魔女ノエルと8人の大魔女 〜この世で最初の魔女集会〜 作:もーる
北東の国・ヘルフス。
あくまで央の国・ノーリスを中心とした方角分布で付けられた呼び方であるため、実際にはメモラよりもさらに北にある大陸最北端に位置する国である。
常冬のその国で、大魔女・エストは自室で山積みになった書類の束に囲まれていた。
家の周りはヘルフスの王国兵士が囲んでいるという完全な監視下に置かれている中、エストは気怠そうに羽根ペンを回している。
これはエストがこの家から脱出するお話……ではなく、家から出ないことを決断するお話である。
***
それは、アチキが大魔女集会のためにヴァスカルに行って帰ってきた日のことだった。
突然、見覚えのある兵士たちが紙の束を持ってアチキの家を訪ねてきた。
「……これはどういうことっスか?」
「我々はエスト様が不在だった間の仕事を持ってきたまでです」
「は? アチキの仕事? この前の
「『大魔女としての仕事』と聞いております。全て国王様の命令によるものとなりますので、拒否権はないものとお思いください。ここの机に置いておきますね」
「えっ、何スかそれ? え、あっ、ちょっと! 書類だけ置いて出ていくんじゃな…………帰っていっちゃったっス……」
机の上には魔導書10冊分くらいの分厚い紙の束と、その上にメモが置いてあった。
アチキは雑な字で書かれたメモを読み上げる。
「えーと……『これらの資料や依頼を手短にまとめて提出して欲しい。期限は7日後とする』……?」
アチキはもう一度、メモの下にある紙の束を見た。
そして何度かメモと目線を行き来し、自分が置かれている状況を理解した。
「あっ、これもしかして、大魔女になったせいで国のパシりをさせられるってことっスか!? いやいや、まだ何も大魔女になった恩恵すら受けてないってのにこんな仕打ちは酷いっスよ!」
そんなことをボヤきつつ、メモに目を戻す。
すると、メモを持っていた手元の部分にこんなことが書いてあった。
「『期限内に終わらせることができたら、報酬金はたんまりと用意させてもらう』……。だから、こっちは大魔女の特権をまだ使ってないってのにそんなこと言われても……。ん、いや、でも考え方によっては特権と別枠の報酬ってことっスよね……?」
そう考えると、普段の魔法の研究の時間が多額のお金に変わるということだ。
あまり金持ちというわけではないし、特権はノエルたちの研究場所の確保のために使うつもりだったから、それとは別の研究費を稼ぐためと考えると、悪くない話だった。
「とはいえ、仕事内容次第っスけど。興味ない内容だったら即座に返却してやるっス」
そう言って、アチキは書類の一番上を手に取る。
「……ヘルフスの兵士たちの税金の経理依頼、こっちは国勢調査の集計依頼、それに雪山の測量資料の
アチキは玄関にあるコートを手に取り、その足でヘルフス王に直談判に向かった。
***
「こういうのは専門家に頼むものだと思っていたんスけど、どうしてアチキがしなきゃいけないんスか! 報酬以前に、アチキの知識の及ばない内容を依頼しないで欲しいっスよ!」
今のヘルフス王は常冬の国という印象とは真逆の、情熱に溢れた豪快な男だ。
その豪快さゆえに、国民たちの抗議がどんなに無礼な言い方だったとしても笑って応対してくれる。
その寛容さもあってか、国民たちからはとても人気が高い。
「ガハハ! ヘルフスは寒すぎて住みにくい場所だからなあ! この国にはそういう専門家が他にいないだけだ!」
「だからってアチキに投げるのは無意味っスよ! あれは王宮の誰かに勉強させてでも、そっちでやるべき仕事っス。アチキはもっと魔法とか魔物とか、あと観光とか、そういった関連の仕事しかできないっスからね!」
「ふむ、流石に金を積むくらいじゃやってくれないか」
「そりゃそうっス。その金は教育費とか専門家の雇用費に充てるっスよ。アチキの分は最低限でいいっスから、次から依頼する時はできる仕事を持ってきて欲しいっス。それなら喜んでやるっスから」
「分かった! では、日を改めて大魔女としての仕事を与えるとしよう!」
「あー、そうだった! それっスよ、それ! その『大魔女としての仕事』ってどういうことっスか? それを聞かないことには納得して仕事も引き受けられないっス」
ヘルフス王は首を傾げる。
そしてこう言った。
「大魔女だったか。国の代表となる称号なのに、お前は有名というほど国に貢献しておらんだろう? だから、ヴァスカル王から知名度を上げられるように仕事を与えてやれと言われたのだ」
「あー、なるほど! そういう経緯だったんスね。だとしても、何の説明もなしに兵士をよこさないで欲しいっス。びっくりしたんスから!」
「ガハハ! すまんすまん! 兵士たちに説明をするのをすっかり忘れていた!」
「忘れてもらっちゃ困るっスよ! まあ、とりあえず書類の山は家に置きっぱなんで、代わりの書類を持ってきてくれる時にでも持って帰って欲しいっス」
「分かった。では、明日までには用意させて持って行かせよう」
