴族”籍を与えるとのことです!」
だが、砲甲板の誰もが歓声を上げ無かった。冷ややかに、副長を眺めるのみである。
「褒賞選り、詳しい説明を頂きたい。我々は、一体何のために“ロマリア”と戦わねばならぬのですか? “ロマリア”は同盟国ではありませんか。命令に従うのは我々の責務とはいえ、幾ら何でも不可解過ぎる」
そう詰め寄ったヴィレールに、副長は言い放つ。
「持ち場に戻れ。そろそろ接敵するやもしれぬ」
「敵? 敵とは“ロマリア”軍のことですか? “ロマリア”が何故敵なのです? 彼等と我々の間に、戦になる、どのような理由があるというのです?」
ヴィレールの仲間の砲術士官が、疑わしげな視線を副長へと向けた。
「何故、我々は軍艦旗を掲げぬのですか?」
「そ、それは……」
「我々は反乱を起こしたのだ、という噂を耳にしました。寝耳に水です! 一体、誰が、反乱など起こしたというのです?」
「反乱だって!?」
砲甲板の混乱は、頂点に達した。
ヴィレールは、副長の胸倉を掴んだ。
「反乱を行うにも、それなりのやり方というモノがあるでしょう!? 先ずは全将兵を集め、いずれの側か恭順を問うのが作法というモノ! 一体、艦長と司令長官は何を御考えなのか!?」
「無礼者!」
副長は“杖”を抜いた。
ヴィレールを始めとする砲術士官達も一斉に“杖”を引き抜く。
一触即発の空気が砲甲板に漂う。
そこに、伝令がすっ飛んで来た。
「も、申し上げます! “ロマリア”艦隊が接近中! 砲戦準備!」
その報告で、副長は“杖”を収めた。
「……話は後だ。取り敢えず生き残ることを考え給え」
「くっ」
悔しげに、ヴィレールは壁を殴り付けた。
接近して来た“ロマリア”艦隊は、40隻ほどである。新造の艦が多いとはいえ、数の上では120余隻を数える“両用艦隊”の敵ではないといえるだろう。
だが、接近して来た“ロマリア”艦隊は一戦をも辞さぬ覚悟のように思わせる。船腹を見せて戦闘隊形を取ると、一斉に砲門を開いたのである。
そして、“両用艦隊”へと信号を送って寄越した。
「接近中の国籍不明の艦隊に告ぐ。これより先は“ロマリア”領なり。繰り返す。これより先は“ロマリア”領なり」
勿論“ロマリア”艦隊側も、現れたのが“ガリア”の“両用艦隊”であるということは百も承知である。だが、“両用艦隊”は軍艦旗を掲げていないのである。その問い掛けは当然のことであるといえるだろう。
クラヴィルは、打ち合わせ通りの返信を行った。
「我等は、“ガリア”義勇艦隊なり。“ガリア王政府”の暴虐に耐えかねる、正統な王を据えるべく立ち上がった義勇軍なり。次いては“ロマリア”の協力を仰ぐ者なり。亡命許可を得られたし」
捏ち上げである。
だが、正統な王を据えるために立ち上がった義勇軍、という肩書にすることで、“王権同盟”はその効力を発揮させることはできないといえるだろう。その4カ国同盟は、相手が共和主義相手の時のみ、有効となるためである。
「本国政府に問い合わせる故、しばし待たれし」
予想通りの答えが返されて来る。
さて、型通りの挨拶は済んだと判断できるであろう。
これより先の、“両用艦隊”の行動計画はとても単純であるといえる。
数で劣る“ロマリア”艦隊を問答無用で吹き飛ばし、式典で賑わう“アクイレイア”に腹から吊った騎士人形を一気に降下させるのである。後はジョゼフ王直属の女官とされる、シェフィールドの指示に従う……。
だが、“ロマリア”艦隊は、更に距離を詰めて来た。
まるで、“ガリア”側の行動目的を読み取っているかのような動きである。
「奴等、我々の目的を知っておるのですかな?」
リュジニャンはが呟く。
「どっちでも良い。どの道、奴等は灰になるのだ。戦闘準備!」
