朝五時三十分、日の出の時間と共にベットの片隅に置いてある目覚まし時計がじりじりと鳴り響く。
重たい目蓋を開けて小窓から外を覗き込むと遠くの建造物からオレンジ色に燃える太陽が顔を出していた。
「これから始まるんだ、俺の高校生活が」
それから簡単な朝の身支度を終え、中学から日課であるランニングをするために家を出た。
軽い柔軟をやり、勢いよくアパートの二階から一階に駆け出す。門を出ると田舎にはない景観が広がっていた。空を見上げるほど高い高層ビルにレンガで舗装されたきれいな道路、どれも春休みに田舎から越してきた俺にはいまだ新しく思えた。
俺がこちらに上京してきたのはこの東京都葛飾区に在住している私立東林高校に入学するためだ。私立高校に入学する条件の中に都内に在住しているというのがある。それを最初聞いた時には絶望していたのだが、母の実家が東京にあると言うので転がり込むように越してきたのだ。
そうまでして東林高校に入りたいと思ったのは野球部に興味があったからだ。東林高校野球部は甲子園出場回数が全国有数の三十一回を誇り、甲子園を目指す俺からすればまさにうってつけの高校だった。
ランニングを終え、自宅に戻ると時刻は六時を回っていた。玄関に上がり汗でぬれた体を拭いていると台所から俺を呼ぶ声が聞こえてきた。
「翔ちゃん、ご飯できたわよ」
柔らかくて優しい声、俺を呼んだのは祖母だった。
着替えてからリビングに顔を出すと既に机の上に朝ごはんが並んでいて祖父と祖母が椅子に並行して座り、俺を待っていた。
この二人は自分を快くこの家に迎え入れてくれた俺の保護者だ。生活面を大きく支えてもらっている。
祖母の正面の席に座り、三人揃って合唱。
朝食のパンに噛り付いていると祖母が俺に話しかけてきた。
「今日は入学式ね、緊張してるかしら」
「いや、そんなに。むしろどんな人が同じクラスになるのか楽しみだよ」
「いいお友達ができるといいわね」
そう言いながら、祖母は柔らかい笑みを浮かべる。
その話題に祖父も乗っかる。
「友達作りでは積極的に話しかけることが大事だぞ」
祖父は部下に物を言うような調子でそう言う。
「それ、口で言うのは簡単だけど結構難しいものなんだぞ」
俺は簡単そうに言う祖父にそう反論すると「うーん、そういうものかね」と俺のの言い分を理解したようにそう言う。
それからもこうした学校のことについての会話をしながら朝食を食べて自室に戻った。
自室に戻り、時計を確認すると、七時五十分を指していた。今日の学校集合時間は八時半で一度自分の教室に来るように入学説明会で言われていた。ここから学校までの距離はそう遠くなく、徒歩で遅くても二十分で着く。こんなに近い場所に住んでいてくれた祖父母には感謝しかない。そうとはいえ、時間ぎりぎりに行くと何かあった時に対応できないのでこのまますぐに学校に行くことを決めた。
タンスから東林高校の黒ベースのワンポイントで東林の(東)が胸辺りに入ったシンプルなデザインのトップスと真っ黒なズボンを取り出す。それに身を包み、俺はそのまま家を出た。
学校に着いたのはそれから十五分ほどたった八時十分だった。校門には同学年であろう生徒たちと引率の先生がいた。
引率の先生に従い四階にある教室に向かう。階段を上りきって左に曲がり少し行くと自分の教室、1-Bの看板の文字が見えてきた。 教室に近づくにつれて坂上は徐々に緊張感を抱き始める。。
教室のドアには席順が書かれた紙がセロハンテープで貼られていて、自分の席は一番後ろの廊下とは反対の隅っこだった。
そのまま後ろのドアから教室へ入るとそこには静寂の空間が広がっていた。そんな空間に煽られて、緊張感がさらに高まる。
現在時刻八時二十分。あと十分間この空気のままいることは苦痛でしかない。一クラス四十人で構成されているのだが周りを見渡す限りで半分ほどしかまだいない。その誰もが時計を見たり目をつむったりと、誰かに話しかけるそぶりを見せずに過ごしていた。
周りを見渡しているうちに隣の席に座る男子生徒と目が合う。ここは何か話すべきなのだろうか。しばらく二人の間に沈黙の空気が流れる。
「お主、名はなんという?」
先に口を開いたのは目の前にいる彼だった。
小柄な体格に高い声、学校の制服を着ていなかったら小学生と間違えられそうなほど。
しかしそのしゃべり方はなんなんだろう。軽口を叩いているような口調ではなかったので困惑する。真面目に言っているのかふざけて言っているのか、どっちだ。
「わ、我は坂上 翔と申す」
「おお、そうか我は茨木 冬児という。よろしくな」
