最近着々と「なぎさちゃん可愛いよなぎさちゃん」挨拶化運動が浸透してる気がする。
真実を知って絶望する者もいる。
絶望を前にして立ち上がることのできない者もいる。
そして、絶望を知ってなお、戦い続ける者がいる。
それらは全て、人間として当たり前の事象であり、彼女たちがまだ人間であるという証明に他ならない。
では、絶望を糧にする彼は、果たしてまだ人間と呼べるのであろうか。
☆
まるで猫のように道という存在を無視するキュウべえを必死に追いかけ、俺は家からそう遠くない場所にあるアパートまでやってきた。
建物の大きさから考えて、一部屋あたりの広さはたかが知れているだろう。俺は上がった息を整えながら、「百江」と書かれた簡素な表札のぶら下がったドアを叩く。
「なぎさ! いるなら開けてくれ! 何があった!?」
力の限り強くドアを叩くが、中から返事はない。ドアはしっかりと施錠されており、蹴破って入ろうとしてもおそらく不可能だ。
俺がドアの前でどうしようかと右往左往していると、またどこからともなくキュウべえが現れた。
『何をしているんだい、太一! こっちだよ!』
「くっそ……俺は猫じゃねえってのに……」
塀を乗り越え、窓のあるであろう建物の反対側へと回っていくキュウべえ。俺は悪態をつきながら、その後を追う。
二階だったので、落ちても運が良ければ痛いで済んだだろうが、それでも怖い物は怖い。途中、野良猫に引っ搔かれながら、俺達は大きな窓のある建物の反対側へと辿り着いた。
窓のカギは開いていた。きっと、キュウべえがここを出る為に開けたのが、そのままになっているのだろう。
「……! なぎさ!」
窓を開け、リビングと思われる部屋の中央で倒れているなぎさに駆け寄る。身体を抱えあげると、力は籠っておらず、ぐったりとしていた。表情はどうしようもない苦痛に侵されているかのように歪んでいる。さらに。
「な……!?」
俺を驚愕させたのは、なぎさを抱えあげた拍子に転がり落ちた彼女のソウルジェム。
この前見せてくれた時は綺麗な薄紫色だったのが、今は形容するのもおぞましい『嫌な黒』に染まっている。
この色は、そう、例えるなら『絶望の色』。
「き……キュウべえ! 一体なぎさに何があった!? だって、昨日はこんなんじゃ……!」
『それを説明するには時間がいる。大丈夫、なぎさが
「まじょ、か……?」
魔女化。
魔女に化けると書いて魔女化。
それはつまり、なぎさが魔女になると言うことか……? あの日、俺を殺そうとした魔女に……?
『順を追って話すと言っているじゃないか。まあ聞いてよ』
キュウべえは、今この状況でさえ、無機質な頭に響く音声と、全く変わることのない表情で喋り続ける。
『なぎさはずっと前から、父親に虐待されていた』
「虐待、だと……?」
『そう。なぎさの父親は、毎晩どこかに出掛けては、真夜中を過ぎてからここに帰ってきて、なぎさに暴力をふるっていたんだ。成人男性が、まだ成長途上の少女に抑えることのない力を振るえば、どういうことになるか、君には想像がつくだろう?』
当然だ。今の日本では、親が子供を虐待し、傷つけ、虐げると言う事件はいうほど珍しくない。
いくらなぎさが魔法少女――――魔女と戦う特別な存在だったとしても、ベースは人間、それも小学生の女の子。大人の男が振るう暴力を受けて、何もないはずがない。
ただし、その話は俺の知っている事実とは矛盾している……!
「でも、俺はあの日から毎晩なぎさに会っていたけど、虐待の痕とか、あざとか、そういうのは全然なかったんだぞ!?」
『それはそうさ。なぎさは普通の女の子じゃない、魔法少女だからね。たかがあざ程度、魔法を使えば完璧に治すことが出来るんだ』
「治す……? そんなことが出来るのか!?」
『当然だよ。そもそも、巨富の魔女に瀕死の重傷を負わせられた太一を治療したのは、一体誰だと思っていたんだい?』
そう言われてみればそうだ。
あの時、あの場にいたのは俺、なぎさ、キュウべえの三人だけだった。俺にはそんなマジカルな現象は起こせないし、キュウべえも魔法を使うそぶりは一切見せていなかった。俺を治療できる人間はなぎさしかいなかったんだ!