艦隊は一斉に回頭すると、“ロマリア”艦隊と併走を始めた。
「右砲戦開始! 目標! “ロマリア”艦隊!」
直ぐ様砲甲板へとその命令が伝えられる。
マストに旗旒信号が掲げられ、旗艦の命令は各艦に伝えられた。
だが……どれほど待っても、大砲の発射音が響いてこない。通常、旗艦が発砲しなければ、他の艦は射撃を開始できないのである。他の艦も沈黙を保ったままである。
「どうした? トラブルか? 誰か、砲甲板を覗いて来い!」
側に控えた副長が硬い顔で下りて行く。それから、苦々しい顔で戻って来た。
「砲甲板で反乱! 戦闘拒否です!」
リュジニャンが、苦笑を浮かべた。
「どうやら我々は、やはり後世の劇作家のネタのために、ここにいるようですな」
クラヴィルは顔を真っ赤にさせた。
「甲板士官! “杖”を執れ! 砲甲板の連中を鎮圧するぞ!」
さて、クラヴィルが砲甲板へと向かおうとした時……後ろから女の声が響いた。
「司令長官」
「こ、これはシェフィールド殿」
陛下直属の女官という触れ込みの、怪しいなりをした女性がそこには立っていた。黒い、まるで古代の呪術師を想起させるローブに身を包み、顔を隠すほどに深くフードを冠っている。その隙間から覗く唇は、まるで血を啜ったかのように赤い。
「我々を降下させよ」
「だが……まだ“アクイレイア”の上空ではありません。ここはまだ国境線の上です」
クラヴィルは、眼下の“虎街道”を指し示した。
「構わぬ。それより時間が惜しい」
「危険ではありませんか?」
シェフィールドは、ニヤリと笑みを浮かべた。
「敵軍など、脅威の欠片にすらならぬ」
クラヴィルは、そのシェフィールドの笑みで、急激に現実へと引き戻されたかのような感覚を覚えた。
「各艦に下令。砲戦準備解除。積荷を投下せよ」
シェフィールドは振り向きもせずに、“シャルル・オルレアン号”が吊り提げている“ヨルムンガント”に跨るべく、舷縁から跳び降りた。
シェフィールドは、“メイジ”でもないのに軽やかに身を空中に躍らせ、ロープを掴み、“ヨルムンガント”の肩に舞い降りる。
それを確認した後、クラヴィルは甲板の水兵に命じて、吊り提げたロープを切断させた。
艦隊の中程に位置した各艦から、次々に巨大な鋼鉄の甲冑が降下して行く様が見える。背中には、大砲、剣や槍らしきモノ、沢山の武器を背負っている。
間近で見ることで、やはり“ヨルムンガント”は“ゴーレム”とは比べモノにもならぬ迫力を放っているといえるだろう。
ユックリと巨大甲冑達は降下して行く。
次いで大量の“竜の牙”も投下される。
クラヴィルは、(“レピュテーション”でも発生させる“魔法”装置を、その内部に仕込んであるのだろうか? そうだとしたら、それだけでも恐るべき技術と言えるな。噂では、あの甲冑人形の開発には“エルフ”が関わっていたらしい。それもさもありなん、と想える性能だ。大砲をあのように、まるで銃器のように操られたら……城壁など何の防御にもならぬ。そして、あのような巨大な甲冑人形が操る剣の破壊力はいかほどのモノだろう? あの甲冑を貫けるような“魔法”がどこにあると言うのだ?)と考えた。想像するだけで、クラヴィルの背筋が震えた。
“ロマリア”を灰にする。
実感を覚えることができない言葉であるといえるだろう。だが、確かにあの凶悪な香りが漂う甲冑人形なら、それも可能だろう、とクラヴィルは想った。
「何ということだ」
目先の欲に眩んだとはいえ、クラヴィルもまたその手伝いをしようとしていたのである。
これ以上あのような連中とは関わりたくない、とクラヴィルはそう想った。
上空に占位した艦隊を除いて、“ロマリア”側で、空から落ちて来る“ヨルムンガント”を初めに確認したのは、“虎街道”の出口付近に展開している“ティボーリ混成連隊”であった。