俺と茨木は握手を交わす。やった、成功だ。
どうやらうまい返答ができたようで茨木からも笑みがこぼれている。
「お主、我としゃべり方が似ておるな、なんだか親近感が湧くの。」
「え?」
(マジなほうだったのか、マジなほうだったのか。きっと周りの人たち変な奴だとか思ってるよなぁ。)
机の上で頭を抱えうずくまっていると扉が開き、教員らしい若い女性が入ってきた。
時計の針は八時三十分を指していて、気づかなかったが既に全生徒が教室に集まっていた。
相変わらず周りの空気は重い。それを感じた先生は手を二回叩き、「みなさん元気がないですよ、元気出して」と明るく振る舞う。しかし生徒の反応は鈍い。
先生はそれ以上そのことについて触れることはなく続けて自己紹介に入った。
「私はこのクラスの担任になりました松下と言います」
教壇の上で松下先生は落ち着いた雰囲気で話した。一瞬の間の後、一人の生徒が拍手した。それにつられ他の生徒も一斉に拍手し、しだいにその音は大きくなっていった。
その後入学式の流れについて説明され、本番も終えた。
教室に戻り席に着くと、松下先生が教壇に上がった。
「入学式お疲れ様でした。それでは解散する前に、みなさんにはこの学校の生活について知ってもらおうと思います。」
そう言うと先生は黒板に何かを書き出す。
「これはこの学校のタイムスケジュールです。」
黒板には何時から何限目、何時から掃除など、細かく一日の時間割が書かれていた。
「皆さんは東林高校と言えば何を思い浮かべますか?」
先生は俺たちに問いかける。
「野球部」
一人の生徒がそう言う。やはり世間一般でも東林高校と言ったら野球部というイメージがついていることが分かる。
「そうですね。我が校の野球部は皆さんが知っての通り甲子園に何度も出ている強豪校です」
先生は返答をすでに準備していたかのように話した。
「その強さの理由の一つは練習量にあります。皆さん知っていると思いますが、この高校には普通科のほかにもう一つスポーツ科というのがあります」
先生は黒板にもう一つのスケジュール表を書き始めた。
「これがそのスポーツ科のスケジュールです」
先生が黒板の隅に寄って書かれた表があらわになる。それを見て全員から驚きの声が漏れる。
「嘘だろ?十時以降は部活だって?」
タイムスケジュールには十一時以降はすべて部活と書いてあり、授業は一限しか行われない。
「これが、東林の野球部」
このスケジュールが意味するのは普通科とスポーツ科の練習量の差。俺が野球部に入ったとしてもほかの部員との練習量の差は倍以上になる。
「うちの野球部は窓から見えるすぐそばのグラウンドで練習しているのですが、金属音や声が非常に大きいので昼ごろになると我が校の伝統が始まります。」
伝統?そういうと先生は教壇の下からマイクを取り出し、再び話す。
「これが本校の伝統です!」
教室の前後にあるスピーカーから騒音に近いレベルの音が響き渡る。耳をふさぎたくなるほどの音だった。
「あっすみません。音量の調整を間違えてました。本当はもう少し小さいので安心してくださいね。」
勘弁してくれ…と俺は心の中でつぶやいた。
「そうわけなので、明日から始まる授業も昼ごろからはマイクを使うので覚えておいてください。何か質問はありますか?」
それからしばらくの沈黙が流れ、質問なしと解釈した先生は号令をかける。
「それでは、明日から頑張っていきましょう。解散。」
その声と同時に生徒たちはわさわさとそれぞれ動き出す。現在時刻は十一時、ほぼ本来の予定通りに終わった。
俺は机にかけていたバッグを取り、椅子を立つ。
「坂上よ、そのバッグに入っているのはなんだ?」
茨木は俺のカバンを指さし、問う。
「野球道具だよ」
「野球道具?」
そう言い、茨木は首をかしげる。
「ああ、いまから野球部の見学に行くんだ。」
「野球部とは、さっき先生が言ってた野球部のことか?」
「そうだよ。ほら、いまあそこで準備しているだろ?」
茨木の視線ををグラウンドのほうに誘導させると「ほぉー」と声を漏らす。その後しばらく顎に手を当て、考えるそぶりを見せると茨木は「じゃあついて行ってよいか?」といいだす。
予想外の言葉に俺はすこし戸惑う。だが、別に嫌というわけではないので一緒に行くことに決めた。
甲子園常連校の練習がどんなものなのか、俺は興味と興奮に胸を踊らせながらグラウンドに向かった。
この小説は「小説家になろう」で投稿したものを転載したものです。
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