***
そして次の日、ヘルフス王は兵士たちに書類を持って来させた。
その量、昨日持ってきた書類の5倍はゆうに超えている。
アチキは目の前の書類の量が信じられず、兵士たちに尋ねた。
しかし、こんな返答が返ってくるだけだった。
「国王様からこれを持っていくようにと言われたまでですので。期限と報酬金は以前と同様とのことです。それでは、こちらの書類を持ち帰らせてもらいますね」
どこからどう見ても7日で終わる量には見えない。
報酬金が同じだからって、あまりに無茶すぎる。
そう思いつつ、アチキは書類の一部を手に取った。
「ふむふむ、こっちはヘルフスの魔物の調査資料、こっちはこの前のクリス君の魔導工房の件、そしてこっちはヘルフスの新たな特産物の国民たちの案? なるほど、見事にアチキ向けの書類をまとめて持ってきたってわけっスね……」
だけど、あまりに無理な量だ。
それを言いに行こうと、再びコートを持って玄関の扉に手をかける。
すると、アチキは玄関先に人の気配を感じた。
恐る恐る覗き窓から見てみると、そこにはヘルフスの兵士が2名ほど集まっていた。
「……もしやこれは? ちょっと聞いてみるっスかね」
玄関の扉を開き、アチキは見張りの1人の兵士に尋ねた。
「もしかして、アチキの家の前で見張ってろとか言われてるんスか?」
「ええ。本日持ってきた書類は全て重要書類ですので、我々がついていないと国王様に怒られてしまいます」
なるほど、いわゆるカンヅメってやつか。
期日が前回と同じなら、監視をつける必要があるのも頷ける。
だけど、それでも引っ掛かることがあった。
「この仕事の担当者はどうしたんスか? 昨日の書類もそうっスけど、本来は担当者がいるからその仕事があるんスよね?」
「それが……ここ数日で、王宮内の書類仕事をしている部署の人たちがまとめて熱を出してしまいまして……」
「なるほど、流行り病っスか……。それでアチキに白羽の矢が立ったというわけっスね。またヘルフス王の伝達忘れじゃないっスか。そうだと知っていれば、快諾したのに」
「まあ、とりあえずそういうことなので、よろしくお願い致します。我々は仕事で配備されているだけなので、特にお気になさらず仕事をしていただけると幸いです」
これはどうしようもない、と思った。
ただ、この仕事をこなせば間違いなくアチキはヘルフスの危機を救ったと言えるのは確かだろう。
知名度とはまた違う話だけど、ヘルフス王の周辺に幅を利かせるようになれば後々きっと便利な気がした。
アチキは大人しく家の中に戻り、羽根ペンを手に取った。
***
そして今に至る。
残り日数は4日というところだが、書類は7割以上残っている。
病くらい3日で治るだろうから仕事も減るだろうと高を括っていただけあって、アチキは気持ち的にも追い込まれていた。
「クロネさんの時魔法とかあればもっと早く終わったんスかねぇ……。食事は用意してくれるにしても、全く家から出られてないっスし……。あぁーー!! ここから逃げ出したい!!」
そう叫んでハッとする。
ここまで精神衛生最悪の状況で、あまりにらしくないことを叫んでしまった自分に、アチキは驚いたのだった。
「少しは気分転換しないと、自分が壊れちまうっス……。仕事がヤバいのはそうっスけど、焦りは禁物っス! じゃあ何をしよう……」
そんなことを思って周りを見回す。
家から出られない以上、アチキにできることと言えば食うか寝るか風呂に入るか、あるいは魔法の研究を──。
「あっ、そういえば魔法の研究のこと、すっかり忘れてたっス。と言っても、何のアテもないから、考えるところからっスけど……」
運命魔法も、それを応用した占いも、誰かがいるから成り立つ魔法だ。
といっても、単純に自分に使っても面白くないだけなのだが、結局アテがないことには研究のネタも見つからない。
「誰か困ってる人とか……って、家の中じゃどうしようもないっスし、外の兵士さんたちに話しかけるとサボったとか思われそうっスし…………って、ん? そういや、アチキ自身が困ってるところだったっスねぇ?」
自分に使っても面白くないとは思いつつ、困りごとというのは総じて研究のネタになる。
「じゃあ、こうなった原因から考えた方が自然っスかね。確か、王宮内の流行り病が原因でアチキのところに仕事が……。とはいえ、過去を変えることはできないっスし……」
人の運命を変えられると言っても、変えられるのは未来だけ。
既に収束している過去の運命はどうしようと変えることはできない。
『
「ということは、この仕事の担当者に罹っている流行り病を近い未来でどうにか治す方が理には適ってるっスね。って言っても、家の中で完結させるとなると新しい魔法を考案するしかないっスけど……」
などとぶつぶつ呟きながら、アチキは魔法の考案を始めた。
***
アチキが家にこもって魔法を作り始めて3日が経った。
1日後に全ての書類を提出しなければならないというのに、山は3日前と同じ形で残っている。
今日担当者が治ったとしても、残り1日は間違いなく不可能だ。
「はは……久々の研究で熱が入りすぎてやっちまったっス……。これは報酬諦めて謝罪するしかないっスねぇ……」