彼等は、「“ガリア”軍の侵攻に警戒せよ」との命令を受け、式典の開始と同時に、ここで任務に就いて居いたのである。
“ガリア”の侵攻などある訳がない、と笑っていた彼等であったのだが、上空に“ガリア”艦隊を発見した時には、その考えを改めざるをえなかった。どういった理由があるのか、“ガリア”軍は本当にやって来たためである。
攻め込まれて来た時の行動は、既に下知されていた。
――“敵種の如何を問わず殲滅せよ”。
――“額に文字の書かれた女を見付けた場合、必ず捕えよ”。
連隊長を務める“聖堂騎士”は、緊張した声で呟いた。
「“ガリア”艦隊が投下したあの甲冑人形は……“ゴーレム”か?」
甲冑人形――“ヨルムンガント”達は次々と、左右を高い崖に挟まれた“虎街道”峡谷の中に吸い込まれて行く。
「あの“ゴーレム”だけで、戦をするつもりなのですかな?」
副長が、耳を弄りながら呟いた。
「見たところ、他に降りた兵はいないな……まだ艦につんでいるのかな?」
「どうされます?」
副長が尋ねた。
「どちらにせよ、今の内に各個撃破した方が楽に決まっている。行くぞ」
自信たっぷりといった様子で、連隊長は言った。彼の自信には、きちんとした裏付けがあった。彼の指揮下にあるのは、銃歩兵大隊だけではないのである。移動できる砲兵も、参列しているのだから。
2個歩兵大隊が“虎街道”への進軍を始めると、その砲兵大隊が草を食むのを止め、のっそりと立ち上がった。
立ち上がったのは、甲長4“メイル”はあろうかという、巨大な陸亀である。そして何と、“ハルケギニア”の南方に棲息するその大亀の背中には、太い青銅製のカノン砲が設置されていた。
“砲亀兵”である。
“ハルケギニア”では割とポピュラーな兵科であるといえるだろう。
一般に思われているほど、亀は歩みの鈍い生き物ではない。
その亀に背負わせることにより、大砲の迅速な展開を可能にさせたこの兵科は、“ハルケギニア”の攻城戦を一変させたと言われているほどである。
亀付きの兵隊達は、亀の口に結わえられた手綱を巧みに操り、“砲亀”に進軍を開始させた。
大砲を背負い、ズシッ、ズシッ、と足音を響かせて歩く亀は一種の滑稽さを醸し出している。
だが、この亀が背負った大砲は、滑稽とは1番遠いところに存在している。動きの鈍い“ゴーレム”など、この“砲亀兵大隊”の一斉射を喰らうことでバラバラに吹き飛んでしまうだろうことは明白で在る。
そう。
ただの、“ゴーレム”であればの話だが。
街道に入り、5“リーグ”ほど進んだ先で連隊長は一旦部隊を止めた。
そこは峡谷に挟まれた“虎街道”で唯一、開けた場所である。左右には建物が並び、ちょっとした宿場町であるといえるだろう。
平時であれば旅人達で賑わう場所であるのだが、“ロマリア”側でも通行を禁じたために人影はない。
連隊長は、そこに部隊を展開させ、先を窺う。
1“リーグ”ほど先に蠢く影を見付け、(恐らく敵は素人だ。これほど狭く逃げ場のない場所で、ノンビリと“ゴーレム”を進軍させるとは……)と考え、連隊長はニヤリと笑った。
「あれでは、射的場の的ではないか。“砲亀兵”、弾込め」
亀に取り着いた兵隊達が、大砲に火薬と砲弾を込める。“砲亀兵”が搭載したカノン砲の射程距離は2“リーグ”弱でしかないために、“ゴーレム”ほどの大きさに撃ち当てるためには、500“メイル”ほどまで近付ける必要がある。
連隊長はそれまで待って、一気に片を着けようと判断した。
兵隊達も、小馬鹿にしたような笑みを浮かべ、軽口を叩き始めた。
だが、その“ゴーレム”が近付くに連れ、軽口は驚愕の呻きへと変わって行く。