「でも、どうして、なぎさは虐待の痕を消したりしたんだよ? そんなことしたら、誰かに気づいてもらえなくなるじゃないか!」
テレビでもよく聞く話だ。虐待の発覚、そして決め手になるのは、子供の身体に残った痛々しい暴力の痕。事実、俺はなぎさが虐待を受けているという事実に、一度として気付くことが出来なかった。
『そんな人間の心理、僕に分かるはずがないじゃないか。一般論を言わせてもらうなら、君に心配をかけたくなかったんじゃないかい? ずっと観察していたけれど、太一、君は平均的な日本人よりもやや優しい傾向にあるからね』
「ちょ……ちょっと待てよ。お前、なぎさが父親に暴力を振るわれるところ見てたんだろ? なら何で助けなかった!? 何でそんな他人事なんだよ!?」
『なぎさが虐待を受け続けることで、僕らにメリットがあるからさ』
キュウべえは表情を変えることもなく、声のトーンもずっと同じのまま、そんな残酷な事をあっさりと言った。
あまりの訳の分からなさに、俺の脳がだんだんと思考を放棄し始める。
「メリット……?」
『そう。それが最初に言った、なぎさの魔女化につながってくる。僕らの本来の目的は、「希望を願った魔法少女が絶望した時の、魔女化に伴って発生する感情エネルギー」だからね』
『希望を願った魔法少女が絶望した時の、魔女化に伴って発生する感情エネルギー』。
キュウべえの言うことがさっぱり分からない。どうして魔法少女が魔女化する? どうしてそこにエネルギーが伴う? いや、それ以前に何でなぎさは魔女化しかけている?
「……魔法少女が魔女化する理由は?」
はっきり言って、どうしてキュウべえが魔法少女からエネルギーを取り出そうとしているのかとか、その理屈や理論だとか、そんなものはどうでもいい。とりあえず真っ先に解決しなくてはならない問題は、なぎさが魔女化するのをどう防ぐか、ということだ。
『ソウルジェムの穢れが許容範囲を超えたから。ソウルジェムに限界まで穢れがたまった時、ソウルジェムはグリーフシードへと変換され、魔法少女は魔女へと生まれ変わる』
「それを、グリーフシードを使って穢れを移しかえることで防ぐのか」
『そうだよ。ソウルジェムに穢れが溜まる理由は二つ。魔法を使って魔力を消費するか、魔法少女が絶望するかどちらかだ。そして、ソウルジェムを砕かれるか、あるいは魔女化した時、魔法少女のその生涯を閉じることになる。なぎさの場合は、自己の修復のために魔力を使いすぎたことが原因と言えるね』
「なぎさはグリーフシードを持っていなかったのか?」
『持っていなかった。なぎさが最後に戦った魔女は君を襲った魔女だ。あの魔女が落としたグリーフシードが、最後の一つだった』
つまりなぎさは、自分の命が危なくなるかもしれないのに、俺に心配をかけないためだけにひたすら魔法を行使し、また直ぐに傷つくと分かっている肉体を修復し続けた。その代償が、魔女になることってわけか……。
……こんの、バカが。
「こんな展開になる方が、よっぽど心配するってのに……!」
『なぎさは本来、自分の食べる物を魔力によって生み出していたから、いずれはこうなると分かっていたけどね。まあ、避けられない事態だったのは「黙れよ」……はあ、またか。君たち人間は、この事実を教えると、すぐに僕たちのせいにしたがるんだ。きちんと契約の内容を確認しなかった、自分たちの責任だと言うのに』
この、人の魂を弄ぶ詐欺師は、この期に及んでまだ自分は悪くないと言い張るつもりらしい。