そう言って、手元の魔導書を見つめる。
とりあえず仮のものだが、自分に関わる存在の運命を少しだけ変えられる魔法ができた。
自分の運命を水晶玉に投影し、自分の運命を少し弄ることで、そこに関わる他人の運命をほんの少しだけズラすという魔法だ。
「結局いつもの運命魔法より範囲が広がったせいで、影響力は大したことないんスけど、作れただけ結果オーライっスね……。とりあえず試してみるっス!」
水晶に手をかざす。
すると、明日の自分の未来がうっすらと映る。
ただ、いつもと違うのは、これが確定した未来
未来の運命は水面のようなもので、小さな変化で大きな波が起きてしまう。
そしてその範囲がいつもより広いということは、変化をより小さいものにしなければ多くのものの運命が大きくねじ曲がってしまう恐れがあるのだ。
「例えば、アチキが今、椅子から立ち上がると……うん、やっぱり少し違う未来になったっスね。流石にこれだと、『家を出る』くらいで魔法が失敗しちゃうかもっス。さて、一体どんな未来にすれば現状をより良くできるんスかねぇ……」
身振り手振りをしてみたり、色々な場所をウロウロとしてみる。
その度に未来が変わっていくが、どれもあまりしっくりこない。
というか、予想通りほとんど様変わりしておらず、アチキが国王の前で地面に伏している姿は一貫して変わっていない。
「運命を投影するだけじゃなくて、『
そう言って玄関の近くまで歩いていくと突然、水晶玉に映った未来が変わった。
ハッとして周りを見回すと、玄関の窓越しに外にいる兵士と目が合った。
「ゲッ、マズい、見つかったっス! でも、どうして急に運命が……?」
その声を聞きつけたのか、見張っていた兵士の1人が玄関の戸を叩いた。
アチキは結果をよく見ないまま水晶玉を棚に戻し、扉を開ける。
「エスト様、お仕事お疲れ様です! 様子を伺いに来ました。まあ、挙動不審だったので気になっただけではありますが」
「あー……まさか見つかるとは思わなかったっス……」
「仕事は終えられましたか? と言っても、その様子だとまだなんでしょうけど……。まあ、期日まであと10日くらいありますし、焦る必要はないと思いますが」
「大変申し訳ないっス……。これは足を畳んで大人しく謝罪を……って、うん?」
今、確かに期日まであと『10日』とはっきり聞こえた気がする。
アチキは戸惑いながら兵士に尋ねた。
「え、この書類、明日までじゃないんスか?」
「え? ええ、そうですよ。以前の期日は『17日』でしたよね? それと同じ日数という話を依頼の時にしたと思いますが……」
「うん? 前回は『7日』じゃなかったっスっけ?」
「いやいや、そんなはずはありませんよ。ほら、これが前のメモ書きです」
「ちょっ、見せるっス!」
アチキは
すると、アチキが7だと思っていた数字が、実は1と7が繋がっていたのだということに今更ながら気がついた。
「これはパッと見で『17』とは読めないっスよ! 誰っスか、こんな雑な字で紛らわしい文章を書いたの!」
「……国王様です」
「ああ……!? あっ、あの国王、やりやがったっスねー!? おかげでとんだ気苦労をする羽目になっちゃったじゃないっスかー!!」
「も、申し訳ありません! 私がちゃんと口頭で内容を復唱すべきでした! これでは書類仕事のお手伝いを継続していただけないでしょうね……」
「いや、それは喜んでやるっスけど……。新しい魔法ができるいいきっかけになったっスし……」
「あっ、ありがとうございますー!!」
ペコペコと頭を下げながら、兵士は外の見張りへと戻っていった。
***
どうやら、彼らが見張っていたのはアチキではなく、重要書類だったようだ。
つまり、普通に家から出ても良かったのだと気づく。
「……あと11日っスか。となると、思ったより作業は順調だったんスねぇ……。よーし……」
そう言って、アチキは玄関のコートに手を掛ける。
でも、アチキはその手をパッと戻した。
「……うーん、ここまで家の中にいたら、出掛けるのは負けな気がするっスねぇ。それに、この書類とか資料とか好き放題読める時間が増えたって考えると、むしろこの家から出ない方が楽しめる気がするっス!」
***
こうして、エストは家に籠りながら様々な資料を読み漁り、楽しみながら魔法の研究にも勤しんだ。
結局、期日になる3日前に担当者たちの病が治ったのだが、エストに振られていた作業はそれまでに全て終わっていたのだった。
その後、エストのところにはヘルフス王から様々な資料が届けられ、エストはそれを楽しみに家の中での研究を楽しんだ。
たまにクリスが来たり、他の魔女が訪ねてきたり、ヘルフスの人が訪ねてきたりするうちに、次第にエストの家はヘルフス中の色んな仕事を引き受ける『何でも相談所』のような場所へと変わっていくのだった。
それが繁盛したことによって、エストの家はエストの要請で規模を拡張していき、魔法の研究ができる工房や書類仕事をできる広い部屋が増えていくのだが、それはもう少し先の、未来のお話……。