「甲冑を着てやがる」
「何だか、動きが軽くねえか?」
連隊長は、その“ゴーレム”達の姿に、本能的な恐怖を覚えた。
ただの、“ゴーレム”ではない。
「う、撃てッ!」
恐怖に震え駆られた結果、連隊長は焦って射撃命令を下してしまう。
“砲亀兵”は次々にカノン砲から砲弾を発射した。
狭い谷に大砲の発射音が響き、共鳴する。
亀は、甲羅に首を引っ込め、砲台として良く射撃の衝撃に耐えた。
命中を期待できる距離ではないとはいえ、目標は固まっているということもあり、また門数も多い。
砲弾は見事“ゴーレム”の群を包み込むように着弾し、辺りに煙を振り撒いた。
何発か命中したのであろう、金属が響く音が聞こ得て来る。
大口径のカノン砲である。
命中すれば、ただの“ゴーレム”で在ればバラバラになるであろう。
だが……煙の中、“ゴーレム”――“ヨルムンガント”達は何事もなかったかのように動いている。
「無傷です」
呆然とした様子で副長が告げる。
「馬鹿な……カノン砲の直撃だぞ。城だって撃ち壊す“砲亀兵大隊”の一斉射だぞ」
「次! 次射だ! 早く!」
だが、次射が行われることはなかった。
“ヨルムンガント”が一斉に駆け出し、向かって来たのである。その手には、巨大な大砲が握られているのが見える。
「“ゴーレム”が走ってる!? “ゴーレム”が!」
「手に大砲を持ってるぞ!」
「ひぃいいいいいいいいいい!?」
パニックに陥った連隊の兵士達は武器を放り出し、我先にと街道の出口へと向かって逃げ出した。
“ヨルムンガント”が、手にした大砲を一斉に放ったのはその時である。
熱く焼けた榴弾が、逃げ出す連隊の真ん中で炸裂した。
先程の“砲亀兵”のモノとはまるで桁違いな大音声が響き、辺りはまるで地獄絵図のようになった。
これほど狭い場所で、中に火薬を仕込んだ榴弾が爆発したのだから堪らないであろう。
“ティボーリ混成連隊”はその一撃で、事実上壊滅した。
バチバチと火が弾ける中、“ヨルムンガント”は街道を南下した。その姿は、地獄を辺りに撒き散らす、古代の悪魔の軍団であるかのようである
幸運にも、いや、不幸にも生き残った兵隊が1人、首を引っ込めた“砲亀”の側から、通り行く“ヨルムンガント”の群を見上げた。
「ば、化け物……」
次いで、二本足の骨としか形容の出来ないモノが、“ヨルムンガント”の後方から続いて行進して来る。それ等は、“竜”の特徴を持ったヒト型をしており、それぞれ剣や槍や弓矢などを握っている。
“竜牙兵”である。
そのうちの一体が、生き残った兵隊の身体を斬り裂いた。
“アクイレイア”の“聖ルティア聖堂”の教皇控室は、蜂の巣を突いたかのような騒ぎになっていた。
神官達は、次々に運び込まれる国境付近での戦闘の報告に怯え、隅っこの方で震えている。
“聖堂騎士隊”の隊長達が、郊外に駐屯した己の騎士隊に向かうべく、聖堂を飛び出して行く。
外では、突然中止になった教皇のミサの理由が、“ガリア”の侵攻のためであると、火のような速さで噂が伝わり混乱の極みを呈していた。
“ハルケギニア”全土より集まった外国からの信者達は、取り敢えず街から逃げ出そうとして右往左往の騒ぎを繰り広げている。
そんな中、アンリエッタは何が何やら判らぬままに、1人控室の中で呆然と立ち尽くしていた。
飛び交う怒号。
次々駆け付けて来る急便。
アンリエッタは、(戦? “ガリア”が戦を仕掛けて来たの?)とその現実に、頭が着いて行かないといった様子を見せる。それから、(陰謀で済むモノを、どうしてまた戦など仕掛けて来たのかしら?)と考える。
1人の騎士が、国境付近で“ガリア”艦隊と睨み合っている“ロマリア”艦隊からの急報を携えて来た。