勿論、今はコイツの話を生真面目に聞いてリアクションしてやるつもりはない。そんなのは、
――――なぎさが助かるのなら、俺の魂一つ程度、悪魔にだって差し出してやるよ。
「おい、キュウべえ」
『何だい? まだ何か聞きたいことがあるのかい?』
「俺と契約だ」
俺が言葉を発した直後、キュウべえは突然口をつぐんだ。
まさかこの展開で、俺がキュウべえと魔法少女の契約をしようと申し出るとは思っていなかったのだろう。表情には出ていないが、コイツは間違いなく、驚愕している。
『……へえ、今までの話を聞いて、契約する気になるとはね。いいよ。君ならどんな願い事でも叶えられるだろう。さあ、君はその魂を代価にして、何を願う?』
「本当に何でも叶うんだな? 俺の願いは……」
と、言いかけた所で、なぎさが苦しそうにうめき声を上げた。
迫りくる絶望から逃れようと、希望にしがみついていようと、必死にもがくように。
「う……あ、あっ、うあっ、がっ、う、ああああああああああああああああ!!」
「なぎさ!!」
『もう魔女化が始まるよ。契約するなら急いだ方がいい。でないと、君は魔女化したなぎさに殺されてしまう』
言われなくたって分かっている。魔法少女に関してずぶの素人である俺だって、こんなに苦しそうにしているなぎさにまだ時間的猶予が残されているとは到底思えない。
俺は一度、深く息を吸い込む。
そして、
「契約だ、キュウべえ。俺の魂と引き換えに、『なぎさのソウルジェムを浄化』しろ!」
『それは出来ない相談だ。なぎさには魔女化してもらって、エネルギーを回収しなくてはならないんだから』
そう切り返してくることは分かっていた。勿論、こんな悪徳商売を平気で行う奴らが、そんな簡単な抜け道を許してくれるはずがない。
けれど、キュウべえは理解していない。俺はあえてキュウべえに乗る形で『契約』という言葉を使ったが、これは『契約』なんて対等なものじゃない。これは――――
「勘違いするなよキュウべえ。俺はお前に『なぎさのソウルジェムを浄化しろ』と『命令』したんだ」
『君は僕に命令できるような立場なのかい?』
「ああ、出来るさ。俺はなぎさのソウルジェムを持っているからな」
俺は右の掌に持っていた、なぎさのソウルジェムをキュウべえに見せつけ、勝利の笑みを浮かべる。
キュウべえ、二度目の沈黙。
こいつはさっき自分で言っていた。『魔法少女はソウルジェムを砕かれると死ぬ』と。
なら俺がやることは単純だ。俺の契約内容が聞き入れられなかった時、俺はなぎさのソウルジェムを砕き、その直後に自殺する。結果、キュウべえは俺達二人からほんの僅かなエネルギーさえ回収できない!
「選択の余地くらい与えてやるよ。今はなぎさを生かし、今後俺達からエネルギーを回収できる可能性に賭けるか、今この場で俺達二人を失い、エネルギーを回収できないまま終わるか、お前が選べ」
『……君が持っているそれは、なぎさの魂そのものだ。君はなぎさを殺せるのかい?』
「殺せるさ」
勿論殺せる。そうでなければ、前提として俺の命令が成り立たなくなる。
おそらくは感情という物を理解できないのであろうキュウべえには一生理解できないさ。どうしてなぎさの危機に駆け付けた俺が、なぎさを殺せると言い切れるかなんて。
『太一さん……魔女に、なんて、なり、た…く…ない、よぉ……!』
それがなぎさの意思だと言うのなら、俺は何の躊躇もなく命を捨てられる。
もともとは意味なんてなかった、そしてなぎさに助けられた命だ。
意味のある終わり方が出来るのなら、後悔なんてあるはずがない!