「攻めて来たのは“ガリア”の反乱軍とのことです!」
その報せを聞き、居並ぶ武官達は一笑に付した。
「反乱軍がどうして外国に攻め入るのかね?」
「亡命を拒否されたから、とのことです」
武官達は大声で笑った。
側で聞いていたアンリエッタも、あまりに不器用な言い訳だ、と首を横に振る。次いで、とうとう始まってしまった、と悲しみに暮れた。
ここは国外であるために、アンリエッタには汎ゆる指揮権が存在しないのである。何も出できぬもどかしさだけが、アンリエッタの心の中で巡る。連れて来た“
肝心の教皇ヴィットーリオはというと、奥の個人用の控室に数人の部下を連れて引き篭もったままであり、姿を見せないでいるのだ。
アンリエッタは、“ガリア”の突然の侵攻は、“ロマリア”の挑発行為にあると判断していた。国境に兵など集めるから“ガリア”を刺激してしまったのだ、と。
アンリエッタは、(やはり、陰謀、のみを引き出す謀略に留めておけば……)、と自分の無力さに歯噛みした。
その時、“アクイレイア”駐屯の“ガリア”領事が、伴の騎士を引き連れ尊大な態度で現れた。
ヴィットーリオの代わりに臨時の執務を任されている武官団がその相手をした。
「遺憾に堪えませぬ。誠に遺憾に堪えませぬ。このたびは、我が国の叛徒共が、貴国に多大なる迷惑を掛けているとのこと。我が王も深い憂慮の意を示されております。就きましては……」
事情を察している武官は、歯に衣着せぬ物言いで領事に告げた。
「鎮圧の兵なら要らんぞ。更に強盗の仲間を屋敷に引き入れる馬鹿がどこにいる? 帰ってジョゼフに伝えろ。“信仰篤き我がロマリアの精兵は、ガリアの異端共を1人残らず叩き潰してくれる”とな」
「何を仰るのか。これは反乱です。彼等は我が国にとっても……」
言葉を続けようとした“ガリア”領事に、“ロマリア”武官は“杖”を突き付けた。
居並ぶ神官達から悲鳴が上がる。
「武官殿、武官殿、聖堂を血で汚されては……」
恐怖で震える“ガリア”領事に、武官は言葉を投げた。
「失礼。我等“ロマリア”武官は殆どが“聖堂騎士”上がりなモノでして。いささかの不調法は御赦し願う。だが、御言葉にはくれぐれも注意されよ。貴方方文官にとって、言葉は我等の“杖”のようなモノ。抜かれる際には、是非とも御覚悟を」
“ガリア”領事は何度も首肯くと、這々の体で這い出して行った。
見事な口上で“ガリア”領事に恥を掻かせた武官に、拍手が飛ぶ。
そんな騒ぎを見詰めながら、アンリエッタは、戦が始まったということを実感した。
教皇の控室の扉が開き、伴の神官団を連れたヴィットーリオがやっとのことで姿を見せた。
アンリエッタの頭に血が昇り、ヴィットーリオの側へと駆け寄った。平手打ちをしたい欲求をどうにか堪え、アンリエッタは心の底に渦巻く感情を言葉にして爆発させた。
「聖下! 貴男はどう責任を取る御積りなのですか!? 貴男の挑発で、“ガリア”は戦を仕掛けて来たではありませんか!」
「私の挑発?」
怪訝な顔で、ヴィットーリオが問い返す。
「そうです! 貴男が、国境に軍など配備するから、要らぬ戦が起こる羽目になったのです!」
「これは異なことを。国境に軍を配備しなければ、我等には会議する時間すら与えられませんでしたよ。彼等が決死の覚悟で敵を喰い止めているからこそ、我等はこうやって対策を練ることができたのです」
ヴィットーリオは、アンリエッタに顔を近付けた。
「我が同胞、を殺すために、ジョゼフ王は軍を使った。それだけの話ではありませんか?」
あっと言う間に言い包められてしまい、アンリエッタは悔し涙を流した。
「でも、でも……何も戦になることは……」
そんなアンリエッタへと、シオンは駆け寄り抱き締める。
「貴女方は誤解しておられる。アンリエッタ殿。シオン殿。こたびの戦いは政争ではないのです。陰謀を暴いて失脚させる等の、宮廷の飯事とは根本に意を変えるのです。どちら滅亡するのか。この世から消え去るのはどちらなのか。そういう種類の戦いなのです、陰謀を暴くのはその手段の1つに過ぎません。そしてそう、戦もまた……その手段の1つなのですよ」
アンリエッタは、呆然としてヴィットーリオを見詰めた。ヴィットーリオが持つ峻烈なほどの信仰心の裏側にあるモノに、アンリエッタは気付いたのである。
この教皇の心には……まさに慈悲と残酷が無理なく同居しているのである。
「交渉? 調停? そんなモノはもはやこの戦いには存在しません。こうなったからには全力で相手を叩き潰す。同じ力を持つ以上、完全なる同盟か、完全なる敵対か。そのどちらかしかないのです、今回の件を、通常の外交と捉えられては私が困る。恐らく、ジョゼフ王もそうでしょう」
「聖下……貴男の理想は確かに素晴らしいモノでしょう。ですが……その先で我々は、停滞、自滅などと言った道を辿ることになるでしょう」
「其れは、どういう意味でしょうか?」
「貴男はヒトの未来を見据えておられる。ですが、それだけでは駄目なのです。世界を見るべきです。世界の未来を見据えるべきなのです。世界には、バランス、というモノがあります。今は、良くとも、この先は……」
「それでも私は、私の信じる道を……1人の“ブリミル教徒”として、そして1人の人間として、心の拠り所のために」
居並ぶ神官や武官達に、ヴィットーリオはシオンとの問答を終わらせ、向き直った。
ここには、“ロマリア”の中枢を担う人物が集まっている。
その陣容を見て、アンリエッタは(どうして気付かなかったのかしら? 陰謀の証拠を掴み、ジョゼフ王を退位に追い込む。“エルフ”に“聖地”を返還するよう、交渉を持ち掛ける。それ等が決裂したら、私はどうする積りだったの? 大人しく引き退がる?馬鹿な。それができるくらいなら、初めから考えすらしないわ。だけど聖下は違う。彼は交渉が決裂したら、直ぐ様こうするつもりだったにちがいない。それが早まっただけのこと……)と考えた。
彼は、ヴィットーリオは、「“ブリミル教徒”同士が争う愚を終わらせたい」と言っていた。
アンリエッタは、(嗚呼、元々聖下はそのために、国や民全てを賭け金にして、乾坤一擲の博打をするつもりだったのね。大きな狂気をたった1度だけ用いて、全てに片を着けるつもりなのね)と想った。
「“ガリア”の異端共は、“エルフ”と手を組み、我等の殲滅を企図している。私は“始祖”と神の下僕として、ここに“聖戦”を宣言します」
聖堂が一瞬静まり返り、それから水が沸騰したかのように沸いた。
「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!」
“聖戦”。
“ハルケギニア”の民にとって、伸るか反るかの大博打。
この世で人のみが行える、果てのない殺し合い……。
熱狂は収まることはなかった。
この瞬間より、彼等は神と“始祖ブリミル”のために、死をも恐れぬ戦士となったためである。
アンリエッタは、ヘタリと床に崩れ落ちた。
“聖戦”が発布されてしまったのだ。味方が死に絶えるか、敵を殲滅するまで終わらないであろう。落としどころなどないといえる狂気の戦が始まってしまったのである。
もう、たった1人の力ではどうすることもできない。この戦を止めることは、ヒトにはできないといえるだろう。
現代の、“始祖ブリミル”の名代となった男は、言葉を続ける。
「“聖戦”の完遂は、“エルフ”より“聖地”を奪回することにより為すモノとします。全ての神の戦士達に祝福を」