『……仕方がない。ここで君たち二人を同時に、そして無意味に失うわけにはいかないからね』
キュウべえはそう言うと、俺の手からソウルジェムをひったくり――――また猫の如く口にくわえやがった――――何故か背中から飛び出したグリーフシードで浄化した。……なぜそこからグリーフシードが出てくるかは今は突っ込まないでおこう。
ソウルジェムの穢れがグリーフシードに吸収されていくにつれて、苦しそうだったなぎさも落ち着いて行き、だんだん表情も安らかになっていった。とりあえずは、一安心と言ったところか……
『さあ、今度は君の番だよ、太一』
「おうよ。魂でも心臓でも持ってけ」
そう言った直後、俺の胸から漆黒の光があふれ出す。
突然の出来事に動揺している俺など気にせず、キュウべえは段々と俺の胸から離れていくその光源を熱心に見詰めている。
そう言えば、これ、ソウルジェムなのか……?
俺は光へと手を伸ばし、『それ』を掴んだ。手に触れた瞬間、『それ』がどういう物なのかが、感覚的に流れ込んでくる。
勿論、俺が取得した、俺だけの魔法も。
『これが君のソウルジェムだ。これで君も、晴れて魔法少女』
ギャルン!!という炸裂音が響く。
ふむ、手ごたえは悪くないのだろう。
俺は
大分落ち着いているようで、今はすやすやと寝息を立てて眠っている。ソウルジェムも穢れは一切ないし、しばらくは大丈夫だろう。それでも、魔法や魔力の使い方には十分注意させなければ、きっとそう遠くないうちに似たようなことがまた起きてしまうだろう。それだけは何としても防がなければならない。
『まったく、無意味に個体を潰さないでほしいな』
「!?」
突如として聞こえたキュウべえの声に、俺は思わず振り返った。
そこには、さっきまでと変わらない、エセマスコットの姿。
何故……!?
『僕らは複数の個体をネットワークでリンクさせているようなものだからね。個体を一つ潰されたところで痛くも痒くも』
勿論最後まで言わせない。
もう一度魔法を行使し、細切れにして吹き飛ばす。よし、そろそろ魔法の感覚に慣れてきた。
『ないのだけれど、やはり無意味に潰されると困るんだ』
『だからこれ以上僕を殺さないで貰えると』
『助かるん』
『だけど』
『な』
ちっ……殺しても殺しても沸いて出てくる。コイツらゴキブリか。これからシロゴキブリと呼んでやろうか。
「気持ちワリいな。とっとと消えろよ」
『そうはいかない。君はもう立派な魔法少女だからね。僕がサポートしなくちゃならない』
「……言ってることは正しいけど、無茶苦茶ムカつくしぶち殺してえな」
おそらくは、俺やなぎさよりもキュウべえの方が魔法少女のシステムについは詳しい。より俺達の力を理解し、効率よく行使するためには、キュウべえからアドバイスを受ける必要がある。精神的には死ぬほどいやだけど。
サポートを受けるのは仕方がない。他の魔法少女の存在といった情報収集にでもこき使ってやるとしよう。しかし、今はそれ以上に見過ごせない問題が一つある。
「おいキュウべえ」
『何だい?』
「俺はこれでも男だからな。『魔法少女』って呼ぶのはやめてくれ。俺のことは――――」
魔力を練り、右手に漆黒のロングメイスを具現化。
変身によって、衣装も簡素だった私服から黒のロングコートへ。
俺の魂であるソウルジェムは、イヤリングの形状となって左耳に。
「――――『魔術師』って、呼んでくれよ」
魔術師・月島太一の誕生の瞬間である。
☆キャラクター紹介☆
百江なぎさ 10歳(小学校四年生)
病気の母親の為に「ひとつきりのチーズケーキ」を願い契約した女の子。その願いに応じ、爆発、誘爆するお菓子を精製できるが、チーズが絡むものは精製できない。
また、魔力を使えば実際に食べられるお菓子も作ることができる。
父親に酷い虐待を受けていたが、太一に心配をかけたくないがために魔法によって傷を癒し続け、魔女化の寸前まで追い込まれたところを、太一の契約によって救われる。
ソウルジェムの色は薄紫色。通常は、誘爆するお菓子で前衛を務める太一のバックアップを行う。